Grosses Festspielhaus Salzburg 2016年8月28日 21時〜22時45分
Berliner Philharmoniker
指揮 Sir Simon Ratttle
Pietre Boulez (1925-2016)
Eclat
1. Fassung fuer 15 Instrumente
Gustav Maheler (1860-1911)
Symphonie Nr. 7 e-Moll (1904/05)
グラーフェネックではチェコ・フィルとビエロフラーベックにヒラリー・ハーンなのだが
ベルリン・フィルがブーレーズとマーラー(しかも7番)とあれば
何はともあれベルリン・フィルである。
という事でやって来ましたザルツブルク。
たまたま仕事が入ったのでコンビネーションできてラッキー。
ブーレーズのエクラ。
まずはウィーンで聴くチャンスはない。
しかも、初稿で、ぶ厚いオーケストレーションのない版!!!
ギャラリーの席で、その音響にひたすら悶えていたのはワタクシです。
いや、もうブーレーズの音響って
零下20度くらいのところを
音が高速で飛び散っているという感じで
ともかく温度がないというか
ひたすら透徹しているというか
徹底的に計算された音響の、冷たい冷たい響きが
空間を飛び交って、宇宙まで飛び出す。
昨日のブルックナーの7番だって
宇宙を飛び出してはいるのだけれど
ブルックナーが、まだ宇宙の果てに何か人間的な温かさを感じるのとは対照的に
ブーレーズの音楽には
人間だの感情などが一切なくて
その透明感、その温度のなさ、透徹した音響が
いくら現代音楽を聴きなれていても
やっぱりブーレーズって違うわ。
現代音楽で作曲家の特徴がすぐにわかると言うのは珍しいのだが
ブーレーズの初期の作品は、モロにブーレーズというサインが見える。
こんな徹底的に計算されて透明感のある音響は
ブーレーズにしか出せません。
悶え悶えて、約8分くらいの演奏が終わった後
舞台設定の変更があって、休憩時間なしにマーラーの交響曲7番。
実は交響曲の中でどれが一番好き、と聞かれたら
私は迷う事なく、この曲だと答えるくらい好きな曲。
で、ベルリン・フィルがすごかった、色々な意味で。
最初のフリューゲルホルン テノール・チューバのソロが
(Sさま、ご指摘感謝!!!)
貧民席まで、大音響で響いて来て
ええええええっ、あのソロ、こんなに大きな音だったっけ?から始まって
ともかく外向きの、高性能スポーツカーの
マッチョで筋肉質で爆発するすごい音量のオーケストラ。
第1楽章の爆発が、もう、モロにすごい。
ザルツブルクの大祝祭劇場だから良かったようなものの
この音量で楽友協会か何かで演奏されたら耳が潰れたかも。
しかも、金管が容赦ない音を出すのに
弦が全く負けていないって、どういう事?
ウィーンのオーケストラは優雅なのだが
時々、弦が優雅すぎてふにゃふにゃになるのに
ベルリン・フィルの弦は、もうガリガリというか
しかも深いボーゲンで強い音を出すのに
最初から最後までアンサンブルがぴったり揃っていて
ああ、もう、参りました。
あの筋肉質な締まった音はウィーンのオーケストラでは無理(断言)
第2楽章の解像度がすごくて
すごすぎて、ちょっとバラバラに聴こえて来て
あ、これ、ブーレーズのエクラの世界かも・・・と思わせたくらい。
ただ、バラバラ過ぎて有機的な繋がりが時々欠けたような印象もあった。
第3楽章。
これは、一応、ワルツのリズム・・・だよね?
だけど、全然ワルツじゃありません(笑)
気味の悪い死の舞踏・・・なんだけど
これも外向きというか
内向的なブラック・ユーモアみたいなものが
あまり表面に出て来なくて
まぁ、死の舞踏というのは、よくわかるのだが
ウィーン風のワルツのリズムというのが
プロイセンの真面目なリズムに打ち消された感じ。
でも、死の舞踏の感じはかなり出てた・・・けど
やっぱりあんまり内向的な気味悪さは感じなくて
第1楽章みたいに、ともかく技術的にスゴイなぁ、というのが目だった。
(要はひたすらマッチョなのである)
夜の歌、第4楽章。
ビオラのプレイヤーが後ろに移動してギターのプレイヤーになって
(マンドリンは専用のプレイヤーがいた)
これはまた、ロマンティックな演奏。
夜の歌?というよりは
愛のセレナードにしか聴こえて来なくて
しかも、これも音が外に向かっている。
最後の部分でテンポをひたすら落として
何かもう、気恥ずかしくなるくらいロマンティック。
(しかも最初から最後まで外向的なので
地下鉄の中でキスしている男女を見ているような感じ)
で、予想通り、最終楽章のフィナーレは爆発。
もう、やけっぱちというか
しかしまぁ、どのパートを鳴らしても
負けるパートが一つもなくて
なんて強いオーケストラ・・・(絶句)
ひたすら男性的で完璧で強くて
内向的な部分が全くなくて
大祝祭劇場のホールを凄まじい音量で満たして
高性能スポーツカーが時速300キロくらいでサーキットを駆け抜けたという印象。
うはははは、こういう遊びのない
緩い部分が全くない高性能オーケストラ、本当に好き。
最終楽章では、結構金管のアタック・ミスとかあったし
音程の微妙なズレや、リズムの微妙なズレもあったけれど
あれは時々、ラトルは確信犯でやる時がある。
こういう演奏、ウィーンのオーケストラじゃ聴けないです(きっぱり)
ウィーンのオーケストラって、どこか緩くなる部分があるんだもん。
だからこそのマーラーのウィーンっぽい部分が出てくるのだけれど
ベルリン・フィルの演奏は
マーラーのウィーンっぽさは全くなくて
複雑怪奇な近代音楽の金字塔を完璧に演奏しました、というイメージ。
木管軍団が巧かった。
オーボエもピッコロも特筆すべき巧さで唸ったわワタシ。
低弦、特にコントラバスの強さというのもウィーンのオーケストラではあり得ない。
ううう、プロイセン、ものすごく好きかも・・・
(何を間違ってウィーンに来てしまったんだか・・・(笑))
めくるめく音響の洪水に溺れて
ああ、このためだけにザルツブルクに来て良かった、と
コンサート後に友人とビール飲んで
かなり酔っ払って記事を書いている私に
どうぞ1クリックをお恵み下さい。
Berliner Philharmoniker
指揮 Sir Simon Ratttle
Pietre Boulez (1925-2016)
Eclat
1. Fassung fuer 15 Instrumente
Gustav Maheler (1860-1911)
Symphonie Nr. 7 e-Moll (1904/05)
グラーフェネックではチェコ・フィルとビエロフラーベックにヒラリー・ハーンなのだが
ベルリン・フィルがブーレーズとマーラー(しかも7番)とあれば
何はともあれベルリン・フィルである。
という事でやって来ましたザルツブルク。
たまたま仕事が入ったのでコンビネーションできてラッキー。
ブーレーズのエクラ。
まずはウィーンで聴くチャンスはない。
しかも、初稿で、ぶ厚いオーケストレーションのない版!!!
ギャラリーの席で、その音響にひたすら悶えていたのはワタクシです。
いや、もうブーレーズの音響って
零下20度くらいのところを
音が高速で飛び散っているという感じで
ともかく温度がないというか
ひたすら透徹しているというか
徹底的に計算された音響の、冷たい冷たい響きが
空間を飛び交って、宇宙まで飛び出す。
昨日のブルックナーの7番だって
宇宙を飛び出してはいるのだけれど
ブルックナーが、まだ宇宙の果てに何か人間的な温かさを感じるのとは対照的に
ブーレーズの音楽には
人間だの感情などが一切なくて
その透明感、その温度のなさ、透徹した音響が
いくら現代音楽を聴きなれていても
やっぱりブーレーズって違うわ。
現代音楽で作曲家の特徴がすぐにわかると言うのは珍しいのだが
ブーレーズの初期の作品は、モロにブーレーズというサインが見える。
こんな徹底的に計算されて透明感のある音響は
ブーレーズにしか出せません。
悶え悶えて、約8分くらいの演奏が終わった後
舞台設定の変更があって、休憩時間なしにマーラーの交響曲7番。
実は交響曲の中でどれが一番好き、と聞かれたら
私は迷う事なく、この曲だと答えるくらい好きな曲。
で、ベルリン・フィルがすごかった、色々な意味で。
最初の
(Sさま、ご指摘感謝!!!)
貧民席まで、大音響で響いて来て
ええええええっ、あのソロ、こんなに大きな音だったっけ?から始まって
ともかく外向きの、高性能スポーツカーの
マッチョで筋肉質で爆発するすごい音量のオーケストラ。
第1楽章の爆発が、もう、モロにすごい。
ザルツブルクの大祝祭劇場だから良かったようなものの
この音量で楽友協会か何かで演奏されたら耳が潰れたかも。
しかも、金管が容赦ない音を出すのに
弦が全く負けていないって、どういう事?
ウィーンのオーケストラは優雅なのだが
時々、弦が優雅すぎてふにゃふにゃになるのに
ベルリン・フィルの弦は、もうガリガリというか
しかも深いボーゲンで強い音を出すのに
最初から最後までアンサンブルがぴったり揃っていて
ああ、もう、参りました。
あの筋肉質な締まった音はウィーンのオーケストラでは無理(断言)
第2楽章の解像度がすごくて
すごすぎて、ちょっとバラバラに聴こえて来て
あ、これ、ブーレーズのエクラの世界かも・・・と思わせたくらい。
ただ、バラバラ過ぎて有機的な繋がりが時々欠けたような印象もあった。
第3楽章。
これは、一応、ワルツのリズム・・・だよね?
だけど、全然ワルツじゃありません(笑)
気味の悪い死の舞踏・・・なんだけど
これも外向きというか
内向的なブラック・ユーモアみたいなものが
あまり表面に出て来なくて
まぁ、死の舞踏というのは、よくわかるのだが
ウィーン風のワルツのリズムというのが
プロイセンの真面目なリズムに打ち消された感じ。
でも、死の舞踏の感じはかなり出てた・・・けど
やっぱりあんまり内向的な気味悪さは感じなくて
第1楽章みたいに、ともかく技術的にスゴイなぁ、というのが目だった。
(要はひたすらマッチョなのである)
夜の歌、第4楽章。
ビオラのプレイヤーが後ろに移動してギターのプレイヤーになって
(マンドリンは専用のプレイヤーがいた)
これはまた、ロマンティックな演奏。
夜の歌?というよりは
愛のセレナードにしか聴こえて来なくて
しかも、これも音が外に向かっている。
最後の部分でテンポをひたすら落として
何かもう、気恥ずかしくなるくらいロマンティック。
(しかも最初から最後まで外向的なので
地下鉄の中でキスしている男女を見ているような感じ)
で、予想通り、最終楽章のフィナーレは爆発。
もう、やけっぱちというか
しかしまぁ、どのパートを鳴らしても
負けるパートが一つもなくて
なんて強いオーケストラ・・・(絶句)
ひたすら男性的で完璧で強くて
内向的な部分が全くなくて
大祝祭劇場のホールを凄まじい音量で満たして
高性能スポーツカーが時速300キロくらいでサーキットを駆け抜けたという印象。
うはははは、こういう遊びのない
緩い部分が全くない高性能オーケストラ、本当に好き。
最終楽章では、結構金管のアタック・ミスとかあったし
音程の微妙なズレや、リズムの微妙なズレもあったけれど
あれは時々、ラトルは確信犯でやる時がある。
こういう演奏、ウィーンのオーケストラじゃ聴けないです(きっぱり)
ウィーンのオーケストラって、どこか緩くなる部分があるんだもん。
だからこそのマーラーのウィーンっぽい部分が出てくるのだけれど
ベルリン・フィルの演奏は
マーラーのウィーンっぽさは全くなくて
複雑怪奇な近代音楽の金字塔を完璧に演奏しました、というイメージ。
木管軍団が巧かった。
オーボエもピッコロも特筆すべき巧さで唸ったわワタシ。
低弦、特にコントラバスの強さというのもウィーンのオーケストラではあり得ない。
ううう、プロイセン、ものすごく好きかも・・・
(何を間違ってウィーンに来てしまったんだか・・・(笑))
めくるめく音響の洪水に溺れて
ああ、このためだけにザルツブルクに来て良かった、と
コンサート後に友人とビール飲んで
かなり酔っ払って記事を書いている私に
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