Musikverein Großer Saal 2019年4月3日 19時30分〜21時40分
Musikverein Großer Saal 2019年4月5日 19時30分〜21時40分
Wiener Symphoniker
指揮 Lahav Shani
ピアノ Kirill Gerstein
Johannes Brahms (1833-1897)
Symphonie Nr. 3 F-Dur, op. 90
Wolfgang Amadeus Mozart (1756-1791)
Konzert für Klavier und Orchester d-Moll, KV 466
Franz Liszt (1811-1886)
Les Préludes. Symphonische Dichtung
4月3日分の感想も書き始めてはいたのだが(汗)
5日に2回目を聴いちゃったので、それも含めてまとめて書く。
日刊新聞プレッセの批評には
かなり酷い事が書かれていたようだが
(最近、プレッセの記事がブレンドルで読めなくなって
月に10ユーロ以上払わないと記事が読めないので
全部の記事は読めていない)
3日に聴いた時には
おおお、すごいゲルマンなプログラムという印象が先に立って
しかも週の途中の水曜日で、ほとんど気絶してたような気がする。
ブラームスの交響曲3番。
比較的演奏回数が少ない曲なので
ナマで聴けるのは非常に嬉しい。
だが、第1楽章、何だか拍子がはっきりしない。
いや、この時代になると
リズムを拍子から意図的にずらすというのは
かなり頻繁に行われているので
ブラームスもそういう事をやってはいるけれど
それでも、ベートーベンやブラームスに関しては
リズムが拍子から逸脱していても
ある程度のメトルムは感じられるものと理解していたが
(私の理解が違っている可能性は大いにある)
何だか、くにゃくにゃして
シャキシャキ聴こえて来なくて、ちょっと船酔いしそう。
(ヘンな言い方になるのは、私の言語能力の問題で 💧)
第2楽章は丁寧に歌わせているのだが
丁寧過ぎて、時々、音楽の流れが途切れてしまい
フラグメントを聴いているような気分。
まぁ、主観的印象なので
私の体調によるところも大きいが・・・
しかしこのオーケストラ、管楽器が抜群。
ホルンのソロとか、聴き惚れてしまうし
木管のソロも、どれを聴いても絶品。
その分、バイオリンのカン高さが目立つ。
まぁ、その前に他のオーケストラばかり聴いていたから
というのもあるけれど
この鋭さって、近代曲だと活きるのだが
メロディたっぷりの曲だと、ちょっと残念。
後半はモーツァルトのピアノ協奏曲20番。
モーツァルトとは思えないデモーニッシュな短調の曲。
(ところで、あのカデンツァはモーツァルトのオリジナル?
だったらスゴイ。ものすごく先鋭的で近代的)
キリル・ゲルスタインのピアノが、くっきりはっきり
一つ一つの音がしっかり立ってクリアで
非常に古典的で端正なのに
デモーニッシュさのエモーションも
しっかり演奏に見え隠れしている。
しかしこの曲、本当にモーツァルトとは思えない。
ロマン派っぽくて、エモーションたっぷりで
技巧的な難しさも詰まっていて
でも、やっぱりモーツァルトっぽく
正統的トラディショナルな部分もある。
ゲルスタインの3日のアンコールはシューベルト
5日のアンコールはドボルジャーク(の多分リスト編曲版)
アンコールのセンスは抜群に良い人だな。
3日ではウィーンのクラシックに繋げ
5日ではリストに繋げた(かどうかは不明だが)
全体のプログラムをちゃんと把握していて
独りよがりになっていないプレイヤーって好感が持てる。
最後はフランツ・リストのレ・プレリュード。
読者諸氏はご存知の通り
この音楽、ナチス時代のマスコミ・ニュースの
開始音楽として使われていたために
戦後、かなり長い間、演奏される事がなかったという
かわいそうな曲。
(いったん音楽に連想がくっついてしまうと、なかなか取れない。
サンサーンスの白鳥が響くと、私が帰宅したくなるのと同じである(笑))
第二次世界大戦終焉後、74年過ぎて
やっと生々しい記憶も薄れて来た、という事かもしれない。
フランツ・リストの曲って
現在演奏されるのは、ほとんどがピアノの超絶技巧曲で
ピアノ協奏曲は時々舞台に乗るけれど
他にあまり演奏されないじゃないですか(プンプン)
このレ・プレリュード、モチーフだけ聴いたら
ほとんどの人が、あ、あれね、と知っていると思うのだが
非常にメロディックというか
まるでオペラのアリアのようで
聴きやすいし耳に残りやすいモチーフで
これがバリエーションになったりファンファーレが加わったり
最後は行進曲になって華やかに終わる。
いやわはは、ワーグナーだのう(意味不明発言)
豪華絢爛な音楽による絵巻物で
メロディも響きもゴージャス。
厚みのある絢爛豪華な響きは
楽友協会の音響と非常に合う。
いやもう、合いすぎて、バロック・ロココの世界に
どっぷり溺れそう。
(バロック・ロココとは音楽様式として違うけれど
美術的印象からすると、正にロココ的(主観))
キッチュと言うなら、そうなのかもしれないが
何も考えずに、こういう美しい曲想と
ゴージャスなオーケストラの響きに
どっぷり浸かるのは、なかなかに悶絶・失神の世界でもある。
こういう曲になるとウィーン交響楽団の良さがますます活きる。
ホルンのこの上なく美しいソロに身悶えできるし
金管楽器のファンファーレに鳥肌たつし
オーケストラの響きに身体ごと持って行かれるような快感。
こういう、最後にカタルシスがある曲って
スカッとしてスッキリするわ(笑)
2回目にも行けて良かった。
金曜日の夜に、スッキリ爽やか、というのは
かなりウキウキして
なかなか良いじゃないの、と
ウキウキ気分で会場を後にした私に
どうぞ1クリックをお恵み下さい。
Musikverein Großer Saal 2019年4月5日 19時30分〜21時40分
Wiener Symphoniker
指揮 Lahav Shani
ピアノ Kirill Gerstein
Johannes Brahms (1833-1897)
Symphonie Nr. 3 F-Dur, op. 90
Wolfgang Amadeus Mozart (1756-1791)
Konzert für Klavier und Orchester d-Moll, KV 466
Franz Liszt (1811-1886)
Les Préludes. Symphonische Dichtung
4月3日分の感想も書き始めてはいたのだが(汗)
5日に2回目を聴いちゃったので、それも含めてまとめて書く。
日刊新聞プレッセの批評には
かなり酷い事が書かれていたようだが
(最近、プレッセの記事がブレンドルで読めなくなって
月に10ユーロ以上払わないと記事が読めないので
全部の記事は読めていない)
3日に聴いた時には
おおお、すごいゲルマンなプログラムという印象が先に立って
しかも週の途中の水曜日で、ほとんど気絶してたような気がする。
ブラームスの交響曲3番。
比較的演奏回数が少ない曲なので
ナマで聴けるのは非常に嬉しい。
だが、第1楽章、何だか拍子がはっきりしない。
いや、この時代になると
リズムを拍子から意図的にずらすというのは
かなり頻繁に行われているので
ブラームスもそういう事をやってはいるけれど
それでも、ベートーベンやブラームスに関しては
リズムが拍子から逸脱していても
ある程度のメトルムは感じられるものと理解していたが
(私の理解が違っている可能性は大いにある)
何だか、くにゃくにゃして
シャキシャキ聴こえて来なくて、ちょっと船酔いしそう。
(ヘンな言い方になるのは、私の言語能力の問題で 💧)
第2楽章は丁寧に歌わせているのだが
丁寧過ぎて、時々、音楽の流れが途切れてしまい
フラグメントを聴いているような気分。
まぁ、主観的印象なので
私の体調によるところも大きいが・・・
しかしこのオーケストラ、管楽器が抜群。
ホルンのソロとか、聴き惚れてしまうし
木管のソロも、どれを聴いても絶品。
その分、バイオリンのカン高さが目立つ。
まぁ、その前に他のオーケストラばかり聴いていたから
というのもあるけれど
この鋭さって、近代曲だと活きるのだが
メロディたっぷりの曲だと、ちょっと残念。
後半はモーツァルトのピアノ協奏曲20番。
モーツァルトとは思えないデモーニッシュな短調の曲。
(ところで、あのカデンツァはモーツァルトのオリジナル?
だったらスゴイ。ものすごく先鋭的で近代的)
キリル・ゲルスタインのピアノが、くっきりはっきり
一つ一つの音がしっかり立ってクリアで
非常に古典的で端正なのに
デモーニッシュさのエモーションも
しっかり演奏に見え隠れしている。
しかしこの曲、本当にモーツァルトとは思えない。
ロマン派っぽくて、エモーションたっぷりで
技巧的な難しさも詰まっていて
でも、やっぱりモーツァルトっぽく
正統的トラディショナルな部分もある。
ゲルスタインの3日のアンコールはシューベルト
5日のアンコールはドボルジャーク(の多分リスト編曲版)
アンコールのセンスは抜群に良い人だな。
3日ではウィーンのクラシックに繋げ
5日ではリストに繋げた(かどうかは不明だが)
全体のプログラムをちゃんと把握していて
独りよがりになっていないプレイヤーって好感が持てる。
最後はフランツ・リストのレ・プレリュード。
読者諸氏はご存知の通り
この音楽、ナチス時代のマスコミ・ニュースの
開始音楽として使われていたために
戦後、かなり長い間、演奏される事がなかったという
かわいそうな曲。
(いったん音楽に連想がくっついてしまうと、なかなか取れない。
サンサーンスの白鳥が響くと、私が帰宅したくなるのと同じである(笑))
第二次世界大戦終焉後、74年過ぎて
やっと生々しい記憶も薄れて来た、という事かもしれない。
フランツ・リストの曲って
現在演奏されるのは、ほとんどがピアノの超絶技巧曲で
ピアノ協奏曲は時々舞台に乗るけれど
他にあまり演奏されないじゃないですか(プンプン)
このレ・プレリュード、モチーフだけ聴いたら
ほとんどの人が、あ、あれね、と知っていると思うのだが
非常にメロディックというか
まるでオペラのアリアのようで
聴きやすいし耳に残りやすいモチーフで
これがバリエーションになったりファンファーレが加わったり
最後は行進曲になって華やかに終わる。
いやわはは、ワーグナーだのう(意味不明発言)
豪華絢爛な音楽による絵巻物で
メロディも響きもゴージャス。
厚みのある絢爛豪華な響きは
楽友協会の音響と非常に合う。
いやもう、合いすぎて、バロック・ロココの世界に
どっぷり溺れそう。
(バロック・ロココとは音楽様式として違うけれど
美術的印象からすると、正にロココ的(主観))
キッチュと言うなら、そうなのかもしれないが
何も考えずに、こういう美しい曲想と
ゴージャスなオーケストラの響きに
どっぷり浸かるのは、なかなかに悶絶・失神の世界でもある。
こういう曲になるとウィーン交響楽団の良さがますます活きる。
ホルンのこの上なく美しいソロに身悶えできるし
金管楽器のファンファーレに鳥肌たつし
オーケストラの響きに身体ごと持って行かれるような快感。
こういう、最後にカタルシスがある曲って
スカッとしてスッキリするわ(笑)
2回目にも行けて良かった。
金曜日の夜に、スッキリ爽やか、というのは
かなりウキウキして
なかなか良いじゃないの、と
ウキウキ気分で会場を後にした私に
どうぞ1クリックをお恵み下さい。