たまにはオーストリアちっく パート3 2024-03-18T10:30:52+09:00 ウイーンで趣味に溺れる日々 JUGEM クラング・フォールム + エミーリオ・ポマリコ https://happawien.jugem.jp/?eid=4330 2024-03-17T23:30:00+09:00 2024-03-18T01:13:17Z 2024-03-17T14:30:00Z 日曜日のトリプル・ヘッダー(アホかワタシは)
時系列に読みたい方、午前中のウィーン・フィルは ここ
午後のバイエルン放送響とラトルは こちら
下は夜のコンサートの個人メモです。
2024年3月17日 19時〜20時45分
Wiener Konzerthaus - Mozart Saa... はっぱ 現代音楽
時系列に読みたい方、午前中のウィーン・フィルは ここ
午後のバイエルン放送響とラトルは こちら
下は夜のコンサートの個人メモです。
2024年3月17日 19時〜20時45分
Wiener Konzerthaus - Mozart Saal
Klangforum Wien
オーボエ Markus Deuter
ビオラ Paul Beckett
指揮 Emilio Pomàrico
„Quadro italiano“
Luciano Berio (1925-2003)
Chemins II (su Sequenza VI)
für Viola und neun Instrumente (1967)
Niccolò Castiglioni (1932-1996)
Morceaux lyriques für Oboe und Orchester (1982)
(Bearbeitung für Oboe und Ensemble von Emilio Pomàrico, 2023)
Emilio Pomàrico (*1954)
Konzert für 24 Instrumente
Paralipomena a „Caractères“ (1964) di N. Castiglioni (2023)
クラング・フォールムのチクルスは
ご存知、今シーズンは売り切れで
でも、ちょくちょくキャンセルのチケットは出るので
今回も狙って狙って
出て来たキャンセル・チケット(結構お高い席)を確保。
来シーズンは何とか席を確保したい、と
コンツェルトハウスに申し込みはしているのだが
チクルスのお客さまが戻さないと出て来ないので
現在、キャンセル待ち。
ちっ、まさかウィーン・フィルの定期公演以外で
キャンセル待ちでないと取れないチクルスが
現代音楽である、という時代が来るなんて
誰も思っても見なかっただろう。
現代音楽ファンとしては嬉しいが
チクルスで来ている全体の80%を占める
ご年配のお客さまたちって
やっぱり自分で若い頃に
ダルムシュタットとか行っていた人たちなんだろうなぁ。
「現代音楽」と銘打っても
ブーレーズもシュトックハウゼンもケージも
最近ではバートウィッスルやツェルハ
ついこの間はアリベルト・ライマンも亡くなって
「現代音楽」というより
既にクラシック的な作品も多いと思う。
さて、今回のコンサートは
イタリアのキャンバスと銘打って
ルチアーノ・ベリオとニッコロ・カスティリオーニ
そして指揮者のポマリコが
カスティリオーニのモチーフで作曲したパラフレーズ。
ベリオの Chemins II (su Sequenza VI) は
自分の作曲したセクエンツァを
自分で分析し、拡大し、解釈したもの。
もともとセクエンツァが
とんでもない超絶技巧の曲なのだが
それを更に超絶技巧にしたような感じ。
ビオラのプレイヤーの
目にも止まらぬ速さのボーゲンの扱いに
絡んでくる他の9つの楽器。
きゃ〜、もう、目が点。
これ、セクエンツァと一緒に聴いたら
面白いだろうなぁ。
後でセクエンツァも聴いてみよう。
さて次の曲のニッコロ・カスティリオーニ
私は無教養なので知らなかった。
指揮者のポマリコと仲が良かったらしく
ぜひ作品を紹介したい、という意向だったらしい。
で、え? なに、この曲???
ちょっと言葉にならない・・・
最初のオーボエのソロだけ聴くと
あ、12音技法を継承した人か、と思うんだけど
オーボエのソロに絡まってくるピアノ
その後に他の楽器で繰り返されるモチーフ
オーボエと他の楽器とのアンサンブルが
12音技法を越えて
トナールな技法になりながら
ものすごい自由度を持った完成形になっていて
「音楽」として純粋で
しかも
むちゃくちゃ親しみ易いんですよこれ💡
すごいユーモアあって
なんですか、この楽しさは・・・
オーボエのプレイヤーは
クラング・フォールムのメンバーだが
ものすごい技術 😳
いやビックリ、驚き、楽しさ満杯。
女の子っぽく言っちゃうと
ひたすらカワイイのだ、この曲。
他のプレイヤーだが
Spotify で見つけたので貼っておく。
20分ほどの曲。
レジスターが高いので
現代音楽聴き慣れていない人には
ちょっと金切り声に聞こえるかもしれないが
途中からトナールのメロディが
ユーモアたっぷりに入ってくるし
最後から2曲目の
超絶技巧オーボエ・ソロはひたすら凄くて
その後は
トナールのオーボエ猫が遊んでいると
そこに一緒に遊びたくて
入ってくる犬がキャンキャン吠える
(ように聴こえる)
この録音では強調されていないけれど
最後の1音がライブで聴くと非常に印象的。
いや〜、ナニこれ、楽しい 😀
破天荒なラヴェルと
ひたすら正統的で真面目なブルックナーに
嵐のような感情に振り回されたマーラーの後に
一服の清涼剤って感じ ❤️
休憩の後は
指揮者のポマリコが
友人だったカスティリオーニのモチーフを使って
それを発展させたりして作曲したもの。
指揮者として、作曲活動に専念できなかったポマリコが
2020年からのコロナでのロックダウンの時期を利用して
作曲したものだそうで
本日が初演である。
カスティリオーニのモチーフを使っているとは言え
もともとのモチーフ、私は知らないし
どういう方法で、ポマリコがモチーフを弄ったかも
作曲技法に知識がないのでわからないが
音響のバリエーションが素晴らしい。
聴いていて、夢中になるくらい
音の力と色彩の嵐。
30分の曲なんだけど
終わった時に
え?これでもう終わり?って
客席で呟いてしまったほどに
まだまだ、このバリエーションを
聴いていたい、と思わせる作品になっていた。
というワケで
1日トリプルのコンサートのハシゴは
これにて終わり。
バリエーションが豊かで
面白い1日にはなったものの
まだ済んでいない大学の宿題が 😱
(コンサートとコンサートの合間に
国立図書館に行ってはいたのだが
学生多過ぎて席が全くなくて・・・)
仕事だったら
とっくにクビになっているだろうが
仕事は引退したから良いんだもん
・・・とか
謎の理由で自分を正当化する
卑怯者の私に
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]]> バイエルン放送交響楽団 + サイモン・ラトル 2日目 https://happawien.jugem.jp/?eid=4329 2024-03-17T18:00:00+09:00 2024-03-18T01:08:36Z 2024-03-17T09:00:00Z 本日日曜日は朝から3つのコンサートをハシゴ。
最初のコンサートのメモから読みたい方は こちら から。
下は午後のコンサートの個人メモです。
2024年3月17日 15時30分〜17時
Musikverein - Großer Saal
Symphonieorchester des Bayerischen Rundfunks... はっぱ 外来オーケストラ(ヨーロッパ)
最初のコンサートのメモから読みたい方は こちら から。
下は午後のコンサートの個人メモです。
2024年3月17日 15時30分〜17時
Musikverein - Großer Saal
Symphonieorchester des Bayerischen Rundfunks
指揮 Sir Simon Rattle
Gustav Mahler (1860-1911)
Symphonie Nr. 6, a-moll „Tragische“ (1903/04)
ラトルのマーラーは
私が比較的初期に全集をCDで買って
何回か聴いたものなので
もしかしたら、私のマーラーの原点になっている
・・・かもしれない、わからないけど 🙇
このチクルスは持っていなかったので
(インテリが読む日刊新聞
ディ・プレッセのチクルス)
会員発売当日に買ったのだが
ラトルが見える席が1席だけ空いていて
いや〜、ラッキー 😀
行ってみたら
どうも年配ご夫婦の奥さまだけが
別の席をお求めになったようで
(詳しい事情は知らんし関知しない)
お隣の上品な年配のご婦人から
「この席は音楽のすぐ上だから良いわよ」
と親切なお言葉を掛けられた。
・・・知ってますよワタシ 😆
たぶん、貴女より楽友協会に来てると思う(言わないけど)
ラトルは客席が静かになってから
指揮棒を振りたいらしいが
楽友協会で静寂って無理ですから・・・
(絶対に誰かがガタンと音を立てるし
舞台が見えない席が多いので
演奏直前まで、いや演奏が始まっても
小声で喋る人も多い)
重いリズムを刻む第1楽章の
慟哭に満ちた、埋葬?あるいは軍隊の行進曲。
ものすごい感情を込めて
エネルギー爆発させて
めちゃくちゃ力いっぱいに
顔をひたすら歪ませながら
指揮棒を振り回すラトル。
この指揮者、表情を見てると
本当に面白い(すみません悪趣味で)
声は出さないけど
一緒に歌ってる。
ところで唐突だが
ワタシは、友人から
「感情のない女」と言われていて
それが当たっている自覚はあるが
時々、夢の中で感情の嵐に揉まれる事がある。
朝起きてみて
自分でもえっ?と思うほどの胸苦しさと
同時に、ある意味、すごいカタルシスがあるのだが
昨日の夢の中で
久し振りに感情に翻弄されて
何だか非常に良い気分で
マーラーに挑戦、という良い精神状態。
こういう時には
ラトルが、どれだけのめり込んで
あたり構わず
音楽で泣き叫んで叫び散らかして
慟哭して、悶えていても
このアホ、とは思わないのである。
第2モチーフの美しい旋律は
鬱で暴力的な行進曲とは
打って変わって
愛に満ちた憧憬を
胸苦しいばかりに表現して来て
こういう分裂症的なマーラーって
ラトルが振ると
すごく分裂症で合っていて
納得行くし面白い。
第2楽章の尖り方も素晴らしい。
強いオーケストラを強力に鳴らしているのだが
楽友協会の大ホールという
残響たっぷりの音響の中での演奏にしては
音が団子状にならず
どのパートもクリアに聴こえて来るし
音量の大きさ以外の要素で
力強さを演出して行くのは見事。
途中にチラチラ出現する
キッチュで甘いメロディは
とことん甘くロマンティックに出してくるのも
分裂症っぽい表現が得意のラトルらしい。
途中のカウベルの扱い方には目を剥いた。
って言うか
こんな繊細で美しい響きのカウベル
「カウ」じゃない・・・
あくまでも都会っぽい柔らかな響きで
オーケストラの音の絨毯の中に
繊細に隠れてキラキラ光って落ちてくる。
ラトルは最初から最後まで
身体の動きも表情も
力一杯って感じで
精神的に入れ込んで入れ込んで
ひたすら感情の世界を表出している
・・・だけに
細かい部分のズレとか齟齬が
ないワケではないのだが
それもこの指揮者は、きっと織り込み済み。
全体的に流れる
慟哭と悲劇と
溢れる愛の苦しみと
運命に翻弄される感情の嵐を
どうしても描きたかったに違いない。
最終楽章のハンマーは
音量だけではなく
ホール全体の内装が振動するような
(オーケストラの上だから
マジに振動した)
音とか音楽とか言うよりは
体感的なショック。
最後のカウベルが
どちらかと言うと
教会での葬儀の時の鐘っぽく聴こえたのは
指揮者の確信犯だと思うけれど
もちろん、私の解釈間違いである可能性は高い。
最初から最後まで
集中力マックスで押し切って
すごいエネルギーの奔流だった。
これ、ベルリン・フィルとかだったら
もっと筋肉質でマッチョな演奏になるんだろうな。
バイエルン放送響は
そこらへん、割にノーブルさ・・・というか
金持ちミュンヒェンのブルジョワ階級の感じがあって
(もちろん偏見と認識バイアスのなせる印象)
ちょっとした縦線のズレなんかが
かえって人間くささというか
抑えきれない感情の放出っぽくて
リアルさが増したような気がする。
いや〜、昨日の夜、感情任せの夢を見て良かった 😄
って、そういう問題じゃないが(ごめんなさい)
久し振りに感情的に
ズブズブにマーラーの世界に取り込まれて
ひたすら気持ち良く
図書館に足を運んでから
最後の夜のコンサートに向かった
懲りない私に
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]]> ウィーン・フィル + ズービン・メータ 2回目 https://happawien.jugem.jp/?eid=4328 2024-03-17T14:30:00+09:00 2024-03-17T22:40:22Z 2024-03-17T05:30:00Z 2024年3月17日 15時30分〜17時45分
Musikverein - Großer Saal
Wiener Philharmoniker
指揮 Zubin Mehta
ピアノ Martha Algerich
Maurice Ravel (1875-1937)
Konzert für Klavier und Orchester, G-Dur
Anton Bruckner (1824-1896)
Symphonie Nr... はっぱ ウィーン・フィル
Musikverein - Großer Saal
Wiener Philharmoniker
指揮 Zubin Mehta
ピアノ Martha Algerich
Maurice Ravel (1875-1937)
Konzert für Klavier und Orchester, G-Dur
Anton Bruckner (1824-1896)
Symphonie Nr. 7, E-Dur, WAB 107
メータとアルゲリッチ2日目。
本日はオーストリア国営放送ラジオ1番で
ライブ放送がある。
・・・だから
昨日のような、ド派手なアンコールはないだろう
(放送時間の関係もあるだろうし)
と推測していたのに
何と、またもや
ラヴェルの最終楽章をもう1回
アンコールで演奏したのにはひっくり返った。
しかも昨日よりオーケストラが巧くなってる(笑)
土曜日はアタアタしていた第3楽章の木管・金管も
ズレなくピアノにしっかり絡まって来て
いやその疾走感と言ったら
快感と言う言葉はこのためにある。
その後はバッハのイギリス組曲3番からのガボット。
いやすみません、バッハ知らなくて
スカルラッティかな、と思っていたら
後でラジオを聴いたら、曲目をアナウンスしてくれていた。
アルゲリッチの弾いたアンコールの動画が
過去のものだがあったので、貼っておく。
音の立ち方とクリアさの素晴らしさに
どうぞ驚いて下さいませ 😀
VIDEO
さて、ラヴェルのピアノ協奏曲については
昨日、散々書いたし
今日のオーケストラの性能が
かなりアップして
快感でドキドキ。
まだ、火曜日・水曜日に
あと2回聴けると思うと幸せでたまらない ❤️
後半のブルックナーの交響曲7番。
好きな曲ではあるし
ズービン・メータ(御歳87歳)の指揮を見ていたけれど
でき過ぎ だよこれ・・・
座った状態での指揮で
指揮棒は使っていて、暗譜。
メータの指揮は
必要な指示は全てする
不要な動きは一切しない
と言うのに尽きる。
目立とうとか
ヘンな事をやろうとか
モダンに現代的に演奏させようとか
そういう類の雑念が全くなくて
純粋に
ブルックナーの7番って
これだよね
・・・と思ってしまう演奏。
ゆっくり目のテンポに乗る
長いボーゲンで描き出されるメロディ・ライン。
教会のオルガンの音に似ていながら
オーケストラの音響を最大に活かした
深みのある厚い音色。
前半が自由奔放、洒落っ気たっぷりの
ユーモアと華やかさに満ちた雰囲気だったのに
後半は突然変わって
敬虔で、齟齬のない
正統的で真面目で
徹底的に美しいブルックナー・・・
お洒落でユーモアあって
自立していて、共稼ぎもOKで
自由で奔放な女の子を好きになって
結婚したら
子供を作るという目的以外の
イチャイチャは許されず
聖処女っぽくなってしまって
食事ごとにお祈りを強要されるんですが
どうしたら良いでしょう?
と、どこかの掲示板に
書き込みがありそうな雰囲気。
聴衆としても切り替えが難しい 😓
本日はオーストリア国営放送ラジオ1番で
ライブがあって
休憩中にメータにインタビューしていたのだが
メータ自身も
このコンビネーションは
アルゲリッチの希望でない限りは
やらないだろう、と言っていたから
指揮者としても切り替えが
困難だっただろう事は想像がつく。
(でもブルックナーは
オーストリアに来てから知って
名だたる名指揮者で聴いて
大好きになったような事は言っていたから
やっぱりブルックナーを演奏したかったんだろうなぁ)
ラジオのインタビューで
若い頃は
楽友協会やオペラ座の立見席に
チケットなしで潜り込んで
ウィーンに感謝してる、という
危ない言及もあったが(爆笑)
今は若い人向けに
チケットを安く放出しているし
潜り込みは出来なくなっているから(たぶん)
ちゃんとチケット買って
行って下さい・・・
とラジオを聞きつつ
ついつい祈る気持ちになった私に
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マチネから時系列に読みたい方は こちら からどうぞ。
下は夜のコンサートの個人メモです。
2024年3月16日 19時30分〜21時40分

Musikverein - Großer Saal
Symphonieorchester des Bayerischen Rundfunks
指揮 S... はっぱ 外来オーケストラ(ヨーロッパ)
マチネから時系列に読みたい方は こちら からどうぞ。
下は夜のコンサートの個人メモです。
2024年3月16日 19時30分〜21時40分
Musikverein - Großer Saal
Symphonieorchester des Bayerischen Rundfunks
指揮 Sir Simon Rattle
Richard Wagner (1813-1883)
Vorspiel und „Isoldes Liebestod“
aus „Tristan und Isolde“
Thomas Adès (*1971)
„Aquifer“ für Orchester (ÖEA)
Ludwig van Beethoven (1770-1827)
Symphonie Nr. 6 F-Dur, op. 68
„Sinfonia pastorale“
メータとアルゲリッチの合い間に
バイエルン放送交響楽団とラトルの客演。
何て素晴らしい都市なんだウィーンは。
お財布には優しくないが。
実はこんな動画を見つけてしまい
見てしまったので
本日は認識バイアスたっぷり。
VIDEO
まずはトリスタンとイゾルデ。
こういう音楽、得意じゃないんだけど
ふとした折に
ふいっと連れて行かれてしまう瞬間がある。
ダイナミック・レンジの大きい曲想の付け方と
弱音部分の透明感で
激しいまでに盛り上がる焦燥感というか
ワーグナーって
どこまで情熱的・・・というより
本能に忠実で素直だよね。
(ワーグナー・ファンの皆さま、ごめんなさい)
こういう音楽に没頭して陶酔できる人って
感情と本能がスクスク育って来た
幸せな人じゃないだろうか。
いや、ワタシもものすごく幸せだが
途中で感情を置き去りにして来ているので(笑)
どうしても
こういう恋愛モノに共感出来ないのは
もう仕方がないと思うしかない、すみません。
トーマス・アデスの曲は
オーストリア初演。
バイエルン放送交響楽団とカーネギー・ホール
そしてウィーン楽友協会の委嘱作品だそうだ。
う〜ん・・・微妙・・・(単に好みの問題)
アデスらしい複雑なリズムとコンビネーションはわかるが
オーケストレーションが分厚すぎる。
トナールに近い和声で
モチーフもある程度聴き取る事は出来るのだが
モチーフの展開に頭がついていけず(自業自得)
プログラム記載の通り
7つの部分に分かれているのも
クリアに理解できるものの
今ひとつ、聴衆を無理やり音楽の世界に
引き込む力が足りない・・・というより
ワタシの妄想を喚起しないのは
帯水層という
人間的なドロドロを喚起させない
ドライなテーマだからかもしれない。
自然の描写って
古今東西の作曲家が扱っているものだし
第一、帯水層って
実際に見られるものでもない。
地下水なんて、ほとんど意識した事ないもんなぁ。
もちろん、私の自然科学的知識の欠乏によるものだが。
オーケストレーションの厚みから言うと
ワーグナーと似ているので
そこらへんのコンビネーションも不利だったかも。
さて、バイアスたっぷりのパストラーレ。
最初のモチーフの繰り返しって
もしかしたら馬車の音?
第二モチーフで到着を表現して
繰り返しは・・・何なんだろう、記憶かな?
小川の情景の弦の響きの美しさ ❤️
柔らかい音響がホールを満たして
なんとも平和な気分になって
農民の踊りは
あはは、金持ちミュンヒェンのオーケストラ(偏見)
都会的に洗練されていて
当時の農民の(私の妄想による)ワイルドな感じが
すっぽり抜け落ちてノーブルになってる(笑)
続く嵐から認識バイアスが掛かってくるのだが
激しい嵐で多大な損害が発生して
ラトルが言っているように
何人かは犠牲になったのかもしれない。
だって最終楽章の初めで
太陽が出てくる、というよりは
これ、もしかしたらレクイエムですか?
としか思えない雰囲気なんだもん(だから認識バイアス)
ラトルは何でも「悲劇的」なものが好きなようで
マーラーの交響曲7番についてさえ
最も悲劇的なハ長調と言っているくらいだから
ベートーベンの6番の最終楽章が
最も悲しい、悲惨なへ長調と解釈するのも
まぁ、わからんでもない。
それは個人の好みだし
解釈だから
多様性の社会だし
どう思っても良いのである。
私としては
聴き慣れて手垢がつきまくった
パストラーレに
こういう解釈もありか、と
面白く思った。
私の好みか、というと
それは違うけれど。
ちょっと湿った雰囲気になったので
それをぶっ飛ばすような
景気の良いアンコールを1曲ぶちかませて
ホールの雰囲気をアゲたのは
ラトルのサービス精神だろう。
ラトルは振る曲によって
豹変する不思議な指揮者なので
明日のマーラーでは
また違う面(もっと悲劇的?)を見せてくれるかも。
あ、もちろん
明日の午後のコンサートにも行きます✌️
という懲りない私に
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明日の日曜日は
恐ろしい事にトリプル・コンサート。
ただし、夜はマタイ受難曲ではない。
(楽友協会もコンツェルトハウスも
違うオーケストラと指揮者で
マタイ受難曲のコンサートなのだ。
そういう季節なので)]]> ウィーン・フィル + ズービン・メータ 1回目 https://happawien.jugem.jp/?eid=4326 2024-03-16T18:30:00+09:00 2024-03-17T00:03:22Z 2024-03-16T09:30:00Z 2024年3月16日 15時30分〜17時45分
Musikverein - Großer Saal
Wiener Philharmoniker
指揮 Zubin Mehta
ピアノ Martha Algerich
Maurice Ravel (1875-1937)
Konzert für Klavier und Orchester, G-Dur
Anton Bruckner (1824-1896)
Sy... はっぱ ウィーン・フィル
Musikverein - Großer Saal
Wiener Philharmoniker
指揮 Zubin Mehta
ピアノ Martha Algerich
Maurice Ravel (1875-1937)
Konzert für Klavier und Orchester, G-Dur
Anton Bruckner (1824-1896)
Symphonie Nr. 7, E-Dur, WAB 107
今日から4日間は
メータとアルゲリッチ祭り(笑)
87歳と82歳のカップリングである。
しかもラヴェルのト長調ピアノ協奏曲 🥳 と
ブルックナーの交響曲7番のカップリングなんて
プログラムで見たことないぞ。
ラヴェルのピアノ協奏曲。
うわああああ
アルゲリッチのテンポが速いし
打鍵が強い。
オーケストラ、もろ押され気味で
必死について行ってる印象。
舞台が見えない貧民席(納得済み)なので
ここからピアニストも見えずに
ただただ、ひたすら音響だけを聴いていると
ピアニストに腕が4本くらいあるんじゃないか・・・
現実的に考えたら
1人じゃなくて2人でピアノ弾いてない?
だって、ピアノの音色のバリエーションが凄いのだ。
いや、音色の豊かさは時々聴くけれど
同じフレーズの中(要は手が2つ)で
どれだけ違う音色を出してるの、この人 🤯
第2楽章の哀愁に満ちたソロも良かったけれど
最終楽章の、最高速の
疾走感溢れる演奏には呆気に取られる。
管楽器のプレイヤー、むちゃくちゃタイヘン。
うはははは
本当にこの腕が4本か5本ありそうなピアニストが
82歳って、嘘だろ、としか思えない。
魔女か妖精か
なんかそういう人外のモノのような気がする。
ピアノが緻密で
打鍵が強くて
一つ一つの音が立ちまくって
全体的な流れがイキイキしていて
音色がその時々でとんでもなく変化する。
こんなハードな曲を演奏した後の
アンコールはないだろう、と思っていたら
何と、第3楽章を初めから丸ごと
アンコールで弾いた・・・
(ぎゃ〜っ、木管・金管さん、お疲れさまです)
うおおおお
なんだこれ、本当に人間技か、と
ほとんど呆れてひっくり返っていたら
なんと
ラヴェルの「水の戯れ」
おいおいおいおい
どういう体力・・・・
これがまた絶品で
ピアノの音色、特に高音の色が素晴らしい 😭
もう、何か、前半で
お腹いっぱいになってしまい
ブルックナーの交響曲7番
どうでも良い気分(すみません)
本当に前半で集中力を使い果たしたので
ブルックナーの交響曲7番
いや、素晴らしい演奏だったし
ブルックナーの中でも好きな曲だし
楽しかったんだけど
前半の印象が強烈すぎた。
まだ明日の日曜日定期
月曜日の楽友協会主催のコンサートに
火曜日には会場を変えてコンツェルトハウスで
同じプログラムが3回続くので
ワクワクしている私に
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Musikverein - Großer Saal
ORF Radio-Symphonieorchester Wien
指揮 Marin Alsop
Gustav Mahler (1860-1911)
Symphonie Nr. 9 D-Dur
ウィーン放送交響楽団とオールソップが
マーラーを演奏する、と言... はっぱ ウィーン放送交響楽団
ORF Radio-Symphonieorchester Wien
指揮 Marin Alsop
Gustav Mahler (1860-1911)
Symphonie Nr. 9 D-Dur
ウィーン放送交響楽団とオールソップが
マーラーを演奏する、と言うなら
行かない、という選択肢はない(笑)
最近、楽友協会のチケットはよく売れている。
チケットの値段は急激にアップはしているのだが
その代わり
14歳から29歳までの若人には
むちゃくちゃ安くて良いオファーをしているのだ。
え〜い、シニアにもオファーをくれ。
係の人も
こんなに来ているのに
何の割引もないの?ってビックリしてるのに(笑)
さて、この曲は
ご存知の通り
私は最終楽章は必ずスコア持ち込み。
(アホなので、スコア見てないと
どこで終わるのかわからず
精神的に不安定になってしまう)
オールソップ、ウィーンの聴衆に人気あるなぁ。
どこのコンサートでも
彼女が登場すると
最初からブラボーが掛かったりする。
女性指揮者の道を開いて来た人だし
映画のドキュメンタリーを作ったりという
セルフ・マネージメントにも長けているという理由もあるが
ワタクシ的には
この世代の「戦った女性指揮者たち」というのは
本当に勉強熱心で優秀な人が多いと思う。
(最近は「女性枠」で、まぁ、色々(以下自粛))
この間 のマーラーでも思ったのだが
ウィーン放送響とオールソップのマーラーは
解像度が非常に高くて緻密。
各パートが紡ぐ糸が
様々な色と太さで
まるで極彩色の厚地の絨毯の
織り目を見ているような気分になる。
同時に、満ち溢れるエネルギーの奔流。
オールソップの動きも情熱的で
バーンスタインの弟子・・・って
あまり関係ないか。
バーンスタインのような
思い入れたっぷりのケレン味てんこ盛りではなく
(あっ、バーンスタイン・ファンの皆さま、ごめんなさい)
もっとモダンな
曲とワンクッション置くような
分析的な部分での処理が非常に巧い。
しかも、ものすごいエネルギーの奔流。
この曲、よくマーラーの白鳥の歌とか言われて
死を覚悟した(あるいは予感した)
マーラーの最後の諦観と言われる事が多いが
この溢れるエネルギーを持った曲の
どこに「死」の予感があるのよ(個人的印象です)
って言うか、ひたすら元気じゃん。
流れるように溢れ出す音楽性とエネルギー
皮肉に満ちたレンドラーは
遅めに始めた、と思ったら
見事にテンポをコントロールして
中弛みのない緊張感をそのまま持続させて
硬めの音響が非常に皮肉っぽい
締まった筋肉質な演奏。
第3楽章の奔放さも素晴らしい。
コントロールは効いているけれど
爆発するような鋭い響きが快感だし
どこが「白鳥の歌」なんだ、こんなにエネルギッシュなのに。
この曲、1910年に作曲され
グスタフ・マーラーは1911年5月18日に亡くなって
死後の1912年6月26日に初演された
って言うのも「伝説の誕生」の理由なんだろうなぁ。
名だたる音楽家や音楽評論家が
こぞって「死の予感」に言及している上
マーラーの解釈に大いなる影響を及ぼした
指揮者メンゲルベルクのメモも残っているし
現代の音楽学者も解釈学傾向のある人は
(ご存知コンスタンティン・フローロス)
「死の予感」を
マーラーのスコアへのメモから読み取っている。
だけど、曲そのものを聴く限り
マーラーらしい
尖った皮肉やシニカルさが山盛りで
迫り来る死に怯えてるとか
人生に別れを告げている、とか感じないんだけど
それってワタシの感受性のなさなのか。
(そうですきっとごめんなさい)
最終楽章に
キッチュなアダージョを使うのは
他の交響曲でもあるので
観客ウケ狙いの戦略とも思えるけれど
その前の3楽章が
元気で
はちゃめちゃのエネルギー放出だったので
その分
フラット山盛りの変ニ長調の
厚みのある和声の美しさにジーンとする。
何だかヘンな陶酔感というか
色気というか
えらく艶っぽく聴こえて来るのは
私の妄想が暴走しているからか・・・(ごめんなさい)
もちろん、マーラーはこの曲を書いている時に
死を意識して、その予感に怯えたかもしれないし
(それ言うなら、マーラーの交響曲って
全部がそうじゃないの?・・・8番は例外として)
どういう意図と意味を込めて作曲したかは
聴衆にはわからない。
よく、最後の ersterbend (死にいくように)が
引用されるけれど
スコアには(少なくとも私の持ってるスコアには)
ersterbend は
最後の1音にだけ書いてあって
他の場所には見つけられない。
(要は、最後の音は
消えいるように伸ばしてね、って事じゃないの?)
どえらい大物たちが
死の予感だの、生からの訣別だのを
声高々に主張しているので
聴衆としては
そう言う意味合いで聴くのが
正しい聴き方、と洗脳されちゃうけれど
まぁ、多様性の世界が許容される
今日この頃なのはありがたい、と
ひたすら開き直るワタシに
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個人的な好みではあるけれど
この間のウィーン・フィルと
フランツ・ヴェルザー=メストの
摩訶不思議なコンサートより
ストンと納得できる演奏だったと思う。
良し悪しについてはノーコメント。]]> アルディッティ四重奏団 https://happawien.jugem.jp/?eid=4324 2024-03-14T23:30:00+09:00 2024-03-15T21:46:51Z 2024-03-14T14:30:00Z 2024年3月14日 18時30分〜20時30分
Arnold Schönberg Center
Arditti Quartett
バイオリン Irvine Arditti, Ashot Sarkissjan
ビオラ Ralf Ehlers
チェロ Lucas Fels
Daniel Serrano (*1991)
Visionen für Streichquartett (UA, 2024)
... はっぱ コンサート(オーケストラを除く)
Arnold Schönberg Center
Arditti Quartett
バイオリン Irvine Arditti, Ashot Sarkissjan
ビオラ Ralf Ehlers
チェロ Lucas Fels
Daniel Serrano (*1991)
Visionen für Streichquartett (UA, 2024)
Karikatur
Denken
Gartenszene
Selbstportrait
Arnold Schönberg (1874-1951)
Streichquartett Nr. 4 op. 37 (1936)
*** Pause
Harrison Birtwistle (1934-2022)
The Tree of Strings (2007)
シェーンベルク生誕150年の年である。
めでたい(たぶん)
アルディッティ弦楽四重奏団も
今年3月に設立50年を迎えるそうで
めでたい(うん)
シェーンベルク・センターでは
150周年特別サイト も公開しているので
ご興味ある方はどうぞ。(英語もあります)
さて、数ヶ月前に
つらつらこのサイトを見ていたら
アルディッティ四重奏団が
シェーンベルク・センターでコンサートをする
と言うのに飛びついてチケットを予約。
26歳未満は無料だが、その他の人は14ユーロ。
それだって安い、うん。
昨年のウィーン・モデルン現代音楽祭で
聴くチャンスを逃したので絶対に行きたい。
会場は満杯。
年配の観客も非常に多い。
ウィーン・モデルン現代音楽祭で
アンケートを取った時に
現代音楽コンサートの観客は
自分でも音楽をやっていた人が非常に多い
と言う結果が出たらしいが
この年配のお客さまたちも
大多数は音大出身とかで
若い頃にバリバリ
現代音楽を演奏していた人たちなのかもしれない。
(我々の若い頃って言ったら
ダルムシュタットとかドナウ・エッシンゲンで
トータル・セリエが大流行していた時期だし)
最初はアルノルド・シェーンベルク財団の
奨学金を受けて研究・作曲をしている人の
委嘱作品、約10分。
シェーンベルクの描いた絵をもとに
その頃にシェーンベルクが作曲した曲の
モチーフを使用したものだそうだが
作曲家曰く
ものすごく弄ってあるので
たぶん、そのモチーフを
聴衆として見つける事は無理だろうとの事。
シェーンベルクの曲のモチーフ
ないしは12音技法で使われる音列を
どの作品にせよ、見つけ出す事は
私にはもともと出来ません、すみません。
最初からフラジョレットばっかり(笑)
特殊奏法の山盛りで
この人、ラッヘンマンとかの影響があるんだろうか。
絵画のイメージを音楽に映すと言うのは
手元のプログラムに絵画が記載されていたとしても
非常に困難で
作曲家としても、イメージそのままを移そうとは
思っていないだろう。
ただ、絵画の持っている雰囲気は
カリカチュアなら速めテンポの不規則なリズムを使ったり
風景画なら、遅め静かなロングトーンを使用したり
まぁ、普通に考えて
トポイとして西洋芸術で多用される技術は聴こえて来る。
続けてシェーンベルクの弦楽四重奏4番。
1936年の作品。
アメリカに移住した後
12音技法ではあるものの
数学的なドライな側面よりは
音楽性に回帰して来る頃のもので
うわあああ
シェーンベルクってロマンティスト(笑)
昔から、この作曲家
頭が良すぎて12音技法とかの理論体系を考えたものの
本当はかなりクラシックに
情熱的で感情豊かな人じゃなかったんだろうか。
もちろんアルディッティ・カルテットの
解釈も大きな影響があると思う。
エネルギーが迸るような強さが素晴らしい。
12音技法にありがちな
ドライな部分よりは
感情がグイグイ迫ってくる感じ。
休憩挟んで
後半はハリソン・バートウィッスルの曲。
何と私は、この曲をアルディッティ・カルテットで
ナマで聴くのは3回目 😁
島から住民を追い出して
羊を飼うという政策で
犠牲?になった島の様子を
原住民の言語を用いて詩にしたものから
インスピレーションを受けた、という曲。
よく聴いていると
追い出された原住民の嘆きとか
無人になった島に
波が押し寄せたり、風が吹いたり
何となく妄想は掻き立てられる。
自然界の中にありそうな
音響を巧く使っているからかもしれない。
特殊奏法、ほとんどないんだけど
その意味では非常に面白い。
30分ほどの曲だけど
聴いているだけで
妄想浮かびまくりなので
ほとんど退屈しない。
自分の中でストーリーが出来てくる感じ。
ついでに絵画的印象も。
う〜ん、こういうのが
聴覚と視覚の相互作用?(いや違う、ただの妄想)
最後はハイドンのさよなら交響曲のごとく
1人去り、2人去り
チェロがピチカートとアルコのモチーフで
誰もいなくなった島に
打ち寄せる波と風を
・・・表現してるんだろうか、知らんけど(笑)
アンコールに
アルディッティ氏が
リゲティのピチカート・ポルカをやります(爆笑)
ピチカートだけじゃなくて
途中、アルコもあるけどね 😁
このコンサート
4月28日19時45分に
オーストリア国営放送ラジオ1番 Ö1 の
Supernova というプログラムで放送されるそうだ。
ぜひもう一度聴いて
最初の曲がシェーンベルクの絵画と
イメージが本当に一致するか
確かめてみたいと思っている私に
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人気ブログランキング ]]> マティアス・ゲルネ + エフゲニー・キーシン https://happawien.jugem.jp/?eid=4323 2024-03-13T23:30:00+09:00 2024-03-14T13:54:36Z 2024-03-13T14:30:00Z 2024年3月13日 19時30分〜21時
Musikverein - Großer Saal
バリトン Matthias Goerne
ピアノ Jewgenij Kissin
Robert Schumann (1810-1856)
Abends am Strand, op. 45/3
Es leuchtet meine Liebe, op. 127/3
Mein Wagen rollet langsam, op.... はっぱ コンサート(オーケストラを除く)
Musikverein - Großer Saal
バリトン Matthias Goerne
ピアノ Jewgenij Kissin
Robert Schumann (1810-1856)
Abends am Strand, op. 45/3
Es leuchtet meine Liebe, op. 127/3
Mein Wagen rollet langsam, op. 142/4
Dichterliebe. Liederzyklus aus Heinrich Heines
„Buch der Lieder“, op. 48
1. Im wunderschönen Monat Mai
2. Aus meinen Tränen sprießen
3. Die Rose, die Lilie, die Taube, die Sonne
4. Wenn ich in deine Augen seh’
5. Ich will meine Seele tauchen
6. Im Rhein, im heiligen Strome
7. Ich grolle nicht, und wenn das Herz auch bricht
8. Und wüssten’s die Blumen, die kleinen
9. Das ist ein Flöten und Geigen
10. Hör’ ich das Liedchen klingen
11. Ein Jüngling liebt ein Mädchen
12. Am leuchtenden Sommermorgen
13. Ich hab’ im Traum geweinet
14. Allnächtlich im Traume seh’ ich dich
15. Aus alten Märchen winkt es
16. Die alten, bösen Lieder
Johannes Brahms (1833-1897)
Sommerabend, op. 85/1
Mondschein, op. 85/2
Der Tod, das ist die kühle Nacht, op. 96/1
Meerfahrt, op. 96/4
Neun Lieder und Gesänge, op. 32
1. Wie rafft ich mich auf in der Nacht
2. Nicht mehr zu dir zu gehen
3. Ich schleich umher betrübt und stumm
4. Der Strom, der neben mir verrauschte
5. Wehe, so willst du mich wieder
6. Du sprichst, dass ich mich täusche
7. Bitteres zu sagen denkst du
8. So steh’n wir, ich und meine Weide
9. Wie bist du, meine Königin
マティアス・ゲルネの今回のピアノ伴奏は
何とエフゲニー・キーシン。
楽友協会大ホールの
舞台上 まで観客席がぎっしり並んでいるのに
何故にバルコンとギャラリーの後ろの方がガラガラ?
ソリストのアボとリートのアボ
2つのアボが重なっているのに
こんなに空き席があるなんて・・・
しかも今回のプログラムは
休憩なしのぶっ通し の1時間半。
ゲルネの声は前に飛ぶ傾向があるので
私も今回は張り切って
むちゃくちゃ高い席を購入したのだ、チッ。
高いだけあって
声を聴くには理想的な場所・・・ではあったのだが
うああああ
ゲルネの声、低過ぎて
胸からの低音が、ほとんど客席に飛んで来ない。
ゲルネは、倍音たっぷりの美声なのだが
声の質が暗過ぎる。
しかも低音で歌う時
ゲルネは俯いているので
ますますホールに響いて来ない。
・・・でも、これ、最後に
あ、そういうドラマツルギーなのね、って
ストンと理解できるんだけど。
キーシンのピアノが凄い。
って言うか、凄すぎる。
ピアノ伴奏なんてもんじゃない。
キーシンのピアノを聴くだけでも
この日のこの時間に
ここに座っている価値はある。
でも、その凄いピアノに対峙して
譲らないゲルネも凄い。
最初が暗すぎて
どうしようか、と思ったのだが
Mein Wagen rollet langsam で
ちょっと声域が高くなると
すごくホールに響く声になるのだ。
胸で響かせる低音のテクニックは
意図的にやっているのが、よくわかる。
(最後にレジスターを上げてフィナーレ)
「詩人の恋」は
表現的には面白いけれど
ゲルネのドイツ語のディクションが不明瞭。
(あの深い低音で
倍音たっぷりが
残響の長いホールに響いてしまうので
ドイツ語がクリアに聴こえないのは当たり前)
しかしピアノがピアノがピアノが・・・
シューマンとブラームスという
両方ともにピアノの取り扱いには
長けていた作曲家が
ただの「伴奏」じゃなくて
ピアノに深い意味を持たせて
声とテクストにしっかり溶け合い
時には対立し
時には補い合い
前奏と後奏では
ピアノの主張と美しさを
これでもか、と出してくるのには唖然。
ブラームスのリートって
今まで、民謡的なものしか
聴いていないし歌っていないのだが
(すみません不勉強で💦)
こんなリーダーがあるなんて・・・
ピアノが凄い・・・
歌が凄い・・・
テキストは・・・よくわからん。
ドイツ・リートが好きで
ドイツ語の世界に入ったワタシではあるが
だいたいブンガクなんて感受性欠けてるから
全くわからず(現代国語の成績も悪かった)
加えて
言語というのは変化するものであって
シューマンとかブラームスの時代の
しかも詩的言語って
実は全く理解できないのである(ごめんなさい)
ハインリヒ・ハイネの詩の一例(勝手に意訳、文責なし)
夏の夜の森と芝生の上に
青い空に黄金の月が浮かんで
小川近くでコウロギが鳴いて
彷徨う人が静かにため息ついたら
妖精が水浴びしていて
月明かりの中に白い腕と背中が浮かび上がった
・・・何のこっちゃ?
もっと暗い詩が(勝手に意訳、文責なし)
死は冷たい夜
生は暑苦しい昼
やっと暗くなって私を眠りに誘う
昼は私を疲れさせたのだ
私のベッドの上には樹が聳え立ち
若いナイチンゲールが歌を歌う
彼女は大いなる愛から歌い
私はそれを夢の中で聴く
・・・う〜ん 🤔
カントやヘーゲルのドイツ語や
ゲーテもよくわからんが
終戦後のドイツのポリティカル・シンガーの歌詞は
ある程度、内容はわかるので
やはり、19世紀の詩とかを理解するのにも
時代背景と
日本語で言う古文の知識が必要なのだろう、きっと。
まぁ、ドイツ語の「単語」はある程度わかるから
テキストの出している雰囲気は
何となくわかるし
(夜だの月明かりだの妖精だの・・・)
それをブラームスの音楽が
最強に表現してくれるので
わからないなりに
音楽として聴くのは
それほど間違った方法ではないと思う。
しかしブラームスの歌曲って
本当に凄いな。
これ、一度、しっかりと聴き込みたい。
今回はゲルネとキーシンという
絶対に妥協しなさそうな2人が舞台に乗った
っていうのもあるけれど
ゲルネの声が
ブラームスの9つの歌曲の最後になると
少し明るい色を帯びて来て
ホールに明るい雰囲気が広がる。
最後の曲が
おお、僕の女王さま
君の腕の中で死ねるなら
最も辛い死でさえ歓喜に満ちている
・・・みたいな感じの曲だしね(笑)
(読み方によっては誤解を招きそうだが
たぶん、そ〜いう意味ではない、念の為)
休憩なしの1時間30分。
舞台袖に入る事もなく
拍手も起こらず(観客立派(笑))
歌手(暗譜)もピアニストも
ものすごい集中力だが
観客にも、ぶっちぎれ寸前の集中力が必要だった。
(しかも、ここに書いてないけれど
プログラム記載のブラームスから
2曲がカットされていたので
どの曲を歌っているか
わからなくなりそうになった経緯もある。
だってゲルネのドイツ語
胸からの低音で始められると
ごにゃごにゃして、本当にわからないんだもん)
今回のコンサートの観客の少なさは
キーシン・ファンとゲルネ・ファンが
双方集まったワケではない、というところに
あるのだろうと思うが
いや、ゲルネ、いつも有名なピアニストと
リサイタルしたがるけど
それって
自分の売り込みが巧いとか(それもあるだろうが)
そういう事だけじゃなくて
たぶん、ピアニストと声楽家の
ガッツリ組んだ音楽性の高め合いが
面白いんだろうなぁ。
確かに
このシューマンとブラームス
キーシンのピアノの自己主張がなかったら
絶対にもっと退屈になっているだろうし
(技術が云々の問題ではないのだ。
強いて言うなら「華」があるかどうか)
ゲルネのドラマツルギーをしっかり押さえた
低音から高音への
自在な音色のコントロールがなければ
キーシンのピアノに負けていただろう。
シューマンはともかくとして
ブラームスの歌曲の素晴らしさに
歌詞の内容はともかくとして
びっくりして再発見💡 とウキウキしながら
集中力を最大に使って
クタクタになってホールを去った私に
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]]> ヴィットーリオ・グリゴーロ リサイタル @ 国立オペラ座 https://happawien.jugem.jp/?eid=4322 2024-03-12T23:30:00+09:00 2024-03-12T23:52:56Z 2024-03-12T14:30:00Z 2024年3月12日 20時〜22時20分
Wiener Staatsoper
テノール Vittorio Grigolo
ピアノ Mzia Bachtouridze
Vincenzo Bellini
Dolente immagine di fille mia
Vanne, o rosa fortunata
Malinconia, ninfa gentile
Per pietà, bell’idol mio
... はっぱ ウィーン国立オペラ座
Wiener Staatsoper
テノール Vittorio Grigolo
ピアノ Mzia Bachtouridze
Vincenzo Bellini
Dolente immagine di fille mia
Vanne, o rosa fortunata
Malinconia, ninfa gentile
Per pietà, bell’idol mio
Giacomo Puccini
Foglio d’album (Instrumental)
Gioachino Rossini
La danza (aus: Soirées musicales)
Giacomo Puccini
Intermezzo (aus: Manon Lescaut) (Instrumental)
Giuseppe Verdi
Ah sì, ben dite … tutto parea sorridere (aus: Il Corsaro)
*** Pause
Francesco Paolo Tosti
Chanson de l’adieu
Pour un baiser
A Vucchella
Ideale
L’ultima canzone
Gija Kantscheli
Fünf Miniaturen (Instrumental)
Stanislao Gastaldon
Musica Proibita
Pietro Mascagni
Intermezzo (aus: Cavalleria Rusticana) (Instrumental)
Ruggero Leoncavallo
Mattinata
Manuel Ponce
Intermezzo Nr. 1 (Instrumental)
Vincenzo D’Annibale
O paese d’ o sole
国立オペラ座で行われる歌手のリサイタル。
今宵はテノールのヴィットーリオ・グリゴーロ。
グリゴーロと言えば
やりたい放題、オーケストラ困惑
指揮者混乱、共演者驚愕のカヴァラドッシ が
記憶に新しい。
いや〜、この人
正に我々が偏見で思い浮かべる
アホのイタリア人のテノールを体現してる(爆笑)
もちろん
深慮遠謀の結果としての
セルフ・マーケティング・ストラテジーかもしれないが(え?)
ピアノと譜面台だけの舞台に出て来たグリゴーロ。
まずは舞台の端から端まで
両腕を大きく広げて歩きまわり
投げキッスでのご挨拶。
大いに誇張された演技で
(あ〜、オペラ歌手あるある)
舞台上を自由に動きまくり
時々、譜面台の楽譜を見て
ついでにピアニストの方を向いたり
声量ある艶やかなテノールを聴かせてくれて
拍手が出ると大喜びで
ピアニストに駆け寄って
嫌がるピアニストに手を差し出して握手。
なお、歌った後に汗をかくらしく
両手で自分の顔の左右を拭った上に
時々、観客席に投げキッスした後の手である。
その手で握手したまま
ついでにピアニストの手の甲にキッスして
曲が進むと
更に、ピアニストを掴んだ手でそのまま立たせ
手の甲にキッスしたまま
舞台の前まで連れ出して
自分と一緒に拍手を浴びるように誘導。
これを1曲ごとにやる・・・
ピアニスト困惑 😕
って言うか
嫌がってるんだけど 😆
(一度は立つのを拒否したが
無理やり連れ出された)
途中で
インストルメンタル(この場合はピアノのソロ)が入るのは
歌手の声を休ませるための必要な処置だが
間違えて舞台の袖に引っ込んでしまい
またもやピアニスト困惑。
舞台袖で誰かに言われたらしく
走って登場。
後半になると
ますます、そのアホっぷりに磨きがかかり
どこにインストルメンタルが入るのか
本人もわからなくなって
ピアニストに聞いたり
歌っている途中のピアノの間奏のところで
ピアニストを指して
観客に拍手を要求したり
(ピアニスト、ますます困惑)
アリアの声は実に見事で
発声がしっかりしているんだろうなぁ。
頭蓋骨をしっかり開けるので
髪の毛が後ろに引っ込むのも散見される。
しかも、オーケストラ伴奏ではないので
弱音を見事に使って
ダイナミック・レンジの幅が広い。
私は大音響の高音より
囁くような弱音に惹かれる傾向があるのだが
もともと持っている声の質も良いので
弱音も、きちんとベルカントを維持しながら
しっかり聴かせるのは大したものだ。
いちいちピアニストのところに行って
手を握ったまま立って
自分と一緒に挨拶させるのが続くので
ピアニストも開き直った(笑)
楽譜を見ながらの歌唱だが
時々、舞台で前奏の時に踊ったり
(さすがにオペラの演技に慣れているだけあって
身体の動きは素晴らしい)
楽譜を持って
舞台の端から端まで移動したり
腰を落として
最前列のお客さま(金持ちの年配ばかり)に
媚を売ったり
左右のロジェの方を向いて歌ったり
自由自在
やりたい放題
・・・に、しっかり伴奏を付けるピアニストの凄さ。
後半でも、まだ歌う曲があるのに
引っ込んでしまって
ピアニスト困惑(爆笑)
舞台袖に誰もいなかったらしく
ピアニストが舞台袖を向いて、手を振って
「来い、来い!」と呼んでいた。
出て来たグリゴーロは
自分で頭に指でクルクルして
「ボクちゃん、アホですよね」って
いや、うん、そうだね、アホだね。
最後はプロンプター・ボックスの間際に
片膝ついてお辞儀(プロポーズの格好)
プロンプター・ボックス、誰もいないですけど。
この人、もしかしたら
普段のオペラでも
プロンプターに世話になりっぱなし?
途中で床に落ちた楽譜を
時々、足で蹴っ飛ばしていたのだが
全曲終わった後に
その楽譜を拾って
何故か英語らしきもので
話を始めた。
話す声、全く聞こえません!!!!
ベルカントの歌声との
あまりの違いに愕然。
(ソプラノでもよくあるけれど
テノールでもあるのか。
バリトンやバスは
話し声も美声の人が多いのだが)
ごにゃごにゃ、あまり上手でない(ように聞こえる)
訛りの多い英語だったので
内容はよくわからなかったのだが(私の英語力不足)
18歳の時に初めてオペラ座に来て
ロシア人の何とかさんの云々・・・(意味不明)
で、その拾った楽譜で歌ったのだが
(メロディに聴き覚えはあるけど
無教養なのでよくわからん)
歌い終わった後に
楽譜を引き裂いて
最前列のお客さまに配った・・・けど
その楽譜、ずっと床にあって
しかもグリゴーロが時々、靴で蹴っ飛ばしてたよね。
バイキンが・・・💦
22時を過ぎて
「お腹すいた〜」って振りもしていたし
オペラ座の客席の照明もついたのだが
そこでもう一曲
オーソレミオを歌い出した。
・・・のは良いんだけど
これももう恣意的に歌うので
ピアニストがマジに大変。
しかもサビの前にピアニストのところに行って
歌うのを止めて
ピアニストがゲネラル・パウゼを作って
次のサビの指示を
口の形でグリゴーロにしているのに
別のところを歌い出す有様(ピアニスト本当に大変)
途中で歌を止めて
終わった・・・って振りをするので
あれ?おかしいな、そこで終わるんかい?
と観客困惑。
だけどまぁ、グリゴーロだからそれもあり?と
拍手をしたら
ピアニストを座らせて
最後のサビを歌い出すという・・・
なんかもう、最初から最後まで
カオスでしっちゃかめっちゃかで
やりたい放題のグリゴーロなのであった。
あそこまで徹底して自由にやられてしまうと
それはそれで
ものすごく魅力的ではある。
でも周囲は大変だろうな
こういう人とオトモダチにはなりたくないけれど
舞台で楽しむには
エンターテインメント要素が素晴らしいので
また舞台で
あの奔放なテノールを聴きたくなって来た私に
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]]> チェコフィル + ビシュコフ 2日目 https://happawien.jugem.jp/?eid=4321 2024-03-11T23:30:00+09:00 2024-03-12T10:37:08Z 2024-03-11T14:30:00Z 2024年3月11日 19時30分〜22時
Wiener Konzerthaus - Großer Saal
Tschechische Philharomonie
ピアノ Sir András Schiff
指揮 Semyon Bichkov
Antonín Dvořák (1841-1904)
Karneval. Ouverture op. 92 (1891)
Klavierkonzert g... はっぱ 外来オーケストラ(ヨーロッパ)
Wiener Konzerthaus - Großer Saal
Tschechische Philharomonie
ピアノ Sir András Schiff
指揮 Semyon Bichkov
Antonín Dvořák (1841-1904)
Karneval. Ouverture op. 92 (1891)
Klavierkonzert g-moll, op. 33 (1876)
Symphonie Nr. 9 e-moll op. 95 „Aus der Neuen Welt“
アンコール
Antonín Dvořák: Slawischer Tanz C-Dur op. 46/1
チェコフィルの2日目は大雨・・・
午前中は降っていなかったので
傘を持たずに市内に出てしまい
授業の後に
いったん、自宅に戻らず
そのまま図書館に行ってしまって
図書館で居眠りした後(何やってる😱)
外を見たら・・・大雨。
仕方ないので、ずぶ濡れで行ったコンツェルトハウス。
コートとリュックザックはクロークに預けて
水の滴る髪の毛をティッシュペーパーで拭いて
貧民席に行くワタシ(アホだ)
さて、カーニバル序曲だが
これ、楽友協会でもコンツェルトハウスでも
かなり何回も聴いていて
そのたびに
音が団子になって
高速の暴走になりがちの曲なのだが
チェコフィルとビシュコフ
コンツェルトハウスのデッドな音響を活かして
トゥッティの大音響が団子になっていない(びっくり)
あら、これ、こう演奏すると
エネルギッシュではあるけれど
オーケストラ・パートが聴こえると
かなり面白い曲ではある。
やっぱり曲によっては
コンサート・ホールに合う、合わないがあるから
この曲(とショスタコーヴィッチの交響曲10番)は
楽友協会では演奏して欲しくない。
(ところでこのカーニバル序曲だが
2019年11月30日のウィーン・フィルの定期(楽友協会)で
ヤクブ・フルシャがむちゃくちゃ鳴らして辟易していたら
12月1日の日曜日定期に
マリス・ヤンソンスの訃報が入り
カーニバル序曲は演奏を取りやめた、という思い出がある)
アンドラーシュ・シフは
いつもの通り、良い姿勢で端正なピアノの響き。
だけど
ドボルジャークのピアノ協奏曲って
なんか、めちゃくちゃ地味・・・(すみません)
ピアノの技術はかなり必要だと思うのだが
キラキラで派手派手なピアニズムがなくて
なんというか
伝統的な交響曲、ピアノ付き?って感じ。
で、シフのピアノって
正統的で伝統的で、端正で清潔感があるので
この地味なピアノ協奏曲が
ますます地味に聴こえて来る。
(すみません、悪口でも何でもありません)
・・・おかしいなぁ。
事前に数回 Spotify で聴いて
耳慣れはしている筈なんだけど
私の脳力と体力がなくなっているかも。
アンコールはなし。
後半のドボルジャークの交響曲9番。
ドボルジャークの交響曲好きだけど
9番は演奏回数が多過ぎて・・・
でもチェコフィルとビシュコフの演奏は
メロディが実に美しく流れて快感。
隣のおじいちゃんが
ずっとエア指揮していて
右手を挙げてアインザッツを出したり
膝の上をずっと叩いていて
・・・しかも全部タイミングずれてる(笑)
微笑ましいと言えばそうなんだけど 😆
かなり気が散るのは仕方ない。
アンコールに、またド派手な曲を
ぶち上げたんだけど
これも音響によったら
団子と化しそうなところを
巧く処理していて見事。
ドボルジャークの田舎臭さも
ちゃんと出しながら
モダンなテンポで推進力もあって
オーケストラ巧いし
雨でずぶ濡れになっても
行って良かった(笑)
帰りも大雨で傘なし状態だったが
信号待ちのところで
隣に立った上品な年配のご婦人が
傘に入れてくれたのが
すご〜く嬉しかった単純な私に
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ところで、チェコフィルのフルート首席が
X(旧ツィッター)で有名な
笛僧🇨🇿佐藤直紀@fuesou さん。
今回は新しいフルートでの演奏(とX(旧ツィッター))に
記載があったけれど
素晴らしいソロを何回も聴かせて頂いて
あ〜、やっぱりプロの音楽家って凄いなぁ、と
感服していた次第。
ちなみにフォロー返しは頂いていないので
ここに何を書こうが、お世辞でも何でもありません、念の為。
(フォローバックして欲しくないのが本音(笑))]]> チェコフィル + ビシュコフ 1日目 https://happawien.jugem.jp/?eid=4320 2024-03-10T23:30:00+09:00 2024-03-11T12:39:52Z 2024-03-10T14:30:00Z 日曜日のダブル・コンサートです。
下は夜の個人メモ。
2024年3月10日 19時30分〜21時40分
Wiener Konzerthaus - Großer Saal
Tschechische Philharmonie
バイオリン Augustin Hadelich
指揮 Semyon Bychkov
Antonín Dvořák (184... はっぱ 外来オーケストラ(ヨーロッパ)
下は夜の個人メモ。
2024年3月10日 19時30分〜21時40分
Wiener Konzerthaus - Großer Saal
Tschechische Philharmonie
バイオリン Augustin Hadelich
指揮 Semyon Bychkov
Antonín Dvořák (1841-1904)
Konzertouverture „In der Natur“ op. 91 (1891)
Violinkonzert a-moll, op. 53 (1879-82)
アンコール
Carlos Gardel: Por una cabeza
(Bearbeitung für Violine Solo: Augustin Hadelich)
Antonín Dvořák
Symphobie Nr. 8 G-Dur op. 88 (1889)
隣の国のチェコフィルの客演が
本日と明日、オール・ドボルジャーク・プログラム。
コンツェルトハウスは満杯で
舞台の向こうのオルガン前の席まで入っている。
チェコフィルが人気なのか
観光客が多いのかは定かではない。
コンサート用序曲「自然の中に」は初めて聴く。
夏の夕暮れの情景だそうだが
ヨーロッパの伝統に基づいた
小鳥の囀りが、長3度だったり短3度だったり
あ〜、3度だ、と思っていたら
4度が出て来たりして面白いのと
途中で、鳥が地面近くに降りて来て
天候が変わって急に風を伴う嵐になるところは
ベートーベンの交響曲6番を思い起こさせて微笑ましい。
そうなんですよね
あの、突然の嵐ってヨーロッパあるあるで
オーストリアでもチェコでもあったんだなぁ。
(もともとチェコはハプスブルク領だった、とか
ここで言い出すとチェコ人の反感を買う(笑))
さて、ドボルジャークのバイオリン協奏曲。
なんだか非常に珍しい曲ではないだろうか?
ドヴォコンと言ったらチェロ協奏曲じゃないのか?
ドボルジャークは当時のバイオリンの名手
ヨゼフ・ヨアヒムのために作曲したそうだが
ブラームスのバイオリン協奏曲と同じ
技術的な難しさたっぷりの曲なのに
技巧的に派手に聴こえない、と言うので
ヨアヒムは初演してくれなくて
ヨアヒムの希望通りにバイオリン・パートも
オーケストラ・パートも書き換えて
それでもヨアヒムの初演ではなく
他のプラハのバイオリニストが初演したらしい。
さて、最近何故かよくお目にかかる
アウグスティン・ハデリッヒ。
絶賛売り出し中かな、と思って
あ、また来た、と
何も考えずに聴いていたら
なにこの人 😱
むちゃくちゃ巧いじゃん・・・
このところバイオリン協奏曲を
聴く機会が多かったのだが
もちろんホールの音響や曲の選択もあるけれど
ハデリッヒのバイオリンの音が・・・スゴイ。
何がスゴイかと言うと
音がものすごく清潔で澄み切っていて
音量を無理やり出していないのに
ホールにイヤミなく響き渡るのだ。
素直というか
清潔感あふれていて
雑念とか野心とか
オレ様とか
頑張ろうとか
力任せの意気込みとか
ま〜ったくないバイオリンの音・・・
なんですかこの人
もしかして禅寺にでも閉じこもって
厳しい修行をして
野心とかから完全に自由になって
悟りを開いたのか
あるいは
もともと才能に恵まれた上で
理解ある家庭と良い師に恵まれて
スクスク育って来た品の良さなのか
何故に、そんな悩みのない
力みのない美しい音がバイオリンから出るのか
世界の三大不思議のような気がする。
技術的には飛び抜けていて
(いや、バイオリンの技術なんて
私は一切知らないから偉そうな事は言えないけど)
世界の舞台で活躍するバイオリニストは
みんな技術的には人間技ではないのだが
それを超えたところの
音色の美しさ・・・って言うか
音量むちゃくちゃあるようには聴こえて来ないのに
何故に、あんなにオーケストラの壁を
楽々越えて、貧民席の聴衆の天井桟敷まで
むちゃくちゃ美しい音が届いてしまうわけ?
アンコールの曲が
ダブル・ボーゲンとトリプル・ボーゲンを
ふんだんに使った
親しみやすいメロディの曲で
なんだこの超絶技巧
(しかも「超絶」に聴こえないという奇跡)
後でお知らせが来て
バイオリニスト自身による編曲だそうで
その盛り盛りサービス精神にも感服。
後半はドボルジャークの
交響曲8番。
この曲、明るくて好き(単純人間)
自然と太陽を感じるような
鳥の声も聴こえてくるし
広大な大地の空気も感じる。
ドボルジャークって
時々、すごく土臭い(まぁ、田舎?ですね(笑))
自分はアメリカまで行って
国際的に活躍した人なんだけど
最後の部分が土着、という印象。
もちろん、意識してやっているのかもしれないけど。
チェコフィルの柔らかな音が
ドボルジャークにとても合っている。
ビシュコフの指揮にもイヤミがなくて
あくまでも非常に率直に
音楽の意図を伝えてくるのが気持ち良い。
もちろんホールの音響の違いもあるけれど
ゲヴァントハウスが、とても「強かった」のが
目立っているのに対し
チェコフィルは、強いのは確かなんだけど
それを表立って出して来ない
賢さ、というか
他国の支配を長く受けていた小国(ごめん!)の
ある意味、狡猾さと言って良いのか
面白い音色を出すオーケストラだと思う。
X (旧ツィッター)でフォローしている
フルーティストの方が
ご自分のフルートについてXで書いていらしたが
とても澄んだ素晴らしいソロで感服しました。
(フォロバはされていないので
ここで書いてもお世辞にはなりません、念の為)
オーケストラもアンコールで
ブラームスのハンガリー舞曲を演奏したようだが
コンツェルトハウスのクローク(預ける義務あり、有料)は
コンサートの後はむちゃくちゃ混むので
アンコールの前にさっさと出て来てしまったが
チャイコフスキーとドボルジャークのダブルで
結構、お腹一杯の満足感が強かった私に
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Musikverein - Großer Saal
Gewandhausorchester Leipzig
指揮 Andris Nelsons
Peter Iljitsch Tschaikowskij (1840-1893)
Der Wojewode. Symphonische Ballade, op. posth. 78
Hamlet. Fantasie-Ouvertü... はっぱ 外来オーケストラ(ヨーロッパ)
Musikverein - Großer Saal
Gewandhausorchester Leipzig
指揮 Andris Nelsons
Peter Iljitsch Tschaikowskij (1840-1893)
Der Wojewode. Symphonische Ballade, op. posth. 78
Hamlet. Fantasie-Ouvertüre, op. 67
Symphonie Nr. 6 h-Moll, op. 74 „Pathétique“
ネルソンスとゲヴァントハウスの2回目。
今日もオール・チャイコフスキー。
昨日の5番では
あまりに感情的すぎる表現に
ちょっとゲンナリしていたのだが
考えてみれば
曲の表現から
作曲家の隠された心理とか
隠された私生活とかを暴いて来た
音楽学者って、結構、過去に居るし
(さすがに現在の音楽学では
推測でしかないものは
非学問的と言われるようになったけど)
再現する表現者が
色々と推測して妄想を逞しくして
曲に隠された作曲家の深層心理を暴く
・・・というのは
プレイヤーとしては、やってみたいんじゃないだろうか。
あ〜、うん、わかるけど
リュッケルトの
Blicke mir nicht in die Lieder とか
バルトークの
青髭公の城とか
(ワタクシ的にはユーディットは即離婚案件)
そちら方向に共感をおぼえるのだワタシは。
まぁ、それはともかくとして
本日はチャイコフスキーの小作品を前半で2曲。
最初が交響的バラード「地方長官」
聴いた事がない、ごめんなさい。
急いでプログラムに記載されているストーリーだけ読んだ。
このオーケストラ
弦のしなやかな力強さが素晴らしい。
はっきり、くっきりと情景の浮かぶバラード。
しかしストーリーがスゴイな。
妻が浮気して、浮気発見の場で
間男を殺せと下男に命じたら
下男の撃った鉄砲の弾が自分に当たって死んじゃった
・・・って何なんですかこれは。
こういうのがロシアか(違!) よくわからん国だ。
ハムレットは
エイフマンか他の作品かは記憶にないが
バレエで何ヶ所か使われていたので聴き覚えはある。
作曲家自身のストーリーではなくて
土台になった物語(おとぎ話だ!)があると
私もそこそこ冷静に聴けるし
ドラマチックではあるけれど
昨日のようなズブズブは感じられなかった。
ネルソンスはともかく細かい部分まで
丁寧に丁寧に紡いで行くし
それに応えるオーケストラも巧い。
後半がチャイコフスキーの交響曲6番「悲愴」
またまた、ゆっくりのテンポで始めたので
昨日みたいな、重たくて長い演奏になるかと思ったが
途中で多少テンポアップして
大袈裟な泣き喚きになる一歩手前で止めた感じがする。
昨日の5番のように
途中で止まるか、と思うほどのテンポとピアニッシモ
というのもなくなって
ある意味、非常に伝統的で正統的な悲愴に聴こえる。
まぁ、あの曲って
もともと楽譜に書いてある事を全部やれば
悲愴になるので
それ以上、やり過ぎると
感情的を通り越して
パロディのギャグになってしまう危険性はあると思う。
第1楽章後に拍手する人が居て
(超貧民席の私の周囲にも何人か
すご〜いカジュアルな服装(察して下さい)の
若い男の子たちが拍手してた)
周囲から顰蹙をかっていた。
第2楽章の5拍子のワルツだけど
認識バイアス(ゲヴァントハウスは商人、ブルジョワ階級のオケ)とか
思い込み(プロイセンだしプロテスタントの勤勉なオケ)とか
あるのは承知の上だが
昨日の5番のワルツでも思ったけれど
なんか、優雅さがないというか・・・
綺麗に演奏しているけれど
貴族階級の倦怠感とかノーブルさには欠ける、ような気がする。
ネルソンスは、前半の曲でも
後半の交響曲でも
曲ごと、あるいは、1楽章ごとに
終わると、ず〜っと固まってる。
第3楽章も、本当に「いつもの」テンポ設定で
推進力たっぷり、迫力たっぷり(オーケストラ巧い!)
こういう「行進曲」的なものになると
何故か非常にイキイキと聴こえて来るのは
私の先入観と偏見のなせる技かもしれない。
第1楽章の後の拍手のフライングで懲りたのか
第3楽章の拍手のフライングはなし。
ただし、楽章間での咳込みや
小声でのお喋りは多く
(ネルソンスは会場が静かになるまで演奏を開始しない)
お喋りの隙を与えず
(かと言って、アタッカではない)
第3楽章の後の、指揮者の不動の固まりも短く
最終楽章に突入。
ただ、それまで
かなりエネルギッシュに演奏していただけに
最後の嘆きが
昨日と比べても、大袈裟感が少なくて
泣き節も少なくて
なんだかエネルギー切れ・・・
私の集中力が切れた可能性もあるが(すみません)
昨日ほど感情的に恥も外聞もなく
泣き喚きを繰り広げるんだったら
この最終楽章でもやったら良かったのに
何故か中途半端に冷静な演奏だったという印象。
でもオーケストラの優秀さは
しっかり伝わって来たし
この曲で、これ以上やったら
本当にゲンナリになるかもしれないので
その意味では
夜のコンサートに行くのに
私にも余力が残る演奏で助かった。
国立図書館でコーヒー飲みながら
ここ数日の怒涛の更新をした後
ウキウキとコンツェルトハウスに向かった私に
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]]> ゲヴァントハウス・ライプチヒ管弦楽団 + ネルソンス 1日目 https://happawien.jugem.jp/?eid=4317 2024-03-09T23:30:00+09:00 2024-03-10T17:50:00Z 2024-03-09T14:30:00Z 2024年3月9日 19時30分〜21時40分
Musikverein - Großer Saal
Gewandhausorchester Leipzig
指揮 Andris Nelsons
バイオリン Leonidas Kavakos
Peter Iljitsch Tschaikowskij (1840-1893)
Konzert für Violine und Orchester D-Dur, op. 35
Sym... はっぱ 外来オーケストラ(ヨーロッパ)
Musikverein - Großer Saal
Gewandhausorchester Leipzig
指揮 Andris Nelsons
バイオリン Leonidas Kavakos
Peter Iljitsch Tschaikowskij (1840-1893)
Konzert für Violine und Orchester D-Dur, op. 35
Symphonie Nr. 5 e-Moll, op. 64
ライプチヒ・ゲヴァントハウス・オーケストラが
カペルマイスターのネルソンスと楽友協会への客演。
2008年に、キャー可愛い😍と、みんなのハートを
鷲掴みにしたネルソンスも今や45歳の中堅になった。
まぁ、この指揮者はデビュー後の変貌が
割りにあっという間で
その後はそんなに印象が変わらないんだけど(笑)
レオニーダス・カヴァコスとの
チャイコフスキーのバイオリン協奏曲。
オーケストラの音色がちょっと重い感じで
くすみがかった銀色のイメージに
カヴァコスの
相変わらず鉄壁の技術に裏打ちされて
同じような音色でのバイオリンが絡まる。
すごい、これ、音色合わせてるの?
・・・ってそんなはずないのだけれど
オーケストラの音色とバイオリンの音色の
統一感がすごくて
違和感なく溶け込んで聴こえるし
もちろん、ちゃんとバイオリンの主張もあるけれど
それがイヤミやオレ様になっていない。
この上なく美しい第2楽章の後の
最終楽章のテンポが
人間技じゃないって程の快速で
オセオセのバリバリのクリアさの推進力。
カヴァコスはオシャレなビロードの
紺色がかった上着で登場して
すっかり普通のソリストっぽい衣装になった(笑)
さて、後半のチャイコフスキーの交響曲5番。
ある意味、凄かったです。
テンポの遅いこと、遅いこと。
重心が下にあって、ともかく重い。
表現が大袈裟って言うか
思い入れたっぷりで
ダイナミック・レンジも広くて
絵芝居というか歌舞伎というか
酒に酔っ払って
身も蓋もなく
泣き喚いて
周囲を巻き込んで大騒ぎして
本人(この場合は作曲家か)は
カタルシスで気持ち良いのかもしれない。
・・・けど
プログラムには
チャイコフスキー自身が
駄作じゃないか、やり過ぎじゃないか
と、時々落ち込んでいた、とあったので
会社の無礼講パーティで
飲み過ぎて
泣き叫んで
上司と同僚に絡んで
次の日に出社する時の恥ずかしさ
みたいな感情を
この曲のこの演奏を聴いていると
感じるワタシは
どうせ、音楽性も感受性もありません(開き直り)
周囲の空気を読んで
感情を出すのは抑えて
冷静に論理的にアプローチするのが
大人の社会
(出来ない人が多いのは知ってる(笑))
という環境に居たので
なんかこの音楽を聴いてると
恥ずかしいのだ、ごめんなさい。
第2楽章の遅いテンポでの
ホルンの最初のソロが辛そうで・・・
いや、よくやった、お疲れさまです 🙏
(個人メモを書くのが遅れていて
やっぱり1日経っちゃうと印象がボケて来るので
本日はこれ以上は書けません)
明日は「悲愴」の演奏なので
こういう感情任せのすごい演奏をするのか
と思うと
ちょっとコワイ私に
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]]> ブルックナー・オーケストラ・リンツ + マレフ・ヤノフスキ https://happawien.jugem.jp/?eid=4318 2024-03-08T23:30:00+09:00 2024-03-10T17:46:45Z 2024-03-08T14:30:00Z 2024年3月8日 19時30分〜21時
Musikverein - Großer Saal
Bruckner Orchester Linz
指揮 Marek Janowski
Anton Bruckner (1824-1896)
Sinfonie Nr. 5 B-Dur WAB 105 (1875-76; rev. 1877/78)
ブルックナーの名前を冠した
リンツのオーケストラは
今... はっぱ オーストリアの他のオーケストラ
Musikverein - Großer Saal
Bruckner Orchester Linz
指揮 Marek Janowski
Anton Bruckner (1824-1896)
Sinfonie Nr. 5 B-Dur WAB 105 (1875-76; rev. 1877/78)
ブルックナーの名前を冠した
リンツのオーケストラは
今回は85歳のマレク・ヤノフスキを指揮者に迎え
ブルックナーの交響曲5番のオリジナル演奏。
ブルックナー自身は
1894年4月9日に
グラーツで
フランツ・シャルクの指揮で行われた
この交響曲の初演には
健康上の理由で立ち会っていないので
実際にブルックナー自身が
楽譜が音楽になるのを聴く機会はなかった。
ただ、シャルクはブルックナーの楽譜に
大いに手を入れて
(短くしたり勝手に声部を足したり引いたり)
最初の印刷も
シャルクの手の入った楽譜になってしまったらしい。
(プログラム記載による。
ブルックナーの楽譜の版については
あまりにあり過ぎて
それを研究している学者も数多く居る)
今回はブルックナーのオリジナル楽譜による演奏。
実はこのメモを書いている時点で
既に数日を経過しているので
細かい事は書けないが
(まさか評論家のように
演奏途中でメモ取れないしなぁ・・・)
圧倒的な演奏だった、という
強い印象が残っている。
というか、長いんですよ、この曲(笑)
長いというより、しつこい(爆笑)
でも、そのしつこさがクセになる 😅
ブルックナーの内的宇宙に
否が応でも巻き込まれてしまう感じ?
ブルックナー・オーケストラ
オーケストラの名前に負けず
さすがにブルックナーを演奏させると
むちゃくちゃ巧い。
ブルックナーで重要な金管軍団(笑)が
ともかく素晴らしい。
厚みのある深い音響構築なのに
透明さを失わず
ちゃんとストラクチャー(コントラプンクト)を
しっかり刻み出して来る。
で、ともかく長い。
ともかくしつこい。
・・・でも、それが良いの ❤️
時間の経過が
コンサート・ホールの中だけ
違っているような不思議な感覚。
ブルックナーの曲って
意外に親しみやすいメロディに溢れているし
繰り返しは似たようでいて
楽器の構成(=音色)が全部違うし
こういう細かいところでの展開と
交響曲の構成の素晴らしさと
コントラプンクトの扱い方の見事さに唸る。
ところでこの間
マーラー・ファンと
ブルックナー・ファンは相容れない
という話を友人としていたんだけど
確かにマーラーの音楽は
伝統に基づいているというよりは
ヘンに革新的で前向きで
突然、ヘンテコになっちゃうのだが
ブルックナーは
伝統バンザイ、コントラプンクト万歳
カトリックの神さま大好き
教会音楽大ファン・・・て印象ではある。
(だから、和声とかメロディで言うなら
ヘンテコなマーラーより
ブルックナーの方がトラディショナルで美しい)
音楽性も感受性もないし
来るもの拒まず、去るもの追わずのワタシは
音楽に関しても
あまり食わず嫌いがなくて(全然ない、とは言わない)
ブルックナーの陶酔感も好きだし
マーラーの無限の宇宙も大好物である。
いや〜、でも久し振りに
伝統的、正統的なブルックナーに酔ったって感じ。
このオーケストラの首席指揮者の
ポッシュナーのブルックナーも好きなので
本当はリンツまで行きたいような気もするが
夜のカレンダーが隙なく埋まっている、という
アホなワタシに
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Wiener Staatsoper
Alexander Raskatov
ANIMAL FARM
Text: Ian Burton & Alexander Raskov
nach George Orwell
Oper in zwei Akten, neun Szenen & einem Epilog
指揮 Alexander Soddy
演出 Damiano Michielett... はっぱ ウィーン国立オペラ座
Alexander Raskatov
ANIMAL FARM
Text: Ian Burton & Alexander Raskov
nach George Orwell
Oper in zwei Akten, neun Szenen & einem Epilog
指揮 Alexander Soddy
演出 Damiano Michieletto
舞台 Paolo Fantin
衣装 Klaus Bruns
照明 Alessandro Carletti
振付 Thomas Wilhelm
ドラマツルギー Wout van Tongeren, Luc Joosten
コーラス指導 Martin Schebesta & Davorin Mori
メージャー爺さん Gennady Bezzubenkov
ナポレオン Wolfgang Bankl
スノーボール Michael Gniffke
スクィーラー Andrei Popov
ボクサー Stefan Astakhov
ベンジャミン/若い俳優 Karl Laquit
ミニムス Artem Krutko
クローバー Margaret Plummer
ミュリエル Isabel Signoret
ブラッキー Elena Vassilieva
モリー Holly Black
ミスター・ジョーンズ Daniel Jenz
ミセス・ジョーンズ Aurora Marthens
ピルキントン Clemens Unterreiner
コーラスのソロ
Zechan Bahk, Michael Mensah,
Siegmar Aigner, Benedikt Berndonner
Orchester der Wiener Staatsoper
Projektchor Animal Farm & Chorakademie der Wiener Staatsoper
Jugendchor der Opernschule der Wiener Staatsoper
Kompaserie der Wiener Staatsoper
Co-Production/Co-commission of
Dutch National Opera, Amsterdam
Wiener Staatsoper
Theatro Massimo Palermo
Finnish National Opera & Ballet, Helsinki
国立オペラ座の新プロダクション、アニマル・ファーム。
シーズン開始前には
一部の好事家用のゲテモノだろう、と
巷で囁かれていたのに
ゲネプロの前あたりから
「ものすごく良いらしい」という噂があって
初演後は
行った人がみんな「素晴らしい」と
声を揃えて言っている不思議なプログラム。
この日しか空いてないし
2ヶ月前の発売日は
どうせガラガラで直前に割引が出るかも
と思っていたら大変な事になっていた。
そういう時には
1日前の立見席狙いなのだが
とある事情で立見席争奪戦に参加できないので
普段、ぜ〜ったい(強調)買わない
お高〜い(強調)席を買って行って来た。
結論:行って良かった 😅
作曲家アレクサンドル・ラスターコフは71歳。
ロシアの作曲家だが、現在はドイツ在住。
プログラム解説によれば
これまでもソビエト連邦政府に対する
批判的な作品を書いていたらしい。
ジョージ・オーウェルの「動物農場」は
モロにスターリン時代の話だから
非常にわかりやすいストーリー。
演出も歌手もオーケストラも抜群だが
鑑賞した人が全員、口を揃えて言ったのは
音楽が素晴らしい 😀
いわゆる「現代音楽」で
このコメントを「全員」から聞くのも珍しい。
無調・・・ではあるのだが
各登場人物(と言うか「動物」か(笑))の
動物としての特色(鳴き声など)と
物語の中でのキャラクターが
音楽の中に無理なく、しっかり表現されていて
いや、すごい
これ聴いてると
登場人物(登場動物)のキャラが音楽だけでもわかる。
舞台とマスクも素晴らしい。
最初はマスクで登場する動物たちは
叛逆が成功してジョーンズを追放した後に
マスクを取っていって
スノーボール殺害後の後半では
マスクは付けていないのに
キャラクターのイメージがそのまま残るのはすごい。
太々しいナポレオンのバンクルは
役にピッタリだし
スクィーラーの甲高いファルセットでの
メリスマたっぷりのお追従の歌唱は
背筋が凍るほどにリアル。
モリーの色っぽさの振付には
ああいう色っぽい女が嫌いな私には
虫唾が走る素晴らしさだし
クローバーやミュリエルも良いけれど
アヒルの合唱や鶏が
むちゃくちゃキュート。
(最初はデコイを持って登場するが
後半では女子学生の制服で勢揃いする。
それでもアヒルに見えるし
スターリンに追従する子供の集団にも見える)
1年前のアムステルダムでの初演時の
メイキング画像があるので貼って置く。
最初の5分はメイクと舞台。
2つ目は曲そのものについて
作曲家が語っている。
VIDEO
VIDEO
いやこれ、もう1回観たい・・・
けど、3月10日の最終公演の日には
チェコフィルが・・・
ちなみにセリフは英語。
手元のディスプレイをドイツ語にすると
混乱するので
英語にして見ていたのだが
歌うの大変なんだろうな・・・
英語? え〜っと、むにゃむにゃ
と言う状態だったので
(歌手は素晴らしい。
ディクションは改善の余地はあるとは言え
あれ以上は無理だろう)
手元のディスプレイは英語を強くお勧めする。
日本語のディスプレイはない。
アイロニーと残虐さと
コミカルなところが重なって
おとぎ話的な現実感のなさが
だんだん異様にリアルになっていく。
スターリン時代を皮肉ったストーリーではあるけれど
ある意味、現代に通じるところがある。
と言うより
人間って、こういうシチュエーションになると
(フランス革命しかり、ロシアの帝国崩御しかり)
権力を欲する独裁者を許してしまう、というのが
自然な社会学的方向性なのかもしれない・・・
では、それを防ぐには
どうしたら良いのか・・・と考え出すと
憲法の存在意義の微妙な話になってくるので
それは日本国民(私を含む)各自が
考える課題だなぁ、と
改めて深く思った私に
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政治について書くつもりは一切ないが
政治について語るのは、イケナイ子供、と言う
不思議な教育土台の上で育った
我々のようなジェネレーションの後に
同じような繰り返しのない事を祈る。
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