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ゲルハーヘル + フーバー「冬の旅」

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    Musikverein Großer Saal 2019年1月18日 19時30分〜20時50分

    バリトン Christian Gerhaher
    ピアノ Gerold Huber

    Franz Schubert (1797-1828)
    Winterreise, D 911

    一部ファンではゲルさまと異名が付いているのだが
    同じバリトンでゲルネ(正確にはウムラウトなのでゴョルネみたいに聞こえる)もいるので
    省略するのはナシとしても

    ドイツ語的に読めば、ゲルハーハーとなる名前が
    日本語の定訳でゲルハーヘルとなっているのも
    何となく納得いかないのだが

    そういう無駄な前置きはともかくとして

    このゲルハーヘル
    デビューした頃から
    ドイツ・リートの正統派も正統派
    どこからどう聴いても
    ディートリッヒ・フィッシャー=ディースカウにしか聞こえない
    ・・・という時期があったのは確かである。

    ウィーンでコンサートするなら
    何はともあれ、駆けつけている私だが
    通常、楽友協会ならリートはブラームス・ホール(小ホール)なのに
    ゲルハーヘルだと、大ホールを満杯に出来るのだ。

    ドイツ・リートを聴こうと思ったら
    いつもの舞台後ろの超貧民席ではダメ(断言)

    かと言って高い席は買えないから(超貧乏)
    お財布に無理してもらって、バルコンの2列目。
    舞台は見えないけれど
    歌手やピアニストを見に行く訳ではないので
    それはどうでも良い。

    演目は・・・冬の旅。
    これ、何回もこのブログには登場するんだけど
    シューベルトのリーダー・チクルスの中でも
    未だに私が積極的に馴染めない曲で

    若い頃は
    あ〜、こういう暗い曲は
    歳取って、人生に諦観しないと
    わからないよなぁ・・・と思っていて

    今、歳取ってみると
    まだ人生への諦観からは程遠く(すみませんガキで)
    シューベルトが30歳ちょっとで届いた境地には
    遥かに遠いところに居るので
    結局、現在に至るまで、冬の旅は苦手。

    実際、このリーダー・クライスは暗い。
    シューベルトが友人の前で披露した時代ですら
    菩提樹以外のウケは悪かった。

    シューベルトが意図したかどうかはともかく
    最初から最後まで、本当に「色」がない。
    ヨーロッパの冬、ジメジメしていて寒くて
    雪が降って
    朝から夜まで、厚い雲が空にかかって
    太陽って何?という日が延々と続く気候条件があってこそ
    この暗さに納得がいく。

    冬の旅と言えば
    最近はフローリアン・ベッシュばかり聴いていたのだが
    クリスティアン・ゲルハーヘルの冬の旅は
    ベッシュと全く違う世界を創り上げていく。

    この上もなく柔らかな
    中心線がはっきり通った端正な美声が
    隅々までコントロールされていて

    テキストのクリアさ
    ドイツ語と音楽の完璧な融合。
    同じメロディでも違う単語で歌われれば
    その部分の音色が違う。

    決して声を張り上げない。
    楽友協会の大ホールは
    観客が静かであれば
    どんなに弱音でも、ホールは悠々と拾う。

    ホールの残響まで緻密に計算した音量は
    ゲルハーヘルだけではなく
    あの、この上もなく繊細で美しい声に
    寄り添いながらも
    独自の世界をピアノだけでも作り上げていた
    ゲロルド・フーバーのピアノの賜物でもある。

    フローリアン・ベッシュが
    黒白のコントラストをはっきりさせた
    時々暴力的な怒りまで感じさせる冬の旅を歌うとすれば

    クリスティアン・ゲルハーヘルの冬の旅の世界は
    最初から最後まで
    灰色の霧のなか。

    灰色一色の単色の世界なのに
    そこに閉じ込められた透明感がすごい。
    時々、思い出したように
    懐かしく、甘く、入ってくる長調の時には
    透明なグレーのなかに
    ほんの微かにパステル色が混じる。

    人生に対する怒り、というようなものを
    既に遥かに超越してしまっていて

    ただ「諦め」とかの敗北感は全く感じない。
    勝ち負けとか、幸福・不幸とか
    そういう二極対立を全く感じさせない
    現世からの超越感というのは

    もしかしたら
    ここで我々聴衆が聴いているのは
    すべてが、どこか懸け離れた幻想の世界で起こっているのか
    あるいは、場合によっては、既に彼岸の世界なのか。

    ゲルハーヘルの冬の旅を聴いていると
    現実感からフワッと浮いてしまい
    足元に全く何もない世界に入り込んでいるような印象。
    不安定なのだが、不安定じゃない。
    孤独なのだが、孤独じゃない。
    不幸せだけど、不幸せじゃない。

    そんな、生臭い感情を全て飛び越えてしまい
    ミュラーの詩が描き出す
    ロマン派の、ちょっと大袈裟なまでの孤独感が
    音楽の中で、グレーの色に溶けていって
    どこか非現実な世界が迫ってくる。

    テキストという意味論的な中心部を
    メロディと音楽
    ゲルハーヘルのこの上なく繊細な美しいバリトンの声と
    フーバーの、これまた控えめなのに
    とことん音楽的なピアノが
    ミュラーのテキストそのものを自分の中に取り込んで
    意味を音楽の中で再構築したって感じかなぁ。

    感情的にならないだけに
    突き放した部分も多いのだが
    透き通る感情のイメージが表面に浮いてきて
    現実に焦点を結んで来ない。

    そんな中に
    ほんの少しの「温度」が入るのが
    パステル色が微かに光るところで
    あ〜、すみません、ついつい涙が・・・

    最後のライアーマン。
    この音楽の空間の広さ、というか
    途中の、あの「距離感」にはひっくり返りそうになった。

    ライアーマンが「遠い」のである。
    いや、ほんと、あれは音楽音響的にどういう処理をしたのか
    マジメに聞いてみたい。
    音響心理学の分野かもしれないが
    詩と音楽が一体になって、ある位置を占めるとして
    その遥か遠くに
    幻想の、薄い霧の中の向こうに
    ライアーマンがいる、としか表現しようのない不思議な感覚。

    強いて言えば
    ゲルハーヘルとフーバーは
    この「冬の旅」から
    現実イメージを徹底的に追い出して
    ある意味、ものすごく哲学的な
    形而上学的な世界を作った、という印象が強い。

    こういう歌唱とピアノを聴けるなんて
    何て私って幸せもの・・・ (*^^*)

    ホール満杯の聴衆は
    比較的マナーも良くて、集中できた。

    もちろん咳は多いにあったけれど
    それでも少ない方だったと思う。
    携帯電話は2回鳴った(怒)←音は小さかったが。
    ライアーマンで客席で倒れた人が居たようで
    多少、話し声とか運び出しとかでバタバタしたが
    これも最小限の支障で済んだ。
    ・・・こういうのってこちらのホール、慣れてるからな。
    (結構、コンサート最中に倒れる人がいる)

    こういう歌手とピアニストが居ることに
    心から感謝して
    また色のある現実世界に戻って来た私に
    どうぞ1クリックをお恵み下さい。


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