Konzerthaus Großer Saal 2013年10月31日 19時30分〜21時05分
Wiener Symphoniker
指揮 Thomas Dausgaard
Gustav Mahler (1860-1911)
Symphonie Nr. 6 a-moll (1903/04)
Allegro energico, ma non troppo
Andante moderato
Scherzo
Finale. Allegro moderato
ウィーン交響楽団の公演。
実は会員としては昨日だったのだが
楽友協会とかち合ったので本日のチケットを購入。
昨日行った友人が
暗い、暗い、暗い、落ち込んだ、死にそう・・・
という感想を漏らしていて
本日、私は会社で色々と腹に据えかねる事が多かったので
期待して行く。
何か、私の場合って、悲しいとか落ち込みとか言う前に
全部が怒りのエネルギーになってしまうのだが、何故だ(性格が悪いとも言う)
最初から速めのテンポ、いや、むちゃ速いぞ。
良いのか、そのテンポで?
マーラーというのは面白い作曲家で
何回聴いても、指揮者とオーケストラによって
ほとんど別の曲じゃないか、と思われるほどに化ける。
内部に複雑なポリフォニーが編み込まれていて
それをどう料理するかによって
思いがけない音響が現れるのだ。
私は音楽感受性ゼロだし
何回も聴いて、頭の中に曲をぶち込んでしまうと
単純な頭の中で、曲が単純に主旋律だけで入っている事が多くて
マーラーの交響曲をナマで聴くと
そのたびに、頭にしまい込まれている音と違うのでドッキリする。
荒い・・・と言うより
良い意味でエネルギッシュ。
ポリフォニーが、あっちに飛び出し、こっちからはみ出て
デコボコで荒々しくて
洗練のセの字もなくて
ものすごくワイルドな味わい。
ああ、これ、マーラーが意図した卑俗な音にとっても近い。
そう言えば、同じような事をホーネックがやってたな。
一転して、弦のアンダンテの楽章の柔らかさ。
果てしなく優しく、柔らかで、とてつもなく宇宙的。
弦がうねって高みまで連れていったかと思うと
哀愁の木管が現世に連れ戻しに来て
その拮抗で、もっと高みに登っていく・・・
途中でテンポあげようとして(っていうか、何でそこで?)
なかなか巧く行かなかったところも
まぁ、人生ってすべてが上手く行く事はないし(諦観)
スケルツォとフィナーレのワイルドさは
もうもうもう
あああああっ、私って不幸だわっ!!!!
この曲を作曲した時点のマーラーというのは
職業上も私生活上も、最も幸せな時だった。
そういう最高に幸せな時にしか
こんな悲劇的な曲は作曲できないんじゃないか。
だいたい、不幸だ、悲しいと喚いている時点で
本当に不幸でも悲しくもないのである。
本当に不幸で悲しかったら、言葉も表現も何も出てこないだろう。
その意味では、これだけ叫んで泣いて喚いてという
悲劇的交響曲は一種のパロディでもあるワケで
それを考え始めるとキリがないから止める。
一部のソロに不安定な部分や
音響的に満足の行かない部分が見受けられたけれど
それはもしかしたら指揮者の意図かもしれない。
指揮者のダウスガードの動きが激しくて
大丈夫か、この指揮者、途中でぶっ倒れるんじゃないかと心配した。
あまりに動きが激しすぎて、見ていてちょっと疲れるけれど
別に観客ウケを狙って
あのクネクネ激ダンスを踊っている訳ではなさそうなので
指揮者自身も、どっぷりあの不幸に浸かっているのだ(誤解あるかも)
あっちに飛び出し、こっちに飛び出しの
ワイルドな、まるで子供が喚いているような
悲しみと苦渋に満たされて
でも、それってホントは違うよね、みたいな
さて、聴衆としては
死にたいくらい不幸になるべきなのか
ああ、不幸だ、悲しい、くそ死んでやる(だから何で怒り?)と
音楽にのめり込んでカタルシスを味わうべきなのか・・・
いや、私、別に不幸じゃないし
悲しくもないんだけど
(だって怒ってるから(笑))
あそこまで恥も外聞もなく喚けたら幸せだろうなぁ、と
ついつい思いつつ
残業しにオフィスに帰った私に
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