Wiener Konzerthaus Großer Saal 2018年4月28日 19時30分〜22時
Rotterdam Philharmonic Orchestra
指揮 Yannick Nézet-Séguin
ピアノ Yuja Wang
Joseph Haydn (1732-1809)
Symphonie f-moll Hob. I/49 „La Passione“ (1768)
Sergej Rachmaninoff (1873-1943)
Konzert für Klavier und Orchester Nr. 4 g-moll op. 40 (1926)
Peter Iljitsch Tschaikowsky (1840-1893)
Symphonie Nr. 4 f-moll op. 36 (1877-1878)
チクルスになかったコンサートだが
ユジャ・ワンがどんな格好で出てくるか興味があって
貧民席最終列(立ったら見える)を購入。
ロッテルダム・フィルハーモニー管弦楽団は
大昔、ネゼ=セガンが就任した頃に聴いていて
あまりポジティブな印象はなかったので
ユジャ・ワンが出なかったらチケットは買わなかったかも・・・
という人も、かなり多かっただろうと思うのだが
天井桟敷の席は満杯である。
ハイドンの La Passione
パシオーネと聞けば
パッション=情熱だと思っていたら
いやこれ、受難曲の方のパッションだった。
(後世の人が、短調だしキリストの受難を思い起こす
というので、この名前を付けたらしい)
そう言えば、昔、どこかで
ヨハネの情熱、という記述を読んで爆笑した事があったっけ。
・・・あんまり人の事を笑えないな、私も。
オーケストラの音はキレが良い。
最近、どこのオーケストラも指揮者もそうなんだけど
小編成で弦はノンビブラート奏法。
モダン・オーケストラだけど
古典的な雰囲気を出そうというのが
現代のスタンダードになってしまっていて
どこのオーケストラも、どの指揮者も同じような奏法を取るので
そろそろ、奇抜な事をして目立ちたい指揮者が
ビブラートたっぷりのハイドンとか聴かせてくれる日が
来るかもしれない。
(来たら爆笑してしまいそうだが)
ラフマニノフのピアノ協奏曲4番。
ラフマニノフのピアノ協奏曲で有名なのは2番で
さすがに2番はあまりにポピュラー過ぎとは言え
滅多に演奏されない4番とはね・・・
オーケストラが舞台に揃って音合わせも終わっているのに
指揮者もピアニストも登場しない・・・・と思ったら
指揮者だけが舞台に登場。
うううう、悪い予感・・・
ネゼ=セガンが英語で
大丈夫、ユジャ・ワンは来ていますし
ちゃんと演奏もします。
ただ、彼女は非常に痛みが激しいので
私から皆さまに理解していただくよう話して欲しいと言われました。
・・・痛み????
どこの、とは言わなかったし
腱鞘炎だったら、ラフマニノフとか絶対に弾けないし
腕に湿布とかもなかったから、どこが痛いのかは最後まで不明だったが。
青のキラキラのラメのロング・ドレスで
肩はばっちり空いて
ついでに背中は全部空いているので
美しい背中は腰に近いところまで見えるし
前はバストをゆるく囲むようなデザインで
相変わらず色っぽいのだが
スリットは入っていなかった(笑)
ミニスカートか、あるいはチャイナ・ドレスの
腰までスリット入ったドレスかと思ったら
美しい背中は見せた代わりに
おみ足は隠されていて、とても残念。
なにをオヤジと化してセクハラ発言してるんだ
と思われる向きもあろうが
ユジャ・ワンはそれが一つのマーケティング・ポイントだから許して下さい。
調子悪いとか指揮者にわざわざアナウンスさせたのに
ピアノのテクニックは相変わらず鉄壁。
もう、この人、超人としか思えないわ。
運動神経が常人と違うわ。
安定度が抜群で、音の一つ一つに緩みがなくて
オクターブ連打も何のその。
あそこまで上から強い打鍵で
楽々と叩いているように見えると
調子悪そうだけど、すごい、としか思えない。
協奏曲終わったら逃げるように舞台裏に引っ込んで
聴衆も、一応拍手はするけれど
体調悪そうだし、アンコールないだろうし
どうしようかなぁ、と戸惑いつつも拍手をしていたら
え?アンコール弾くの?
リスト編曲版、シューベルトの「糸を紡ぐグレートヒェン」
ものすごく均質な音の中でメロディをさり気なく生かし
シュトローフェン・リート的な繰り返しの処理の見事さ
大袈裟にならないビーダーマイヤー的感情の爆発
いや、ユジャ・ワン、テクニックも凄いけれど
私が驚くのは、その見事な音楽のセンス。
(同じ中国に技術の凄いのは他に居るけれど・・・(笑))
後半はチャイコフスキーの交響曲4番。
幕間に金管が練習していて
あの出だしの後、長三度とかの和音で下がってくると
シリアスなチャイコフスキーがお笑いになってしまう。
なんてお茶目なホルンとトランペット・・・と
幕間についつい微笑ましく思ったが
思ったより演奏が良くてビックリした。
舞台にずらっと並んだオーケストラは
何だかバイオリンとビオラの数が
むちゃくちゃ多いような気がする。
(コントラバスは8台だったが、それは普通だし
チェロもそんなに多くなかったと思うんだけど
第一バイオリンと、対抗位置の第二バイオリンの人数が
なんだか異様に多い(舞台から遠すぎて数えられないけど))
管楽器が目立つ曲なので
これだけ弦のメンバーが多いと
管楽器と弦楽器のバランスが非常に良い。
弦楽器のアンサンブルも均等に美しい響きだし
管楽器が不自然に飛び出す事もなくて、すごく良い感じ。
ネゼ=セガンは、溜めるところはとことん溜めて
ロマンチックにドラマチックに押して来る。
第3楽章の弦のピチカートも
あれだけ弦の人数がいると、ものすごく美しい。
極限まで音量を絞っても、あんなに綺麗に響いてくるとは。
ねっとりとしたロシア風のウエットさと
モダンな洗練された部分とのバランスが良くて
ダイナミック・レンジが広くて
音楽として、とても楽しく鑑賞できた。
ネゼ=セガン、ロッテルダム・フィルと
かなり巧く関係を保っているような感じ。
お互いの信頼がバッチリ出来て来ているのが見えて
オーケストラのレベルもアップしたし
指揮者もオーケストラもハッピーなのがわかる。
アンコールは・・・
出だしを聴いたとたん
客席から笑い声と拍手が起こって
中断する有り様になったけれど
ヨハン・シュトラウス2世の
ピチカート・ポルカなんか演奏するから(爆笑)
いや〜、もう、絵に描いたようなサービス精神。
演奏する方も聴いている方もハッピーな気分。
ネゼ=セガン、やるじゃん!!!
ちょっと今、大学のプロゼミで
小論文を書かねばならず
それが「クラシックは教養のある人が学んで
その教養を伸ばすもの」みたいな
(19世紀初頭のものです、念の為)
クラシック音楽って修行かよ?という論文なのだが
音楽なんて楽しければそれで良いんじゃないの?と
ついつい小論文に余計な事を書きそうで
自分で自分が怖い私に
どうぞ1クリックをお恵み下さい。
Rotterdam Philharmonic Orchestra
指揮 Yannick Nézet-Séguin
ピアノ Yuja Wang
Joseph Haydn (1732-1809)
Symphonie f-moll Hob. I/49 „La Passione“ (1768)
Sergej Rachmaninoff (1873-1943)
Konzert für Klavier und Orchester Nr. 4 g-moll op. 40 (1926)
Peter Iljitsch Tschaikowsky (1840-1893)
Symphonie Nr. 4 f-moll op. 36 (1877-1878)
チクルスになかったコンサートだが
ユジャ・ワンがどんな格好で出てくるか興味があって
貧民席最終列(立ったら見える)を購入。
ロッテルダム・フィルハーモニー管弦楽団は
大昔、ネゼ=セガンが就任した頃に聴いていて
あまりポジティブな印象はなかったので
ユジャ・ワンが出なかったらチケットは買わなかったかも・・・
という人も、かなり多かっただろうと思うのだが
天井桟敷の席は満杯である。
ハイドンの La Passione
パシオーネと聞けば
パッション=情熱だと思っていたら
いやこれ、受難曲の方のパッションだった。
(後世の人が、短調だしキリストの受難を思い起こす
というので、この名前を付けたらしい)
そう言えば、昔、どこかで
ヨハネの情熱、という記述を読んで爆笑した事があったっけ。
・・・あんまり人の事を笑えないな、私も。
オーケストラの音はキレが良い。
最近、どこのオーケストラも指揮者もそうなんだけど
小編成で弦はノンビブラート奏法。
モダン・オーケストラだけど
古典的な雰囲気を出そうというのが
現代のスタンダードになってしまっていて
どこのオーケストラも、どの指揮者も同じような奏法を取るので
そろそろ、奇抜な事をして目立ちたい指揮者が
ビブラートたっぷりのハイドンとか聴かせてくれる日が
来るかもしれない。
(来たら爆笑してしまいそうだが)
ラフマニノフのピアノ協奏曲4番。
ラフマニノフのピアノ協奏曲で有名なのは2番で
さすがに2番はあまりにポピュラー過ぎとは言え
滅多に演奏されない4番とはね・・・
オーケストラが舞台に揃って音合わせも終わっているのに
指揮者もピアニストも登場しない・・・・と思ったら
指揮者だけが舞台に登場。
うううう、悪い予感・・・
ネゼ=セガンが英語で
大丈夫、ユジャ・ワンは来ていますし
ちゃんと演奏もします。
ただ、彼女は非常に痛みが激しいので
私から皆さまに理解していただくよう話して欲しいと言われました。
・・・痛み????
どこの、とは言わなかったし
腱鞘炎だったら、ラフマニノフとか絶対に弾けないし
腕に湿布とかもなかったから、どこが痛いのかは最後まで不明だったが。
青のキラキラのラメのロング・ドレスで
肩はばっちり空いて
ついでに背中は全部空いているので
美しい背中は腰に近いところまで見えるし
前はバストをゆるく囲むようなデザインで
相変わらず色っぽいのだが
スリットは入っていなかった(笑)
ミニスカートか、あるいはチャイナ・ドレスの
腰までスリット入ったドレスかと思ったら
美しい背中は見せた代わりに
おみ足は隠されていて、とても残念。
なにをオヤジと化してセクハラ発言してるんだ
と思われる向きもあろうが
ユジャ・ワンはそれが一つのマーケティング・ポイントだから許して下さい。
調子悪いとか指揮者にわざわざアナウンスさせたのに
ピアノのテクニックは相変わらず鉄壁。
もう、この人、超人としか思えないわ。
運動神経が常人と違うわ。
安定度が抜群で、音の一つ一つに緩みがなくて
オクターブ連打も何のその。
あそこまで上から強い打鍵で
楽々と叩いているように見えると
調子悪そうだけど、すごい、としか思えない。
協奏曲終わったら逃げるように舞台裏に引っ込んで
聴衆も、一応拍手はするけれど
体調悪そうだし、アンコールないだろうし
どうしようかなぁ、と戸惑いつつも拍手をしていたら
え?アンコール弾くの?
リスト編曲版、シューベルトの「糸を紡ぐグレートヒェン」
ものすごく均質な音の中でメロディをさり気なく生かし
シュトローフェン・リート的な繰り返しの処理の見事さ
大袈裟にならないビーダーマイヤー的感情の爆発
いや、ユジャ・ワン、テクニックも凄いけれど
私が驚くのは、その見事な音楽のセンス。
(同じ中国に技術の凄いのは他に居るけれど・・・(笑))
後半はチャイコフスキーの交響曲4番。
幕間に金管が練習していて
あの出だしの後、長三度とかの和音で下がってくると
シリアスなチャイコフスキーがお笑いになってしまう。
なんてお茶目なホルンとトランペット・・・と
幕間についつい微笑ましく思ったが
思ったより演奏が良くてビックリした。
舞台にずらっと並んだオーケストラは
何だかバイオリンとビオラの数が
むちゃくちゃ多いような気がする。
(コントラバスは8台だったが、それは普通だし
チェロもそんなに多くなかったと思うんだけど
第一バイオリンと、対抗位置の第二バイオリンの人数が
なんだか異様に多い(舞台から遠すぎて数えられないけど))
管楽器が目立つ曲なので
これだけ弦のメンバーが多いと
管楽器と弦楽器のバランスが非常に良い。
弦楽器のアンサンブルも均等に美しい響きだし
管楽器が不自然に飛び出す事もなくて、すごく良い感じ。
ネゼ=セガンは、溜めるところはとことん溜めて
ロマンチックにドラマチックに押して来る。
第3楽章の弦のピチカートも
あれだけ弦の人数がいると、ものすごく美しい。
極限まで音量を絞っても、あんなに綺麗に響いてくるとは。
ねっとりとしたロシア風のウエットさと
モダンな洗練された部分とのバランスが良くて
ダイナミック・レンジが広くて
音楽として、とても楽しく鑑賞できた。
ネゼ=セガン、ロッテルダム・フィルと
かなり巧く関係を保っているような感じ。
お互いの信頼がバッチリ出来て来ているのが見えて
オーケストラのレベルもアップしたし
指揮者もオーケストラもハッピーなのがわかる。
アンコールは・・・
出だしを聴いたとたん
客席から笑い声と拍手が起こって
中断する有り様になったけれど
ヨハン・シュトラウス2世の
ピチカート・ポルカなんか演奏するから(爆笑)
いや〜、もう、絵に描いたようなサービス精神。
演奏する方も聴いている方もハッピーな気分。
ネゼ=セガン、やるじゃん!!!
ちょっと今、大学のプロゼミで
小論文を書かねばならず
それが「クラシックは教養のある人が学んで
その教養を伸ばすもの」みたいな
(19世紀初頭のものです、念の為)
クラシック音楽って修行かよ?という論文なのだが
音楽なんて楽しければそれで良いんじゃないの?と
ついつい小論文に余計な事を書きそうで
自分で自分が怖い私に
どうぞ1クリックをお恵み下さい。