Musikverein Großer Saal 2017年3月31日 19時30分〜21時45分
Gustav Mahler Jugendorchester
指揮 Daniel Harding
バリトン Christian Gerhaher
Hector Berlioz (1803-1869)
Les Nuits d’été, op. 7
für eine Singstimme mit Begleitung von kleiem Orchester
Villalle
Le Spectre de la rose
Sur les Lagunes (Lamento)
Absence
Au Chmetière (Clar de Lune)
L’lle inconnue
Anton Bruckner (1824-1896)
Symphonie Nr. 5 B-Dur
グスタフ・マーラー・ユース・オーケストラの
イースター公演ツアー。
ロレンツォ・ヴィオッティとダニエル・ハーディングで
リサボン、マドリッド、ルクセンブルク
パリ、バルセロナ、ザラゴザ、フェレーラ、ウィーン
最後がフランクフルトの公演。
それぞれにプログラムも指揮者も変わるけれど
今年のウィーンは
エクトル・ベルリオーズとブルックナー。
・・・・って、いったいどういう組み合わせなんだか(笑)
スタンダード・プログラムでは
アルバン・ベルク、シューベルトにブルックナー5番。
ベルリオーズにはシェーンベルクとシューマンの2番だったみたいなんだけど。
それはともかくとして
ゲルハーヘルの歌うのが
ベルリオーズの、しかも私の全然知らない曲で
歌うテキストは・・・恐ろしくもフランス語(当たり前)
題名だってよくわからんが(題名の翻訳はなかった)
ニュイとか言うのは夜の筈だし
エテとか言うのは夏だった筈(すみません・・・)
鉄壁のクラオタの皆さまはご存知かもしれない。
ウィキの記載はこちら
で、これが、これが、これが
むちゃくちゃ素晴らしかった ♡♡♡
ゲルハーヘルのバリトンの美声もため息モノだが
この人、ドイツ語を歌わせても、ものすごく言語がキレイなのに
フランス語のディクションの美しさ
フランス語のニュアンスを活かした歌い方。
もう、いったい、何なんですか、この人は。
言語に対する音楽性の感覚が
半端じゃなく優れていて
フランス語全然わからなくても
その美しさに悶絶しそう。
しかもオーケストラ伴奏が
これまた徹底的に繊細で
何と美しい ♡
ハーディングの徹底的な室内楽的透明さが
この上ない美声の美しいフランス語の
ゲルハーヘルの音楽の語りを
柔らかく優しく包んで
声とオーケストラのバランスが絶妙。
信じられない。
ベルリオーズって、こんな美しい繊細な曲を書いていたのか。
これ、録音で聴いてみても
これだけふくよかな立体感のある演奏を聴いてしまうと
どれを聴いても、聴き劣りしてしまうだろう。
あああああ、至福の時間 ♡
こんなに美しいリートを聴いてから
後半のブルックナーの交響曲5番なんて
何か無粋だわ、もう帰ろうかしら。
いや、でも楽友協会のチケット高いし
最後まで聴いて行こう・・・と思って聴いたのが
うおおおおお
すごいよ、このブルックナー(仰天)
信じられないピアニッシモのピチカートで
どの楽章も始まるという
ざわざわした聴衆とギシギシ鳴る椅子の楽友協会で
こんな曲、演奏しても大丈夫か・・・という曲なのだが
さすがハーディング
しかもユース・オーケストラ(プロのタマゴの優秀なプレイヤー)を
しっかり手の内にして
徹底的に室内楽的透明感を持ったブルックナー。
こういうブルックナー、どこかで聴いた事があるぞ、と思ったら
ロビン・ティチアーティで聴いたブルックナーと
非常に印象が似ている。
でもティチアーティよりハーディングの方が老練だ。
ドラマチックになる部分は
透明性を保ちながら、しっかり攻めてくる。
ただ、どの和音にも、どのフレーズにも
全く濁りがない。
途中で弱音になる部分では
聴こえるか聴こえないかくらいまで落として
音楽が空気に溶けて
天上に向かって立ち昇って行くかのような音響を醸し出す。
重力のないブルックナー。
荘厳というよりは、徹底的に美しい。
最終楽章の金管の鋭い部分のソロも
鋭いというよりは、際立って透明のまま客席に飛んでくる印象。
金管のアンサンブルのソロも、あまりに美しく響いて
もうその音響だけで失神しそうな気分。
久し振りにブルックナーを聴くと
やっぱり凄いなぁ、と、ついつい胸が熱くなってしまう。
聴いている者をねじ伏せるような力があるのだが
ハーディングの手にかかると
力でねじ伏せられるというよりは
気がついたら、床に組み伏されてました、しまった(笑)
変に力の入った劇的な演奏ではなく
かと言って、淡々と演奏しているのではなく
そこら辺のバランス感覚が絶妙。
ハーディングって
まだ背広に細いネクタイで
指揮台に立っても
ただの普通のお兄ちゃん、という感じで
全くカリスマとか威厳を感じないのだが(好みです好み)
ちょっと頭の中で
フィリップ・ジョルダンみたいに
コンサートには必ず美しい燕尾服を着て
しっかり蝶ネクタイ付けてくるハーディングを思い描いたら
・・・・合わない(ボソ)
というより、ハーディングがあの燕尾服の格好をしたら
ちょっとコワイかも(みなさまも想像してみて下さい)
しかし、どう見ても普通のそこら辺のお坊ちゃんという感じのハーディングが
徹底的に透明感に拘ったブルックナーの
隠れた迫力と言ったら、もうタダモノではない。
コンサートの後
何だかフラフラになりながら
会場を後にした私に
どうぞ1クリックをお恵み下さい。
Gustav Mahler Jugendorchester
指揮 Daniel Harding
バリトン Christian Gerhaher
Hector Berlioz (1803-1869)
Les Nuits d’été, op. 7
für eine Singstimme mit Begleitung von kleiem Orchester
Villalle
Le Spectre de la rose
Sur les Lagunes (Lamento)
Absence
Au Chmetière (Clar de Lune)
L’lle inconnue
Anton Bruckner (1824-1896)
Symphonie Nr. 5 B-Dur
グスタフ・マーラー・ユース・オーケストラの
イースター公演ツアー。
ロレンツォ・ヴィオッティとダニエル・ハーディングで
リサボン、マドリッド、ルクセンブルク
パリ、バルセロナ、ザラゴザ、フェレーラ、ウィーン
最後がフランクフルトの公演。
それぞれにプログラムも指揮者も変わるけれど
今年のウィーンは
エクトル・ベルリオーズとブルックナー。
・・・・って、いったいどういう組み合わせなんだか(笑)
スタンダード・プログラムでは
アルバン・ベルク、シューベルトにブルックナー5番。
ベルリオーズにはシェーンベルクとシューマンの2番だったみたいなんだけど。
それはともかくとして
ゲルハーヘルの歌うのが
ベルリオーズの、しかも私の全然知らない曲で
歌うテキストは・・・恐ろしくもフランス語(当たり前)
題名だってよくわからんが(題名の翻訳はなかった)
ニュイとか言うのは夜の筈だし
エテとか言うのは夏だった筈(すみません・・・)
鉄壁のクラオタの皆さまはご存知かもしれない。
ウィキの記載はこちら
で、これが、これが、これが
むちゃくちゃ素晴らしかった ♡♡♡
ゲルハーヘルのバリトンの美声もため息モノだが
この人、ドイツ語を歌わせても、ものすごく言語がキレイなのに
フランス語のディクションの美しさ
フランス語のニュアンスを活かした歌い方。
もう、いったい、何なんですか、この人は。
言語に対する音楽性の感覚が
半端じゃなく優れていて
フランス語全然わからなくても
その美しさに悶絶しそう。
しかもオーケストラ伴奏が
これまた徹底的に繊細で
何と美しい ♡
ハーディングの徹底的な室内楽的透明さが
この上ない美声の美しいフランス語の
ゲルハーヘルの音楽の語りを
柔らかく優しく包んで
声とオーケストラのバランスが絶妙。
信じられない。
ベルリオーズって、こんな美しい繊細な曲を書いていたのか。
これ、録音で聴いてみても
これだけふくよかな立体感のある演奏を聴いてしまうと
どれを聴いても、聴き劣りしてしまうだろう。
あああああ、至福の時間 ♡
こんなに美しいリートを聴いてから
後半のブルックナーの交響曲5番なんて
何か無粋だわ、もう帰ろうかしら。
いや、でも楽友協会のチケット高いし
最後まで聴いて行こう・・・と思って聴いたのが
うおおおおお
すごいよ、このブルックナー(仰天)
信じられないピアニッシモのピチカートで
どの楽章も始まるという
ざわざわした聴衆とギシギシ鳴る椅子の楽友協会で
こんな曲、演奏しても大丈夫か・・・という曲なのだが
さすがハーディング
しかもユース・オーケストラ(プロのタマゴの優秀なプレイヤー)を
しっかり手の内にして
徹底的に室内楽的透明感を持ったブルックナー。
こういうブルックナー、どこかで聴いた事があるぞ、と思ったら
ロビン・ティチアーティで聴いたブルックナーと
非常に印象が似ている。
でもティチアーティよりハーディングの方が老練だ。
ドラマチックになる部分は
透明性を保ちながら、しっかり攻めてくる。
ただ、どの和音にも、どのフレーズにも
全く濁りがない。
途中で弱音になる部分では
聴こえるか聴こえないかくらいまで落として
音楽が空気に溶けて
天上に向かって立ち昇って行くかのような音響を醸し出す。
重力のないブルックナー。
荘厳というよりは、徹底的に美しい。
最終楽章の金管の鋭い部分のソロも
鋭いというよりは、際立って透明のまま客席に飛んでくる印象。
金管のアンサンブルのソロも、あまりに美しく響いて
もうその音響だけで失神しそうな気分。
久し振りにブルックナーを聴くと
やっぱり凄いなぁ、と、ついつい胸が熱くなってしまう。
聴いている者をねじ伏せるような力があるのだが
ハーディングの手にかかると
力でねじ伏せられるというよりは
気がついたら、床に組み伏されてました、しまった(笑)
変に力の入った劇的な演奏ではなく
かと言って、淡々と演奏しているのではなく
そこら辺のバランス感覚が絶妙。
ハーディングって
まだ背広に細いネクタイで
指揮台に立っても
ただの普通のお兄ちゃん、という感じで
全くカリスマとか威厳を感じないのだが(好みです好み)
ちょっと頭の中で
フィリップ・ジョルダンみたいに
コンサートには必ず美しい燕尾服を着て
しっかり蝶ネクタイ付けてくるハーディングを思い描いたら
・・・・合わない(ボソ)
というより、ハーディングがあの燕尾服の格好をしたら
ちょっとコワイかも(みなさまも想像してみて下さい)
しかし、どう見ても普通のそこら辺のお坊ちゃんという感じのハーディングが
徹底的に透明感に拘ったブルックナーの
隠れた迫力と言ったら、もうタダモノではない。
コンサートの後
何だかフラフラになりながら
会場を後にした私に
どうぞ1クリックをお恵み下さい。