ウィーン・フィル + ムーティ

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    Musikverein Gro�・er Saal 2016年10月29日 15時30分〜17時35分
    Musikverein Gro�・er Saal 2016年10月30日 11時〜13時05分

    Wiener Philharmoniker
    指揮 Riccardo Muti
    コーラス Singverein der Gesellschaft der Musikfreunde in Wien

    Franz Schubert (1797-1828)
     Symphonie Nr. 4, c-Moll, “Tragische Symphonie”
    Luigi Gherbini (1760-1842)
     Requiem c-Moll

    世の中巨匠は多いけれど
    カリスマ巨匠ナンバーワンと言えば
    やっぱりリッカルド・ムーティだろう。

    出て来ただけで
    あっ、このコンサート、咳一つしてはいけない、という
    聴衆にも緊張した雰囲気が張りつめる指揮者なんて
    そうそう居ない(と思う)

    その意味では
    急に寒くなって風邪ひいている人が多いコンサートで
    (ちなみに私も風邪をひいている(汗))
    ほとんど咳のない
    まるで日本のコンサート会場のようなコンサートを聴けたのは
    ラッキーだった(けど、私も咳を抑えるのに苦労)

    シューベルトの交響曲4番。
    シューベルト自身が「悲劇的」と書き加えたらしいが
    短調が基調であるにせよ
    短調と長調の移り変わりが目まぐるしくて

    私には、どうしても
    シューベルトが
    今、流行だしウケそうだから
    こういう題名つけちゃえ
    とか思って書いたとしか思えない。

    ウィーン・フィルで
    楽友協会の大ホールで
    ムーティの指揮で
    シューベルトの交響曲

    ・・・と書いただけで
    次の記述は誰もが予想するだろうが

      美し過ぎる・・・

    途切れないメロディ・ラインが見事に歌って
    低弦の支えが効果的で
    トゥッティになっても、ちゃんと木管のメロディ聴こえてくるし
    バイオリンの音がまろやかで芳醇で
    パーカッションが絶妙な音量でオーケストラに溶け込み

    知っている曲だと
    頭の中の自分の曲と一緒に鳴る訳だが
    頭の中の曲より
    数十倍の美しさで鳴っているって
    ああ、もう信じられない。

    これはもう、最高の贅沢
    贅沢の極地
    神さまありがとう、の領域。

    どんなにテンポ・アップしても
    寸分の狂いもない刻みを聴かせてくれる弦とか
    全体のオーケストラ・バランスの見事さと
    楽友協会の音響にこれ以上ないほど理想的な音量とか
    絶対に出しゃばり出ない金管とか
    真面目だけどチャーミングな木管とか

    いやもう信じられない ♡
    しかも聴衆からも、ほとんど咳も聞こえて来ないし。
    (だって、楽章始まる前に誰かが咳こむと
     ムーティさま指揮棒を止めるんですもん。怖いよあれは)

    至福の時間。
    クラオタやってて良かった ♡

    後半はケルビーニのレクイエム。
    だいたい宗教曲苦手だし(冷汗)

    更に、フランス革命の後
    自分たちがギロチンに送ったルイ16世を
    ウィーン会議の頃から追悼するのが通例になって
    ケルビーニが作曲したというところからして

    ルイ16世は菅原道真かいっ
    というツッコミ入れたくなったりして

    レクイエムだけどフランス風で
    Introitus - Kyrie
    Graduale
    Sequenz : Dias irae
    Offertorium : Domine Jesu Christe
    Sanctus
    Pie Jesu
    Agnus Dei
    という、ちょっと変わった構成。

    曲は・・・美しい。
    (ムーティが指揮台に立つと
     何でもかんでも、むちゃ美しく聴こえてしまう)

    でも、やっぱり短調が中心で、ピアニッシモが多くて
    いやもう、辛気くさいというか(キリスト教のみなさま、ごめんなさい)
    そんなにルイ16世の祟りがコワイか(いやちょっと違う)

    Dias irae だけちょっと力強く(まぁ、神の怒り?)
    Offertorium だけ長調でちょっと明るく

    でも Sanctus も華やかじゃないし
    最後の Agnus Dei も短調で
    何となく悲しみに満ちて

    しかも異様に美しく終わる。

    いやここに神父さんいたら
    カトリックのミサですねこれは
    というより、レクイエムだからミサで良いのか
    (ってワケわからなくなってるワタシ)

    確かにあの時代
    レコードも CD もラジオもなくて
    1週間に1回のカトリックのミサの音楽が
    唯一、音楽を聴ける機会という事を考えると

    こういうとことん美しい音楽が
    カトリックの教会で演奏されたら
    聴いている人たちは、みんなメロメロになっただろうなぁ
    ・・・などと言うしょうもない事を考えてしまう。

    ヨーロッパ大陸は本日から冬時間。
    本日明け方3時が2時になって
    日本との時差は8時間。

    日本ではハロウィーンとかが流行しているらしいが
    こちらは10月31日がハロウィーンで
    11月1日万聖節、オーストリアは、この日は祝日 ♡

    昔は11月1日の万聖節(これは聖人の日らしい)と
    カトリックでは11月2日の「死者の日」=万霊節の前後は
    華やかな事は避ける、という暗黙の了解があったらしい。
    (が、今や完全に商業主義に移行して無視されまくっている(笑)
     数年前まで11月1日・2日なんてコンサートもなかった)

    ここ数日で枯れ葉が落ちまくり(清掃局がタイヘン)
    冬時間に移行して
    とうとう、これから長い長い長い冬がやって来る

    ・・・と同時に
    クラオタには楽しい季節の始まり(笑)

    現実社会には色々な事があるけれど
    あんな美しいシューベルト聴いちゃったら
    やっぱり人生って良いな、と
    しみじみ思う私に
    どうぞ1クリックをお恵み下さい。


    パラス・アテネは泣く エルンスト・クレネック

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      Museumsquartier Halle E 2016年10月28日 19時〜21時30分

      Neue Oper Wien
      PALLAS ATHENE WEINT
      Oper in 1 Vorspiel und 3 Akten

      音楽・リブレット Ernst Krenek
      Pallas Athene : Mareike Jankowski
      Sokrates : Klemens Sander
      Alkibiades : Franz Gürtelschmied
      Meletos : Lorin Wey
      Meton : Yevheniy Kapitula
      Althea : Barbara Zamek
      Nauarchos : Kristján Jóhannesson
      Ein athenischer Senator : Ricardo Bojorques Martinez
      Agis, König von Sparta : Karl Huml
      Timaea : Megan Kahts
      Lysander : Hanzhang Tang
      Brasidas : Kristján Jóhannesson
      Ktesippos : Savva Tikhonov
      コーラス Wiener Kammerchor
      オーケストラ Tonkünstler-Orchester Niederösterreich
      指揮 Walter Kobéra
      演出 Christoph Zauner
      舞台 Jörg Brombacher
      衣装 Mareile von Stritzky
      照明デザイン Norbert Chemel

      色々と面白いオペラを上演する Neue Oper Wien の作品に
      トーンキュンストラーが出るので
      友の会割引が効く・・・という理由だけではないけれど
      エルンスト・クレネックのオペラは
      オペラ座での Jonny spielt auf を聴き損ねたので
      何だかどうしても見たくなった。

      どこを探してもウエブに上演時間の詳細がなくて
      (もちろん開始時間は記載されている)
      当日、会場に行ってプログラム買って
      150分というのを見た時にはウンザリしたが
      まぁ、2時間半と言えば、普通のオペラですよね考えてみれば。

      昨日は4時間ちょっとしか寝てなくて
      自業自得もあるけど、それだけじゃないので
      ともかく眠い、むちゃくちゃ眠い。
      これ、かなりヤバイ(汗)

      さてこの作曲家を知ってる人は
      それだけで、かなりのオタクと言って良い。

      私はジョニーを観る機会を逃したので
      知っている(というよりナマで聴いた)のは
      むちゃくちゃ印象的だった
      オーストリア・アルプスからの旅日記という連作歌曲だけ(自爆)

      さて、このオペラ
      パラス・アテネは泣く(作品番号144番)は
      紀元前のスパルタを舞台に
      アギスとその妻ティマイア
      アルキビアデスやらアテナイのメトンやら
      ソクラテスとかアルテアとかブラシダスとか

      ペロポネソス戦争の辺りのアテネとスパルタの人たちが
      どっさりと登場するのだが
      ちょっと調べてもワケわからないので勘弁して下さい(逃)

      民主主義を否定する
      独裁者で横暴で戦争をする王さまに逆らって
      色々な裏切りや死刑、拷問に不倫があって
      最後にソクラテスが毒を煽って死ぬ、という話。

      暗い舞台に真っ白なパラス・アテネが登場。
      パラス・アテネという言葉で調べると
      ズラッとガンダムが並ぶのだが(驚いたよワタシ)
      このパラス・アテネというのはギリシャ神話のアテーナーの事で
      ウィーンの国会議事堂の前に立っているのが当人である。

      で、その後、ソクラテスやらギリシャ人たちが
      大量に登場して、色々と議論をかわすようなのだが

      ・・・すみません、第一幕、モロに寝落ちしておりました!
      舞台暗いし
      クレネックの音楽が割に単純に聴こえてくるし
      あんまり動きもなくて(というより寝てたからかもしれない)
      必死になってドイツ語の字幕(歌もドイツ語だが)を見ていたのだが
      最初の1時間、本当に辛かったです(汗汗汗)

      幕間にコーヒー飲もうと思ったけど
      お財布見たら5ユーロしか入ってなくて(冷汗)
      ううう、後半、ヤバイかも・・・という状態だったのだが

      うははは、後半は目が醒めた。
      というより、話に引き摺られて
      ドラマチックなドラマの中にどんどん入っていった。

      寝落ちせずに聴いてみると
      クレネックの音楽ってスゴイ。
      セリフの一つ一つに音楽の表情がついて
      すごい表現力に満ちている。

      加えて、歌手がみんな巧いの ♡

      ホールが小さいので声はよく通るし
      ドイツ語もクリアに聴こえて来るのだが
      それだけではなくて
      出演者の歌手が、みんな「演技」が完璧なのである。

      ウィーン私立音楽大学の学生さんたちも出演していたようだが
      見た目よしでスタイルも抜群で
      声は出るわ、身体は柔らかいし
      激しい動きも異様にリアルにやるし
      (暴力場面があるので、結構殴ったり倒れたりが多い)

      不倫場面なんて
      あああああっ、そこまでやって良いのかって位
      ちょっと、いや、ものすごく妖しかった。

      私がオペラを好きではないのは
      身長やら体重やら
      いや、体型の事を言ってはいけないのはわかっているが

      どうみても恋人同士に見えないカップルとか
      演技ヘタクソでラブシーンが白々し過ぎてイタいとか
      突っ立ったまま手広げて歌うなアホとか
      死ぬ死ぬ死ぬと喚きつつ死なない出演者とか
      (ついでに死に方もヘタクソ)

      そういう、オペラに有り勝ちで
      しかもそれがオペラのリアリティとか言って許されてしまう
      あの大仰さがイヤなんだけど

      このオペラ、出演者の演技の巧さと歌の巧さと
      言葉にとことん寄り添ったクレネックの音楽で
      何だか、オペラ観てるというより演劇を鑑賞しているみたいな
      最初から(註 2幕以降ね、1幕寝てたから)異様にリアルなのだ。

      リアルだから、物語の中に自然に入ってしまう。
      舞台装置も
      古代ギリシャの柱を巧く使っている上に
      王宮では赤を効果的に使って
      舞台の変換はないのに、多様な場面が提示される。

      アギス役のバリトンの響く声に
      その妻のティマイアがまた素晴らしいソプラノで
      アルキビアデスがむちゃ魅力的で
      ティマイアが発情してしまうのもリアル。

      メレトスの小市民的な悪人振りもむちゃ良いし
      ソクラテスも魅力的で
      最後の場面の死に方も素晴らしい ♡

      これ、プロダクションとしては最高の出来ではないの。

      ・・・ううう、前半、寝落ちしたワタシのアホ!!!

      こんなリアルなオペラだったら
      金曜日じゃなくて
      ちゃんと寝た後の土曜日の夜公演のチケットを買えば良かった。

      ストーリーとしては
      暴力・殺人・裏切りのてんこ盛りで
      暗い暗い暗い話なのだが
      胸にグッサリ、刃が突き刺さるような印象。

      音楽・舞台・照明・衣装に
      演技と声の素晴らしさが重なって
      終わった後は呆然としてしまった。

      こういう小劇場でのオペラ
      カンマーオーパーなんかもそうなんだけど
      今の若手って、本当に優秀!!!
      それでも、世界的舞台に乗れる人って
      その中から、ほんの一握り、と考えると

      あまり有名ではなくて
      観光客なんか一人も入ってこない
      こういうプロダクションで

      これだけ水準の高い演目を鑑賞させてもらえるなんて
      何て幸せなんだろうワタシ。

      この Neue Oper Wien って
      また2月にアルベール・カミュの「誤解」のオペラを
      オーストリア初演するらしいので
      これも行こう、と堅く決心している私に
      どうぞ1クリックをお恵み下さい。



      聴衆は若い人から年配まで
      かなり幅広い層だったけれど
      さすがに「現代オペラ」を聴こうという人たちは
      (まぁ、クレネックを現代とは言わんが)
      みんなすご〜く静かで、咳一つなく
      しかも幕間のお喋りを聴いていると
      すごいディープな話題が多くて
      ああ、クラオタの層って実はこんなに厚かったのね(爆笑)

      ウィーン交響楽団 + ロビン・ティッチアッティ

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        Wiener Konzerthaus Großer Saal 2016年10月27日 19時30分〜21時20分

        Wiener Symphoniker
        指揮 Robin Ticciati
        バイオリン Renaud Capuçon

        Max Bruch (1838-1920)
         Konzert für Violine und Orchester g-moll op. 26 (1866)
          Kadenz : Max Bruch
        Anton Bruckner (1824-1896)
         Symphonie Nr. 6 A-Dur (1879-81)

        鋭い読者諸氏は
        月曜日にどこかのコンサート行ったよね?と
        質問を投げて来そうで

        もちろん行ったけれど
        個人的な感想を堂々と
        インターネットで発表する必要もないな
        という判断で
        私のプライベートな感想記にとどめて
        非公開にするので悪しからず。

        さて、ウィーン交響楽団とロビン・ティッチアッティのコンサートは
        実は10月25日にもあったのだが
        仕事のため行かれず
        2回目のコンサートを楽しみにして行った。

        マックス・ブルッフのバイオリン協奏曲については
        あまり書かない事にする(少しは書く)
        だいたいバイオリンわかんないし(笑)

        今日は前の席がズラッと空いていて
        おお、やった。指揮者とソリストが見える、と喜んでいたら
        始まる直前に後ろの方の席の人が
        民族大移動をして、私の前の席にズラッと座ってしまい
        (しかもそういう人たちに限って大柄だったりする(涙))

        結局、ルノー・カピュソンも指揮者も全然見えず。
        出入りをチラッと見た限りでは
        この間のバンド・マスターみたいな白い上着じゃなくて
        黒の上下だったのでホッとした。

        バイオリンの高音、私は苦手なのだが
        カピュソンのバイオリンの音色はかなり骨太に聴こえて
        滑らかで気持ち良くて安心して聴けて
        指揮者もソリストも見えなかったので
        ぐっすり寝ました(ごめんなさい!!!)

        アンコールはグルックのオルフェオとエウリディーチェから
        聖霊のダンス(フリッツ・クライスラー編曲)

        なんでわかるかと言うと
        実はコンツェルトハウスのウエブ・サイトから
        アンコール・メッセージ・サービスというのがあって
        すぐに携帯電話のショート・メッセージで
        コンサート終了後にアンコール曲の題名が入ってくるのだ。
        (うはははは、これ、むちゃくちゃ良いサービスだわ!)

        さて、ぐっすり眠ったブルッフのバイオリン協奏曲は
        かなりマトモ(失礼!)で伝統的に奇を衒わない演奏だったので

        おかしいなぁ
        以前のロビン・ティッチアッティの時は
        もっと変わったイメージだったんだけど・・・と思っていたら

        やられました!!!
        ブルックナーの交響曲6番で・・・

        第1楽章の出だしから
        何っ、その高速すっ飛ばしのテンポは?

        しかもメロディの軽やかさ
        音が軽くて透明で、重さがなくて(ブルックナーですよ?!)
        あんなに各パート、しかもトゥッティに近く鳴っている部分の
        弦のピチカートまで全部聴こえて来たのに唖然。

        速めのテンポに加えて
        オーケストラの音量を絞って
        更に、メロディの後ろのアクセントを徹底的にカット。

        いわゆる伝統的なブルックナーのイメージと全く違う。

        メロディのうねりはあって
        フォルテとピアノの間の落とし方の扱いが実に見事。
        多少長めのパウゼで
        残響をキレイに掃除してから入ってくるので
        全体が非常に清潔な感じになって音が絶対に濁らない。

        第2楽章の美しさも
        空気に溶けるような重さのない演奏。

        そうなんですよ、全体的に全く重力を感じさせないのだ、この指揮者。

        第3楽章は、ひえ〜、これまた何と言う高速運転。
        第1楽章もそうだけど
        よくこの速さにオーケストラがついていったとビックリする。
        第3楽章って、確か Nicht schnell (速くなく)とか書いてあったよね。
        いやはや、完全無視か(笑)

        でホルンのアンサンブルがまた巧くて惚れ惚れ ♡
        いや、巧いよ、ホントに。当たり損ね一つもなくて
        厚みのある深い音で。

        第4楽章では
        あの透明感のある重さを全く感じさせない演奏に
        多少耳慣れして来て
        音の美しさ(ピアノのところなんか印象派みたい)にうっとりして

        ブルックナーなのに、あっという間に終わっちゃったぜ(爆笑)

        コンサート終了が21時20分と言う事は
        たぶん、このブルックナーの演奏時間
        完全に60分は切ってる・・・というより、50分くらいか。

        以前のティッチアッティの時も
        ブルックナーらしくない室内楽的ブルックナーという印象があったが
        今回も、繊細で勇壮さが全くない
        その分、何て美しい、透明で空気に溶けるブルックナー。

        いや、ちゃんと金管鳴らしてフォルテでは演奏するんだけど
        コンツェルトハウスというデッドな音響のホールというのはあるが
        それでも、普通だったら、もう少し重い感じがする筈。

        ロビン・ティッチアッティのブルックナーって面白い。
        いや、面白いと言って良いのか
        既存のブルックナーのイメージが完全に逆転する。

        聴衆も魔法がかかったようになっちゃって
        しかも演奏時間が短かったので

        最終楽章の後も、え?終わったの???
        ブルックナーって、もっと長かったんじゃなかったっけ?と
        拍手もなかなか出なかったし
        (まぁ、ブルックナーでは拍手はかなり遅れて入る)
        誰かが拍手し出しても誰かが止めてたし(爆笑)

        実に面白いコンサートでした ♡

        これだけ透明度があって各パートが聴こえてくると
        本気になった時のウィーン交響楽団のレベルの高さがよくわかる。

        ちょっと風邪引いてしまい
        コンサート終わった直後に咳の発作が起こって
        うわわわ演奏中じゃなくて良かったと
        胸をなで下ろしつつ
        咳き込みながら地下鉄への道を歩いた私に
        どうぞ1クリックをお恵み下さい。



        風邪をひいたのには理由があるんだけど
        咳出ると明日からのコンサート行きに困るので
        ひたすら朝から咳止めのお茶を飲んでいるので
        まぁ、数日で何とかなるでしょう(楽観的)

        バンベルク交響楽団 + ブロムシュテット

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          土曜日のダブル・ヘッダー
          時系列で読みたい方は ここ からどうぞ。

          下は夜のコンサートの個人的メモです。

          Wiener Konzerthaus Gro�・er Saal 2016年10月22日 19時30分〜21時45分

          Bamberger Symphoniker - Bayerische Staatsphilharmonie
          指揮Herbert Blomstedt

          Franz Schubert (1797-1828)
           Symphonie Nr. 7 h-moll D 757 “Unvollendete” (1822)
          Anton Bruckner (1824-1896)
           Symphonie Nr. 7 E-Dur (1881-83)

          楽友協会では
          ウィーン交響楽団が
          ヴェルディのメッサ・ダ・レクイエムを演奏している時間だが
          (チケット持っていたけどリセールにかけてます、手数料取られるけど)

          バンベルク交響楽団の首席指揮者ジョナサン・ノットが
          東京交響楽団とヨーロッパ・ツアーをやっている間に
          オーケストラそのものは
          ちゃっかりと(笑)大物指揮者ブロムシュテットと客演。

          ソウルと日本公演の前の公演である。
          ふっふっふ、日本の皆さま

          お先に聴いちゃいましたよ〜ん ✌️

          とは言え、同じプログラムは宮崎での公演だけで
          あとはベートーベンとまぜまぜだが(笑)

          シューベルトの未完成は11月3日に東京のサントリー・ホール
          ブルックナーの7番は次の日11月4日に同じホールで演奏されるようだ。

          しかしまぁ、ブロムシュテット、今年89歳ですよ?
          連日連夜のコンサート予定なんてスゴイとしか言いようがない。

          現れたマエストロ。
          うううう、全然お歳を感じさせない。

          足元もしっかりしていて
          後半のブルックナーの時には指揮台にジャンプしてたし

          若々しいなんてもんじゃない。
          どこをどう見ても、姿勢や歩き方、指揮など
          60歳代にしか見えない。

          セブンスデー・アドベンチストとして
          徹底的な菜食主義者なのは有名な話だが
          それだけで、あんなに若々しくなるんだろうか。

          シューベルトの未完成。
          力むところが全くなく
          あくまでも繊細で、徹底的にセンシブル。
          音の透明感と解像度が高い。

          長調のメロディの登場には仰け反った。
          ピアニッシモで、透けるような音色で
          暗い現実社会から、浮き上がった幻想的な音色。

          ひとときの安らぎ、と思いきや
          運命の打撃が、この温かさを一撃のもとに打ち砕く。

          だが、長調のメロディは負けない。
          同じメロディを自在に変化させて
          残酷な運命に立ち向かって行く。

          というストーリーが正に見えるのよ、この演奏。
          いやもう驚いた。
          こんな内容だったのか、この未完成交響曲の第1楽章は。
          (もちろん、こちらが勝手に穿っている可能性は高いが)

          なんかもう、音の透明な美しさと
          突然現れる運命の打撃に翻弄されっぱなしで
          あの長調のメロディが、あの美しさで登場するたびに
          腰が抜けまくって(繰り返しは執拗にある)

          いつも聴いている感じの交響曲から
          全く違うイメージがすごい勢いで傾れ込んできた感じ。

          遅めテンポの第2楽章の天国的な長さと美しさ。

          運命に翻弄されて打ち砕かれて
          でも、チャイコフスキーほど激情的に徹底的に暗くない
          やっぱりロシアじゃなくてウィーンで
          その分、根暗なのに希望は捨てないという
          言ってみれば、諦めが悪いというか(あ、すみません)

          その後の清涼剤みたいに心に染みた。
          やっと到達した安らぎの空間でほっこり。

          後半のブルックナーの交響曲7番。

          絶品 ♡♡♡♡♡

          いや、ここウィーンだから
          残念ながら、結構大きな発声を伴った咳が多くて
          あの絶妙で繊細なピアニッシモの時に
          あちこちでゲホゲホ、ゴホゴホやられたのが
          残念と言えばむちゃ残念なんだけど

          無駄に大音響で鳴らさず
          弱音部分のオーケストラの音の繊細さと言ったら・・・

          ブルックナーの7番って
          ブルックナーの交響曲の中でも
          最も洗練された美しさを持つ曲だと思うのだが

          その徹底的な美しさが
          この上もなく透明で繊細な音に乗って
          まるでこの世の天国のように出現する。

          テンポは中庸から遅めの設定。
          音楽的な流れが途切れる事なく
          長い長い長いボーゲンで
          じっくり噛み締めるような息の長い音楽が
          絶妙なオーケストラ・バランスで
          しっとりと落ち着いて聴衆に語りかけてくる。

          ハダカでしか作曲できなかった
          地味なオジサンが作った曲とは思えん。
          (ブルックナー・ファンのみなさま、すみません)
          地味なオジサンの内的世界は
          いったいどんなに美しかったんだろう。

          シューベルトのようにストーリーが見える事はなく
          宗教的というよりは
          もっと透徹したものを
          この上ないセンシブルな感覚で
          あくまでも音楽として提示した、という印象。
          どちらかと言えば「悟り」の世界観かもしれない。

          う〜ん、年齢で云々の偏見は避けたいけれど
          やっぱり、何か、どこかで飛び抜けちゃってるよ、この指揮者。
          個別の宗教とは別に、何かこう、どこかで透明になってる。

          徹底的に透明なブルックナーのあまりの美しさに
          悶絶しながら帰った私に
          どうぞ1クリックをお恵み下さい。



          ヴェルディのレクイエムは
          日曜日のマチネでも予定されているけれど
          ご存知の通り、どうしてもこの曲が苦手な私は
          このコンサートには行きません。悪しからず。




          リンツ・ブルックナー交響楽団 + デニス・ラッセル・デイヴィス

          0
            Musikverein Großer Saal 2016年10月22日 15時30分〜18時40分

            Bruckner Orchester Linz
            バイオリン Christian Altenburger
            指揮 Dennis Russel Davies

            Richard Strauss (1864-1949)
             Rosenkavalier Suite op. 59 (1944)
            Alban Berg (1885-1935)
             Violinkonzert “Dem Andenken eines Engels” (1935)
            Johannes Brahms (1833-1897)
             Sinfonie Nr. 4 in e-Moll (1885)

            ブルックナー・オーケストラは
            オーストリア第3の都市、リンツのオーケストラ。
            (第2の都市グラーツにもオーケストラあるんだけど
             今ひとつパッとしないというか。
             いや、侮辱だったらごめんなさい)

            指揮者のデニス・ラッセル・デイヴィスは
            ビリーの前にウィーン放送交響楽団の首席指揮者だった人で
            広いレパートリーで非常に正統的で
            マジメで誠実な音楽作りをする指揮者だと思う。

            楽友協会でのコンサートとは言え
            楽友協会主催ではなくて、ジュネスのコンサート。
            お陰でチケットが(比較的)安い。
            (若者だと更にその半額である)

            でも楽友協会の大ホール、空き席が目立つ(涙)
            お陰でちょっと良い席に移ったんだけど
            それによって定位置観測が出来ず

            うううう、やっぱり高い席って音が良い。
            (註 一部の高い席を除く)
            音が丸く柔らかく豊かに響いてくる。

            という訳で多少贔屓目になった可能性はあるけれど
            しかし、このオーケストラ、むちゃ優秀じゃないか!!!

            バラの騎士組曲は
            わっはっは、やっぱりオーストリアのオーケストラだよ。
            色っぽくて艶っぽい。
            考えてみれば、このオーケストラ
            リンツの歌劇場のオーケストラだった。
            そりゃ、オペラとか慣れてる筈だわ。

            アルバン・ベルクのバイオリン協奏曲。
            バイオリニストのクリスティアン・アルテンブルガーは
            ウィーン音楽大学教授。
            ウィーン音楽大学とジュリアードで学んだ人で
            コンサート歴もかなりある。
            (ズービン・メータに気に入られたらしい)

            で、この人のバイオリン ♡
            すみません、最初からハートマークで。
            だって、何とも滑らかというか
            音が澄んでいて
            強靭だけど力が入っていないので

            アルバン・ベルクのこのバイオリン協奏曲と
            何て合ってるの。
            むちゃくちゃ美しい上に音が伸びて
            感傷的にならず理性的で
            体幹のぶれない背筋がしっかり伸びた気持ち良さ。

            この曲、一時ヘビー・ローテンションで聴いていたけれど
            どんなに調性があるように聴こえても
            やっぱり基本、12音音楽だから
            頭に残っていなくて(恥)

            こんな音楽を全部暗譜するって
            どういう頭の構造に(あ、いえいえいえ)

            感情ズブズブの泥沼が全くなくて
            これだけ理性的に教科書みたいに模範的な演奏って
            私の好みとしては、ものすごく好き ♡

            後半のブラームス、交響曲4番。
            うわわ〜っ
            そりゃ、いつもの貧民席じゃない、というのはあったとしても
            最初から最後まで
            とことん正統的、伝統的な演奏。

            恐ろしい事に
            最初から最後まで
            おバカな音楽音痴の私の頭の中で鳴っている
            ブラームスの4番と寸分違わず一致したってどういう事?

            豊かな厚みのあるオーケストラの音
            激しさと諦観の揺れ。
            細かい部分で気になるところがなかった訳ではないけれど
            何かもう、実に正しい理想通りの音楽を聴いちゃった、という感じ。

            田舎のオーケストラとか侮ってはいけない。
            このオーケストラ、すごく水準が高い。

            指揮者のデニス・ラッセル・デイヴィスとは
            2002年からだから、もう14年になるし
            このコンサートを聴いている限りでは
            デイヴィスのオーケストラ・ビルダーとしての才能は
            素晴らしいと思う。

            今回はプログラムが好みだったので行ったのだが
            このオーケストラも追っかける価値はありだな・・・

            芳醇なオーケストラの香りに包まれて
            ものすごく満たされた気分でホールを後にした私に
            どうぞ1クリックをお恵み下さい。




            ウィーン放送交響楽団 + ジェームス・フェデック

            0
              Wiener Konzerthaus Großer Saal 2016年10月21日 19時30分〜21時40分

              ORF Radio-Symphonieorchester Wien
              指揮 James Feddeck
              ピアノ Elisabeth Leonskaja

              Arnold Schönberg (1874-1951)
               Thema und Variation op. 43b (1943)
              John Adams (*1947)
               Doctor Atomic Symphony (2007)
              Johannes Brahms (1833-1897)
               Klavierkonzert Nr. 2 B-Dur op. 83 (1878-81)

              ウィーン放送交響楽団のコンツェルトハウスのチクルスは
              1シーズンだけ持っていたのだが
              あまりに楽友協会と被り過ぎた上

              だいたいいつでもバラ売りで買えるし(すみません)

              発売日に狙って貧民席で理想的な席を押さえたのだが
              ギャラリー、かなり席が空いてる・・・
              ホールのドアが閉まってから大量の民族移動があったが
              実はコンツェルトハウスのギャラリーは
              後ろの方が音響は良いのよ、ふっふっふ。

              このコンサートの目玉は
              普通のクラオタなら
              エリザベート・レオンスカヤの弾く
              ブラームスのピアノ協奏曲2番だと思うのだが

              クラオタ x 現代音楽オタの私のお目当ては
              ジョン・アダムスのドクター・アトミック・シンフォニー

              で、実はこのドクター・アトミック・シンフォニー
              10月19日にオーストリア国営放送局の収録ホールでの
              ラジオ番組収録でも聴いてるんですよ、わっはっは。

              ブログには書かなかったけど
              いつもは結構な値段の収録コンサートなのだが
              ウィーン放送交響楽団友の会ご招待とかで無料。

              言ったら、ホールには40人くらいしか来ていなくてガラガラ(笑)
              この「クラシックへの誘惑」というラジオ番組収録は
              いつもマイスター人気で満杯なのだそうだが
              今回はアメリカの若手指揮者だから人気がなかったのか?

              え〜、アメリカ人指揮者とは言え
              ヴェルザー=メストのアシスタントしてた人だし
              第一、ちょっと太め(じゃないけどそう見える)で
              メガネ男子に燃える私の趣味のど真ん中なんですがこの人。
              (いやそれ関係ないだろ)
              ・・・いったいどういう見た目の人?と興味を持った方は
              どうぞ ここ からご覧下さい ♡

              前置きが長過ぎた(汗)

              シェーンベルクのテーマとヴァリエーションは
              割に有名な曲なので感想はカット(面白い曲です)

              ドクター・アトミック・シンフォニー
              ジョン・アダムスのオペラ、ドクター・アトミックから
              アリアなどを金管のソロで持って来たオーケストラ作品。

              ロス・アラモスで行われた原子爆弾実験がテーマ。
              爆弾の爆発を暗示するかのようなオーケストラの大音響から始まり
              短い実験場の提示から
              パニックへの移行、最後はトランペットのソロが
              とても伝統的なトナールのメロディで迫ってくる。

              ミニマル・ミュージックというより
              作曲者ご本人がポスト・ミニマル・ミュージックと名付けている通り
              ミニマル・ミュージックっぽい部分と
              伝統的なトナール部分との混合が見事で
              最初から最後まで一瞬たりとも退屈しない。

              しかしまぁ、こういう複雑な現代曲をやらせると
              ウィーン放送交響楽団より巧いオーケストラって
              少なくともウィーンではいないだろうなぁ。

              ちょっとふくよかなメガネ男子のコンサート・マスターの
              すごい弱音でのちょっとしたソロが見事なんですよね。
              (ついつい贔屓目になるワタシ、何か文句ある?)

              トランペットの長いソロがまたまた見事で
              そこに被さるエレメントの力強い繰り返し。
              Youtube を探せばこの曲、すぐに見つかるけれど
              やっぱりナマで聴くと迫力が違う。

              放送曲のホールで聴いた時は
              比較的舞台に近かったのだが(ホールが小さい)
              コンツェルトハウスの大ホールで聴くと
              また音のバランスが違うのも面白い発見。
              (金管の音が伸びる。コンサート・ホールの方がやっぱり良い)

              で、後半はほとんどの人がこの人が目当てという
              エリザベート・レオンスカヤ、御歳70歳。

              私はバリバリの男尊女卑主義者・・・とは言わないが
              ピアニストは打鍵の強い男性が好きだし
              ソプラノ歌手のリサイタルには絶対に行かないタイプだから
              女性ピアニストはあまり高く評価していないのだが

              レオンスカヤのピアノって
              オーケストラに見事に溶け込んで

              なんですか、この親密な雰囲気は!!!

              力強い第1楽章も素晴らしかったが
              第2楽章以降、特に第3楽章の美しさと
              第4楽章の、あの透明感のある軽やかさと
              オーケストラに溶け込んで
              まるでピアノがオーケストラの一部になったかのような
              (かと言って自己主張がないワケではない)

              なんかともかく
              大ホールで聴いているというよりも
              小さなホールで
              みんな一緒になって
              ものすごく仲の良い友達同士の親密な雰囲気の中で
              音楽を楽しんでいるような、そんな感じ。

              音楽そのものが直接、聴いている者に語りかけてくる。
              オーケストラとピアノが、この上なく仲睦まじくなっていく中に
              聴衆がスルッと入り込んでいく。

              テクニックからシビアに聴いてしまえば
              今の若手の完璧な演奏よりも
              多少ミスタッチ(目立ちません!)もあったりするけれど

              あのオーケストラへの溶け込み方ってスゴイわ。
              ピアノかオーケストラのどちらかが突出する事なく
              協奏曲というよりは合奏曲という感じ。

              かと言って
              ピアニストやオーケストラが妥協しているのではない。
              この上ないバランスを持って
              全体的な音楽として信じられないまとまり方をしているのだ。

              ブラームスのピアノ協奏曲なら
              ワタクシ的には、交響曲みたいな1番の方が好きなんだけど
              2番って、こんなにチャーミングな曲でしたっけ?

              チェロのソロが、ううううううう ♡♡♡
              (すみません、首席チェリストもメガネ男子なので燃えました)

              第3楽章はかなり遅いテンポで
              長い長い長いボーゲンで歌わせて
              あまり調子の良くなかったクラリネットが
              ちょっとキツそうだったけれど
              (いやお疲れさまでした。よくギリギリで持ちこたえたわ)

              でも、誰も無理やり聴衆を脅かそうとしていない
              本当に音楽的な演奏って
              ああいう語りかけるような温かい音楽を言うのだろうなぁ。
              ピアノのスケールの時の美しさなんて腰が抜けそうだったし
              オーケストラと溶け合っての世界の
              あのほっこりする雰囲気は
              他のピアニストじゃ出せないだろう。

              あまりプログラムに一貫性はないけれど
              その分、近代音楽・現代音楽・ロマン派のミックスは
              幅広く聴衆を楽しませてくれるものではあった。

              まぁ、ピアノ協奏曲の第1楽章と第2楽章の後で
              しっかり拍手出たけど(第3と第4楽章はご存知アタッカ)
              でも、なんかそれも
              仲の良い家族が集まったみたいな雰囲気で
              ほわん、とした温かい空気を作ったと思えたのは
              レオンスカヤの持つベテランの包容力によるのかもしれない。

              若い指揮者はまだ若いけれど
              明確な指揮をしてよく動くし
              ブラームスでは、細かい部分の処理がかなり巧みで
              この人も将来が楽しみな若手だわ。

              なんか温かくほっこりした気分で
              コンサート会場を後にした私に
              どうぞ1クリックをお恵み下さい。




              ウィーン交響楽団 + フェドセイエフ 2回目

              0
                Musikverein Großer Saal 2016年10月18日 19時30分〜21時40分

                Wiener Symphoniker
                指揮 Vladimir Fedosejev
                ピアノ Andrei Korobeinikov

                Peter Iljitsch Tschaikowskij (1840-1893)
                 Konzert für Klavier und Orchester Nr. 1 b-Moll, op. 23
                  Originalfassung 1879
                 Symphonie Nr. 6 h-Moll, op. 74 “Pathétique”

                先日、完全に持っていかれて
                とんでもなく深い闇を見てしまったコンサートと同じプログラム。
                (1回目の記事は こちら です)

                今日はオーケストラも指揮者も何も見えない席だし
                (いつも見えないが今日は全然見えない席しかなかった)
                日曜日の時のように
                自分の感情の抑えが効かなくなる程に「持って」いかれないよう
                理性的に理性的に理性的に聴いておこう。

                と堅く決心して行ったのだが

                ダメでした。

                前半のピアノ協奏曲は
                2回目を聴いてみると
                ウエットと言うよりはケレン味に満ちていて
                意外に「僕を見て見て見て」の自己陶酔型かも(笑)

                ピアノ・ソロの部分でかなりテンポを落とすので
                オーケストラが適正な、ピアノ・ソロとバランスの取れた入り方するのに
                これはフェドセイエフもかなり苦労しただろうなって感じ。

                音楽的には、フェドセイエフとはめちゃくちゃ合うというタイプではなさそう。
                それでもさすがベテランの巨匠
                巧くオーケストラを操って(笑)いた。

                だが、だが、だが
                後半のチャイコフスキー交響曲6番「悲愴」

                音楽を聴いた・・・という感じではなくて
                とんでもなく密度の濃い心理劇を見た印象。

                音楽の感情に巻き込まれないように
                最初は理性を総動員して
                分析的に
                ああ、ここで上昇音階があの楽器の下降音階と繋がって
                ああ、ここで低音のチェロが下から支えて
                (こういう細かい部分がクリアに聴こえてくるのはスゴイ)
                必死に感情を閉じ込めていたのだが

                第一楽章の途中の爆発のところの真ん中あたりから
                完全に理性がぶっ飛んだ(すみません)

                正に慟哭
                叫び
                理不尽な人生に対するやり場のない怒り
                子供のように感情任せになって
                泣き喚いて、足踏みして
                大声で号泣してる。

                いやだもう、何これ。
                更年期はとっくに過ぎている筈だし
                もともと割に理性的と自分では思っているのだが

                理性もぶっ飛ぶチャイコフスキーの慟哭に
                自分の心の中の暗いものが、どっと溢れてくる。

                誤解を招くといけないので言っておくが
                指揮者もオーケストラも
                無駄に劇的に感情的にはなっていないのである。

                実に綿密な構成と
                絶妙な各楽器のバランスで
                ものすごく精緻な演奏になっていて

                爆発するフォルティッシモの部分だって
                楽友協会ホールが鳴り過ぎるという事が一切ない。

                もうこれ以上のバランスはあり得ないだろうという
                ホールの鳴り方を熟知した上で
                うるさくなる直前のところでの
                信じられないくらいベストの音量で攻めてくる。

                だから、あれは
                もともとのチャイコフスキーの曲の持っている力なのである。

                感情任せで熱くなる事なく
                あくまでも冷静に
                曲の持っている悲劇的で深い慟哭と怒りとやるせなさを

                フェドセイエフとウィーン交響楽団は
                とんでもなく理性的に分析的に
                残酷と言えるまで明確に提示してくる。

                ああ、もうやだ、これ。
                怒り、叫び、号泣にシンクロしてしまって
                その後のテーマ提示になったら
                もう泣きたいですワタシ。

                第1楽章が
                人生に対する慟哭であり
                やりきれない怒りで
                その中に、ほんの少しだけ
                もしかしたら、ちょっと良くなるかも
                という希望を感じさせて終わると

                第2楽章では
                ああ、過去は良かったなぁ、という回想。

                この間はワルツでウインナー・ワルツと書いてしまったが
                フェドセイエフは意図的に
                これがウインナー・ワルツになるのを避けている(ような気がする)

                あくまでも美しいメロディではあるのだが
                ロシアの上流階級の
                ちょっと垢抜けない(ごめんなさい)気取りや気品や
                それに完全には溶け込めない気分的なムラが
                音楽から漂ってくる。
                (だからオーケストラも指揮者も感情的にはなっていないんです)

                ウィーン・フィルとムーティがやったような
                ともかく天上の調べというほど美しい音楽ではなく
                あくまでも過去の回想という幻想的な部分がある。

                第3楽章は
                やっぱりこれ、ベルリオーズの断頭台への行進と被る。
                ええい、もう良いんだ、めちゃくちゃやったれ!という
                破れかぶれの自暴自棄のハチャメチャ。
                (で、こういうエッジの切れ味の鋭い高速の曲
                 ウィーン交響楽団の音色がむちゃ活きる。
                 これはこのオーケストラしかできんだろ)

                今日は第3楽章の後に拍手のフライングもなく(ほっ)
                続く第4楽章で

                ああ、もうダメです私。
                何ですか何なんですかあれは!!!

                第1楽章で慟哭して号泣して
                でも、まだ少しは希望が残ってるかも・・・というのを
                完全に破壊してしまい
                救いようのない闇へ
                手を伸ばしても伸ばしても届かず
                届かない、と希望を完膚なきまでに打ち砕かれて
                力なく地面に倒れ込んで
                絶望の中に息絶える。

                チャイコフスキーって
                こんな曲を書かなければならなかった程
                不幸だったんだろうか。
                こんな底抜けの不幸って
                本気で鬱病でないと出て来ないだろう。

                まぁ、本当に鬱病だったら
                その感情を外に出そうという気力もないだろうが。

                この世の不幸は全部ここにあります、という
                凄まじい闇と慟哭と号泣と
                諦められずに手を伸ばすのを
                残酷に振り払われるという

                ダメだこれ。
                どうやってこんな曲、理性的に聴けっつうんじゃ。
                途中から涙がボロボロ出て来て
                ずっと上向いて楽友協会の天井を見ていたが
                (ちなみに前の常連のオジサンも同じような事をしてた)

                完全な絶望の中で
                心臓の鼓動が止まって
                静寂に包まれたホールで
                あんなに早く拍手始めた奴はいったい誰だ!!!(怒)
                (誰かがシッとたしなめたけれど
                 釣られて何人かが拍手して、大喝采になった。
                 ただ、私の周囲のクラオタ連中は
                 みんな呆然としていて、かなり経ってから拍手してたな)

                こんな絶望的な心理劇
                しかも、無駄に熱くなる事は全くなくて
                音楽の持つ潜在的な力を
                ここまで見事に出した「悲愴」を私は知らない。

                ううう、こんな演奏聴いてしまったら
                もう私、この曲、聴けないじゃないの(本気)

                恐るべしフェドセイエフとウィーン交響楽団。

                これで人生変わって
                チャイコフスキーみたいに
                不幸に対して泣き喚く人格になったらどうしてくれる?!
                (謂れのない非難です、わかってます)

                第1楽章を聴いていた時は
                あんなにあからさまに慟哭できたら気持ち良いだろうな、と
                考えないワケではなかったが
                最終楽章の叫びと絶望の中での死を聴いちゃったら

                ああああ、こんな人生送りたくないっ。

                恨みつらみ、人生は不幸だ、努力しても何にもならない
                曲を聴いているお前らも、この暗黒に引きずり込んでやる

                ・・・とチャイコフスキーが考えたかどうかは知らないが

                ともかく恐ろしい曲で
                恐ろしい演奏だった。
                当分、この曲は聴きたくない(本気でそう思う)

                かと言って、行かなきゃ良かったとは全く思わないのである。
                こんな凄まじい演奏を聴けるなんて
                一生に何回あるだろうか、という感じだったから。

                終わった後、恥ずかしい事に
                トイレに駆け込んで
                人に見られないよう号泣していたアホな私に
                どうぞ1クリックをお恵み下さい。



                すみません、書きながら
                まだ心は絶望の中を這いずりまわっておりますので
                少なくともクリックのアイコンだけでも
                せめてカワイイもので和ませようと(←自分を、です)

                ロシア国立交響楽団 + ウラディミール・ユロフスキ

                0
                  Wiener Konzerthaus Großer Saal 2016年10月17日 19時30分〜22時

                  Staatliches Sinfonieorchester Russland
                  (State Academic Symphony Orchestra “Evegeny Svetlanov”)
                  指揮 Vladimir Jurowski
                  ピアノ Leif Ove Andsnes

                  Vsevolod Zaderatsky (1891-1953)
                   Die Eisengießerei (1955) EA
                  Sergej Rachmaninoff (1873-1943)
                   Konzert für Klavier und Orchester Nr. 4 g-moll op. 40 (1926)
                  Dmitri Schostakowitsch (1906-1975)
                   Symphonie Nr. 8 c-moll op. 65 (1943)

                  ロシア国立交響楽団が
                  芸術監督兼主席指揮者の
                  ウラディミール・ユロフスキとのコンサート。

                  この指揮者、ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団の首席だったが
                  いや、今でもそうらしいのだが
                  ロシア国立交響楽団の監督兼主席もやってるのか。

                  持って来たプログラムが渋い(笑)

                  私の周囲にはディープなクラオタも多いが
                  フセヴォロド・ザデラツキーを知っている人はまずいないだろう。
                  (いえいえ、いたらごめんなさい)

                  革命ロシアで貴族として散々な目にあって
                  作品も散乱してしまったようだが

                  この「鉄工所」という作品は
                  1930年頃に当時の共産主義ソビエト用に作曲されたものらしい。

                  オーストリア初演である。
                  オーケストラは大編成で、音は厚い。

                  この音楽、何かミニマル・ミュージックみたいで
                  モチーフが繰り返し繰り返し現れて
                  やっぱり、ソビエト連邦当時の
                  労働者バンザイみたいな
                  ああ、やっぱり共産主義的だよね〜という部分に加えて
                  ものすごく現代的に響いてくる部分もあって面白い。

                  10分程度の小曲だが
                  途中で本当に鉄を打楽器奏者2人が
                  金槌で叩く部分もある。
                  (前に座っていた金管メンバー、自分の音も聴こえなかっただろう)

                  ラフマニノフのピアノ協奏曲4番のピアニストは
                  レイフ・オヴェ・アンスネス。
                  日本でも公演しているようで
                  意外にファンが多いピアニスト。

                  最近のピアニストが
                  強靭な指と完璧なテクニックを持っているのは
                  もう何か前提みたいになっちゃって
                  天才でなければステージに出て来ないし
                  そう考えると新人だろうがベテランだろうが
                  ソリストなんて常人離れした天才しかなれないので
                  テクニック云々はもう何も書かないが
                  (ワタシはアホなので巧いとしか書けない(笑))

                  このピアニストの音って、何て上品な・・・
                  激しいパッセージになっても激昂する事がなく
                  あくまでも優雅に貴族的に上品で
                  高貴な演奏って、こういうのを言うんですかね?

                  その分、ちょっと大人になりきっちゃって
                  ワイルドさが足りないような印象はあるけれど
                  派手な(で意味のない)自己アピールもなくて
                  聴いていて気持ちが良い。

                  アンコールはシベリウスの小作品で
                  これがまた品が良くて ♡

                  さて、息子ユロフスキ(私はお父さんも好きなの)と
                  このロシアのオーケストラ
                  最初のフセヴォロド・ザデラツキーでワイルドな音を聴かせてくれたが
                  後半のショスタコーヴィッチの交響曲8番はどうなるだろう。

                  ・・・ ううう、書きたくない(本気)

                  あのね、昨日ワタクシは
                  フェドセイエフのチャイコフスキーで
                  命を削られるような大変な思いをして来たばかりで

                  で、今日はショスタコーヴィッチの交響曲8番の
                  あの暗い暗い暗い暗い暗い悲惨で深い曲を
                  じっくりと60分
                  心を抉られるような演奏を聴いちゃうというのは

                  連日連夜、超高級レストランで
                  フルコースの10コースくらいの料理を食べるのと同じで
                  美味しいんだけど、ちょっともう勘弁、と言いたいくらい
                  これはかなり精神的にキツい(汗)

                  15曲もあるショスタコーヴィッチの交響曲だが
                  8番の演奏頻度は高くない。
                  私も久し振りに聴いた。
                  (以前聴いたのはマリイインスキーとゲルギエフだったと思う)

                  何せこの曲、初演したのがこのオーケストラで
                  指揮がエフゲニー・ムラヴィンスキーだった
                  このオーケストラには記念碑的な曲なのだが

                  ご存知の通り、あまりに暗くて暗くて暗くて
                  ジダーノフ批判の対象になり
                  一時は演奏禁止だった事もある曲。

                  ズブズブの暗さで演奏しようとしたら出来ちゃうような気がするが
                  ユロフスキーとこのオーケストラは
                  曲の暗さから、絶妙な距離を保って
                  あくまで冷静に客観的に
                  複雑な音の編成をクリアに聴かせてくれる。

                  爆発するべき部分は容赦なく爆発させるので
                  ああ、コンツェルトハウスの大ホールで良かった。
                  (あれは楽友協会で演奏したら、間違いなく聴衆も難聴になる)

                  さすが近代のコンサート・ホール(とは言え第一次世界大戦前だが)なので
                  どんなに鳴らしても
                  音響そのものはクリアに響いて来て不快感がない。
                  (それでも時々難聴になりそうだったけど(笑))

                  ピアニッシモ部分は徹底的に透明感のある音を出し
                  各楽器のソロが・・・・うううう、巧い。
                  それも、感情任せの泣き節になっていないだけに

                  作品そのものの持つ悲劇的な性格が
                  容赦なく聴衆に迫ってくるのである。

                  コンツェルトハウスは楽友協会に比べると
                  知名度がイマイチというのもあって
                  (ちなみに日本のお隣の国の観光客は
                   金色が好きなのでコンツェルトハウスにはあまり来ないようだ)
                  割に地元の年配客が多いのだが

                  その年配客の多い観客が
                  珍しくも今日のショスタコーヴィッチでは
                  ほとんど咳がなく
                  いつもはお喋りがうるさい後ろのおばあちゃまさえ
                  息を詰めて、身動きもせず

                  ウィーンにしては信じられない静寂の中で
                  (最後の方で携帯電話の無音だけどバイブレーションの音は聞こえたが)
                  誰一人コンサート会場を途中で去る事なく

                  最後の音が消えた後
                  指揮者が肩の力を抜くまで
                  誰も拍手のフライングなく
                  この上なく素晴らしいタイミングで大ブラボーが沸き起こって

                  終わったのが22時だったのに
                  ギャラリー貧民席の年配客たちも
                  すぐに帰ろうという人は誰もいなくて
                  (ご年配の客はコンサートが遅くなると
                   拍手もせずにすぐに立ち上がって帰る人が多い)

                  みんな釘付けになったように席に居て
                  一部スタンディング・オベーション。
                  大喝采して、更にはブラボー・コールまで激しく飛んだのは
                  滅多にない光景だった。

                  しかしまぁ、本気で超弩級のコンサート。
                  作品の持つ深い悲しみを
                  徹底的に理性的に演奏する事によって
                  ものすごく深いところで
                  容赦なく聴衆の心の底にグサグサ射し込んでくるんだもん。

                  ちょっともう、最後の方で泣けて来ちゃったし(汗)
                  聴衆に要求される集中力も
                  ほとんど限界に近かった。

                  (が、オーケストラも指揮者も聴衆も
                   それだけ緊張感を持って全員が集中していた。
                   そこまでの力のある作品で
                   それを無駄に飾ったり力任せにせず
                   聴衆にそのままナマで差し出したオーケストラと指揮者は
                   すごいと思う)

                  音楽って聴いて楽しんで
                  ああ、気持ち良かったとか言いつつ
                  コンサート会場を後にするモノじゃなかったのか?

                  いや、せっかくなけなしの金を出して行くんだから
                  人生観が変わるほどグッタリする体験があった方が良い
                  と言う意見もありそうで

                  どちらかと言えば
                  私はケチなので後者の方なのだが
                  ロシアの指揮者2人が
                  これだけとんでもないコンサートを続けてやると

                  ちょっと、いや
                  かなりグッタリしている私に
                  どうぞ1クリックをお恵み下さい。


                  ウィーン交響楽団 + フェドセイエフ 1回目

                  0
                    日曜日のダブルヘッダー。
                    時系列で読みたい方は、まず ここ からどうぞ。
                    下は夜のコンサートの勝手な感想メモです。

                    Musikverein Großer Saal 2016年10月16日 19時30分〜21時40分

                    Wiener Symphoniker
                    指揮 Vladimir Fedosejev
                    ピアノ Andrei Korobeinikov

                    Peter Iljitsch Tschaikowskij (1840-1893)
                     Konzert für Klavier und Orchester Nr. 1 b-Moll, op. 23
                      Originalfassung 1879
                     Symphonie Nr. 6 h-Moll, op. 74 “Pathétique”

                    夜はウィーン交響楽団とフェドセイエフのコンサートへ。

                    このコンサートは18日にも同じプログラムで行われるが
                    比較的早い時期に両方とも売り切れになったのは
                    フェドセイエフさま人気・・・と思いたいが

                    実際はチャイコフスキーのピアノ協奏曲と悲愴という
                    ポピュラーなプログラムによるものではないかと思っている。
                    (だって周囲、観光客だらけだったし(笑))

                    チャイコフスキーのピアノ協奏曲
                    ポピュラーと言えばポピュラーで誰でも知っている曲。
                    オリジナル版とは言っても
                    ピアノのアコードとフィナーレがちょっと違う程度。

                    ピアニストのアンドレイ・コロベイニコフは初聴き。
                    何かえらく立派な経歴を持った人。
                    (日本語の履歴書見つけた → ここ

                    で、この人のピアノ
                    むちゃくちゃウエットというかロシア風というか
                    ルバートたっぷりのテンポ設定に
                    ものすごいペダル使い。

                    いやもう、泣き節が凄いんだけど
                    意外にそれがイヤミじゃなくて
                    すっきりと入ってくるのは完璧なテクニックによるものか。

                    見た目、何か本当にそこらへんのオジサンという感じで
                    30歳にしては老けて見えるし
                    出てくる時とか全然カリスマに見えない。

                    で弾くピアノは超絶技巧バリバリでウエットで泣き節。
                    面白い人だ(勝手に笑ってごめんなさい。でもスゴイと思ってます)
                    バリバリ弾くタイプなのに泣き節というのは珍しいし。

                    私のお目当ては当然ながら後半の「悲愴」で
                    この観客層だと、第3楽章で拍手出るな、と思っていたら出たし
                    ピアニッシモの部分での咳(しかも空咳)が多くて
                    更にはピアニッシモで携帯電話鳴らしたアホも居たけれど

                    うううう、そんな事、全く気にならないくらいの
                    気迫と鬼気に満ちたとんでもない演奏・・・

                    フェドセイエフと言えば
                    一時期は快速高速指揮者で
                    フェドセイエフが指揮台に立つと
                    コンサートの終了時間が少なくとも5分早まるというのは
                    有名だったのだが

                    今回の「悲愴」
                    最初からテンポが遅い。

                    丁寧に丁寧に、ゆっくり目のテンポで
                    長いボーゲンを描いて
                    オーケストラの各パートの解像度も美しく

                    更には透明感と、限りない優しさを抱いて
                    最初のメロディが提示される。

                    で、これがクセモノなのだよ。

                    この優しさと懐かしさに満ちたメロディが
                    あの激しい部分の後に出て来た時には
                    全く様相を変えてしまう、というマジック。

                    第1楽章中間部の激しい部分も
                    今回のフェドセイエフは無理な高速テンポを避けて
                    激情と嵐にはこれしかない、という見事なテンポ設定。

                    しかもまぁ、オーケストラが巧い、巧すぎる。
                    エッジが効いて、明るめの弦の音が活きてるし
                    低弦や内声の弦も見事にハマってるし
                    管の巧さは言う事なく
                    しかも見事だったのがパーカッション。

                    パーカッションなんてこの曲
                    目立とうとすれば大音響で出せるのに
                    節度を持ったバランスで惚れ惚れする音で入ってくる。

                    でこの惚れ惚れするパーカッションが
                    後でズッキリと心の深いところにグッサリ突き刺さってくるとは。

                    フェドセイエフが、既に第1楽章の真ん中でやったのは
                    紛れもない「死」そのものだった。

                    しかも金管の咆哮の痛々しさは
                    絶命前の悲鳴にしか聴こえて来なくて
                    そこに続いたティンパニは
                    まさに終えようとしている心臓の鼓動。

                    異様に長いゲネラル・パウゼの後の
                    第1テーマの提示は

                    ここで最初とガラッと音色が変わる。
                    これは・・・もしかしたら昇天後の天国ですか。

                    どこかマーラーのアダージョを思い起こさせるような
                    柔らかで浮世離れしたリアリティのない第1テーマ。
                    ああああ、こんな音楽があるんだ、信じられない。

                    フェドセイエフ何やった?!

                    第2楽章のワルツは、ああ、これ、ワルツです。
                    すみません、でも他に何と言おう。
                    ほんの少しのウィーンの香りが漂う
                    限りなく美しい旋律の躍動感。

                    しかもその中に見え隠れする諦観って
                    何なんですかもう(涙)

                    第3楽章は速めテンポで(やると思った)
                    これはフェドセイエフお手のもの、うっしっし・・・と思っていたら

                    何でこの楽章が
                    埋葬行進曲というか
                    ベルリオーズの幻想交響曲の断頭台への行進と
                    イメージが被ってくるんだろう?

                    何かコワイんですよ殺気立ってて。
                    熱に浮かされたような
                    現実離れしたところで
                    急がされて急がされて
                    断頭台に向かって進むような気味の悪さ。

                    案の定、第3楽章の後で
                    派手な拍手のフライングがあったけれど
                    大きな拍手の渦にはならなかったのが不幸中の幸い。

                    続く最終楽章は
                    ・・・・何ですかこれ
                    何なんですかこれは

                    静かな慟哭というのものがあるとすれば
                    私が聴いたのは、救いのない悲しみに満たされた
                    無言の慟哭だったと思う。

                    泣き節ではなく
                    声高に叫ぶのでもなく
                    限りない無に向かって
                    深い底に堕ちていく感覚。

                    しかも第1楽章の慟哭は
                    まだ声があったし
                    その後に天国らしきものが待っていたのに

                    最終楽章の声のない慟哭は
                    全く救済のない深い深い闇。

                    ちょっとこれ、ものすごく怖いんですが。

                    この曲って、こんな恐怖に満ちた
                    しかも救いのない死に満ちた曲だったんでしょうか。

                    いやちょっと終わった後に呆然としてしまい
                    第3楽章の後に派手な拍手した後ろの男性が
                    今度は誰も拍手する勇気がない、とか
                    ワケのわからん独り言を呟いたけれど

                    あの全くの虚無に繋がる終わり方の後で
                    アナタ、拍手する気になれますか?
                    (なれる人も居るかもしれない、好みの問題だから)

                    私は完全に持って行かれてしまった感じ。
                    何か、ものすごい深い闇を
                    見てはいけないモノを見てしまった怖さがある。

                    聴いている方も命を削られる感じが半端じゃないのに
                    マエストロ・フェドセイエフ
                    確信犯とは言え、よくぞここまで・・・

                    ひえ〜、同じプログラムのコンサート
                    火曜日のチケットも買っちゃってるよワタシ。
                    この鬼気迫る恐ろしい悲愴ならぬ虚無への慟哭を
                    もう1度聴くかと思うと、かなり怖い。

                    もっとも、音楽なんて主観の問題だから
                    こちら側の深読みかもしれないので
                    2回目を聴いたら
                    また印象が違うかもしれないし(と楽観しておこう)

                    普通だったら
                    あぁ、明日から月曜日でまた仕事だ、と
                    ウンザリする日曜日の夜なのだが

                    あんな彼岸の世界を垣間見てしまったので
                    日常生活に戻るのが急務・・・と
                    本気で考えている私に
                    どうぞ1クリックをお恵み下さい。


                    トーンキュンストラー + 佐渡裕

                    0
                      Musikverein Großer Saal 2016年10月16日 15時30分〜17時30分

                      Tonkünstler-Orchester Niederösterreich
                      指揮 Yutaka Sado
                      オルガン Cameron Carpenter

                      Francis Poulenc (1899-1963)
                       Konzert für Orgel, Streicher und Pauke g-Moll (1938)
                      Samuel Barber (1910-1981)
                       Toccata Festiva für Orgel und Orchester op. 36 (1960)
                      Jean Sibelius (1865-1957)
                       Symphonie Nr. 2 D-Dur op. 43 (1901/02)

                      トーンキュンストラーの定期。
                      土曜日にも行くか散々迷ったんだけど(笑)
                      財布の底も抜けているので日曜日だけにした(ケチ)

                      ユニークな天才オルガニスト
                      キャメロン・カーペンターがゲスト。

                      この天才オルガニストについては
                      Youtube あたりでサーチすると山ほどひっかかって来るので
                      説明はしない。
                      噂だけずっと聞いていて
                      ぜひ一度、ナマで聴きたいものだと渇望していた。

                      で、自分の凄いオルガン持ってくるかと思ったら
                      楽友協会舞台の指揮台の前に
                      楽友協会のオルガンのコンソールが置いてあって

                      あれ? 普通の備え付けのオルガンも弾くんですか、この人。

                      プーランクの曲
                      最初からバッハを思わせるト短調のメロディ。
                      絡まってくる弦のピチカートとティンパニ。
                      圧倒されるのは
                      オルガンの音色の多彩さに豊かさ。

                      確かにオルガンで全部の音が出ちゃうもんなぁ。
                      弦だけで、管がなくても
                      管の音が全部オルガンから出てくる。

                      低音のずっしりしたホール中が共鳴するような響き
                      澄んだ鳥の声のような高音
                      フルートやクラリネットや金管や
                      もう、すごい音色の洪水である。

                      割にバロック的で伝統的な構築の箇所も多いけれど
                      フランス6人組らしい透明な響きもあって
                      一瞬たりとも退屈させない多彩な曲想が次から次へ
                      その中にダカーポなんかも効果的に使われている。

                      カーペンターがレジスターを目まぐるしく調整するたびに
                      全く違う音色の音楽が出てくる。
                      いや、オルガンって、本来、そういうモノなんだけど
                      意識的に聴いた事なかったからなぁ。

                      私はいつもの席だったので
                      足は見えなかったけれど
                      前から見ていた人は
                      カーペンターの両足が
                      目にも止まらぬ速さで動いているのが見えただろう。

                      続けてバーバーの曲は
                      バーバーらしい曲想があちこちに現れて
                      これはフル・オーケストラで管も入ったけれど
                      プログラムに記載されていた通り
                      まるでオーケストラが2つあるかのような多彩さ。

                      巧いとか簡単に言ってしまったらもったいない。
                      技術的には完璧以上で
                      更に、そのテクニックで出してくる音の色の見事さ。
                      ううううう、オルガンってこんなに凄かったのか。

                      アンコールで弾いた曲が・・・
                      いやもう、言葉がないです。
                      オルガンってこんな楽器だったっけ。
                      オルガンという楽器の持つ、とんでもない幅広い可能性を
                      とことん突き詰めてみたら、こうなりました、という印象。

                      話には聞いていたけれど
                      楽友協会造り付けのオルガンが
                      こんな豊かな音の多彩さを持つなんて初めて知った。
                      (不勉強ですみません)

                      後半はシベリウスの交響曲2番。

                      音楽というのは好みの問題だし
                      こういう名曲になれば
                      誰でも、これはこういう感じ、という偏見は抱いている訳で
                      だから良し悪しではないんだけれど

                      こんなに私のイメージと合わなかったシベリウスも
                      久し振りかもしれない(あくまでも好みです好み)

                      最初から音量が大き過ぎて
                      そこに入ってくる管のリズムがブチブチで
                      行進曲みたいで
                      シベリウスの交響曲と言えば
                      ワタクシ的には、最初に透明感のイメージがあるのだが
                      すごい厚塗りの油絵に
                      どっこいしょと、管が足を引き摺りながら入ってくる感じ。

                      全体的に重いし、テンポの引き摺りが多いし
                      ゲネラル・パウゼも長くて
                      力だけで押し切っていて
                      全部のパートを鳴らそうとするあまり
                      透明感ゼロの音の団子になっている部分が多い。

                      第3楽章の弦の細かいパッセージは
                      弦(特にバイオリン)が頑張って巧く出していたけれど
                      力任せの大音響バンザイの演奏って
                      すみません、私の好みとは全く違うので

                      はい、これは好みの問題です。
                      シベリウスをウィーン放送交響楽団が
                      マイスターと、徹底的に音色に拘って演奏した時の方が
                      私は好きだ。

                      でも大音響で景気よく演奏されれば
                      一部の聴衆はそれだけで気持ち良くなる人も居るわけで
                      (だからバカにしてません、あくまでも好みの問題です)
                      ブラボー・コールが飛び交っていたのは、なかなかよろしい。

                      まぁ、力一杯、管も弦もよく演奏したと思う。
                      特に金管、力任せではあったけれど
                      よく大音響で伸びる音を出してたし。

                      音楽なんて主観の問題だから
                      どんな解釈があっても良いのである(断言)
                      それが、偏見に満ちた私の好みと合うかどうかだけですから。
                      (誰でも思い込みというのはあるし
                       特定の演奏を聴き込んでいると、音の刷り込みもあるからね)

                      さて、これから楽友協会の同じ席で
                      ウィーン交響楽団とフェドセイエフ ♡

                      オルガンの超絶技巧に感動というよりは感心して
                      特にアンコールのあの音響効果は
                      音響オタクには至福だったなぁ、と
                      キャメロン・カーペンターの来年5月のチケットの発売日を
                      そっとカレンダーに書き込んだ私に
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