ハワイの花

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    Die Blume von Hawaii
    Musik von Paul Abraham

    指揮 Gerrit Prießnitz
    演出 Helmut Baumann
    舞台・アニメーション Mathias Fischer-Dieskau
    衣装 Ingrid Erb
    振付 Kim Dubby
    コーラス指導 Thomas Böttcher

    ラヤ=スザンネ・プロヴェンス Siphiwe McKenzie Edelmann
    プリンス・リロ・タロ=オスカー・フォン・ハルメイ Christian Baumgärtel
    カナコ・ヒロ ハワイの住人 Ronald Kuste
    ハラルド・ストーン大佐=ハラルド・クラトホヴィル Thomas Sigwald
    ロイド・ハリソン Josef Luftensteiner
    ジョン・バッフィー Marko Kathol
    ベッシー=リスベット・クラトホヴィル Martina Dorak
    ラカ Johanna Arrouas
    ジム・ボーイ Gaines Hall
    カルーナ Yasushi Hirano

    フォルクス・オパーで初めて取り上げられた「ハワイの花」
    3月29日に観賞。11回目の上演。

    オペレッタ、と銘打っているが
    歌手もオーケストラもマイク付きで、ミュージカルに限りなく近い。

    詳しい観賞記は、オペレッタにハマった Feri 氏が
    3回にわたって記載しているので省略。
    (ご覧になりたい方は 1回目 2回目 3回目

    うううん・・・ (-"-;)

    「幸福の青い鳥」がテーマなのだろうが
    妄想カンチガイ人種への皮肉が、結構、痛烈だったなぁ。

    よく、ちょっと仕事で有名人と知りあったりすると
    「ワタクシ、個人的に○○さんと親しいんですの」とか
    カンチガイするタイプがいるが
    クランク・イン後の、冷たい俳優さんの態度って
    ちょっとわかるような気がする。

    出演者は、みんな揃って芸達者。
    ジム・ボーイ役の Gaines Hall のタップ・ダンスは見事。
    ハラルド役のベテラン Sigwald は
    多少、大袈裟になりがちだが、やっぱり演技が抜群で
    王女に惚れていくところや
    クランク・イン後にリズベットに誉められて照れるところなど
    いや〜、カワイイんです、これが。

       「貴方が、あんなに歌が上手いなんて知らなかったわ」
       「ボク、男声合唱団に3年いたんだ」
       「あら」
       「ヘルナルスの・・・」(←ウィーン17区です。たぶん、ウチネタ)

    なんていうのを、ボソッと言うところなんか、実に良い味。

    ラヤ=スザンネ・プロヴェンス役は
    ちょっとフクヨカな体格ではあるけれど、顔立ちがハッキリした美人で
    マイクだが、高音もちゃんと出ているし、演技も巧い。
    女王としての毅然としたところから
    一転して、プライドばかり高い女優になるところの使い分けがすごい。

    リロ・タロ役の Christian Baumgärtel は
    メイクのせいか、かなりの「優男」に見える。
    歌っていると、ものすごくニヤケた感じ。黙っていると、そこそこハンサム。
    マイク調整のせいか、声量がないような感じだが
    その分、高音はかなり美しく出す。
    (もとの声量がありすぎて、マイクを絞っていた可能性はある)

    ベッシー役の Dorak は、正に歌役者で文句のつけどころがない。
    ただ、ワタシ、女性のヒステリックな声のセリフって、ちょっとダメなの。
    歌って踊れて、しかも、若くカワイイ女性の役にピッタリ。
    美人だし、スタイル良いしなぁ・・・
    顔をよく見ると、ちょっと歳はとっていそうだが。
    (途中で「お嬢様なんて呼ばれるの、何年振りかしら」というセリフあり)

    ラカ役の Arrouas も抜群。
    歌手+俳優+ダンサーの条件を、これだけ満たす人も珍しい。
    セリフのドイツ語も明確で聞き取り易く
    あれだけ歌って踊って演技して
    ものすごく強い印象を残す。「華がある」とはああいう人を言うのだ。

    舞台はどんどん変わるし
    バレエ・ダンサーもたくさん使っていて
    上記のタップを始め、踊りだけでも観る価値はある。

    アブラハムのメロディは
    やりきれないほど、甘く、単純で、スッと入ってくる。
    失礼を承知で書けば
    モロに一世代前のポピュラー音楽の通俗性がプンプン匂う。

    ・・・だから、音楽は好みなんですってば。
    最近、この間、思いきって購入したグリゼーなんか自宅で聴いているので
    私は今、頭の中が無調の現代音楽なんです。すみません。

    確かに「楽しい」し、よく出来ているとは思うが
    (ハワイの男性の、トサカ頭は、ちょっと何だかワケわからんが)
    19時〜22時の3時間、マイクを通した音響を聴かされるのは
    私の好みじゃないし
    ベッシーが、文句をつけながら、甲高い声で喚くのも
    女性のヒステリーが苦手な私には、ちょっと神経に障る。

    という事で、まぁ、これ1回で終わりにする。

    一般的には奨められる「ミュージカル」だと思う。
    でも、私もそろそろ、行く演目を絞りたいので
    オペレッタ、というかミュージカルは、当分の間、さよなら、の予定。


    ケースマイケル 3つの「別れ」

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      3ABSCHIED
      Anna Teresa De Keersmaeker
      Jérôme Bel

      指揮 Geroges-Elie Octors
      ダンス Anna Teresa De Keersmaeker
      メゾ・ソプラノ Sara Fulgoni
      ピアノ Jean-Luc Fafchamps
      Ictus Ensemble
      第一バイオリン Gerge Van Dam
      第二バイオリン Igor Semenoff
      ビオラ Jeroen Robbrecht
      チェロ Geert De Bièvre
      コントラバス Géry Cambier
      フルート Michael Schmid
      オーボエ Piet Van Bockstal
      クラリネット Kirk Descheemaeker
      ファゴット Dirk Noyen
      ホルン Kristina Mascher-Turner
      パーカッション Gerrit Nulens
      ハルモニウムとチェレスタ Nico Declerck

      Gustav Mahler : Der Abschied
      (aus : Das Lied von der Erde)
      Transkiribiert von Arnold Schönberg

      モダン・ダンス大好きで
      アンヌ・テレサ・ド・ケースマイケルと、ローザスがウィーンに来れば
      もちろん行く。 3月28日の鑑賞記。

      今回はローザスではなく
      ケースマイケルとジェローム・ベルの共同制作。

      ケースマイケルの振付の面白さは
      音楽が、そのまま動きに繋がり
      音という無機的なモノが、身体という有機的なモノに直結し
      寸分の隙もない正確で完璧な
      しかも、それを、そうと感じさせないフォーメーションの見事さにある。

      自分でも書いていてワケわからん。
      これは、やっぱり見ないとピンと来ないと思うが
      ローザスを知っている方は、頷いてくれるのではないかと思う。

      しかし・・・
      まさか、マーラーの「大地の歌」の最後の Abschied がテーマとは・・・

      最初に古い録音のテープが流れて
      舞台に、アンサンブル・イクトゥスのメンバーが座ってはいるが
      ずっとテープでの音楽。

      何なんだ、これは、と思ったら
      途中で突然、テープの音楽が消えて
      舞台の前に立ったケースマイケルがドイツ語で話しだす。

      大地の歌の Abschied を聴いた時に非常にショックを受けた。
      声楽の先生のところに行って、これを歌いたいと言ったら
      散歩する人がエベレストに登るようなものだ、と言われたとか

      ウィーン劇場で数年前に公演を行った時
      指揮者のバレンボイムが来ていて
      シェーンベルクの「浄夜」に感激したとの事で
      パリでもう一度会って
      その時に Abschied を振付したい、と言ったところ
      バレエ向きの音楽はストラヴィンスキーでもバルトークでも
      いくらでもあるではないか
      生と死の端境を描く Abschied がバレエに振付できるワケがない
      と言われたとか

        ちなみに、私はバレンボイムに賛成だったりする。
        もっとも、ケースマイケルの「浄夜」は、彼女にしては珍しく
        ロマンティックで伝統的な作品であって
        それに感動した、というバレンボイムの感性も
        けっこう、コンサバなんだなぁ、と思ったが 
         (独り言です。忘れて下さい)

      マーラーの交響曲はオーケストラだけで90人以上必要で
      費用がかかる。
      が、シェーンベルクが13人の音楽家のために編曲したものがあった

      などなど、約30分の解説。

      では、始めましょう・・・と
      13人の音楽家で、マーラーの大地の歌の最終曲が演奏され
      ケースマイケルが、音楽家に絡んだり、近くで踊ったりする。

      うううううううん・・・ (-"-;)

      音楽に対して非常に繊細なセンスを持っている人だから
      細かい音に対しての反応が、正確で鋭くて
      正に音楽表現が身体表現になっているのは確かなのだが

      よくわからん(自爆)

      死に対して、ジタバタしている???
      ちょうど、長調になって、死に対する不安から解放されるような後半は
      振付なしで、観客席に降りて、舞台によりかかってるし・・・

      で、その後にジェローム・ベルが登場。
      フランス語で喋り、イクトゥス・アンサンブルの人が通訳をする。

      ベル曰く
      Abschied と言えば、ハイドンの交響曲にもある。
      よって、私は音楽家に、ハイドンの交響曲のように
      1人づつ、退場していくようにお願いしてみた。

      マーラーの Abschied の室内楽版を演奏しながら
      音楽家が1人欠け、2人欠け・・・
      最後に残ったホルンも退場。

      う〜ん・・・ (-"-;)

      再度、ベルが登場して音楽家を呼び戻す。

      ベル曰く

      で、私は音楽家に、退場するのと同じように
      1人づつ、死んで下さい、とお願いしてみた。

      ぶわっはっはっは !┃☆ヾ(≧▽≦)oひゃっはっはっ!!

      いや〜ん、これ、本当は笑っちゃいけないのだろうが
      音楽家が演奏しながら
      1人づつ、倒れて「死んで」いくのである。

      それぞれに、倒れ方が違って
      前にドタッと倒れた指揮者、クルッと廻って床に倒れたパーカッション
      お、オペラの舞台も経験してますね、という倒れ方のメゾ・ソプラノ
      バイオリンを、ものすごく丁寧に椅子に置いてから
      パタンと「死んだ」第一バイオリン

      客席、大爆笑 (ホントです)

      マーラーの大地の歌の「別れ」が、こんな風になっちゃうなんて。

      ハイドンの Abschied と、マーラーの Abschied じゃ
      全然、意味が違うっつうのに・・・

      で、「死んだ」音楽家が退場してから

      それでは、ピアノとケースマイケルで
      これが、我々の Abschied の最後です

      ピアノで弾きながら
      ケースマイケルが微かな声で・・・ 歌って踊る。

      まぁ、私は、あまり好きじゃない「大地の歌」だし
      歌手じゃなくて、ダンサーで、歌はシロウトにしては
      一応、音もそこそこ外さず歌っているし
      踊りながらだから、まぁ、そんなモンだよね・・・と思いつつ観賞していたが

      途中でギャラリーから、何人も立ちあがって外に出ていく。

      しかも、ドアを、これ見よがしに、ものすごい音をたてて締めていく。

      「マーラーを侮辱するか、ふざけるな、何だこれは」
      という意思表示である事は、よ〜くわかる。

      まぁ、その気分も理解できないワケではない。
      フランスとかベルギーなら、このプログラムもウケたかもしれないが
      「死」の伝統を(良かれ悪しかれ)長く保存していて
      グスタフ・マーラーが故郷として住み、活躍したウィーンで
      この曲を、こういう風に扱ったのは
      一部の聴衆には、ちとまずかったかも。

      本当はクソマジメに観賞して
      音楽とダンスの中に「死」と「諦観」を見なければならないのだろうが
      ケースマイケルとベルの振付は
      ヨーロッパ的な、死に対する不安を表現してはいても
      その後の「諦観」はさっぱり掴めなかった。

      ましてや、マーラーの Abschied の最後にあるような
      ある意味、宗教を越えたような「無」の感覚(第9交響曲に続く)は
      バレンボイムが言った通り、ダンスの振付で表現できるモノを
      遥かに越えたところにある・・・ような気がする。

      しかし、色々な意味で、ツッコミどころ満載の1時間30分ではあった。
      こういう公演があるから、モダン・ダンスも止められない (^^)v


      事前の情報 必要 不要?

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        このブログの主旨からは外れるけれど
        私も昨年は一時帰国していないから
        もう、頭が「外国人」になっているのかもしれず
        何か、最近、「何だろこれ?」という事が続いたので

            ちょっとだけ、書かせてクダサイ。

        日本の悪口ではないけれど
        取りようによっては「外国かぶれ」(←いや、ホントにそうかも)に聞こえるので
        そういうのがイヤな方は

        どうぞ、これにてお引き取り下さい m(__)m




        自分自身が
        「人生の楽しみというのは
         何かの時に思いがけない感動に出会える事」と思っているので
        自慢にならんが、私はオーストリア人なみに融通が効く(と思う)

           ・・・それは、だらしない、という事か? 
                 と思ったアナタはオーストリア通(自爆)

        が、どうも、私の祖国の方々は
        違う考えを持っていらっしゃる方も多いようなのだ。

        読者ご存知の通り、仕事の一環として
        ウエディング・コーディネータをしているのだが
        (こんな奴に面倒みられるカップル、かわいそう・・という意見は無視)
        カップル、というか、日本の会社が気を効かせて聞いてきたのだろうが

            「結婚式で読み上げられる説話の原稿を下さい」



                えっ!!! (*_*)


        例として英語の「説話」を添付してきたのだが
        何ですか、それ????

        自分の結婚式に話される役人やセレモニー・マスターの話を
        事前に手にして、当日、同じ話を聞いて
        何か感動ってあるんでしょうか?????

             それって、大量生産の流れ作業じゃないですか。

        そういう方に限って、後で
        「事前にもらった原稿と話が違った」とかクレーム挙げてきそう。

        ウエディングのパッケージそのものは
        どうしても「既製品」にならざるを得ないのだが
        ウエディングは、一つとして同じものはない。

        それは、ウィーンやザルツブルクでウエディングされるカップルが
        一組として同じ過去を持っていない、というのと同じである。

        お二人の過去のエピソードや
        なぜ、オーストリアのウエディングにされたか、などの理由を伺えば
        こちらも、「説話」の中に、そういう事と関連する話題を入れたりして
        これからの一生、忘れられないような印象的なお式にしてあげよう、と
        関係者一同、張り切っちゃうのである。

           (結構、みんな、その意味ではノリは良い。
            一番「ノッて」いるのは、独身のワタクシかもしれないが・・・
               ついつい、花嫁さんに自己投影しちゃうんだも〜ん ← こらこら)

        事前に、ある程度の情報を得る事はもちろん必要だが
        徹底的に情報を得てしまって
        その通りになったら、全然面白くない・・・と思うのは私だけ?

        コンサートやオペラにしても
        事前にプログラムがある、というのは、基本情報の範囲内だし
        ある程度の「予習」は必要なのかもしれないけれど
        実際にコンサートに行ってみて
        あれえ? と思う事があるからこそ、楽しいのだ。

        CD で聴いた、全くそのままの音を聴くのだったら
        自宅で CD を聴いている方がまし。

        その「あれえ?」が良い驚きでも、突っ込みどころの驚きでも
        それがナマの醍醐味だろう。

        パッケージで旅行する方は
        グループの他のメンバーとの兼ね合いや
        バスやガイドの時間拘束の問題、レストランやホテルの予算の問題があって
        これは、もう「大量生産品」で、それは仕方がないが

        個人旅行の楽しさ、というのは
        ある程度の枠組みの中での
        自由な驚き、思いがけない感動、偏見を打ち砕くカルチャー・ショックにある。

        そう言えば、ヨーロッパ旅行に来たら?と言った私に
        父は生前、こう言った。

           「日本人のグループで行くヨーロッパ旅行は
            日本人のガイドがついて、日本人の添乗員が付いて
            日本的なサービスのバスに乗って
            窓から見える景色が違うだけだろう。
            だったら、日本の自宅でビデオでも見ていた方がマシ」

        これは極端な意見ではあるが
        結婚式の「説話」の原稿云々のようなケースとぶつかるたびに
        日本の旅行会社が率先して
        新鮮なカルチャーショック体験を、旅行者から奪おうとしているような気がする。

        そういう「新鮮なカルチャー・ショックは及びじゃない」という
        日本人が多い、とは、私は思わないのだが・・・・ 
          30年前じゃあるまいし・・・

        もちろん、旅行会社にもよるし
        商品にもよるから、一概に決めつける事はできないが。

        私だって、かなり旅行のプランニングは好きだけど
        その中で、何か突発的なハプニングが起こったとしても
        そこで慌てず、それを楽しんでしまおう、程度の融通性があった方が
        旅の楽しみは格段にアップする。

           でも、やっぱり、それって、外国かぶれですか?(悩)


        ウィーン劇場 2010/2011年 プログラム発表

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          ウィーン国立オペラ座につづいて
          ウィーン劇場のプログラムも発表になった。

          実は今日はウィーン劇場で、とあるモノを鑑賞したのだが
          あまりに凄かったので、感想は火曜日30日にアップする予定。
          (3月29日に行く人にネタばれしたらカワイソウなので・・・)

          まずは、ウィーン劇場2010年・2011年のプログラムをご紹介 (^^)v

          へンデルのオペラが2つ。
          9月に Semele これには Cecilia Bartoli が出演。
          来年3月の Rodelinda はアーノンクールが振ってベジュン・メータも出演する。

          私が飛び上がって喜んだのは
          リヒャルト・シュトラウスの「ナクソス島のアリアドネ」
          新プロダクションで10月にビリーとラジオ・シンフォニー・オーケストラのコンビ。
          ツェルビネッタはダムラウと Kerckhove (10月22日のみ)
          バッカスを Johan Botha が歌うのも楽しみ。

          近代モノが3作品。

          クルト・ヴァイルの「7つの大罪」
          アンゲリカ・キルヒシュラーガー出演。
          コンサート形式で聴いた事はあるが、オペラとしては初めて。
          パリのシャンゼリゼ劇場との共同作品だそうだ。

          ベンジャミン・ブリテンの「ルクレチアの凌辱」
          オーケストラは Klangforum Wien で
          ルクレチアをキルヒシュラーガーが歌う。
          数年前に、コンツェルトハウスでの公演を見逃してから
          ずっと気にかかっていた作品。あぁ、嬉しい。

          フランシス・プーランクの「カルメル派修道女との会話」は
          2008年1月に上演された作品の再演。
          (お暇な方は ここ をどうぞ)
          ものすごく良かったので、再演されるのは、すごく楽しみ。

          珍品(?)では
          ラモーのオペラ Castor Et Pollux (1754)
          コンサート形式では、リュリの Bellérophon や
          ペルゴレージの L`Olimpiade の上演、ヘンデルもいくつか。
          古楽好きにはたまらんだろう。
          現代オペラ Daniel Catán の Il postino (2010) には
          プラチード・ドミンゴが出演する。

          ルネ・ヤコブスが指揮するフライブルク・バロック・オーケストラが
          モーツァルトの La finta giardiniera 偽の女庭師 を11月に上演。
          ・・・ モーツァルト苦手なので、後で考えよう。

          バレエは、ジョン・ノイマイヤーが
          5月に、またハンブルク・バレエ団を率いて「オルフォイス」を上演。

          ウィーン劇場のオペラやバレエ
          シーズンが終わってみると、結局、ほとんど全部、観賞しているので
          (今シーズンは、ヘンツェのオペラ以外は全部観た)
          本当は、チクルスを買ってしまえば、多少なりとも安いのだが・・・

          楽友協会とコンツェルトハウスのプログラムが発表されるまでは
          オペラの予定は組めないんですっ!!!

          今年は、年間150回に押さえる予定なのだが
          6月終わりで100回近くになりそうなので
          (まだ100になってない!!!なるなっ!!!)
          ともかく
          「絶対に行きたいモノしか行かない」と
          呪文のように唱えているところだが

          ウィーン劇場のプログラム、やっぱり、面白そう・・・


          ハッピー・バースディ ブーレーズ

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            Philharmonische Feierstunde
            anläßlich des 85. Geburtstags von
            Pierre Boulez

            Pierre Boulez (* 26 März 1925)
                    Dérive pour six instruments (1984, Version 1986)
                    Mémoriale (...explosante-fixe...originel), 1985
            Fritz Kreisler (1875-1962)
                    Alt-Wiener Tanzweise

            生きてます(笑)

            仕事が、ストレスが、と喚いてみても
            30代、40代の頃と比べれば、たいして仕事量もないワケで
            50代の体力と精神力の衰えを恥じて然るべきだ。
            だいたい、この程度の修羅場、今まで何回、経験して来たか。
            そんなコトで弱音を吐くなんて

                        あああ、ワタクシも歳を取った・・・ \(__ )

            まぁ、来週・再来週と、音楽会からは遠ざかるので
            少し、自宅で CD でも聴いて、ゆっくりする予定。

            さて、金曜日に85歳の誕生日を迎えた
            ビエール・ブーレーズの「誕生日パーティ」が
            ウィーン・フィルの主催で、楽友協会のブラームス・ホールで行われた。

            この間の定期公演のプログラムの記載に
            「どうぞ、一緒に祝って下さい。無料のチケットは事務局で」

            ウィーン・フィルの Clemens Hellberg が司会
            フランツ・ヴェルザー・メストがお祝いのスピーチ
            ウィーン・フィルの René Staar が指揮して
            ブーレーズの室内楽曲を演奏。

            来ているご老人の中には
            バラを手にしたり、プレゼントの箱を抱えていたりする人もいたが
            ・・・別に良いんですよね? プレゼント用意してこなくても?!

            そういうご老人に混じって
            若い人が、ブーレーズの著作とペンを持っていたりするのが
            何となく微笑ましい。

            私もブーレーズの CD 何枚か持ってくれば良かった・・・
                とは思っていません。サインも写真も集める趣味はないし(笑)

            約1時間くらいの催物で
            前の方の予約席には、重要人物のテンコ盛り。
            オーストリアの首相シュッセルやら
            国立オペラ座のホレンダー、ピアニストのアイマール
            他にも、有名人が多くいたのだろうが
            いつも舞台が見えない席に座っているワタクシには、わかりません(爆)

            ブーレーズ氏のエピソードがたくさん披露されて
            話は結構長かったのだけれど、とてもユーモアに満ちていた。

            80歳の誕生日をシカゴに取られて
            85歳の誕生日はウィーンで、と約束を取り付けた話や
            リハーサル中のエピソードなど。

            後ろの方から、内緒話が聞えてくる。
            「ブーレーズってフランス人でしょ? ドイツ語わかるの?」

            わっはっは。
            当然の疑問ではあるが、ブーレーズ氏はドイツ語ペラペラですよ。
            しかも、ウィーン訛りまで喋ったりする(笑)
            リハーサル DVD を持っているので、こういう時は心の中で笑える(イヤな奴)

            プログラムにはなかったが
            最後にブーレーズ氏が舞台の上に立って
            またもや、ユーモアに溢れた挨拶をしてくれたのが嬉しい。

            ブーレーズのオーケストラ作品は
            作曲家自身が指揮した CD で揃えていて
            時々、どうしても聴きたくなる。

            もちろん、20世紀の傑作と言われる
            ル・マルトー・サン・メートル、凄く好き。
            理解できるわけもないが
            時々、むしょうに聴きたくなる音楽の一つで
            何回聴いても、飽きが来ない。
               というより、現代音楽だから覚えられないだけなんだけど ( ;^^)ヘ..

            どの時代もそうであるように
            現代音楽も、あと200年後に、何が残っているか
            時々、考えるのだが
            ワタクシ的に、この人の音楽は絶対に残っているな、という作曲家の中に
            ブーレーズも入っている。

            数列が、マイナス20℃くらいの
            キリッとした透明な空気の中を、引き裂いて走っていくような
            ブーレーズ特有の音楽言語が
            20世紀にあって良かった、と思う。


            ラジオ・シンフォニー・オーケストラ + ビリー

            0

              ORF Radio Symphonie Orchester Wien
              コーラス Wiener Singakademie
                Slowakischer Philharonischer Chor
                       Wiener Sängerknaben
              Ricarda Merbeth
              Elza van den Heever
              Elisabeta Marin
              Stella Grigorian
              Jane Henschel
              Johan Botha
              Boaz Daniel
              Kwangchul Youn
              指揮 Bertrand de Billy

              Gustav Mahler (1860-1911)
                      Symphonie Nr. 8 Es-Dur


              3月25日にコンツェルトハウスで行われた
              マーラーの交響曲8番。

              数ヶ月前から楽しみにしていたのに
              ここ2週間ばかりのストレスで
              とうとう、当日の午後から、身体の調子を崩した。

              詳細については省略。

              這いずってコンツェルトハウスのギャラリーに行ったものの
              意識は遠くなるし(第一部、たぶん、ずっと寝てた(自爆))
              第二部の途中では冷や汗が出てくるし
              最後まで聴けないかも・・・

              でも、この長い交響曲、途中で席を立って抜けるようなところが
              全くないわよ、どうしよう、ううう、げげげ、気持ち悪い・・・

              必死の思いで最後まで座ってはいたが
              はっきり言って、座ってるだけで
              耳も頭も完全に閉じていた、という

                          音楽愛好家としては、許せない恥さらし

              こういうのって、演奏家にとっても失礼だ。
              まぁ、咳したりとか、イビキかいたりしたワケではなくて
              吐き気と偏頭痛と胃のムカムカと、冷や汗とアクビに悩まされつつ
              じっと、おとなしく座っていただけなので
              周囲に迷惑をかけていなかったのが唯一の救いだが

              このコンサートって、完全にチケット売り切れだったのだ。
              チケット入手できなかった人のなかには
              私のような恥さらしと違って
              ちゃんと音楽を楽しめる人もいただろうなぁ、と思うと
              そういう人にも申し訳ない。

              唯一記憶に残っているのが
              ヨハン・ボータのファウストが、めちゃくちゃ巧かった、という事だけで・・・

              自分ながら、悔しいコンサートになってしまった。
              オーケストラ、合唱団、ソリストの皆さま、ごめんなさい。


              ウィーン交響楽団 + ファビオ・ルイージ

              0

                Wiener Symphoniker
                指揮 Fabio Luisi
                バイオリン Janine Jansen

                Carl Maria von Weber (1786-1826)
                        Ouvertüre zur Oper “Euryanthe”
                Max Bruch (1838-1920)
                        Konzert für Violine und Orchester g-Moll, op.26
                Franz Schmidt (1874-1939)
                        Symphonie Nr.2, Es-Dur

                私のお目当ては、もちろん
                ファビオ・ルイージさまであり (*^^*)
                フランツ・シュミットである。

                最初のウェーバーの序曲から
                ウィーン交響楽団の明るい音が弾けて
                うわ〜、初めからルイージ・マジック  キャーッ ♪(*^^)o

                ただ、連日連夜の睡眠不足で無理はできないので
                ブルッフのバイオリン協奏曲では、ゆっくりと熟睡させてもらった。
                伝統的な曲だと、気持ち良く寝られる。

                   コンサートのチケットは自腹ですから
                   周囲の迷惑にならない限りは、寝ていても
                   それは私の勝手です(開き直り)

                私にとっての目玉商品、フランツ・シュミット。

                「シュミット」と言えば、フリードリヒ・シュミットの方が有名だし
                「フランツ」なら、フランツ・シューベルトの方が知名度はある。
                (註 もちろん、フリードリヒ・シュミットは音楽家ではないが
                   ウィーンの人なら誰でも知っている・・・はずだ、たぶん)

                しかし、私はフランツ・シュミットが好きなのである。
                最近、ほとんど演奏されていなくて、不満が溜まってたんだもん。

                交響曲2番は、伝統的な手法で紡ぎだされた美しいメロディのテンコ盛り。
                第1楽章は、シュミットの「田園」かなぁ、と思えてしまうくらいに
                ウィーンの自然(季節や天候)とマッチする。
                太陽が照ったり、風が吹いたり、嵐も雷もあって
                何とも懐かしいというか、生活に密着、というか
                シュミットって、本当に生粋のウィーンの作曲家だなぁ、と思う。

                ワルツのテーマを使った第2楽章。
                さすがにウィーン交響楽団とルイージのコンビは、最高。
                ルイージって、もともとイタリア人のくせに
                何で、あんなに「ウィーンらしさ」を、いやらしくなく、純粋に
                落ちるところなく描き出せるのだろう。

                最終楽章は、コラールのような響きから
                バリエーションを得て、第1楽章のテーマを対位法で刻んで
                ものすごく感動的。
                まるで、人生の一こまを見ているような感じがする(←妄想)

                聴いていると、もう、ひたすら、しつこく、伝統的な手法を
                これでもか!というくらい使って構築されている事がわかる。

                それが、何故か、伝統的なんだけどモダンなのである。
                好みの問題だから、押しつける訳ではないが。

                時々、ハッとする程、甘くて美しいメロディ・ラインが出てきて
                それが、伝統的手法で、しつこく、しつこく展開されるところなんかは
                ブルックナーに似ていると思う。やっぱりオーストリアっぽいのか・・・
                (よって、かなり「長い」し「しつこい」 (笑))

                かなり煩雑に現れるポリフォニー(しかも「伝統的」!)の処理は
                バランス感覚に秀でたルイージならでは。

                ウィーンらしく、甘く、切ないのに
                甘ったるくならないところで、しっかりと止めている音楽性も高く評価する。

                ファビオ・ルイージの動きも、なんて美しいの (☆o☆)
                あれだけ、身体表現と音楽が一体化すると
                指揮、というより、正に「芸術的ダンス」を観賞しているような気分(違!)

                まぁ、ドレスデン問題があって
                ルイージがティーレマンに抱いているかもしれないコンプレックスは
                かなり大きいのではないか、とは思うのだが
                (同じような歳で、ティーレマンはバイロイトやウィーン・フィルも振ってるし)
                でも、ルイージも、音楽に対して、とても誠実な指揮者だと思う。

                それに、ファビオ・ルイージの棒のもとでのウィーン交響楽団は
                実に美しい、妙なる音色を聴かせてくれる。
                無駄がなく、すっきりとして
                輝くような明るい音が、ホールに広がると
                もう、それだけで、別の世界に飛んでしまって
                心の中が、ポッ と温かくなるのだ。

                ついでに、ウィーンの気温も急に上がって
                突然、夏に突入した感じ。
                おかげで、クローク代を節約できて、それも幸せ。うっふっふ。
                (何て情けない奴、という周囲の雑音は、この際、無視(笑))


                国立オペラ座 2010/2011 年プログラム発表

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                  いつまで、この地獄は続くのだろう・・・
                    と、ちょっと絶望的な気分になる仕事で
                      実はまだまだ、むちゃくちゃハードな日が続いていて・・・(涙)

                  他のオーストリア人社員が
                  夕方6時に「じゃぁ、バイバイ」と、あっさり帰るのを横目で見ながら
                  そんなに早く帰れるのなら
                  私の仕事を、少しでも手伝ってくれれば・・・・ という
                  オーストリアではあり得ない妄想にふける  ・・・ 

                       あほらしい、その間に仕事をしよう。

                  第一、この間、別の部のスタッフに2時間、仕事を手伝ってもらった後で
                  もっと忙しくなった、という体験をしている。
                  (送ってもらったメイルがね・・・ 必要な情報もなくて
                   後で「ナニこれ?」という電話がかかってきたりして、二重・三重の手間だったの)

                  毎週提出を義務付けられているレポートに

                  「私が受けたサポートは、日本部が必要とする仕事のクオリティには全く達せず
                   他の部が、この仕事のクオリティで良しとしているのは問題であろう。
                   ただ、他の部が、この程度の仕事のやり方で満足しているのであれば
                   私は敢えて、何も言うまい」

                  ・・・ これで、それでは社員教育をし直そう、とか思ってくれる上司がいたら
                      たぶん、うちの会社の業績は、もう少し(というか、かなり)伸びると思うのだが
                       当然、こういう意見は、全員から無視されて終わる。
                          反って、反感を買うだけであろう。

                  私は経営陣ではないので、他の部の業績がどうなろうが
                  知った事ではない。第一、そんな事に割いている時間は1分たりともない。

                  あああ、八つ当たりになっちゃった ( ;^^)ヘ..

                  国立オペラ座の2010年・2011年のプログラムが、本日発表になった。

                  新監督は、以前の新聞のインタビューで
                  現代作品とバロック・オペラを増やしたい、という意向を示していた。
                  まだ、第一期では、そんなに自由にプログラムをいじくる事は無理だろうが
                  それでも、バロック・オペラに、現代ならぬ近代作品がチラチラ。

                  悪くすると、ウィーン劇場に傾向が似てくるかもしれない。


                  今週の週末も、ちょっと仕事・・・になりそうだし
                  まぁ、イースターの連休にでも
                  しっかりプログラムをチェックしよう。

                  今日、自宅に送られてきていたのが
                  トーン・キュンストラーの年間定期プログラム(これが意外に面白い)

                  気になるのが、楽友協会とコンツェルトハウス。

                  私は、もともと、オペラ人間ではなく
                  あくまでも、オーケストラのコンサート人間なので
                  まずは、楽友協会とコンツェルトハウスのチクルスを見て
                  カレンダーに書きこんでからでなければ、オペラのスタンド・バイは入れられない。

                  あぁ、また、9月以降の音楽シーズンのチケットを、まとめて買うために
                  節約生活を余議なくされるシーズンがやってきた。

                  と言っても、もう節約するところがない (自爆)


                  フーゴー・ヴォルフ ゲーテの詩による歌曲集

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                    lied lab 2010 : Hugo Wolf Festival
                    Lieder nach J.W. Goethe

                    メゾソプラノ Hermine Haselböck
                    テノール Bernhard Berchtold
                    バスバリトン Florian Boesch
                    ピアノ Russel Ryan
                    ヴィジュアル LIA

                    ここで書いたフーゴー・ヴォルフのリートの夕べ。
                    やっと最終日に何とか行けた (^^;

                    同じ時間の楽友協会は、ペティボンのリサイタル。
                       ・・・ ヤな都市だ、ここ (本気)

                    今回はゲーテの歌曲集。
                    会場はラジオ・クルトゥーア・ハウス。
                    300席に満たない小ホール。椅子がフワフワで大きい(肘掛付き)
                    列もかなり余裕を持って作ってあるので
                    座ったままで人の出入りができる (^^)v

                    出演した歌手のうち
                    Florian Boesch は何回か舞台で聴いた。
                    メゾの Hermine Haselböck は、プログラムによれば
                    フォルクス・オパーやウィーン劇場にも出演しているらしい。
                    テノールの Bernhard Berchtold はザルツブルク音楽祭出演の経歴ありで
                    セヴィリアとドレスデンのセンパー・オペラでのデビューが決定しているそうだ。

                    Boesch は美声である。声量もある。
                    が・・・

                    ドイツ語が明瞭じゃないっ!!! (>_< )( >_<)

                    だいたい、こんな小ホールで声を張り上げる必要は全くないわけで
                    あそこまで響かせてしまうと、その分、歌のニュアンスが欠けてしまう。
                    それに、フォルテは凄いがピアニッシモが出来ていない。
                    (いや、出来るのかもしれないが・・・)

                    「プロメテウス」で眠くなったのは、初めての経験。
                    だって、最初から最後まで、ずっと同じ声量で
                    あまり聴き取れないドイツ語で一本調子で歌われたら
                    メロディもほとんどなく、音も同じような曲だという事がバレバレ。
                    神に対して怒っているのは、ものすご〜くよくわかるのだが
                    怒って怒鳴っているだけでは、プロメテウスの心情は表現されない。

                    Spottlied では、一生懸命、明瞭なドイツ語を出そうとはしていたが
                    美声と声量が祟って(?)
                    全然、 Spottlied (からかいの歌)になっていない。
                    ユーモアのカケラもなく、歌詞に含まれている毒が聴こえてこない。

                    美声だし声量もあって、すごく良い歌手である事を知っているだけに
                    リートを歌わせると、繊細な表現力の欠如が目立ってしまうのは残念。

                    メゾの Haselböck は大きなお腹で登場。
                    舞台で、腹筋使って、あんな大声を出して
                    お腹の中の赤ちゃんの負担にはならないんだろうか・・・と
                    他人事ながら心配してしまう。

                    この人も美声で声量あり。
                    ドイツ語も、まぁ、そこそこ明瞭で表現力もあるが
                    彼女の表現力は、リートではなく、オペラである。

                    身体中での演技をしながら
                    かなりの声量で歌うのだが、やっぱり、ピアニッシモが出来てないし
                    (いや、出来るのかもしれないが・・・)
                    ヴォルフの持つ「毒」がなく、ひたすらキレイで外向的で明るい。

                    ただ、オペラちっくな表現力を続けて聴いていると・・・ 飽きる(爆)
                    だって、表現が、どのリートも全部同じなんだもん。

                    特筆すべきはテノールの Berchtold
                    ・・・というか、悪いけど、今回の3人の中で
                    唯一、「ドイツ・リート」を歌えていたのがこの人だった。

                    ただし、声量はない。
                    その分、非常にクリアなドイツ語で
                    細かい音符の一つ一つを的確に押さえ、速いテンポでも流れる事がない。
                    ピアニッシモとフォルテの対比もきっちり押さえていて
                    毒のユーモアも、ちゃんと表現できている。

                    Schenkenbuch でのドイツ語は見事だった。
                    Suleika での表現力にも目を剥いた。いや、巧い。実に素晴らしい。

                    でも、このテノール、オペラの舞台に立ったらダメになりそう。
                    そりゃ、歌手だから、やっぱりオペラは華であって
                    オペラで目立たないと出世も望めないのだろうが
                    あの声量と繊細なドイツ語の表現力は、リートでこそ生きると思うのだが・・・
                    オペラの世界で虐められて、ダメになってしまう事のないよう祈る。

                    今回のフーゴー・ヴォルフ・フェスティバルは
                    背景のスクリーンに、音楽のビジュアル化という、もう一つの目玉商品があった。

                    仕掛け人のホルツマイヤーがラジオで
                    ヴォルフの音楽を理解するための補助として、と言っていたので
                    リートの内容が視覚化されるのかと思っていたが

                    ただ、色々な幾何学模様が音楽に合わせて踊るだけ・・・

                    いや、ちゃんと、あの、音楽と合わせるソフトらしいので
                    合っているから、まぁ、面白いと言えば面白いのだが

                    同じような画面、コンピュータのソフトで出てくるモノもありますが・・・
                    いや、それはゲイジュツとは言わないのか。
                    で、今回の背景はゲイジュツなのだろうか・・・

                    ドイツ・リートというジャンルの中では
                    ドイツ語の内容と響きが音楽と一体化しているが
                    特に、フーゴー・ヴォルフは、その傾向が激しく
                    これが、後のシェーンベルクの「月に憑かれたピエロ」の
                    シュプレッヒ・シュティメに繋がっていくのだろう、と思わせるものが多い。

                    その分、メロディを犠牲にしている部分がない訳ではないので
                    (プロメテウスなんか、その良い例である)
                    歌詞のドイツ語に、如何にニュアンスを加えて「聴かせる」かという難しさがある。

                    オペラに比べると、地味な分野なのだが
                    フィッシャー・ディースカウに続く歌手が出てくれば良いなぁ・・・


                    ウィーン・フィル + ピエール・ブーレーズ

                    0

                      Wiener Philharmoniker
                      指揮 Pierre Boulez
                      テノール Steve Davislim
                      コーラス Singverein der Gesellschaft der Musikfreunde in Wien

                      Karol Szymanowski (1882-1937)
                              Symphonie Nr.3, op.27 "Das Lied von der Nacht"
                      Claude Debussy (1862-1918)
                              "Jeux", Poème dansé
                      Pierre Boulez (*1925)
                              Notations I-IV, VII
                                  I. Modéré - Fantasque
                                  VII. Hiératique
                                  IV. Rhytmique
                                  III. Très Módére
                                  II. Très vif. Strident

                      ウィーン・フィルの土曜日・日曜日の定期公演。
                      指揮者+作曲家ピエール・ブーレーズは来週3月26日で85歳。

                      土曜日は、またもや睡眠不足のまま
                      朝から仕事して、とんでもなく腹の立つ事もあり (ったく、あのアホ!!!)
                      ハラワタが煮えくりかえった状態で行ったので

                          音楽聴きながら、ぐ〜っすり寝ました(自爆)

                      シマノフスキーとブーレーズで寝られる、という疲労は久し振りかも(こらこら)

                      ただ、シマノフスキーを聴きながら

                        おおおおっ!!!
                        細かい部分のポリフォニーが全部聴こえてくるっ!!!

                      と感嘆していた、というのが土曜日の感想。

                      土曜日の夜に、もう一つ
                      頑張って現代音楽の(無料)コンサートに行こうという
                      無謀な計画はあえなく挫折。
                      珍しくも真夜中ちょっと過ぎにはグッタリとベッドに横たわって

                      日曜日、目が覚めたのが朝10時!!!

                          いかん〜〜〜 (((^^;)(;^^) ))

                      大慌てで準備して楽友協会に向かって
                      そんな時に限って、楽友協会周辺には、車を停められるところが見つからず
                      (10時30分以降に行くと、路上駐車するところはない)
                      でも、まぁ、ほら、あの
                      そこらへんは、現地人より現地人っぽいワタクシですから
                      何とか10分前に会場入り。

                      プログラム売りのお兄ちゃんが
                      「今日はちゃんと寝た?」と聞いて来たのが、嬉しいような悲しいような。

                      で、シマノフスキーの交響曲3番「夜の歌」
                      日曜日はし〜っかりと聴きました。

                        おおおおおおおおっ!!!!!
                        細かい部分のポリフォニーが全部聴こえてくるっ!!!!!!!

                      ・・・感想なんて、そんなに変わりはしません f(^^;)

                      音響処理が本当に素晴らしい。
                      細かい部分の一つ一つが、絶対に忽せにされず
                      スコアにあるすべての音が、聴衆の耳にしっかり届く。

                      以前、ウィーン交響楽団で聴いた時は、テノールではなくメゾ・ソプラノで
                      誰かが「あれを歌えるテノールは少ない」と言っていたが
                      そんなにテノール・パート、難しいのだろうか?

                      だって、最初にチラ、最後にチョット 程度の出番で
                      高い音だって、せいぜい G か A だと思うのだが・・・
                      いや、きっと、スコアでは違うのかもしれない。う〜ん。

                      ダヴィスリムは、最近出て来た若手のテノール。
                      声の質としては、バリトンに近い。低音もよく通る。

                      オーケストラ・パートの、色々な音響が、全部聴こえてくる上
                      それを支え、時には前面に出てくるコーラスの柔らかさ。

                      クラスターになりそうなトゥッティでも
                      ちゃんと管のメロディが聴こえて来る、というのは
                      いったい、どういう魔法なのであろう・・・ (驚嘆)

                      ドビュッシーの珍しいバレエ音楽は非常にモダンで
                      シマノフスキーとブーレーズに挟まれても、全く違和感がない。

                      Notations は、以前にもダニエル・バレンボイムで聴いた事があるし
                      CD も持ってるし(ただし VII はない)
                      更に、1990年代の、ウィーン・フィルとブーレーズのリハーサル DVD まである。

                      かと言って、別に「ものすご〜く好き (☆o☆)」というワケでもないのだが。

                      Notations を、きちんと観賞するなら
                      専門的な音の分析や構造の理解が必要になるし
                      耳もなく、数学的な頭もなく、アホな私には、絶対に無理(断言)

                      だから、もっぱらインテリな面は諦めて
                      この曲の持つ、巨大な「音響構築」を、あくまでも感性で楽しませてもらう。

                         誰ですか? オマエ、感性もないくせに、とか呟いた人は!

                      その通りであって(おいおい)
                      これは、やっぱり感性では抱きとめられない曲だ。
                      どんなにワタシがアホでも、この曲が訴えかけてくるものは
                      感性ではなく、理性である。

                      緻密で厳密な、「音楽構成」の力が
                      私の微かな知性に訴えてくるのだ。

                      ブーレーズが指揮して、プレイヤーから引き出すものは
                      単純な「音の事実」である。
                      一音たりとも逃さない、一切の妥協を許さず、スコアに忠実な
                      まるで、楽譜をそのまま舞台に乗せてしまったような気がする事がある。

                      感情を排斥しているワケではないだろうが
                      基本は、あくまでも「音の事実」に語らせる、というスタンスだと思う。

                      そして、いつも驚くのが
                      「音の事実」が、それだけで、如何に大きな力を持って
                      聴衆の感性と理性に訴えてくるか、という事。

                      人間メトロノーム的な好き嫌いはあるだろうが
                      こういう「純粋知性だけ」のような明晰さによる現代音楽
                      私は好き (^^)v


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