Musikverein Großer Saal 2019年11月1日 19時30分〜21時30分
Pittsburgh Symphony Orchestra
Singverein der Gesellschaft der Musikfreunde in Wien
指揮 Manfred Honeck
ソプラノ Christina Landshamer
アルト Gerhild Romberger
テノール Werner Güra
バス Florian Boesch
Anton Bruckner (1824-1896)
Symphonie Nr. 9 d-Moll
Te Deum für Soli, Chor und Orchester
昨日のショスタコーヴィッチもなかなか新鮮なコンサートで
(まだメモ書いてません、後で・・・
註: やっと書いた・・・おヒマな方は こちら をどうぞ)
今日のブルックナーの9番とテ・デウムは売り切れ。
オーストリアが祝日なのは嬉しいのだが
明日の土曜日に仕事があって、金曜日に買い物できないのはツライ。
しかも、朝からオフィス仕事をしていたら(もちろん自宅で)
あっという間に時間が過ぎてしまい
大学関係の事は何も出来ずに終わってしまって
本当にワタシってアホ(涙)
買物も掃除も洗濯もできない宗教的祝日ってキライ(号泣)
・・・と言いつつ
夜のコンサートに出かけるワタシ。
ブルックナーの9番だけ聴いてくれば良いわ、という緩さ。
さて、そのブルックナーの交響曲9番だが・・・
何これ??????
ホーネックが間違いないヘン○イである事は知ってるけど
出だしのダイナミックから度肝を抜く。
小節一つ一つのダイナミックが細かく動いて
ティンパニが強調されていて
強弱とテンポの動きが激しい。
ブルックナーと言ったら、大伽藍というか
基本的に妄想に浮かぶのはカトリックの
ロマネスクかバロックの教会建築のはずなのに
このホーネックとピッツバークのブルックナーは
どう聴いても、ガウディの教会にしか聴こえないんだが・・・
良い意味では有機的で動きが激しく
ものすごく極端にエモーショナルで
あ〜、すみません、時々
どう聴いても「映画音楽」に聴こえてくるんですけど
ダダダンダンダンのところなんて
エイリアンが武器抱えて行進してくるところとか
以下は自粛する。
たぶん、間違いなくホーネックは確信犯でやっている。
とことん、徹底的に考えられた音楽の
有機的動きが生み出すドラマチックな音楽は
ヨーロッパの伝統的な演奏では、絶対に聴けない、と断言できる。
ホーネック(兄)って、もともとウィーンのオーケストラのチェリストだよね?
そう言えば、亡きアーノンクールもチェリストだったし
チェリストって、こういう天才が多いのか?
ホーネック=オーストリア人、という図式は
このブルックナー聴いたら、ガラガラと音を立てて崩れるだろう。
こんな、ある意味、ヘンテコなブルックナー
ヨーロッパの伝統を重視する指揮者なら、絶対に演奏しないし
ヨーロッパのオーケストラでこれをやったら
オーケストラのメンバーは全員、指揮者にソッポむいて
次から絶対に呼ばれなくなるだろう。
ヨーロッパの伝統音楽を知り尽くして
そこから意図的に脱却して
アメリカのオーケストラで、自分の音楽を実践するという
すごい事をやったな、ヘ○タイ・ホーネック(兄)
驚いて呆気に取られて終わった後の
第2楽章が
これまた、あの、その速度で演奏しますか???という
むちゃくちゃな速さの上に
パーカッションの強調があって
ますます妄想は戦争映画(何故だ?)に傾いてしまう。
しかも、テンポ速過ぎて、あっという間に終わる。
時々、ズレてるような気もするけれど、ともかく、あっという間。
その分、最終楽章のテンポの伸ばし方は・・・絶句。
徹底的に遅くしながら
(管が、ま〜、よくぞ付いていったよ)
しかも、その中でのダイナミックとテンポのチェンジが
やっぱりむちゃくちゃ頻繁にある。
もう遅いの何のって、永遠に終わらないんじゃないか、という気がするが
なのに、ずっと遅くなくて変化に富んでいるので
ついつい聴き惚れてしまう。
宗教性とか敬虔な神に対する気持ちとか
そういうのは一切感じなかった。
(音楽家と指揮者がどうだったかは知らん)
ブルックナーが驚いて
墓から出て来て
僕、こんな曲を作曲しましたかね・・・と言いそうな感じはする。
どこでどうなったのかはわからんが
何故に、そこで、そういう不協和音(ディソナンツ)が出てくる?
というところが何箇所かあったし
これって、こういう響(クラスターに近い)だったっけ?
というところもあった。
(オーケストラのメンバーが間違えて演奏しているか、と
一瞬、失礼な事を考えてしまったが
たぶん、それはない、きっと)
従来の「ブルックナーはこれ」という先入観を
見事に吹っ飛ばす演奏だったので
ホーネック、すごい事してるな、というのはわかるが
では、これが録音になったら買うか、というと微妙なところ。
あまりに伝統的な大伽藍ブルックナーとはかけ離れているので
私みたいな年配の客層には、ちょっとアレルギーの出る人もいそう。
そんな奇妙なブルックナーの9番の後
(演奏時間は19時30分から20時45分までだった、かなり長い)
テ・デウムは宗教曲苦手だし、どうしようか迷ったのだが
結果的にテ・デウム、聴いて良かった。
前半と同じく
あくまでも徹底的にドラマチックに
聴こえないくらいのピアニッシモから
鼓膜が破れそうなフォルティッシモまで聴かせてくれて
歌手がまた巧くて
ギューラのテノール、声が澄んで美しく伸びるし
ベッシュのバスは迫力たっぷりで
ソプラノもアルトも、大袈裟にならず
あくまでも宗教曲という感じなのにドラマチックに歌ってくれて
更に、楽友協会の合唱団の巧さには、毎回、舌を巻く。
本当にこれ、アマチュアの合唱団かよ?ウソだろ、って感じ。
実はテ・デウムを楽しく聴いたのは
手元のラテン語のテキストを見ていたせいでもあって
テ・デウム・ラウダームスとか
トゥ・レックス・グロリアエ・クリステとか
(トゥ=二人称単数主格、レックス=男性名称単数主格
グロリアエ=女性名詞グロリアの単数属格
クリステ=クリストゥスの呼格)
続いてトゥ・パトリス(省略)エス・フィリウスとか
あはは、格や単数・複数くらいはわかるし
受動形になってる動詞や過去分詞になってるところもわかる。
あ、マウンティングではございません、すみません。
ラテン語やって、まだやっと1ヶ月なのだが
わはははは、まさか典礼文が、少しなりともわかるようになろうとは・・・
というワケで、テ・デウム
(ラウダームスまで続けないと意味がない(笑)
もっとも私はクリスチャンではないので
ラウダスでも、ラウダートでもラウダーティスでも
ラウダームントでも構わないが)
聴いて良かった。
知らない曲だったので(だって宗教曲避けてるから)
かえって、ホーネックが、とことんドラマチックに演奏してくれたのも
先入観なしで楽しく聴けた。
同僚の学生にノートをまとめてあげる、と約束した
ラテン語(ルクレチアの陵辱!)を
まだやっていなくて、ヤバイと思いつつ
ついつい今日の記録を書いてしまった私に
どうぞ1クリックをお恵み下さい。
Pittsburgh Symphony Orchestra
Singverein der Gesellschaft der Musikfreunde in Wien
指揮 Manfred Honeck
ソプラノ Christina Landshamer
アルト Gerhild Romberger
テノール Werner Güra
バス Florian Boesch
Anton Bruckner (1824-1896)
Symphonie Nr. 9 d-Moll
Te Deum für Soli, Chor und Orchester
昨日のショスタコーヴィッチもなかなか新鮮なコンサートで
(まだメモ書いてません、後で・・・
註: やっと書いた・・・おヒマな方は こちら をどうぞ)
今日のブルックナーの9番とテ・デウムは売り切れ。
オーストリアが祝日なのは嬉しいのだが
明日の土曜日に仕事があって、金曜日に買い物できないのはツライ。
しかも、朝からオフィス仕事をしていたら(もちろん自宅で)
あっという間に時間が過ぎてしまい
大学関係の事は何も出来ずに終わってしまって
本当にワタシってアホ(涙)
買物も掃除も洗濯もできない宗教的祝日ってキライ(号泣)
・・・と言いつつ
夜のコンサートに出かけるワタシ。
ブルックナーの9番だけ聴いてくれば良いわ、という緩さ。
さて、そのブルックナーの交響曲9番だが・・・
何これ??????
ホーネックが間違いないヘン○イである事は知ってるけど
出だしのダイナミックから度肝を抜く。
小節一つ一つのダイナミックが細かく動いて
ティンパニが強調されていて
強弱とテンポの動きが激しい。
ブルックナーと言ったら、大伽藍というか
基本的に妄想に浮かぶのはカトリックの
ロマネスクかバロックの教会建築のはずなのに
このホーネックとピッツバークのブルックナーは
どう聴いても、ガウディの教会にしか聴こえないんだが・・・
良い意味では有機的で動きが激しく
ものすごく極端にエモーショナルで
あ〜、すみません、時々
どう聴いても「映画音楽」に聴こえてくるんですけど
ダダダンダンダンのところなんて
エイリアンが武器抱えて行進してくるところとか
以下は自粛する。
たぶん、間違いなくホーネックは確信犯でやっている。
とことん、徹底的に考えられた音楽の
有機的動きが生み出すドラマチックな音楽は
ヨーロッパの伝統的な演奏では、絶対に聴けない、と断言できる。
ホーネック(兄)って、もともとウィーンのオーケストラのチェリストだよね?
そう言えば、亡きアーノンクールもチェリストだったし
チェリストって、こういう天才が多いのか?
ホーネック=オーストリア人、という図式は
このブルックナー聴いたら、ガラガラと音を立てて崩れるだろう。
こんな、ある意味、ヘンテコなブルックナー
ヨーロッパの伝統を重視する指揮者なら、絶対に演奏しないし
ヨーロッパのオーケストラでこれをやったら
オーケストラのメンバーは全員、指揮者にソッポむいて
次から絶対に呼ばれなくなるだろう。
ヨーロッパの伝統音楽を知り尽くして
そこから意図的に脱却して
アメリカのオーケストラで、自分の音楽を実践するという
すごい事をやったな、ヘ○タイ・ホーネック(兄)
驚いて呆気に取られて終わった後の
第2楽章が
これまた、あの、その速度で演奏しますか???という
むちゃくちゃな速さの上に
パーカッションの強調があって
ますます妄想は戦争映画(何故だ?)に傾いてしまう。
しかも、テンポ速過ぎて、あっという間に終わる。
時々、ズレてるような気もするけれど、ともかく、あっという間。
その分、最終楽章のテンポの伸ばし方は・・・絶句。
徹底的に遅くしながら
(管が、ま〜、よくぞ付いていったよ)
しかも、その中でのダイナミックとテンポのチェンジが
やっぱりむちゃくちゃ頻繁にある。
もう遅いの何のって、永遠に終わらないんじゃないか、という気がするが
なのに、ずっと遅くなくて変化に富んでいるので
ついつい聴き惚れてしまう。
宗教性とか敬虔な神に対する気持ちとか
そういうのは一切感じなかった。
(音楽家と指揮者がどうだったかは知らん)
ブルックナーが驚いて
墓から出て来て
僕、こんな曲を作曲しましたかね・・・と言いそうな感じはする。
どこでどうなったのかはわからんが
何故に、そこで、そういう不協和音(ディソナンツ)が出てくる?
というところが何箇所かあったし
これって、こういう響(クラスターに近い)だったっけ?
というところもあった。
(オーケストラのメンバーが間違えて演奏しているか、と
一瞬、失礼な事を考えてしまったが
たぶん、それはない、きっと)
従来の「ブルックナーはこれ」という先入観を
見事に吹っ飛ばす演奏だったので
ホーネック、すごい事してるな、というのはわかるが
では、これが録音になったら買うか、というと微妙なところ。
あまりに伝統的な大伽藍ブルックナーとはかけ離れているので
私みたいな年配の客層には、ちょっとアレルギーの出る人もいそう。
そんな奇妙なブルックナーの9番の後
(演奏時間は19時30分から20時45分までだった、かなり長い)
テ・デウムは宗教曲苦手だし、どうしようか迷ったのだが
結果的にテ・デウム、聴いて良かった。
前半と同じく
あくまでも徹底的にドラマチックに
聴こえないくらいのピアニッシモから
鼓膜が破れそうなフォルティッシモまで聴かせてくれて
歌手がまた巧くて
ギューラのテノール、声が澄んで美しく伸びるし
ベッシュのバスは迫力たっぷりで
ソプラノもアルトも、大袈裟にならず
あくまでも宗教曲という感じなのにドラマチックに歌ってくれて
更に、楽友協会の合唱団の巧さには、毎回、舌を巻く。
本当にこれ、アマチュアの合唱団かよ?ウソだろ、って感じ。
実はテ・デウムを楽しく聴いたのは
手元のラテン語のテキストを見ていたせいでもあって
テ・デウム・ラウダームスとか
トゥ・レックス・グロリアエ・クリステとか
(トゥ=二人称単数主格、レックス=男性名称単数主格
グロリアエ=女性名詞グロリアの単数属格
クリステ=クリストゥスの呼格)
続いてトゥ・パトリス(省略)エス・フィリウスとか
あはは、格や単数・複数くらいはわかるし
受動形になってる動詞や過去分詞になってるところもわかる。
あ、マウンティングではございません、すみません。
ラテン語やって、まだやっと1ヶ月なのだが
わはははは、まさか典礼文が、少しなりともわかるようになろうとは・・・
というワケで、テ・デウム
(ラウダームスまで続けないと意味がない(笑)
もっとも私はクリスチャンではないので
ラウダスでも、ラウダートでもラウダーティスでも
ラウダームントでも構わないが)
聴いて良かった。
知らない曲だったので(だって宗教曲避けてるから)
かえって、ホーネックが、とことんドラマチックに演奏してくれたのも
先入観なしで楽しく聴けた。
同僚の学生にノートをまとめてあげる、と約束した
ラテン語(ルクレチアの陵辱!)を
まだやっていなくて、ヤバイと思いつつ
ついつい今日の記録を書いてしまった私に
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