Musikverein Großer Saal 2019年5月30日 11時〜13時10分
Wiener Philharmoniker
指揮 Mariss Jansons
Robert Schumann (1810-1856)
Symphonie Nr. 1 B-Dur, op. 38 „Frühlingssymphonie“
Hector Berlioz (1803-1869)
Symphonie fantastique, op. 14
意図した訳ではないのだが
本日を皮切りに、コンツェルトハウスで1回
ウィーン・フィルの土・日定期で2回
総計4回、同じコンサートを聴く事になった。
本日が楽友協会主催の1日目。
チケットはかなり以前から売り切れ。
私も、このチクルスは持っていないので
実は何も考えずに2ヶ月前に買ったのだが
良い席は取れなかった。
席が悪かった事を前提にしての話だし
このブログは単純な個人的主観的感想のメモだし
体調によって音楽の聴き方も変わるし
指揮者や演奏家が見えたら、音楽の印象も変わるし
・・・いや、色々と言い訳してるけど
実は今日のコンサート、ちょっと、あれ?って感じだったので。
もちろん、これから2回目・3回目と数をこなす(?)うちに
どんどん個人的印象が変化していって
最後は、名演だ〜!と喚く可能性もあるので
これを読んでいる物好きな方々は
私の言う事は一切信用しないようにお願いします。
つまらなかったんです・・・(ボソ)
もちろん視覚的効果がなかった、と言うのは大きな原因ではある。
たぶん、ヤンソンスのイケメンなお顔を拝見し
時々、輝くような笑顔を見せて振っていらっしゃるところを見たら
感激しているのかもしれない。
けど、まずはシューマンの交響曲からして
なんだ、このキレの悪さは・・・
とてもロマンティックで
お上品に、この上なくノーブルに
あの美しいウィーン・フィルの黄金の音色で
歌ってはいるのだ。
ただこれ、「春」のシンフォニーだよね?
なのに、何故、隠しても出てくるような
喜びとか感情とか
いや、それよりも
シューマンが作曲した年代の
溢れるような「若さ」を全く感じない。
なんだか、ヘンに老成してしまった感じがする。
・・・だから偏見ですってば!
マリス・ヤンソンスって
コンセルトヘボーなんかで聴いていた頃に
何となく「職人さん」だなぁ、って感じた事が何回かあって
実に巧くまとめるし、確かに上手なんだけど
如何にも「優等生」って印象が否めなかった。
これが裏目に出たのが
後半の幻想交響曲で(だから妄想+偏見ですよっ!)
歌わせているのはわかる。
わかるんだけど
この曲って、もっとパンチがないと面白くない。
なんだかキレのないまま
ダラダラ前半が演奏されて
ハリエットへの愛はどこに?という怪訝な気分で
少なくとも断頭台への行進から
少しは弾けるか、と思ったら
強弱とかはつけているけれど
どこからも一歩もはみ出していない
古典音楽というのは、こういうものです
・・・って、それ、違わないけど
幻想交響曲・・・だけじゃなくて
ベルリオーズって、その他の曲も
とんでもなくスッ飛んだやんちゃ坊主な部分があると思うのだが
そういうブッ飛び要素がすっかり欠けていて
すみません、むちゃくちゃ退屈。
ベルリオーズを
あんなに、お上品に、あんなにノーブルに
あんなに優等生的に、とことん美しく演奏されたら
この曲の持っている迫力とか
気の狂ったような情熱とか
ぶっ飛んでうっしっしというか(すみません謎発言で)
そういう面白いところが全くないじゃないの。
でも、今日が初日だし
次はコンツェルトハウスという
音響が全く違うホールでの演奏だし
その後はウィーン・フィルの定期公演だし
これから印象が変わってくる可能性は大いにある。
・・・というより
変わってくれないと困る。
4回とも「退屈でした」という感想は避けたい・・・
ところで平日なのに何故11時?と思った方、
本日はオーストリアは祝日です (^^)v
祝日なのに大学ではミュージック・エンコーディングの
国際会議をしていて
我々学生も、できるだけ出るように、と
教授からお達しが来ているのだが
明日も朝から仕事だし
将来の職業、関係ないので顔つなぎも不要だし(言い訳)
会議は失礼しておきます、という
怠け者の私に
どうぞ1クリックをお恵み下さい。
Wiener Philharmoniker
指揮 Mariss Jansons
Robert Schumann (1810-1856)
Symphonie Nr. 1 B-Dur, op. 38 „Frühlingssymphonie“
Hector Berlioz (1803-1869)
Symphonie fantastique, op. 14
意図した訳ではないのだが
本日を皮切りに、コンツェルトハウスで1回
ウィーン・フィルの土・日定期で2回
総計4回、同じコンサートを聴く事になった。
本日が楽友協会主催の1日目。
チケットはかなり以前から売り切れ。
私も、このチクルスは持っていないので
実は何も考えずに2ヶ月前に買ったのだが
良い席は取れなかった。
席が悪かった事を前提にしての話だし
このブログは単純な個人的主観的感想のメモだし
体調によって音楽の聴き方も変わるし
指揮者や演奏家が見えたら、音楽の印象も変わるし
・・・いや、色々と言い訳してるけど
実は今日のコンサート、ちょっと、あれ?って感じだったので。
もちろん、これから2回目・3回目と数をこなす(?)うちに
どんどん個人的印象が変化していって
最後は、名演だ〜!と喚く可能性もあるので
これを読んでいる物好きな方々は
私の言う事は一切信用しないようにお願いします。
つまらなかったんです・・・(ボソ)
もちろん視覚的効果がなかった、と言うのは大きな原因ではある。
たぶん、ヤンソンスのイケメンなお顔を拝見し
時々、輝くような笑顔を見せて振っていらっしゃるところを見たら
感激しているのかもしれない。
けど、まずはシューマンの交響曲からして
なんだ、このキレの悪さは・・・
とてもロマンティックで
お上品に、この上なくノーブルに
あの美しいウィーン・フィルの黄金の音色で
歌ってはいるのだ。
ただこれ、「春」のシンフォニーだよね?
なのに、何故、隠しても出てくるような
喜びとか感情とか
いや、それよりも
シューマンが作曲した年代の
溢れるような「若さ」を全く感じない。
なんだか、ヘンに老成してしまった感じがする。
・・・だから偏見ですってば!
マリス・ヤンソンスって
コンセルトヘボーなんかで聴いていた頃に
何となく「職人さん」だなぁ、って感じた事が何回かあって
実に巧くまとめるし、確かに上手なんだけど
如何にも「優等生」って印象が否めなかった。
これが裏目に出たのが
後半の幻想交響曲で(だから妄想+偏見ですよっ!)
歌わせているのはわかる。
わかるんだけど
この曲って、もっとパンチがないと面白くない。
なんだかキレのないまま
ダラダラ前半が演奏されて
ハリエットへの愛はどこに?という怪訝な気分で
少なくとも断頭台への行進から
少しは弾けるか、と思ったら
強弱とかはつけているけれど
どこからも一歩もはみ出していない
古典音楽というのは、こういうものです
・・・って、それ、違わないけど
幻想交響曲・・・だけじゃなくて
ベルリオーズって、その他の曲も
とんでもなくスッ飛んだやんちゃ坊主な部分があると思うのだが
そういうブッ飛び要素がすっかり欠けていて
すみません、むちゃくちゃ退屈。
ベルリオーズを
あんなに、お上品に、あんなにノーブルに
あんなに優等生的に、とことん美しく演奏されたら
この曲の持っている迫力とか
気の狂ったような情熱とか
ぶっ飛んでうっしっしというか(すみません謎発言で)
そういう面白いところが全くないじゃないの。
でも、今日が初日だし
次はコンツェルトハウスという
音響が全く違うホールでの演奏だし
その後はウィーン・フィルの定期公演だし
これから印象が変わってくる可能性は大いにある。
・・・というより
変わってくれないと困る。
4回とも「退屈でした」という感想は避けたい・・・
ところで平日なのに何故11時?と思った方、
本日はオーストリアは祝日です (^^)v
祝日なのに大学ではミュージック・エンコーディングの
国際会議をしていて
我々学生も、できるだけ出るように、と
教授からお達しが来ているのだが
明日も朝から仕事だし
将来の職業、関係ないので顔つなぎも不要だし(言い訳)
会議は失礼しておきます、という
怠け者の私に
どうぞ1クリックをお恵み下さい。