<< ピーターパン @ フォルクス・オーパー(プレミエ) | main | ウィーン交響楽団 + ニコライ・ツェッブス=ズナイダー >>

ウィーン・フィル + フランツ・ヴェルザー=メスト

0
    Wiener Konzerthaus Großer Saal 2019年5月11日 15時30分〜17時30分
    Wiener Konzerthaus Großer Saal 2019年5月12日 11時〜13時

    Wiener Philharmoniker
    Wiener Singverein (Einstudierung Johannes Prinz)
    Wiener Singakademie (Einstudierung Heinz Ferlesch)
    Wiener Sängerknaben (Einstudierung Jimmy Chiang)
    Sopran (Magna Peccatrix) Erin Wall
    Sopran (Una poenitentium) Emily Magee
    Sopran (Mater gloriosa) Regula Mühlemann
    Alt (Mulier Samaritana) Wiebke Lehmkuhl
    Alt (Mater Aegyptiaca) Jennifer Johnston
    Tenor (Doctor Marianus) Giorgio Berrugi
    Bariton (Pater ecstaticus) Peter Mattei
    Bass (Pater profundus) Georg Zeppenfeld
    指揮 Franz Welser-Möst

    Gustav Mahler (1860-1911)
     Symphonie Nr. 8 Es-Dur (1906-1907)
      in zwei Sätzen für großes Orchester, acht Solisten,
      zwei gemischte Chöre und Knabenchor
     I. Teil. Hymnus: Veni, creator spiritus
     II. Teil. Schlussszene aus „Faust“

    土曜日と日曜日、2回聴きに行った
    ウィーン・フィルとフランツ・ヴェルザー=メストの
    マーラー、交響曲8番。

    滅多に演奏される曲じゃないし
    私もナマで聴いたのは
    大昔のコンツェルトハウスのウィーン交響楽団とルイージの時と
    楽友協会で、ベルリン・シュターツカペレが
    ブーレーズとバレンボイムでマーラー全交響曲を演奏した時だけだ。

    ご存知の通り、巨大な曲ではある。
    音楽的にも巨大だし、オーケストラ編成もコーラスもソリストも
    あのコンツェルトハウス大ホールの大きな舞台が
    端の方までキチキチの満杯で
    オルガン・バルコンには、舞台に乗り切れなかったコーラスと
    ソリストと、もちろんオルガニストが鎮座している。

    なのに・・・
    何だか、全然、心に触れて来なかったのは
    私が現在、精神的に参っているという理由が大きいのだろうが
    (何故だかは聞かないで下さい)
    でも正直言って
    上っ面だけの空回りの熱情というか
    フランツ・ヴェルザー=メストの「熱」みたいなものが
    何にも伝わって来ない。

    もちろん、徹底的に主観的な感想なので
    批評家は、たぶん、大賞賛を惜しみなく書くのだろうが
    何とも冷たい感じの不思議な演奏で
    マーラーって、こんなに聴衆と距離感あったっけ?と
    唖然としているような状態で。

    だから、それはこちらの体調とか精神状態によるものが大きい。
    それはわかっているけれど
    それも含めて主観的に書くために、このサイトを持っているので
    主観的印象に関してのコメントはご勘弁下さい。

    楽友協会とは違って
    音響がデッドなコンツェルトハウスだが
    20世紀以降の大規模オーケストラの音響には向いている筈で
    確かに、あの編成の大規模な曲は
    コンツェルトハウスの大ホールにはピッタリで
    どんな大音響(最後のところとか)でも
    ホールの音響そのものは、濁りもせず
    見事に大音響を捕まえて聴衆のところまで
    ダイレクトに運んで来てくれて

    おおお、すごい音量・・・
    とは思うんだけど

    それって、マイク一杯のロックのコンサートに行った時のような
    ただ音量の大きさに圧倒された、という感じと
    あまり違わないような気がする。

    曲そのものの持っている熱量はスゴイものがあるので
    メストがいくら冷徹に演奏しても
    そこから漏れてくるものはあるのだが
    それ以上のメッセージ性があったかと言うと・・・
    まぁ、メッセージを受けるだけの精神力のない私が悪い。

    第一部は速めのテンポでガンガン押した感じ。
    ソリストの声はそこそこ飛んでくる。
    コーラスは、さすがの大人数だが
    ちゃんと揃って
    土曜日にはちょっと音程落ちかけた部分もあったけれど
    日曜日には、きちんと聴かせてくれた。

    私の受容能力不足ではあるのだが
    でも、あの輝かしい賛歌が、上滑りしている感じが否めない。
    フォルテとピアノの音量の格差を大幅に作れば
    それで良い、というものでもないかと思うのだが
    もっとも、それ言ったら
    何を持って「感動的な音楽」と言えるのか、という
    音楽学的、心理学的、社会学的、哲学的エトセトラの問題まで
    派生してしまうので
    私には、そこまで深く掘り下げる気はない。

    ファウスト博士の最終シーンの
    マッテイとツァッペンフェルトの2人のバリトンが素晴らしい。
    ドイツ語はクリアだし
    張り上げているという印象が全くない状態で
    天井桟敷まで、くっきりと響いてくる。

    女声陣はちょっと弱い。
    後半のソプラノのビブラートが多過ぎた印象があるし
    テノールも「張り上げ」的なところがあって
    声が飛んで来ていない。
    (まぁ、あの曲で声を飛ばせ、というのも
     超人でない限りは無理だと思うのだが)

    それを考えると
    マーラーの交響曲8番って
    本当に難しいんだなぁ、とつくづく思う。
    上滑りになってもダメ
    かと言って熱情的にやればそれで良い、というものでもなさそう。

    座席にゆったり座って
    聴いている方は、好き勝手な事を考えていれば良いのだが
    あの大曲を、舞台でミスのないよう
    大人数がズレないよう、演奏した方は大変だったと思う。

    というより
    マーラーって、何故にこんな(失礼)曲を
    交響曲として作曲しちゃったんだろ?

    交響曲の楽章構成のモデルも破っているし
    (まぁ、その前から、交響曲モデルの破壊はあったにせよ)
    ソナタ形式とか、はなから無視だし
    第一、後半のファウスト博士って
    オペラのコンサート式上演とどこが違うんだろう。

    とか考え出したら
    ますますわからなくなって
    混乱して来た私に
    どうぞ1クリックをお恵み下さい。



    日曜日のコンサートは
    オーストリア国営放送ラジオ1番で
    ライブ中継(1週間は後聴き可)していて
    takt1ではライブの後もビデオ・オン・デマンドで配信。

    takt1 がヴェルザー=メストのインタビューを
    1分、Youtube にアップしているが
    こんなに冷たい反応をする指揮者って
    私は他には知らない(ドイツ語です、最後の「捨て台詞」(笑)までご覧下さい)



    スポンサーサイト

    0
      • 2019.11.20 Wednesday
      • -
      • 16:30
      • -
      • -
      • by スポンサードリンク

      calendar
           12
      3456789
      10111213141516
      17181920212223
      24252627282930
      << November 2019 >>
      PR
      ★コンタクト・メイル★
      メイルはこちらへ
      ブログランキングに1クリックお願いします
      selected entries
      categories
      archives
      recent comment
      recommend
      links
      profile
      search this site.
      others
      mobile
      qrcode
      powered
      無料ブログ作成サービス JUGEM