イヴォ・ディミチョフ セルフィー・コンサート

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    MUMOK - Museum moderner Kunst Stiftung Ludwig
    2018年8月6日 20時30分〜21時40分
    IM PULS TANZ - Vienna International Dance Festival 2018

    Ivo Dimchev
    A SELFIE CONCERT

    イム・プルス・タンツ常連の一人
    ブルガリア出身のマルチ・タレントのイヴォ・ディムチェフ。

    もうホントに、けったいなおっちゃんで(すみません)
    今までも散々、ヘンな事をしまくりの
    全身刺青・・・というのはダンサーにはよく居るが
    その刺青も、なんだかユーモアっぽいというか・・・

    コンピュータとキーボードを用意して
    今回、やったのは
    セルフィー・コンサート。

    はぁ〜い、みなさん、よくいらっしゃったわね。
    自分のスマホの用意は良い?
    どんどん撮ってね。

    という感じで、マイクを持って
    床に座った観客のところに出張サービス(笑)

    スマホのカメラの向きを変えられない人に
    歌いながらスマホをいじってあげたり
    自分も美しく撮られるように
    しっかり表情も身体の向きもコントロールしながら

    ・・・あ〜、この人、なんて歌が巧いの(驚愕)

    もちろんポピュラーだし
    マイク使って音量はかなり上げているんだけど
    音程の正確さだけではなくて
    まぁ、声を自由自在に使って

    男声的な低音から
    ファルセットのカウンター・テノールから
    更にはカウンター・テノールで可能な最も高い音域で
    見事なビブラートまでかけて
    うははは、ちょっと、いや、かなり惚れ惚れしてしまうわ。

    あちこちを回った後
    真ん中の椅子のあるところに戻って

    じゃぁ、これからキーボード弾いちゃうわよ。
    マイク持って、あちこち行くの、ちょっとしんどいから
    座ったまま、キーボード弾いて歌うけど
    これ、セルフィー・コンサートだから
    10秒待って、誰も来なかったら
    歌うの止めちゃうからね。

    周囲の観客が、自分のスマホを持って
    キーボード弾きながら歌っているディミチェフのところに行くんだけど

    これが・・・爆笑モノで。

    だって、来てる人の大半は
    モダン・ダンサーやパーフォーマー。

    若い人たちはセルフィーも撮り慣れていて
    写真のみならずビデオやらの機能も最大限に使った上

    歌っているディミチェフよりも
    もっと表情豊かだったり
    すごい格好して立ったり座ったり
    抱きついたり、キスしたり(もちろん男性です)
    とんでもないメイク・アップで出てくる女性とか
    歌っているディミチェフにスマホ・カメラのシャッターを押させたり

    歌も素敵で聴き惚れるし
    キーボードの演奏、あんな不安定な膝の上なのに
    むちゃくちゃ巧いし
    それに加えて、セルフィー撮りに出てくる人たちが
    あまりに面白すぎる!!!!

    数回、10秒以上誰も出て来なくて
    歌を止めそうになった瞬間もあったけれど
    必ず誰かがスマホ持って出てくるので
    1時間、ばっちり、歌も楽しく聴かせてもらって
    スマホ持ったダンサーやパーフォーマーの
    むちゃ面白いポーズや撮り方も楽しませてもらった。

    ツィッターには挙げたけれど
    ワタシのスマホは旧型で
    自撮り棒がないと、むちゃくちゃヘンに撮れてしまうので
    こっそり、近くに来たディミチェフを撮影(うふふふふ)
    ここに載せようと思ったけれど
    有料プランでないと回転が出来ないので止めました。悪しからず(笑)

    このアーティスト、絵も描くので
    自分の絵のTシャツ販売もしていたけれど

    さすがにTシャツ、25ユーロは・・・(笑)

    パーフォーマンス系、苦手なんだけど
    歌があまりに素晴らしいのと
    セルフィー撮っている観客が
    あまりに面白すぎて
    ダンスなしでも、むちゃくちゃ楽しめた。

    美術館の中、冷房効いてて気持ちよかった
    というのもご機嫌なポイントだったと思う私に
    どうぞ1クリックをお恵み下さい。


    リクイッド・ロフト バビロン(スラング版)

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      MUMOK Hofstallung 2018年8月6日 19時〜21時10分
      IM PULS TANZ - Vienna International Dance Festival 2018

      Liquid Loft / Chris Haring
      Foreign Tongues Babylon (Slang) - Wien Version

      ダンス・振付 Luke Baio, Dang Uk Kim, Katharina Meves,
      Dante Murillo, Anna Maria Nowak, Arttu Palmio, Karin Pauer,
      Hannah Timbrell
      芸術監督・振付 Chris Haring
      作曲・サウンド Andreas Berger
      照明デザイン・舞台 Thomas Jelinek
      衣装 Stefan Röhrle
      リブレット Aldo Gionnotti

      イム・プルス・タンツは
      ウィーン国際ダンス・フェスティヴァルと名が付いているので
      世界各国から、有名ダンサー、新人振付師などが来る中で
      オーストリアのコンテンポラリーで
      ほとんど毎年参加しているクリス・ハーリングのリクイッド・ロフト。

      アイデアマンと言うか
      クリエイティブと言うか
      ただのヘンな人と思うか

      それぞれだろうけれど
      リクイッド・ロフトのパーフォーマンスは
      いつも新鮮で
      時々、アホみたいだけど
      他の国にあるような過激さはない。

      オーストリアっぽい緩さがあって
      ダンスとしては時々、何だこりゃ、というのもあったけれど

      今回のパーフォーマンスは
      緻密な計算、ダンサーの卓越した技術
      動きとカタチの面白さで
      今までのパーフォーマンスの中で
      ワタクシ的には一番良かったと思う。

      テーマはバビロン・・・と言えば外国語。
      (しかも今回はスラング・バージョン(笑))
      まずは外でのパーフォーマンスという事で
      チケットを見せると、手首に黄色いバンドを巻いてくれる。

      パーフォーマンスはブルー・トゥースを使うので
      携帯電話はフライト・モードにして下さい、という指示。

      ダンサーたちは、手にハンド・スピーカーと
      小さなディスプレイ(ポケットに入れていて、時々見てる)を持ち
      黒い衣装で、外のあちこちに散らばっている。

      観客も、ダンサーが何かすると
      (ハンド・スピーカーから音が出るのでダンサーの位置はわかる)
      それに釣られて、あっちにゾロゾロ、こっちにゾロゾロ。

      あ〜ん、ワタシ、背が小さいから
      前に人の垣根が出来ちゃうと、何も見えないんだけど・・・

      8人のダンサーが、あっちに動き、こっちに走り
      観客の間を疾走して移動して
      壁のところで、不思議な格好になって
      スピーカーから出る不思議な言語を、あたかも喋っているような動き。

      ホールに入っても椅子はない。
      ガランとした体育館(もともとは厩舎だ!)の中
      あちこちに散らばって、床にうずくまっていたり
      壁に張り付いているダンサーたちの周辺を
      数多い観客たちがウロウロと取り囲む。

      ハーリングの「カタチ」が面白い。
      黒い衣装で、頭の上に腕を伸ばせて、巨人みたいな格好になって
      空いている袖(片手は頭の上に伸ばしているから)を
      他のダンサーが掴んで踊ると、本当に巨人に見えるし

      頭の上まで衣装を被って
      床で蠢く不思議な物体というダンスもあった。

      観客一杯の中で、黒い衣装のダンサーがあちこちに
      神出鬼没に動くので
      時々、真横にダンサーが居て、ビックリしたり(笑)

      観客の隣で踊っていて、その観客、全く気がついていなかったり(爆笑)

      ハンド・スピーカーから様々な言語が出てきて
      その言語に合わせてのダンス。
      スラング・バージョンだから
      ドイツ語のテキストがあった時には
      めちゃくちゃ笑えた(ホントにくだらない事をスラングで言っているのだ)

      他の言語としては
      フランス語・スペイン語・イタリア語・日本語・ロシア語あたりまでは
      何となくそうなんだろうな、というのがわかるが
      かなりマイナーな言語も使われていたらしい。
      (後で配られた、ダンスの指示スケッチを見たら、42ヶ国語あった。
       ただ、その中に Obersteirisch, Vorarlbergerisch, Weststeirisch, Wienerisch
       とあったのには大笑いしたが・・・それ、違う言語ですか、わっはっは。
       註 各言語の綴りはそのままです)

      それぞれの言語を喋りながら
      (ハンド・スピーカーから出ているのだろうが
       各ダンサーが喋っているかのように聞こえる)
      あちこちで、散らばり、動き、ソロのダンスがあったり
      観客かき分けて疾走して、グループにまとまったり
      予想のつかない動きをして来るので

      観客としても
      どこで、どのダンサーをマークして
      どういう風に動けば
      最も効率的にパーフォーマンスを観られるか
      油断なく考えねばならない。

      ・・・というか、そんな事を考えていたのは私だけかも(汗)
      だって、私、小さいから、油断すると本当に何にも見えないんだもん。

      コンセプトとして
      ありきたりな概念を挙げるとすれば
      ノン・バーバル・コミュニケーションなのだろうが

      ノン・バーバル・コミュニケーションで伝えられる内容が
      微妙に話されている言語と乖離しているのが
      不思議な印象として残る。

      いや、言語の意味論的内容はほとんどわからないから
      本当は乖離していないのかもしれないけれど
      でも、言語の伝達内容と、ダンスや表情で伝えられる意味が
      全く違っているような、不思議な気分にさせてくれるのが
      前衛芸術の醍醐味でもある。

      最後は、全員、様々な言語を喋りながら
      (というよりハンド・スピーカーから流しながら)
      一人一人と、外に出て行ってフィナーレ。

      イム・プルス・タンツの観客も
      たぶん、70%くらいがダンサー(ないしは以前のダンサー)なので
      最初、8人のダンサーの見極めがつく前は
      誰がダンスするのか、観客なのか
      全然わからなかったりして(笑)
      (まぁ、私のような年配や、ふくよかな年配のご婦人たちは
       ダンサーじゃないよね、というのはすぐわかるが)

      でも、今回のパーフォーマンスは
      ダンス表現としても、かなり見るべきところはあったし
      バリエーションが豊かで
      テーマとしても、かなりクリアで
      程よい「ワケのわからなさ」が心地よかった。

      終演後に移動して
      今度は冷房の効いた MUMOK の本館に移動した
      飽きないワタシに
      どうぞ1クリックをお恵み下さい。





      ヤン・ファーブル / マッテオ・セッダ The Generosity of Dorcas

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        ODEON 2018年8月5日 21時30分〜22時40分
        IM PULS TANZ - Vienna International Dance Festival 2018

        Jan Fabre / Troubleyn
        THE GENEROSITY OF DORCAS

        コンセプト・振付・演出 Jan Fabre
        音楽 Dag Taeldeman
        パーフォーマンス Matteo Sedda
        ドラマツルギー Miet Martens
        舞台 Jan Fabre
        照明 Wout Janssens

        ヤン・ファーブルの作品は
        ここ数年、ずっと追って来たが
        今年はイタリアのソロ・ダンサーのマッテオ・セッダのための作品。

        実はサイトを見た時に
        一瞬、行くの止めようか、と思った理由は
        ダンサーが針をおデコに当てている写真だったから。

        ええ、数日前に
        身体に針を刺したり、ホッチキスを身体にブチ込んだりする
        流血パーフォーマンスを観ているので・・・

        ヤン・ファーブルとトルブレインの作品って
        今までの経験からして
        異様に長い(8時間パーフォーマンスというのもあった)か
        舞台が消火器の煙でゴチャゴチャになっている後ろで
        ダンサーがずっと不自然な姿で固定されていたりとか
        割に極端なアヴァンギャルドが多いのだ。

        今回はソロの作品で、55分というので
        残虐な作品だったとしても、1時間弱なら・・・と
        勇気を出して(笑)チケットを買った。

        日中も暑かったけれど
        夜9時過ぎになっても市内の温度は下がらず
        会場になったオデオンの中の暑さと言ったら
        ほとんど低温サウナ状態・・・

        入り口でミネラル・ウォーター配っていたけれど
        水と扇子があって、やっと気を失わずにいられた、という暑さの中で
        1時間、ずっと衣装を着て踊り続けるソロ・ダンサーって
        何の罰ゲームだよ、とか思ってしまったが

        暑さにも負けず
        見せてくれたパーフォーマンスが素晴らしかった。

        舞台の上からは
        何百本もの針が、カラフルな色の糸を伴って下がっている。
        ファーブルの舞台って
        いつもそうだけれど、視覚的に美しい。
        やっぱり振付師というよりは、美術作家なんだなぁ、というのがわかる。

        下唇を金?銀?で塗ったマテオが、黒いビラビラの衣装で登場。
        最初は男性の魔法使いみたいで
        天井から下がっている針に触れたりしながら踊る。

        で、針を引き抜くアクションがあると同時に
        ダンサーが「女性」になってしまう(比喩表現です)
        もともとが、イエス・キリストの女性の弟子で
        お針子さんをテーマにしているので
        お針子さんが、天井からの針を引っこ抜いて
        ビラビラの何重にもなった衣装に差し込んだり
        物を縫うような振付があったり

        それだけだったら、変化のないダンスになってしまうのだろうが
        服に針を刺して、脱いで、舞台の床に置くというのが1サイクルになっていて
        そこから、また新しいサイクルが始まると
        ダンスも様々に変化していく。

        プログラムによれば
        お針子の女性の弟子が、針を使って縫い物をしつつ
        恍惚の状態に到達する・・・・というようなストーリーであるらしい。

        ありがたい事に
        針を刺しているのは
        ピラピラの衣装とか、帽子で
        身体には刺さない。

        最後のあたりで、耳たぶだけは差し込んでいたけれど
        あれ、ピアスの穴だよね。私にもあるぞ(笑)

        で、そのダンスそのものが素晴らしい。
        男性から女性へのトランスフォーメーションもだが
        女性らしいお針子さんの役割から
        途中で、まるでロボットのようになったり

        人間の身体を極端に早く動かすと
        視覚的に残像が出来て、ものすごく不思議な感じになるのだが

        それを手でやったり
        頭でやったり・・・
        頭を激しく動かして残像まで出来ちゃうって
        あれは脳震盪にはならないのか・・・???

        ダンスでの視覚的残像って
        大昔にラララ・ヒューマン・ステップスで見て驚愕したけれど
        まさか、今日、このダンサーで見られるとは・・・

        クラシックのピルエットやシェネまでテンコ盛り。
        身体の隅々までコントロールされた動きが美しい。

        繰り返すが、会場はむちゃくちゃ暑い。
        観客席だって、水と扇子がないと気が遠くなる位だったのに
        ダンサーは出ずっぱり、水なし扇子なしで
        しかも何重にもなった黒い衣装で、ひたすら踊りまくる。

        最後の方では、何と大技のジャンプを次から次へと・・・
        だって、それまで小1時間、踊りっぱなしで
        そろそろ体力尽きかけの頃に
        あのジャンプの連続技は・・・ファーブルのダンサー苛めか???

        着ている衣装に針を通して
        脱いで前に置いた後の女性的なご挨拶の後に
        照明が変わって次のシーン、というのが続くけれど
        そのシーンごとに
        きちんとストーリーになっていて
        バリエーション豊かなダンスが繰り広げられて

        ダンサーが釣り下がった針を取るたびに
        カラフルな糸もついてくるという絵柄も美しい。

        終わった後、カーテンコールで出て来たダンサーが
        まっすぐ立っている事ができない程、フラフラしてたけど
        (回転技も、クラシックと違って、頭ごと回してたしなぁ・・・)
        何回か出てくる間に、少ししっかりして来たので大丈夫だったと思う。
        しかしまぁ、すごい体力・・・驚嘆するわ。

        音楽はトナールの繰り返しのフラグメント(テープ使用)だが
        ダンスと一体化していて
        しかも俗っぽくならず
        ミニマム・ミュージックっぽくて、すごく私好みだった。

        こういうダンスとしてプロフェッショナルに成立していて
        舞台としての美学もある、というパーフォーマンスなら
        何回観ても良いなぁ。

        でもまぁ、この公演が最終公演(笑)

        イム・プルス・タンツの公演は来週も続くけれど
        気色悪い、気味の悪そうな公演は避けているので
        (行ったら行ったで面白そうだが、チケット売り切れてるし)
        あと、もう少しだけお付き合い下さいまし。

        やる「べき」事はあるのに
        今年の夏は、自分でも呆れるほどにダラダラ過ごしていて
        (日本の母親曰く「お前、ヒマなのかい?」って・・・ううう(絶句))
        まぁ、良いか、と
        とことん自分に甘いけしからん私に
        どうぞ1クリックをお恵み下さい。



        言うまでもない事ながら
        会場には冷房どころか、扇風機の1台もございませんでした。

        フランソワ・シェニョー オルランド

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          Volkstheater 2018年8月3日 21時〜22時50分
          IM PULS TANZ - Vienna International Dance Festival 2018

          Françoise Chaignaud & Nino Laisné
          ROMANCES INCIERTOS UN AUTRE ORLANDO

          コンセプト・音楽監督 Nino Laisné
          コンセプト・振付 François Chaignaud
          歌・ダンス François Chaignaud
          バンダネオンJean-Baptiste Henry
          ビオラ・ダ・ガンバ Robin Pharo
          テオルベ・バロックギター Daniel Zapico
          パーカッション Onofre Serer
          照明・舞台装置 Anthony Merlaud

          フランソワ・シェニョーのオルランドをテーマとしたダンス公演。
          IM PULS TANZ 公演の一環だが
          プログラムは無料よ、と言われて驚いたものの
          中は何と主催者が用意したドイツ語の
          非常に詳しいプログラムになっている。

          ・・・なんてデキた主催者なんだ(感涙)

          今回1回だけの公演だが
          極端な前衛的公演の多い IM PULS TANZ の中では
          実に伝統的なダンス公演となっている。

          舞台の後ろのロマンティックな絵画(中世の森!)
          4隅に陣取るビオラ・ダ・ガンバ、テオルベ(しもて)
          パーカッションにバンダネオン(かみて)

          哀愁に満ちたスペイン民謡的な
          中世の香りの漂う、普通のトナールな音楽。
          ああ、なんか、すごく心地よい。

          騎士オルランドの姿で登場したダンサー。
          戦争に疲れ果てて、絶望して登場(と少なくとも私は推測する)
          でも、まだ騎士のプライドは捨ててはいないが
          途中で疲れ果てて、鎧を脱いで倒れる。

          うわああ、このダンサー、演技だけじゃなくて
          ものすごく高度なクラシック・バレエの基礎がある人だ!!!
          細かい部分のステップの処理や、身体の動きが
          時々、とてもクラシック・バレエで目を奪われる。

          次のシーンでは
          あれ????
          女性になって登場して

          しかも竹馬(作り付け・足に固定)に乗ってるんですけどっ!!!

          足に固定した竹馬(手は使っていない)の上で
          クラシック・バレエを踊るダンサーって、初めて見た・・・(絶句)

          バランス感覚と言い
          あの竹馬でジャンプしてしまう筋肉の強さと言い
          尋常の人間とは思えない。

          けれど、それが、ただのアクロバットになっていないのが
          これまたすごい。
          ちゃんとストーリーになっているのだ。
          しかもダンスとしての美しさの見応えも充分。

          女性の姿のままで
          次のシーンのクラシック・バレエのテクニックを使ったダンス。
          おいおいおいおい、ずっとポワント立ち???

          あ、もちろん、このソロ・ダンサーは
          生物学的な性別では男性です。

          男性のポワントも凄いけれど
          (まぁ、やる人はやる)
          女性としてのダンスの身のこなし方が、本当に美しい。

          更に次のシーンでは、10センチくらいのハイヒールでフラメンコ・・・

          オルランドとの悲恋とか
          読み込もうとすればストーリーも出てくるのだろうが
          ただもう、見事なダンスに惚れ惚れとしてしまう。

          音楽そのものは、比較的単純なメロディで聴きやすく
          ちょっと中世の香りは漂わせるが
          そこまで厳密に中世的なものではなくて
          あくまでもポピュラーで、それらしい、という感じのダンス音楽。

          その意味では、あっと驚く音楽的云々はなかったけれど
          バンドネオンも、中世の弦楽器も
          ビオラ・ダ・ガンバやテオルベはマイク付きだったのが
          ワタクシ的な好みから言うとちょっと残念だが。
          (ただ、あの劇場でマイクなかったら、何も聞こえんだろう)

          ただ、最後のシーンで
          ダンサーが客席(平土間)に出現して踊るのは
          天井桟敷の貧民席からは見えなかったのが悔しい。

          最後の列だったので立って覗き込んだら
          平土間の観客にしなだれかかって、色っぽさ爆発で踊ってるし。

          まぁ、平土間で汗だくのダンサーに絡まれて
          楽しいかどうかはともかく(笑 ・・・ 好みの問題です)
          しなだれかかって、ものすごく嬉しそうな観客も居たようだし。

          (註 私はもともと身体的接触があまり好きではないので
             昔のダンス公演で、ダンサーが汗だくで横を通った時には
             かなりドッキリした・・・というより
             はっきり言って、すごく怖かった)

          最初のオルランドから、町娘、貴族の令嬢
          そして騎士に恋心を燃やすスペインの情熱的なフラメンコ・ダンサー
          ・・・とか、ちょっと、たぶん、全然ストーリー違うかもしれないけれど

          最後のフラメンコ・ダンサーが、もう色っぽいのなんのって
          最後は美しい衣装は脱ぎ捨てて
          黒いツナギ(レギンスのボトム)で
          客席の一列目あたりで、観客を巻き込んで悶えまくるのだが
          男性・女性の垣根なんか、完全に越えてしまって
          人間の根源にあるエロスが、身もだえするほどに素晴らしかった。

          しかもシェニョー、最初から最後まで
          ダンスしながら、女声のアルト領域で
          素晴らしい声で歌っているのだ。
          (ファルセットだけど、男性とは全く感じさせない。
           艶のある、実に美声なアルトで
           ダンスしながらなのに、ほとんど息をゼイゼイさせず
           いやもう、驚いたの何のって)

          最初から女声で歌っているから
          ワタシも、実はボーッと観ていて
          ずっと最初、女性ダンサー?とばかり思っていて
          脱いだら上半身が男性だったので、ちょっとびっくり(笑)

          超前衛的で刺激的な公演が続いていたので
          こういう、比較的伝統的な、ダンスのショーを観ると
          ちょっとホッとする。

          こういう公演はクリップ埋め込みしても全く問題ない (^^)v



          クリップでは時系列がバラバラだが
          シェニョーの美声も聞けます(←男性の声とは思えないですワタシは)

          日本の猛暑も大変だけど
          ヨーロッパも猛暑で
          冷房がないだけに、結構きついかも・・・・と
          弱音を吐いて何もしない怠け者の私に
          どうぞ1クリックをお恵み下さい。


          サラモン モニュメント0.3: ヴァレスカ・ゲルト・ミュージアム

          0
            MUMOK - Museum moderner Kunst Stiftung Ludwig Wien
            2018年8月2日 21時〜23時
            IM PULS TANZ - Vienna International Dance Festival 2018

            Eszter Salamon
            MONUMENT 0.3 : The Valeska Gert Museum

            芸術監督 Eszter Salamon
            ダンサー Eszter Salamon, Boglárka Börcsök
            振付・テキスト Boglárka Börcsök, Valeska Gert, Eszter Salamon

            ユダヤ系ドイツ人のヴァレスカ・ゲルト(1892-1978)を取り上げた
            エスター・サラモンの作品、オーストリア初演。

            美術館内でのパーフォーマンスで
            21時開演と書いてあったけれど、結局、開場が21時15分。

            まぁ、イム・プルス・タンツって、いつもそういう感じなんだけど

            この間、18時開演の公演の場所がわからず
            18時10分に汗だくで駆けつけたら、もう入れてくれなかった
            ・・・というのもあって、ちょっと腹立つ(自分が悪い・・・)

            美術館の1階、地下1階から地下3階まで使ったパーフォーマンス。
            実に面白かった。
            笑えたし、考えさせられたし
            ダンス・・・というよりは、いわゆるパーフォーマンスなのだが
            身体を使っての表現が見事。
            (先日のような極端なものではないが、まぁ、よくぞこんな事、っていう感じ)

            しかも、あちこちダンサーが動くので
            観客とのインターアクションも多くて
            こういう動きのあるパーフォーマンスって実は好き ♡

            ゲルトの1917年から1968年にかけての作品を
            サラモンとボルショック、2名の女性ダンサーが再クリエートしたもの。

            ヴァレスカ・ゲルトは、1920年代から活躍したユダヤ系ダンサー。
            アヴァンギャルドで、劇場とダンス、パーフォーマンス等を組み合わせ
            いわゆるキャバレー芸術を中心に活躍。
            (日本のキャバレーではない、寄席っぽいものと思っていただければ)

            ナチスから「退廃芸術」と刻印を押され
            英国に逃げた後、アメリカ合衆国に渡るものの
            アメリカ合衆国では、ダンサーとしての活躍の場がなく不遇の時代を送った。

            短いスケッチを、ダンサーが、大きなホールのあちこちで
            移動しながら行うので
            ダンサーの動きと同時に、観客もゾロゾロ動く。

            こういうパーフォーマンスに来ているのは
            ほとんどがダンサーで
            ご年配も、もともとダンサーだったり
            ダンスが趣味だったりする人が多いので
            動くたびに、前の方では床に座る人が多く
            立ったり座ったり(実はワタシも・・・わっはっは、私、ダンスはしませんが)

            Cleaning the Air from the Bourgeois Gaze では
            白い布であちこち叩かれて(もちろん観客も(笑))
            Curator’s Words と Still では
            何と、ダンサーが歌いながら
            如何にも喋っているかのように口を動かして
            (声は歌に使っているので出ない・・・どういう訓練してるんだろ?)
            聞いているのは歌なのに、沈黙で喋っているという不思議な空間。

            Japanese Groteske では
            サラモンが、顔だけで、まぁ、すごい顔と表情。
            歌舞伎っぽい動きや、ミエを切るような動きをするのだが
            ともかく、あの顔の筋肉、どうやったら、ああいう動きになるのやら・・・

            ダンサーって、身体だけじゃなくて
            顔の筋肉も鍛えないといけないのね?(違うかもしれない)

            と思っていたら
            その後の Canaille では鳥の鳴き声。

            更に Baby では、本当に子供が笑ったり突然泣き出したり
            (いや、これがもう見事にリアルで大笑いしてしまった)

            Kupplerin (ぽん引き・女衒の女性)の下品さが
            これまたリアルで、当時の社会状況を考えさせられる演技の後に
            Composition という
            ゲルトの「サーカス」という作品を元にしたパーフォーマンス。

            突然、黒いシャツを頭まで捲り上げて顔を隠して
            立派なおっ●いを、グワッと手で掴んで
            引っ張ったり、寄せたり、上下・左右に動かしたり
            ものすごく見事な、おっ●いの迫力に圧倒された。

            私も日本人にしては(で、この歳にしては)
            まだまだあそこに脂肪はあると思ってはいたが
            あれは無理だ・・・大きさが圧倒的に足りない・・・
            ダンサーの身体って、どこまでマテリアルになっちゃうんだ?!

            ものすごい皮肉の The New Freedom というテキストの後
            ダンサーに導かれて、下の階へ移動。
            廊下(吹き抜け)のところで Right Wing Sickness
            これはゲルトの Tragödie (1929) と Erzengel (1927) が元ネタなので
            白い羽の天使が、下の階の踊り場で死んでいる(もちろん演技である)

            一番下の階では
            長いテーブルにトマト・ジュースのグラスが大量に置いてあって
            Salome Bar という演目だったのだが
            途中で観客がカウンターに行って、勝手にトマト・ジュースを持って来て
            飲んでいるけど、それアリか?(笑)
            (いや、飲み物・食べ物が無料で提供されると
             オーストリア人は殺到するのは、よ〜く知ってるけど)

            Greetings from the Mummy Cellar の時には照明が落ちて
            階段の後ろからミイラが出てくる(ほとんど見えない(笑))

            その後に観客は会場移動で後ろのホールに行ったのだが
            あわわわわわ・・・・何と、真っ暗じゃないの!!!!
            足元見えず、しかも床も座席も黒い。
            更に、あまりに暗いので、何人かの観客が
            手元のスマホの照明機能を使うのは良いのだが
            あのライトを見てしまうと、消えた後の暗闇の中で
            ますます動き難くなってしまう。

            いや、ダンサーで真っ暗の中で動くのに慣れていれば良いですよ?
            ワタシ、そういう経験全くありませんし・・・(涙)

            真っ暗闇の中で、何とか黒い観客席に腰かけた後
            前にヌードで背中を向けたダンサーが横たわっていて

            アメリカに移住した後に
            仕事がないので、ヌード・モデルとして仕事をした、というテキストが読まれる。

            背中の美しさにも圧倒されるが
            テキストの内容のシリアスさと、リアルさにも圧倒される。

            その後、Onion Soup というパーフォーマンスで
            本当にオニオン・スープが出て来た!!!
            (で、観客がオニオン・スープを取りに行っていた)

            そこで既に23時過ぎになっていて
            トイレに行きたかったし(あそこは1つしかない)
            観客(たぶん80人くらい)がスープ飲み終わって
            最後の2つのパーフォーマンスやったら、また24時くらいになりそうなので
            何人かが出て行くのに同調して、私も出て来た。

            いやしかし、ものすごく面白かった。
            動きがあるのも楽しいし
            短いスケッチの連続で退屈しないし
            25ユーロという(約3000円)結構なお値段なのだが
            トマト・ジュース(セロリ付き)とオニオン・スープも含まれているし(笑)
            いや、ワタシは両方、食していないが。

            テキストは最初から最後まで基本的に英語だが
            途中のパーフォーマンス Degenerate „Entartete Kunst“ なんかは
            ドイツ語の単語が多く使われていて、ドイツ語わかると面白い。
            (クルト・シュヴィッタースあたりを彷彿とさせる)

            こういうパーフォーマンスなら何回観ても良いかも・・・

            とは言え、イム・プルス・タンツも、そろそろラスト・スパート。
            あと、もう少し鑑賞の機会があるので
            どうぞお見捨てなく、お付き合い下さいまし。

            ついでに、出来れば、下がるだけ下がっている順位を
            少しだけでも回復させるために
            1クリックをお恵みいただけましたら幸いです。



            ウィーンも結構暑くて、日中はずっと30度超えている上に
            夕方になると雷雨という、まるで熱帯(しかも冷房はほとんど普及していない)
            会場の MUMOK はさすがに冷房入っていたけれど
            終わって外に出たら、湿気はすごいし、まだまだ暑くて参ったわ。

            ところで、この作品の振り付けして踊っていたサラモンという女性ダンサー
            調べてみたら69歳って・・・自宅でひっくり返りました(驚愕)

            フロレンティーナ・ホルツィンガー アポロン

            0
              Volkstheater 2018年8月1日 21時〜22時50分
              IM PULS TANZ

              Florentina Holzinger
              APOLLON

              作品 Florentina Holzinger
              ダンサー Renée Copraij, Evelyn Frantti, Florentina Holzinger
              Annina Lare Maria Machaz, Xaana Novais, Maria Netti Nüganen
              Stephan Schneider
              サウンド・デザイン Stephan Schneider
              ドラマツルギー Sara Ostertag & Michaele Rizzo
              舞台 Nikola Kneževič
              コーチング Manu Scheinwiller & Fernando Belfiore
              技術 Bram Geldhof, Anne Meeussen & Maarten Van Trigt

              ウィーン・インターナショナル・ダンス・フェスティヴァルの
              Im Puls Tanz 一環の公演だが
              18禁である。

              こちらで18歳未満には適していません、と但し書きがつくのは
              かなり極端なパーフォーマンスだろう、と思ってはいたけれど

              あ〜、ちょっと絶句というか・・・

              真っ裸のお姉さまたちが7人
              最初から最後まで真っ裸で舞台に居るだけでは
              18禁にはならない。

              具体的に書いたら、間違いなく気分悪くなる人が居るので
              具体的に何も書けないのがちょっと悔しい。

              プログラム内のインタビューで
              Holzinger いわく

              ショックを受けたり気分が悪くなったりしたら
              この公演のチケットに、あなたがお金を払った事を忘れないで。
              あなたが楽しむためだけに、我々は公演をしているのだから
              あなたも楽しんでしまいましょう。

              ・・・というのが、まぁ最も妥当なところ。

              男性のいないアポロ
              クラシック・バレエのバランシンのアポロからのインスピレーションだそうで
              確かにクラシック・バレエの要素はかなり入っている。
              (ちょっとパロディに見える)

              ともかく舞台の上で繰り広げられるのは
              かなり極端なパーフォーマンス。

              そりゃ、巧く効果音を使ったり
              ライブ・ビデオを使ったり
              それなりに、あれは一応、手品の小道具だよね?というのもあるけれど

              マジに本気のナニ(書けません・・・)もあって
              (註 女性ダンサーだけなので、男女の云々ではございません)

              でも、あくまでもパーフォーマンスだよね?
              プロレスでぶつかって流血シーンで盛り上がる、というのと
              同じように考えて良いんですよね?と
              自分で自分を納得させないと、見ていられない。

              舞台上でタイヘンな事をしているダンサーだって
              誰から強制された訳ではなくて
              自分で好きに(あるいは芸術的使命を帯びて)やっているのだろうし
              どんなに極端な事を舞台上でしていても
              「お客さまが楽しむため」にしているのだろうから
              (プログラムにもそう書いてあるし)
              げえええ、とか思わなくても良いのだろう。

              まぁ、そういう極端なところが
              あまりにショックで印象的だった、というのはあるのだけれど

              同時に、極端なシーンを除いて考えてみると
              舞台での、女性の裸体だけの絵が
              太古のユートピア的な不思議な倒錯の美を醸し出しているのも確か。

              アポロは後ろの牛によって表現されているのだろう。
              女性が牛にまたがって、前にまたがっている女性の(あ、以下省略)

              アクロバット的な女性2人のバランスが凄かったし
              いわゆるフィットネス的なランニングや重量挙げとか
              ソロ・ダンサーがショッキングな事を
              舞台の前でしている間
              20分くらい、後ろでずっと2人のダンサーがポワントで立っていたのが
              ショッキングな前でのパーフォーマンスより
              ワタシは気になった(あんなに長くポワントで立ち続け???)

              ただ、最後はかなりたるんだ感じになってしまって
              ダンサーが絡まっていくところの図は綺麗なんだけど
              あの綺麗さは、別のスタイルでのダンス公演の方が
              もっと美しく表現できるだろう、という部分が20分くらい続く。

              極端にショッキングなパーフォーマンスの危険性は
              そこにあるわけで
              最初にショッキングな部分をこれでもか、とばかり見せられると
              その後に、比較的まともなシーンが出て来ても
              退屈に見えてしまうのだ(人間、慣れますからね、何でも)

              あんなにショッキングな事をしなくても
              舞台の美しさと、牛のアポロンと、太古的な背景と
              女性ダンサーのクラシックの動きに加えて
              アクロバットなバランスや
              シルエットでの美しい動きで
              充分に堪能できるパーフォーマンスになったと思うんだけどなぁ。

              しかしまぁ、こういう極端な18禁の
              やり過ぎ・・・としか時々思えないパーフォーマンスを
              ウィーン市文化局が後援している、というのも、何とも楽しい(笑)
              日本じゃ考えられないだろう。
              絶対に税金の無駄遣いとか喚く人がいそうだし(わはははは)

              芸術とは何か
              芸術は何処に行くのか
              ここまで極端に表現しなければ芸術的とは言えないのか

              ・・・とか、まぁ、色々と考える事はあったのだが

              そういう芸術へのアプローチもありか。
              もともとウィーンって、ウィーン・アクショニズムという
              身体をマテリアルとして、自傷行為を伴ったアクションを
              芸術表現とした、という伝統もある事だし。

              そう言えば、21er Haus でのギュンター・ブルスの展覧会が
              8月12日までだった・・・行かなくちゃ ^^;

              このパーフォーマンス見てから
              ギュンター・ブルスの展覧会に行ったら
              多少の耐性は出来ているだろう、と思う、という事で
              パーフォーマンスの内容がどういうものだったか
              適当にご想像下さいませ。

              Im Puls Tanz は8月中旬まで続くけれど
              今年は(引退して年金生活だから)それほど数は多くない。
              そろそろグラーフェネック音楽祭も始まるので
              お見捨てなく・・・
              どうぞ1クリックをお恵み下さい。



              この公演のビデオ・クリップも実は Im Puls Tanz のページにあるのだが
              これ貼ったら、日本では完璧アウトだろう・・・と思うので
              止めておきます。
              2月に Tanzquartier で同公演を行なった時の日刊新聞の批評では
              そのショッキングな部分が革新的、と賞賛されていた(わはははは、そういう見方もありか)

              マリー・シュイナール Radical Vitality, Solos and Duets

              0
                Volkstheater 2018年7月24日 21時〜0時05分
                IMPULSTANZ Vienna International Dance Festival 2018

                Compagnie Marie Chouinard (Canada)
                RADICAL VITALITY, SOLOS AND DUETS

                振付 Marie Chouinard
                ダンサー Sébastian Cossette-Masse, Catherine Dagenais-Savard,
                Valeria Galluccio, Motryo Kozbur, Morgane Le Tiec, Luigi Luna,
                Scott McCabe, Sacha Quellette-Deguire, Carol Prieur, Clémentine Schindler
                音楽 Louis Dufort, Frédéric Chopin, Carles Santos, Rober Racine
                テキスト Marie Chouinard
                照明・ビデオ・舞台・道具 Marie Chouinard, Axel Morgenthaler
                衣装 Marie Chouinard, Liz Vandel, Louis Montpetit
                マスク Marie Chouinard, Jacques-Lee Pelletier

                カナダのマリー・シュイナール・カンパニーを
                グーグルで調べたら
                マリエ・チョーイナードと書いてあってひっくり返った(笑)

                2018年6月23日にベニスで初演された作品のオーストリア初演公演。
                世界初演ではシュイナール自身が多くのタイトルを踊ったらしい。

                ムーブマンは何回も鑑賞したし
                去年のヒエロニムス・ボスの快楽の園も素晴らしかった。
                (余程おヒマな方は こちら が1回目、こちら が2回目です)

                実は今回の公演、前半と後半で分けて踊る予定だったのが
                やっぱり全部一緒に踊るね、という事になって
                21時開演で、プログラムによれば休憩20分含めて153分公演。

                ただ、オーストリア人、20分の休憩では戻って来ないし
                (みんな、ダラダラしているのである)
                スケッチとスケッチの間に盛大な拍手があるので
                結局、終演は真夜中過ぎになった。

                この作品は、ソロとデュエットの小さなスケッチの積み重ね。
                よって一貫したストーリーはないから
                何を書いて良いか、戸惑うばかり。

                日本公演は不可能だ、と思ったのは
                最初から、ちょっとかなりやばいシーンがあって
                更に、最後はダンサー全員が真っ裸になるから。

                このカンパニーのダンスは
                正に「ダンス」であって「バレエ」とは全く違う。
                クラシックであれ、モダンであれ
                身体の鍛え方や作り方に、そんなに差異はないと思うのだが
                男性も女性も筋肉隆々で
                動きも表現も、クラシック・バレエとは全く違う。

                それだけに、バレエでは出来ない表現が次から次へと現れ
                身体表現って、うわああああ、ここまで出来るんだ、と目がテンになる。
                (反対に言えば、クラシック・ダンサーでは出来ない事をしてしまう)

                前半のソロの女性の、むちゃ色っぽいダンス。
                ツナギみたいな服で出て来て
                ゆっくり動いて後ろを向くと
                後ろが背中丸出し+ヒップの割れ目がばっちり見える衣装で
                また前を向いて、ゆっくり動くんだけど
                まぁ、これが何とも色っぽくて、クラクラする。
                (あくまでも抽象表現である)

                スケッチのバリエーションが多すぎて
                一つとして同じようなものがなく
                時には大笑いできて
                時々ハートにズキズキくる。
                (長いもので13分、短いスケッチは1分を切るが
                 だいたい、3分〜6分くらいの作品が多い)

                え〜い、書いていても意味不明なので
                IM PULS TANZ のサイトにあった紹介クリップを貼っておく。



                ・・・・・すみません、これ見ても
                たぶん、読者諸氏は、ま〜ったくわからないと思う f^_^;
                (色っぽいお姉ちゃんは32秒のところから)

                暴力的なシーンというのは全くないのでご安心あれ。
                身体表現とは言っても
                変にテツガク的な難しさはなくて
                割に日常生活の中のあるあるに類似しているので
                妄想力を酷使しなくても、具体的にピンとくる。

                しかしモダン・ダンサーたちのバランス感覚には驚愕する。
                あのオフ・バランス、クラシック・ダンサーにできるかしら?
                左足だけトゥシューズ履いて(右足は裸足)
                トゥで立つ時だけ
                床にマイク持って這いつくばった男性が叫ぶというスケッチがあったが
                (いやこれ、爆笑モノだった)
                さりげなくやってるけど
                よく見れば最初から最後まで、ずっと片足立ち。

                ロボットみたいな動きをする男性ダンサーも面白かった。
                語りかけつつ、最後は頭にシンバル被ってという女性ダンサー(爆笑)

                ビデオ・クリップには出ていないけれど
                2つの手のデュエットという作品があって
                これは下手(しもて)のダンサー(向かい合わせ2名)の前にカメラを置いて
                その手の動きだけをビデオ投影する。
                いや〜、すごかった、むちゃすごかった。
                4本の手が、カタチと絡みだけで
                妄想すればいくらでも妄想できる世界を繰り広げていく。
                (何を妄想したかは敢えて書きません)

                大笑いしたビデオが
                手ではなくて顔で
                ダンサーが顔のお肉を引っ張ったり縮めたり
                百面相?の極端なバージョンをビデオに投影して行く。
                (顔のマッサージ・・・というにはあまりに極端だ。
                 私の顔のお肉も、あそこまでフレクシブルではない・・・)

                第一部の最後の The Ladies’ Crossing というスケッチ(2分25秒)
                ダンサーが、女性のマスクをつけて踊るのだが
                「女性」のマスクが、すべて年配の女性の顔。
                (マスクは普通の顔より大きくしてあって、よく見える。
                 ほとんどパロディの世界ではある)

                そこらへんに居そうな上品な老婦人たちが
                レオタード姿(=ほとんど裸体に見える)で
                ディスコっぽい踊りしたり、走ったりしていて

                わ〜っはっはっはっは
                そうだよ、最近の女性はお歳を召しても元気なのよ〜、と
                大笑いしながらはしゃいでしまった。
                (マリー・シュイナール自身も60歳過ぎているが、バリバリの現役ダンサー)

                後半の短い杖を使った比較的長いスケッチは
                ちょっと身体障害者を連想させる上に(というよりモロそのもの)
                振付の取り扱い方として、あまりポジティブに見えなかったのが残念。

                でも、突っ立っている男性に
                女性ダンサーがキッスしながら飛びついて
                ラブの告白しているのに
                男性はそのまま立ち尽くしっていうのは笑った。
                (というより、横から飛びつかれて
                 バランス全く崩さず仁王立ちしているバランスにびっくり)

                最後は赤ちゃんのマスクをつけたダンサーたちが
                真っ裸で出てくるのだが

                その赤ちゃんのマスクが、あまりにあまりにキュート過ぎる!!!
                (マスクは大きめなので、よ〜く見える)
                しかも、赤ちゃんマスクを被ったダンサーたちの仕草が
                きゃ〜っ、これまた
                そうだよね、そうそう、赤ちゃんってそういう動きするよね?

                ひたすら清らかな瞳でこちらを無邪気に見てくる赤ちゃんの顔と
                その下の成人男性・成人女性の身体は
                普通、見ていて齟齬があると思うのだが
                あまり齟齬を感じない・・・どころか

                そうだよねぇ、我々、大人になって
                歳を取っても、やっぱり、どこか赤ちゃんの部分って
                絶対残してるよねぇ、とか考えてしまう。
                (それが振付の意図かどうかは不明)

                長いパーフォーマンスだったが
                短いスケッチが多いので、時間が経つのがあっという間。

                地下鉄にも間に合ったし
                市電は25分待ちだったけれど、ちゃんと来たし(笑)
                実はこのパーフォーマンス、もう一度観る予定なので
                (もともと前半・後半でそれぞれ1公演の予定だった)
                今からニヤニヤしている私に
                久し振りの1クリックをお恵み下さいませ。

                書いていなかった時にご訪問下さった皆様には
                心からの感謝を申し上げます(お辞儀)



                日本は猛暑らしいが
                こちらは時々天気が良くなると30度近くまでは上がるけれど
                雨になると20度を切るという天気。まぁ、快適ではある。

                ケースマイケル(ローザス)バッハ組曲

                0
                  Burgtheater / IM PULS TANZ
                  2018年7月14日 21時〜23時

                  Anna Teresa De Keersmaeker & Jean-Guihen Queyras / Rosas
                  Mitten wir im Leben sind / Bach6Cellosuiten

                  振付 Anna Teresa De Keersmaeker
                  チェロ Jean-Guihen Queyras
                  ダンサー Boštjan Antončič, Femke Gyselinck, Marie Goudot, Julien Monty
                  Michaël Pomero
                  音楽 Johann Sebastian Bach, 6 Suiten für Violonchello solo, BWV1007-1012
                  ドラマツルギー Jan Vandenhouwe
                  衣装 An D’Huys
                  照明デザイン Luc Schaltin
                  サウンド・デザイン Alban Moraud

                  アンヌテレサ・ドゥ・ケースマイケル自身も出演予定だったが
                  怪我のため代役、というのは残念だが
                  昨年ルール地方のトリエンナーレで初演された新作の
                  オーストリア初演。

                  ケースマイケルとローザスを観始めたのは
                  2007年くらいからだから、あっという間に10年経った事になる。

                  その間、2008年の Steve Reich Evening での
                  ライヒの音楽との見事な融合の後
                  Zeitung では、徹底した身体表現による「音楽」そのものの消失や
                  永遠の名作(だと思う)Rosas danst Rosas の再演
                  ルネサンス音楽を使ってアヴィニヨンで初演された En Attendant の
                  オデオンでの印象的な公演。
                  (このアヴィニヨンの朝公演版はグラーツまで観にいった)
                  Drumming や、3つの別れ、シェーンベルクの浄夜、エレナのアリア等
                  様々な作品を鑑賞するたびに
                  鮮烈な印象をもらって来た。

                  今回の作品は、バッハの無伴奏チェロ組曲。
                  舞台上でチェリストが演奏して、ダンサーが踊る
                  ・・・と書いてしまうと、身も蓋もないが
                  実際は多重構造になっていて、不思議な空間に翻弄されてしまう。

                  チェリストの位置も組曲によって変わり
                  組曲と組曲の間に、ダンサーがテープを持って
                  床に不思議な幾何学模様を描いていく。

                  第1組曲から第3組曲までは
                  基本的にダンサー1人のソロに途中で女性ダンサー1人が加わる。
                  第1・第2組曲のソロは男性ダンサー
                  第3組曲のソロは女性ダンサー。
                  第4組曲がまた男性ダンサーで、その後については後述する。

                  いつも思うのだが
                  音楽を身体表現に描き出すという意味で
                  ケースマイケルは、天性のセンスがある。

                  クラシック・バレエだと、
                  バランシンなんかも音楽=ダンスになってはいるものの
                  ケースマイケルの身体表現は、あくまでもモダン・ダンス。

                  クラシックの日常生活から分離した美しさではなく
                  モダンのしなやかさ、バランスをしっかり取り入れながら
                  その振りは、あくまでも日常的に見える(見えるだけです、私は踊れません)

                  しかも、その動きの精密な事と言ったら!
                  音符一つ一つに意味があるように見えてくる。

                  この「日常的に見える」というのが曲者で
                  これは第4組曲以降にとんでもない効果を出してくる。

                  第1・第2組曲あたりは
                  音楽の身体表現の精密な見事さに息を飲むばかり。
                  (舞台上のチェロのソロも見事でうっとり聴き惚れてしまう)

                  第3組曲の女性ダンサーになると
                  うわあああ、ケースマイケルの女性ダンサーの振付って
                  なんてステキなんだろう、と驚嘆。
                  ごつい男性のダイナミックなダンスも見応え充分だけど
                  マニッシュな女性のダンサーの動きの美しさ、しなやかさにはハッとする。

                  第4組曲の男性ダンサーのダンスは
                  音楽を身体に乗せた、というのを越えて
                  圧倒的にエモーショナルで激しい動きになる。

                  チェロのソロが終わって、チェリストが退場しても
                  この男性ダンサーは舞台に残って
                  そのまま無音で踊り続ける。

                  ・・・無音なんだけど
                  いや、本当に音楽、全然ないんだけど
                  ダンスを観ていると、不思議に頭の中で音楽が鳴る。
                  なんだこれ???

                  いや、ただの妄想で
                  感受性ゼロで音楽性ゼロの私には
                  実際には音楽そのものはどうしても聴こえては来ないんだけど
                  身体表現が、どう見ても「音楽」なのだ。
                  きっと本当に感受性のある人の頭の中では音楽が鳴っているに違いない。

                  ところが、次の第5組曲・・・
                  ダンサーが出て来ない。
                  舞台にはチェリストだけが出て、音楽を奏でるのだが

                  何で頭の中の妄想でダンスが見えて来るの???
                  (だからあくまでも妄想です。
                   たぶん、感受性の強い人には本当にダンスが見えるんだと思うけれど)

                  何だ、何だ、何なんだ、この作品は・・・(呆然)

                  最後の第6組曲はダンサー全員が踊る。
                  様々な音符がまとまったり散らばったりのフォーメーションが見事。

                  音楽と身体表現が一体になったり
                  分離したり
                  身体が音楽になったり
                  音楽が身体になったり
                  多重構造で不思議な世界を描き出す。

                  う〜ん、ケースマイクル、凄すぎる。
                  スティーブ・ライヒの公演の時にも
                  計算され尽くした(で、計算されたように見えない)動きに
                  息を飲んだけれど
                  今回もバッハのチェロ組曲の音符がすべて身体表現になっている。

                  バッハの曲は、もともとガボットとかサラバントとかメヌエットで
                  踊りの音楽なんだもんなぁ(誤解があるかもしれない)
                  それが、現代というコンテクストの中で
                  最大限に活かされて
                  ジークなんかの表現の微笑ましさには
                  ついついこちらの身体まで動いてしまって
                  何だかとても楽しくて幸せな気分になるのだ。

                  2時間休憩なしの作品だけど
                  時間が経つのがあっという間だった。

                  イム・プルス・タンツ、ウィーン国際ダンス・フェスティバルは
                  玉石混合なので
                  時々、とんでもないモノもあるのだが
                  さすがに数年通い続けていると
                  これが好き・嫌いという判断は自分の中で出来てくるので
                  7月後半から徹底的に通います、という
                  いつもながらの独断・偏見に満ちた私に
                  久し振りの1クリックを、どうぞよろしくお恵み下さい。

                  休載中にクリックして下さった熱心な読者の皆様には
                  深く心より御礼申し上げます。



                  興味ある方は1分半くらいのローザスの公式クリップがあるのでどうぞ。
                  音楽に合わせた身体表現の精密さに、どうぞ驚嘆して下さい。



                  ・・・しかしブルク劇場の中は暑かった。
                  入ったところでミネラル・ウォーターを無料で配っていたけれど
                  冷房ないし、いくら日本ほど暑くはないと言っても空気が篭るし。
                  まぁ、これは例年そうなので、今更驚きはしないけどね(笑)


                  カンパニー・カフィグ ピクセル

                  0
                    Festspielhaus St. Pölten 2018年6月8日 19時30分〜21時

                    PIXEL
                    Centre Chrégraphique National de Créteil et du Val-de-Marne
                    Compagnie Käfig

                    コンセプト・振付・芸術監督 Mourad Merzouki
                    コンセプト・ビデオプロジェクション Adrien Mondot, Claire Bardainne
                    オリジナル音楽 Armand Amar
                    照明 Yoann Tivoli
                    舞台 Benjamin Lebreton
                    衣装 Pascale Robin
                    ダンサー Rémi Autechaud, Marc Brillant, Antonin Tonbee Cattaruzza,
                    Elodie Chan, Aurélian Chareyron, Sabri Colin, Yvener Guillaume,
                    Ludwic Lacroix, Ibrahima Mboup, Paul Thao, Médésséganvi Yetongnon

                    何百も言葉を費やして書くより
                    まずは下のビデオ・クリップをご覧あれ(3分ちょっと)



                    いや〜、こういうパーフォーマンスやってくれるから
                    サンクト・ペルテン通いが止められないのだ。

                    ビデオ・プロジェクションと
                    ヒップ・ホップ・ダンスの見事な融合。
                    徹底的に考え抜かれた振付を踊るダンサーたちの
                    柔軟性と動きの速さ、バランスの素晴らしさ。

                    クラシック・バレエとは筋肉が違うんだろうけれど
                    こういうダンス、ウィーンの国立バレエ団のダンサーは
                    踊れないだろうなぁ・・・(いや踊れなくて構いませんが(笑))

                    1時間15分のパーフォーマンスの
                    最初から最後まで、数秒足りとも退屈させない。
                    次から次に目まぐるしく変化するプロジェクションに
                    ユーモアやペーソスを持って
                    時には子供が遊ぶように
                    時には男女のしっとりした愛情を繊細に描き出し
                    ええええっ、それアリ?と驚くアクロバット
                    ヒップホップ・ダンス特有の回転技。

                    とことん観客を楽しませようという気概が
                    最初から最後まで溢れている上に
                    それを実現するダンサーたちの訓練された身体とダンスが
                    徹底的にエンターテインメントになっている。

                    カンパニー・カフィグは
                    アルジェリアからのフランスに移住した両親のもとで
                    リヨンの郊外で生まれたムラッド・メルズキのグループ。

                    貧しい階級出身で、父親にボクシングを勧められ
                    そこから、アクロバットとヒップ・ホップでダンスの世界に出て来た人だそうだ。

                    1人だけいた女性ダンサーは
                    ほとんど軟体動物。
                    人間の身体って、あんなになるんですね。
                    見ていると目の錯覚じゃないか、と思ってしまう位。

                    カーテンコールで
                    音楽に乗りながら
                    それぞれの得意技を見せてくれたのにも好感。

                    徹底的にエンターテインメントで
                    1人よがりなところが全くないパーフォーマンスって
                    コンテンポラリー・ダンスで初めて見た。

                    その意味では、今まで観て来た
                    コンテンポラリー作品の中では異色。
                    いやもう、実に素晴らしい。

                    ちょっとストレス続きだったんだけど
                    これ観て、本当に楽しくて
                    その時だけはストレスをすっかり忘れていた私に
                    どうぞ1クリックをお恵み下さい。


                    アクラム・カーン XENOS

                    0
                      Festspielhaus St. Pölten 2018年5月17日 19時30分〜21時45分

                      Akram Khan Company
                      XENOS

                      振付・ダンス Akram Khan
                      舞台 Mirella Weingarten
                      照明 Michael Hulls
                      衣装 Kimie Nakano
                      オリジナル音楽・サウンドデザイン Vincenzo Lamagna
                      ドラマツルギー Ruth Little
                      テキスト Jordan Tannahill
                      音楽 Nina Harries, Andrew Maddick, B C Manjunath,
                      Tamar Osborn, Aditya Prakash

                      音楽
                      Wolfgang Amadeus Mozart : Requiem in D-moll
                      Hanging on the Old Barbed Wire (Traditional), Ku Karim (Traditional)
                      Amir Khusro : Chhap Tilak,
                      Nawab Wajid Al Shan : Babul Mora
                      Kabir : Naiharwa

                      アクラム・カーンのフル・レングスでの最後の作品として作られた
                      XENOS は2018年2月にアテネで初演されている。

                      最初から最後まで、約1時間30分
                      繰り広げられる異様な世界。

                      プログラムの記載によれば
                      アクラム・カーンの芸術家としての人生の総括的な意味を持ち
                      現代における人間性の喪失、戦争などの問題を考える上で
                      人間として創造力の中で特別なもの、美しいものを表現すると同時に
                      想像力を超えたところでの暴力、残虐性を表現する事もできるのではないか
                      ・・・という感じ(意訳なので文責なしで勘弁して下さい)

                      プログラムのこのページを読んだ時に
                      あ〜っ、またもや政治的作品か、
                      こういうのをやるんだったら
                      どこかの国営放送局の青年の主張で喋るか
                      政治家になれ・・・と、ついつい思ったのだが

                      作品を見てみたら、圧倒的で言葉を失ってしまった。

                      舞台上演が始まる前、既に舞台には
                      民族楽器の太鼓を叩いている男性と
                      すごく美しいテノールで、不思議な民謡を歌っている男性がいて
                      この音楽がすごく聴き応えがあって、ついついウットリ聴いていたら
                      突然、縄に縛られたダンサーが登場。

                      もう、その後は縄とダンスと音楽の複雑な絡みが続く。
                      舞台の半分以上が斜面になって
                      斜面のところは砂と泥。

                      泥は最初のシーンで
                      カーンが上手(かみて)のところから泥を持って来て
                      舞台の中央に置いたので
                      これは、もしかしたら、前の作品と同じように
                      芽吹く植物の象徴か?と思ったのだが

                      そうかもしれないし、そうではないかもしれない。

                      政治的アピールが作品に入っているとしても
                      カーンは、それを(サッシャ・ワルツのように)あからさまに出しては来ない。
                      あくまでも徹底的に抽象化された「舞踏表現」で
                      観客の解釈に委ねながら、自分の世界を表現して行く。

                      ついつい「舞踏」と書いてしまったけれど
                      そういう視点から見てみると
                      非常に暗い部分での抽象的な痛みの表現は
                      日本の暗黒舞踏に似たところがあるかもしれない。

                      足首に巻いた鈴の鎖で
                      民族音楽と合わせて踊るカーンの見事な踊りは
                      鈴の鎖を解いて、鎖を持って踊るところから
                      音楽家は消え、舞台の後ろが斜面になって
                      だんだん、異様な世界に入って行く。

                      もう、何が異様かって、どう言葉で表現したら良いのかわからん。

                      2分ちょっとの公式トレイラーがあったので貼っておく。



                      何なんだ、いったい、この世界は・・・
                      崖の上までよじ登って
                      上で大昔のフォノグラフ(後で照明になる)と
                      縄を繋げて踊ったりするのだが
                      そんな事を書いても
                      読んでいらっしゃる方は想像も出来ないだろう(すみません)

                      砂だらけ、泥だらけで、斜面と格闘するダンサー。
                      いったい、何と戦っているのか

                      プロメテウスか、それともシーシュポスか
                      人間の疎外、自分との戦いが
                      実りあるものなのか、無駄なのかもわからず
                      もう、見ていて胸が痛くなる。

                      全体が高度に抽象化されているので
                      苦労しているようで実はウヒウヒ喜んでいるのかもしれず
                      (まぁ、それはないかも・・・)
                      泥にまみれて快感に悶えているのかもしれず
                      (まぁ、それもないかも・・・)

                      せめてハッピー・エンドで
                      舞台の真ん中に最初に盛った土から
                      お花でも咲けば、分かり易いのだが
                      芸術家アクラム・カーンは、そこまで単純な解決は提示しない。

                      最後のシーンは、真っ赤な照明に浮かぶ
                      泥と砂だらけの斜面で

                      これが一幅の現代絵画に見える。
                      色彩は違うけれど
                      私が好きなアントニ・タピエスの絵画を連想してしまう。

                      真っ赤な照明の泥と砂の絵画の中に
                      ダンサーのカーンが入り込むと
                      そこに流れるのは
                      モーツァルトのラクリモーサ。

                      うううう、やっぱりキリスト教的な色合いも当然入るわけね。
                      その前の縄を首にかけて
                      上の方で踊るところで
                      これ、もしかしたらイエス・キリストに擬えているのかな
                      と思った部分もあったので
                      ラクリモーサが、自然にストンと落ちた。

                      しかも、ここまで極端に抽象化されていると
                      キリスト教とも距離を置いているかのようで
                      そんなに簡単に
                      あ、イエス・キリストの受難を表現してるな、とは思えない。
                      示唆はあるかもしれないし、ないかもしれない・・・

                      その意味では
                      芸術的表現が、何重にもなっている上に
                      わざと意図を明確に提示するのを避けて
                      あくまでも芸術表現として
                      受け手にその意図の解釈を託すという

                      まぁ、とんでもない事を
                      アクラム・カーンはやってのけているワケで
                      そこまで観客を信じて委ねてしまって良いんですか、とか
                      思わない訳ではない。
                      (ほら、私みたいに曲解したり誤解したり感受性なかったりする人もいるし)

                      作品の受容は、その意味では
                      完全に個人としての観客に委ねられてしまうので
                      芸術家、ダンサーとしてのアクラム・カーンの意図と
                      受け手の観客としての作品の解釈に齟齬が出てくる可能性は
                      たぶん、大いにあるのだが

                      それでも良いのではないだろうか。
                      ここまで抽象化された芸術作品になってしまうと
                      各自が受け取ったメッセージこそが
                      その個人にとって正しいものなんだろう、としか思えない。

                      アクラム・カーンのダンスって
                      あそこまで汚れた役をやっていても
                      何故に、あんなに美しいんだろう。

                      身体の美しさや柔軟性、カタチの見事さや
                      ステップの美しさ、全くズレのない体幹の
                      クラシックとは違うけれど、壮絶なピルエットでも
                      我々を魅了するが
                      手先の動きの美しさ
                      オーガニックな生命力の豊かさには目を剥いた。
                      (ビデオだと31秒くらいのところ。実に美しい)

                      この作品、鑑賞していて思ったんだけど
                      これだけアクラム・カーンの「人間としてのダンサー性」が出てしまうと
                      他のダンサーに踊れるのかなぁ・・・

                      アクラム・カーンはまだ42歳だから
                      引退にはまだまだ時間があるとは思いつつも
                      あの激しいカタック舞踊を、いつまで実際に観られるかを考えると
                      今まで、様々なプロダクションを観て来て
                      本当に良かった、としみじみ思う私に
                      どうぞ1クリックをお恵み下さい。



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