トーンキュンストラー管弦楽団 + ペーター・ルチツカ

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    Schloss Grafenegg Wolkenturm 2019年8月31日 19時15分〜21時25分

    Tonkünstler-Orchester Niederösterreich
    ソプラノ Genia Kühmeier
    指揮 Peter Ruzicka

    Peter Ruzicka (*1948)
     «Furioso» für Orchester (2019)
      Uraufführung. Auftragswerk des Grafenegg Festivals

    Richard Strauss (1864-1949)
     «Vier letzte Lieder» für Sopran und Orchester AV 150 (1948)

    Johannes Brahms (1833-1897)
     Symphonie Nr. 4 e-Moll op. 98 (1884/85)

    夏の最後が近づいて来ていて
    最後の暑さで(来週週末はかなり涼しくなるらしい)
    日中は32℃。

    ただ、湿気が50%を切っているので
    あまりじっとりした感じはなくて
    多少早めに到着したグラーフェネックのお庭で
    樹の影のデッキ・チェアを確保して
    コンサート前にウトウトするのは最高の贅沢。

    さて、え〜っと、あの、その、う〜ん。
    音楽評論じゃなくて、批評でもなくて
    私の自分用のメモなので
    しかも私、音感も音楽性も耳も知識もないので
    とんでもない印象なのかもしれないから(前置き・言い訳)

    2日続きでバーミンガム市民交響楽団を聴いちゃったからなぁ・・・
    (あ〜、言いたい事は察して下さい)

    さて、今年のコンポーザー・イン・レジデンスの
    ペーター・ルチツカは
    指揮者とか音楽監督とかの活動は知らないが
    (かなりオーケストラを指揮していらしたようだが
     私は今まで指揮者としてのルチツカは舞台で見た事がない)
    作曲家としてなら、CDまで持っているくらいなので
    まぁ、私好みの作品を作曲する人ではある。

    だから、最初の初演曲が、ものすごく楽しみだった。
    弦の極限まで早いパッセージで始まり
    パーカッションがかなり強調されている。

    予想通りとは言え
    周囲の小声のお喋りが・・・(涙)

    気に入らなくても、何だコレ、と思っても全然構いませんが
    その感情を、演奏中に周囲の友人やら家族やらと
    口頭のコミュニケーションで共有するのはお願いだから止めて(涙)

    この曲だが
    ティーレマンがルチツカと現代音楽について語った際に
    現代に、何故、コンサート序曲がないか、という話になったのが
    契機だったと言う。

    コンサート序曲!!!!!

    先学期、メンデルスゾーンのコンサート序曲のプロゼミで
    序曲の分類やら、コンサート序曲の構成やらと
    じっくり向き合った私には、得意の分野ではないか。
    (かなり思い違いがあるが、そこらへんはまぁ・・・(笑))

    この「コンサート序曲」、演奏時間は15分ほどで
    最初の極限の早いパッセージ(弦楽奏者イジメ?)の部分の後
    リズムが変わって、調が変化した中間部に入り
    最後に、最初の部分の音型の変化型が中心になる。

    FMB(フェリックス・メンデルスゾーン・バルトルディ)の
    コンサート序曲は
    ほとんどの場合はソナタ形式で作曲されているので
    (美しきメルジーネが純粋なソナタ形式ではない、というのは
     私の同僚が論文で書いた)
    私も、中間部の後の、変形モチーフが出て来た時に
    あ、ここが展開部かな?と注意して聴いていたのだが
    展開部にならずに終わってしまったので
    いわゆる3部のリート方式を使っているようだ。

    個人の感想用メモなので
    ヘンな事をごちゃごちゃ言ってますが
    すっ飛ばして無視して下さい。
    慢性中二病なので、ついついこういう事を書きたいのだ(恥)

    こういう曲、好きだわワタシ。
    スコアみたら面白いかも・・・

    今日のトーンキュンストラー・オーケストラ
    舞台に出て来た時に、えっ?という既視感があって
    あれ、もしかしたらオーケストラ間違えたかも?という気分になったのは

    今日のコンサート・マスター、借り物じゃないの!

    それも何故に、ブレゲンツの音楽祭での出稼ぎから戻った
    あのオーケストラのコンサート・マスターを借りてくるわけ?
    (別に個人的恨みとかはございませんが・・・
     あのオーケストラの第一バイ(以下省略))

    さては、リヒャルト・シュトラウスの曲中のバイオリン・ソロを
    オーケストラ・メンバー、誰も弾きたくなかったのか?(邪推)

    ゲニア・キューマイヤーのソプラノで
    最後の4つの歌。
    グラーフェネックの広大な庭園の
    夕暮れの雰囲気には、とても合っている。

    ルチツカの最初のコンサート序曲が
    ほとんど暴力的なエネルギーの爆発だった後

    歳取ったリヒャルト・シュトラウスが
    過去に戻って諦観に至って
    世間から離れて紡ぎ出した
    徹底的に時代に逆らった美しい曲が
    自然の空気に溶けていくのを感じる快感。

    野外音楽堂で音が散ってしまうとは言え
    こういう曲が大自然の空気の中に散っていく、というのは
    かなりオツなものだ。

    幕間の後はブラームスの交響曲4番で
    これも、そろそろ夏の終わり、という時期には合ってる(かも)
    演奏については、何も言わない(察して下さい)

    そりゃ、プロのオーケストラだから
    そこそこの演奏はちゃんとするし
    ブラームスの交響曲シリーズは
    以前のオロスコ=エストラーダの時にも録音したし
    その後の佐渡マエストロの時にも演奏して録音しているので
    オーケストラとしてはお手のものなのだろうが
    あ、これ以上書くと、気分を害する人もいそうなので
    止めておく。

    音楽性ゼロ、感受性ゼロのクラオタは
    こういう曲は頭に入っているので
    頭のチャンネル合わせれば
    少なくとも曲の輪郭くらいは出て来てしまうので

    ライブで聴くとなると
    頭の中よりも、ちょっと違うものを要求したくなっちゃうのだ。
    自分ながら嫌らしい性格である。

    ルチツカのオーケストラの立たせ方も何だかなぁ。
    あのプレイヤーだけを立たせるか?と
    私は驚いたもん。
    (だって、ソロが巧かったかと言うと
     いや、一応、ちゃんと演奏したが
     フレーズの解釈の点で私とは相容れないところが)
    しかも、カーテン・コール2回目で
    またもや同じプレイヤーを立たせて
    プレイヤーが戸惑ってるじゃないの。

    何かオーケストラ内部で政治的絡みでもあるのか、と
    (あいつはうまく立ててやらないといかん・・・とか)
    ついつい邪推してしまった(根性悪です、すみません)

    隣の年配カップルも、かなりのクラオタらしいが
    ちょっとしたミスのところで
    「ほら、ミスった」とか
    演奏中に、コソコソと小声で呟くのは止めて欲しかったわ。
    まぁ、それがクラオタの醍醐味なのかもしれないが(笑)

    太陽が落ちると少し気温も下がり
    夏の夕暮れの中で
    (コオロギの鳴き声はもう私の耳は慣れてしまい
     完璧に無視できるようになった (^^)v)
    リヒャルト・シュトラウスの最後の4つの歌と
    ブラームスの交響曲4番というプログラムの選択は
    雰囲気には、バッチリと合っていた。

    明日もまだ晴れて暑くなりそう。
    例年の国立オペラ座オープン・ハウスで
    バレエのレッスン見てからグラーフェネックに向かう予定の
    懲りない私に
    どうぞ1クリックをお恵み下さい。


    バーミンガム市民交響楽団 + ミルガ・グラジニーテ=ティーラ

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      Schloss Grafenegg Wolkenturm 2019年8月30日 19時15分〜21時30分

      City of Birmingham Symphony Orchestra
      ピアノ Katia Labèque, Marielle Labèque
      指揮 Migra Gražinytė-Tyla

      Ralph Vaughan Williams (1872-1958)
       «Fantasia on a Theme by Thomas Tallis» für Streicher (1910)

      Francis Poulenc (1899-1963)
       Konzert für zwei Klaviere und Orchester d-Moll (1932)

      Maurice Ravel (1875-1937)
       «Ma mère l’Oye. Cing pièces enfantines» für Orchester (1908-10/1911)

      Igor Strawinski (1882-1971)
       Suite aus dem Ballett «Der Feuervogel» (1910/1919)
        Introduktion - Der Feuervogel und sein Tanz - Variation des Feuervogels
         - Der Reigen der Prinzessinnen - Höllertanz des Königs Kaschtschei
         - Wiegenlied - Finale

      日中はむちゃくちゃ暑かったのに
      今日は雷雨にならず、湿気は70%もあって蒸し暑いけれど
      夕方になったら、30℃以下にはなって
      野外音楽堂でのコンサートとなった。

      外から絶え間なく聞こえてくる車のエンジン音がラブリー(ふん・・・)
      時々、鳥の鳴き声とかも入るし、後半はコオロギの大合唱。
      いや、でも、オーストリア人は
      それでも野外で音楽を聴きたいのである。(よくわからん)

      最初のレイフ・ヴォーン・ウィリアムスの曲
      「トマス・タリスの主題による幻想曲」は、弦だけの曲。
      しかも、舞台の下手(しもて)のドアが開いていて
      そのドアの向こう側に、もう1つ、弦楽のアンサンブルが控えている。

      作曲家の出世作だけに、素晴らしい音楽だが
      だが、だが、だが、やっぱり教会音楽っぽいのが苦手だし
      イギリス音楽ちょっと苦手だし(すみません)

      ただ、驚いたのは、野外音楽堂にもかかわらず
      面白い音響効果が感じられた事。

      ドアの向こう側の弦楽アンサンブルとの距離感もあるし
      舞台上のアンサンブルも、ソロの部分になったりするので
      弦楽だけの曲でありながら、その立体感がスゴイ。
      しかも、音響効果としてはベストではない野外音楽堂で
      これだけの立体感が出るというのは
      作曲家がスゴイのか、曲がスゴイのか
      オーケストラがスゴイのか、指揮者がスゴイのか
      私には判断がつかない(というより、全部すごかったりして(笑))

      続いては2台のピアノのための協奏曲。
      ラベック姉妹、緑と紫のビラビラ付きの
      お揃いだけど、ちょっとデザインが違うドレスで登場。

      いや〜、この衣装、洒落てるわ。
      下半身のビラビラが、ロング・ドレスのように見えるが
      実は下はパンツ・スーツで
      (ビラビラだけでパンツ・スーツでなかったら
       ただのパンクというか、そういう衣装を着そうな人もいるな・・・)
      上半身のドレス部分のデザインは微妙に変えてある。
      しかも色合い(1人が緑で、もう1人が紫)が、単純なんだけど綺麗。

      ・・・って、衣装に感心していてどうする(爆)

      プーランクの曲は、もう何でもアリの曲なので
      曲想も、内容も、それに伴う表現も
      目まぐるしく変わるので、まぁ、実に面白い。
      ピアノが打楽器みたいで、スカッとして気持ちが良いし
      第2楽章の、あのシンプルなメロディが本当に美しい。

      ラベック姉妹、やっぱり巧いわ。
      息の合い方も抜群だし
      野外音楽堂で音響が分散するにもかかわらず
      きっちりと音が立って聴こえてくる。
      スカッと爽快で小気味が良い。

      指揮者のグラジニーテ=ティーラの合わせ方も抜群。
      反応が良いし、リズム感が優れていて、これも爽快。

      後半はラヴェルのマ・メール・ロワ。
      うわああ、そこまで極限に音量を下げるか。
      昨日のホールでも感じたけれど
      とことん繊細な表現で
      ラヴェルの細い線を描き出すと同時に
      その多彩な色彩感が半端じゃない。
      透明感のあるパステル色と言ったら、あまりに通俗的だが
      私の乏しい語彙力では、それ以外に表現の仕様がない。

      最後はストラヴィンスキーの「火の鳥」
      ここでも、音量を極限まで絞る。
      それでも聴こえてきちゃうのがスゴイ。

      実に細かいところまで徹底的に作り込んだ火の鳥。
      解像度があまりに高すぎて
      無理やり音量を上げていないので
      音が絶対に団子状態にならず
      各楽器の音が、すべてクリアに聴こえてくる。

      だからかもしれないが
      ある意味、迫力というのはほとんど感じられない。
      「鳥」というよりは「蝶々」じゃないのか?と思ったほど。

      ここまでの細かさって
      ちょっとハーディングの指揮に似ているような気がする。
      徹底的に細かく拘った音楽は
      ただ、ハーディングの音楽が
      時々、どんな大編成でも室内音楽に聴こえるのに対し
      スケール感の喪失はない。

      音が団子にならない解像度で
      各楽器のパートがクリアに聴こえるので
      楽器の持っている音色がダイレクトに伝わってきて
      色彩感が見事なのだが
      時々、この曲で感じる、原色が会場に飛び交っている感じではなくて
      あくまでも理性的な色彩で
      楽器の持つ音色の分析の授業でも受けているような気が
      しないでもない(あくまでも個人的印象です)

      優れた天性のリズム感に加えて
      音を分離する耳が良いんだろうなぁ、この指揮者。

      個人的な好みとしては
      そこまで拘って細かくしなくても
      時々は、えいっ!という勢いで
      音の団子にしても良いんじゃないかと思うが
      (全部が音の団子、という指揮者もいない訳ではない)
      徹底的にスコアを読み込んで
      とことんオーケストラの音の特色を鮮明に出してくるのは
      新鮮な感じがして面白い。

      鬼才と言えばクルレンツィスみたいに言われているけれど
      このグラジニーテ=ティーラも
      ある意味、ものすごい鬼才ではある。

      今まで聴いたのは3回しかないので
      早急な判断は避けたいけれど

      ハーディングがエア・フランスのパイロットに職業替えしても
      同じような徹底的な作り込みをする指揮者が
      ここに居る、と思うと
      それはそれで安心(何を言ってる私?)

      クラシックという世界で
      音楽表現も、出尽くしちゃったか、と思っていたのに

      まだまだ新鮮な才能がどんどん出てくるという事実に
      何だか不思議な気分になる私に
      どうぞ1クリックをお恵み下さい。


      バーミンガム市民交響楽団 + ミルガ・グラジニーテ=ティーラ

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        Schloss Grafenegg Auditorium 2019年8月29日 20時〜22時

        City of Birmingham Symphony Orchestra
        ソプラノ Christiane Karg
        指揮 Migra Gražinytė-Tyla

        Oliver Knussen (1952-2018)
         «The Way to Castle Yonder» Pot-Pourri für Orchester
          aus der Oper «Higglety Pigglety Pop!» op. 21a (1990)

        Benjamin Britten (1913-1976)
         «Quartre Chansons françaises» für Sopran und Orchester (1928)

        Gustav Mahler (1860-1911)
         Symphonie Nr. 4 G-Dur (1899-1901)

        午前中のラテン語速習コースの後
        歌のレッスンに行って、直接グラーフェネックまで車を運転している最中に
        雷雨と大雨で、あぁ、こりゃ野外は無理だわ、と思っていたら

        曲目解説(すみません、ぐっすり寝てました)の後
        みんな、ゾロゾロと野外会場に向かっている。
        え〜っ、あの大雨の後、椅子も濡れているだろうし
        地面も芝生も、ぐっしょりなのに野外音楽堂?

        仕方なく車に戻って
        椅子のクッションやらコートやらのバッグを出して
        庭を通って会場に着いたとたん
        またもや、雨がパラパラ。
        本日の会場は屋内ホールに変更です、とアナウンス。

        野外からティンパニやらコントラバスやらを運んで
        ホールのセッティングをするのに時間がかかり
        本来は19時15分からのコンサートの開始は20時になった。

        バーミンガム市交響楽団が
        2016年から常任になったミルガ・グラジニーテ=ティーラと出演。

        ミルガ・グラジニーテ=ティーラとバーミンガムは
        2018年4月4日に楽友協会で聴いて、鮮烈な印象が残っている。


        最初は昨年66歳で亡くなったオリヴァー・ナッセンの子供のオペラ
        ヒグレッティ・ピグレッティ・ポップ!からのメドレー。
        子供のオペラとは言え
        ばっちり現代音楽である。
        でも、リズムもメロディも楽しくて面白い。

        ただ、この曲、やっぱり予習が必要だったかも(汗)
        どうも私はイギリス音楽が苦手なんだよなぁ。

        同じくベンジャミン・ブリテンも
        多少はドアが開いたような気はするけれど
        すごく好き、という作曲家ではないし

        それに、このフランス語の4つのリートって
        ブリテンが15歳の時に作曲したもので
        ううう、やっぱり天才って違う、とは思うけれど
        後々のブリテンに特有な個性がまだなくて
        様々な現代音楽の技法を試している、という感じがする。

        クリスティアーネ・カルクのソプラノは素晴らしい。
        この人、本当に美声だし
        ソプラノに有り勝ちなヒステリックなところが全くなくて
        無理のない透き通ったバランスの良い声が心地良い。
        (ああいう声って、訓練もあるけれど
         やっぱり生まれつきの身体の造りが違うのよ、うん)

        後半はマーラーの交響曲4番。
        これは、よ〜く知っている曲なので
        自分の中でも様々な演奏と比べる事が出来るのだが

        うわああああ
        グラジニーテ=ティーラって

        とんでもなくセンスが良い・・・

        としか言えないわ。

        細かい部分を一つ一つ記述なんて私には出来ないし
        (所詮はシロウトですから)
        思いがけないメロディ・ラインが出てくる、というのは
        マーラーの曲ではしょっちゅうある事なのだが

        曲の解像度が良くて
        ヘンなタメやら、奇妙な強調とか全くなくて
        全体的に軽めの作りになっているけれど
        音楽の部分部分が、ものすごく活き活きしていて
        音の透明感がスゴイ。

        第1楽章の最後の部分のあの美しさって何なの。
        衒いも気負いもなく
        あれだけ自然に、あの優しさと美しさを強調してしまって
        それでも聴いている方に気恥ずかしさを感じさせない。

        第2楽章のコンマスのソロも素晴らしかった。
        (ちゃんとバイオリン変えてます(笑))
        諧謔的で皮肉っぽい曲想が前面に出て来そうな楽章なのだが
        徹底的に音楽に徹して
        マーラーの曲の持っている毒は、あまり出て来ない印象。

        第1楽章で息を飲んだ「美しさ」は
        第3楽章で、ある意味、頂点に達する。

        あっさりして、思い入れがあるようには聴こえないのだが
        オーケストラの音色の透明感に彩られた
        あの甘いメロディが

        単純な甘さだけではなく
        浄化された天国的なミステリアスで彼岸的ニュアンスで
        なんだかもう、心の奥底まで
        柔らかな手を突っ込まれて
        とことん優しく撫でられているような気分になる。

        せわしいフレーズと
        牧歌的なソプラノが交差する最終楽章。
        カルクのソプラノ、ますます美しい。
        オーケストラの解像度もクリアさも比類がない。

        アゴーギクのセンスの良さには最初から最後まで唸りっぱなし。
        この上なく繊細なピアニッシモの響きに包まれて
        消え入るようなラストのあまりの美しさに
        失神しそうな気分。

        ネルソンスの時は熱血漢的サウンドだった記憶があるのだが
        (もちろん偏見と独断ではある)
        グラジニーテ=ティーラの指揮だと
        オーケストラの音が、もっと繊細でニュアンスが豊かになる(ような気がする)

        あれだけ聴き慣れた筈のマーラーの交響曲4番の
        あまりの透明さと美しさにノック・アウト。

        その分、皮肉やらイヤミやらの様相はあまり見えないが
        もともと、あの曲は皮肉や矛盾を内包しているので
        演奏でそれを強調しなくても
        曲そのものが醸し出す、京都風なイケズ風味は充分に出てくる。
        (ヘイト・スピーチではございません。
         京都のイケズは、それはそれで高く評価しております)

        しかしまぁ、あんなに「音楽」を素直に出して
        しかも、そのセンスの良さで、ばっちり聴かせてしまう
        グラジニーテ=ティーラの音楽性には脱帽。

        上の客席から平土間を見ていると
        演奏中もずっとラインをやってスマホのライトを付けていた人がいたり
        第2楽章と第3楽章の間で
        携帯のベルを、かなり長く鳴らした人が居たけれど
        いや〜、楽章間で良かった。
        (実は演奏中も一回、携帯鳴らした人がいたが
         フォルテのところだったし、割にすぐに切ったので目立たなかった)

        比較的安い席に空き席が多かったものの
        ウィーンからの年配クラオタも多かったようで
        小声でのお喋りも少なかったし(なかったワケではない)
        床に何か落とす音もちょっとしかなかったし
        (うたた寝して持ってるスマホを床に落とすケース)

        それでも、外からのオートバイの爆音とか
        飛行機の音とか
        絶え間ないコオロギの鳴き声とかなしに

        あの透明感のある、とことん美しいピアニッシモの
        オーケストラの音を堪能できたのは嬉しい。

        明日は別プログラムなのだが
        また雨にならないかなぁ・・・
        と、とんでもない事を考えている私に
        どうぞ1クリックをお恵み下さい。



        最近、オーストリアのラジオ放送の
        ラジオ・コレークで、音楽批評の特集をしていて
        ブログによる書き散らかしについても言及があったのだが
        私は音楽批評はしてないし
        あくまでも個人的主観の印象メモだし
        読者の数も少ないのでお許しあれ(笑)

        上海交響楽団 + 余隆

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          Schloss Grafenegg Wolkenturm 2019年8月25日 19時30分〜21時40分

          Shanghai Symphony Orchestra
          バイオリン Frank Peter Zimmermann
          指揮 Long Yu (余隆)

          Qigang Chen (陳某鋼)(*1951)
           «Wu xing» «Die fünf Elemente» (五行)für Orchester (1998)
          Sergej Prokofjew (1891-1953)
           Konzert für Violine und Orchester Nr. 1 D-Dur op. 19 (1915/17)
          Sergej Rachmaninow (1873-1943)
           Symphonische Tänze op. 45 (1940)

          不勉強で申し訳ないのだが
          中国のオーケストラって、今までライブで聴いた事がなかった。
          今日のコンサートは、昨日や昨々日に比べると
          3分の2以下の観客数で、かなり空き席が目立ったんだけど
          プログラムが地味だから?(笑)← 全然地味じゃないと思うが。

          陳某鋼は中国出身の作曲家だか
          メシアンの最後の弟子で、フランス国籍を取ってフランス在住。
          今回の「五行」という曲、探したらインターネットにあったので
          予習のつもりで聴いたのだが
          雑音は多いし、音は不鮮明だし
          う〜ん・・・確かに現代音楽っぽい響きはするけれど
          よくわからん。

          ところがこれがライブで聴いたら
          全然違う!!!!!

          音の繊細さ、クリアさ、解像度に加えて
          音にものすごい色彩がある。

          フランスで学んだという事がはっきりわかる
          フランス風の色彩の洪水で
          日本で言えば武満徹風の色彩感から
          日本風のウエットさを取り除いて
          純粋な音楽だけにしたような感じ。
          感情とかではなくて
          自然そのものの雄々しさを音楽で表現しているような印象の曲。

          あ〜、だから音楽ってライブで聴かなきゃ意味がないんだわ。
          もっとも、周囲の小声のお喋りが今日は特にひどくて
          あの繊細な音の構築の中に、ひそひそ声が頻繁に混じると
          気が散って(第一、音のバランスが崩れる!)困ったのだが
          まぁ、それ言ったら
          外から聞こえる車のエンジン音やオートバイの爆音
          小型飛行機の騒音とかもあって
          小声のお喋りも、野外コンサートの醍醐味と言えない事もない(やけっぱち)

          プロコフィエフのバイオリン協奏曲1番。
          ロマンティックな第1楽章に
          超絶技巧の第2楽章。
          むちゃくちゃ高音が多い上に
          弾きっぱなしのバイオリニスト。

          ツィンマーマンのバイオリン、巧い。
          いや、プロだから巧くて当たり前・・・とも言えるけれど
          あれだけ弾きっぱなしの超絶技巧で
          しかも、ヘンなタメとかないのに
          なんだかとってもロマンチックで優しい。

          プロコフィエフって聴いていて楽しい作曲家なのに
          一部の曲のみが超有名で
          (ペーターと狼、ロメオとジュリエット・・・)
          他の曲を聴くチャンスが少ないのが難点だが
          バイオリニストいじめみたいな難曲を書いて
          ウハウハする人だったのかしら(妄想気味)

          この曲、バイオリンのソロの時に
          第一バイオリンが弾かないという箇所が結構あるのだが
          コンサート・マスターが
          ものすご〜〜〜〜く真剣な顔で
          ツィンマーマンの弾き方を、じ〜〜っと観察していたのが面白かった。

          この難曲を弾き終えた後
          マイクに向かって
          アンコール聴きたいですか?(笑)
          この音楽祭の音楽監督のブッフビンダー氏は
          美しき青きドナウのピアノ編曲版を作っていらっしゃるのですが
          (確か「ウィーンの夜会」という曲で、ウィンナー・ワルツの現代音楽版の
           素晴らしいピアノ超絶技巧の名曲である)
          残念ながら、バイオリンのバージョンがありません。
          ただ、最近、僕はパガニーニの新しい曲を発見したばかりなので
          このパガニーニのバリエーションを弾きます。

          うおおおおお、パガニーニの超・超絶技巧かよ・・・
          この間のチャイコフスキー・コンクール第1位のバイオリニストに
          ライバル意識を燃やしているとしか思えん(妄想中)

          いやしかし、あそこまでやられたら
          フランツ・リストが、えらく感激して
          テクニック重視の方向に走っちゃったのもわかるし
          ほとんどサーカスの世界というか
          人間技を越えた世界というか

          横で真剣な顔で見ている
          コンサート・マスター氏の顔が
          だんだん引きつって来て
          眉間のシワがどんどん深くなってるし
          (何を見てるワタシ)

          プロコフィエフにパガニーニという
          バイオリニスト超絶技巧の曲を弾いた後で

          ではもう1曲、今度は静かな曲を、と
          バルトークとか弾きだすバイオリニストって・・・(唖然)

          この曲はコンマス氏も(ジッとは見ていたけれど)
          やっとライバル意識丸出しにせずに楽しんでいた模様(だから妄想)

          いや〜、今日のコンサート、面白い。
          昨日みたいな名曲アワーのコンフォート・ゾーンじゃなくて
          なんかもう、プレイヤーの中に溢れる
          競争心という名の火花みたいなものが見える(妄想)

          後半はラフマニノフの交響的舞曲。
          この曲を後半のメインに持って来るのは珍しい。
          でも、名曲だよねぇ・・・(好きですワタシ)

          ティンパニのおじさんの動きが面白くて
          目が離せない。
          パーフォーマンスっぽくて
          (意識してやってるとは思わないが)
          ほとんど踊りになってる(笑)
          こういうプレイヤーって実は好み ♡

          サクソフォンのソロも見事だったし
          会場が野外だから
          どんなに金管が咆哮しても、全然平気。

          で、途中にコンサート・マスターのバイオリン・ソロがある。
          おおおおおっ!!!
          このコンサート・マスター、むちゃ巧い。
          やっぱり、ソリストの奏法を、じ〜っと観察しているだけのことはある。
          (それが巧さの秘訣とか言うのではないと思うが
           熱心な事は良い事だ)

          まぁ、こういう名曲は
          どこのプロオーケストラでも、高い水準で仕上げてくる。
          各所のソロも、しっかり聴かせてくれたし
          アンサンブルもきっちり構成されていて危なげがない。
          怒りの日のモチーフは、あまり不気味には聴こえなかったけれど
          全体的に、泣き節というよりは
          音楽そのものの要素を前面に出した印象を受ける。

          アンコールで、中国のペンタトニックを使った
          弦だけのアンサンブルの曲を演奏。

          またもや周囲が小声のお喋り大会と化す。
          良いじゃん、中国のオーケストラだし
          中国のペンタトニックの曲を持って来るって
          別に不思議な事ではないと思うぞ。

          いやしかし
          このオーケストラのバイオリンのアンサンブルの緻密さと
          音色の統一感には舌を巻いた。
          やっぱりコンマスが熱心だから?
          かどうかはわからないが
          第一バイオリンの演奏が
          まるで1台のバイオリンのような
          全く歪みのない音で聴こえて来たのには驚いた。

          外来オーケストラが来る場合
          アンコールには
          ゲストで来る国の曲を演奏して
          聴衆をノセるタイプのオーケストラと
          自国の曲を持ってくるタイプがあるが

          中国って、やっぱり歴史が長いし
          高い文化があるから
          演奏するなら、中国音楽ですよね(笑)

          いや〜、色々な意味で楽しいコンサートだった。
          これにて連日4回の
          グラーフェネック往復は、今週は終わり。

          来週も、せっせとグラーフェネック通いを予定している私に
          どうぞ1クリックをお恵み下さい。



          来週はまた暑さがぶり返すような予報だが
          基本的に8月初旬で夏は終わった感じ。
          ただ、雷雨が結構あるので、湿度が高いのが
          ちょっと日本みたい・・・

          マリイインキー管弦楽団 + ルドルフ・ブッフビンダー

          0
            Schloss Grafenegg Wolkenturm 2019年8月24日 19時30分〜21時50分

            Mariinsky Orchester St. Petersburg
            ピアノと指揮 Rudolf Buchbinder
            コーラス Wiener Singverein
            ソプラノ Maja Tumpej, Petra Weinmaier
            アルト Anastazja Fischer
            テノール Wolfgang Adler, Norbert Wachter
            バス Bernhard Schuh

            Wolfgang Amadeus Mozart (1756-1791)
             Konzert für Klavier und Orchester d-Moll KV 466 (1785)

            Ludwig van Beethoven (1770-1827)
             Konzert für Klavier und Orchester Nr. 3 c-Moll op. 37 (1800/03)
             Fantasie für Klavier, Chor und Orchester op. 80 (1808)

            マリイインスキー・オーケストラは残ったけれど
            今日は、この音楽祭の総監督、大御所のルドルフ・ブッフビンダーが
            ピアノの弾き振りでモーツァルトとベートーベン。

            モーツァルトのピアノ協奏曲20番と
            ベートーベンのピアノ協奏曲3番って
            まぁ、名曲アワーには違いないんだけど
            どちらも短調って、どういう選択なんだ・・・
            (単純な私は、短調の曲がむちゃくちゃ苦手)

            音楽のセンスがゼロで
            感受性が限りなくゼロに近い私なので
            あぁ、聴衆にもマンネリってあるんだなぁ・・・と
            つくづく思った(すみません)
            この2曲、今まで私の人生で何回聴いたんだか・・・
            ベートーベンのピアノ協奏曲3番の1楽章なんかは
            トチ狂った先生が、私が中学2年の時に、私に楽譜を渡して
            先生がオーケストラ・パートで、発表会で弾いた事まである。
            (弾ける実力は当時もなかったし、今も全くない。
             しかも最後のスケール左手間違えてオクターブ一つ下で弾いちゃったし)

            オーケストラもピアニストも
            言ってみれば、いわゆるコンフォート・ゾーンなので
            危なげなく落ち着いた
            この上なく正統なクラシックを聴かせてはくれるのだが
            あまりに正統過ぎて、あまりに端正すぎて
            何だかもう、全然面白くない。

            いや、演奏する芸術家にとっては
            音楽的に高い曲の演奏というのは
            どんなに弾きなれた曲であっても
            一つ一つが真剣勝負なんだろうけど
            こちらは感受性ゼロなので(すみません、そういう人がコンサートに来てて)
            いったん頭の中に入った曲で
            あまり好きじゃない、というものは
            正直言って、どうでも良い(あ〜、言っちゃった(汗))

            何回か聴いてはいるけれど
            暗記するほどではない合唱幻想曲。

            コーラスは楽友協会合唱団で
            これは実力はお墨付き。
            100人の大編成で
            ソリストはコーラスのメンバー。

            まぁ、ブッフビンダーのピアノはよく響くし
            タッチは強いし、クリアだし、端正だし
            変なデフォルメもかけて来ないので
            如何にもベートーベンらしいベートーベン。

            ソロは・・・
            あ〜、やっぱりコーラスのメンバーなので(以下省略)
            プロの歌手と比べると、こんなに違うんだ、う〜ん・・・

            アンコールで合唱部分だけを繰り返した時には
            ソリストが前より声が出ていて(笑)
            まぁ、確かに、コーラスとソロになる前の數十分を
            声出しもせずに舞台に待機していて
            突然のソロだと、声は出ないよねぇ。

            まぁ、今のシーズン、このグラーフェネックしかコンサートないし。
            周囲も常連さんっぽい人ばっかりで
            (もちろん全員、ご年配である)
            車を出す時も、常連が多いと裏道を熟知している人も結構居て
            あまりモタモタする人がいない(笑)

            今日もコンサート前に
            隣の年配カップルが、前の年配カップルと
            クルレンツィスについて、かなりディープな議論をしていた。
            私も常連だし、しかも一人で来ているし(一人の人は非常に珍しい)
            日本人だから目立つとは思うんだけど
            話し掛けるなオーラを出しまくってるからなぁ。
            というか、やっぱりヨーロッパってカップルの世界だなぁ、というのが
            こういう音楽祭に来ると、よ〜くわかる。

            以前、お一人さまについて記事を書いた事があるけれど
            日本の方がお一人さまについては寛容だと思うよ。
            ヨーロッパは、ある程度の歳を取った人が
            カップルではない、というのは
            かなり特異なケースで目立つし
            社会に入れてもらえない。

            実はクルレンツィスの議論に入れて貰えなかったのが
            ちょっと悔しいのかもしれないが(笑)

            明日の夜はルツェルン音楽祭の後に
            グラーフェネックに客演する
            初聴きの上海交響楽団で
            陳某鋼の「五行」の演奏があるのが楽しみな私に
            どうぞ1クリックをお恵み下さい。


            マリイインキー管弦楽団 + ゲルギエフ

            0
              Schloss Grafenegg Wolkenturm 2019年8月23日 19時30分〜22時10分

              Mariinsky Orchester St. Petersburg
              バイオリン Sergey Dogadin
              指揮 Valery Gergiev

              Claude Debussy (1862-1918)
               «Prélude à l’après-midi d’un faune» (1894)

              Pjotr Iljitsch Tschaikowski (1840-1893)
               Konzert für Violine und Orchester D-Dur op. 35 (1878)
               Symphonie Nr. 6 h-Moll op. 74 «Pathétique» (1893)

              2019年のチャイコフスキー・コンクールのバイオリン優勝者
              セルゲイ・ドガディンを迎えて
              ゲルギエフがマリイインスキー管弦楽団とのコンサート。
              チケットは芝生席に至るまで売り切れ。

              観客は・・・いや、本当に年配ばかり。
              正直、老人ホームの会合としか思えない様相を呈しているのだが
              私だって2年前からは、立派に、お達者倶楽部の会員資格を有したので
              あまり人の事は言えない(汗)

              マリイインスキー・オーケストラのメンバーの中で
              際立って目に飛び込んでくるコンサート・マスター。
              立派な二重アゴで
              ライオンの鬣というか
              ハイドン時代のカツラの 失敗作 特注品のような髪型で
              ニコニコしながら登場。
              携帯電話呼び出し音が会場に響くと(携帯電話切って下さいの合図)
              自分のポケットを探すというチャーミングさ(爆笑)

              ただ、このコンサート・マスター
              本当にゲルギエフの指揮を完璧に熟知しているというか
              こういう人が居てオーケストラを率いているというのは
              素晴らしい事なのではないか、と演奏聴きながら思ったりする。
              (シロウトなので、本当のところは不明)

              最初の曲がドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」で
              その後がチャイコフスキーというのは
              いったいどういうプログラム構成なのか、私にはよくわからんが

              広大な庭園の中の野外会場で
              夕暮れに聴く「牧神の午後への前奏曲」

              なんという遅いテンポ・・・(絶句)
              フルート大変、オーボエも大変、ホルンなんかもっと大変。
              ゲネラル・パウゼもむちゃくちゃ長い。
              外の道路から車の騒音が聞こえてくるが・・・

              本来であれば、大自然に囲まれて
              牧神の世界の優雅さを味わうべき曲なのだろうし
              ゲルギエフは、徹底的にテンポを落として
              しつこいくらいロマンティックに演奏しているのだが
              牧神の世界って、そう清潔に美しいものではなくて
              きっとゴミもあったし、獣の匂いなんかが凄かったんだろうな
              とか考えてしまうのは
              外から聞こえてくる車の爆音が悪い(断言)

              さて、今年のチャイコフスキー・コンクール
              バイオリン部門1位のセルゲイ・ドガディンは1988年生まれ。
              2011年22歳の時に、1位なしの2位に選ばれているのだが
              30歳にて、もう一度出て、念願の1位を射止めた人。
              (審査員の先生に師事したらしい。割にしつこいタイプか?(笑))

              真っ赤なほっぺたの、比較的がっしりした男性だが
              この人の音色の多彩さと言ったら(絶句)

              第1楽章のテクニックに、まずは唖然。
              カデンツァの高音の素晴らしさに息を飲んでいる時に
              芝生席にいる子供が泣き出して
              親があやしたりしている声が響き渡ったのも
              空の上で、小型飛行機が爆音を撒き散らしながら飛んでいったのも
              野外コンサートならではの醍醐味(やけっぱち)

              盛大な拍手が起こった後の
              第2楽章のバイオリンの音が
              第1楽章と全く違うので、椅子からずり落ちそうになった。
              音の色が全然違うのだ。
              ちょっと曇ったような、柔らかい音色で奏でられる
              この上なく甘美なメロディ。
              えええええっ、この人、同じバイオリンを弾いてるよね?
              何故、そんなに音が変わるんですか???

              第3楽章は音の明るさが戻って
              確実なテクニックに、クリアな音色で小気味良い演奏。

              アンコールがこれまた超絶技巧で
              ボウを動かしながら左指でのピチカートとか
              高音の澄んだフラジョレットとか
              度肝を抜かれるテクニック満載なのに
              ものすごく音楽的に響く。

              私はシロウトだから全くわからないけれど
              きっとボーイングのテクニックが卓越しているんだろうなぁ。
              たった1つのバイオリンで
              あれだけ多彩な色が出たら、面白いだろうなぁ・・・

              バイオリン協奏曲の第1楽章の後で
              盛大な拍手が起こったので
              後半のチャイコフスキーの「悲愴」での
              楽章間拍手は、まぁ、もう仕方ないわ、と
              最初から諦め切っていたのだが

              民族衣装ディルンドルやトラハテンをお召しになった
              オーストリアの年配の紳士淑女の皆さまを
              侮ってはいけなかった・・・
              第3楽章の後に
              芝生席から若い声でブラボー・コールに拍手があったけれど
              すぐに周囲からシッ!と窘められて
              客席からは楽章間拍手は全くなし(すごい)

              まぁ、ゲルギエフが第3楽章と第4楽章を
              ほとんどアタッカで繋げた、というのはあるのだが。
              (舞台を見ていたら、指揮者がそのまま振り続けているのはわかる)

              で、このチャイコフスキーの交響曲6番。
              またもや、テンポが遅い。
              ものすごく遅い。
              気味が悪くなるほど遅い。

              その分、ロシアっぽい暗さに満ちた
              ドラマチックな要素が際立つ。
              丁寧に丁寧に描き出されるメロディ・ライン。

              クラリネットの消え入るようなソロの後の爆発は
              テンポを思い切り上げて対比を明確に打ち出してくる。

              遅いところは徹底的に遅く
              速いところは徹底的に速く、というのは
              指揮者あるあるネタだと思うのだが
              ことゲルギエフの手にかかると
              これがイヤミにならず
              しっとりさを保ちながら
              徹底的に雄弁に、劇的に語りかけて来るのは何故なんだ。

              あんなにゆっくりなテンポで演奏されているのに
              緊張感は増すだけで全く失われず
              中間部のドラマも相まって
              呼吸もできなくなりそうな緊迫感のある第1楽章の後

              第2楽章のワルツは
              今度は、まったくタメがなくて
              あっさりとインテンポで流すところが、これまたニクい演出。
              あのしつこい第1楽章と全く違うので、びっくりする。

              ワルツも、ウインナー・ワルツではない。
              では帝政ロシアのとことん優美なワルツかと言うと
              (ムーティさまとウィーン・フィルは正に優雅なワルツだった)
              ヨーロッパ的貴族社会の優雅さからは一歩離れて
              ちょっと田舎的な響きが聴こえてくるという芸の細かさ。

              第3楽章の盛り上げ方は、かなり華やかで
              リズムの乗り方が気持ち良いし
              オーケストラ・メンバーの音の刻みも
              揃っていて見事。

              野外だと、トロンボーンとかが咆哮しても
              まぁ、カッコいいというか
              シンバルを鳴らせた後に
              シンバルを上に移動させて、左右に開けるって
              何だか新興宗教の妖しげな儀式みたいに見えるけれど(笑)
              舞台上のパーフォーマンスとしては、かなり目立つ。
              音響的にもシンバルの響きが会場に満遍なく散って素晴らしい。

              最小の拍手のフライングでアタッカで続けた最終楽章。

              あ〜、もう、こういうロシア的な嘆きというか
              やるせない思いの泣き節って
              ロシアのオーケストラでなければ出ないわ(断言)

              特に、例のコンサート・マスターが率いる
              第1バイオリンの「泣き節」は
              もう、もう、見事すぎる。
              あそこまで、泣いて泣いて泣いて
              それでもイヤミにならないって
              ロシアのオーケストラしか出来ない芸当だろう、たぶん。

              第1楽章と同じく、いやそれ以上に遅いテンポで
              徹底的に泣かせるメロディ。
              途中の長調部分の透明な、まるで空想の中の
              儚い幸せみたいな部分の美しさって
              まるでこの世のものではないような印象。

              じっくり、じっくり、音の一つ一つを歌わせて
              泣かせて、嘆かせて、諦観に至って
              最後は・・・やっぱり「死」の静けさまで

              クラリネットとコントラバスの最後の音が消えてからも
              ゲルギエフ、感極まって固まってしまって

              指揮者が固まっているので
              観客も、周囲で小声で「終わったんだよね?」とかは言ってるけれど
              なかなか拍手しづらくて

              いったいゲルギエフ、いつまで固まってるんだ?
              ・・・と思ったのは
              聴衆だけではなかったようで

              指揮者じゃなくて、例のコンサート・マスターが
              まずは身体の緊張を解いた。
              これで、客席からは拍手の嵐(笑)
              (コンサート・マスター氏、ありがとう(爆笑))

              あまりに最初から最後までの緊張感が凄すぎて
              もうチャイコフスキーでお腹一杯・・・という感じ。
              ロシア的に「しつこい」ドラマチックな泣き節が
              最後は不気味な地下の深いところまで
              とんでもない世界に連れて行かれたという感じ。

              ゲルギエフの指揮棒は
              たぶん、絶対に「指揮棒」じゃないんだけど
              長さとしては
              今まで私が見たなかで最大の長さで
              日本で言えば菜箸くらい。
              普通の指揮者が普通に使っている指揮棒と
              長さはほとんど変わりない。
              (でも、あれ、絶対指揮棒じゃない。
               本当に菜箸だったりして(笑))

              どんなに指揮棒を持っても
              やっぱり、この人の指揮って、ま〜ったくわからないのだが
              (後ろから見ていてもアインザッツずれてるし)
              それでもああいう音楽が出来ちゃうって
              指揮者がすごいのかオーケストラがすごいのか
              両方ともすごいんだろうな、きっと(笑)

              このコンサート、シリーズの中でも
              最も高いチケットの一つだったのだが
              あれだけ密度の高いチャイコフスキーを聴かせてくれたら
              高いチケットもガソリン代も
              充分にペイした、と
              ものすごく満足している私に
              どうぞ1クリックをお恵み下さい。



              トーンキュンストラー + ドミトリー・リス

              0
                Schloss Grafenegg Wolkenturm 2019年8月22日 19時30分〜21時30分

                Tonkünstler-Orchester Niederösterreich
                バイオリン Baiba Skride
                指揮 Dmitry Liss

                Olga Viktorova (*1960)
                 „Qinglong - Azure Dragon“ für Symphonieorchester (2012)

                Ludwig van Beethoven (1770-1827)
                 Konzert für Viline und Orchester D-Dur op. 61 (1806)

                Dmitri Schostakowitsch (1906-1975)
                 Symphonie Nr. 6 h-Moll op. 54 (1939)

                グラーフェネック夏の音楽祭
                これからせっせと木・金・土・日と通う予定で
                みんなから、グラーフェネックの近くに宿泊するの?と聞かれるが
                いえいえ、毎日ウィーンからドライブします。
                (環境には悪いのは承知なんですが・・・(・・;)

                お久し振りのトーンキュンストラー。
                指揮はロシア人のドミトリー・リス。
                ウラル交響楽団とかロシア・ナショナル管弦楽団とかで指揮しているらしい。
                1960年生まれなので、中堅指揮者と言う感じか。

                18時30分に到着して庭でデッキ・チェアに寝転んでいたら
                リハーサルしていて、ベートーベンとかショスタコーヴィッチが聞こえて来た。
                19時少し過ぎまでリハーサルして、19時30分からコンサート。

                最初の曲がウクライナ生まれの作曲家オルガ・ヴィクトローヴァの作品。
                この作曲家も指揮者と同じ歳。
                曲のテーマが、中国の青龍で
                プログラムの記載によれば、中国では
                東に青龍、北に黒亀、西が白虎で南が赤鳥なのだそうで
                青龍は7つの住処を持ち
                ツノ・背中・根っこ・家・心臓・尻尾・千歯扱
                ・・・と書いてあるのだが、よくわからん。

                でも、この曲、面白い。
                比較的わかりやすい一定のリズムで
                割にわかりやすいモチーフが演奏されて
                7つの部分に分かれているようなのだが
                曲想の変化が、やっぱりわかりやすい。

                ただ、一応これ、現代音楽なので
                あまりわかりやすい調性はなくて
                演奏始まったとたんに、あちこちから聞こえる小声でのお喋り(笑)
                途中で飽きてスマホ出してラインをチェックしたり
                自撮りしたりしている母と娘らしき二人連れが前にいたし
                まぁ、ベートーベン目当てとか
                今日はクラシックのコンサートよ、うっふん、という人には
                がっかりだったかもしれないのだが

                この曲、ゲーム音楽として聞いてみたら
                もっと面白く鑑賞できるのに(笑)
                ・・・と言ってしまったら、作曲家には非常に失礼に当たるだろうが
                ちょっと映画音楽っぽいし、ゲーム音楽としても使えそうで
                それだけ、視覚に訴える面白さがある。

                オーケストレーションもかなり厚みがあるし
                表情は豊かだし、テンポが速くてノリノリだし
                リズムもはっきり聴こえるので、退屈しないのである。

                作曲家も来ていて舞台に上がっていた。
                ウクライナの作曲家が中国のテーマというのも面白いが
                中国の音楽に特有のペンタトニックはほとんど使っていなくて
                (ほんの一部だけ出て来たが)
                プログラムによればトリトノスも使っていて
                アルカイックな雰囲気とか書かれていたが
                そこまで神秘的な感じは受けなかったなぁ。
                まぁ、好みの問題だが。

                バイオリニストのバイバ・スクリーデは
                よくオーストリアで演奏するので
                調べてみたら2010年10月が最初で
                (2008年以前は記事が消えたので、その前はわからない)
                今まで全部で7回聴いている。

                ワタクシ的には、あまり好きなバイオリニストではなくて
                泣き女というか、泣き節というか、そういうイメージが強かったけれど
                今回のベートーベンは
                比較的ベートーベンらしい(私見ですっ!)感じに聴こえて来た。

                ヘンなタメとか音の伸び縮みとかがなくなって
                無用なものを落としたシンプルな形になって来た、という印象。
                気負いがなくなった感じがする。
                以前に強く感じた「見ろ見ろ聴け聴け」感が落ちて
                音楽に素直な演奏になって来ているみたい。

                しかしこの曲の2楽章の
                オーケストラの弦楽器の音色の美しさには唸った。
                さすがオーストリアのオーケストラで
                ベートーベンは熟知している、という感じ。

                グラーフェネック名物の第一楽章終わっての拍手はあったけれど
                もう最近、こういうのは仕方ないと思っているので(笑)
                それはそれで良しとしよう。

                ショスタコーヴィッチの交響曲6番。
                これ、第1楽章が長くて陰鬱なのだが
                ロシアの指揮者なのに
                あまりねっとりするところがなくて
                比較的あっさりと、解像度の高い演奏になっている。

                ただ、さすがに、あのピアニッシモの中間部は
                大自然の中で、既に太陽は落ちて暗くなっている中で
                ああいう演奏を聴くと
                ちょっと、ゾッとするような闇に落ちる気分。
                ホルンのソロまでの数分間が
                まるでお化け屋敷のような感じで
                結構スリル満点だった。

                まぁ、正直言って
                ウィーンからガソリン代使って
                比較的高い(悪天候の時にはホールに席がある)チケットを買って
                わざわざ行くだけの価値があったかどうか、と聞かれると
                かなり微妙ではあるのだが。
                (ショスタコーヴィッチ、やっぱり木管が(以下省略))

                まぁでも、(多分)少ないリハーサル時間で
                あそこまで仕上げてくれれば
                やっぱりプロのオーケストラではある。

                という微妙な感想でお茶を濁す私に
                どうぞ1クリックをお恵み下さい。


                マウロ・ペーター + ヘルムート・ドイチュ

                0
                  Mozarteum Salzburg Großer Saal 2019年8月20日 19時30分〜21時25分

                  テノール Mauro Peter
                  ピアノ Helmut Deutsch

                  Franz Schubert (1797-1828)

                  Ganymed D 544 (1817)
                  Sehnsucht D 123 (1814)
                  Rastlose Liebe D 138 (1815)
                  Meeres Stille D 216 (1815)
                  Wandrers Nachtlied II D 768 (1824)
                  Der Fischer D 225 (1815)
                  Der König in Thule D 367 (1816)
                  Erlkönig D 328 (1815)
                  Erster Verlust D 226 (1815)
                  Versunken D 715 (1821)
                  Geheimes D 719 (1821)
                  An die Entfernte D 765 (1822)
                  Wilkommen und Abschied D 767 (1822)

                  Richard Strauss (1864-1949)

                  Heimliche Aufforderung op. 27/3 (1894)
                  Wozu noch, Mädchen op. 19/1 (1888)
                  Breit’ über mein Haupt op. 19/2 (1888)
                  Traum durch die Dämmerung op. 29/1 (1895)
                  Ich liebe dich op. 37/2 (1898)
                  Mädchenblumen op. 22 (1888)
                   1. Kornblumen
                   2. Mohnblumen
                   3. Efeu
                   4. Wasserrose
                  Ständchen op. 17/2 (1886)
                  Liebeshymnus op. 32/3 (1896)
                  Ich trage meine Minne op. 32/1 (1896)
                  Freundliche Vision op. 48/1 (1900)
                  Wie sollen wir geheim sie halten op. 19/4 (1888)

                  スイスのテノール、マウロ・ペーターを初めて聴いたのは
                  2013年7月27日のグラーフェネックの前座のコンサートで
                  あまりの声の清らかさとディクテーションの美しさにひっくり返って
                  それ以降、私の体力と財力のある限りの追い掛けをしている。

                  いやはや、何と清潔感のあるテノールなんだ。
                  しかも、卓越した音感とドイツ語のクリアさ。
                  技術的な巧さという意味では
                  この歌手のレベルはトップ中のトップである。

                  ガタイはテノールとは思えぬ良さで
                  (厚みではなく、背の高さ。全体的に身体が大きい)
                  なのに、声の質は低い音でもまごうかたなきテノールで
                  美声で甘い声ではあるのだが
                  イタリア・オペラのテノールみたいな泣き節は全くなく
                  張り上げての見得も全然なくて
                  声の清潔感、透明感、この上なく正確なドイツ語の発音が
                  感情と理性の絶妙な狭間でバランスを取っているという
                  稀有なテノールのリート歌いだと思う。

                  プログラム構成は、モロに私好みというか
                  ゲーテの詩による超有名なシューベルトのリーダーと
                  私の大好きなリヒャルト・シュトラウスで
                  しかも、Mädchenblumen が入ってる!!!!

                  マウロ・ペーターの Mädchenblumen は2016年11月24日に
                  楽友協会ブラームス・ホールでも聴いている。
                  滅多に歌われない曲だし
                  ジェンダー・スタディの人からは攻撃されそうな内容なんだけど
                  私の青春時代の曲だし
                  本当に素晴らしい音楽なの、ピアノも歌も ❤

                  さて、最初のシューベルトのブロック。
                  美しい・・・・けれど
                  やっぱりバリトンに比べると、声の色の変化は少ない。
                  ドイツ語がクリアで
                  しかも、技術が確かなので
                  高音に飛ぶところなんかは、気持ち良いほどに決まって
                  不安定さを全く感じさせない。

                  けど、高音のフォルテがあまり出ていない。
                  Aあたりから、声が前に飛んで来ない。
                  テノール歌手としては、一番張り上げたいあたりの声域だと思うのだが
                  もしかしたら、張り上げないように細心の注意を払っているのかもしれない。

                  その分を補うように
                  ヘルムート・ドイチュのピアノがむちゃくちゃ雄弁。
                  リートの伴奏という、一歩退いたところが全くなくて
                  特に「魔王」なんかは
                  もうピアノだけで立派に曲になってる感じで
                  テノールの声が押され気味。

                  いや、わかるんですよ
                  あの美しい清潔感漂うテノールで
                  お父ちゃんと魔王と息子の演じ分けはほとんど無理。
                  だけど、あそこまでピアノが独立して
                  ドラマチックになってしまうと
                  歌手とピアノが対等な位置という範囲からはみ出して
                  ちょっと違和感がある(個人的感想です、批判じゃありません!)

                  このピアノで後半のリヒャルト・シュトラウスになったら
                  どうなるんだろう?という心配は
                  すぐになくなった。

                  Heimliche Aufforderung の色気は
                  後半の、あの、密やかな秘密のエロチックさにノックアウト。
                  いや〜、あんな美しい声で
                  とことん親密に歌われたら
                  パーティ抜けてバラ園の草陰で
                  何でもしちゃうわワタシ(妄想爆発中)

                  Wozu noch Mädchen の瀟洒な軽さは
                  マウロ・ペーターの声の質にもあっているし
                  こういう曲だと、ドイツ語の美しさが活きる。
                  いやもう、ここに登場する女の子の可愛さったらないわ。

                  息の長さを活かしたフレージングが見事だったのは
                  Traum durch die Dämmerung で、もうため息が出そうになった。
                  クリアなドイツ語でありながら
                  あくまでも密やかで滑らかな長いフレーズを繊細に歌い上げる。

                  まぁ、Ich liebe dich になると
                  どうしてもゴツゴツしてしまうのは仕方ないけど。
                  それに、声を張り上げて歌うというタイプではないので
                  多少の迫力不足は否めないが
                  たぶん、それは歌手もピアニストも充分に承知の上で
                  ああいう表現になったのだと思う。

                  Mädchenblumen の Efeu と Wasserrose の美しさ!!!
                  いや、Kornblumen も Mohnblumen も良かったけれど
                  Efeu では、ちゃんと高音も美しく出たし
                  Wasserrosse のピアノ伴奏の美しさと言ったら
                  前半で、ちょっとでしゃばり過ぎだろ、と思っていたピアノが
                  繊細な歌と相まって
                  水面の輝き、光を見事に表現したのには息を飲んだ。

                  Ständchen の軽々とした出だしから
                  しっとりした中間部。
                  Ich trage meine Minne のキュートさ
                  最後の比較的派手な Wie sollen wir geheim sie halten も
                  華やかに歌い上げて、あ〜、もう素晴らしい。
                  わざわざ来て良かった!!!!
                  (今年はウィーンでは歌わないのだ、この人)

                  アンコールにシューベルトの野ばら。
                  あ〜っ、この人、ちゃんとバラード歌えるじゃないの。
                  シューベルトのバラードの
                  Der Fischer はシュトローフェン・リートで
                  多少、語り口が平坦に聴こえたのだが
                  Der König in Thule は、明るい音色のテノールとしては
                  かなりドラマチックに、でも行き過ぎずに表現して感心したが
                  アンコールの「野ばら」は
                  控えめさって何処に行った、という感じのドラマで驚いた。

                  リヒャルト・シュトラウスの Nichts ! がアンコール2曲目。
                  更に、私の知らないシューベルト(だと思う)を1曲。
                  最後の最後に、アンコール定番(笑)の Morgen

                  しかしまぁ、何てチャーミングなテノール。
                  でっかい身体で、歌い終わって拍手を受ける時の
                  満面の笑顔が
                  声と同じように、本当に「素直」な感じがする。

                  まだ30代前半の若さなので
                  声を大事にして
                  これからも伸びて行って欲しい。

                  来年3月にグラーツでリサイタルがあるようだが
                  グラーツまで遠征しようか
                  真剣に考えている私に
                  どうぞ1クリックをお恵み下さい。



                  ザルツブルクは名物のシトシト雨で20℃を切っていて
                  そろそろ夏も終わりですね・・・という感じだが
                  ウィーンは数日後にまた30℃を越える予報(笑)

                  ヨーロッパ連合ユース・オーケストラ + ドゥネーヴ

                  0
                    Schloss Grafenegg Wolkenturm 2019年8月18日 19時30分〜22時10分

                    European Union Youth Orchestra
                    クラリネット Andreas Ottensamer
                    指揮 Stéphane Denève

                    Peter Ruzicka (*1948)
                     «Fanfare» für Solotrompete und Orchester (2019) UA
                      トランペット Nicola Rouse

                    Wolfgang Amadeus Mozart (1756-1791)
                     Konzert für Klarinette und Orchester A-Dur KV 622 (1791)

                    Gustav Mahler (1860-1911)
                     Symphonie Nr. 5 (1901-03)

                    いや〜、生の音楽に餓えた・・・というか
                    長きにわたり、ブログのネタがなくて f^_^;)

                    グラーフェネック・フェスティヴァルが始まって
                    来週から、木・金・土・日と連続の往復ドライブの開始だが
                    今週は日曜日のコンサートだけ。

                    7月27日に聞いたヨーロッパ連合ユース・オーケストラの最終コンサート。
                    今回の指揮はステファヌ・ドゥネーヴ。
                    私、この指揮者、実は好きなのである。

                    ペーター・ルチツカは今年のグラーフェネックの
                    コンポーザー・イン・レジデンスみたいで
                    今回のファンファーレも初演だし
                    8月31日には作曲者自ら指揮台に乗って
                    やはり初演の演奏がある。

                    ルチツカ、好きなんです、ワタシ。
                    あの神経質そうな繊細さが美しい。
                    (個人的には、あまりに繊細で神経質そうなので
                     お付き合いしたい、とは思わないタイプの曲だが(笑))

                    今回のファンファーレも
                    小編成ながらオーケストラが舞台に居て
                    ソロのトランペットは舞台脇の高台の上。

                    弦のアンサンブルがピアニッシモでの演奏をして
                    そこにトランペットのソロが乗る。
                    その間に、木管の細かい音符のアンサンブルが演奏されて

                    ・・・これ、何となくチャールズ・アイヴスに似てる 🤔

                    いわゆる伝統的ファンファーレっぽい
                    華やかな感じは全くない。
                    あくまでも繊細、あくまでも弱音、盛り上がりもなくて
                    さて、この曲のいったい何処がファンファーレ?

                    グラーフェネックのコンポーザー・イン・レジデンスは
                    例年、ファンファーレを作曲させられるらしいのだが
                    このコレクション集めて
                    現代音楽におけるファンファーレについて
                    ちょっと論文書けるかも
                    ・・・と考えてしまうのは、大学生活に毒されている証拠かもしれない。

                    さて、続いてはモーツァルトで
                    あ〜、こりゃ寝るわ、と思っていたら
                    あら、とんでもない。

                    例の有名なクラリネット協奏曲だが
                    オーケストラ編成が小さいのもあるし
                    小さいのに、野外ホールで、ものすごい数の聴衆がいるところで
                    音響として理想的ではない会場なのに

                    何だ、この繊細さというか、軽さというか
                    親密さというか・・・

                    ピリオド奏法でもなんでもないのに
                    もちろん、音響がホールではないので集中せず
                    空気の中にばらけてほどける感じになって
                    音量として小さいのはわかるのだが

                    その音量を更に絞っているのに
                    ちゃんと聴衆のところに、はっきり音楽は届く。
                    しかも、この大きな会場で数千人の観客がぎっしり居るにもかかわらず
                    雰囲気としては
                    小さな宮殿のテラスあたりで演奏されているような
                    まるで、風の中に羽が飛んでいるごとくの軽さ。

                    アンドレアス・オッテンザーマーのクラリネットが
                    これまた、良い意味で軽い。
                    瀟洒な感じがして、これを貴族的と言って良いのか
                    品があって、とことん美しい。

                    第3楽章でクラリネットが多少走り過ぎて
                    オーケストラのアンサンブルと
                    微妙に合わなかったりした部分はあったものの
                    寝落ちもせず、こんな親密な感じでモーツァルトを聴くって
                    珍しい体験かもしれない。

                    アンコールにクラリネットのソロで
                    プッチーニのトスカの「星は光りぬ」を演奏してくれたけれど
                    あ〜、伴奏なし、和音なしのソロって、ちょっと間抜け(以下省略)

                    後半はマーラーの交響曲5番。
                    トランペットのソロの最初の3連譜が2音になっていたりとか
                    細かいミスがなかったわけではない。

                    このユース・オーケストラ、技術的には巧いんだけど
                    それでもやはり、超一流の職業オーケストラには負ける。
                    (そりゃ当たり前だが・・・でも、もう一つ、すごいユース・オケがあるし)

                    弦の数が多いという事もあるが
                    ビオラ、チェロとコントラバスの響きが深い。

                    今日は風向きのせいか
                    道路からの、車の音が絶え間なく聞こえて来て
                    (コオロギの鳴き声は長年通っていて無視できるようになって来た)
                    いくらマーラーの音量でも野外会場だから音が散るし
                    それが車のエンジン音と重なってしまって
                    理想的とは言いかねる状態だったし

                    日中の気温が33℃を越えていたのに
                    太陽が落ちると、あっという間に24℃くらいまで下がって
                    金管やパーカッションの音程が合わせにくかっただろうなぁ
                    というのは理解できる。

                    そんな条件の中で、良くやった、とは思うし
                    オーケストラ・メンバーが
                    真面目に必死に演奏しているエネルギーは感じる。
                    多少、アインザッツの甘さがあっても
                    ちょっとした演奏上の傷があっても

                    若いって良いなぁ・・・
                    (いったいどういう感想だよ、というツッコミはなしで・・・)

                    ドゥネーヴがしっかり細かい部分のアンサンブルには手を入れていて
                    クラリネットやオーボエ、ホルンのベルアップも頻繁にあって
                    弦の人数の多い事を活かして
                    音響の悪さにもかかわらず、かなり迫力の音を出していた。
                    (今年のビオラは巧い・・・)

                    終演が22時過ぎていたのに
                    アンコールとして
                    ビゼーの「アルルの女」からファランドール。
                    これは掛け値なしに良かった。
                    若いエネルギーが、緊張した(であろう)マーラーの後で
                    リラックスして爆発した感じ。
                    ま〜、メンバーも楽しそうだし
                    指揮者も楽しそうだし
                    こういうのは、聴衆もついつい乗せられて楽しくなる。

                    コンサート後にホール(ライト・シューレ)で
                    レイト・ナイト・コンサート。

                    年配の観客が、ワインを買って持ち込んで来る。
                    まぁ、良いんですけど(飲酒運転OKだから)
                    しかし、この年配の方々、みんな車で来てるんだよね。
                    (バスの人はコンサート後に帰っているはず)

                    かなり興奮しているドイツ語を話す女性と
                    ちょっとわかりにくい英語を話す男性が司会で
                    最初は17名のアンサンブルによる18世紀の曲。
                    全員、暗譜で立ったままの
                    18世紀とは思えない元気の良い演奏で
                    ムジカ・エテルナかキミたちは、とか言いたくなったりして(爆笑)

                    パーカッション4人がジョン・ケージの作品を
                    演劇含めて演奏したのは、工夫としては面白いが
                    演奏そのものは、あ〜、なんですかこれ、シロウト集団?って感じ。
                    (すみません、創意工夫は大いに評価します)

                    指揮者のドゥネーヴのインタビューは
                    英語の男の子がやって
                    (ドゥネーヴはドイツ語もペラペラである!)
                    しかも、質問があまりに普通すぎて
                    ドゥネーヴが「もっと難しい質問はないのか?」と笑ったくらい。

                    ドゥネーヴがこのユース・オーケストラを指揮するのは初めてだそうだが
                    大昔、パリでコレペティとして仕事をしていた時に
                    コリン・デイヴィスの指揮で
                    ベルリオーズのロメオとジュリアの演奏のコーラスにコレペティでついて
                    あまりに素晴らしかったので
                    本番ではコーラスに入って歌ったオーケストラが
                    このヨーロッパ連合ユース・オーケストラだったそうだ。

                    低地オーストリア州の州知事とかも来ていて
                    インタビューがあったのだが
                    今日が最終公演だし、オーケストラのメンバー興奮しまくりだし
                    どのインタビューでも
                    オーケストラ礼賛になってしまうのは、まぁ、避けられない。

                    コントラバス12人でのフィンランドの民謡の演奏は
                    かなり聞き応えがあったし
                    最後のブラス・アンサンブルとパーカッションのノリノリの曲では
                    何と、指揮者のドゥネーヴも
                    カラカスを持って舞台に登場して
                    若人の中でノリノリに演奏していた(爆笑)
                    観客席の間を、オーケストラ・メンバーが列になって踊りまくり
                    最後はほとんどディスコ状態だった。

                    終わったのが、夜の23時45分。
                    みんな年配の引退者ばかりだから
                    明日はゆっくり寝られるだろう・・・・・って
                    私も引退老人の一人なのだが
                    明日は朝9時から(以下省略、ちなみに仕事ではない)

                    グラーフェネックから高速道路をドライブして
                    45分ほどで自宅に到着。
                    多少、酔っ払いかこいつ、みたいなドライバーも居たけれど
                    そういうのは、どんどん追い越して来た私に
                    どうぞ1クリックをお恵み下さい。



                    ウルティマ・ヴェズ Go Figure Out Yourself

                    0
                      Im Puls Tanz
                      Vienna International Dance Festival

                      mumok Hofstallung 2019年8月7日 19時〜20時30分

                      Wim Vandekeybus / Ultima Vez (BE)
                      Go Figure Out Yourself

                      演出・振付 Wim Vandekeybus
                      ドラマツルギー Aïda Gabriëls
                      照明デザイン Davy Deschepper, Wim Vandekeybus
                      衣装デザイン Isabelle Lhoas
                      シーン Ultima Vez
                      ダンサー Sadé Alleyne, Maria Kologova, Hugh Stanier,
                      Kit King, Tim Bogaerts

                      ウルティマ・ヴェズのダンサーたちは
                      とんでもなく踊れるダンサーなのは知っているのだが
                      今回のパーフォーマンスは
                      私が最も苦手とする

                      観客参加型

                      ホールには椅子はない。
                      (持ち込み用の椅子はあったらしく
                       年配の女性数人が持って入って来たが
                       壁際に置くしかなく
                       そうすると、その前に立っている人の壁が出来て
                       結局、何も見られない)

                      かなりの人数が会場に入ったあと
                      背の高い男性が
                      何だかわからないけれど
                      英語で哲学的に聞こえる
                      詩的で論理や前後の繋がりのない感じのスピーチ。

                      あ〜、こういう英語でのスピーチって好きじゃないわ。
                      英語圏のショーを見に来ている訳ではなく
                      私は、ダンスを見に来ているんだけど・・・

                      会場広くて、マイクを付けていてもあまり音響は良くないし
                      周囲のおしゃべりなんかもあって、よくわからんのだが
                      (自分の英語能力のなさは当然ながら最も大きな理由だけど)
                      みんなで会場を移動しましょう・・・とか言われて
                      100人以上がゾロゾロ歩いて移動するのも何かなぁ・・・

                      ダンサーは男性3名に女性2名。
                      背の高い英語で何だかおしゃべりしていた男性が
                      まずは踊り出し
                      そこに、女性ダンサーが、他のところで踊り出して
                      小柄な男性ダンサーのアクロバットみたいな回転技が入って

                      その度に、大人数の観客が
                      場所を開けたり、あっちに行ったりこっちに行ったり
                      油断していると、前の方に出ている観客のギリギリのところに
                      すごい勢いで飛んで来たダンサーがぶつかりそうになる。

                      すぐそこの足元で
                      ダンサーがブレイク・ダンスをしているのを見る、という体験も
                      滅多にないのだけれど
                      あまり近いと、ダンサーの汗で濡れた床が滑りそうだし
                      あまりに近すぎる床で踊っているダンサーって
                      ちょっと、その存在がコワイ。

                      ライティングが変わったとたん
                      ダンサー全員が「獣」と化して
                      唸ったり叫んだりしながら会場の床を駆け回り
                      転げまわり、ダンサー同士で動物の喧嘩みたいに絡んだり
                      ・・・まぁ、これは、ダンサーがすっ飛んで来た時に
                      ぶつからないように注意すればそれで良い。

                      でも、ダンサーごとの小グループに分かれて
                      一人一人の目をじっと覗き込まれて
                      ワケのわからん内容の英語を話されても
                      どう反応して良いのか、戸惑っちゃうんですが。

                      しかも床に座れとか言われても
                      私、坐骨神経痛がひどくて・・・(以下省略、結構辛かった)

                      その後も、ダンサー1人が高い台に登って
                      上から、またもや哲学的・詩的な英語のスピーチをしたり
                      (意味不明・・・)
                      はい、みんな、前に来て、手を上げて〜・・・って

                      こういう、ちいちいぱっぱ、幼稚園の頃から好きじゃないんですワタシ。
                      団体行動苦手だし(って関係ないか)

                      踊っている時には
                      素晴らしい身体能力と、身体の形を見せてくれるので
                      ダンスという面では見応えがあるんだけど

                      この演目を、何故に「観客参加型」にする必要があったのか
                      さっぱりわからん。
                      だって、普通に舞台の上で
                      英語のスピーチして
                      5人のソロと、何人かの絡みで
                      普通に踊ったら、それで充分、見応えのある公演になりそうなのに。

                      観客参加型で、観客がゾロゾロ動くのもあるけれど
                      それに加えて
                      ダンサーが観客の手を引いて
                      無理やりダンサーと踊らせたり
                      ダンサーの踊っている中に立たせたり

                      だいたい、こういうパーフォーマンスに来ている観客のうち
                      90%くらいは、自分たちもダンサーなので(内輪の集まりみたいなもんだ)
                      嬉々として、ダンサーに手を取られて出ていって
                      そこで、ダンサー顔負けのダンスしちゃう人もいる(笑)

                      かと思うと
                      どう見ても、ど素人の初老のオジサンが
                      ダンサーの前にただ立っていれば良いのに
                      ヘンに身体をクネクネさせて
                      踊るダンサーが困惑・・・はしていないが(プロだから)
                      踊りにくそうだったのは、ちょっと微笑ましかった。

                      でもまぁ、基本的に
                      男性ダンサーが、手を取って連れてくるのは
                      若くて美人の女性ばかりでしたが(爆笑)

                      私の顔をじ〜っと見て、目を合わせながら
                      「僕のお母さんは云々」と喋ったダンサー。
                      あ〜、良いんですけど
                      こんな場所で年齢を意識させられるとは思わなかったわ。

                      でも、その後、私の隣の女性に
                      「僕のお婆ちゃんは云々」と言ったダンサーも居たし
                      (あとで小声で謝っていた、隣だから聞こえちゃった)
                      お婆ちゃんと称された隣の女性は
                      たぶん、私と同年代か、少し下かもって感じだったので
                      「お母さん」に擬えられたという事は
                      多少なりとも若く見られたんだろう、と
                      自分の小さなプライドを必死で慰めてたりして。
                      (自分ながらいじましい・・・)

                      あと、あの狭いホールで
                      全員で叫ぼうアワーというのがあって
                      いやはや、鼓膜が破れるかと思った。
                      音響とデシベルを考えて欲しいわ(苦笑)
                      ダンス好きでディスコに入り浸っていたりする人なら
                      この程度の瞬間的音量は、あまり気にならないのかもしれないが。

                      観客参加型で、観客がダンサーであれば
                      違う意味で楽しめたのかもしれないが
                      ここまでダンサーとの距離が近いと
                      私は返って緊張してしまう。

                      ダンサーはやっぱり「人間」というよりは
                      動く彫刻(すみません)みたいなもので
                      観客席とは離れた場所にある
                      舞台という、別世界の上で
                      触れる事もできない神聖なフィギュアとして
                      鑑賞している方が
                      程よい縄張り感が明快にあって気楽。

                      パーフォーマーと観客の間が遊動的というのが
                      ヴィム・ヴァンデケイビュスの目指すところだったのだろうし
                      その目的はある程度は果たされてはいるものの

                      観客参加型パーフォーマンスなんて
                      今さら、目新しいものではないし
                      あれだけ踊れてしまうダンサーが
                      圧倒的なダンスやソロを披露している時に
                      観客がパーフォーマンスの一部って、かえって邪魔くさい。

                      しかしまぁ、相変わらずベルギーのコンテンポラリーってスゴイわ。
                      ネザーランドも負けてないけれど
                      あの地域のコンテンポラリー・ダンスの優位性って
                      いったい、どこから出てくるんだろう。

                      約1時間半くらいの
                      観客巻き込み型パーフォーマンスで
                      この1時間半に、21ユーロ(年配割引適用)の価値があったか、と
                      考えると微妙ではあるのだが
                      イム・プルス・タンツの最後のパーフォーマンスだし
                      ダンスとしては見応え充分だったので
                      ま、良いか、という気分の私に
                      どうぞ1クリックをお恵み下さい。



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