Wiener Konzerthaus Großer Saal 2016年11月30日 19時30分〜21時40分
Wiener Symphoniker
指揮 Ludovic Morlot
パーカッション Voctor Hanna
ピアノ Nicolas Hodges
Chales Ives (1874-1954)
The Unanswered Question (Two Contemplations Nr. 1) (ca. 1908/1930-35)
Karl Schiske (1916-1969)
Symphonie Nr. 5 “auf B” op. 50 (1965)
Olga Neuwirth (*1968)
Trurliade - Zone Zero.
Relief méta-sonore für Schlagwerk-Solo und Orchester オーストリア初演
James Clarke (*1957)
Untitled No. 8 für Klavier und Orchester (2016) 初演
Maurice Ravel (1875-1937)
La Valse. Poème choréographique pour orchestre (1919-20)
ウィーン・モデルン最終コンサートは
マルティン・グルービンガー率いるパーカッション・プラネットの
最初の公演でもあったのだが
何か、席、結構ガラガラなんですけど・・・
アイヴスとかラヴェル、シスケはともかくとして
(ジェームス・クラークも突っ込みどころはあったが悪くなかった)
オルガ・ノイヴィルトの約32分の新曲。
あれはいったい何なんですか???????
現代音楽の新曲を鑑賞すると
10曲聴いたうちの8曲くらいは
ケッ、という感じなのだが
(ああ、現代音楽の作曲家の方々ごめんなさい)
この曲、ケッ、どころじゃないわよ。
会場に行ったらドアのところに張り紙があって
マルティン・グルービンガーは病気のためキャンセル
と書いてあったが
この曲がイヤで逃げたんじゃないだろうか・・・(邪推)
大編成オーケストラはよくあるし
見慣れないパーカッションの「楽器」?なのか、判別のつかない
ワケのわからないものがズラッと並ぶのも良しとしよう。
ドラム缶とかあったけれど、まぁ、気にしない。
最初の演奏部分で、太鼓から糸だして
オーケストラのパーカッショニストが
何か引っ張り出していたけど
それも無視するとしよう。
100歩譲って、舞台の後ろに
昔懐かしのレコード・プレイヤーを前にした
DJ が居るのも許す。
しかし、この曲
一応、パーカッション・ソロとオーケストラの曲だよね。
なのに
あの絶望的なほどに存在しないリズム感って
いったい何????(驚愕)
しかも音楽のフラグメントも掴めないし
構成的なものも、全く表面に出て来ない。
要は音楽、いや、100歩譲って「音響」ないしは
「ただの雑音」と考えたとしても
あの32分は、あり得ない絶望的な音楽性とリズム感の欠如だった(断言)
苦痛です・・・・しかも退屈だし・・・
しかも(まだあるんですよコキ下ろしのネタが)
オーケストラを見ていると
DJ がレコードなんか弄くった後に
あの巧いフルーティストが吹いているのは
長さ10センチくらいの木の縦笛。
その後ろでクラリネット2人が小さなハーモニカ吹いてる。
金管が全員揃って
何故か自分の楽器の吹き口を
手で叩いてますが(もちろん何にも聴こえません)
更に弦楽器プレイヤーたちが
突然、ハンディ扇風機を取り出して
時々、爪をたてて羽に触っていたりって
これはもしかしたら
オーケストラのパーフォーマンスを鑑賞する演目なのかしら。
かなりのオーケストラ・プレイヤーが
耳栓をしていたようだが、さもありなん。
誰がどんなに間違えても
誰もわかりませんから(たぶん作曲家も)
大丈夫です、ご安心下さい。
いや、悪いけど
音楽的に聴くものは何もないし
リズム感ゼロだし
何がパーカッション・ソロって言って
あんなリズム全くなしのパーカッションって
パーカッショニストにも苦痛だろ。
予々、オルガ・ノイヴィルトは
オーストリアの女性作曲家という事で
(きっと政治的な絡みとかもあって)
評価され過ぎじゃないか、と考えていて
しかも作る曲が
何か上から目線でむちゃ偉そうで
タイトルも気取っていてワケわからんし
いやいや、そんな偏見を持って
この曲を聴いてはいけない。
初心に戻って、純粋に音楽として聴かねば・・・
と堅く決心して真摯に聴いたのにもかかわらず
あのまとまりのないリズム感ゼロの雑音の連続に
途中からもう笑い出しそうになっちゃうし。
ほら、タモリがよくやった
ワケのわからない外国語ってあるじゃないですか。
(少なくともタモリのニセ外国語はセンスがあったけど)
それとも精神病の一症状として発症する
言葉のサラダ、という奴。
せいぜい10分かソコソコであれば
何とか新鮮さを保ちながら
努力すれば、何とか我慢できるナンセンスが
32分続いたら
聴いてる方もヘンになります(断言)
ノイヴィルトの曲って
後40年もして、本人が政治的コネクションを失うか
スポンサーを失うか、歳とって作曲しなくなるかしたら
誰も演奏しないですよ、きっと。
さて、あまりにコキ下ろしし過ぎると
読者から反発も喰らうだろうから
ここら辺にしておいて
チャールス・アイヴスの「答えのない質問」は
もう何回もナマで聴いていて
トランペットと木管を
楽友協会だとオルガン・バルコンに置いたりするのだが
コンツェルトハウスは舞台が広いので
舞台上でも、充分に遠近が聴こえて、なかなかよろしい。
チャールス・アイヴス好きなんだけど
私の好きなセントラルパーク・イン・ダークとか
ホリディ・シンフォニーとかって
ウィーンでは絶対に演奏してくれない(涙)
アイヴスからアタッカで続けた
カール・シスケの交響曲は
うはははは、交響曲ですねこれは。
ちょっとパロディ入ってるけど(笑)
後半の最初のジェームス・クラークのピアノ協奏曲は
4分の1音に調律した(=調子外れの)ピアノを使って
モチーフが繰り返されて
そこにオーケストラが絡むという作品。
4分の1音に調律された
ベーゼンドルファーのコンサート・グランドなんて
調律師泣かせだわね(わっはっは、調律師さんお疲れさま)
エリートの教育ママが子供を連れて来ていたら
ウチの子供の音感を破壊するおつもりですの?とか怒りそうだ。
(エノ・ポッペが昔よくやってた(笑))
先日、見事なメシアンを聴かせてくれた
ニコラス・ホッジスが
またもや、非常に生真面目な顔でピアノを弾く ♡
4分の1音で調子外れなのに
音の重なりが美しい
というより倍音一杯で
音響オタクには嬉しい。
ピアノのペダルのごとく
倍音っぽいものを出そうとするオーケストラと絡まるのだが
ううううん、この作曲家
ピアノの倍音の扱いは巧いのに
オーケストラの響きの扱いの杜撰さは何なんだこれ。
リゲティみたいにずらした弦を
何本も重ねないと、調子外れのピアノの音の重なりとは合わないだろ。
約15分の作品だが
ストーリー的には
オーケストラによる殺ピアノ事件
みたいな作品。
(殺人事件じゃなくて、殺ピアノ事件)
現代音楽祭の最終コンサートの
最後の曲が
ラヴェルの「ラ・ヴァルス」というのもどうかと思うが
ウィーン交響楽団が急に張り切って(爆笑)
目の醒めるような色彩感で演奏してくれたのが印象的。
いや〜、オーケストラのメンバー
辛かったんだろうなぁ。
本気で同情するわ。
という訳で
今年もウィーン・モデルン現代音楽祭終了。
今回は現代音楽カテゴリーというよりは
古典作品との組み合わせも多かったし
途中でずいぶんウワキしたので
結局ゲネラル・パスを買って得したのか損したのか
ちょっとわからないんだけど
まぁ、わからなくても
面白い発見も時々あったし
それはそれで良し、と楽観的に考える私に
どうぞ1クリックをお恵み下さい。
恒例、ニューイヤー・コンサート指揮者当てクイズは
こちらから、ぜひどうぞ。
Wiener Symphoniker
指揮 Ludovic Morlot
パーカッション Voctor Hanna
ピアノ Nicolas Hodges
Chales Ives (1874-1954)
The Unanswered Question (Two Contemplations Nr. 1) (ca. 1908/1930-35)
Karl Schiske (1916-1969)
Symphonie Nr. 5 “auf B” op. 50 (1965)
Olga Neuwirth (*1968)
Trurliade - Zone Zero.
Relief méta-sonore für Schlagwerk-Solo und Orchester オーストリア初演
James Clarke (*1957)
Untitled No. 8 für Klavier und Orchester (2016) 初演
Maurice Ravel (1875-1937)
La Valse. Poème choréographique pour orchestre (1919-20)
ウィーン・モデルン最終コンサートは
マルティン・グルービンガー率いるパーカッション・プラネットの
最初の公演でもあったのだが
何か、席、結構ガラガラなんですけど・・・
アイヴスとかラヴェル、シスケはともかくとして
(ジェームス・クラークも突っ込みどころはあったが悪くなかった)
オルガ・ノイヴィルトの約32分の新曲。
あれはいったい何なんですか???????
現代音楽の新曲を鑑賞すると
10曲聴いたうちの8曲くらいは
ケッ、という感じなのだが
(ああ、現代音楽の作曲家の方々ごめんなさい)
この曲、ケッ、どころじゃないわよ。
会場に行ったらドアのところに張り紙があって
マルティン・グルービンガーは病気のためキャンセル
と書いてあったが
この曲がイヤで逃げたんじゃないだろうか・・・(邪推)
大編成オーケストラはよくあるし
見慣れないパーカッションの「楽器」?なのか、判別のつかない
ワケのわからないものがズラッと並ぶのも良しとしよう。
ドラム缶とかあったけれど、まぁ、気にしない。
最初の演奏部分で、太鼓から糸だして
オーケストラのパーカッショニストが
何か引っ張り出していたけど
それも無視するとしよう。
100歩譲って、舞台の後ろに
昔懐かしのレコード・プレイヤーを前にした
DJ が居るのも許す。
しかし、この曲
一応、パーカッション・ソロとオーケストラの曲だよね。
なのに
あの絶望的なほどに存在しないリズム感って
いったい何????(驚愕)
しかも音楽のフラグメントも掴めないし
構成的なものも、全く表面に出て来ない。
要は音楽、いや、100歩譲って「音響」ないしは
「ただの雑音」と考えたとしても
あの32分は、あり得ない絶望的な音楽性とリズム感の欠如だった(断言)
苦痛です・・・・しかも退屈だし・・・
しかも(まだあるんですよコキ下ろしのネタが)
オーケストラを見ていると
DJ がレコードなんか弄くった後に
あの巧いフルーティストが吹いているのは
長さ10センチくらいの木の縦笛。
その後ろでクラリネット2人が小さなハーモニカ吹いてる。
金管が全員揃って
何故か自分の楽器の吹き口を
手で叩いてますが(もちろん何にも聴こえません)
更に弦楽器プレイヤーたちが
突然、ハンディ扇風機を取り出して
時々、爪をたてて羽に触っていたりって
これはもしかしたら
オーケストラのパーフォーマンスを鑑賞する演目なのかしら。
かなりのオーケストラ・プレイヤーが
耳栓をしていたようだが、さもありなん。
誰がどんなに間違えても
誰もわかりませんから(たぶん作曲家も)
大丈夫です、ご安心下さい。
いや、悪いけど
音楽的に聴くものは何もないし
リズム感ゼロだし
何がパーカッション・ソロって言って
あんなリズム全くなしのパーカッションって
パーカッショニストにも苦痛だろ。
予々、オルガ・ノイヴィルトは
オーストリアの女性作曲家という事で
(きっと政治的な絡みとかもあって)
評価され過ぎじゃないか、と考えていて
しかも作る曲が
何か上から目線でむちゃ偉そうで
タイトルも気取っていてワケわからんし
いやいや、そんな偏見を持って
この曲を聴いてはいけない。
初心に戻って、純粋に音楽として聴かねば・・・
と堅く決心して真摯に聴いたのにもかかわらず
あのまとまりのないリズム感ゼロの雑音の連続に
途中からもう笑い出しそうになっちゃうし。
ほら、タモリがよくやった
ワケのわからない外国語ってあるじゃないですか。
(少なくともタモリのニセ外国語はセンスがあったけど)
それとも精神病の一症状として発症する
言葉のサラダ、という奴。
せいぜい10分かソコソコであれば
何とか新鮮さを保ちながら
努力すれば、何とか我慢できるナンセンスが
32分続いたら
聴いてる方もヘンになります(断言)
ノイヴィルトの曲って
後40年もして、本人が政治的コネクションを失うか
スポンサーを失うか、歳とって作曲しなくなるかしたら
誰も演奏しないですよ、きっと。
さて、あまりにコキ下ろしし過ぎると
読者から反発も喰らうだろうから
ここら辺にしておいて
チャールス・アイヴスの「答えのない質問」は
もう何回もナマで聴いていて
トランペットと木管を
楽友協会だとオルガン・バルコンに置いたりするのだが
コンツェルトハウスは舞台が広いので
舞台上でも、充分に遠近が聴こえて、なかなかよろしい。
チャールス・アイヴス好きなんだけど
私の好きなセントラルパーク・イン・ダークとか
ホリディ・シンフォニーとかって
ウィーンでは絶対に演奏してくれない(涙)
アイヴスからアタッカで続けた
カール・シスケの交響曲は
うはははは、交響曲ですねこれは。
ちょっとパロディ入ってるけど(笑)
後半の最初のジェームス・クラークのピアノ協奏曲は
4分の1音に調律した(=調子外れの)ピアノを使って
モチーフが繰り返されて
そこにオーケストラが絡むという作品。
4分の1音に調律された
ベーゼンドルファーのコンサート・グランドなんて
調律師泣かせだわね(わっはっは、調律師さんお疲れさま)
エリートの教育ママが子供を連れて来ていたら
ウチの子供の音感を破壊するおつもりですの?とか怒りそうだ。
(エノ・ポッペが昔よくやってた(笑))
先日、見事なメシアンを聴かせてくれた
ニコラス・ホッジスが
またもや、非常に生真面目な顔でピアノを弾く ♡
4分の1音で調子外れなのに
音の重なりが美しい
というより倍音一杯で
音響オタクには嬉しい。
ピアノのペダルのごとく
倍音っぽいものを出そうとするオーケストラと絡まるのだが
ううううん、この作曲家
ピアノの倍音の扱いは巧いのに
オーケストラの響きの扱いの杜撰さは何なんだこれ。
リゲティみたいにずらした弦を
何本も重ねないと、調子外れのピアノの音の重なりとは合わないだろ。
約15分の作品だが
ストーリー的には
オーケストラによる殺ピアノ事件
みたいな作品。
(殺人事件じゃなくて、殺ピアノ事件)
現代音楽祭の最終コンサートの
最後の曲が
ラヴェルの「ラ・ヴァルス」というのもどうかと思うが
ウィーン交響楽団が急に張り切って(爆笑)
目の醒めるような色彩感で演奏してくれたのが印象的。
いや〜、オーケストラのメンバー
辛かったんだろうなぁ。
本気で同情するわ。
という訳で
今年もウィーン・モデルン現代音楽祭終了。
今回は現代音楽カテゴリーというよりは
古典作品との組み合わせも多かったし
途中でずいぶんウワキしたので
結局ゲネラル・パスを買って得したのか損したのか
ちょっとわからないんだけど
まぁ、わからなくても
面白い発見も時々あったし
それはそれで良し、と楽観的に考える私に
どうぞ1クリックをお恵み下さい。
恒例、ニューイヤー・コンサート指揮者当てクイズは
こちらから、ぜひどうぞ。