ウィーン・モデルン現代音楽祭 11月6日

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    WIEN MODERN 06 November 2019

    Konzerthaus Schubert Saal 2019年11月6日 19時30分〜22時15分

    ピアノ Florian Hölscher
    Alberto Posadas: Erinnerungsspuren.
    Zyklus von sechs Stücken für Klavier solo (2014-2018 ÖEA)

    Alberto Posadas: Anklänge an François Couperin (2014) - 18’
    François Couperin: 21e ordre (1730) - 8’
    Claude Debussy: Préludes Ier livre: La Cathédrale engloutie (1910) - 5’
    Claude Debussy: Préludes IIe livre: Feux d’artifice (1913) - 5’
    Alberto Posadas: Anklänge an La Cathédrale engloutie (2019) - 9’
    Alberto Posadas: Anklänge an Robert Schumann (2015) - 9’
    Karlheinz Stockhausen: Klavierstück IX (1954-1961) - 10’
    Giacinto Scelsi: Aitsi für verstärktes Klavier (1974) - 6’
    Robert Schumann: Presto passionato op. 22a (1835-1836) - 6’
    Alberto Posadas: Anklänge an Aitsi (2017) - 18’
    Johann Sebastian Bach: Wachet auf, ruft uns die Stimme (ca.1748 arr. F Busoni) - 4’
    Alberto Posadas: Anklänge an Stockhausen (2017) - 8’
    Alberto Posadas: Anklänge an B.A. Zimmermann (2018) - 19’

    昨日の夜、足が攣って眠れず、今日は朝からグッタリで
    サボれるものは全部サボって
    図書館で眠りこけていたのだが
    ヘロヘロになりながらも
    コンサートに行く根性(だけ)はあるのである。自慢にならん。

    しかも18時30分からの作曲者との公開インタビューまで同席した。
    作曲のきっかけからコンセプトまで面白い話が聞けた。

    さて、この「記憶のシュプール」という曲は
    チクルスとして
    作品の中に入っている曲のオリジナルまで含めて演奏するのは
    世界初(作品そのものはオーストリアでの初演)

    ピアニスト一人で、クープラン、ドビュッシー
    シュトックハウゼンにシェルシ、シューマンからバッハ(ブゾーニ編曲)まで
    バリバリ弾く間に、アルベルト・ポサダスの曲が入る。

    結果から言うと、ともかく、むちゃくちゃ面白かった。
    終演は夜の10時を過ぎたんだけど
    ともかく時間があっという間に過ぎた感じ。

    アルベルト・ポサダスは、もともとICRAMなどで
    電子音楽もやっていたそうで
    私が大好物とする「音響の饗宴」に非常に近い。
    それをまた、ピアノでやっちゃうところが凄い(含むピアニスト)

    各曲の最後にある数字は演奏時間。
    9分とか18分とかは意図的なものか、という質問が
    インタビューの時に出たけれど
    これはたまたま偶然にそうなったらしい。

    プーランクとかも良かったけれど
    ドビュッシーの「沈む寺」なんかは
    まさに「音響」だけで聴かせる曲だし
    それを、ポサダスが拡大させて、もっと「音響」になると
    空間感覚が最大限まで広がって、すごい事になる。

    シュトックハウゼンのピアノ曲の迫力には
    腰が抜けそうになる。

    休憩の後のジャンチント・シェルシだけは
    電子機材を使って音を補強していたが
    いやはや、シェルシの、あの「音響の揺れ」が
    見事にピアノで歌われるのには驚いた。

    だって、電子機材での音響の拡大があるとしても
    クラスターの後に、dの音がずっと残響として響いているという
    音響オタクには、あまりに美味しい工夫がされていて
    こういう美味しい音響を
    雑音なしに(現代音楽の聴衆は非常に静かである!)
    心ゆくまで食する事ができるというのは、まさに体感的快楽。

    ポサダスがシェルシを拡大するとどうなるかと言うと
    ピアノの中の弦を掻き乱したり
    音叉と共にピアノの弦を鳴らしたりするのだが
    これが、シェルシのd音だけではなく
    他の音の残響も含まれて来て
    ポサダスのクラスターの後の、あの残響の音色に
    椅子の上で悶えてしまう。

    シュトックハウゼンの曲の拡大は
    シュトックハウゼンのリズムを使いながら
    音響的なものを、もっと多彩にして
    これも、最初から最後まで悶えまくりだが

    最後のツィンマーマンの拡大曲が圧巻で・・・
    さすがにツィンマーマンのオリジナル曲の演奏は出来ないので
    ツィンマーマンが間接的に引用したという
    ドビュッシーのオリジナルを演奏しているのだが

    いやもう、何ですかこれは。
    宇宙空間じゃないですか。

    一人で興奮しまくっているが
    こういう音響は、CDでは絶対に体験できない(断言)
    普通の伝統的コンサートでもダメ。
    (ウィーンの客は保守的な人が多いので
     現代曲だと、必ず小声でのお喋りや、わざとらしい咳き込みがある)

    現代音楽大好きオタクが集まって
    身動きもせず、静かに
    大胆でありながら、とことん繊細な音響を
    残響を含めて、徹底的に、音響の良いホールで
    自分の耳と感性を最大限に広げて聴く事によって
    聴こえてくる世界がある。

    ピアニストは伝統的手法での演奏から
    鍵盤弾きながら、もう一方の手で内部の弦を鳴らすとか
    音叉や木片でピアノの弦を叩くとか
    ちょっとプレペアド・ピアノみたいにしたところもあるし
    電子機材を入れてペダルでコントロールしたりの
    現代奏法もたっぷり入れて
    休憩入れて2時間以上のプログラムを演奏しっぱなしで
    大変だっただろうが

    でも、この曲、このピアニストが
    ぜひ作曲してくれ、と懇願して出来たものだそうだから
    (インタビューによる)
    ピアニストにしても本願成就だろう。

    これだけオーバートーンの音響効果を知り尽くして
    ピアノ機能を徹底的に使って
    伝統的な音楽から取った断片を
    現代音楽の音響の中に見事に咲かせた作品って

    あ〜、1回だけじゃ聴き足りない!!!!
    バレエと同じで、何回でも聴きたい!!!
    (CDじゃなくて、ナマで聴きたい!!!!)

    ああ、もう、本当に悶絶しまくりのコンサートだった。
    スペクトル楽派が大好物な私は
    こういう音響空間を提供されると
    はしたなくも身悶えしてしまうのだ。
    好みの問題だから、どうしようもないわよ、うん。

    こういうのを「音響」と言うのか「音楽」と言うのか
    はっきりしないのだけれど
    (クープランとかシューマン、バッハは、まぁ、それなりに・・・)
    感受性のない私は、「音楽性」にも徹底的な欠陥があるので
    こういう音響処理の作品が一番好き。

    ライブでこういうコンサート、聴けて良かった。
    どんなにヘロヘロで睡眠不足で
    発表の準備をしていなくても(こらっ!!!)
    このコンサートに行けて幸せな私に
    どうぞ1クリックをお恵み下さい。


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