イグーデスマン&ジョー

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    Wiener Konzerthaus Großer Saal 2019年5月6日 19時30分〜22時

    バイオリン、ダンス、歌 Aleksey Igudesman
    ピアノ、歌 Hyung-ki Joo
    バイオリン、ダンス、歌 Hillary Klug
    ピアノ、歌 Yu Horiuchi
    バイオリン、ダンス Alexandra Tirsu
    パーカッション Ananda

    Ein musikalisch verrückter Abend mit Igudesman & Joo

    コンサート当日のお昼頃に
    コンツェルトハウスからメールが入って
    予定されていたユジャ・ワンが体調不良のためキャンセル・・・って
    当日の昼?????

    コンサートそのものは別のキャストで催行されるとのこと。
    ユジャ・ワンの写真の入ったプログラムの中に
    1枚、プログラム変更のピラピラした紙が入っている(笑)

    こんなに急なキャンセルのお知らせ、ということは
    ユジャはお昼以降にリハーサルして
    そのまま本番、という予定だったんだろうなぁ。

    イグーデスマンとジョーが集めたスタッフが
    パーカッション、バイオリン2名、ピアノ1名。
    ピアノはジョーの奥さまだからわかるとして
    バイオリン2名のうち、1人はフィドルを踊りながらバイオリンを弾き
    もう1人はモルダヴィア出身のむちゃスタイルの良い美人で
    あんたはバイオリンのユジャ版か、と思うほどに
    ボディコンのミニドレスで
    バイオリン弾きながら、イグーデスマンと一緒に踊るわ踊るわ。

    変わった才能のある人のまわりには、変わった才能のある人が集まる。

    パーカッションの男性は・・・ちょっとその存在が謎だったけれど
    出演者の誰かの関係の方ですかね?

    急な変更なので、当然ながら、持ちネタで何とか、というのはあるだろうし
    きっとリハーサルもバタバタしたと思うのだが
    サービス精神満杯のパーフォーマンスになった。

    ここに出演した Hillary Klug というキュートなバイオリニスト
    フィドル踊りながらバイオリン弾くんですよ。
    よーつべのチャンネルをお持ちで
    紹介ビデオがあったので貼っておく。



    キュートな白いミニドレスとブーツで
    バリバリ演奏しながら踊るダンスは、すごく楽しい。

    イグーデスマン&ジョーを長年追いかけているので
    ネタはほとんど知っていたが
    (モーツァルトのトルコ行進曲のバリエーションとか
     掃除のおじさんとイグーデスマンの絡みとか
     ジェームス・ボンドとモーツァルトとか
     バッハの無伴奏曲のピアノ伴奏版とか)
    ピアニストのレンタル、あるいは購入のスケッチは初めてだったと思う。
    アイデアとしては、まぁまぁだが、新ネタと思えば楽しい範囲。

    ただ、このパーフォーマンス、すべてマイク付き。
    バイオリンにもマイクが付いているので
    多少、音が大き過ぎて、キンキンする事がある。
    (コンツェルトハウスの音響技術者は優秀なので
     それほど気にはならないし
     歌っている間のマイクの調整が、かなり見事で
     音響技術者の優秀さに舌を巻いたところもある)

    パーフォーマンスは英語、と書いてあったけれど
    英語とドイツ語を混ぜて、かなりドイツ語での表現が多かった。
    イグーデスマンがドイツ語が上手いのは知っていたが
    ジョーもドイツ語、すごく出来るじゃないの。
    今までジョーのドイツ語を聞いた事がなかったので
    ちょっと驚いた。

    隣の年配の女性と、笑いながら目を見合わせて
    ちょっとお話ししたら、初めてだったようで
    そりゃ、初めてだったら、ネタばれがないから、楽しいだろう。
    一回でファンになってしまったらしく
    次にパーフォーマンスするなら、また来るわ、と興奮していらした。

    ジョーク音楽に一時期ハマっていた事があって
    こういうジョークの公演には、色々と行ったけれど
    イグーデスマン&ジョーは、その中でも
    比較的、私の笑いのツボにはハマる。

    ネタばれが多くなると
    次はどうしようかなぁ、と、よく考えるのだが
    (ついついマンネリでも行ってしまうしつこい私)
    でも、あのサービス精神は見上げたものだ。

    いわゆるポピュラーものなので
    一曲ごと、あるいは1スケッチごとに拍手があるのを考慮しても
    22時まで、びっしりのプログラムが
    あっという間で驚いた私に
    どうぞ1クリックをお恵み下さい。


    ユリアン・ラックリン + デニス・マツエフ

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      Wiener Konzerthaus Großer Saal 2019年4月23日 19時30分〜21時40分

      バイオリン・ビオラ Julian Rachlin
      ピアノ Denis Matsuev

      Dmitri Schostakowitsch (1906-1975)
       Sonate op. 147 für Viola und Klavier (1975)

      Johannes Brahms (1833-1897)
       Sonate A-Dur op. 100 für Violine und Klavier (1886)
       Sonate d-moll op. 108 für Violine und Klavier (1886-1888)

      アンコール
      Fritz Kreisler: Liebesleid
      Dmitri Schostakowitsch: Polka (Das goldene Zeitalter, Ballett op. 22)
      Jascha Heifetz: Estrellita
      Camille Saint-Saëns: Introduction et Rondo capriccioso a-moll op. 28 für Violine und Orchester

      熱心な読者はご存知の通り
      私が食指を動かすのはオーケストラであって
      ソロは(ドイツ・リートの男性歌手除いて)まず行かない。

      その上、バイオリンかビオラとピアノという組み合わせ
      予備の知識も音楽的知識もゼロなのだが
      コンツェルトハウスのチクルスに入っていて
      あっ、これ、オーケストラじゃない、というのは
      会場に入ってから気がついた(舞台にピアノしかなかった)

      まぁ会場入っちゃったし・・・
      それにしてもギャラリー(貧民席)入りが悪いぞ。
      チクルスなので、周囲の人はほとんど常連のはずだが
      その常連さんが、ごっそり欠けている。

      裏切り者・・・(意味不明発言)

      前半はドミトリー・ショスタコーヴィッチの
      ビオラとピアノのためのソナタ。

      ・・・暗いっ!!!!

      イースターの時は天気良くて春☀って感じだったのに
      曇りで雨降って、急に冬に戻って寒くなった今日
      こんな暗い曲を舞台で演奏されると
      うわあああ、寒くて暗くて救いのないロシア人メンタリティ(偏見)

      ショスタコーヴィッチって
      共産主義バンザイのプロパガンダ曲やら
      リアルなセック○顔負けの舞台音楽まで作曲しているのに
      根本は、むちゃむちゃ暗い人だと思う。
      何なんですか、この救いのなさは・・・
      (そう言えば、バイオリン協奏曲もそういう感じだった)

      晩年の作品で、ともかく死に対する恐れがあった
      みたいな書き方がプログラムでされていたけれど
      恐ろしく暗くて
      かと言って、交響曲15番みたいな不気味さはないけれど
      嘆き悲しんでいる、というワケでもなさそうなのに
      ドロドロと暗い。

      最後にベートーベンのピアノソナタの引用が出てくるけれど
      (月光である、もろにわかる)
      それでも、明るく終わるわけじゃないし・・・
      こんな天気の日に、これ弾かれたら、ちょっと落ち込む。

      ビオラの音って落ち着いた感じで美しいなぁ。
      ラックリンのビオラ、すごく好きかも。
      丁寧で一つ一つの音に拘って
      温かみのある鋭くなりすぎないクリアな音が伝わってくる。

      この間、音響分析の課題で
      バイオリンとビオラの音比べをしたばかりなので。
      ついつい、頭の中には図表が浮かぶ。
      読者の皆様にも公開してしまおう。





      どちらがビオラで、どちらがバイオリンか
      一目瞭然でしょ。

      後半のブラームスはバイオリンとピアノ。
      最初の曲で、やっと太陽が射して来た、バンザイ。
      会場の気温もちょっと上がったような感じで
      あ〜、春が来たっていう気分。

      しかしこうやって聴いてみると
      ブラームスってピアニストだったんだなぁ・・・
      ピアノのアレンジメントの美しさが尋常じゃなくて
      なんか時々
      これ、バイオリン要らないんじゃ?とか思ってしまう。
      (バイオリン・ソナタじゃないもんね。
       バイオリンとピアノのためのソナタだから楽器は対等だ)

      マツエフのピアノが個性的で目立つ、というのもある。
      まぁ、バイオリンに比べたら、ピアノの多重音響は絶対に有利だし
      それを、マツエフの重量のある
      まるでブルドーザーみたいなピアノで演奏されたら
      ちょっとバイオリンがお気の毒。
      いや、ラックリン巧いですよ。
      それに2人の息もピッタリだし
      でも、マツエフ、ガタイもでかいし
      見た目も出てくる音楽もブルドーザーなので
      ・・・あ、書けば書くほど、自分の馬脚を現すので止めておく。

      アンコールにフリッツ・クライスラー
      多少細めのバイオリンの音だが
      こういうものを弾かせると
      ラックリンの持っている文化が
      ウィーンに根付いているのがちょっとわかる(ような気がする)

      アンコール2曲目
      ラックリンが「ショスタコーヴィッチですがポルカです」とアナウンス。
      バレエ音楽の一部なので、これは、そんなに暗くはない。

      もう終わりかと思ったら
      3曲目のアンコール、ハイフェッツと情報にはあったが
      ポピュラー曲っぽい有名な曲で
      ラックリンのバイオリンの音色の甘い事と言ったら
      これは惚れます ♡
      こういう曲はブルドーザーより華麗な花束でしょう(謎発言)

      最後にサンサーンスの華やかな曲で締めて
      最後まで残った聴衆は大喜び。

      室内楽は基本的には行かないけれど
      時々なら悪くはないかも・・・と
      ついつい思ってしまった私に
      どうぞ1クリックをお恵み下さい。


      マウロ・ペーター + ヘルムート・ドイチュ

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        Wiener Konzerthaus Mozart Saal 2019年4月9日 19時30分〜21時20分

        テノール Mauro Peter
        ピアノ Helmut Deutsch

        Robert Schumann (1810-1856)

        Fünf Lieder op. 40 (1840)
         Märzveilchen
         Muttertraum
         Der Soldat
         Der Spielmann
         Verratene Liebe

        Liederkreis nach Gedichten von Joseph von Eichendorff op. 39 (1840)
         In der Fremde
         Intermezzo
         Waldesgespräch
         Die Stille
         Mondnacht
         Schöne Fremde
         Auf einer Burg
         In der Fremde
         Wehmut
         Zwielicht
         Im Walde
         Frühlingsnacht

        Dichterliebe. Liederzyklus nach Gedichten von Heinrich Heine op. 48 (1840)
         Im wunderschönen Monat Mai
         Aus meinen Tränen sprießen
         Die Rose, die Lilie, die Taube, die Sonne
         Wenn ich in deine Augen seh’
         Ich will in meine Seele tauchen
         Im Rhein, im heiligen Strome
         Ich grolle nicht
         Und wüßten’s die Blumen
         Das ist ein Flöten und Geigen
         Hör’ ich das Liedchen klingen
         Ein Jüngling liebt ein Mädchen
         Am leuchtenden Sommermorgen
         Ich hab’ im Traum geweinet
         Allnächtlich im Traume seh’ ich dich
         Aus alten Märchen winkt es
         Die alten bösen Lieder

        スイス出身のテノール、マウロ・ペーターと言えば
        2013年7月27日のグラーフェネックで
        前座(笑)として聴いた時に
        あまりに清潔感のある美しい声とドイツ語の美しさに
        一目惚れ=一耳惚れしてしまい
        それからウィーンで歌うリートの夕べは必ずチェック。

        それでも、2013年10月17日、2015年5月18日、2016年11月24日の
        3回しかリサイタルは聴いていない。
        他の都市やオペラを追いかけるだけの気力も体力も経済力もないので
        追いかけとはとても言えない(汗)

        1987年生まれ、今年32歳。
        20代の頃に発見した(笑)歌手なので
        時の経つ早さを実感する。

        最初に聴いた時には
        声にむちゃくちゃ清潔感があって
        ドイツ語のディクションが美しく
        技術あって、音程の安定感が素晴らしく
        ただ、まだ今ひとつ表現力には欠けている、という印象だった。

        上記の4回の記事、今、読み直してみたんだけど
        美声、技術ばっちり、でも表現力が、深みが・・・と
        いつも同じような事を書いている(苦笑)

        さて、今回はシューマンのリートの年に作曲されたもの。

        うわああ、このテノール、突然、表現力がむちゃくちゃ増してる!!!
        いや、増さなかったら困るんだが
        声の美しさと技術の高さだけで聴かせて来た印象が消えて
        非常に深い、ドラマチックでありながら
        ドイツ・リートの抑制を踏み外さない表現力を身に着けて来た。

        シューマンがクララとの結婚が決まって
        浮かれてリートをたくさん作曲した・・・というのは
        まぁ、定説ではあるのだが

        このリーダー・クライスを聴いていると
        そんなに明るいウホウホと喜んでいる曲ばかりではなくて
        伝統的調性から脱出してぶっ飛んで
        なんですかこの暗さは、という曲も結構あるのは
        読者の皆さま、よくご存知の通り。

        もちろん当時の「ロマンティック」な雰囲気の流行もある。
        孤独だの失恋だの自殺だの
        男性がウジウジしているのが、この時代の特徴なのかもしれない。
        (例証はありません、ただの主観的意見です)
        いったいこの当時、女性はこういう男性に対して何を思っていたんだろう。
        女性詩人の作品とか残っていたら面白いかもしれないなぁ。

        シャミッソーの詩による5つの歌の
        Der Soldat で見せた表現力にはひっくり返った。
        テノールなのに、マッチョで悲劇的で
        歯を食いしばった悲壮な死にゆく男性の絶叫を描き出す。

        あ〜、ただの「可愛い男の子の可愛いテノール」から脱却したな。

        アイヒェンドルフのリーダー・クライスも
        暗い色調を保って(テノールのあの声の質で見事!)
        いや見事な出来。

        詩人の恋のチクルスは
        本当はテノール向きの曲ではないと思うし
        以前、マウロ・ペーターが歌った時には
        Im Rhein, im heiligen Strome で重さが足りない、という印象があったが

        このテノール、すごく進化してる 😳
        以前の表現力とは比べものにならない程の深みが出て
        ソット・ヴォーチェの部分はあくまでも柔らかく甘く
        マッチョなところでは低めの厚みのある声で堂々と歌う。

        きゃ〜〜っ、ますます目が(耳が)離せないじゃないの。
        しかも音程感の安定さにドイツ語のクリアさがスゴイのが
        以前のように、ただの「技術」だけでなくなってきて
        ちゃんと音楽的表現と結びついて来ているのに驚くばかり。

        詩人の恋は、比較的失恋が早いのだが
        (水車小屋の娘はもう少し恋愛期間が長い(笑))
        あの Ich grolle nicht でも
        叫びまでは行かない抑制を保ったまま
        歯を喰いしばって耐えている感じがすごく良い。

        リズミックな曲のリズムも絶妙。
        もともと抜群なテクニックがあるテノールだから
        どの曲を歌わせても、技術的に完璧 ♡

        しかも声量あって
        無理して張り上げている感じが全くなくて
        高音まで澄んだ美しい声で
        テノールにありがちな、こいつアホか、って感じが
        (テノールの方、すみません!)
        全然なくて
        不要な身体の動きが全くなく
        伝統的・正統的ドイツ・リートを端正な表現で聴かせて
        頭の良さと努力を感じさせるくせに

        歌い終わった後の、あの、満面の笑顔のキュートさと言ったら
        田舎出身の男の子が、全身から喜びのオーラを出しているみたいで
        素朴感に満ち溢れていて、これがまたチャーミングで嫌味がない。

        アンコールにシューマンの曲を3曲。
        全く疲れを感じさせない声で
        あ〜、やっぱり若いって良いなぁ。

        でも、数年でこれだけの表現力をつけてきた上に
        声も円熟味を増していて
        テノールの美しき高音に、低めの音域まで
        完璧な技術で聴かせるとなったら

        追いかける価値はある!!!

        というわけで
        今年8月20日にザルツブルク音楽祭に行く事にして
        貧民席(まだあった!)を買ってからプログラムを見たら
        後半がリヒャルト・シュトラウスで
        しかも有名どころに加えて Mädchenblumen も入っているので
        小躍りしている私に
        どうぞ1クリックをお恵み下さい。



        ザルツブルク音楽祭はチケットは超貧民席で入手しても
        どんなに安ホテルでも、この時期、結構なお値段になるので
        実は高くつく・・・んだけど
        マウロ・ペーターとゲルハーヘルだけは逃せません!!!


        ミヒャエル・シャーデ + マルコルム・マルティヌー

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          Musikverein Brahms-Saal 2019年4月2日 19時30分〜20時45分

          テノール Michael Schade
          ピアノ Malcolm Martineau

          Franz Schubert (1797-1828)
           Die schone Mullerin, D 795

          シューベルトのチクルス「美しき水車小屋の娘」は
          この甘い声のテノールが得意中の得意とするもので
          私も何回かナマで聴いている。

          ただ・・・
          拍手が鳴りやまないうちに急に歌い出した1曲目。
          え? 声があまり響かないし、無理やり出しているみたいで
          フォルテは張りがあるけれど
          ピアノ(楽器じゃなくて強さの方の)が出てないし
          ソット・ヴォーチェもちょっと掠れていて
          もしかしたら、まだ声出しを充分しない状態?
          (もちろん意図的に声出ししてない、という事もあり得る。
           何せ長いチクルスで20曲一気に歌わねばならないから)

          もともとシャーデの甘い声は
          メロディ・ラインで活きて来る声なので
          最初のあのリズミックな曲では
          あ〜、ステキな声、と陶酔出来ないという事はあるが
          2曲目の Wohin? など、弱音での美しさで聴かせる曲なのに
          今一つ、弱音のコントロールが出来ていない印象。

          3曲目のメロディ・ラインから少しづつコントロールを取り戻して来た。
          いくつかの曲は休みなしにブロックとして演奏されて
          これはなかなか良いアイデア。
          集中力が切れないし、前後のリートとの関係がよくわかる。
          (ただ、ウィーンの聴衆は、咳をする時間がない(笑))

          来ている人たちはリート・ファンなので
          かなり静かで、あまり咳もないのが快適。
          楽友協会の椅子の軋みには時々腹が立つが
          (大ホールのみならず、ブラームス・ホールの椅子も古いのだ)
          まぁ、それは仕方ないし
          この位、静かだったら、ソット・ヴォーチェが美しく響く。

          シャーデの水車小屋の娘は
          大昔(15年くらい前か・・・)に聴いて
          あまりにオペラちっくなのでひっくり返った事があるが
          最近のリート歌手は、以前に比べて表現が豊かになって来たので
          今回のシャーデの表現も、現代ではあまり特異には響かない。

          6番目の Die Neugierige くらいから
          完全に調子を取り戻した感じ。
          そうすると、やっぱりシャーデのソット・ヴォーチェは美しい。
          かなり音量を下げているが
          聴衆が静かなので、ばっちり聴こえる (^^)v

          Tränenregen の最後の Ade, ich geh nach Haus が
          いやもう、この娘、絶対に主人公を愛してないだろ(笑)
          かなり冷たい態度と言うか
          なにこいつ、付き合ってやってるけど、ちょっとウザいわ
          ・・・という妄想がふつふつと湧き上がる(偏見です)

          Mein! での舞い上がり方なんだけど
          何だかここら辺で、この主人公も
          実は水車小屋の娘なんか、どうでも良いんじゃないか
          ・・・という、とんでもない妄想。
          だって、最後の Mein! のリフレイン
          独占欲の塊と言うか
          ほら、俺だって、女をモノに出来るんだ、見たか
          ・・・だから私の勝手な妄想ですが。

          次の Pause もそうなんだけど
          この男、自分で煽って自分1人で盛り上がってるんじゃないの。
          でも、この Pause と次の Mit dem grünen Lautenbande あたりは
          シャーデの美しい弱音での美声をたっぷり聴かせてもらえるのは嬉しい。

          急激展開の Der Jäger は、まるで早口言葉(笑)
          すごいテンポで、テキストはちゃんと歌っているし
          音がブレないのはスゴイと思うし
          ものすごくエモーショナルな表現で
          くそ!って感じで、足踏みまでしてたもん。

          あ〜、またしょうもない妄想が湧き上がって来て
          こいつ、恋人が狩人に惚れた事で怒っているんじゃなくて
          自分のプライドが傷ついたから腹を立ててるだけじゃないか

          ・・・と思ってしまうのは、私が歳取って
          恋だの愛だのに懐疑的になっているからであって
          シューベルトともミュラーとも関係ありません、念の為。

          Die liebe Farbe って
          歌詞だけ読んでいると
          ベジタリアンの環境保護団体かこれは、とか思っちゃうし(すみません)

          ここら辺、シャーデも本調子で
          主人公の気分の浮き沈みを、見事に描き出す。
          Trockene Blumen の最後も
          Der Mai ist kommen, Der Winter ist aus.
          の部分を高らかには歌い上げないので
          スムーズに次の小川との会話と子守唄に続く。

          この歌曲集、ドイツ語わからない時から聴いているので
          詩も、そこそこ頭に入っていた、と思っていたのだが

          よく聴いて(読んで)みると
          以前、フローリアン・ベッシュが言っていた通り
          非常に不思議な不思議な詩ではある。

          だいたい、この詩の主人公って誰なんだ??
          疑いもなく、水車小屋に来た若い男だと思っていたけれど
          いつも出てくる小川さん(笑)は
          最後の Der Müller und der Bach で
          突然、主人公と並んで偉そうな事を言い出し(すみません、変な表現で)
          最後の Des Baches Wiegenlied では
          水車小屋の若い男を差し置いて、主人公になっているではないか。

          ・・・ってそんな事に今まで気がつかなかった私がオカシイのだが(自爆)

          シャーデの水車小屋の男の子は
          張り切ってやって来て
          一番手近な女の子に恋して
          というより、恋に恋して
          向こうが乗り気でないのに、1人盛り上がって
          おお、俺も女をモノにしたぞ、と急にマッチョになったら
          もっとマッチョな狩人に恋人を取られ
          (いやでも、この女の子、最初から主人公に恋してないよね?)
          プライド傷つけられて、ごちゃごちゃした挙句
          小川なり、小川が提供する聖母のような優しさに
          甘えかかって終わり、みたいな感じがする。

          最後に主人公に躍り出る小川だが
          あのピアニッシモの美声で、この上なく繊細に歌われると
          小川=聖母マリア的な
          すべてを受け入れて許して休ませてくれる場所のような
          とても大きな愛に満ちたスペースという印象がある。

          男の子は自殺したのかどうかはわからない。
          ベッシュがやったみたいに、絶対に死んでない、という解釈ではないけれど
          ただ、あの小川の優しさを、あの甘い声で静かに歌われると
          いったん、ちょっと休みを取って
          よく寝て、休憩してから、次の旅に出ようね、みたいにも思える。

          ドイツ・リートって
          本当に何回聴いても、その度ごとに何らかの発見があるし
          歌手によっても全然解釈が違うし
          ドイツ語の印象も、その時々で変わってくる
          (・・・のは、自分のドイツ語力、特に文学的解釈能力がないからだが)

          久し振りに美しき水車小屋の娘を集中して聴けて
          シャーデのソット・ヴォーチェも堪能して
          またもや、内容の解釈について
          頭の中にたくさんクエスチョン・マークをもらったし
          (実はそういうの好きなの)
          いや〜、楽しかった、と満足している私に
          どうぞ1クリックをお恵み下さい。



          サイモン・キーンリサイド + マルコルム・マルティヌー

          0
            Wiener Konzerthaus Mozart Saal 2019年3月21日 19時30分〜21時40分

            バリトン Simon Keenlyside
            ピアノ Malcolm Martineau

            Franz Schubert (1797-1828)
             Liebesbotschaft D 957/1 (Schwanengesang, 1. Buch) (1828)
             Kriegers Ahnung D 957/2 (Schwanengesang, 1. Buch) (1828)
             Der Atlas D 957/8 (Schwanengesang, 2. Buch) (1828)
             Am Meer D 957/12 (Schwanengesang, 2. Buch) (1828)
             Freiwilliges Versinken D 700 (1820)
             Ständchen D 957/4 (Schwanengesang, 1. Buch) (1828)
             Der Jüngling an der Quelle D 300 (ca. 1817)
             Das Fischermädchen D 957/10 (Schwanengesang, 2. Buch) (1828)
             Ganymed D 544 (1817)

            Francis Poulenc (1899-1963)
             Le traveil du peintre S 161 (1956)
              Pablo Picasso
              Marc Chagall
              Georges Braque
              Juan Gris
              Paul Klee
              Joan Miló
              Jaques Villon

            Ralph Vaughan Williams (1872-1958)
            aus: Songs of travel (1904)
             Nr. 1: The vagabond
             Nr. 4: Youth and love
             Nr. 6: The infinite shining heavens

            Arthur Somevell (1863-1937)
             There pass the carelss people (A Shropshire lad Nr. 3) (1904)

            John Irland (1879-1962)
             The three ravens (1920)

            Peter Warlock (1894-1930)
             My own country (1926)
             Cradle song (1927)
             Piggésnie (1922)

            John Ireland (1879-1962)
             Sea fever (1913)

            Hugo Wolf (1860-1903)
            aus: Mörike-Lieder (1888)
             Nr. 2: Der Knabe und das Immlein
             Nr. 32: An die Geliebte
             Nr. 31: Wo find’ ich Trost?
             Nr. 23: Auf ein altes Bild
             Nr. 46: Gesang Weylas
             Nr. 38: Lied vom Winde

            アンコール
            Franz Schubert: Im Abendrot D 799
            Franz Schubert: Der Einsame D 800
            Peter Warlock: The Night
            Percy Grainger: A Spring of Thyme

            サイモン・キーンリサイドのリサイタル。
            ピアノはマルコルム・マルチヌーで
            プログラムが・・・ 実に面白い構成になっている。

            シューベルトの白鳥の歌を中心に歌ってから
            プーランクの歌曲集「画家の仕事」
            ・・・って、これ、私、知らなかった!!!

            キーンリサイド登場、普通のジャケットだが
            シャツの胸元は開けて
            登場したら、結構な拍手が鳴り止まず
            本人も拍手の多さにドギマギしたのか
            あっち行ったりこっち行ったり
            何だか落ち着きがなくて
            ちょっとコミカルな感じが・・・

            うううううん、このバリトン
            こんなコミカルなキャラで売ってたっけ???
            (いや確かに大昔に歌詞ど忘れ事件があったのは覚えているが)

            最初のシューベルトの歌
            下向いて、しかも、ピアノの周辺を
            あちこち動きながら
            すごい声量で歌っていて

            声量あるのはわかるんだけど
            ここ、モーツァルト・ホールだから
            あんまり大きな声を出しても意味ないし
            第一、歌ってるのはシューベルトのリートだよね。
            オペラじゃないよね。

            低音は倍音たっぷりの美しさで
            下向きだけど
            もしかしたら上向いて歌ったら
            ただウルサイだけになってしまう可能性があるから良いけれど
            ピアニッシモに抑えるところで
            ・・・声、掠れてますが(絶句)

            本人も、弱音で歌うと声が掠れるのに気がついたのだろうか
            力一杯の声量で歌ってくるので
            強弱なくて、強だけで押しまくり
            かなり大味の、しかも、力だけで歌っている感じになる。

            どうしても弱音・・・というところでは
            突然、声の支えがなくなってしまう(涙)
            こういうのって、風邪をひいたり、声が疲れている時の症状なんだけど
            大丈夫なのか、キーンリサイド・・・

            アトラスなんか、どう聴いたって
            オペラのアリアにしか聴こえなかったし
            (まるでヴェルディだった)
            ピアニストが、またそれに合わせて
            シューベルトとは思えぬドラマチックな
            色彩感たっぷりの伴奏を付けるので
            (これはある意味、素晴らしかった♡)
            どうしてもシューベルトを聞いた気分にならない。

            しかも、キーンリサイドが歌いながら、むちゃくちゃ動く。
            リート歌ってる時に動くな、とは言わないが
            舞台のあちこちに移動するし、手は上げるし
            どう観ても、それはオペラを歌っている・・・としか見えないです(涙)

            プーランクの「画家の仕事」
            うわあああ、これ、むちゃ面白いではないか。

            ピカソ、シャガール、ブラック、クレー、ミロは知っているが
            うわあああ、不勉強な私は
            フアン・グリスとジャック・ヴィヨンの作品は鑑賞した事がない(汗)

            ピカソとブラックの作品の見分けはつくか、と言われたら
            かなり不安なんだけど(ブラックの作品の方が色は地味だと思う)
            フランス語+ドイツ語訳がプログラムにある詩も
            各画家たちの特徴や人柄をユーモアに満ちて綴っていて楽しい。

            面白い歌曲集があるものだ。
            絵画を音楽で表現する試みは
            昔から様々な作曲家がやっているが
            キュービスムまで、その方法での曲があるとは思わなかった。
            (現代ではデュフールがやってたな。この間の現代音楽祭で聴いた記憶がある)

            さて後半、声は大丈夫なのか、と心配だったが
            舞台の上に水を置いて
            多少、声も持ち直して来た感じ。

            最初のイギリス歌曲のテーマが「旅」
            内容的にも音楽的にも、非常にすっきりしたまとまりになっていて
            様式的にもイギリスやスコットランドのエレメントが
            時々、耳新しく、でも、何となく中世っぽい響きまで出て来て
            ドイツ歌曲、フランス歌曲の後に、ヨーロッパ大陸から離れた
            英語圏の歌が入ると、バリエーションが増す。

            途中で1回だけ、やっぱり歌詞ミスで
            最初から繰り返しがあったけれど
            割に最初のところだったし
            まぁ、そういう事もあります。

            最後がフーゴ・ヴォルフのメリケ歌曲集。
            やっと、ここら辺で、声量でごまかしていた声のコントロールが効いたようで
            (いや、そりゃ、ヴォルフでコントロールなかったら困る)
            ドイツ語のクリアなディクションに
            軽く声を乗せて、という最初の曲から
            それこそ、弱音出なかったら最悪だったという
            Auf ein altes Bild や
            これは得意だろうメロディックなワイラの歌
            最後の Lied vom Winde で
            ものすごくキュートに Kindlein, Ade ! をキメた。

            キーンリサイド、後半でも動きまくり。
            まぁ、ゲルネのように身体クネクネのたびに
            違う方向に声が飛ぶ、というタイプではないけれど
            如何にもオペラちっくな舞台。

            しかもキャラが何だかコミカル。
            この人、いつからコミカル・キャラに変えたのかしら。

            アンコールの前にスピーチして
            なんちゃらという有名なバリトン歌手が
            死の床で、夕陽に向かって歌ってから亡くなった
            とかいう内容(だと思われる、よくわからなかった貧民席だから)を話して
            平土間のお金持ち席には音響的に聞こえたであろう
            何かジョークをかましてから、シューベルトの Im Abendrot
            その後出て来た時に
            英語の歌を歌おうと思ったけれど
            シューベルトの後に英語の歌を歌う切り替えが難しくて出来ない
            という前置きで、もう1曲シューベルト。
            最後の最後に、あと2曲だけ、今度は英語の歌ね、と
            続けて2曲のイギリス歌曲。

            確かに器用な歌い手で
            ドイツ語もフランス語も英語も
            美しいディクションで歌ってしまうけれど

            バリトンとしては、かなり低い声域になっているし
            (歳と共に声域が下がるのは普通だから構わないけど)
            力を入れれば声量はあるのだけれど
            リートに必要な弱音のコントロールが
            最初全くダメだった事を考えると
            ちょっと残念。

            愛されるコミカル・キャラを演じていれば
            ファンの人たちは集まるだろうが
            しかしウィーンの、特にリートを聴く(ほとんどが年配の)聴衆って
            オペラに行って声量のでかいスター歌手にきゃ〜っていう聴衆と一味違うよ。

            私も正直言うと
            ゲルハーヘルとかベッシュは
            またリサイタルやったら行きたいと思うけれど
            今日の状態だと、キーンリサイドはちょっと・・・と思うもん(すみません)

            確かに多彩なプログラムで
            テーマもあり、曲の音楽の統一性も違和感はないし
            客を絶対に飽きさせない構成は見事だと思うが。

            今年60歳になるけれど
            もしかしたら、歌いすぎ?
            あの声量で力任せに歌えるなら
            まだオペラではイケるかもしれないけれど
            それでも、ちょっと心配な私に
            どうぞ1クリックをお恵み下さい。


            マルティン・グルービンガー + ユジャ・ワン

            0
              Wiener Konzerthaus Großer Saal 2019年1月26日 19時30分〜21時15分

              ピアノ Yuja Wang
              パーカッション Martin Grubinger
              The Percussive Planet Ensemble
              Martin Grubinger sen.
              Leonard Schmidinger
              Alexander Georgiev

              Béla Bartók (1881-1945)
              Sonate BB 115 für zwei Klaviere und Schlagzeug (1937)

              György Ligeti (1923-2006)
              Fanfares. Étude Nr. 4 (Études pour piano, premier livre, 1985)
              Der Zauberlehrling. Étude Nr. 10 (Études pour piano, deuxième livre, 1988-94)
              Désoudre. Étude Nr. 1 (Étude pour piano, premier livre)

              Iannis Xenakis (1922-2000)
              Okho (1989)

              Nikolai Kapustin (*1937)
              Variationen op. 41 (1984)

              John Psathas (*1966)
              One Study (2005)

              Arturo Márquez (*1950)
              Danzón Nr. 2 (1994)

              ユジャ・ワンの衣装が衣装が衣装が・・・😱

              最初の登場では、黒のほとんどビキニの水着タイプで
              上はギリギリで胸のところだけ隠して
              お腹+背中はばっちり見えて
              下半身はホットパンツのもっと短いような(だから水着です!)
              黒のストッキングに、黒の10センチ・ヒール。

              うわあああ
              いや、ユジャ・ワンの衣装がスゴイのは今に始まった事ではないが。
              私でも鼻血ぶーになりそうな状態。

              最初はバルトークの2台のピアノとパーカッションのための曲。
              編曲して、ピアノ1台にマリンバ2台+パーカッションで演奏。
              古典曲だが、やっぱりパーカッションに混じると
              ユジャ・ワンのピアノのタッチが
              尋常でなく強いにしても
              マリンバの音にかなり消されてしまうところがある。

              ユジャのソロで、リゲティのエチュード3曲。
              いや、そりゃ、むちゃ巧い。
              リゲティあたりだと
              ピアノはほとんどパーカッションと化すのだが
              超高速のテンポを正確無比に保ちながら
              中からメロディを引き出してくる手腕に脱帽。

              クセナキスはパーカッションだけで演奏。
              うおおおおお、カッコいい ♡
              黒いTシャツとズボンを着た若い男性3人が
              (パパ・グルービンガーは出ていなかった)
              激しくパーカッションを演奏するところなんて
              聞いても観ても、悶えるじゃないですか。
              まるでダンスのようで。

              しかし面白いなぁ。
              クセナキスのパーカッション曲は
              パーカッション・アンサンブルとしては
              ヨーロッパのクラシック史では初期の作品だと思うのだが
              パーカッションだけ、とは言っても
              途中にテルツやクヴァルトの音の移動も微かに聞こえて
              メロディ・ライン(音の上下)が残っている。

              リズムそのものは、クセナキスなら
              数学使って緻密に計算してある乱拍子だろう。
              ついついトランスクリプションの癖が抜けず
              ついつい拍子を数えようとしてしまうのだが(こらこら)
              クセナキスの曲の拍子を数えても無意味で
              本当に数えたり理解しようと思ったら
              やっぱり楽譜が必要だ(数学だから・・・)

              マルティン・グルービンガーとその仲間たちのリズム感。
              いや〜、もう、マルティンが、ものすご〜〜〜く楽しそうに演奏してる。

              この人、昔の日本に生まれていたら
              2代にわたって、田舎の村の鎮守のお祭りで
              ものすごい名人芸で太鼓を叩くファミリーとして
              庄屋さんとかお代官さまとかのお気に入りになって
              将軍の前で演奏・・・とかしていたんだろうなぁ(妄想です、妄想)

              ニコライ・カプスティンの曲が演奏されたのは嬉しい。
              もちろんピアノ独奏である。

              で、ユジャ・ワンの衣装が衣装が衣装が・・・ 😳

              クセナキスの間に衣装替えして
              今度は金箔のラメの、超ミニのドレス。

              胸の間がお腹まで開いていて
              もちろん背中は丸出しで
              肌色(金色?)のストッキングに
              金色の(たぶん)13センチのピンヒール。

              ピンヒール履いてピアノのペダル踏むの、大変なんじゃないだろうか。
              (ピンヒールはほとんど床と平行になっている状態)

              カプスティンはジャズのエレメントが楽しいので
              ノリノリのリズム感に加えて
              ジャズのハーモニーがとても美しい。
              ユジャ・ワンって、技術だけじゃなくて
              このピアニストの音楽性って抜群だわ。
              様々なスタイルに対しての反応の良さがずば抜けている。

              ジョン・プササズの One Study は
              ピアノとパーカッション。
              マリンバも入るけれど
              後ろに、ナベのかかったスタンドが・・・(笑)
              マルティンがマリンバを演奏しながら
              時々後ろを向いて、大小の鍋を叩く(爆笑)

              この人、ヨーロッパ中世に生まれていたら
              貴族のキッチンで料理しながら
              料理の間や洗い物の時に
              夢中で鍋を叩きまくっていたに違いない(妄想)

              民衆の中には、きっと、ナベ叩きのエンターテインメントとか
              あったんだろうなぁ。記録も楽譜も残っていないが。

              この One study って、実にクールな曲。
              ユジャ・ワンのピアノも、ばっちり活きていて
              あの強いタッチでなければ
              このグループの中では生きていけないだろう(笑)

              最後はアルトゥロ・マルケスのダントン・ヌメロ・ドス
              ・・・だったんだけど
              ピアノとパーカッション(マリンバ含む)の編曲が
              ものすごくエネルギッシュで
              むちゃくちゃカッコいい ♡

              原曲にあるような、ちょっとしたメランコリーなんて
              どこにある?というような感じだが
              いやぁ、良い曲ですなぁ。
              ピアノのユジャの後ろで
              ものすごく嬉しそうにカホンの上に座って
              叩いていたマルティンの嬉しそうな顔。

              マルティン・グルービンガーって
              ドラマツルギーを知り尽くしてるな。
              観客に「楽しんでもらう」というコンセプトが中心にあって
              しかも古典曲から現代曲、最後はメキシコの現代タンゴまで
              どんどん聴衆を熱狂に巻き込んで行く。

              アンコールするかな?とみんなウズウズして待っていたら
              マルティンがマイクを持って

              「みんな、ありがとう!
               実はアンコールは用意していないんです。
               今日は休憩なしの長いコンサートなので
               みんな、コンサートの後にトイレに行きたいだろうと思って・・・
               メンバーで話し合ったのですが
               だったら、プササズの曲で即興しちゃえ、という事になりました」

              というわけで
              プササズの曲の一部を即興で。

              ユジャの後ろで、マルティンがカホンに座ったら
              パパ・グルービンガーも
              ユジャのピアノの横に座って
              嬉しそうにシェイカー振ってた。

              聴衆熱狂。
              最後は全員のスタンディング・オベーション。

              マルティン・グルービンガーも追いかけて長いけれど
              (確か Frozen in Time の初演(2007)に立ち会ったと思うので
               考えてみれば、もう10年以上)

              この元気なパーカッショニスト
              永遠の「男の子」って感じがスゴイな。

              エネルギッシュで天才で
              本当かどうかはともかくとして
              演奏している時が、ボク、一番幸せ・・・っていう
              アドレナリン爆発状態が
              こちらにも伝わってきて
              聴衆もノリノリになってしまうので
              一度ファンになったら止められない中毒症状が出る。

              マルティン・グルービンガーは
              次はヨーテボリ交響楽団との共演でコンツェルトハウスの舞台に立つ。

              もちろんチケットは確保済み、という
              割にしつこいファンの私に
              どうぞ1クリックをお恵み下さい。


              ゲルハーヘル + フーバー「冬の旅」

              0
                Musikverein Großer Saal 2019年1月18日 19時30分〜20時50分

                バリトン Christian Gerhaher
                ピアノ Gerold Huber

                Franz Schubert (1797-1828)
                Winterreise, D 911

                一部ファンではゲルさまと異名が付いているのだが
                同じバリトンでゲルネ(正確にはウムラウトなのでゴョルネみたいに聞こえる)もいるので
                省略するのはナシとしても

                ドイツ語的に読めば、ゲルハーハーとなる名前が
                日本語の定訳でゲルハーヘルとなっているのも
                何となく納得いかないのだが

                そういう無駄な前置きはともかくとして

                このゲルハーヘル
                デビューした頃から
                ドイツ・リートの正統派も正統派
                どこからどう聴いても
                ディートリッヒ・フィッシャー=ディースカウにしか聞こえない
                ・・・という時期があったのは確かである。

                ウィーンでコンサートするなら
                何はともあれ、駆けつけている私だが
                通常、楽友協会ならリートはブラームス・ホール(小ホール)なのに
                ゲルハーヘルだと、大ホールを満杯に出来るのだ。

                ドイツ・リートを聴こうと思ったら
                いつもの舞台後ろの超貧民席ではダメ(断言)

                かと言って高い席は買えないから(超貧乏)
                お財布に無理してもらって、バルコンの2列目。
                舞台は見えないけれど
                歌手やピアニストを見に行く訳ではないので
                それはどうでも良い。

                演目は・・・冬の旅。
                これ、何回もこのブログには登場するんだけど
                シューベルトのリーダー・チクルスの中でも
                未だに私が積極的に馴染めない曲で

                若い頃は
                あ〜、こういう暗い曲は
                歳取って、人生に諦観しないと
                わからないよなぁ・・・と思っていて

                今、歳取ってみると
                まだ人生への諦観からは程遠く(すみませんガキで)
                シューベルトが30歳ちょっとで届いた境地には
                遥かに遠いところに居るので
                結局、現在に至るまで、冬の旅は苦手。

                実際、このリーダー・クライスは暗い。
                シューベルトが友人の前で披露した時代ですら
                菩提樹以外のウケは悪かった。

                シューベルトが意図したかどうかはともかく
                最初から最後まで、本当に「色」がない。
                ヨーロッパの冬、ジメジメしていて寒くて
                雪が降って
                朝から夜まで、厚い雲が空にかかって
                太陽って何?という日が延々と続く気候条件があってこそ
                この暗さに納得がいく。

                冬の旅と言えば
                最近はフローリアン・ベッシュばかり聴いていたのだが
                クリスティアン・ゲルハーヘルの冬の旅は
                ベッシュと全く違う世界を創り上げていく。

                この上もなく柔らかな
                中心線がはっきり通った端正な美声が
                隅々までコントロールされていて

                テキストのクリアさ
                ドイツ語と音楽の完璧な融合。
                同じメロディでも違う単語で歌われれば
                その部分の音色が違う。

                決して声を張り上げない。
                楽友協会の大ホールは
                観客が静かであれば
                どんなに弱音でも、ホールは悠々と拾う。

                ホールの残響まで緻密に計算した音量は
                ゲルハーヘルだけではなく
                あの、この上もなく繊細で美しい声に
                寄り添いながらも
                独自の世界をピアノだけでも作り上げていた
                ゲロルド・フーバーのピアノの賜物でもある。

                フローリアン・ベッシュが
                黒白のコントラストをはっきりさせた
                時々暴力的な怒りまで感じさせる冬の旅を歌うとすれば

                クリスティアン・ゲルハーヘルの冬の旅の世界は
                最初から最後まで
                灰色の霧のなか。

                灰色一色の単色の世界なのに
                そこに閉じ込められた透明感がすごい。
                時々、思い出したように
                懐かしく、甘く、入ってくる長調の時には
                透明なグレーのなかに
                ほんの微かにパステル色が混じる。

                人生に対する怒り、というようなものを
                既に遥かに超越してしまっていて

                ただ「諦め」とかの敗北感は全く感じない。
                勝ち負けとか、幸福・不幸とか
                そういう二極対立を全く感じさせない
                現世からの超越感というのは

                もしかしたら
                ここで我々聴衆が聴いているのは
                すべてが、どこか懸け離れた幻想の世界で起こっているのか
                あるいは、場合によっては、既に彼岸の世界なのか。

                ゲルハーヘルの冬の旅を聴いていると
                現実感からフワッと浮いてしまい
                足元に全く何もない世界に入り込んでいるような印象。
                不安定なのだが、不安定じゃない。
                孤独なのだが、孤独じゃない。
                不幸せだけど、不幸せじゃない。

                そんな、生臭い感情を全て飛び越えてしまい
                ミュラーの詩が描き出す
                ロマン派の、ちょっと大袈裟なまでの孤独感が
                音楽の中で、グレーの色に溶けていって
                どこか非現実な世界が迫ってくる。

                テキストという意味論的な中心部を
                メロディと音楽
                ゲルハーヘルのこの上なく繊細な美しいバリトンの声と
                フーバーの、これまた控えめなのに
                とことん音楽的なピアノが
                ミュラーのテキストそのものを自分の中に取り込んで
                意味を音楽の中で再構築したって感じかなぁ。

                感情的にならないだけに
                突き放した部分も多いのだが
                透き通る感情のイメージが表面に浮いてきて
                現実に焦点を結んで来ない。

                そんな中に
                ほんの少しの「温度」が入るのが
                パステル色が微かに光るところで
                あ〜、すみません、ついつい涙が・・・

                最後のライアーマン。
                この音楽の空間の広さ、というか
                途中の、あの「距離感」にはひっくり返りそうになった。

                ライアーマンが「遠い」のである。
                いや、ほんと、あれは音楽音響的にどういう処理をしたのか
                マジメに聞いてみたい。
                音響心理学の分野かもしれないが
                詩と音楽が一体になって、ある位置を占めるとして
                その遥か遠くに
                幻想の、薄い霧の中の向こうに
                ライアーマンがいる、としか表現しようのない不思議な感覚。

                強いて言えば
                ゲルハーヘルとフーバーは
                この「冬の旅」から
                現実イメージを徹底的に追い出して
                ある意味、ものすごく哲学的な
                形而上学的な世界を作った、という印象が強い。

                こういう歌唱とピアノを聴けるなんて
                何て私って幸せもの・・・ (*^^*)

                ホール満杯の聴衆は
                比較的マナーも良くて、集中できた。

                もちろん咳は多いにあったけれど
                それでも少ない方だったと思う。
                携帯電話は2回鳴った(怒)←音は小さかったが。
                ライアーマンで客席で倒れた人が居たようで
                多少、話し声とか運び出しとかでバタバタしたが
                これも最小限の支障で済んだ。
                ・・・こういうのってこちらのホール、慣れてるからな。
                (結構、コンサート最中に倒れる人がいる)

                こういう歌手とピアニストが居ることに
                心から感謝して
                また色のある現実世界に戻って来た私に
                どうぞ1クリックをお恵み下さい。


                フラヌイ + フローリアン・ベッシュ

                0
                  Wiener Konzerthaus Mozart-Saal 2019年1月11日 19時30分〜21時

                  Musicbanda Franui
                  バスバリトン Florian Boesch
                  舞台・ビデオ Johas Dahlberg

                  „Alles wieder gut“
                  Liederabend mit einem vergänglichen Bühnenbild von Jonas Dahlberg
                  Musikalische Bearbeitung und Komposition sämtliche Musikstücke :
                  Andreas Schett & Markus Kraler

                  Franz Schuberg (1797-1828)
                  Die Vögel D 691 (1820)
                  Heidenröslein D 257 (1815)
                  Trockene Blumen D 795/18 (Die schöne Müllerin) (1823)

                  Gustav Mahler (1860-1911)
                  Die zwei blauen Augen von meinem Schatz
                  (Lieder eines fahrenden Gesellen) (1883-85)

                  Robert Schumann (1810-1856)
                  Es fiel ein Reif in der Frühlingsnacht op. 64/3 Nr. 2
                  (Romanzen und Balladen) (1841)

                  Gustav Mahler
                  Ging heute morgen übers Feld
                  (Lieder eines fahrenden Gesellen) (1883-85)

                  Johannes Brahms (1833-1897) / Robert Schumann
                  Die Sonne scheint nicht mehr WoO 33/5
                  (49 deutsche Volkslieder, 1. Buch) (1894)
                  „In der Fremde“ op. 39/1 (Liederkreis) (1840)

                  Gustav Mahler
                  Wenn mein Schatz Hochzeit macht
                  (Lieder eines fahrenden Gesellen) (1883-85)

                  Robert Schumann
                  Der arme Peter op. 53/3 (Romanzen und Balladen) (1840)
                  Der Haus und die Grete tanzen herum
                  In meiner Brust
                  Der arme Peter wankt vorbei

                  Franz Schubert
                  Du bist die Ruh D 776 (1823)

                  Johannes Brahms
                  Da unten im Tale WoO 33/6
                  (49 deutsche Volkslieder, 1. Buch) (1894)

                  Franz Schubert
                  Abendstern D 806 (1824)

                  Franz Schubert
                  Am Tage Aller Seelen D 343
                  „Litenei auf das Fest Aller Seelen“ (1816)

                  Gustav Mahler
                  Ich hab’ ein glühend Messer
                  (Lieder eines fahrenden Gesellen) (1883-85)
                  In bin der Welt abhanden gekommen
                  (Fünf Lieder nach Gedichten von Friedrich Rückert) (1901)

                  アンコール
                  Henry Purcell : Thy hand, Belinda ... When I am laid in Earth
                  (Dido's Lament / Rezitativ und Arie der Dido aus "Dido and Aeneas" Z 626)
                  Robert Schumann : Wehmut op. 39/9 (Liederkreis)

                  フラヌイについては
                  何回か書いて来たので
                  熱心な読者さまはご存知かもしれない。

                  知らない方は
                  2011年のこのページ
                  あるいは、フラヌイのホーム・ページ

                  ドイツ語が出来てお時間のある方は
                  約1時間のドキュメンタリーをオーストリア放送局が
                  20周年記念に作ったものがある。
                  これは非常によく出来たフィルムで
                  フラヌイの音楽も聴く事が出来る。

                  結成25年の記念の CD は
                  ドイツ・レコード批評家賞を受賞した。
                  (コンサートの後、売ってたから買った (^^)v
                   フラヌイの数少ない CD は全部持ってる)

                  プログラムと舞台を見て
                  デジャヴに襲われたが
                  2017年4月25日に同じプログラムでコンサートしてた。

                  しかし、音楽というのは不思議なもので
                  全く同じコンサートというのは一つもない。

                  背景のものすごく不思議なビデオと共に
                  フラヌイの演奏で歌うフローリアン・ベッシュは
                  フラヌイの音楽ととことん同一化していて
                  知っているシューベルトやブラームス、マーラーが
                  全く知らない音楽であるかのように
                  不思議な統一性を持って聴こえてくる。

                  フラヌイを表現するのには、ベタな言い方なのだが
                  オーストリアの民謡と、クラシックと
                  現代音楽とジャズなどの融合

                  ・・・って、それ以外、どうやって言って良いのか
                  誰にもわからないと思う。
                  とことんクロス・オーバーなのだ。
                  表現方式に限界がないのである。

                  管楽器中心で、バイオリンとコントラバスが加わり
                  コントラバス奏者はアコーデオンも弾いて
                  ハックブレットやチターが入るし
                  時々、全員が声を揃えてコーラスまでする。

                  私はオーストリア人ではないし
                  30年以上、こちらに居るとは言っても
                  オーストリア人の連れ合いもいないし

                  よって、オーストリア人家族との交流もないし
                  会社勤務の関係上、オーストリアの会社とは言え
                  ずっと日本社会で生きて来たようなものなので

                  いわゆるオーストリア文化に触れる機会がほとんどなかったにもかかわらず
                  フラヌイの音楽を聴いていると
                  何とも懐かしいような
                  原風景を見せられているような
                  奇妙な気分になる。

                  いわゆる「民謡」が心の奥底の
                  原始的な懐かしさに触れるというのは
                  もしかしたら文化圏と関係なく
                  人間の根底にあるのかもしれないなぁ(と誤解させる力がある)

                  ベッシュの歌の荒々しさと力強さ
                  後ろに移動して歌う時の
                  この上なく不思議で無骨な優しさ
                  フラヌイのメンバーが
                  ハックブレットの伴奏でコーラスで歌う時の温かさ。

                  プログラムのタイトルが
                  強いて日本語に訳せば
                  「終わり良ければすべて良し」・・・なんだろうけれど
                  「終わり」が欠けているところが、何とも暗喩的。

                  しかもタイトルの「すべて良し」って
                  ホントじゃないじゃん。
                  全然、最後は「良し」になっていない(←日本人的感覚では)

                  背景のビデオは
                  家具のミニチュアをワックスで作成して
                  そこにアルコールをかけて
                  熱して溶ける様をビデオに撮影し
                  徹底的なスローモーションで見せていくもので

                  ベッドがあって、ランプがあって、トーネット風の椅子があって
                  洋服を入れる戸棚があって

                  まずは椅子が溶けていって
                  ランプが溶けて
                  横の戸棚が溶けて
                  枕が溶けて、ベッドが溶けて
                  最後は、何にもなくなってしまう。

                  プログラム最後の歌はマーラーの
                  Ich bin der Welt abhanden gekommen である。

                  こいつら、単細胞のチロル人の集まりかと思ってたら
                  ばっちりウィーン風の虚しさを身につけているではないか(誤解あるかも)

                  でも、このプログラム構成、本当に凄い。
                  人生の様々な局面を
                  ドラマチックに
                  怒りや喜び、悲しみ、懐かしさ、そして諦観と死生観まで含めて
                  ベッシュが自由自在に歌い上げていくところに

                  フラヌイが、ただの伴奏に終わらず
                  時には対立し、時には歌を包み込み
                  時には伴奏だけが独立して自己主張をしながら
                  独特の世界を作り上げていく。

                  この世界を、私の乏しい言語能力でどう表現しろと?
                  こういうのは、聴いてみないとわからないし
                  これこそ、言語表現の出来ない部分での芸術表現
                  つまるところ、言語の限界、音楽の可能性かもしれない。

                  コンツェルトハウスのモーツァルト・ホールは満杯。
                  フラヌイのチクルスもあるのだが
                  私はチクルスでは買わなかったので
                  会員発売初日を狙ったのだが、チケット取れて良かった。
                  私と同じように、コアなファンがいるのだ。
                  しかも、年齢層が比較的幅広い。
                  (熟年が多いのはどこでも同じで
                   さすがにティーン・エージャーは見なかったけれど)

                  次のフラヌイのコンサートは
                  他のコンサートとバッティングしてしまうので
                  涙を飲んで諦めた。
                  (いや、今日だって、実は大ホールでは
                   ウィーン交響楽団だったんだけど
                   すみません、フラヌイはいつでも聴けるというものではないので・・・)

                  結成25年、しかもド田舎のバンドで
                  故郷では色々と嫌がらせなどもあった上
                  国際的云々というよりは
                  徹底的に地方色を保って来たグループだけに
                  コンサート・ホール満杯にして
                  コンサート後には熱狂的なブラボー・コールが飛び交うのも嬉しい。

                  民謡でもなく
                  クラシックでもなく
                  現代音楽(だけ)でもなく
                  ともかく不思議なフラヌイ
                  これからも機会があれば追いかけます、という私に
                  どうぞ1クリックをお恵み下さい。



                  ザルツブルクとかは記録的大雪の模様だが
                  ウィーンは降ったり止んだりで
                  今日は太陽が出たのでウキウキしていたら
                  コンサート終わって外に出たら・・・吹雪。
                  ついでに自宅のWiFi も落ちまくりで
                  この記事、3回アップしようとして失敗して
                  仕方ないのでスマホ(プロバイダーが違う)に繋いでアップしてます。
                  ホント、オーストリアっていい加減なところ・・・

                  フローリアン・ベッシュ+マルティヌー「冬の旅」

                  0
                    Wiener Konzerthaus Mozart Saal 2018年11月19日 19時30分〜21時30分

                    バスバリトン Florian Boesch
                    ピアノ Malcolm Martineau

                    Franz Schubert (1797-1828)
                    Winterreise. Liederzyklus nach Gedichten von Wilhelm Müller D 911 (1827)

                    19時までの授業を早退して
                    (先生からは了承済み)
                    少し早めに出たのに
                    地下鉄がなかなか来なくて
                    最後は、泣きながらカールスプラッツからコンツェルトハウスまで走って
                    何とかギリギリに駆けつけたコンサート。

                    だいたい、超貧乏の私が、何故に50ユーロ近くの席を買ったんだか・・・
                    いつも初日を選んで買っているので
                    遅かったとは言わせないが、きっと、既に安いチケットは売り切れだったのだろう。

                    いくら安くても、平土間の後ろの席には絶対に座りたくないし。
                    (音響が悪いのだ。平土間後ろの上に被さる席は避けるべし)

                    汗だくで席について
                    フローリアン・ベッシュの「冬の旅」
                    2010年2015年に続き、聴くのは3回目。

                    昨日からウィーンは急に冬の様相を呈し
                    初雪は降るわ、暗いし、道路は濡れてるし
                    ロマンティックな「冬」の感じは一切なくて

                    ああああ、とうとう、冬が来てしまった・・・

                    秋とか冬とか言う季節は
                    太陽は出て来ないし
                    暗いし、ジメジメしていて
                    もう、本当にどうしようもない季節なのだ(断言)。

                    よく冬に来る観光客のグループにアテンドするガイドさんが
                    時々、太陽が照る日に当たると
                    「皆さま、今日は太陽が出てます!!!」と
                    ものすご〜く嬉しそうに1人ではしゃいでいて
                    グループの日本人の方々は
                    何故にガイドさんがはしゃいでいるのか
                    よくわからん、という状況に遭遇する事があると思うのだが

                    冬が始まったら
                    数週間、太陽なんていったいこの世にそんなもの、まだあったっけ?
                    という、暗い暗い暗い季節が4月のイースターまで続く、という
                    残酷なヨーロッパの状況をご存知ないのである。

                    そんな冬の始まりの
                    ジメジメして、太陽がなくて
                    朝から夕方まで暗くて
                    その後はもっと暗くて

                    でも、先週からはウィーン市庁舎前の
                    クリスマス・マーケットまで始まってしまった
                    (すごい人混みだった)
                    暗い季節だからこそ
                    何か華やかな行事がなければ
                    うつ病になるかも・・・という
                    恐ろしい冬の始まり。

                    そんな暗いシーズンにシューベルトの「冬の旅」(絶句)
                    あの、恐ろしいまでに色彩のない
                    白黒の世界の、鬱々とした「冬の旅」!!!(しつこい)

                    シューベルトの歌曲は数が多いのだが
                    まぁ、美しき水車小屋の娘は初々しくて好きだし
                    白鳥の歌は死後にマーケティングの関係上
                    まとめた歌曲集で、最後の鳩の郵便が好きなのだが
                    この「冬の旅」だけは
                    どうしてもどうしても好きになれず・・・

                    ベッシュの歌声で聴いても
                    暗い色調で、鬱々としていて
                    この季節に聴いたら
                    全員、コンサート・ホールを出て
                    踏切に向かって集団自殺でもするんじゃないか、というチクルスなのだが
                    ウィーン、ほとんど踏切ないし・・・いや、そういう事じゃなくて(汗)

                    ただ、このチクルス
                    ベッシュで3回目だけど
                    最初の時は、本当にゾクゾクする程の恐ろしさを秘めて
                    2回目は、ちょっと、その背後に、何となくの優しさが見えて

                    今日のチクルスだけど
                    時々、むちゃくちゃ優しくなる部分もあるけれど
                    無情な人生への怒りが、時々、すごく暴力的に出て来る。

                    やるせない怒りなのだが
                    それが、諦観になっていない。
                    くそ、諦めるものか、この人生の不幸に逆らってやる
                    ・・・という気概のエネルギーみたいなものが
                    ジンジンと伝わって来る。

                    だから、今回は救いのない「冬の旅」になっていない。
                    そうだ、人生、どこかで戦わねばならないのだ
                    という悲愴な決心みたいなものが、根底にある。

                    とは言え、それは私の主観的な受け取り方。

                    この間のシューベルトの「美しき水車小屋の娘」と同じように
                    コンサート後に、残る人は残って
                    フローリアン・ベッシュが
                    この冬の旅に、どうアプローチしたか、というお話の時間が設けられた。

                    ベッシュ曰く
                    「冬の旅」については、何も言えない・・・
                    とか言いながら
                    最初の「別離」についても

                    ほら、ここ、君の夢を邪魔しないように、というところで
                    普通だったら繰り返しで短調で行くところを
                    シューベルトは長調で作曲したんですよ、ほら長調でしょ?!

                    これは、ミュラーの詩が
                    皮肉の入ったものではないか、という聴衆からの質問に答えたもので
                    ミュラーが皮肉に満ちた詩を書いたとしても
                    シューベルトの音楽が、その諧謔性を否定している、という話になった。

                    ベッシュ曰く
                    シューベルトがこの歌曲集を通じて音楽で表現したのは
                    悲しい者に対しての、ものすごく暖かい視線ではないか、との事。

                    最後のライアーマンにしても
                    ベッシュに言わせると
                    あれは、ich bin der Welt abhanden gekommen の世界で
                    (註 もちろんマーラーである)
                    ライアーマンは誰の役にも立たない楽器を演奏しているけれど
                    彼の中で世界は完結している・・・のだそうだ。

                    そうだよね、うん。
                    だから、ベッシュの解釈ではライアーマンは救いようがない訳ではなく
                    社会から孤立していても
                    そこで生き抜いていくだけの逞しさがチラ見えする。

                    ベッシュの解釈では
                    この「冬の旅」の主人公は
                    あっちで追い出され、こっちで拒否されても
                    菩提樹が「ここで休みなさい」と言っても
                    それを拒否し、休む事を知らずに
                    ともかく、どこに行き着くかわからなくても
                    歩いていく、という強い意志を持った人間なのだそうだ。

                    あ〜、だからか。
                    今回の「冬の旅」では
                    もちろん曲の持っている暗さとか
                    墨絵みたいな白黒の世界はあっても
                    そこに「絶望」という文字はなく

                    生きている詩人(主人公か)が
                    思い通りにならない人生に怒りを覚えながらも
                    まだまだ先に行くぞ、みたいな
                    エネルギッシュな推進力のある「冬の旅」だった。

                    歌手の解釈がどうだったか
                    あるいは、歌手がテキストと音楽に何を見ているか
                    聴いていても、ある程度はわかるんだけど
                    (わからなかったら意味ないし)
                    こうやって、言語的に背景の解釈的な事を聞くと
                    疑問に思っていた事も、多少なりとも解決するので面白い。

                    ベッシュの美しいドイツ語は
                    あくまでもクリアで、詩の内容を一字一句とも疎かにしない。
                    表現はあくまでもドラマチック。
                    時々、抑制の効かないような感情的な爆発もある。

                    ミュラーの詩そのものは
                    シューベルトが作曲しなかったら
                    文学史からは忘れられているであろう、とかよく言われるんだけど
                    確かに中2病の真っ只中で
                    後で読んだら、あまりに気恥ずかしくて死にたくなるような詩だけど
                    当時のロマン派って
                    みんな、そうだったので
                    時代の背景を考えてみたら、詩としては良いんじゃないかと思う。
                    (いやでも、確かに詩として読んだら
                     あまりの恥ずかしさにちょっと逃げたくなるのは事実だが)

                    でもシューベルトは
                    人生振り返って、きゃ〜〜〜っ、青春の恥っ!!!と思うほど、生きなかった。
                    31歳で没したのだから
                    センチメンタル青年のままで良いのである。
                    シューベルトが70歳まで生きていたとしたら
                    たぶん、この数多くのリートは存在していなかったんじゃないだろうか。
                    (その代わり、交響曲が20曲以上あったりして・・・(笑))

                    すみません、次の日の夜に
                    かなり酔っ払って急いで書いた記事なので
                    めちゃくちゃですが
                    書かないよりはマシか、とアップしてしまう
                    厚かましい私に
                    どうぞ1クリックをお恵み下さい。


                    イアン・ボストリッジ + サスキア・ジョルジーニ

                    0
                      Wiener Konzerthaus Mozart Saal 2018年10月16日 19時30分〜21時30分

                      テノール Ian Bostridge
                      ピアノ Saskia Giorgini

                      Claude Debussy (1862-1918)
                       En sourdine (Fêtes galantes, 1. Heft Nr. 1)(1891)
                       Frantoches (Fêtes galantes, 1. Heft Nr. 2) (1891)
                       Clair de lune (Fêtes galantes, 1. Heft Nr. 3) (1891)
                       Les ingenus (Fêtes galantes, 2. Heft Nr. 1) (1904)
                       Le faune (Fêtes galantes, 2. Heft Nr. 2) (1904)
                       Colloque sentimental (Fêtes galantes, 2. Heft Nr. 3) (1904)

                      Maurice Ravel (1875-1937)
                       Shéhérazade (1903)
                        Asie
                        La Flûte enchantée
                        L’Indifferént

                      Johannes Brahms (1833-1897)
                       Es träumte mir op. 57/3 (1871)
                       Auf dem Kirchhofe op. 105/4 (1886)
                       Herbstgefühl op. 48/7 (1867)
                       Der Gang zum Liebchen op. 48/1 (1859)
                       Geheimnis op. 71/3 (1877)
                       Minnelied op. 71/5 (1877)
                       Alte Liebe op. 72/1 (1876)
                       Sommerfäden op. 72/2 (1876)
                       O kühler Wald op. 72/3 (1877)
                       Verzagen op. 72/4 (1877)
                       Über die Heide hallet op. 86/4 (1877)
                       Mein Herz ist schwer op. 94/3 (um 1884)
                       Botschaft op. 47/1 (1868)

                      Zugabe
                      Gabriel Fauré : Clair de lune op. 46/2
                      Robert Schumann : Mondnacht op. 39/5 (Liederkreis)
                      Benjamin Britten : O Waly, Waly
                      (Folk Song Arrangements Band 3, British Isles Nr. 5)

                      コンツェルトハウスの大ホールでは
                      かのテノール、ファン・ディエゴ・フローレスが
                      ラテン音楽を歌いまくっているようだが

                      私は大ホールではなく、隣のモーツァルト・ホールで
                      イギリスのテノール、イアン・ボストリッジのリサイタル。

                      コンツェルトハウスのリート・チクルスの一環なので
                      ある程度の固定客は見込めるとしても
                      かなり通向きのプログラム構成。

                      前半はドビュッシーとラヴェルだが
                      ドビュッシーがポール・ヴェルレーヌの詩を作曲した
                      「艶なる宴」からの曲。

                      ・・・知りません(汗)

                      しかも歌詞がフランス語で
                      ドイツ語の対訳はプログラムに記載されているけれど
                      象徴的なテキストで(だいたい詩というワケのわからないモノは苦手)
                      しかもテキスト見てると
                      舞台で、ものすご〜〜〜く動くボストリッジ博士を見逃してしまう。

                      そうなんです、ボストリッジ、めちゃくちゃ動くんです。
                      いつもながら、どこからその声が出てるんですか?という痩身の
                      背の高い身体が
                      観客に向かって迫るかと思えば
                      ピアノに向かって、ぐったりと身を預けて歌ったり
                      マティアス・ゲルネが乗り移ったかと思った。

                      ただ、ボストリッジの声は全方向性があって
                      ゲルネのように、顔が向く方向にしか声が飛ばない、という事はない。

                      で、何故かものすご〜〜〜くドラマチック。
                      ソット・ヴォーチェからフォルティッシモまで
                      自由自在に使い分けて歌うのだが
                      同時に身体を動かし、時々は上を向いてため息をつき
                      (違うのかもしれないが、そう見える)
                      歌詞の意味は全然わからないけれど
                      声の美しさとドラマツルギーで充分に聴かせてくれる。

                      というよりプログラムのドイツ語訳に
                      時々、ステファン・ゲオルゲの名前が出て来てビックリした。
                      ヴェルレーヌの詩に Nachdichtung と書いてあったので
                      真似したって事???(違うと思うけれど一応・・・)

                      ラヴェルのシェエラザードって
                      うわああ、こんな曲があったんだ、という程に
                      マイナーな選曲(だと思う。でも私だけが知らなかったという可能性もある)
                      バラード的な語りなのだが
                      何せ、フランス語がわからない(涙)

                      やっぱりリートってテキストが大事・・・

                      後半はブラームスだが
                      ブラームスなんだけど
                      ともかく、すごく芸術的というか
                      暗いというか
                      陰鬱というか(歌詞の内容も)

                      ボストリッジは時々、ピアノにすがりつくように
                      気分でも悪いんですか
                      大丈夫ですが
                      ・・・次の瞬間に自殺しそうな雰囲気を纏って
                      アナタの名前は太宰治ですか、とか言いそうになる。

                      何故にまた、こんな暗い曲ばっかり・・・(絶句)

                      で、時々、耐えかねたような絶叫が入るんだけど
                      これがまた悲壮というか
                      いや、フォルティッシモの高音の時
                      声が被ってなかった箇所が2回ありましたよね?
                      意図的なものかもしれないけれど、ちょっとギョッとした。

                      ロマン派の美学なのかもしれないけれど
                      ここまで、夢(もちろん愛は実現しない)とか、墓とか
                      秋(こちらでは陰鬱な冬が来るというシンボル)
                      恋人との別れとか
                      悲しみに満ちて森を彷徨うとか

                      ・・・う〜、暗いぞ、暗いぞ。
                      ヨーロッパの秋にしては比較的気温が高くて
                      まだ太陽が照っているから良いようなものの
                      通常の季節なら、陰鬱な冬の始まりに
                      こんな暗い曲を続けざまに歌われたら
                      (しかも、ともかくこちらもドラマチック)
                      観客全員を鬱病にしてやる、という
                      そこはかとない悪意をアーティストが持っている、と言われても
                      信じるかもしれない(極論)

                      しかもボストリッジが、本当に辛そうに歌うのである。
                      何か個人的に不幸な事でもありましたか?と
                      本気で聞きたくなる雰囲気。

                      ともかく声が美しいし
                      ほんの時々、チャーミングに響く事もあるし
                      ドイツ語のディクテーションも以前に比べたら格段に巧くなったが
                      ブラームスの歌曲の、しかも音楽もテキストも陰鬱なものを
                      ずらっと並べて、あそこまでドラマチックに歌われてしまうと
                      あまりにドラマチック過ぎて、かえって単調に聴こえたりする。

                      最後に取ってつけたように
                      長調の Botschaft を歌われて
                      しかもプログラムの右側にはアントワーヌ・ヴァトーの
                      艶なる宴の絵が載っていても

                      それまで太宰治だったので
                      あんまり急激に気分は変えられません・・・

                      コンツェルトハウスを私が限りなく愛すのは
                      アンコール・サービスと言って
                      携帯電話のメッセージにアンコール曲の情報が送られて来るから。

                      アンコールは、コンサート本体の暗さから(多少は)抜けて
                      フォーレは抑え気味の美しさを出してくれたし
                      シューマンも、ドイツ・リートらしい節制が効いていて
                      (そりゃ、あの曲で感情を爆発させたらヤバイだろう)
                      でも、最後のベンジャミン・ブリテンがすごく良かった。
                      やっぱりボストリッジって、ブリテンを歌わせると巧いわ。

                      伴奏のピアニストはイタリアのイモラとトリノ
                      その後はザルツブルクのモーツァルテウムで学んだ若い女性。
                      譜面台の上には iPad があって
                      どうやって譜めくりしているんだろう?(足かな?)

                      非常に綺麗な音色を出す人だが
                      割に強いタッチなので
                      伴奏より、ソロ・ピアノ向けの人かなぁ、という印象。
                      なんとなく歌手と溶け合っていない
                      ピアノだけが浮くという感じを受けたところがあった。
                      (まぁ、好みの問題ですが・・・)

                      通向けのプログラムだったけれど
                      ブラームスの歌曲に、こんな曲があったのか、と驚いたし
                      ドビュッシーやラヴェル、フォーレもチャーミングだった。

                      隣のホールのフローレスのペルー音楽も聴いてみたかったけれど
                      (民族音楽学の教授がペルー出身なのである)
                      残念ながら身体は1つしかないし
                      でも、テノールの歌手のコンサートを
                      同じ時間に2つのホールで開催するなんて・・・・と
                      コンツェルトハウスがちょっと恨めしい私に
                      どうぞ1クリックをお恵み下さい。


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