Wiener Konzerthaus Großer Saal 2016年5月31日 19時30分〜21時30分
Wiener Symphoniker
指揮 Lorenzo Viotti
Ludwig van Beethoven (1770-1827)
Symphonie Nr. 2 D-Dur op. 36 (1801-02)
Gustav Mahler (1860-1911)
Symphonie Nr. 1 D-Dur (1888)
昨日のコンサートが酷かったら
国立オペラ座にドン・キショットを観に行こうと思っていたのだが
昨日のマーラー1番にちょっと吃驚して
本日も同じコンサートに足を運んでみた。
(オタクと言うなら言え(開き直り))
ベートーベンは・・・
すみません、寝落ちしました(汗汗汗)
昨日、3時間ちょっとしか寝てないし(汗)
ベートーベンというのは
やっぱり体調が良い時でないと
うまく噛み砕けないので(冷汗)
でも、ワタクシ的メインは
後半のマーラーの交響曲1番である!!!
昨日も、おっ、スゴイとは思ったものの
2回目を聴いてみると
その凄さがもっと迫ってくる。
ものすごく丁寧な音響作り。
あまりに丁寧すぎて
たぶん、この曲を知らない人や
あまりマーラーに馴染みのない人には
多少、冗長に聴こえて来てしまったところはあると思う。
隣の女性が、ピアニッシモになると
すごいため息をつくので、ちょっと同情しちゃったし(笑)
各パートの解像度が高い、と昨日、印象として書いたが
加えて、どの部分も、ものすごく丁寧に作られていて
こんな細かい部分まで練りに練ってあるって
どういう頭の構造の指揮者?
各パートのクリアさが群を抜いている事に関しては
例えば、私が今まで聴いた中だと
ダニエル・ハーディングなんかは
よくこういう解像度の高い演奏をする。
ハーディングの場合は
これを突き詰めると
交響曲が「室内楽」になってしまう(それは持ち味だからそれで)
ただ、このロレンツォ・ヴィオッティという怪物は
(すでに私の中では怪物になっている)
どの部分もクリアに
とんでもないバランスで演奏させながらも
マーラーの交響曲1番の持つスケール感を犠牲にしていない。
音響そのものも
まるでスペクトル楽派のように響く箇所がいくつもあって
マーラーって、初期から
こんな現代的な音を書いていたのか、と目からウロコ。
第1楽章の途中で
黒い雲が空に広がって、雨が降りそうになって
最後のティンパニの1打で、小さな雷が落ちるところなんか
背筋がゾクゾクした。
何と言う妄想喚起力(違うかも)
いや、何回も聴きながら
あそこが、そういう場面である事を
全く感じなかった感受性ゼロに近い私も悪いのだが(自爆)
第2楽章の、居酒屋みたいなちょっと卑俗な感じも
適度に上品で、適度に下品で
それが、見事なバランスで音楽の中に活かされている。
埋葬行進曲の中間部の美しさと言ったら
突然重力がなくなって
フッと身体が宙に浮くような不思議さ。
全体に重さがなくて
最初から最後まで
不思議で幻想的な童話を聴かされているような印象。
2回目で細かい部分まで集中して聴いていると
マーラーが描いた
現実と幻想の狭間に、すっぽりと落ちてしまって
もう、唖然としながら
その圧倒的な世界に取り込まれてしまう。
若い指揮者なのだが
これ、とんでもない指揮者じゃないか?!
演奏が終わった後に
オーケストラのメンバーが
全員、ものすごい拍手を指揮者に送っていたのが印象的。
あんな若造なのに(すみません)
オーケストラが立たず
指揮者だけ立たせて聴衆のブラボー・コールを受けさせたというのも
なかなか珍しい現象ではある。
もうかなり前になるけれど
(よって記録が残っていない・・・残念)
ウィーン交響楽団で
グスターボ・ドゥダメルが
春の祭典でデビューした時の印象を彷彿とさせる。
当時のドゥダメルのカリスマ性があるかどうかは
指揮姿を後ろからしか見ていないので
何とも言えないけれど
これだけの考え抜かれた演奏を
オーケストラにさせて
しかもオーケストラのメンバーに
嬉々として演奏させてしまう、というのも
すごい才能。
指揮者によって別人オーケストラになるウィーン交響楽団も
今回の演奏は本当に力が入っていて
低弦のズシンと来る響きでピアニッシモを聴いたり
妙なる音色のピアニッシモでホルンが柔らかく吹いたり
哀愁漂うファゴットのソロに
気分乗らないととんでもない事になるオーボエの素晴らしい音色と言い
名人クラリネット奏者の音はますます冴え渡るし
輝くトランペットにトロンボーン
しっかりとメロディを提示するのに
押し付けがましくならないフルートとピッコロ
揃ったアンサンブルでえも言われぬ音色を聴かせてくれた弦。
あのオーケストラのビオラって、あんなに良かったかしら(失礼な!)
深い音で、素晴らしいバランスの音量で入ったパーカッションにも拍手。
優秀な音楽職業軍団が本気出すと
スゴイ事になる、という良い例だな、これは。
感激というよりは
何か、あまりの演奏の凄さに絶句してしまって
自分でもワケのわからない事になっている私に
どうぞ1クリックをお恵み下さい。
6月はシーズン最後なので
コンサートに行きまくる予定なのだが
ありがたい事に仕事も忙しいので(あまり儲けにならんが)
今週はこれにてコンサート通いは終わり・・・だけど
週末には、またとんでもない事になるので
それまで、どうぞご勘弁下さいまし。
Wiener Symphoniker
指揮 Lorenzo Viotti
Ludwig van Beethoven (1770-1827)
Symphonie Nr. 2 D-Dur op. 36 (1801-02)
Gustav Mahler (1860-1911)
Symphonie Nr. 1 D-Dur (1888)
昨日のコンサートが酷かったら
国立オペラ座にドン・キショットを観に行こうと思っていたのだが
昨日のマーラー1番にちょっと吃驚して
本日も同じコンサートに足を運んでみた。
(オタクと言うなら言え(開き直り))
ベートーベンは・・・
すみません、寝落ちしました(汗汗汗)
昨日、3時間ちょっとしか寝てないし(汗)
ベートーベンというのは
やっぱり体調が良い時でないと
うまく噛み砕けないので(冷汗)
でも、ワタクシ的メインは
後半のマーラーの交響曲1番である!!!
昨日も、おっ、スゴイとは思ったものの
2回目を聴いてみると
その凄さがもっと迫ってくる。
ものすごく丁寧な音響作り。
あまりに丁寧すぎて
たぶん、この曲を知らない人や
あまりマーラーに馴染みのない人には
多少、冗長に聴こえて来てしまったところはあると思う。
隣の女性が、ピアニッシモになると
すごいため息をつくので、ちょっと同情しちゃったし(笑)
各パートの解像度が高い、と昨日、印象として書いたが
加えて、どの部分も、ものすごく丁寧に作られていて
こんな細かい部分まで練りに練ってあるって
どういう頭の構造の指揮者?
各パートのクリアさが群を抜いている事に関しては
例えば、私が今まで聴いた中だと
ダニエル・ハーディングなんかは
よくこういう解像度の高い演奏をする。
ハーディングの場合は
これを突き詰めると
交響曲が「室内楽」になってしまう(それは持ち味だからそれで)
ただ、このロレンツォ・ヴィオッティという怪物は
(すでに私の中では怪物になっている)
どの部分もクリアに
とんでもないバランスで演奏させながらも
マーラーの交響曲1番の持つスケール感を犠牲にしていない。
音響そのものも
まるでスペクトル楽派のように響く箇所がいくつもあって
マーラーって、初期から
こんな現代的な音を書いていたのか、と目からウロコ。
第1楽章の途中で
黒い雲が空に広がって、雨が降りそうになって
最後のティンパニの1打で、小さな雷が落ちるところなんか
背筋がゾクゾクした。
何と言う妄想喚起力(違うかも)
いや、何回も聴きながら
あそこが、そういう場面である事を
全く感じなかった感受性ゼロに近い私も悪いのだが(自爆)
第2楽章の、居酒屋みたいなちょっと卑俗な感じも
適度に上品で、適度に下品で
それが、見事なバランスで音楽の中に活かされている。
埋葬行進曲の中間部の美しさと言ったら
突然重力がなくなって
フッと身体が宙に浮くような不思議さ。
全体に重さがなくて
最初から最後まで
不思議で幻想的な童話を聴かされているような印象。
2回目で細かい部分まで集中して聴いていると
マーラーが描いた
現実と幻想の狭間に、すっぽりと落ちてしまって
もう、唖然としながら
その圧倒的な世界に取り込まれてしまう。
若い指揮者なのだが
これ、とんでもない指揮者じゃないか?!
演奏が終わった後に
オーケストラのメンバーが
全員、ものすごい拍手を指揮者に送っていたのが印象的。
あんな若造なのに(すみません)
オーケストラが立たず
指揮者だけ立たせて聴衆のブラボー・コールを受けさせたというのも
なかなか珍しい現象ではある。
もうかなり前になるけれど
(よって記録が残っていない・・・残念)
ウィーン交響楽団で
グスターボ・ドゥダメルが
春の祭典でデビューした時の印象を彷彿とさせる。
当時のドゥダメルのカリスマ性があるかどうかは
指揮姿を後ろからしか見ていないので
何とも言えないけれど
これだけの考え抜かれた演奏を
オーケストラにさせて
しかもオーケストラのメンバーに
嬉々として演奏させてしまう、というのも
すごい才能。
指揮者によって別人オーケストラになるウィーン交響楽団も
今回の演奏は本当に力が入っていて
低弦のズシンと来る響きでピアニッシモを聴いたり
妙なる音色のピアニッシモでホルンが柔らかく吹いたり
哀愁漂うファゴットのソロに
気分乗らないととんでもない事になるオーボエの素晴らしい音色と言い
名人クラリネット奏者の音はますます冴え渡るし
輝くトランペットにトロンボーン
しっかりとメロディを提示するのに
押し付けがましくならないフルートとピッコロ
揃ったアンサンブルでえも言われぬ音色を聴かせてくれた弦。
あのオーケストラのビオラって、あんなに良かったかしら(失礼な!)
深い音で、素晴らしいバランスの音量で入ったパーカッションにも拍手。
優秀な音楽職業軍団が本気出すと
スゴイ事になる、という良い例だな、これは。
感激というよりは
何か、あまりの演奏の凄さに絶句してしまって
自分でもワケのわからない事になっている私に
どうぞ1クリックをお恵み下さい。
6月はシーズン最後なので
コンサートに行きまくる予定なのだが
ありがたい事に仕事も忙しいので(あまり儲けにならんが)
今週はこれにてコンサート通いは終わり・・・だけど
週末には、またとんでもない事になるので
それまで、どうぞご勘弁下さいまし。