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ウィーン・アクショニスム

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    オットー・ミュールについては
    エッセル美術館だけではなく、ウィーンのレオポルド美術館でも
    10月まで展示が行われている。

    これも行って来ないと、本来はこんな記事は書けないし
    第一、ウィーン・アクショニストについて
    美術もド素人の私が書いたら恥さらしなのだが・・・

    でも、ウンチク好きなの (゜゜☆\(--メ)ポカッ

    ウィーン・アクショニスムは
    現代芸術史の中で、唯一、オーストリアから発生した重要な一派として
    必ず名を挙げられる芸術運動で

      ヘルマン・ニッチュ (*1938)
      ギュンター・ブルス (*1938)
      オットー・ミュール (*1925)
      ルドルフ・シュヴァルツコーグラー (1940-1969)

    の4人をウィーン・アクショニストと呼ぶ。

    現代芸術史を齧ると、必ずこの4人についての言及はあるし
    ニッチュの絵は高額な値で取引されるし
    OM シアターのパーフォーマンスの記録も残っているし
    ウィーンから車で約1時間の距離にある都市ミステルバッハには
    ヘルマン・ニッチュ美術館もある。

    ニッチュが有名になったのは、獣を引き裂いて、その内臓や血を浴び
    その血で絵を書いたりするパーフォーマンスで
    これは、かなり厳密な規則に則って行われるのだそうだが

    こういうのを見ると

      あああ、やっぱり、この人たち、肉食民族なんだわ・・・

    (実際にその模様を見たい方は
     Youtube で Hermann Nitsch で探すとヒットする。
     ただし、観た後、気持ち悪くなっても、当方は一切関知しないので悪しからず)

    動物を切り裂いて云々というのは
    フランシス・ベーコン (1909-1992) なども、かなり執着していたようだが
    狩猟民族の中に延々と続く、抜き難い伝統なのかもしれない。

    血と臓物と、神秘的な世界観(と思われるもの)で世界的に名を挙げたニッチュに対し
    自己破壊の衝動から、自分自身の肉体を傷つけるパーフォーマンスに向かったのが
    ギュンター・ブルスである。

    彼が行った「作品」(?)のビデオや写真など
    事前情報なしに観たら、たぶん、気分が悪くなると思う。

       事前情報があっても、気分悪くなるが(爆)

    もっとも
    ヴァリー・エクスポートと一緒にやったプロジェクトで
    「犬の生活」という一連の写真があって
    これは、実はワタクシも、ちょっとやってみたいかも・・・
      (おっと、ヘ●タイなのがばれちゃった?! f(^^;))

     ご存知の方も多いだろうが
     ブルスが犬の首輪をして、ヴァリー・エクスポートに引き綱をつけられて
     ケルントナー通りを四つん這いで歩く、という一連の写真である。

    う●こしながら、街の中を歩くとかいうのは
    さすがに警察に捕まったそうだが、それも「アート・パーフォーマンス」なのだそうだ。

    オットー・ミュールだが
    この人も、様々に過激な事をしたか、というと
    獣の血や臓物ではなく
    自傷行為でもなく

    若い女性を集めて、セッ●ス・コミューンを作ったのだ。

    芸術家をセンセイと崇める美しい若い女性と、やりたい放題やって
    それだけなら、まぁ、成人の自由意思によるものなのだが
    どうも、その中に、未成年の娘とか連れて加入した人がいるらしく
    ついでに、その娘までやっちまった・・・ という事は
    未成年に対する性的虐待に当たるわけで
    これも、警察の手入れが入って、逮捕されてコミューンは解散。

    29歳で死んでしまったシュヴァルツコーグラーの直接の死因は
    自分の住居からの飛び降りなのだが
    これも、一部の報道では
    アート・パーフォーマンスとして、自分のナニをちょん切って
    窓から飛び降り自殺したとか
    ともかく、事故なのか、自殺なのか
    アートと思って、何かやったら間違っちゃったのか
    いまだによくわからん、という謎の死なのだ。

    現代芸術を論じる際に、いつも争点になるのは

       何が芸術で、どこまでが芸術で、果たしてそれは芸術なのか

    この間のセセッション騒ぎだって ( ここ を参照のこと)
    セックスは芸術だ、とか、ワケのわからない「理由付け」があった。

    現代芸術全般について言えば、縛りがなくなって久しい。
    現代音楽についてだって、雑音=音楽という図式もアリだ。

    「男女のアノ時の声をテープに撮って、
     これが音楽だ、と言っても良いんじゃないか」

    と昔、ブログに書いた事があるが
    わっはっは、似たような事はとっくにリゲティがやってる(笑)
      (いや〜、最初に聴いた時には、ひっくり返りました。笑えるけど)

    パーフォーマンス・アートの発端になったという意味では
    ウィーン・アクショニスムというのは、それなりの意義がある

    ・・・とは思うけれど

    肉食民族が長く食生活のために行ってきた「血と臓物」をパーフォーマンスでぶちまけ
    自分の肉体をパーフォーマンスの土台として
    (ボディ・ペインティングなんて、そんなヤワなもんじゃなくて)
    肉体を貶め、自傷行為に排泄行為を公然と公衆の前で行って
    あるいは、セッ●スやりまくりの共同体を「芸術」と銘打って

    その破壊衝動には、感心する、というより
    もう、目を剥いて、はぁ、とため息をついてから
    そっと目を背ける以外に、私は反応できない。

    でも、周囲の顰蹙を買いながら
    それを、芸術だと確信して、逮捕されても「やった」という勇気には脱帽する。


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      • 2019.12.07 Saturday
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