Wiener Konzerthaus Mozart Saal 2017年5月4日 19時30分〜21時30分
テノール Ian Bostridge
ピアノ Lars Vogt
Franz Schubert (1797-1828)
Liebesbotschaft D 957/1 (Schwanengesang, 1. Buch) (1828)
Kriegers Ahnung D 957/2
Frühlingssehnsucht D 957/3
Ständchen D 957/4
Aufenthalt D 957/5
In der Ferne D 957/6
Abschied D 957/7
Einsamkeit D 620
Der Atlas D 957/8 (Schwanengesang 2. Buch)
Ihr Bild D 957/9
Das Fischermädchen D 957/10
Die Stadt D 957/11
Am Meer D 957/12
Der Doppelgänger D 957/13
Die Taubenpost D 957/14
アンコール
Ludwig van Beethoven
An die ferne Geliebte op. 98
Franz Schubert
Nacht und Träume D 827
イアン・ボストリッジ博士のこのリサイタル
実は見逃していて
ハッと気がついた時には完全に売り切れ。
それでも諦めきれず
毎日、毎日、チェックしていたら
パッと第一カテゴリー(!)に1枚出てきて
清水の舞台から飛び降りた。
平土間3列目(前はサークルだから実質6列目)の
むちゃくちゃ良い席で
こんな贅沢、一生に数回しか出来ない。
しかも
贅沢しても、行って良かった!!!!(感涙)
私の記憶違いかもしれないが
最初のプログラムは確か「冬の旅」になっていて
ゲッ、あのボストリッジのハイテノールで冬の旅の暗い色調
絶対合わんだろ、と思っていたのだが
会場に到着してプログラム買ったら
「白鳥の歌」になっていた。
ところが、ところが、ところが
この「白鳥の歌」がタダモノではなかった。
普通、シューベルトのリートって
美しく端的に、淡々と節度を持って
キレイに歌われる事が多い・・・というより
一世代前までは、そういうのが主流だったと思うのだが
数年前から
やっとディートリッヒ・フィッシャー=ディースカウの影響から
見事に逃れた若手の歌い手たちが
ドイツ・リートに新鮮な風を吹き込んでくれるようになった。
(それが良いか悪いかは好みの問題でもある)
最初の「愛の使い」からして
極限にドラマチック。
声量のレンジが幅広くて
愛を歌っているのに、何故か悲劇的な暗さを感じさせる。
これが次の「兵士の予感」になったら
うわあああああ
これ、暗いっ!!!というより
死に囲まれた絶望的な状況の中で
叫ぶように恋人に語りかける様子に背筋がゾッとする。
「春の憧れ」も
信じられないくらいドラマチックな作りになっている。
いや、あの最後の
Wohin ? Wohin ? とか
und Du ? und Du ? とかの部分って
本当に聴衆の肩をガシッと抱いて
振り回して問いつめているような印象(ちょっとコワイ)
全体的にハイテノールとは思えない程に
色調が暗くて
下の音もしっかり出ていて
高音は叫ぶ事も躊躇せず
ドイツ・リートというよりは
演劇作品を聴いているような感じ。
ドイツ・リートに要求される(はずと普通の人が思っている)
抑制を一切取り払ってしまい
まるでオペラか何かのように
激情をそのままぶつけて来て
怒りや焦燥感がストレートに伝わって来て
聴衆を否が応でも感情の嵐に引きずり込んでいく。
人によっては「やり過ぎ」と思うかもしれない。
マッチョで強くて、暗くて劇的で
命を削られるような切なさが溢れて来る。
ううううう、たまらない。
こちらも聴いていて苦しくなる位。
ボストリッジのドイツ語のディクションは完璧。
テキスト見なくても一語一語がしっかり聴こえてきて
ドイツ語の単語一つに表情が付いていてスゴイ。
セレナーデなんかは
軽めに歌う部分は
ハイテノールの甘い声の持ち味が活きてチャーミングなんだけど
甘い声だ、ステキ、と酔わせてくれない。
あまりにドラマチック過ぎて
感情ダダ漏れで、聴いている方が辛くなる位。
「別れ」の後に幕間が入って
その後
Einsamkeit (D 620) と言うバラードを一曲。
これがまた、むちゃくちゃ劇的な語り口で
ピアノとフォルテが唐突に現れるので
次の想像が付かず、そのドラマに引きずり回される。
アトラスの悲痛な叫び。
途中の自嘲・・・あぁ、もうこの人、どういう表現するんですか。
ちょっとホッとしたのが「漁夫の娘」ではあるのだが
それでも優美でありながら、やっぱり重苦しい不思議な雰囲気。
陰鬱と言えば、こんな陰鬱な表現聴いた事ないわ、という「街」と
「海辺にて」の後の
「影法師」が・・・・
はい、ご想像通り。
本気で鳥肌が立ちました。
ほんの少し声の音程をずり下がり気味に
深い声で歌われたドッペルゲンガーの気味悪さと言ったら・・・
これだけドラマチックに
冬の旅なんか目じゃない、という暗さを次々に聴いてきて
最後の「鳩の便り」で
すみません、私、泣きました。
ものすごい緊張感のリサイタル。
歌っている方も命を削っているような感じだが
(歌いながら、ボストリッジ博士、結構動くし
時々、前に出てくるし、俯くし、上を見るし
ああ、ベストの平土間席で良かった。全部聴こえてきたし)
聴いてる方も、激情の嵐に巻き込まれてしまう。
こんな「白鳥の歌」聴いた事ないよ。
(註 今、ゲルハーヘルの「白鳥の歌」を聴いているんだけど
全然表現が違う。
ゲルハーヘル、まだ表現に抑制があってドイツ・リートになってる)
もう全身鳥肌たって、背筋が凍ったままの状態で
ボストリッジ博士も疲労困憊みたいに見えたのに
「シューベルトの Einsamkeit は
ベートーベンの「遥かな恋人へ」への返答だと思います」
と美しいドイツ語で挨拶してから
わああああ
「遥かな恋人へ」を全部歌ってくれた!!!
しかも、これが全く違う表現方法で
いったい、この歌手、いくつ引き出し持ってるのよ。
鳴り止まない拍手に出て来た博士が
「シューベルトは1827年に「冬の旅」という曲を書きました」
とか言い出したもんだから
会場大騒ぎ(笑)
いや、そりゃ、アンコールに「冬の旅」全曲歌ってくれるなら
我々、何時まででもお付き合いしますよ(爆笑)
ボストリッジ、何か他に言いたかったんだろうけど
結局「夜と夢」を歌います、という事で落ち着いた。
これがもう、何と美しい ♡
白鳥の歌が荒々しくドラマチックだった後に
端正に歌われたベートーベンに
この美しい「夜と夢」で
あの背筋が凍るような「白鳥の歌」の暗さから回復しました。
ロマン派詩人の曲とは言え
ボストリッジは、一切の甘い感傷を許さず
ストイックにドラマチックに
やるせなさ、焦燥感、怒り、重苦しさを前面に出していて
普通のシューベルトと全く違った味がした。
こういう歌手がドイツ・リートを歌ってくれるのは
すごく嬉しい。
生半可な覚悟では聴けない表現だったけれど
高いチケット買っても行って良かった。
もともと私の音楽のルーツはドイツ・リートなので
最近、またドイツ・リートを歌う優秀な歌手が増えて来たのが
すごく嬉しい私に
どうぞ1クリックをお恵み下さい。
(なんだこのバナーは、と思われるかもしれないけれど
本当にある意味、鬼気迫った恐ろしい闇を見たコンサートだったので)
このコンツェルトハウスのリートのチクルスって
来シーズンには
ミヒャエル・シャーデが「冬の旅」(!!!!ホントか?!)
ゲルハーヘルがブラームスの「美しきマゲローネ」(きゃ〜〜〜っ)
女性歌手は避けたいのでチクルスでは買わないのだが
発売日をチェックしておかねば、と堅く決心中。
テノール Ian Bostridge
ピアノ Lars Vogt
Franz Schubert (1797-1828)
Liebesbotschaft D 957/1 (Schwanengesang, 1. Buch) (1828)
Kriegers Ahnung D 957/2
Frühlingssehnsucht D 957/3
Ständchen D 957/4
Aufenthalt D 957/5
In der Ferne D 957/6
Abschied D 957/7
Einsamkeit D 620
Der Atlas D 957/8 (Schwanengesang 2. Buch)
Ihr Bild D 957/9
Das Fischermädchen D 957/10
Die Stadt D 957/11
Am Meer D 957/12
Der Doppelgänger D 957/13
Die Taubenpost D 957/14
アンコール
Ludwig van Beethoven
An die ferne Geliebte op. 98
Franz Schubert
Nacht und Träume D 827
イアン・ボストリッジ博士のこのリサイタル
実は見逃していて
ハッと気がついた時には完全に売り切れ。
それでも諦めきれず
毎日、毎日、チェックしていたら
パッと第一カテゴリー(!)に1枚出てきて
清水の舞台から飛び降りた。
平土間3列目(前はサークルだから実質6列目)の
むちゃくちゃ良い席で
こんな贅沢、一生に数回しか出来ない。
しかも
贅沢しても、行って良かった!!!!(感涙)
私の記憶違いかもしれないが
最初のプログラムは確か「冬の旅」になっていて
ゲッ、あのボストリッジのハイテノールで冬の旅の暗い色調
絶対合わんだろ、と思っていたのだが
会場に到着してプログラム買ったら
「白鳥の歌」になっていた。
ところが、ところが、ところが
この「白鳥の歌」がタダモノではなかった。
普通、シューベルトのリートって
美しく端的に、淡々と節度を持って
キレイに歌われる事が多い・・・というより
一世代前までは、そういうのが主流だったと思うのだが
数年前から
やっとディートリッヒ・フィッシャー=ディースカウの影響から
見事に逃れた若手の歌い手たちが
ドイツ・リートに新鮮な風を吹き込んでくれるようになった。
(それが良いか悪いかは好みの問題でもある)
最初の「愛の使い」からして
極限にドラマチック。
声量のレンジが幅広くて
愛を歌っているのに、何故か悲劇的な暗さを感じさせる。
これが次の「兵士の予感」になったら
うわあああああ
これ、暗いっ!!!というより
死に囲まれた絶望的な状況の中で
叫ぶように恋人に語りかける様子に背筋がゾッとする。
「春の憧れ」も
信じられないくらいドラマチックな作りになっている。
いや、あの最後の
Wohin ? Wohin ? とか
und Du ? und Du ? とかの部分って
本当に聴衆の肩をガシッと抱いて
振り回して問いつめているような印象(ちょっとコワイ)
全体的にハイテノールとは思えない程に
色調が暗くて
下の音もしっかり出ていて
高音は叫ぶ事も躊躇せず
ドイツ・リートというよりは
演劇作品を聴いているような感じ。
ドイツ・リートに要求される(はずと普通の人が思っている)
抑制を一切取り払ってしまい
まるでオペラか何かのように
激情をそのままぶつけて来て
怒りや焦燥感がストレートに伝わって来て
聴衆を否が応でも感情の嵐に引きずり込んでいく。
人によっては「やり過ぎ」と思うかもしれない。
マッチョで強くて、暗くて劇的で
命を削られるような切なさが溢れて来る。
ううううう、たまらない。
こちらも聴いていて苦しくなる位。
ボストリッジのドイツ語のディクションは完璧。
テキスト見なくても一語一語がしっかり聴こえてきて
ドイツ語の単語一つに表情が付いていてスゴイ。
セレナーデなんかは
軽めに歌う部分は
ハイテノールの甘い声の持ち味が活きてチャーミングなんだけど
甘い声だ、ステキ、と酔わせてくれない。
あまりにドラマチック過ぎて
感情ダダ漏れで、聴いている方が辛くなる位。
「別れ」の後に幕間が入って
その後
Einsamkeit (D 620) と言うバラードを一曲。
これがまた、むちゃくちゃ劇的な語り口で
ピアノとフォルテが唐突に現れるので
次の想像が付かず、そのドラマに引きずり回される。
アトラスの悲痛な叫び。
途中の自嘲・・・あぁ、もうこの人、どういう表現するんですか。
ちょっとホッとしたのが「漁夫の娘」ではあるのだが
それでも優美でありながら、やっぱり重苦しい不思議な雰囲気。
陰鬱と言えば、こんな陰鬱な表現聴いた事ないわ、という「街」と
「海辺にて」の後の
「影法師」が・・・・
はい、ご想像通り。
本気で鳥肌が立ちました。
ほんの少し声の音程をずり下がり気味に
深い声で歌われたドッペルゲンガーの気味悪さと言ったら・・・
これだけドラマチックに
冬の旅なんか目じゃない、という暗さを次々に聴いてきて
最後の「鳩の便り」で
すみません、私、泣きました。
ものすごい緊張感のリサイタル。
歌っている方も命を削っているような感じだが
(歌いながら、ボストリッジ博士、結構動くし
時々、前に出てくるし、俯くし、上を見るし
ああ、ベストの平土間席で良かった。全部聴こえてきたし)
聴いてる方も、激情の嵐に巻き込まれてしまう。
こんな「白鳥の歌」聴いた事ないよ。
(註 今、ゲルハーヘルの「白鳥の歌」を聴いているんだけど
全然表現が違う。
ゲルハーヘル、まだ表現に抑制があってドイツ・リートになってる)
もう全身鳥肌たって、背筋が凍ったままの状態で
ボストリッジ博士も疲労困憊みたいに見えたのに
「シューベルトの Einsamkeit は
ベートーベンの「遥かな恋人へ」への返答だと思います」
と美しいドイツ語で挨拶してから
わああああ
「遥かな恋人へ」を全部歌ってくれた!!!
しかも、これが全く違う表現方法で
いったい、この歌手、いくつ引き出し持ってるのよ。
鳴り止まない拍手に出て来た博士が
「シューベルトは1827年に「冬の旅」という曲を書きました」
とか言い出したもんだから
会場大騒ぎ(笑)
いや、そりゃ、アンコールに「冬の旅」全曲歌ってくれるなら
我々、何時まででもお付き合いしますよ(爆笑)
ボストリッジ、何か他に言いたかったんだろうけど
結局「夜と夢」を歌います、という事で落ち着いた。
これがもう、何と美しい ♡
白鳥の歌が荒々しくドラマチックだった後に
端正に歌われたベートーベンに
この美しい「夜と夢」で
あの背筋が凍るような「白鳥の歌」の暗さから回復しました。
ロマン派詩人の曲とは言え
ボストリッジは、一切の甘い感傷を許さず
ストイックにドラマチックに
やるせなさ、焦燥感、怒り、重苦しさを前面に出していて
普通のシューベルトと全く違った味がした。
こういう歌手がドイツ・リートを歌ってくれるのは
すごく嬉しい。
生半可な覚悟では聴けない表現だったけれど
高いチケット買っても行って良かった。
もともと私の音楽のルーツはドイツ・リートなので
最近、またドイツ・リートを歌う優秀な歌手が増えて来たのが
すごく嬉しい私に
どうぞ1クリックをお恵み下さい。
(なんだこのバナーは、と思われるかもしれないけれど
本当にある意味、鬼気迫った恐ろしい闇を見たコンサートだったので)
このコンツェルトハウスのリートのチクルスって
来シーズンには
ミヒャエル・シャーデが「冬の旅」(!!!!ホントか?!)
ゲルハーヘルがブラームスの「美しきマゲローネ」(きゃ〜〜〜っ)
女性歌手は避けたいのでチクルスでは買わないのだが
発売日をチェックしておかねば、と堅く決心中。