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ウィーン交響楽団 + クルレンツィス

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    Wiener Konzerthaus Großer Saal 2016年1月13日 19時30分〜21時40分

    Wiener Symphoniker
    指揮 Teodor Currentzis
    バイオリン Patricia Kopatschinskaja

    Peter Iljitsch Tschaikowsky (1840-1893)
     Konzert für Violine und Orchester D-Dur op. 35 (1878)
     Symphonie Nr. 4 f-moll op. 36 (1877)

    昨日オーケストラの第二バイオリンのど真ん中で聴いたが
    本日は本コンサートなので
    舞台からは、思いっ切り遠い愛用の貧民席。

    昨日、ずっと仰け反りまくって
    段ボールの箱に腰掛けながら身体を揺すっていた
    チャイコフスキーのバイオリン協奏曲。

    オーケストラの中で
    音に囲まれながら陶酔の時間を過ごしたのとは違って
    やっぱり音が遠い。

    けれど、だから迫力がない、かと言うと正反対。
    あの異様な最初のバイオリンのソロから
    ぐいぐい引き込まれてしまう。

    確かにこの解釈、演奏って、すご〜くヘン。
    めちゃくちゃヘン。

    聴き慣れた曲が新鮮に聴こえてくるなんて
    生易しいものではなくて
    まるで全く別の曲がまとわりついてくる感じ。

    コパチンスカヤ、あんなに奔放に
    好きなように勝手に弾きまくっているように見えるけれど
    そこには間違いのないコパチンスカヤの美意識が
    小さな音色、ほんの少しのオーケストラの絡みに至るまで
    細部の細部までとことん計算されている。

    こうやって離れたところから聴いてみると
    あの演奏は
    コパチンスカヤと指揮者とオーケストラの
    徹底的に親密な会話に聴こえてくる。

    なのに、その親密な会話は
    内に閉じ篭るものではなくて

    あくまでも外の聴衆に開かれていて
    大きいドアが開いて
    ほら、面白いよ、ここに来てごらんよ
    一緒に楽しんじゃいません?と
    プレイヤーたちからニコニコしながら誘いを受けている気分。

    たぶんコパチンスカヤもクルレンツィスも
    変わった事をしたい
    それで名前を売りたい
    なんて一切思っていない(ような気がする)

    この異様な演奏から出てくるのは
    ほらほらほら、面白いでしょ、楽しいでしょ、という
    人間の本能、心の奥底から湧き出てくる
    既存の概念をとっぱらった
    正に音楽そのものに思えるのだ。魔法みたいである。

    昨日の Im Klang では
    コンサート・マスターが
    コパンチスカヤに
    「そんなにピアニッシモで聴こえないような音で良いんですか?」
    と聞いたら、それでもかまわない、という話があったけれど

    さすがにコンサート・ホールとして
    第一次世界大戦前に建設されたコンツェルトハウスは
    舞台からの、聴こえるか聴こえないかのような
    繊細なピアニッシモも
    間違いなく天井桟敷まで届けてくれる。

    異様なバイオリンに耳を奪われるが
    それにピッタリ付けてくるオーケストラも凄まじい。

    特にオーボエ、クラリネットとフルート、ファゴットの巧さと言ったら・・・
    オーボエのお兄ちゃん
    今まで、あんなにチャーミングな音、出してましたっけ?
    (って失礼な(笑))
    出しゃばらず何気に巧いクラリネットに
    澄んだ音のフルート
    下を確たる技術で支えて温かい音を出すファゴット。

    いやすみません、もう参りました。惚れましたワタシ。
    ウィーン交響楽団って
    乗らないとむちゃ緩くなる場合もあるんだけど
    本気を出すと、ちょっと背筋がゾクゾクするくらい巧くなる。

    異様なチャイコフスキーのバイオリン協奏曲の後
    舞台の端にあったアップライト・ピアノが運ばれて来て
    バイオリンを持たずに出て来たコパンチスカヤが
    可愛らしいチャーミングな声で
    (しかもこの声、甲高くないのに通って、言ってる事がわかる!)

     チャイコフスキーのバイオリン協奏曲聴いちゃったら
     もうバイオリンなんて飽き飽きでしょうから
     ピアノを弾きます。
     クルタークの「チャイコフスキーへのオマージュ」です

    これがこれがこれが
    チャイコフスキーのピアノ協奏曲1番のパロディというか
    リズムはピアノの最初のソロのところなんだけど
    それが全部クラスターで

    ごめん!
    不謹慎なんだけど
    笑い声漏れないように前に屈んだのは良いけど
    腹筋がブルブルして・・・・

    ああもうワタシ、ダメです。
    こんな演奏が聴けるなんて
    天国だか地獄だか、ワケわかんない(爆笑)

    後半のチャイコフスキーの交響曲4番。
    バイオリン協奏曲の自由奔放な演奏と比べれば
    おとなしい・・・と言っちゃって良いのか

    でもこれがまた
    細かい部分まで揺るがせない
    解像度完璧なのに、繊細にも軽くもなっていない上に

    音の色が次から次に変わっていって
    作曲家からか演奏家からかはわからないけれど
    とてつもない深い温かい愛情みたいなものが
    聴衆にストレートに伝わってくる。

    交響曲4番だけを聴いたのであれば
    あれだって、他の指揮者では聴けないような
    非常に変わった演奏だったと思うのだが
    (バイオリン協奏曲で馴らされてしまったのかも)

    クルレンツィスの音楽って
    伝統とか文化とか完全無視で
    既存の枠組みからむちゃくちゃ飛び出しているくせに

    ネルソンスや初期のドゥダメルみたいに
    音楽好き好き、もうめちゃ好き、という
    自分の音楽観に拘泥した内向きの情熱ではなく

    あくまでも聴く側の存在がそこにはある。
    一切聴衆に迎合せずに
    自分の音楽的純粋さや完璧性には徹底的に拘っているのに

    ほら、音楽ってね、楽しいよね
    と語りかけられているような
    基本的に、非常に外に開かれた音楽が提示される。

    何回か聴いたらつまらなくなるかも、と思っていたら
    どうも、この外向きの音楽は
    全然つまらなくならないような気がする。

    「気がする」と書いたのは
    ウィーン交響楽団が外国への演奏旅行をした後
    最終公演が同じプログラムでコンツェルトハウスであって

    しつこい私は
    当然の事ながら
    この最終コンサートのチケットも確保しているのである。

    アホと言うなら言え(開き直り)

    天才というよりは鬼才。
    実に不思議な指揮者が
    ロシアの片隅に現れたものだ。

    これが、ナマで聴けるなんて
    これこそ人生の奇跡かもしれない。

    これから、この音楽が
    どういう方向に発展していくのか
    なんか、ものすごく楽しみな私に
    どうぞ1クリックをお恵み下さい。



    カメラータの時には
    幼稚園児御用達スモッグを表裏反対にしたような服だったが
    今回はちゃんと背広で
    しかも細身のネクタイしていて
    ヘアスタイルも、この間より、ちょっとマトモになっていたので
    この指揮者、音楽もこの間よりマトモになったかと思ったら
    全くマトモになっていないので
    すごく嬉しくなった(笑)

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      • 2017.08.21 Monday
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