土曜日のダブルヘッダーです。
時系列に読みたい方は、まずは こちら からどうぞ。
下は夜のコンサートの個人メモです。
WIEN MODERN 2019年11月30日
Wiener Konzerthaus Großer Saal 2019年11月30日 19時30分〜21時55分
Wiener Symphoniker
指揮 Leo Hussain
クラリネット Jörg Widmann
オルガン Iveta Apokalna
ハモンドオルガン Lázló Fassang
ライブエレクトロニクス SWR Experimentalstudio
Mark Andre (*1964)
über
für Klarinette, Live-Elektronik und Orchester (2015) - 35’
Peter Eötvös (*1944)
Multiversum
für Konzertorgel, Hammondorgel und Orchester (2017EA) - 30’
Peter Ablinger (*1959)
Wachstum, Massenmord
für Orchester und Untertitel (aus „Instruments &“) (2011EA) - 5’
ウィーン・モデルン現代音楽祭の最終コンサート。
コンツェルトハウスに行ったら
平土間だけがオープンしていて
バルコンとギャラリーは閉鎖。
ちっ、私、バルコンが好きなのに
(でも通常はチケットが高くて買えない)
ウィーン・モデルンのコンサートでもあるけれど
オルガニストのイヴェータ・アプカルナのチクルスでもあるので
結構な人数が入っていて
早めに行ったので良かったけれど
後から入った人は席を探すのが大変だったみたい。
平土間は後ろの方は音響的には絶対に避けたいので・・・
(平土間後ろの、バルコンが天井にかかっている部分のチケットは安い。
ただし、音響としては、たぶん、あの大ホールの中では最悪である)
しかしまぁ
本当にこの音楽祭の客層って
みんながみんな知り合いですって感じが中途半端じゃないわ。
もちろん、観客の中には
知っている常連の作曲家もわさわさ居るし
(聴きに来ているのも凄いと思う、同僚が気になりますか。
音楽家で他の演奏家や作曲家のコンサートに行く人は
ほとんどいないのだが)
たぶん、ウィーン音楽大学の教授とか
作曲科の学生とか
そういう感じのバリバリの倶楽部と化している。
ウィーン音楽大学の作曲科なんて
バリバリの現代音楽だ、と
ゼミの同僚(ウィーン音大の学生)も言ってたもんなぁ。
作曲科に、聴講生として潜り込もうかしら(本気)
さて、先日聴いたマーク・アンドレの
クラリネットとオーケストラのための作品を
またもや、大物イェルク・ヴィドマンのクラリネットで聞く。
タイトルが über って、本当に何がなんだかわからんが
(über って、「〜について」とか「〜の上」とかいう前置詞で
ラテン語では de + Ablativ に相当する・・・んだろうな、きっと)
現代音楽のタイトルなんて
本当にワケのわからないものが多い。
(バルトークのミクロコスモスのタイトルは
すべてに意味があるので、それはそれで恐ろしいが)
この間の曲と何処が違うの?と
ド・シロートの上に音楽的才能(記憶力含む)が全くない私は
思ってしまうのだが
きっと違うんだろう、今回はクラリネット持って会場を散歩しなかったし。
ところで、作曲家のマーク・アンドレって
プログラム記載の写真が、プログラムによって
絶対これ別人だよね?というくらいに変わるのだが・・・
しかも、だいたい芸術家って
それ、何十年前の写真?という詐欺みたいな写真を提供する事が多いのに
ウィーン・モデルンのパンフレットの写真は
えらく疲れた中年の顔が載っていて
今日のコンツェルトハウスの写真は
メガネなしの、ただの気の良いおっちゃん(どう見ても別人)だし
実物はどうかと言うと
背は高いし、スタイル良くて(男性モデルみたい)
洒落た黒のタートル・ネックに(黒は現代音楽のお決まりの色)
ノスタルジックな黒枠の丸いメガネをかけて
少なくとも遠目から見る分には
かなりのイケメンのモテ男子だと思う(単にワタシ好み、向こうは迷惑)
このクラリネットの曲、ようつべにあったので
ヒマな人のために貼っておく。
(本当に興味のある方「だけ」どうぞ)
さて、禁欲的にミニマムな音を使ったマーク・アンドレの後は
ペーテル・エトヴェシュの曲。
大編成のオーケストラに
コンツェルトハウスのオルガンに
加えてハモンド・オルガンまで入る大規模な曲。
これはまた、マーク・アンドレと正反対な
厚みのあるオーケストレーションの華やかさ。
現代音楽でも、かなり聴きやすくて
伝統的要素をふんだんに散りばめている。
(時々、あれ、これパロディ?と思う箇所もある)
オルガンとハモンド・オルガンの響きが
オーケストラと合うところが面白い。
オルガニストは美人でカッコ良くて
金色の燕尾服のバリエーションのような衣装が
映画に出てくる宇宙人(か地球防衛戦士)みたいで
(褒めてます)
正反対の2曲を聴いた後に
インテンダントが舞台に登場。
作曲家のペーター・アブリンガーが隣に立つ。
舞台の構築変換に30分かかるので
その間、次の曲の作曲家アブリンガーと
プレトークします・・・と言ったとたん
客席からブーを出した人が居て
わっはっは、困った客って、どこでも居るんだなぁ・・・
アブリンガーが
「舞台変換のために聞きたくないプレトークを聞かされるのは
同情するが」と言ったとたん
この人、すごい音で拍手するんだもん。
(だったら出て行けば?と思うんですけどね。
まぁ、気難しいオタクのあるあるかもね)
アブリンガーの曲の題名は
「成長、虐殺」という
音楽にはあるまじき危険な匂いを放っているのだが
壁に「成長」「虐殺」と赤いペンキで描いたものを
後ろのスクリーンに映して
オーケストラが演奏する5分ほどの作品。
アブリンガーがマイクで
この成長 Wachstum という単語と
虐殺 Mass-en-mord という単語の母音を
スペクトル分析して
あ〜、スペクトル分析って難しいですよね〜
でも、まぁ、そういう事をして成立した作品で
・・・って
私、自分のドイツ語能力が低いんだろうか、と
自分で自分を疑ったが
スペクトル分析くらい知ってるわい!
というか、今、まさに発表課題で毎日見てるんですが。
それに、単語の母音を分析するなら
フォルマントはどうした???(怒)
フォーリエ解析だけでは母音のスペクトルは出来ない筈だ。
・・・え〜い、思い切り、心の中でマウンティングしてやった。
(全然意味がないし、意味がわからん)
どこが母音のスペクトル分析なんだか
全くわからない音楽だったし
プログラムには
オーケストラは反社会的な制度である、というような
全く違う内容が書いてあったので
まぁ、この人も不思議な作曲家である。
たぶん、天才ってそういう感じなんでしょうね。
これにて、今年のウィーン・モデルン現代音楽祭は終わり。
以前と違って、普通のコンサートでも
時々は20世紀・21世紀作品を鑑賞する機会も増えて来ているが
集中的に現代音楽に浸れるこのフェスティバルはありがたい。
明日からは、また「伝統的」な音楽に戻るのが
嬉しいような残念なような
複雑な気分の私に
どうぞ1クリックをお恵み下さい。
時系列に読みたい方は、まずは こちら からどうぞ。
下は夜のコンサートの個人メモです。
WIEN MODERN 2019年11月30日
Wiener Konzerthaus Großer Saal 2019年11月30日 19時30分〜21時55分
Wiener Symphoniker
指揮 Leo Hussain
クラリネット Jörg Widmann
オルガン Iveta Apokalna
ハモンドオルガン Lázló Fassang
ライブエレクトロニクス SWR Experimentalstudio
Mark Andre (*1964)
über
für Klarinette, Live-Elektronik und Orchester (2015) - 35’
Peter Eötvös (*1944)
Multiversum
für Konzertorgel, Hammondorgel und Orchester (2017EA) - 30’
Peter Ablinger (*1959)
Wachstum, Massenmord
für Orchester und Untertitel (aus „Instruments &“) (2011EA) - 5’
ウィーン・モデルン現代音楽祭の最終コンサート。
コンツェルトハウスに行ったら
平土間だけがオープンしていて
バルコンとギャラリーは閉鎖。
ちっ、私、バルコンが好きなのに
(でも通常はチケットが高くて買えない)
ウィーン・モデルンのコンサートでもあるけれど
オルガニストのイヴェータ・アプカルナのチクルスでもあるので
結構な人数が入っていて
早めに行ったので良かったけれど
後から入った人は席を探すのが大変だったみたい。
平土間は後ろの方は音響的には絶対に避けたいので・・・
(平土間後ろの、バルコンが天井にかかっている部分のチケットは安い。
ただし、音響としては、たぶん、あの大ホールの中では最悪である)
しかしまぁ
本当にこの音楽祭の客層って
みんながみんな知り合いですって感じが中途半端じゃないわ。
もちろん、観客の中には
知っている常連の作曲家もわさわさ居るし
(聴きに来ているのも凄いと思う、同僚が気になりますか。
音楽家で他の演奏家や作曲家のコンサートに行く人は
ほとんどいないのだが)
たぶん、ウィーン音楽大学の教授とか
作曲科の学生とか
そういう感じのバリバリの倶楽部と化している。
ウィーン音楽大学の作曲科なんて
バリバリの現代音楽だ、と
ゼミの同僚(ウィーン音大の学生)も言ってたもんなぁ。
作曲科に、聴講生として潜り込もうかしら(本気)
さて、先日聴いたマーク・アンドレの
クラリネットとオーケストラのための作品を
またもや、大物イェルク・ヴィドマンのクラリネットで聞く。
タイトルが über って、本当に何がなんだかわからんが
(über って、「〜について」とか「〜の上」とかいう前置詞で
ラテン語では de + Ablativ に相当する・・・んだろうな、きっと)
現代音楽のタイトルなんて
本当にワケのわからないものが多い。
(バルトークのミクロコスモスのタイトルは
すべてに意味があるので、それはそれで恐ろしいが)
この間の曲と何処が違うの?と
ド・シロートの上に音楽的才能(記憶力含む)が全くない私は
思ってしまうのだが
きっと違うんだろう、今回はクラリネット持って会場を散歩しなかったし。
ところで、作曲家のマーク・アンドレって
プログラム記載の写真が、プログラムによって
絶対これ別人だよね?というくらいに変わるのだが・・・
しかも、だいたい芸術家って
それ、何十年前の写真?という詐欺みたいな写真を提供する事が多いのに
ウィーン・モデルンのパンフレットの写真は
えらく疲れた中年の顔が載っていて
今日のコンツェルトハウスの写真は
メガネなしの、ただの気の良いおっちゃん(どう見ても別人)だし
実物はどうかと言うと
背は高いし、スタイル良くて(男性モデルみたい)
洒落た黒のタートル・ネックに(黒は現代音楽のお決まりの色)
ノスタルジックな黒枠の丸いメガネをかけて
少なくとも遠目から見る分には
かなりのイケメンのモテ男子だと思う(単にワタシ好み、向こうは迷惑)
このクラリネットの曲、ようつべにあったので
ヒマな人のために貼っておく。
(本当に興味のある方「だけ」どうぞ)
さて、禁欲的にミニマムな音を使ったマーク・アンドレの後は
ペーテル・エトヴェシュの曲。
大編成のオーケストラに
コンツェルトハウスのオルガンに
加えてハモンド・オルガンまで入る大規模な曲。
これはまた、マーク・アンドレと正反対な
厚みのあるオーケストレーションの華やかさ。
現代音楽でも、かなり聴きやすくて
伝統的要素をふんだんに散りばめている。
(時々、あれ、これパロディ?と思う箇所もある)
オルガンとハモンド・オルガンの響きが
オーケストラと合うところが面白い。
オルガニストは美人でカッコ良くて
金色の燕尾服のバリエーションのような衣装が
映画に出てくる宇宙人(か地球防衛戦士)みたいで
(褒めてます)
正反対の2曲を聴いた後に
インテンダントが舞台に登場。
作曲家のペーター・アブリンガーが隣に立つ。
舞台の構築変換に30分かかるので
その間、次の曲の作曲家アブリンガーと
プレトークします・・・と言ったとたん
客席からブーを出した人が居て
わっはっは、困った客って、どこでも居るんだなぁ・・・
アブリンガーが
「舞台変換のために聞きたくないプレトークを聞かされるのは
同情するが」と言ったとたん
この人、すごい音で拍手するんだもん。
(だったら出て行けば?と思うんですけどね。
まぁ、気難しいオタクのあるあるかもね)
アブリンガーの曲の題名は
「成長、虐殺」という
音楽にはあるまじき危険な匂いを放っているのだが
壁に「成長」「虐殺」と赤いペンキで描いたものを
後ろのスクリーンに映して
オーケストラが演奏する5分ほどの作品。
アブリンガーがマイクで
この成長 Wachstum という単語と
虐殺 Mass-en-mord という単語の母音を
スペクトル分析して
あ〜、スペクトル分析って難しいですよね〜
でも、まぁ、そういう事をして成立した作品で
・・・って
私、自分のドイツ語能力が低いんだろうか、と
自分で自分を疑ったが
スペクトル分析くらい知ってるわい!
というか、今、まさに発表課題で毎日見てるんですが。
それに、単語の母音を分析するなら
フォルマントはどうした???(怒)
フォーリエ解析だけでは母音のスペクトルは出来ない筈だ。
・・・え〜い、思い切り、心の中でマウンティングしてやった。
(全然意味がないし、意味がわからん)
どこが母音のスペクトル分析なんだか
全くわからない音楽だったし
プログラムには
オーケストラは反社会的な制度である、というような
全く違う内容が書いてあったので
まぁ、この人も不思議な作曲家である。
たぶん、天才ってそういう感じなんでしょうね。
これにて、今年のウィーン・モデルン現代音楽祭は終わり。
以前と違って、普通のコンサートでも
時々は20世紀・21世紀作品を鑑賞する機会も増えて来ているが
集中的に現代音楽に浸れるこのフェスティバルはありがたい。
明日からは、また「伝統的」な音楽に戻るのが
嬉しいような残念なような
複雑な気分の私に
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