Musikverein Großer Saal 2018年11月29日 19時30分〜21時40分
Die Deutsche Kammerphilharmonie Bremen
指揮 Paavo Järvi
バイオリン Christian Tetzlaff
Joseph Haydn (1732-1809)
Symphonie D-Dur, Hob. I: 101, „Die Uhr“
Wolfgang Amadeum Mozart (1756-1791)
Konzert für Violine und Orchester G-Dur, KV 216
Franz Schubert (1797-1828)
Symphonie Nr. 6 C-Dur, D 589
ウィキによる日本語訳の長さには驚くが
ブレーメン・ドイツ室内フィルハーモニー管弦楽団と
日本でも大人気(だと思う)のパーヴォ・ヤルヴィのコンサート。
プログラムだけ単純に見れば
この北ドイツ人、ウィーンに喧嘩売ってんのかい?
と思うかもしれないが(笑)
いや、もう、素晴らしい時間だった ♡
だってまず、音の透明感が違う。
小編成の室内オーケストラだから
楽友協会大ホールの響きにはピッタリ合っていて
ハイドンから、もう私は音楽の虜(笑)
躍動感に満ち溢れたハイドンの「時計」は
ご存知、ベテラン作曲家ハイドンが
腕によりをかけてロンドンの聴衆のために作曲した曲で
遊び心いっぱいで
聴衆を楽しませよう、という気概とプライドと
徹底的なエンターテイメント精神がたっぷり。
それをまた、この瀟洒なオーケストラとパーヴォ・ヤルヴィが
サービス精神たっぷりで
音が飛び跳ねて、ホール中に散らばって
あちこちで、聴衆をくすぐって
クスクス笑いながらホールの中を遊んでいるような感覚。
もともとパパ・ハイドンのイタズラ心に満ちた曲は好きだけど
この演奏、それに輪をかけて、むちゃくちゃ楽しいじゃないの。
音が活き活きとして輝きながら
バロック音楽ではあるのだけれど
それが現代のエンターテイメントとして
無理も無駄も気負いもないところで
バッチリ決まっている。
続くモーツァルトも
誰でもどこかで聴いた事のある名曲
バイオリン協奏曲第3番。
テツラフのバイオリンが、これまた見事で
大袈裟にならない適度の節制を持って
良くも悪くも「現代的」な印象を残す。
このオーケストラの音色やパーヴォ・ヤルヴィの音楽と
非常に合っている。
モーツァルトだから、と気張るところがなくて
プレイヤーがどう感じているか、なんて
私のようなシロウトの聴衆にはま〜ったくわからないけれど
すごく良い感じの自然な演奏。
モーツァルト19歳なのに
円熟した技法で
徹底的に聴衆を楽しませて人気を取って
金儲けするんだ!という感じの
すごく楽しい曲を
そのままの形で現代に持って来て
ほら、楽しいでしょ?と語りかけられるような気分。
モーツァルトだって、曲が聴衆にウケて
お金が入らないと生活がヤバイから
そりゃ、頑張ってヒット曲の作曲に専念するでしょう。
そうなのよ、これは(当時の)「ヒット曲」であって
そのように演奏されてそのように聴衆が聴くのが正しい(と私は思う)。
オーケストラと一緒にアンコールも1曲。
テツラフのバイオリンって
他のバイオリニストと音が違う。
他のバイオリニストが本当に昔の楽器を弾いているのに比べると
現代の今、この場で求められている
正確で強くて、ホールに響いて
それでも出しゃばらない中立的な音。
人によっては、あまりにアクがないので好まない人もいるかもしれないが
こういう現代的な音、私は好きです。
後半はシューベルトの交響曲6番。
ご存知、小さい方のハ長調。
パーヴォ・ヤルヴィ登場したとたん
まだ客席の拍手が止まっていないのに
指揮棒振り下ろして、最初のあの大音響をドカン!と一発。
いや〜、ここらへん巧いなぁ。
エンターテイメント性、抜群である。
シューベルトは・・・
あ〜、私、すごく好きなんですけど
すごく好きなんですけど
ただ、この人の和声って完璧で凄いので
授業で(以下省略)
確かこの交響曲のピアノ譜の一部も
この間の授業で使ったわ(あ〜、だから以下省略)
・・・いや、ちょっと悪夢なので、あまり言いたくない。
ただ、アナリーゼは意外に出来るようになったら
ワタクシ的にはハマる面白さかもしれない、という気はするのだが
ただ「出来るようになる」かどうかが不明という段階で(汗)
しかしまぁ、このオーケストラの躍動感
音の透明さ、美しさ、節度のあるクラシックな響きに
とことんエンターテインメントに徹した演奏って凄いな。
ある意味、音の響きやエンターテインメントに徹した方式が
どの曲にも共通するので
ハイドンもモーツァルトもシューベルトも
何だか似たような響きになって来る傾向はあるような気がするが。
古臭いと思われがちなウィーン・クラシックを
よくぞまぁ、ここまで(クラシックでありながら)現代的に
当時の聴衆が受け取ったであろう喜びを
そのままスライドして現代に持って来ました・・・みたいな
不思議な娯楽性(しかもクラシックで上品で節度あって)のある演奏。
パーヴォ・ヤルヴィって
その意味では、だんだん少なくなっていくクラシック音楽ファンの
救い手になる可能性があるんじゃないだろうか。
クラシックはインテリの金持ちだけが聴いていれば良い、というような
オレさまの音楽を聴け!というタイプの正反対で
自分の音楽が名人芸というか普通の人の達しないところに達していて
自分の世界だけに聴衆を自動的に引きずり込んでしまう指揮者でもなく
両腕広げて
ほら、みなさん、
僕たちの胸に飛び込んで来て下さいよ。
何も気取る事、ありませんよ
音楽って楽しいじゃないですか、ねっ
とか言われているような気分(妄想爆発中)
このオーケストラと指揮者、バイオリニストって
その意味では
楽友協会で、ただ一方的に音楽を聴かせた、というよりは
まさに聴衆に歩み寄って
音楽で語りかけられているような温かみがあったなぁ。
他の、いわゆる超一流オーケストラではあり得ない現象ではないだろうか。
ブレーメン・ドイツ室内フィルハーモニー管弦楽団は
本日が初日で、テツラフと組んで
ハイドン・モーツァルト・シューベルトの毎日日替わりで
明日・明後日とコンサートがある。
・・・もちろん全部行く予定なので
また明日は全然違う事を書くかもしれない(予防線を張っておく)
いやしかし、こうやってバレエとかコンサートに行っている時間に
一緒に学業を始めた若い学生たちは
どんどん演習やって論文書いて、第2専攻取って
ラテン語も習得して、学問を究めて行ってる・・・
んだけど、まぁ、ゆっくりやろう
ボケるか金が尽きるかまで
まだ数年ある事を祈りつつ
帰宅してからシェーンベルクと格闘している私に
どうぞ1クリックをお恵み下さい。
何で12月初めに3人のチームでシェーンベルクの発表を選んだかと言うと
分析対象として与えられたピアノ曲が
たった30秒ほどで終わる(楽譜1ページ)という理由だけだったりする・・・(汗)
Die Deutsche Kammerphilharmonie Bremen
指揮 Paavo Järvi
バイオリン Christian Tetzlaff
Joseph Haydn (1732-1809)
Symphonie D-Dur, Hob. I: 101, „Die Uhr“
Wolfgang Amadeum Mozart (1756-1791)
Konzert für Violine und Orchester G-Dur, KV 216
Franz Schubert (1797-1828)
Symphonie Nr. 6 C-Dur, D 589
ウィキによる日本語訳の長さには驚くが
ブレーメン・ドイツ室内フィルハーモニー管弦楽団と
日本でも大人気(だと思う)のパーヴォ・ヤルヴィのコンサート。
プログラムだけ単純に見れば
この北ドイツ人、ウィーンに喧嘩売ってんのかい?
と思うかもしれないが(笑)
いや、もう、素晴らしい時間だった ♡
だってまず、音の透明感が違う。
小編成の室内オーケストラだから
楽友協会大ホールの響きにはピッタリ合っていて
ハイドンから、もう私は音楽の虜(笑)
躍動感に満ち溢れたハイドンの「時計」は
ご存知、ベテラン作曲家ハイドンが
腕によりをかけてロンドンの聴衆のために作曲した曲で
遊び心いっぱいで
聴衆を楽しませよう、という気概とプライドと
徹底的なエンターテイメント精神がたっぷり。
それをまた、この瀟洒なオーケストラとパーヴォ・ヤルヴィが
サービス精神たっぷりで
音が飛び跳ねて、ホール中に散らばって
あちこちで、聴衆をくすぐって
クスクス笑いながらホールの中を遊んでいるような感覚。
もともとパパ・ハイドンのイタズラ心に満ちた曲は好きだけど
この演奏、それに輪をかけて、むちゃくちゃ楽しいじゃないの。
音が活き活きとして輝きながら
バロック音楽ではあるのだけれど
それが現代のエンターテイメントとして
無理も無駄も気負いもないところで
バッチリ決まっている。
続くモーツァルトも
誰でもどこかで聴いた事のある名曲
バイオリン協奏曲第3番。
テツラフのバイオリンが、これまた見事で
大袈裟にならない適度の節制を持って
良くも悪くも「現代的」な印象を残す。
このオーケストラの音色やパーヴォ・ヤルヴィの音楽と
非常に合っている。
モーツァルトだから、と気張るところがなくて
プレイヤーがどう感じているか、なんて
私のようなシロウトの聴衆にはま〜ったくわからないけれど
すごく良い感じの自然な演奏。
モーツァルト19歳なのに
円熟した技法で
徹底的に聴衆を楽しませて人気を取って
金儲けするんだ!という感じの
すごく楽しい曲を
そのままの形で現代に持って来て
ほら、楽しいでしょ?と語りかけられるような気分。
モーツァルトだって、曲が聴衆にウケて
お金が入らないと生活がヤバイから
そりゃ、頑張ってヒット曲の作曲に専念するでしょう。
そうなのよ、これは(当時の)「ヒット曲」であって
そのように演奏されてそのように聴衆が聴くのが正しい(と私は思う)。
オーケストラと一緒にアンコールも1曲。
テツラフのバイオリンって
他のバイオリニストと音が違う。
他のバイオリニストが本当に昔の楽器を弾いているのに比べると
現代の今、この場で求められている
正確で強くて、ホールに響いて
それでも出しゃばらない中立的な音。
人によっては、あまりにアクがないので好まない人もいるかもしれないが
こういう現代的な音、私は好きです。
後半はシューベルトの交響曲6番。
ご存知、小さい方のハ長調。
パーヴォ・ヤルヴィ登場したとたん
まだ客席の拍手が止まっていないのに
指揮棒振り下ろして、最初のあの大音響をドカン!と一発。
いや〜、ここらへん巧いなぁ。
エンターテイメント性、抜群である。
シューベルトは・・・
あ〜、私、すごく好きなんですけど
すごく好きなんですけど
ただ、この人の和声って完璧で凄いので
授業で(以下省略)
確かこの交響曲のピアノ譜の一部も
この間の授業で使ったわ(あ〜、だから以下省略)
・・・いや、ちょっと悪夢なので、あまり言いたくない。
ただ、アナリーゼは意外に出来るようになったら
ワタクシ的にはハマる面白さかもしれない、という気はするのだが
ただ「出来るようになる」かどうかが不明という段階で(汗)
しかしまぁ、このオーケストラの躍動感
音の透明さ、美しさ、節度のあるクラシックな響きに
とことんエンターテインメントに徹した演奏って凄いな。
ある意味、音の響きやエンターテインメントに徹した方式が
どの曲にも共通するので
ハイドンもモーツァルトもシューベルトも
何だか似たような響きになって来る傾向はあるような気がするが。
古臭いと思われがちなウィーン・クラシックを
よくぞまぁ、ここまで(クラシックでありながら)現代的に
当時の聴衆が受け取ったであろう喜びを
そのままスライドして現代に持って来ました・・・みたいな
不思議な娯楽性(しかもクラシックで上品で節度あって)のある演奏。
パーヴォ・ヤルヴィって
その意味では、だんだん少なくなっていくクラシック音楽ファンの
救い手になる可能性があるんじゃないだろうか。
クラシックはインテリの金持ちだけが聴いていれば良い、というような
オレさまの音楽を聴け!というタイプの正反対で
自分の音楽が名人芸というか普通の人の達しないところに達していて
自分の世界だけに聴衆を自動的に引きずり込んでしまう指揮者でもなく
両腕広げて
ほら、みなさん、
僕たちの胸に飛び込んで来て下さいよ。
何も気取る事、ありませんよ
音楽って楽しいじゃないですか、ねっ
とか言われているような気分(妄想爆発中)
このオーケストラと指揮者、バイオリニストって
その意味では
楽友協会で、ただ一方的に音楽を聴かせた、というよりは
まさに聴衆に歩み寄って
音楽で語りかけられているような温かみがあったなぁ。
他の、いわゆる超一流オーケストラではあり得ない現象ではないだろうか。
ブレーメン・ドイツ室内フィルハーモニー管弦楽団は
本日が初日で、テツラフと組んで
ハイドン・モーツァルト・シューベルトの毎日日替わりで
明日・明後日とコンサートがある。
・・・もちろん全部行く予定なので
また明日は全然違う事を書くかもしれない(予防線を張っておく)
いやしかし、こうやってバレエとかコンサートに行っている時間に
一緒に学業を始めた若い学生たちは
どんどん演習やって論文書いて、第2専攻取って
ラテン語も習得して、学問を究めて行ってる・・・
んだけど、まぁ、ゆっくりやろう
ボケるか金が尽きるかまで
まだ数年ある事を祈りつつ
帰宅してからシェーンベルクと格闘している私に
どうぞ1クリックをお恵み下さい。
何で12月初めに3人のチームでシェーンベルクの発表を選んだかと言うと
分析対象として与えられたピアノ曲が
たった30秒ほどで終わる(楽譜1ページ)という理由だけだったりする・・・(汗)