Theater an der Wien 2016年5月20日 19時30分〜22時30分
Die Passagierin
Oper in zwei Akten, acht Bildern und einem Eiplog
von Mieczław Weinberg
Libretto von Alexander Medwedew
nach dem Roman “Die Passagierin” von Zafia Posmysz
指揮 Christoph Gedschold
演出 Anselm Weber
舞台 Katja Haß
衣装 Bettina Walter
照明 Olaf Winter
ビデオ Bibi Abel
ドラマツルギー Norbert Abels
振付 Alan Barnes
Lisa : Tanja Ariane Baumgartner
Walter : Peter Marsh
Marta : Sara Jakubiak
Tadeusz : Brian Mulligan
Katja : Anne Ryberg
Krystina : Maria Pantiukhova
Vlasta : Jenny Carlstedt
Hannah : Judita Nagyová
Yvette : Nora Friedrichs
Bronka : Joanna Krasuska-Motulewicz
Alte : Barbara Zechmeister
Erster SS-Mann : Dietrich Volle
Zweiter SS-Mann : Magunús Baldvinsson
Dritter SS-Mann : Hans-Jürgen Lazar
Steward : Michael McCown
Passagier : Thomas Faulkner
Oberaufseherin : Margit Neubauer
Kapo : Friederike Schreiber
Orchster : Frankfurter Opern- und Museumsorchester
Chor : Chor der Oper Frankfurt
Statisten : Statisterie der Oper Frankfurt
かなり前に観劇したものだが
色々な理由で本日、やっと感想が書けたのでアップ。
フランクフルト歌劇場の公演「女旅客」
ウィーン芸術週間の一環で、ウィーン劇場で上演。
実は前の日にちょっとワイン飲み過ぎて
あまり良い体調でなかったのは認める。
でもって、オペラ3時間、しかも
ほとんどが女声というのもちょっとキツイ。
話はズレるが
ワインに関しては
やっと長年憧れ続けた?「神の雫」全44巻
新品で入手に成功して読み出したものの
なんかこのコミックで使われているワインに関する表現が謎で・・・
前の日に飲んだ2005年のピノ・ノワールを
このコミック風に表現しようとすると
深い森を歩む白いネグリジェを来た乙女。
(身長170センチ、体重45キロくらい)
秋の枯れ葉の上を静かに踏みながら歩いていくと
おお、そこには曇り空の下に
美しく流れる澄んだ小川。
小川のほとりの小石に佇めば
そこに現れるキュートなカマキリが乙女にすり寄う。
・・・って、全然美味しくなさそうなワインじゃん!!!(才能ゼロ)
(で、この「神の雫」というコミックは
ワインの表現が、全部、こういう感じなの。
しかも、飲む度に、おおお、とか、あああ、とか言うし(笑))
ワインのアロマとかタンニン分とか
古いか新しいか、出来たシーズンは暑かったか寒かったか
その位はわかるけれど
景色なんか見えないぞ・・・というのは
ワインの専門家の彼氏モドキの、即就寝前の一言である。
こほん、それはそれとして
このオペラ、題材が重い・・・
アウシュビッツ強制収容所の話である。
アウシュヴィッツ強制収容所で監視人として仕事をしていた
ナチの女性が
新婚旅行で乗った船で
アウシュヴィッツにいたユダヤ人のマルタに似た女性を見かけて
そこから過去の記憶と
現在が微妙に入り交じって
アウシュヴィッツでの愛の物語が語られる。
アウシュヴィッツで監視人をしていた頃の記憶に振り回されて
新婚旅行でありながら、ご主人との仲がどんどんおかしくなっていく話と
回転舞台を巧く利用して
過去と現在が行き来する演出。
ヴァインベルクの音楽が素晴らしい。
トナールなのだが
ジャズやエンターテイメント音楽の要素も入り
現代音楽の要素も入って
夢か現実かの間を行ったり来たりするのだが
言葉のニュアンスと、ぴったり合った音楽作りで
ともかく、音楽は素晴らしい。
歌手はセリフが入ったり
ドイツ語やポーランド語や英語が入り交じるのだが
マルタを歌ったソプラノが素晴らしかった。
ただ、素晴らし過ぎて
途中で、故郷の民謡とか歌うのに
声がワーグナー張りになっていて
おいおいおい、強制収容所で衰弱しているのに
そのワーグナーの声はちょっと・・・
強制収容所内のシーンも船のシーンも
俳優さんやコーラスを適度に動かしてはいるものの
これ、演出するの、ものすごく難しいわ。
動きのあるようなシーンが出て来ないのだ。
(ナチが出たり入ったりはするけれど)
タデウスとマルタの
逆境における愛が力強く語られると同時に
監視人だったリザが、タデウスに便宜を計ってやろうとして
拒否されて傷つくシーンもあるのだけれど
う〜ん・・・こういう扱いって難しいわ。
タデウスは、これは何かの罠だろうと先読みしてしまうし
リザは、自分が厚意でやってやろうとしている事を拒否されて
それが理解できなくて、勝手に自己嫌悪に陥っているし。
でも、立場から考えると
タデウスが拒否したのも当たり前だし
リザが傷ついたのもよくわかる。
それだけ、信頼と言うものが全くなくなった世界での
それぞれの立場での行いだけに
こういうシーンを、どうやって噛み砕けば良いのか困惑する。
リザが途中で
「だって、私は良きドイツ人として
自分の義務を果たしただけなのよ」と叫ぶシーンがある。
うううううう(悩)
実はオーストリアのマウトハウゼン強制収容所などに行って
いつも思うのだが
平和な世界にあって
自分はどんな状況にあっても正しい事ができる、と
断言できる人はスゴイなぁ、と思ってしまうわけで
私自身が、万が一、犠牲者の位置ではなく
あの時代にナチの一員にならざるを得なかったら
やっぱり義務を果たすというか
いや、もっと能率的に云々、キャリア・アップをどうしたら良いかとか
人道的な考えとか、平和主義とかって
ある程度残酷な事をしない限り
自分の命が危ないと思ったら
やっぱり、自分は保身に走るだろう・・・というのが
はっきり見えてしまう訳で
その意味で、強制収容所跡を見学した時に
初めて、キリスト教の主の祈りの
「私を試みにあわせず」の意味がわかったような次第。
犠牲者の立ち位置から、過去を振り返るのは
自分たちは犠牲者よ、ほら、同情しなさい、と
まぁ、簡単に言っちゃえば、それで世間は許すから楽なのだが
加害者になった、あるいは自分の保身のために
加害者にならざるを得なかった、普通の人間って
そこから一生、罪の意識を持ちつつ
すみません、ごめんなさい、ごめんなさい、と
自己の肯定を一切せずに人生を送る、と言うのが正しいのか
かと言って、それがイヤだから、と
変な自己正当化をするのも、何だか違うし・・・
人に罪の意識を与えてコントロールしようとする人間は
実は何人か周囲に居るので
その犠牲にならないようにする事に
かなりの力を費やして来たから
(そこまで悪い事をして来たのか、と言われると
言葉もないんですけどね(笑))
こういうストーリーを提示されると
実はかなりへこむのだ、ワタシは。
過去と決別する事はできない訳で
歴史に、そういう時代があったという事実は
冷静に受け止めなければならないし
外国人や移民や難民をスケープ・ゴートにして
楽して金が稼げないのは
外国人のせいだ、と単純に考えるのは
アホとしか言いようがないのだけれど
でも、スケープ・ゴートの考え方は
実は最も楽な逃げ道なのだ。
だって、自分は悪くないんだもん。
努力もせず、教育も受けず
それで、社会が悪い、政治家が悪い
外国人が悪い、難民が悪い、と言っていれば
単純に自己正当化ができるんだから
こんなに楽な事はない。
それが、当時はユダヤ人や
社会に溶け込めない人たちへの迫害に通じてしまった訳で・・・
いや、確かに、外国人の流入で犯罪率が高くなったとか
色々とあるのだろうが
犯罪を犯すのは、別に外国人だけじゃないですから。
もっとも、この間のニュースで
外国人の受刑者のすごい数を聞いて
いや、悪いけど、そういう人たち、本国に返して
我々の税金で生活の面倒を見なくても・・・とか思ったのは事実。
(ちなみに、その「本国」は既に戦争地帯ではなくなっている)
バランスの問題だとは思う。
外国人が外国人のゲットーを作ってしまい
住んでいる国の文化への理解を全く示そうとしないケースも
多々あるのは確かだし
時々は、どっちもどっちだよなぁ、とか思う事もあるのだけれど
本国人だって
健康なのに失業保険やら生活保護やらを山ほど受けて
私より数倍、贅沢な暮らしをしている人も結構居るわけで
でも、本当に困窮した状態で
生活保護がないと暮らして行けない人もいるので
オーストリアの政治について
外国国籍の私が何か言える訳でもないですし・・・
(日本の選挙にはちゃんと投票しております、念の為)
いやちょっと音楽とかけ離れたテーマになってしまって
ごめんなさい。
(実は今、ヴァルトフィアテルで買って来た
グリューナー・フェルトリーナー飲んでいて
これが、また美味いのである。
若いワインだから、果実臭も豊かで、蜂蜜や草のニュアンスが強くて
グリップが効いていて、酸味と糖分のバランスが絶妙で
後味が長くて、ミネラル分がしっかり効いたフルボディの厚みあるワイン。
・・・でも「神の雫」みたいな、景色は見えて来ません(笑))
音楽的には素晴らしい作品なので
これ、演出とか要らないから
音楽だけでコンサート形式で聴いてみたい。
今回はオペラとして上演されたけれど
音楽的な味わいをもっと深めるのであれば
視覚的な要素は取り払って
音楽だけで聴いてみたら
もっと妄想の世界に浸れるのではないかと・・・
多少酔っ払って来たし
簡単に考えると
あぁ、あのナチの時代に生きていなくて良かった・・・と
つくづく自分の幸運に感謝してしまう私に
どうぞ1クリックをお恵み下さい。
真剣に向き合わねばならないテーマだとは思ってはいるが
正義の味方を気取るだけの自信はないので
ついつい、考え込んでしまって結論が出ないんです(悩)
Die Passagierin
Oper in zwei Akten, acht Bildern und einem Eiplog
von Mieczław Weinberg
Libretto von Alexander Medwedew
nach dem Roman “Die Passagierin” von Zafia Posmysz
指揮 Christoph Gedschold
演出 Anselm Weber
舞台 Katja Haß
衣装 Bettina Walter
照明 Olaf Winter
ビデオ Bibi Abel
ドラマツルギー Norbert Abels
振付 Alan Barnes
Lisa : Tanja Ariane Baumgartner
Walter : Peter Marsh
Marta : Sara Jakubiak
Tadeusz : Brian Mulligan
Katja : Anne Ryberg
Krystina : Maria Pantiukhova
Vlasta : Jenny Carlstedt
Hannah : Judita Nagyová
Yvette : Nora Friedrichs
Bronka : Joanna Krasuska-Motulewicz
Alte : Barbara Zechmeister
Erster SS-Mann : Dietrich Volle
Zweiter SS-Mann : Magunús Baldvinsson
Dritter SS-Mann : Hans-Jürgen Lazar
Steward : Michael McCown
Passagier : Thomas Faulkner
Oberaufseherin : Margit Neubauer
Kapo : Friederike Schreiber
Orchster : Frankfurter Opern- und Museumsorchester
Chor : Chor der Oper Frankfurt
Statisten : Statisterie der Oper Frankfurt
かなり前に観劇したものだが
色々な理由で本日、やっと感想が書けたのでアップ。
フランクフルト歌劇場の公演「女旅客」
ウィーン芸術週間の一環で、ウィーン劇場で上演。
実は前の日にちょっとワイン飲み過ぎて
あまり良い体調でなかったのは認める。
でもって、オペラ3時間、しかも
ほとんどが女声というのもちょっとキツイ。
話はズレるが
ワインに関しては
やっと長年憧れ続けた?「神の雫」全44巻
新品で入手に成功して読み出したものの
なんかこのコミックで使われているワインに関する表現が謎で・・・
前の日に飲んだ2005年のピノ・ノワールを
このコミック風に表現しようとすると
深い森を歩む白いネグリジェを来た乙女。
(身長170センチ、体重45キロくらい)
秋の枯れ葉の上を静かに踏みながら歩いていくと
おお、そこには曇り空の下に
美しく流れる澄んだ小川。
小川のほとりの小石に佇めば
そこに現れるキュートなカマキリが乙女にすり寄う。
・・・って、全然美味しくなさそうなワインじゃん!!!(才能ゼロ)
(で、この「神の雫」というコミックは
ワインの表現が、全部、こういう感じなの。
しかも、飲む度に、おおお、とか、あああ、とか言うし(笑))
ワインのアロマとかタンニン分とか
古いか新しいか、出来たシーズンは暑かったか寒かったか
その位はわかるけれど
景色なんか見えないぞ・・・というのは
ワインの専門家の彼氏モドキの、即就寝前の一言である。
こほん、それはそれとして
このオペラ、題材が重い・・・
アウシュビッツ強制収容所の話である。
アウシュヴィッツ強制収容所で監視人として仕事をしていた
ナチの女性が
新婚旅行で乗った船で
アウシュヴィッツにいたユダヤ人のマルタに似た女性を見かけて
そこから過去の記憶と
現在が微妙に入り交じって
アウシュヴィッツでの愛の物語が語られる。
アウシュヴィッツで監視人をしていた頃の記憶に振り回されて
新婚旅行でありながら、ご主人との仲がどんどんおかしくなっていく話と
回転舞台を巧く利用して
過去と現在が行き来する演出。
ヴァインベルクの音楽が素晴らしい。
トナールなのだが
ジャズやエンターテイメント音楽の要素も入り
現代音楽の要素も入って
夢か現実かの間を行ったり来たりするのだが
言葉のニュアンスと、ぴったり合った音楽作りで
ともかく、音楽は素晴らしい。
歌手はセリフが入ったり
ドイツ語やポーランド語や英語が入り交じるのだが
マルタを歌ったソプラノが素晴らしかった。
ただ、素晴らし過ぎて
途中で、故郷の民謡とか歌うのに
声がワーグナー張りになっていて
おいおいおい、強制収容所で衰弱しているのに
そのワーグナーの声はちょっと・・・
強制収容所内のシーンも船のシーンも
俳優さんやコーラスを適度に動かしてはいるものの
これ、演出するの、ものすごく難しいわ。
動きのあるようなシーンが出て来ないのだ。
(ナチが出たり入ったりはするけれど)
タデウスとマルタの
逆境における愛が力強く語られると同時に
監視人だったリザが、タデウスに便宜を計ってやろうとして
拒否されて傷つくシーンもあるのだけれど
う〜ん・・・こういう扱いって難しいわ。
タデウスは、これは何かの罠だろうと先読みしてしまうし
リザは、自分が厚意でやってやろうとしている事を拒否されて
それが理解できなくて、勝手に自己嫌悪に陥っているし。
でも、立場から考えると
タデウスが拒否したのも当たり前だし
リザが傷ついたのもよくわかる。
それだけ、信頼と言うものが全くなくなった世界での
それぞれの立場での行いだけに
こういうシーンを、どうやって噛み砕けば良いのか困惑する。
リザが途中で
「だって、私は良きドイツ人として
自分の義務を果たしただけなのよ」と叫ぶシーンがある。
うううううう(悩)
実はオーストリアのマウトハウゼン強制収容所などに行って
いつも思うのだが
平和な世界にあって
自分はどんな状況にあっても正しい事ができる、と
断言できる人はスゴイなぁ、と思ってしまうわけで
私自身が、万が一、犠牲者の位置ではなく
あの時代にナチの一員にならざるを得なかったら
やっぱり義務を果たすというか
いや、もっと能率的に云々、キャリア・アップをどうしたら良いかとか
人道的な考えとか、平和主義とかって
ある程度残酷な事をしない限り
自分の命が危ないと思ったら
やっぱり、自分は保身に走るだろう・・・というのが
はっきり見えてしまう訳で
その意味で、強制収容所跡を見学した時に
初めて、キリスト教の主の祈りの
「私を試みにあわせず」の意味がわかったような次第。
犠牲者の立ち位置から、過去を振り返るのは
自分たちは犠牲者よ、ほら、同情しなさい、と
まぁ、簡単に言っちゃえば、それで世間は許すから楽なのだが
加害者になった、あるいは自分の保身のために
加害者にならざるを得なかった、普通の人間って
そこから一生、罪の意識を持ちつつ
すみません、ごめんなさい、ごめんなさい、と
自己の肯定を一切せずに人生を送る、と言うのが正しいのか
かと言って、それがイヤだから、と
変な自己正当化をするのも、何だか違うし・・・
人に罪の意識を与えてコントロールしようとする人間は
実は何人か周囲に居るので
その犠牲にならないようにする事に
かなりの力を費やして来たから
(そこまで悪い事をして来たのか、と言われると
言葉もないんですけどね(笑))
こういうストーリーを提示されると
実はかなりへこむのだ、ワタシは。
過去と決別する事はできない訳で
歴史に、そういう時代があったという事実は
冷静に受け止めなければならないし
外国人や移民や難民をスケープ・ゴートにして
楽して金が稼げないのは
外国人のせいだ、と単純に考えるのは
アホとしか言いようがないのだけれど
でも、スケープ・ゴートの考え方は
実は最も楽な逃げ道なのだ。
だって、自分は悪くないんだもん。
努力もせず、教育も受けず
それで、社会が悪い、政治家が悪い
外国人が悪い、難民が悪い、と言っていれば
単純に自己正当化ができるんだから
こんなに楽な事はない。
それが、当時はユダヤ人や
社会に溶け込めない人たちへの迫害に通じてしまった訳で・・・
いや、確かに、外国人の流入で犯罪率が高くなったとか
色々とあるのだろうが
犯罪を犯すのは、別に外国人だけじゃないですから。
もっとも、この間のニュースで
外国人の受刑者のすごい数を聞いて
いや、悪いけど、そういう人たち、本国に返して
我々の税金で生活の面倒を見なくても・・・とか思ったのは事実。
(ちなみに、その「本国」は既に戦争地帯ではなくなっている)
バランスの問題だとは思う。
外国人が外国人のゲットーを作ってしまい
住んでいる国の文化への理解を全く示そうとしないケースも
多々あるのは確かだし
時々は、どっちもどっちだよなぁ、とか思う事もあるのだけれど
本国人だって
健康なのに失業保険やら生活保護やらを山ほど受けて
私より数倍、贅沢な暮らしをしている人も結構居るわけで
でも、本当に困窮した状態で
生活保護がないと暮らして行けない人もいるので
オーストリアの政治について
外国国籍の私が何か言える訳でもないですし・・・
(日本の選挙にはちゃんと投票しております、念の為)
いやちょっと音楽とかけ離れたテーマになってしまって
ごめんなさい。
(実は今、ヴァルトフィアテルで買って来た
グリューナー・フェルトリーナー飲んでいて
これが、また美味いのである。
若いワインだから、果実臭も豊かで、蜂蜜や草のニュアンスが強くて
グリップが効いていて、酸味と糖分のバランスが絶妙で
後味が長くて、ミネラル分がしっかり効いたフルボディの厚みあるワイン。
・・・でも「神の雫」みたいな、景色は見えて来ません(笑))
音楽的には素晴らしい作品なので
これ、演出とか要らないから
音楽だけでコンサート形式で聴いてみたい。
今回はオペラとして上演されたけれど
音楽的な味わいをもっと深めるのであれば
視覚的な要素は取り払って
音楽だけで聴いてみたら
もっと妄想の世界に浸れるのではないかと・・・
多少酔っ払って来たし
簡単に考えると
あぁ、あのナチの時代に生きていなくて良かった・・・と
つくづく自分の幸運に感謝してしまう私に
どうぞ1クリックをお恵み下さい。
真剣に向き合わねばならないテーマだとは思ってはいるが
正義の味方を気取るだけの自信はないので
ついつい、考え込んでしまって結論が出ないんです(悩)