Wiener Konzerthaus Mozart-Saal 2017年11月30日 19時30分〜20時50分
テノール Michael Schade
ピアノ Malcolm Martineau
Franz Schubert (1797-1828)
Winterreise
Liederzyklus nach Gedichten von Wilhelm Müller D 911 (1827)
ミヒャエル・シャーデは
私が以前から追いかけているテノール歌手。
このブログに移行する前に(記録は無情にも消えた(涙))
ウィーン劇場で「美しき水車小屋の娘」を聴いて
そのあまりのオペラちっくな表現にひっくり返ってから
機会があればリサイタルに足を運んでいる。
(このブログは2008年からだが、それでも5回記事がある)
ついでにオペラ座でもよく拝見(笑)
シャーデは「美しき水車小屋の娘」は何回も歌っているし
アンコールにも歌ったりするし
シューベルトやベートーベン、シューマン(これ絶品)
フーゴ・ヴォルフもレパートリーにしているが
今回のリサイタル、見つけた時に
えええええええっ!!!
シャーデが「冬の旅」を歌うの?!
確かに今まで歌った事がなくて
プログラムにも「今回が初めて」と書いてある。
そりゃそうだよなぁ。
だって「冬の旅」って暗いじゃないですか。
(だいたい私はシューベルトが苦手である)
最初から最後まで
まさに白黒の世界で
凍りつくような悲惨さを纏わせ
このチクルスだけは
ある程度の年齢になって
やっぱり「死」を考えるようになってからでないと
とても聴けないチクルスだと、今でも確信している。
一方、ミヒャエル・シャーデと言えば
蕩けるようなソット・ヴォーチェが魅力的で
聴いている方に体感的な快感(すみません)を感じさせる
甘い声のチャーミングさで有名なテノール。
リリック・テノール、しかも甘い声で
あの、暗い暗い暗い暗い「冬の旅」というのは
スープレットのソプラノが歌うような違和感があるんじゃないだろうか。
本日は朝からウィーンは雪(涙)
途中から雨にはなったけれど
私の住んでいる郊外では、まだまだ雪景色が残っていて
寒いし暗いし
シューベルトの「冬の旅」の悲惨な雰囲気に一役買っている。
最初の Gute Nacht で椅子からずり落ちそうになった。
その声量で、その歌、歌うか?!
ホール中に響き渡る澄んだ甘い高音テノールの
激しい感情をあらわにした表現・・・
・・・と思ったら
途中でグッと音量落として
またこれ、とんでもないソット・ヴォーチェ。
フォルテとピアニッシモの絶え間ない繰り返し。
しかも低音の部分でシュプレッヒ・シュティメまで出て来た時には
本気で仰け反った。
何とまぁ、情熱的で「人間的」な主人公。
諦観とかよりも
人生、大変だけど、何とかやっとるわい
って、え〜っと、え〜っと、イメージと違うぞ。
ただ、シャーデはアホではない(と思う、時々天然かもしれないが)
計算してやっているのか
天才的な天然で本能的にやっているのかはわからないけれど
この「冬の旅」を、白黒一色にせず
ドラマチックに、でもパロディになる直前で抑制している。
だいたい私、もともと短調がむちゃ苦手。
これだけ短調続きのチクルスは、ゲッソリするのだが
途中の Frühlingstraum とか Das Wirtshaus とか
ちょっと温かさを感じてホッとするところの
シャーデの声が、あぁ、もう、本当に柔らかくてゾクゾクする。
一方、冷たい冬の厳しい孤独の表現は
う〜ん、テノール(しかも、ものすごい美声)で
時々(意識して)リートにあるまじき声量で歌ってしまうと
孤独とか寒さを嘆くのはわかるのだが
ある意味「諦観」を感じるよりは
どちらかと言えば、運命に対する怒り?のようなものが伝わってくる。
テノールがこのチクルスを歌うのは確かに難しい。
この孤独と白黒と諦観の世界には
できれば深いバスかバリトンの方が向いている。
だいたい、このチクルス、ソプラノだって歌えないだろ。
ソプラノが歌ったら、ただのヒステリーになってしまう(と思う)
持ち前のこの上なく美しいソット・ヴォーチェだけでは
チクルス全体が甘くなり過ぎるという判断があったのかもしれない。
(そ〜いうのも聴いてみたいような気がするが)
ただの「ロマンティック」に溺れずに
この悲惨な雰囲気を出すのに
ある程度の声量をドラマチックに使う、という方法論だったと思う。
フォルテッシモとピアニッシモを目まぐるしく使ったシャーデが
最後の Der Leiermann だけ
最初から最後まで、一回もフォルテを使わず、歌い上げた。
・・・涙が出ました。
シャーデさん、あれはないよ、ルール違反だよ。
徹底的にドラマチックに振り回しておいた後
最後の Der Leiermann で
そこまで透明な諦観の世界観を
突然、突きつけられたら
心臓にグッサリと冷たい孤独が刺さってくる。
ピアニストのマルコルム・マルティヌーが、素晴らしい。
「冬の旅」の世界観を
シャーデの甘いテノールと対極的に
透明な、硬めの、ペダリングほとんどない演奏で
シューベルトのリートにおいて
声とピアノが対等の立場にあって
補いあいながらも独立した音楽を奏でているのがよくわかる。
追随するのではなく
引き立てながらもピアノの音楽の世界観は
しっかり構築されている、という
驚くべきピアノだった。
プログラムの最初のところに小さな文字で
宮廷歌手のミヒャエル・シャーデは
このコンサートを弟(か兄)のヨハネス・シャーデの思い出に捧げます
と書いてあったので
お身内に不幸があったのだろう、きっと。
この曲を聴いても
あまり死者は喜ばないような気がするが(すみません)
シャーデとしては、死を意識した時点で
「冬の旅」を歌う、という決心がついたのだろうと推測する。
シャーデの甘いテノールに合うチクルスではない。
なのに敢えて、このチクルスに挑戦して
ドラマチックな世界観に聴衆を溺れさせておいて
最後に突然、別世界に連れていったルール破り(笑)には敬意を表す。
ものすご〜く正直に言っちゃうと
でも、これ1回で勘弁してね
レパートリーに入れないでね・・・というのはあるんだけど。
たまたま、今日の音楽史の授業で
シューベルトが取り上げられて
この「冬の旅」の音楽的構成への言及もあったのだが
ウィーンに住んでいる利点というのは
その気になればシューベルトの生家や死んだ家に
市電で数駅で行ける事(笑)
当時のリヒテンタール地区は、地理上、ジメジメした地区だったはずで
考えてみれば、当時はもちろん電灯も電気も電話もなく
市電も車もなく
馬車は貴族の乗り物、あるいは遠距離の時の乗り物で
日本の江戸時代と同じく、みんな歩いて移動していたと思うのだが
地面は汚物で一杯で(これは史実らしいぞ)
しかも当時は人はバタバタと死ぬ時代。
ちょっと風邪を拗らせたり、怪我して化膿したら、そこで死ぬ。
(世界最初の抗生物質は1911年のサルバルサン、1928年のペニシリン)
子供が生まれたら母親はバタバタと産褥熱で死ぬ。
(院内感染予防のゼンメルヴァイスが院内感染に気がついたのは1847年である)
乳幼児死亡率も高い。
死というものが、身近にあって
電気も電灯もなくて
当時のリヒテンタール地区は水はけが悪かった事で有名だし
雪が降って、寒くて暗くて
メッテルニヒ時代で言論統制があって・・・
音楽に歴史を聴いてしまう、というのも
不思議な現象だが
こと、この苦手な「冬の旅」には
当時の世相が反映されているような気がする私に
どうぞ1クリックをお恵み下さい。
アンコールはなし。
天然でサービス精神旺盛なシャーデだから
おふざけでアンコール歌って聴衆をノセるかとも思ったけれど
さすがに「冬の旅」の後(しかも、あの Der Leiermann の後)では
アンコールは無理だわ。
テノール Michael Schade
ピアノ Malcolm Martineau
Franz Schubert (1797-1828)
Winterreise
Liederzyklus nach Gedichten von Wilhelm Müller D 911 (1827)
ミヒャエル・シャーデは
私が以前から追いかけているテノール歌手。
このブログに移行する前に(記録は無情にも消えた(涙))
ウィーン劇場で「美しき水車小屋の娘」を聴いて
そのあまりのオペラちっくな表現にひっくり返ってから
機会があればリサイタルに足を運んでいる。
(このブログは2008年からだが、それでも5回記事がある)
ついでにオペラ座でもよく拝見(笑)
シャーデは「美しき水車小屋の娘」は何回も歌っているし
アンコールにも歌ったりするし
シューベルトやベートーベン、シューマン(これ絶品)
フーゴ・ヴォルフもレパートリーにしているが
今回のリサイタル、見つけた時に
えええええええっ!!!
シャーデが「冬の旅」を歌うの?!
確かに今まで歌った事がなくて
プログラムにも「今回が初めて」と書いてある。
そりゃそうだよなぁ。
だって「冬の旅」って暗いじゃないですか。
(だいたい私はシューベルトが苦手である)
最初から最後まで
まさに白黒の世界で
凍りつくような悲惨さを纏わせ
このチクルスだけは
ある程度の年齢になって
やっぱり「死」を考えるようになってからでないと
とても聴けないチクルスだと、今でも確信している。
一方、ミヒャエル・シャーデと言えば
蕩けるようなソット・ヴォーチェが魅力的で
聴いている方に体感的な快感(すみません)を感じさせる
甘い声のチャーミングさで有名なテノール。
リリック・テノール、しかも甘い声で
あの、暗い暗い暗い暗い「冬の旅」というのは
スープレットのソプラノが歌うような違和感があるんじゃないだろうか。
本日は朝からウィーンは雪(涙)
途中から雨にはなったけれど
私の住んでいる郊外では、まだまだ雪景色が残っていて
寒いし暗いし
シューベルトの「冬の旅」の悲惨な雰囲気に一役買っている。
最初の Gute Nacht で椅子からずり落ちそうになった。
その声量で、その歌、歌うか?!
ホール中に響き渡る澄んだ甘い高音テノールの
激しい感情をあらわにした表現・・・
・・・と思ったら
途中でグッと音量落として
またこれ、とんでもないソット・ヴォーチェ。
フォルテとピアニッシモの絶え間ない繰り返し。
しかも低音の部分でシュプレッヒ・シュティメまで出て来た時には
本気で仰け反った。
何とまぁ、情熱的で「人間的」な主人公。
諦観とかよりも
人生、大変だけど、何とかやっとるわい
って、え〜っと、え〜っと、イメージと違うぞ。
ただ、シャーデはアホではない(と思う、時々天然かもしれないが)
計算してやっているのか
天才的な天然で本能的にやっているのかはわからないけれど
この「冬の旅」を、白黒一色にせず
ドラマチックに、でもパロディになる直前で抑制している。
だいたい私、もともと短調がむちゃ苦手。
これだけ短調続きのチクルスは、ゲッソリするのだが
途中の Frühlingstraum とか Das Wirtshaus とか
ちょっと温かさを感じてホッとするところの
シャーデの声が、あぁ、もう、本当に柔らかくてゾクゾクする。
一方、冷たい冬の厳しい孤独の表現は
う〜ん、テノール(しかも、ものすごい美声)で
時々(意識して)リートにあるまじき声量で歌ってしまうと
孤独とか寒さを嘆くのはわかるのだが
ある意味「諦観」を感じるよりは
どちらかと言えば、運命に対する怒り?のようなものが伝わってくる。
テノールがこのチクルスを歌うのは確かに難しい。
この孤独と白黒と諦観の世界には
できれば深いバスかバリトンの方が向いている。
だいたい、このチクルス、ソプラノだって歌えないだろ。
ソプラノが歌ったら、ただのヒステリーになってしまう(と思う)
持ち前のこの上なく美しいソット・ヴォーチェだけでは
チクルス全体が甘くなり過ぎるという判断があったのかもしれない。
(そ〜いうのも聴いてみたいような気がするが)
ただの「ロマンティック」に溺れずに
この悲惨な雰囲気を出すのに
ある程度の声量をドラマチックに使う、という方法論だったと思う。
フォルテッシモとピアニッシモを目まぐるしく使ったシャーデが
最後の Der Leiermann だけ
最初から最後まで、一回もフォルテを使わず、歌い上げた。
・・・涙が出ました。
シャーデさん、あれはないよ、ルール違反だよ。
徹底的にドラマチックに振り回しておいた後
最後の Der Leiermann で
そこまで透明な諦観の世界観を
突然、突きつけられたら
心臓にグッサリと冷たい孤独が刺さってくる。
ピアニストのマルコルム・マルティヌーが、素晴らしい。
「冬の旅」の世界観を
シャーデの甘いテノールと対極的に
透明な、硬めの、ペダリングほとんどない演奏で
シューベルトのリートにおいて
声とピアノが対等の立場にあって
補いあいながらも独立した音楽を奏でているのがよくわかる。
追随するのではなく
引き立てながらもピアノの音楽の世界観は
しっかり構築されている、という
驚くべきピアノだった。
プログラムの最初のところに小さな文字で
宮廷歌手のミヒャエル・シャーデは
このコンサートを弟(か兄)のヨハネス・シャーデの思い出に捧げます
と書いてあったので
お身内に不幸があったのだろう、きっと。
この曲を聴いても
あまり死者は喜ばないような気がするが(すみません)
シャーデとしては、死を意識した時点で
「冬の旅」を歌う、という決心がついたのだろうと推測する。
シャーデの甘いテノールに合うチクルスではない。
なのに敢えて、このチクルスに挑戦して
ドラマチックな世界観に聴衆を溺れさせておいて
最後に突然、別世界に連れていったルール破り(笑)には敬意を表す。
ものすご〜く正直に言っちゃうと
でも、これ1回で勘弁してね
レパートリーに入れないでね・・・というのはあるんだけど。
たまたま、今日の音楽史の授業で
シューベルトが取り上げられて
この「冬の旅」の音楽的構成への言及もあったのだが
ウィーンに住んでいる利点というのは
その気になればシューベルトの生家や死んだ家に
市電で数駅で行ける事(笑)
当時のリヒテンタール地区は、地理上、ジメジメした地区だったはずで
考えてみれば、当時はもちろん電灯も電気も電話もなく
市電も車もなく
馬車は貴族の乗り物、あるいは遠距離の時の乗り物で
日本の江戸時代と同じく、みんな歩いて移動していたと思うのだが
地面は汚物で一杯で(これは史実らしいぞ)
しかも当時は人はバタバタと死ぬ時代。
ちょっと風邪を拗らせたり、怪我して化膿したら、そこで死ぬ。
(世界最初の抗生物質は1911年のサルバルサン、1928年のペニシリン)
子供が生まれたら母親はバタバタと産褥熱で死ぬ。
(院内感染予防のゼンメルヴァイスが院内感染に気がついたのは1847年である)
乳幼児死亡率も高い。
死というものが、身近にあって
電気も電灯もなくて
当時のリヒテンタール地区は水はけが悪かった事で有名だし
雪が降って、寒くて暗くて
メッテルニヒ時代で言論統制があって・・・
音楽に歴史を聴いてしまう、というのも
不思議な現象だが
こと、この苦手な「冬の旅」には
当時の世相が反映されているような気がする私に
どうぞ1クリックをお恵み下さい。
アンコールはなし。
天然でサービス精神旺盛なシャーデだから
おふざけでアンコール歌って聴衆をノセるかとも思ったけれど
さすがに「冬の旅」の後(しかも、あの Der Leiermann の後)では
アンコールは無理だわ。