ウィーン交響楽団 + シルヴァン・カンブルラン

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    Wiener Konzerthaus Großer Saal 2018年10月31日 19時30分〜21時40分

    Wiener Symphoniker
    ピアノ・エレクロトニクス Sebastian Berweck
    サクソフォン Marcus Weiss
    パーカッション Christian Dierstein
    指揮 Sylvain Cambreling

    Iannis Xenakis (1922-2001)
    Metastaseis B (1953-1954)

    Malte Giesen (*1988)
    Konzert für hyperreales Klavier und Orchester (2017-2018) UA

    Julia Purgina (*1980)
    Akatalepsia (2018) UA

    Sir Harrison Birtwistle (*1934)
    Panic. Ein Dithyrambus für Altsaxophon, Jazzschlagzeuger, Holzbläser,
    Blechbläser und Percussion (1955)

    Helmut Lachenmann (*1933)
    Marche fatale (2017) EA

    ウィーン・モデルン現代音楽祭のコンサート。
    整理券もなし・・・という事は、わっはっは(察して下さい)
    それでも、平土間70%がた入ってるし
    バルコン席も同じく、半分以上は入っているのが凄い。

    ヤニス・クセナキス以外は
    すべて、まだ在命の作曲家の作品。
    うち、2作品は世界初演 (UA = Uraufführung) で
    1作品はオーストリア初演 (EA = Erstaufführung)

    クセナキスの作品は1955年にドナウエッシンゲン音楽祭で初演された作品。
    大規模オーケストラで、数学的な処理をされている音符のはずだが
    実際に聴いてみると、何とも情熱的な感じがする。
    7分くらいのコンパクトだが、内容の濃い作品。

    次がドイツの新進作曲家による作品の初演。
    ヤマハのピアノをコンピュータと繋いだ「超実数ピアノ」って
    何の事か、アホな私には全くわからないが
    プログラムの解説によれば
    現代はみんな、イアフォンで音楽を聴いているので
    音響空間が影響を及ぼさない音楽を
    ピアノ・・・というより MIDIの発生源を使って
    オーケストラと演奏する・・・らしい。

    あ〜、う〜・・・

    クセナキスの音楽が立体的だったのに比べて
    こちらの音楽は超2次元的というか
    オーケストラの普通の音響を使っている時点で
    音響空間が影響を及ぼすのは自明のはずなのだが
    アーティストによれば、それは違うらしいのだが
    そういう高尚な事はワタクシにはわかりません。
    (それに結構長かった・・・23分。最後はピアノ音響のループ)

    後半はウィーンとベルリンでビオラと作曲を学び
    ウィーン放送交響楽団の後、ウィーン室内管弦楽団のメンバーで
    ウィーン大学でスラブ学とゲルマニスティックを学んでいる女性の作品。

    フル・オーケストラだが
    次の作品の準備か、弦が全部上手(かみて)に位置。
    (下手(しもて)にはジャズのパーカッション・セットが2つ)

    この作品、15分ほどの曲なのだが
    弦のピアニッシモのピチカートと
    弱音のパーカッションから始まって
    曲に色彩が見える(ような気がする)

    プログラムにタイトルの Akatalepsia 不可知論についての記載があるが
    あ〜、もう、何だかよくわかりません。

    眠りの神ヒュプノスとその兄弟モロスとタナトスが
    夜の神ニュクスの子供たちと音楽の中を飛び回り
    人間の死は確実だが、その美は死の瞬間に開示され
    本質は感覚的にしか捉える事ができない(意訳、文責なし)

    ・・・ったく何の事やら理解不可能(私がアホだから)

    でも、作曲家自身が sinnlich 感覚的という言葉を使うだけあって
    音楽そのものが、かなり詩的にロマンティックで
    音響の構成が、その意味では古典的に美しい。

    オーケストラの音量をかなり下げているだけに
    金管を吹かずに、手で叩く奏法も
    音が埋もれずに、かなり面白い音響設計になっていた。

    ハリソン・バートウィッスルと言えば
    イギリスの現代音楽では大御所で
    私も今まで何回か、作品を聴いた事はあるが

    今回の曲は1995年に BBC Symphony Orchestra で
    イギリスのプロムスで初演された曲。
    サクソフォンのソロとジャズ・パーカッションに
    オーケストラは金管と木管とパーカッションだけ。

    詳しい編成は
    サクソフォン(ソロ)、パーカッション(ソロ)
    フルート3本(2番・3番はピッコロ持ち替えあり)
    オーボエ3本(3番はイングリッシュ・ホルン持ち替えあり)
    クラリネット、変ホ調クラリネット、バス・クラリネット
    ファゴット2本、トロンボーン3本、チューバ、ティンパニ、パーカッション

    ・・・沈黙。

    ソロのサクソフォン、時々、音が埋もれて聴こえないし
    ジャズのパーカッションも
    あんまりバリエーションなくて

    途中、ジャズ・パーカッションが位置を変えて
    サクソフォンが時々パーカッションにキューだして
    パーカッションが指揮者とは別に指示を出して
    かなり緊張感に満ちた、ギグみたいな面白さはあったけれど

    きっと私の感受性の問題なのだが
    何だか全体に似たような音楽の進行なので
    何となく聴いていて、飽きてくる。

    きっとサクソフォンの人は
    素人にはわからない超絶技巧で演奏しまくりなのだろうが。

    それに、ウィーン交響楽団の木管・金管ってむちゃ巧いんだけど
    この作品、そのオーケストラの名人の盛大な無駄遣いのような気がする。

    最後はヘルムート・ラッヘンマンの6分ほどの曲。
    ジャズ・パーカッションのセット2つを片付け
    バイオリンの椅子を置いて
    現代音楽は舞台設定に時間がかかるのが難点だが
    コンツェルトハウスのスタッフの早業は
    いつもながら見事なものだ。

    ラッヘンマンと言えば雑音・・・って
    私も相当に失礼だが(笑)

    プログラムによれば
    2017年にシュトゥットガルトオペラ座オーケストラで
    今日の指揮者のカンブレランと初演されたこの曲は
    今までの作曲技法とは全く違うそうで

    あらっ
    伝統に回帰したのか、と思われる程の
    古典的でトナールでメロディックで
    映画音楽からの要素をふんだんに取り入れた
    長調のフルオーケストラのポピュラー音楽

    ・・・みたいに聴こえるのだが

    で、私の周囲の人たちも
    笑ったり、身体揺らして踊っていたりしたんだけど

    これ、ほとんど認知しないようなところに
    微妙に和声の間違いが・・・

    ものすごく巧妙に仕組まれているために
    表面だけ聴いていると
    ただの映画音楽に聴こえない事もないんだけど

    ものすごく気持ち悪いです。

    プログラム記載の本人の解説によれば

    現代の没落していく市民社会の中で
    「笑うべきもの」を真面目に捉え
    麻痺した精神の黒い穴への道が
    愉快なものである可能性を示唆し
    私の過去の「音楽でないもの」の作曲から
    本来の音楽という概念を捉え直し、違う側面からアプローチし
    コンサート・ホールが欺瞞的な隠れ場所への退避から
    精神を開く冒険の場所になる・・・あるいは
    そこから、ひどく裏切られて脱線する・・・どうやったらそうなるんだろう。
    (意訳です、文責なし)

    今の作曲家の皆さま
    頭の良い方ばかりなので
    プログラムに書かれていても、今ひとつ、よくわからん。
    ハイドンが「今回の曲は新しい方法で書きました、ふうううう」とか言ってるのと
    わけが違う。

    聴いている側からすれば
    その瞬間の音響「だけ」が重要なので
    作曲家が何を考えたかなんて
    学問対象にでもしない限りは、全く興味ないのだが
    音楽社会学的なアプローチするなら・・・・

    ああああああっ、いかん、毒されて来てる (^^;;

    でも今回の選曲、バリエーションあって
    かなり面白かった。

    オーケストラはウィーン交響楽団だが
    いつものような燕尾服+白い蝶ネクタイじゃなくて
    ウィーン放送交響楽団と見間違える
    上から下まで真っ黒の上着なしのシャツ揃え。

    現代音楽のドレス・コードなのかしら(爆笑)
    最初、あれ?ウィーン放送響だったっけ?
    でも、何かメンバーが違う???と
    不思議に思った私に
    どうぞ1クリックをお恵み下さい。



    11月1日はオーストリアは祝日。
    金曜日2日は大学は授業なし。やれやれ。
    もっとも、来週火曜日にテストがあるのをすっかり失念していたので
    すごく焦ってはいるのだが・・・
    (だったらブログなんて書いてないで勉強しろ、という声が聞こえる・・・💦)


    ウィーン放送交響楽団 + デーヴィス バーンスタイン「ミサ」

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      Wiener Konzerthaus Großer Saal 2018年10月28日 19時30分〜21時30分

      ORF Radio-Symphonieorchester Wien
      Wiener Singakademie
      (Einstudierung : Heinz Ferlesch)
      Opernschule der Wiener Staatsoper
      (Einstudierung : Johannes Mertl)
      Company of Music - Street Chorus
      (Einstudierung : Johannes Hiemetsberger)
      Celebrant : Vojtéch Dyk (Bariton)
      指揮 Dennis Russell Davies

      Leonard Berstein (1918-1990)
      Mass, Ein Theaterstück für Sänger, Instrumentalisten und Tänzer (1971)
      Konzertante Aufführung

      現代音楽祭の一環ではなく(!)
      ウィーン放送交響楽団のコンツェルトハウスのチクルスのコンサートの
      シーズン・オープニングは
      バーンスタインの Mass
      これって、やっぱりミサ曲、と訳すんだろうか。

      確かにミサではあるのだが
      賢明なる読者ご存知の通り、ミサ曲と言うには
      あまりに破天荒すぎて・・・

      プログラムはどっしり厚みが1センチ近くもあって
      対訳(ラテン語・ドイツ語 及び 英語・ドイツ語)が
      ト書き含めてすべて掲載されている。

      舞台一杯に広がったフル・オーケストラの向こうに
      合唱団がずらっと並び
      さらにその向こうのオルガンの脇に
      児童合唱団と合唱団の一部が並び
      舞台の前にストリート・コーラスとバリトンのソリスト。

      この曲は歌手とオーケストラとダンサーのための「劇」なのだが
      今回はもちろんコンサート形式上演。

      実はかなり前にセンパー・デポで
      室内音楽バージョンで、この曲を「劇」として
      かなりぶっ飛んだ演出で鑑賞した記憶が鮮明に残っている。
      (で、あの時、セレブラントをイエス・キリストに見立てるのはともかく
       最後に資本主義への警鐘、みたいなニュアンスが出ていて
       なんじゃこりゃ?と思ったのも、よく覚えている)

      今回はそういう余計なもの(すみません)はなくて
      音楽がそのまま直接響いてくる。
      ありがたい事にホールの照明も
      手元のテキストは充分に読めるくらいに明るい。

      うううう、凄い、すごい、ともかく、凄かった。
      セレブラントを歌った歌手・・・というより俳優さんは
      プラハで活躍しているそうだが
      ものすごくクリアで解りやすい英語を話すし、歌う。

      もちろん、もしかしたらアメリカ英語が母国語の人には
      奇妙に聞こえるのかもしれないけれど
      いや、もう、あんなにクリアに美しい英語が
      時には力強く、時にはとことん甘い囁き、時には喧嘩腰で
      まぁ、なんてバリエーションのある演技力を持った人なんだ(驚愕)
      (しかも最初から最後まで、完璧に暗記・暗譜している!!!)

      ミュージカル・タイプの発声なので、もちろんマイク使用だが
      ともかく、このセレブラントの歌声、話し声に
      最初から最後まで魅了されてしまって(ポッ)
      バリトンと書いてあるけれど
      テノールからファルセットまで自由自在に使い分けるし
      ともかく、マイクを通した声の甘さは、ハート直撃。

      ストリート・コーラスで出て来た歌手は
      え〜っと、あっはっは、みなさまクラシックご出身ですね?(笑)
      確かにジャズ的発声はマスターしているけれど
      音程の正確さで、クラシック出身がバレます(爆笑)
      (以前のセンパー・デポの時は、本当にストリート・コーラスっぽかったので
       音程ズレズレの粗い声が特徴的だった。今回はちょっと「綺麗」過ぎ(笑))

      この曲、演奏時間110分、休憩なしで
      キリスト教のミサの順番で
      キリエ、グローリア、クレド、サンクトゥス、ベネディクトゥス
      そしてアニュス・デイの構成にはなっているけれど
      途中に、ミサの典礼にないテキストと音楽がたくさん入って

      音楽的には12音のバリエーション、ブロードウエイ・ショー音楽
      ポップにバラード、新しい教会音楽(ポピュラー)、ロックなどなど
      クラシック的な要素とポピュラー、ジャズ、映画音楽その他
      幕の内弁当か大規模デパート、大々サービス何でもあり状態。
      (プログラムの解説によれば、クラシックな教会音楽、グレゴリア聖歌と
       アカペラ・コーラスだけは避けているとの事。
       確かに教会旋法で書かれた曲はない)

      読者みなさまご存知の通り
      私は「教会音楽」(ミサ曲)が大いに苦手なのだが
      このバーンスタインの大作、ミサと銘打ってはあっても
      実は全然ミサ曲じゃなくて

      神さまに喧嘩売ってるんかいっ!!!

      あ〜、すみません。
      でも、そうとしか思えない部分がかなりあって
      神という概念との戦い
      自分との戦い
      他人との関係から
      人間と自然に至るまでのテーマが
      次から次へと取り上げられて
      (時々は、かなり尖峰的になる)
      セレブラントの血を吐くような叫びが
      だんだん、キリスト教のイエス・キリスト的苦悩にも解釈できて
      確かに演出家としては、読み替えしたくなるだろう、と思う。

      しかしまぁ、取り上げられているテーマの範囲の広さに
      呆気に取られてしまう。
      もちろん、詩に隠されているから
      どこかの国営放送の青年の主張大会にはなっていないが

      様々な社会的局面への批判から
      絶望的な悩みに直面して
      でも、それでも前に進むしかない、という
      ある意味、非常にアメリカ的な進歩礼賛と人間賛歌があって

      当時の社会状況を彷彿させると同時に
      現代にも通じるところがあって
      かなり・・・いや、実はものすごく共感してしまった。
      あ〜、ワタシもまだ若い(って、そうじゃない!)

      こういう曲って(こういう曲に限らずだが)
      自宅でテキスト見ながら2時間集中して聴かないので
      (怠け者なんですワタシ)
      今回のコンサート、行って良かった (^^)v

      思い切り感激して
      隣で、途中で水飲んだり、立ったりお喋りしたりしていたカップルも
      もう、許すわ、という寛容な気分になった私に
      どうぞ1クリックをお恵み下さい。



      以前のセンパー・デポの上演、このブログに残っていないか調べたのだが
      見つからなかったので、観たのは10年以上前らしい。
      それでも鮮明に記憶に残っているのは、演出がむちゃヘンだったから(笑)

      ウィーン・フィル + 指揮者なし

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        Wiener Konzerthaus Großer Saal 2018年10月28日 11時〜13時

        Wiener Philharmoniker

        John Cage (1912-1992)
         4’33“ (1952)
        Arnold Schönberg (1874-1951)
         Verklärte Nacht op. 4 (Fassung für Streichorchester 1943)
        John Cage
         Sixty-Eight für Orchester (1992)
        Johannes Maria Staud (*1974)
         Scattered Light für unbalanciertes und undirigiertes Orchester (2017-2018) UA

        故クラウディオ・アバドが作ったウィーン現代音楽祭
        ウィーン・モデルンのオープニング・コンサート。

        11月は結構他のコンサートもチクルス買いで入っているのだが
        いちいち数えて、ちまちま1つごとのコンサート・チケットを買っても
        結局は総計したらゲネラル・パスとほとんど同額、というのが毎年なので
        ゲネラル・パス発売開始に行って
        行けそうな日で整理券のある分は全部確保して来た。

        しかし、このオープニング・コンサートは、何と別料金!!!
        ゲネラル・パスは日本円にしたら1万5千円以上するのに
        このウィーン・フィル(指揮者なし)のコンサートは
        加えて20ユーロを払わねばならない・・・(絶句)

        ただし自由席ではなく、席指定。
        たぶん、ゲネラル・パス所有者用のブロックがあると思う。
        (私の列はみんな大きなカタログを持っていたので)
        バルコン(2階席)正面の1列目なんて
        超貧民の私は自由席以外で座った事がない。

        さて、ウィーン・フィルで指揮者なし・・・
        いや、ウィーン・フィルって、たいていのモノは
        指揮者なしでも演奏できそうなオーケストラだが(笑)

        最初がジョン・ケージの4分33秒(爆笑)
        しかも、本日はオーストリア国営放送1番でのライブ中継(爆爆笑)
        プログラムによれば、この曲は
        今までコンツェルトハウスでは5回演奏(?)されていて
        コンツェルトハウスでの初演は2004年。
        楽器編成は自由。

        今回は弦楽オーケストラ編成で
        第一バイオリン、第二バイオリン、ビオラ、チェロとコントラバス。

        オーケストラ・メンバーが揃った後に
        コンサート・マスターのホーネック氏が登場。
        譜面台のところにストップ・ウォッチのようなものを置き
        全員に始め、の合図。
        第1楽章後に、力を抜いて、またストップ・ウォッチのスイッチを入れ
        第2楽章に移り、同じように第3楽章へ。

        いや、この名曲(というより迷曲か?)は
        今や、誰でも知っていると思うので
        客席は静かなんだけど

        後ろの列の若いお兄ちゃんの盛大なため息とか
        「なんだ、このクソは・・・」とか
        隣の女性に小声で囁いているのは聞こえるし

        あちこちから、結構な数の声を伴った咳き込みもある。

        しかも、もし、あれが演出でないとしたら
        たいしたものだ(色々な意味で)と思うんだけど
        第3楽章の途中で
        客席から、男性1名が大声で「アレルヤ」って叫んだ。
        ラジオ放送聴いてた人、全員聞いてるな。
        オンデマンドで1週間聴けるから、私もチェックしてみよう。

        2曲目の「浄夜」は、私の中では古典作品というか
        後期ロマン派の範疇に入る作品で
        もともと弦楽四重奏だし
        指揮者なくてもウィーン・フィルの弦だし

        いやもう、ああああああ
        ウィーン・フィルの弦のアンサンブルで
        この曲を演奏されると
        あまりの美しさに気が遠くなりそう・・・

        あのコンツェルトハウス大ホールのデッドな音響で
        しかもバルコン席という、空間のど真ん中の席で
        あの美しい弦の音って、震えが来る。

        後半の最初はジョン・ケージ晩年の作品。
        各パートに一つ一つの音の割り振りがあって
        パートの長さは各奏者に委ねられるという作品(らしい)

        最初の Cis から始まって、E まで行くので
        印象的には、あれ?シェルシか?みたいな感じなのだが
        マイクロトナールは使っていない。
        ただ、基音を中心に、パーカッションやピアノや管が
        様々な色合いを足して行く。
        (編成は古楽器フルート3本、イングリッシュ・ホルン5本
         クラリネット5本、トランペット5本、パーカッション2名
         ピアノ2台(ピアニスト2名)に弦(14-12-10-10-0))

        基音が変わって行くのと同時に
        そこに絡まるバリエーションが加わると
        まるで、基音そのものが変化していくような
        不思議な印象を与えて
        30分ほどの曲なのだが、すごく楽しい。
        感覚を研ぎ澄ませて
        音色の変化や、自分の内部での音感の変化を感じ取ると
        微妙に自分の内部での音が変わっていくのが楽しくて
        あ〜、絶対音感とか持ってなくて良かった。
        (まぁ、負け惜しみなんですけど(笑))

        最後はヨハネス・マリア・シュタウドの新曲。
        指揮者なしのオーケストラのための作品。
        編成はバスフルート2本、クラリネット1本、バセットホルン1本
        バスクラリネット1本、コントラバスクラリネット1本、ホルン2本
        トロンボーン3本、チューバ1本、パーカッション4名、ピアノ1台(奏者2名)
        弦が 12-10-8-0-0

        13分の演奏時間だが
        不思議な事に、これも基音+バリエーションを使っているのか
        演奏した時の印象が、ジョン・ケージの Sixty-Eight にすごく似ている。

        低音の楽器が多いのだが
        曲そのものは、低い感じが全くしない。
        (低音と高音なので、unbalanciert アンバランスの、というタイトルになっている)
        ピアノ(2名)によるテンポの持続低音に支えられて
        他の楽器それぞれが、そのテンポでの持続低音の役割を
        繋ぎながら
        そこに様々な楽器が重なって独特な音の世界を創り出す。

        持続低音が最初から最後まで続くので
        (途中でテンポが変わる部分はあるが
         やはり同じように基本的に4拍子で、どこかに持続低音が出てくる)
        かなりこの部分は頭に残る。

        オーストリア・ラジオ放送1番で
        1週間はオン・デマンドで聴けるので
        私も、今、聴き直しているのだが
        4分33秒も収録してある。
        咳こみとか(笑)
        一時急に咳が増えるのは、第1楽章後(爆笑)
        11時11分の後半あたりに、客席からの「アレルヤ」の声も。

        オーストリア・ラジオ放送のオンデマンドのサイトに入ったのは
        久し振りなのだが
        ちゃんと、聴きたい部分だけ聴けるという機能が入って
        とても楽になった。
        (昔は最初からしか聴く事が出来なかったので面倒だったが)

        現代音楽祭とは言え
        シェーンベルクとジョン・ケージからのオープニング(笑)
        (よって、カテゴリーは現代音楽にしていない。
         だって初演1曲しかなかったし)

        でも、まだまだこれから
        楽しい音楽を聴ける(途中、かなり長期間の浮気も予定)と思うと
        ワクワクしてくる私に
        どうぞ1クリックをお恵み下さい。



        オーストリアは本日から冬時間。
        日本との時差は8時間になって
        これから急に暗くなる(涙)

        オーストリア放送局のオンデマンド配信は
        https://radio.orf.at
        上記サイトから Radio Österreich 1を選び、Mehr Radioangebote から
        7 Tage Ö1 を選択した上で
        日にち(曜日で入ってます)を選んでお聴き下さい。

        ウィーン交響楽団 + エドワード・ガードナー 2回目

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          Wiener Konzerthaus Großer Saal 2018年10月25日 19時30分〜21時40分

          Wiener Symphoniker
          シャンソン HK Gruber
          ソプラノ Miah Persson
          指揮 Edward Gardner

          H Gruber (*1943)
           Frankenstein !!.
           Ein Pandämonium für Chansonnier und Orchester (1976-1977)
          Gustav Mahler (1860-1911)
           Symphonie Nr. 4 G-Dur
           für großes Orchester und Sopran-Solo (1899-1901)

          昨日の「おかわり」(笑)
          大まかなところは変わっていないので
          おヒマな方は昨日分をご参照下さい。

          いや、私も怠け者になったものだ・・・(と自分を許す緩さ・・・)

          このコンサートはオーストリアの祝日コンサートと銘打っている。
          参考までに、10月26日はオーストリアの祝日。

          よく誤解されているのは(オーストリア人もそう思っている)
          最後の占領軍がオーストリアを去った日と思われているのだが
          1955年10月25日までに占領軍が引き揚げるという期日が過ぎ
          1955年10月26日に、オーストリアが永世中立国であるという憲法を決定し
          (0時に遡って遂行)
          他国の軍隊はオーストリアに駐屯できなくなった、という日である。

          もちろん、コンサートの最初には
          オーストリアの国歌の演奏がある。
          観客全員、黙って起立する。

          ハイドンがフランツ1世(神聖ローマ帝国皇帝としては2世)に捧げた
          もともとのオーストリア国歌は
          ドイツに奪われてしまったのだが(笑)
          今の国歌も悪くないと思う。

          大昔に運転免許教習所に通っていた頃
          坂道発進がなかなか上手く出来なかった私は
          (マニュアル車なのでハンドブレーキ+ギアの組み合わせ高等技術)
          先生から、オーストリアの国歌を歌え、と言われ
          何かと思ったら、確かに出だしが「山の国」
          山の国で坂道発進が出来なくてどうする?という事らしい。

          閑話休題。

          HKグルーバーのフランケンシュタイン。
          昨日はテキストを見ていたので
          舞台から出てくるオーケストラとは思えない不思議な音の正体が
          今ひとつわからなかったのだが
          今日はバッチリ舞台が見える。

          あ〜、ピアニカだったんですね?
          しかも、鍵盤奏者(ピアノ、オルガン、トイピアノ)のところに1つ
          パーカッショニストのところに2つ(=パーカッション2名が担当)
          ついでに小型のピアニカを、 HKグルーバーが持っている。

          それから、小学校で演奏させられていた思い出のあるリコーダー。
          あのちまちました縦笛を
          パーカッションと、金管(トランペット・トロンボーン)奏者が
          ちまちまと吹いているのが、何とも楽しい。

          振り回しのスポンジの棒
          どこの温泉プールから持って来たんだろうという
          カラフルな棒を振り回す。
          (どういうものだか想像がつかないかもしれないので
           獨逸密林からの写真を貼っておく)




          あら、一番後ろの音響の良い席で聴いていると
          しっかりアエロフォーンの機能を果たしていて
          しかも、回転数?の関係で、ちゃんと3度の和音になってたりして(笑)

          音響の謎も解けたので、ちょっと嬉しい。

          後半のマーラーの交響曲4番。

          前の席の年配のご夫婦の男性の方が
          しょっちゅう小声でお喋りするので(第3楽章しかり・・・)
          物凄く気が散ったのだが
          まぁ、そういう人もいる(たぶん観光客。国歌の時にはいなかった)
          注意しようにも、ちょっと席が離れすぎている。

          それはともかくとして
          昨日は比較的良い席、ギャラリーの前の方で聴いて
          今日はギャラリーの最後の列で聴いたのだが

          最後の列の方が音が大きく聴こえてくる。
          ギャラリーの真ん中あたりって
          割に音が分散してしまうのではないか、と
          予々思っていたのだが、昨日・今日で比べてみると
          確かに最後の列の方が(壁の反射分?)音の響きは大きい。

          でも、音が大きく聴こえても
          全体的に求心力がなくて(良い悪いの判断は保留する)
          音楽が響くそばから、ガラガラと壊れて
          空間に散らばっていくような気がする。

          昨日と同じく、モチーフが続けて出現する時には
          あえて、表面的なメロディ・ラインに囚われる事なく
          モチーフを有機的に繋げた手腕は高く評価する。

          プログラムにも記載されていた通り
          この交響曲の第3楽章の美しさは比類がないけれど
          同時に中間部でしつこくしつこく、この上もなくしつこく
          繰り返される4度の移動が、ものすごく不気味。

          最終楽章の「天国の生活」だって
          音楽として鑑賞すると、全く「天国の生活」じゃなくて
          途中に地獄が見え隠れしてる。

          このガードナーという指揮者
          オペラ出身の経験によるところも大きいと思うのだが
          モチーフ強調とかをやっても
          メロディ・ラインはできる限り出して来て
          強弱のつけ方も、かなりドラマチックで
          テンポのアゴーギクも効かせていて
          (第3楽章のテーマとテーマの間のパウゼが長かった。
           一瞬、音楽が止まるかと思った)
          この交響曲を、かなり聴かせるだけの手腕があったと思う。

          同時に(まぁ、私の落ち込みもあるけど)
          一見(一聴?)モーツァルトかハイドンに聴こえるような
          ウィーン・クラシックに帰ったかのような
          無邪気な交響曲が
          ものすごく残酷な、実は恐ろしい交響曲・・・に聴こえて来た。

          う〜っ、マーラーって、こういう矛盾に満ちた
          表面上、良い人(=美しい音楽)なのに
          内面はドロドロというか・・・

          こういう表裏アリアリの
          建前・本音満載のウィーンらしい音楽を
          オーストリアの祝日のコンサートに演奏するって
          まぁ、関係者は別に何も考えていないだろうとは思うけれど
          オーストリアの、いや、特にウィーンの二面性を感じさせて

          いや、あはは、それはそれで悪くないかも(爆笑)

          明日の祝日の後、10月27日土曜日から28日日曜日にかけて
          夏時間から冬時間への変更がある。
          10月28日からは、太陽がおちるのが1時間早くなる訳で
          とうとう、本格的な冬の到来で
          ウィーンっ子たちも、そろそろ目が吊り上ってくる季節。

          今週日曜日からは、ウィーン・モデルン現代音楽祭。
          これから集中的に現代音楽を聴けるのが
          ワクワクして楽しい私に
          どうぞ1クリックをお恵み下さい。



          いや、いわゆる観客不在(でも構わない)現代音楽って
          あまり感情に突き刺さって来ないので
          その意味では安心して楽しめるという側面がある。

          ウィーン交響楽団 + エドワード・ガードナー 1回目

          0
            Wiener Konzerthaus Großer Saal 2018年10月24日 19時30分〜21時40分

            Wiener Symphoniker
            シャンソン HK Gruber
            ソプラノ Miah Persson
            指揮 Edward Gardner

            H Gruber (*1943)
             Frankenstein !!.
             Ein Pandämonium für Chansonnier und Orchester (1976-1977)
            Gustav Mahler (1860-1911)
             Symphonie Nr. 4 G-Dur
             für großes Orchester und Sopran-Solo (1899-1901)

            43歳のイギリス人指揮者、エドワード・ガードナーの
            コンツェルトハウスのデビューはウィーン交響楽団と
            グルーバーのフランケンシュタインにマーラーの交響曲4番。

            HK グルーバーの代表作フランケンシュタインは
            以前、ウィーン・フィルで聴いた時には
            あまり好きじゃないかも、と思ったので
            あまり期待せずに行ったのだが

            意外に面白いじゃないの(笑)

            グルーバー自身がシャンソニエとして舞台に登場し
            オーケストラのパーカッショニストが
            紙袋を膨らませては叩いて潰して音を出したり
            スポンジ素材のカラフルな棒を木管・金管のメンバーが振り回したり
            舞台上の動きについつい気を取られてしまう曲だが

            スポンジ素材の振り回し棒は
            アエロフォンと考えれば別に不自然じゃないし
            (もっとも、あれだけ離れた舞台でアエロフォン振り回しても
             音としてはほとんど聴こえないけど)
            シャンソンのバリエーションとしては
            様々なバレットがあって面白い。

            オーケストラの響きが薄い、というよりは
            解像度が良いのだろう。
            意外にフルメンバーのオーケストラだけど
            重苦しい感じが全くなくて、割に楽しく聴いてしまった。

            う〜ん、第一印象だけで判断してはいけないなぁ。

            後半はマーラーの交響曲4番。

            あらま、この演奏も、オーケストラの音が薄い。
            ぼってりと重苦しく演奏する曲ではないのは確かだが
            こんなに音の薄い、あっさりした感じの曲だったっけ?

            本当に耳が遠くなっているのかも・・・
            いや、でも、ちゃんとフォルテはフォルテで聴こえるし
            ポリフォニーも、意外や意外なところで
            普段聴こえない楽器のモチーフを出してきて
            それが、次のモチーフに有機的に繋がっている事を提示している。

            面白い指揮者だな。
            あそこまで、表面的なメロディの下に隠れたモチーフを
            はっきりと出してくる、というのは
            かなりこの曲を読み込んでいるんだと思う。

            実は次の日にも同じコンサートに行っていて
            また、ちょっと違う印象を抱いたので
            この記事を読まれた方
            ついでに、次の日の記事も、どうぞご覧下さいませ。

            という訳で、サボって、今、次の日分を書いている私に
            どうぞ1クリックをお恵み下さい。


            ムジカエテルナ + クルレンツィス

            0
              Wiener Konzerthaus Großer Saal 2018年10月23日 19時30分〜21時

              musicAeterna chorus of Perm Opera
              Mitglieder des musicAeterna orchestra of Perm Opera
              語り手 Michael Meylac
              指揮 Teodor Currentzis

              Philippe Hersant (*1948)
              Trista „Elegien“
              Choroper nach Gedichten französischer und russischer Gefangener (2016) EA

              1948年ローマ生まれ、年齢70歳の作曲家
              フィリップ・エルサンが、囚人たちの詩をもとに作曲した曲を聴いて
              変人クルレンツィスが、ペルムのオペラで上演したいから
              75分の曲にして欲しいと依頼して
              2016年6月22日にペルムのディアゲレフ・フェスティバルで初演された曲の
              オーストリア初演。

              指揮者はクルレンツィスだし
              コーラスも、オーケストラ・メンバーもムジカエテルナから来ているのに
              今ひとつ、観客の入りが悪いのは
              「現代音楽だから」という理由しか思い浮かばない。

              プログラム買ったら、案の定、最初にペラペラの紙が入っていて

              クルレンツィスの芸術的冒険により、プログラム変更になりました。

              あっ、またこの人、コンサート直前に変更してる・・・
              (この間はリートの順序を変えまくった・・・)

              19と20のナンバーの間に、もう一曲入れる、との事で
              まぁ、その位はあり得るかも。
              (前はプログラムに載っていない曲とピアニストを呼んできたりしてたし)

              「指揮者の意向により、本日は特別な照明を使います」
              とプログラムの記載はわかったけれど

              まさか最初から最後まで客席真っ暗だなんて・・・
              だって、手元に分厚いプログラムがあって
              歌われる歌詞のドイツ語訳が入っているのに
              客席真っ暗で、全くテキストが読めない!!!!

              真っ暗な会場と舞台で
              ボ〜ッと浮かび上がる舞台の語り手
              (だと思うが、何せ暗いし、
               今日に限って望遠鏡、もといオペラ・グラスを忘れたので
               誰が何やってるんだか、全然見えない)
              オルガンの伴奏でドイツ語らしい語りが入るのだが
              あまりに詩的で(たぶん)何言ってるのか、さっぱりわからん。

              真っ暗な舞台の上に
              いつの間にか揃ったペルムのオペラのコーラス・メンバー。
              でも、最初はオルガンの前の女性歌手が
              地声で民族音楽のような不思議な雰囲気の歌をソロで歌う。

              おお、これはマイクロトナールか?と思ったけれど
              続くコーラスの曲が
              まるで・・・ ルネサンス音楽のような響き。

              アカペラの、多分、教会旋法を使った多声の曲で
              現代音楽にあるまじきルネサンス風メロディ。

              舞台ではナンバーごとに
              コーラスのメンバーが動いて
              ソロになったり、デュエットになったり
              男声だけ、女声だけのバリエーション
              それに、室内楽のオーケストラ・メンバーが
              これも、舞台の真ん中でのソロあり
              脇でのアンサンブルあり、オルガン横での演奏あり

              各ナンバーごとに
              照明も変わるし、動きも変わるし

              音楽もルネサンス風だけじゃなくて
              如何にも現代音楽っぽく響く、息だけの曲とか
              喋っているだけの曲とか
              歌っている向こう側でコーラスが喋っているとか

              いや〜、この作曲家、すごく引き出しが多い。
              でも、基本的には伝統的なトナールが多くて
              とても聴きやすい。

              のだが・・・

              どういう内容を歌っているのか
              (フランス語、ロシア語、コルシカ語、日本語・・・らしい)
              全くわからず
              舞台では動きと音楽が様々なバリエーションで提供されているのに
              内容的についていけなくて
              置いてきぼりを食らった気分。

              それに、いくらバリエーションがあっても
              似たような曲想の音楽が続くと
              (しかも会場暗いので、時間の経過も良くわからん)
              最後の方は、ちょっとだけ(すみません)退屈しちゃうんです。
              まぁ、私の音楽的教養が足りない、と言われれば否定はしないけど。

              ほら、オペラを観に行っても
              字幕があるとなしとでは、全く楽しみの度合いが違うじゃないですか。
              今回の75分は
              字幕のないオペラ(=内容さっぱりわからず)を観ていたような気分。

              プログラムには詩の原文(ロシア語・フランス語その他)と
              ドイツ語役が記載されているのに、もったいない・・・

              ちなみに日本語は Takezo という、でもフランス人で日本人ではなく
              監獄の中で日本語を勉強して俳句を作ったという人が

              ことばを並べる
              紙の上に
              ただ忘れるため

              という詩と

              憎悪も苦悩も
              禅のぜんに
              鎖も格子も

              という詩があったが
              (ローマ字で書いてあったので、漢字が間違っている可能性あり)
              どこで歌われたのか、さ〜っぱりわからなかった。

              意外にロシア語のナンバーが多かったので
              ロシアでの上演では、観客はストーリー(というか内容)に
              ついて行けたんだろうか。
              (もちろん、詩だから、ストーリーとかないけれど)

              「合唱団用オペラ」と銘打ってあるだけに
              音楽のバリエーションに加えて
              合唱団の動きやアンサンブルの移動
              照明の多彩さで
              それなりに工夫を凝らしている事は
              よ〜くわかる。

              わかるんだけど
              いまいち、内容わからないと、置いてきぼりにされた感が否めない。

              合唱団の巧さ、クラシックの範疇から出たところにも及ぶ技術の高さ
              オペラ歌手にも劣らないソロのメンバーの巧さ
              ベルカントから地声、話し声、叫び声まで自由自在に駆使したのは見事。

              ある意味、非常に面白い体験ではあった。
              今週末から始まるウィーン・モデルン現代音楽祭への
              良き準備運動って感じかな。

              作曲家自身も舞台に上がって盛大な拍手を浴びていた。
              (註 途中で帰る人もちらほら・・・(笑))

              今週はともかく授業詰め込みすぎで
              毎日、4コマとか5コマとかあるので
              ぐったり疲れて帰って
              やっと宿題が終わって提出した私に
              どうぞ1クリックをお恵み下さい。



              いや、宿題一つじゃないから
              明日は、明後日提出の宿題2つを片付けねばならない。
              頭の中で、ずっとブルガリアの修道院のコーラスが鳴っている。
              (楽譜起こしです、一応。でも、何だか11拍とか言われて混乱してる)

              ホーフムジーク・カペレ + ムーティ

              0
                Musikverein Großer Saal 2018年10月21日 11時〜12時50分

                Wiener Hofmusikkapelle
                指揮 Riccardo Muti
                ソプラノ Genia Kühmeier
                アルト Daniela Pini
                テノール Werner Güra
                バス Adrian Eröd

                Wolfgang Amadeus Mozart (1756-1791)
                 Symphonie C-Dur, KV 338
                Nicola Porpora (1686-1768)
                 Salve Regina für Alt, Streicher und Basso cntinuo F-Dur
                Antonio Salieri (1750-1825)
                 Magnifcat für vierstimmigen Chor und Orchester C-Dur
                Franz Schubert (1797-1828)
                 Messe G-Dur, D 167 für Soli (Sopran, Tenor, Bass),
                 vierstimmigen Chor, Orchester und Orgel

                ホーフムジーク・カペレという比較的、地味に見える名前がついている
                このアンサンブルのメンバーはウィーン・フィルのメンバーである。
                で、合唱団は、かの有名なウィーン少年合唱団である。

                通常は日曜日の9時15分からホーフブルク宮殿のチャペルで
                ミサをやっているのだが
                年に数回(1回だけかも)ホーフブルクのミサはオルガンに任せ
                (よって、この日のホーフブルク・チャペルのミサのチケットは安い(笑))
                楽友協会でコンサートを行う。

                プログラム見てお分かりの通り
                レパートリーは宗教曲が中心。
                (他の曲もいくらでも演奏できるだろうが
                 ヨハン・シュトラウスのワルツとか演奏するのだったが
                 アンサンブルの名称が変化する)

                コンサート・マスターはホーネックさん ♡

                最初は宗教曲ではなくモーツァルトの交響曲第34番ハ長調。
                苦手なモーツァルトなのに

                あああああ、何という美しさ・・・
                バイオリンの透明感と絶妙なアンサンブルの
                解像度は高いのに、空気に溶けるような高雅さ。
                司教のため、というよりは
                一般的当時の特権階級の趣味の良さに沿って
                中期のモーツァルトが(24歳)円熟した技術を使って
                途中の転調が、モーツァルトらしさ満載で

                どの和音を通じて、どうなって転調しているのか
                分析したくて分析したくて・・・
                (まだ全然わかっていなくて、普通の音楽学生みたいに
                 自動的にサブドミナントとかダブル・ドミナントとか
                 全然出て来ないんです。もちろん、自分がアホだから(涙))

                モーツァルト聴くと自動的に熟睡、という普段の症状も忘れ
                トニカ・ドミナント、あっ、次の和声は一体何だ
                そこの転調、どうやった・・・なんて
                天上の響きの音楽を聴きながら、頭の中で考えているのが
                何となく悲しい・・・

                この段階を越えると、少しは音楽を理解できるようになるんだろうか???

                次の曲はニコラ・ポルポラの作品。
                イタリア後期バロックの作曲家で
                ナポリ、ローマ、ヴェネツィア、ドレスデン、ウィーンからナポリに戻る。
                ウィキで調べたら、ナポリは当時スペイン領。
                あ〜、それで神聖ローマ帝国の皇帝カール6世とも関係があったのか。
                ハイドンもポルポラに師事していたらしい。

                サルヴェ・レジーナはアルトのソロが入る。
                (が、多分これ、もともとは男声のカストラート用だろう。
                 カトリック教会のアンティフォナの一つだし)

                アルトは当初、ベルナーダ・フィンクが予定されていたが
                ジャンプ・インでダニエラ・ピニ。

                メゾ・ソプラノらしいけれど
                いや、低い声が厚めの美声で素晴らしい。
                声は前に飛ぶタイプらしく
                超貧民席で舞台の後ろだと音響はあまり良くなかったと思うけれど
                それでも声の質の良さは充分に伝わって来る。

                後半はサリエリのマニフィカト。
                サリエリって、モーツァルトに比べて
                ついつい軽く見られがちだが
                当時の作曲技法に基づいて、とても美しい曲を書いたんだなぁ。

                いやムーティが指揮台に立つと
                ともかく、何でもかんでも、その美しさが際立つ。
                何なんだろう、この美学。
                音楽性? センスの良さ? 経験の差?
                どの音楽も、徹底的に美しく提示してくる指揮者の音楽は
                通俗的な言葉で悪いけれど、本当に天国的。

                最後はフランツ・シューベルトのミサ。
                あああああ、もう、完璧な美しさ。
                ソプラノのキューマイヤーの澄んだ高音も素晴らしい。
                エレードのバスも、とてもはっきりと聴こえて来た。
                途中で寝落ちしていたのかもしれないが(すみません)
                ギューラのテノールは、あまり聴こえて来なかったなぁ。

                ウィーン少年合唱団のコーラスも良い。
                もともと皇帝マキシミリアンが宗教曲のために作った合唱団だから
                本来のレパートリーの一つになるわけで、素晴らしい響き。

                日曜日の午前中から
                宗教曲苦手なのに、カトリックのミサと同じ宗教曲聴いて
                グッタリするかと思っていたのだが
                小2時間、ともかく、徹底的な美の世界に連れて行かれて
                至福の時間だった。

                レコードも CD もラジオも何もない時代に
                こんなに美しい音楽をミサで聴けるんだったら
                カトリック教会の意義ってスゴイよなぁ・・・と
                関係ない事をチラチラ考えてしまった私に
                どうぞ1クリックをお恵み下さい。



                イスラエル・フィル + ズービン・メータ

                0
                  Musikverein Großer Saal 2018年10月20日 20時〜22時

                  Israel Philharmonie Orchestra
                  指揮 Zubin Mehta
                  バイオリン David Radzynski
                  チェロ Emanuele Silvestri
                  オーボエ Dudu Carmel
                  ファゴット Daniel Mazaki

                  Ludwig van Beethoven (1770-1827)
                   Ouvertüre zu „Coriolan“, op. 62
                  Joseph Haydn (1732-1809)
                   Sinfonia concertante für Violine, Violoncello, Oboe, Fagott und
                   Orchester B-Dur, Hob.I:105
                  Peter Iljitsch Tschakowskij (1840-1893)
                   Symphonie Nr. 6 h-Moll, op. 74 „Pathétique“

                  ズービン・メータとイスラエル・フィルのコンサートだが
                  開始時間が20時???

                  不思議に思っていたけれど
                  考えて見れば、ユダヤ教って、安息日が土曜日じゃないの。

                  友人情報だと、日が沈めば土曜日は終わりなのだそうで
                  という事は日没後にリハーサル、コンサート開始が20時って事なのかなぁ。

                  オーソドックスの人はそんなに居ないらしいが
                  だいたいオーケストラ見えないし(超貧民席ですから)
                  頭に帽子を被っている人がどのくらいいるのかもわからない。
                  ちらっと見えたところでは、普通の燕尾服で帽子もなかった。

                  このオーケストラの客演、過去は2015年にグラーフェネック
                  その前の2012年はチケット買い忘れで楽友協会の
                  音響最悪の立ち見席だったのだ。
                  指揮者は全公演でズービン・メータ。
                  メータも2019年で退任予定なので
                  この巨匠の堂々とした音楽が聴けるのは最後のチャンスかもしれない。

                  コリオラン序曲の堂々とした重さ。
                  弦の響きの厚みが素晴らしい。
                  重いのに、暗さに溺れる事なく
                  古典的なオーソドックスな響きと構成。

                  メータって、昨今の目立ちたい指揮者と違って
                  (全部が目立ちたい指揮者とは言ってませんし
                   目立ちたい指揮者が良いか悪いかは、また別問題です。誤解なきよう)
                  別に特別に何かする、というのは全くないから
                  奇抜な演奏とかに慣れてしまうと
                  なんてクラシックな正統派の演奏だ、とちょっと驚くくらい。

                  ハイドンのシンフォニア・コンツェルタンテ。
                  うははは、すごくゴキゲンな曲。
                  ハイドンって、本当に面白い作曲家だわ。
                  古典技法を熟知していながら、いや熟知しているからこそ
                  時々、いたずらを仕掛けてみたり
                  複数のソロ楽器なのに
                  ちゃんとカデンツを作ったり。
                  (カデンツの前の終止で、うおおおお、来るっていうのが
                   モロわかりで・・・こういうところ、ハイドン楽しい)

                  後半はチャイコフスキーの「悲愴」
                  以前のグラーフェネックの時も
                  同じオーケストラで同じ指揮者で、同じ曲を聴いた。

                  このコンサート、立ち見席に至るまで売り切れのコンサートで
                  貧民席には、一見さんの観光客も非常に多い。

                  だいたい、第1楽章の、あの例の部分で
                  ビクッとする人が何人いるか
                  (舞台が見えないので、指揮者のキューも見えない)
                  周囲を見ている私も私だが

                  周囲に注意を配らずとも
                  今日は、全身動かして驚愕した人が多過ぎて
                  更に、驚いた後
                  お隣さん同士が顔を見合わせて笑う、というシーンまであり

                  あ〜、もしかしたらフライング・ブラボーとか出ちゃうかな、と心配。

                  隣の年配のおじいちゃまが
                  中年の息子さんと、多分、その奥様と来ていて
                  奥さんは途中から、ずっとスマホを弄っていたけれど
                  このおじいちゃま、第2楽章の出だしで
                  大声で歌い出して(笑)息子さんに止められ
                  第3楽章のリズムを、声でチャッチャッチャッと歌いながら
                  腕を派手に動かして息子さんに止められ

                  なんだか憎めない可愛いおじいちゃまだったわ(笑)
                  おじいちゃまも息子さんも音楽好きなんだろうなぁ。

                  さて、この悲愴、出だしのファゴットがちょっとアレだったが
                  楽器の調子が悪かったのか、病気か疲れか
                  まぁ、そういう事もある。
                  メータは奇抜な事は一切しないので
                  とても伝統的な解釈に聴こえてくる(主観の問題です)

                  爆発的な第3楽章の後
                  フライング拍手、全くなし!!!
                  おおおお、これは想像していなかった。

                  周囲の空気読め、の雰囲気が徹底していたのかもしれない。

                  で、このイスラエル・フィルとメータの悲愴の最終楽章。
                  それまで、ふ〜ん、普通の演奏で
                  巧いけれど、特別な事は別に・・・とか思っていると
                  この最後で・・・やられるのだ。
                  ううう、油断していた。

                  この最後の終わり方は
                  ワタクシ的には、どう考えても、希望の全くない
                  地獄へまっしぐら。
                  救いもない、完璧な暗黒に堕ちつつ飲み込まれる感じ。

                  うわああ、それでなくても
                  最近、落ち込んでいるのに
                  そこに鞭打つような、この地獄堕ち・・・

                  周囲読めの徹底だか
                  それとも、観客全員が、あの地獄に真っ逆さまの
                  あの暗い暗い暗い闇に飲み込まれたのか
                  (私の周囲の一見さんたちも全員固まってた)
                  メータが指揮棒を下ろしても
                  誰1人として拍手しようとはせず
                  やっと、誰かが拍手し出して緊張が解けたけれど

                  観客全員、地獄を垣間見て、固まった悲愴というのも
                  なかなか珍しい。
                  (普通は、何で拍手しないの、とか顔を見合わせたり
                   席でモゾモゾするケースが多い)

                  ちょっと立ち上がれなくなるような打撃を受けた私に
                  どうぞ1クリックをお恵み下さい。




                  イアン・ボストリッジ + サスキア・ジョルジーニ

                  0
                    Wiener Konzerthaus Mozart Saal 2018年10月16日 19時30分〜21時30分

                    テノール Ian Bostridge
                    ピアノ Saskia Giorgini

                    Claude Debussy (1862-1918)
                     En sourdine (Fêtes galantes, 1. Heft Nr. 1)(1891)
                     Frantoches (Fêtes galantes, 1. Heft Nr. 2) (1891)
                     Clair de lune (Fêtes galantes, 1. Heft Nr. 3) (1891)
                     Les ingenus (Fêtes galantes, 2. Heft Nr. 1) (1904)
                     Le faune (Fêtes galantes, 2. Heft Nr. 2) (1904)
                     Colloque sentimental (Fêtes galantes, 2. Heft Nr. 3) (1904)

                    Maurice Ravel (1875-1937)
                     Shéhérazade (1903)
                      Asie
                      La Flûte enchantée
                      L’Indifferént

                    Johannes Brahms (1833-1897)
                     Es träumte mir op. 57/3 (1871)
                     Auf dem Kirchhofe op. 105/4 (1886)
                     Herbstgefühl op. 48/7 (1867)
                     Der Gang zum Liebchen op. 48/1 (1859)
                     Geheimnis op. 71/3 (1877)
                     Minnelied op. 71/5 (1877)
                     Alte Liebe op. 72/1 (1876)
                     Sommerfäden op. 72/2 (1876)
                     O kühler Wald op. 72/3 (1877)
                     Verzagen op. 72/4 (1877)
                     Über die Heide hallet op. 86/4 (1877)
                     Mein Herz ist schwer op. 94/3 (um 1884)
                     Botschaft op. 47/1 (1868)

                    Zugabe
                    Gabriel Fauré : Clair de lune op. 46/2
                    Robert Schumann : Mondnacht op. 39/5 (Liederkreis)
                    Benjamin Britten : O Waly, Waly
                    (Folk Song Arrangements Band 3, British Isles Nr. 5)

                    コンツェルトハウスの大ホールでは
                    かのテノール、ファン・ディエゴ・フローレスが
                    ラテン音楽を歌いまくっているようだが

                    私は大ホールではなく、隣のモーツァルト・ホールで
                    イギリスのテノール、イアン・ボストリッジのリサイタル。

                    コンツェルトハウスのリート・チクルスの一環なので
                    ある程度の固定客は見込めるとしても
                    かなり通向きのプログラム構成。

                    前半はドビュッシーとラヴェルだが
                    ドビュッシーがポール・ヴェルレーヌの詩を作曲した
                    「艶なる宴」からの曲。

                    ・・・知りません(汗)

                    しかも歌詞がフランス語で
                    ドイツ語の対訳はプログラムに記載されているけれど
                    象徴的なテキストで(だいたい詩というワケのわからないモノは苦手)
                    しかもテキスト見てると
                    舞台で、ものすご〜〜〜く動くボストリッジ博士を見逃してしまう。

                    そうなんです、ボストリッジ、めちゃくちゃ動くんです。
                    いつもながら、どこからその声が出てるんですか?という痩身の
                    背の高い身体が
                    観客に向かって迫るかと思えば
                    ピアノに向かって、ぐったりと身を預けて歌ったり
                    マティアス・ゲルネが乗り移ったかと思った。

                    ただ、ボストリッジの声は全方向性があって
                    ゲルネのように、顔が向く方向にしか声が飛ばない、という事はない。

                    で、何故かものすご〜〜〜くドラマチック。
                    ソット・ヴォーチェからフォルティッシモまで
                    自由自在に使い分けて歌うのだが
                    同時に身体を動かし、時々は上を向いてため息をつき
                    (違うのかもしれないが、そう見える)
                    歌詞の意味は全然わからないけれど
                    声の美しさとドラマツルギーで充分に聴かせてくれる。

                    というよりプログラムのドイツ語訳に
                    時々、ステファン・ゲオルゲの名前が出て来てビックリした。
                    ヴェルレーヌの詩に Nachdichtung と書いてあったので
                    真似したって事???(違うと思うけれど一応・・・)

                    ラヴェルのシェエラザードって
                    うわああ、こんな曲があったんだ、という程に
                    マイナーな選曲(だと思う。でも私だけが知らなかったという可能性もある)
                    バラード的な語りなのだが
                    何せ、フランス語がわからない(涙)

                    やっぱりリートってテキストが大事・・・

                    後半はブラームスだが
                    ブラームスなんだけど
                    ともかく、すごく芸術的というか
                    暗いというか
                    陰鬱というか(歌詞の内容も)

                    ボストリッジは時々、ピアノにすがりつくように
                    気分でも悪いんですか
                    大丈夫ですが
                    ・・・次の瞬間に自殺しそうな雰囲気を纏って
                    アナタの名前は太宰治ですか、とか言いそうになる。

                    何故にまた、こんな暗い曲ばっかり・・・(絶句)

                    で、時々、耐えかねたような絶叫が入るんだけど
                    これがまた悲壮というか
                    いや、フォルティッシモの高音の時
                    声が被ってなかった箇所が2回ありましたよね?
                    意図的なものかもしれないけれど、ちょっとギョッとした。

                    ロマン派の美学なのかもしれないけれど
                    ここまで、夢(もちろん愛は実現しない)とか、墓とか
                    秋(こちらでは陰鬱な冬が来るというシンボル)
                    恋人との別れとか
                    悲しみに満ちて森を彷徨うとか

                    ・・・う〜、暗いぞ、暗いぞ。
                    ヨーロッパの秋にしては比較的気温が高くて
                    まだ太陽が照っているから良いようなものの
                    通常の季節なら、陰鬱な冬の始まりに
                    こんな暗い曲を続けざまに歌われたら
                    (しかも、ともかくこちらもドラマチック)
                    観客全員を鬱病にしてやる、という
                    そこはかとない悪意をアーティストが持っている、と言われても
                    信じるかもしれない(極論)

                    しかもボストリッジが、本当に辛そうに歌うのである。
                    何か個人的に不幸な事でもありましたか?と
                    本気で聞きたくなる雰囲気。

                    ともかく声が美しいし
                    ほんの時々、チャーミングに響く事もあるし
                    ドイツ語のディクテーションも以前に比べたら格段に巧くなったが
                    ブラームスの歌曲の、しかも音楽もテキストも陰鬱なものを
                    ずらっと並べて、あそこまでドラマチックに歌われてしまうと
                    あまりにドラマチック過ぎて、かえって単調に聴こえたりする。

                    最後に取ってつけたように
                    長調の Botschaft を歌われて
                    しかもプログラムの右側にはアントワーヌ・ヴァトーの
                    艶なる宴の絵が載っていても

                    それまで太宰治だったので
                    あんまり急激に気分は変えられません・・・

                    コンツェルトハウスを私が限りなく愛すのは
                    アンコール・サービスと言って
                    携帯電話のメッセージにアンコール曲の情報が送られて来るから。

                    アンコールは、コンサート本体の暗さから(多少は)抜けて
                    フォーレは抑え気味の美しさを出してくれたし
                    シューマンも、ドイツ・リートらしい節制が効いていて
                    (そりゃ、あの曲で感情を爆発させたらヤバイだろう)
                    でも、最後のベンジャミン・ブリテンがすごく良かった。
                    やっぱりボストリッジって、ブリテンを歌わせると巧いわ。

                    伴奏のピアニストはイタリアのイモラとトリノ
                    その後はザルツブルクのモーツァルテウムで学んだ若い女性。
                    譜面台の上には iPad があって
                    どうやって譜めくりしているんだろう?(足かな?)

                    非常に綺麗な音色を出す人だが
                    割に強いタッチなので
                    伴奏より、ソロ・ピアノ向けの人かなぁ、という印象。
                    なんとなく歌手と溶け合っていない
                    ピアノだけが浮くという感じを受けたところがあった。
                    (まぁ、好みの問題ですが・・・)

                    通向けのプログラムだったけれど
                    ブラームスの歌曲に、こんな曲があったのか、と驚いたし
                    ドビュッシーやラヴェル、フォーレもチャーミングだった。

                    隣のホールのフローレスのペルー音楽も聴いてみたかったけれど
                    (民族音楽学の教授がペルー出身なのである)
                    残念ながら身体は1つしかないし
                    でも、テノールの歌手のコンサートを
                    同じ時間に2つのホールで開催するなんて・・・・と
                    コンツェルトハウスがちょっと恨めしい私に
                    どうぞ1クリックをお恵み下さい。


                    ウィーン交響楽団 + ベルトランド・ド・ビリー

                    0
                      Musikverein Großer Saal 2018年10月14日 19時30分〜21時40分

                      Wiener Symphoniker
                      指揮 Bertrand de Billy
                      ピアノ Jasminka Stančul

                      Hector Berlioz (1803-1869)
                       Roméo et Juliette. Dramatische Symphonie, op. 17 (Ausschnitte)
                       Roméo seul, Scéne d’amour, Scherzo „La Reine Mal ou la Fée des songes“

                      Maurice Ravel (1875-1937)
                       Konzert für Klavier und Orchester G-Dur

                      César Franck (1822-1890)
                       Symphonie d-Moll

                      最近、ウィーン交響楽団が
                      フランスのオーケストラと化しているような印象だが
                      今回もベルトランド・ド・ビリーの指揮で
                      フランス・プログラム。

                      ベルリオーズの「ロメオとジュリエット」
                      フォルクスオーパーのバレエは、この音楽を使っていたので
                      記憶にある・・・筈なんだけど
                      スケルツォしか頭に残ってないわ(ああ、自分の記憶力の無さにゲッソリ)

                      ビックリした。
                      音の透明感と軽やかさ、甘い香りのする羽のような浮揚感。
                      どう聴いてもウィーンのオーケストラとは思えない(妄想)
                      ドラマチックな音楽なのだが
                      ビリーは、あくまでも音楽そのものを出して来て
                      ベルリオーズの美しいメロディや和声が
                      この上なくバランスの取れた音響で
                      まろやかに、軽やかに楽友協会のホールに拡散していく。

                      ピアノが出てきて、ジャスミンカ・スタンチュール登場。
                      舞台見えない席なので、ピアニストは全然見えないけれど
                      このピアニスト、ともかく打鍵が強くて
                      バリバリ演奏するタイプで
                      潔くてマスキュリンで、私は好き。

                      ラヴェルのピアノ協奏曲ト長調は
                      ジャズっぽい要素をたくさん使って、ゴキゲンな曲だし
                      こういう曲なら、ピアノをガンガン、打楽器のごとく叩いても
                      スタンチュールの卓越したリズム感と打鍵の力が活きる。

                      アンコールに、バルトーク?っぽく聴こえる
                      ピアノ=打楽器理論(笑)を証明するかのような
                      ガンガン叩く曲。
                      いや、こういうはっきりしたスタンス、私は好きです。

                      でも本当の驚きは後半のセーザー・フランクの交響曲!!!

                      実はこの曲、すごく好き!!!
                      フランクとかサン=サーンスとか
                      フランスの作曲家でありながら
                      比較的ドイツ語圏音楽文化の影響を受けた作曲家って
                      ドビュッシーとかラヴェルに比べて
                      演奏される機会が少ないのだが

                      フランクの交響曲、これ、本当に名曲です!!!♡

                      ただ、それだけ私の思い込みがあると
                      演奏に対しても、点が辛くなるのだが(笑)

                      出だしのレントのテーマ提示、テンポがかなり遅い。
                      レントだから正しいのだが、引っ張る引っ張る・・・
                      低弦のユニゾンだが
                      テンポは遅めで、暗い音色を出していながら
                      音そのものの重量は、かなり空気に浮く。

                      暑苦しい重さがなく
                      透き通った弦の音での暗いテーマの後には
                      当然ながら、お約束の通り
                      テンポを上げた爆発的な第一主要主題の提示。

                      きゃああああ
                      ここ、指揮者によっては思い切りフォルテにして
                      大袈裟にドラマチックにするところなんだけど
                      ビリーの音楽の、あの抑制感が快感。背中がゾクゾクする。

                      爆発はしているものの
                      感情的にならず、あくまでも「音楽」の範囲内で収め
                      しかも各パートのバランスの良さは何なんだ。
                      解像度が高いので、音の透明感が凄い。

                      ウィーン交響楽団の第一バイオリンって
                      こんなに巧かったっけ?と目、いや、耳を疑ってしまったが
                      (オーケストラの皆さま、ごめんなさい)
                      フワッと入ってくる第一バイオリンのアンサンブルの音の
                      羽のような浮揚感と、そこはかとないベージュの香り。

                      まるで羽で、身体をソワッと触られたようなゾクゾク感。

                      音量のバランスが徹底的に考えられているので
                      演奏の立体感が、ホールの空間を超えて、宇宙に飛び出すような感じ。

                      中間部の長調の、あの妙なるメロディの美しさ・・・(ため息)

                      この曲、ともかく構成がガッチリしていて
                      導入部、主要テーマの提示、経過主題に第二主題が
                      激しい転調を繰り返し、バリエーションを出しつつ
                      目にも(いや耳にも(笑))止まらぬ速さで展開するので
                      いや、もう、実に面白い。
                      (というか、転調の練習問題、まだやってない、と冷汗かいたり・・)

                      第2楽章のイングリッシュ・ホルン。
                      哀愁に満ちた曲想に、第1楽章の第二主題が絡まったり
                      マズルカ動機が出て来たりして
                      これも構成の魅力が充分に楽しめる。

                      フィナーレの素晴らしさと言ったら、もう言葉にならない。
                      久し振りにナマで聴いたせいか
                      この曲の構成の妙に圧倒されていて
                      華やかな長調のテーマに第2楽章のテーマが絡み
                      第1楽章のテーマが加わってのフィナーレの圧倒的な音楽性。

                      ウィーン交響楽団の管楽器軍団(笑)は技術的には超一流だし
                      今日は弦、特に第一バイオリンのアンサンブルが素晴らしく
                      低弦も重くなる事なく、透明な音で響いて

                      あれだけ厚いオーケストレーションなのに
                      重さを感じさせず
                      時には宙に浮くような浮揚感を与えて
                      力強いフィナーレも、力任せではなく
                      あくまでも、流れる音楽の持続性と統一感を出して
                      ウィーン交響楽団とビリーの面目躍如の名演。

                      名曲を名曲として聴かせてくれるコンサートって貴重だわ。
                      いくら傑作でも
                      やっぱり録音では音が潰れて
                      音響空間を身体全体で感じる事は不可能だし

                      ただ楽譜の通り音を出すだけ、という演奏はクソつまらんし(断言)
                      その意味では、徹底的に考えられた構成のこの曲を
                      その構成が浮き彫りになるように
                      大袈裟にならず、あくまでも音楽的に扱ったビリーに惚れる。

                      滅多に演奏されない曲だけに
                      感動の嵐で会場を後にした私に
                      どうぞ1クリックをお恵み下さい。



                      そう言えば、サン=サーンスのオルガン交響曲も
                      一時はかなり集中して演奏されていたのに
                      最近、さっぱり聴かない・・・すごく悲しい(涙)

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