アンドラ公国 珍道中 その4(最後)

2016年8月13日〜14日

アンドラ公国珍道中、これにて最後です。
どうぞもう少しお付き合い下さいまし。

歩行者天国まで歩いて
地元のお店に入って
ガスパチョをまたもや大量に飲んで
(本当に美味しいんですよ、これ)
魚にニンニクたっぷりの食事。



このニンニクが美味しくて・・・(笑)
旅行に出ると、普段食べないものもどんどん食べちゃう。

さて、最終日。
昨日、フラフラになりながらも、ほとんどの場所は見たので
最後に、昔の教会跡に建った、新しい教会を見に行った。
Nostra Senyora de Meritxell Sanctuary Basilica

あんまり詳しい説明も写真もないけれど
英語サイトは ここ

何枚か珍しく撮った写真はこれ。



昔の教会が燃えた後に作ったバジリカで
一部が博物館のようになっていて
アンドラの様々な教会のジオラマが展示してある。

ただ、日曜日は自転車のロードレースが行われていて
しかも、ロードレースの時にも
道路の閉鎖はなくて
(あったら交通に支障をきたすどころの騒ぎじゃないと思う)

車で走っていると
右から左から、大量の自転車が走ってくるので
ちょっとコワイ・・・

ロータリーのところは警官が立って
交通整理していたけれど
自転車との接触事故がなくて、本当に良かった(汗汗)

2日目に車で走ってよくわかったけれど
ここは冬のスポーツには素晴らしいところだろう。
(夏でも動いているゴンドラがある街もあったけれど
 あまりに人が多いので行くのは止めた(笑))

スペイン語かフランス語が堪能なら、という前提だが(爆笑)

山肌にくっつくように建っている古い石の建物のホテルとか
本当にピレネー山脈を走ってるんだなぁ、と
何となく感慨深い。

天気が良かったので、3日間
ゴキゲンなマツダの車でガンガン山道走って
約300キロの距離を踏破したのにもかかわらず
何と、ガソリンは16リットルくらいで済んじゃって

マツダって燃費むちゃくちゃ良いじゃん(驚愕)
しかも、ガソリンがオーストリアより安くて
最後に満タンにしても、16ユーロくらいで済んじゃった。

AVIS 近くのガソリン・スタンドに車のキーを返して
ガソリン・スタンドからタクシー呼んでもらって
市内のバス・ターミナルで荷物をロッカーに預けてから
初日に行った首都を散歩した。

日曜日なのにお店開いてるし・・・
しかも、すごい人の数。

レストランは13時からしか開かないので、ちょっとのんびりして
(註 夜は20時からしか開かないところが多い)
最後にガスパチョ(またかよ(笑))と
パエージャ頼んで
ついでにしっかりクレーム・ブリュレも食す。



あ、クレーム・ブリュレって
こちらではカタルーニャ・クリームと呼ばれているので
ここら辺が発祥の地の筈。
(好きなんです、クレーム・ブリュレ。今回も2回は食した)

15時のバスに乗って、またもや小型バスで3時間。
バルセロナ空港に到着したが
ターミナル1で降りたら、当該のフライトが見つからず
オーストリア航空で聞いたら
あ、この便はターミナル2だから循環バスに乗って、と言われ
(最後の便はヨーロッパ・ウイングスとの共同運行だった)

慌ててターミナル2に移動したのだが
連休の中日なのに、すごい乗客の数で
カウンター2つしかないのに、100人くらい並んでいて

しかもカウンターでトラブる客の多いこと(ため息)
せっかく事前に席の予約もしてあったのだが
完全に無視されて
前の列の窓際と廊下側を予約しておいたのに
かなり後ろの方の廊下側と真ん中になってしまって
(でももう、カウンターで文句言う気も失せた・・・)

晴れていたので、窓際だったら
ニースとかマルセイユとかも見えた筈なんだけど(涙)

しかし、アンドラ公国なんて
1人だったら絶対に行く気にならなかっただろうし
旅トモがスペイン語やフランス語を駆使したから何とかなったけど
英語とドイツ語だけじゃ、あの国、絶対無理です(断言)

何が楽しかったと言って
やっぱりマツダで走った山道の
カーブだらけ、ロータリーだらけのドライブだなぁ。

景色むちゃ良いし
ナビゲーターはカタルーニャ語で全然役に立たなかったけど
(時々、突然警告音を出すので反って邪魔だった)
あのドライブの気持ちの良さは特筆モノだった。

という訳で今年の休暇も終わり。
(金曜日1日だけの夏休み(笑))

天気に恵まれ
友人の旅トモの語学力とナビゲーションに助けられ

自分だけだったら一生行かなかった国を
満喫して来た私に
どうぞ1クリックをお恵み下さい。


アンドラ公国 珍道中 その3

2016年8月13日

2日目、朝8時の朝食の後
例の500ユーロで9時間というルートを走ろうという事になり
8時30分には出て
まずはフランスへの道を走る。

カーブも多いのだが
この国、異様にロータリーが多い。
しかもロータリーというよりは
道がそのまま続いているのに
ロータリーっぽく作ってあるだけで
丸い形にすらなっていない場所がかなりある。

もちろん、それだって立派なロータリーだから
左からの車が優先なんだけど
対向車線みたいなところにあるロータリーなので
道を間違えて方向転換する以外には
左側から車が入って来る事は滅多にない。

フランス方向に走って走って
アンドラとフランスの国境を越えて
入ったのは

スペイン・・・

実はフランスの中にスペインの飛び地があるのだ。
どうしてもソコに行きたいというので。

どうぞ地図をご覧下さい。



左のアンドラ・ラ・ペリャと書いてあるところがアンドラ。
右がフランスで
その中に Llivia と書いてある小さな領地がスペイン領。

周囲は標識含めてすべてフランス語だが
入ったとたん、全部カタルーニャ語になる(爆笑)

そこから左下に出て
フランスとスペインの国境を通り
(どこが国境なんだか、全くわからなかった(汗))

ピレネー山脈の中をずっと走って走って走って
もちろん、山道でカーブてんこ盛りで
いろは坂って感じ。

途中ですごく目立つお城があって
どうもホテルみたいなので入ってみた。

そのホテルは El Castell de Ciutat と言う
ルレ・エ・シャトーのメンバーの大高級ホテル。
サイトは ここ
(View で写真をご覧下さい。3番目の写真にお城が出ているが
 これが道路から圧倒的な大きさで目に入ってくる)

ランチは13時過ぎからでちょっと早かったので
(たぶん非常にお高いだろうと思ったし)
テラスでコーヒーだけ飲んで
ちょっと金持ちになった気分(だけ)を味わう(笑)

お城は後ろにど〜んと控えていて(廃墟だが)
周囲はピレネー山脈で
ホテルにはビューティ・ファームと高級レストランがあって

ホテルのパンフレットはスペイン語しかありません(爆笑)
・・・まぁ、絶対に1人じゃ来られないだろう。

南から、またアンドラに入るところで

思いがけない大渋滞・・・
まぁ、2車線が時々1車線になったりしていたのもあるけれど
スペインから、フランスから
大量の車が、買物か何かわからないけれど
アンドラに入って来ている。

(註 日曜日に自転車のロードレースがあったので
   その関係だったのかもしれない)

何だか、ツアーで9時間とか言っていたところを
5時間くらいで廻っちゃったんだけど・・・

ホテルのガレージにいったん車を置いて
14時過ぎから歩行者天国の外のレストランで食事。

日中は暑いけれど、湿気がないので非常に快適。
この気候だと、やっぱり

ガスパチョが美味い!!!!

結構な量が出てくるのだけれど
どんどん飲める。いくらでも飲める(笑)
やっぱり気候にあったものって美味しい ♡

さて、あれだけカーブだらけロータリーだらけの山道を走ったら
午後は温泉でも行ってゆっくりできるか、と思ったら

ついでに北の方にも走ろう、と言われて
偏頭痛が治っていない状態の私は
実は一瞬、ゲッソリしたんだけれど

結果的には行って良かった(笑)

目指すは北の Ordino という村。

たいして距離はない。
ピレネー山脈の山道を
どんどん登って行くだけである。

到着して、旧市街に入って目指すは
Casa d’Areny-Plandolit House Museum
グーグル・ビューで何枚か写真があるので
ご興味ある方は ここ をどうぞ。

ここに行ったら
ガイド・ツアーしか入れないと言われ
次のフランス語(ロシア語翻訳が入るらしい)が満杯
その次が40分後にスペイン語(カスティーリヤ語)のツアー
最後にカタルーニャ語のツアーって

英語はないのか英語は(怒)

もっとも、ここのガイドさん、英語ペラペラ。
(やっとこの国で英語を話す人に当たった!!!)

しかも、すごく親切で
待ち時間に、ミニアチュア博物館に行って来たら?
歩いて2分のところよ、と言われて

行ったのがミニアチュア博物館。

ウクライナの職人 Nikolai Siadristyi という人が作った
顕微鏡で見ないとわからない
針の穴の中にローマの戦車が居たり
エジプトのピラミッドにラクダが居たり
砂糖の結晶の上に金の壷や皿があったり

作品そのものは1ミリに満たないので
肉眼でだいたい作品が見えない!!!

変わった事をする人が居るものだ(感心)
同じ博物館はロシアのマトリョーシカ博物館にもなっていた。

その後戻って、プランドリット・ハウスで
スペイン語のツアーに参加。

スペイン語だから、全然わからないけれど(涙)
キッチンから図書館、寝室、ご婦人の寝室
子供部屋、遊戯部屋、歯医者さんの部屋からゲスト・ルームまで
当時のアンドラの貴族?の生活がよくわかる。

で、この唯一アンドラで英語がペラペラのチャーミングな女性は
スペイン語でガイディングした後に
親切にも英語で少し内容を話してくれる。

面白かったのは食器のコレクションで
これは、オーストリアのフランツ・ヨゼフ皇帝と
エリザベート皇女から贈られたもの、というセットが揃っていた。
思いがけないところで、アンドラの貴族との繋がりがあったのね。

その後、また山道を登って車で走ったのだが
行き止まりの手前で疲れ切って
アンドラに戻る事にした。
(山道のカーブだらけで、もう運転手ヘトヘトです(笑))

19時過ぎにホテルに帰れたので
地下のテルメ(温泉)のスチーム・サウナに行ったのだが
20時にお終い、という事で
ジャグジーもマッサージも使えずに
スチーム・サウナだけで終わり。ちょっと残念。
(せめて22時までとか開いていてくれたら良いのに)

まだしつこく続きますが
明日の記事で最後にしますので
どうぞ1クリックをお恵み下さい。


アンドラ公国 珍道中 その2

Andorra 2016年8月12日 続き

市内のコングレスハウスのパーキングは30分無料。
下から入ったのだが、エレベータで7階まで登ると
そこが旧市街。

まずは Sant Esteve Church
これはわかるぞ、いわゆるステファン教会だわ。
中の聖人もシュロの葉と石を持ってるし。

見事な石のロマネスク建築。
(もっとも、どの教会もみんなロマネスク・・・(笑))

その後、すぐ横から Casa de la Vall に入る。
英語のガイディングがあったのでラッキー ♡
しかも見学無料 ♡♡♡

古い石のロマネスク建築で1580年に個人宅として建てられ
1702年に政府の所有になって
2011年まで、ここで議会が行われていたとの事。
公式サイトは こちら
(もちろん、カタルーニャ語オンリーです(笑))

国政は中の椅子、州政府が外側の椅子で
写真で見るよりルームはもっと小さい。

しかも、その後ろには小さなチャペルまであって
議会の前にチャペルでミサを行っていたそうだ。
一階には裁判所まである。

現在は隣のビルに移ったという事だが
隣のビルって、小さめの、ただの普通の建物(笑)

パーキングから車を出して
何とか旅トモのナビでホテルにたどり着き
ホテルのパーキングに入れて
初日のプログラム終了。

朝4時半起きだったし、もうヘロヘロ。

ホテルから徒歩5分の歩行者天国ショッピング街へ。
金曜日の夜20時過ぎだけど
お店は全部開いてる(笑)

オーストリアとは商売ッ気が全然違う(爆笑)

アンドラはシェンゲン契約に入っていて
通貨はユーロだけど
EU ではないので、免税ショッピングが出来るのだ。

ショッピング興味ないですが・・・(すみません)

バッグや靴、ブランドの洋服、宝石に時計、香水に化粧品。
電化製品から何から、ともかくスゴイお店の数。

(ここには香水博物館というのもあるらしい)

ちょっと高級なレストランに入って
サラダやタパスを山ほど注文してモリモリ。

せっかくスペイン語圏に来たんだから
(まぁ正式にはカタルーニャ圏かもしれないが)
カヴァとかワインとか飲みたいけれど
旅トモはアルコールは全然ダメなので
こちらもミネラルウォーターを飲んでいたら

最後にサービスとして
カヴァが出てきた ♡♡♡
久し振りの泡、美味しかったです。

という事で1日目は終わり。

しつこくまだ続きます。

1クリックをお恵みいただければ
偏頭痛と戦いながら旅行した甲斐があったというモノで・・・(笑)


アンドラ公国 珍道中 その1

Andorra 2016年8月12日〜14日

小旅行というよりは
ちょっと大旅行的な珍道中だが(笑)
8月12日にお休み取って、2泊3日で行って来たアンドラ公国。
いくつかに分けて書くけれど

小学校の遠足作文的な
つまらない記事になりますので
どうぞお許し下さいまし・・・

読者ご存知の通り
私、カメラ持ってませんし(昔からの習慣で(汗))
スマホは古い古い古い機材なので
すでにメモリーが満杯で、システムのグレード・アップも出来ず
(安い契約なので機材を変えられない(汗))

よって、すみません、写真はございませんが
その分、サイトをリストするなり何なりして対処します(言い訳)

30年以上の付き合いになる旅行オタク友人が
今年はアンドラに行きたい・・・と言い出して
12日金曜日1日休暇を取った。

このお盆の時に休暇を取る?と
ちょっと周囲の目が冷たかったが
思い切って休暇取らないと、何処にも行けないし(言い訳)

さて、アンドラという国の観光を調べてみたのだが

・・・見事に何もひっかかって来ない。

ともかく、バルセロナ空港からバスが出ているらしい。
Andora by Bus という会社で、サイトは ここ

朝7時出発のバルセロナ行きのオーストリア航空で
9時15分にバルセロナ到着。

シェンゲンだし EU だからパスポート検査もなく
多少荷物が出てくるのに時間がかかったけれど
10時出発のこのバスに乗り込んだ。

・・・高速道路や田舎道を走って3時間。
3時間ですよ、3時間。
しかも24シーターくらいの小型バスなので
中にトイレないし
到着の1時間くらい前からトイレ行きたくて死ぬかと思った。

はいはい、どうせ老人ですから、トイレが近いです(開き直り)
到着したところに、ちゃんとトイレがあったので駆け込んでセーフ(笑)

さて、アンドラという国は
東京都23区より狭い面積で、人口は8万人を切るミニ国家。
しかも、公国なのだが
大公がフランス大統領とスペインのウルヘル司教。

フランス大統領はアンドラでは大公になってしまうのか、わはは。
何かともかく不思議な国なのである。

首都のアンドラ・ラ・ペリャの天気をスマホで調べていたら
夜になると10℃を切っているようだが
天気は旅行中はずっと晴れ。

日中、太陽が強くて、太陽が出るとむちゃくちゃ暑い。
太陽に炙られている感じで30℃くらいになる。

ただ、さすがピレネー山脈のど真ん中なので湿気は少ないし
暑くなっても夕方に雷雨がある事もなく
朝晩は20℃を切るくらいの涼しさで
非常にゴキゲンな天候。

さて、ホテルは旅行オタク友人が
温泉好きだよね、というので
温泉のあるホテルに決定して予約したのだが

どうもこのホテル、首都のアンドラ・ラ・ペリャにはないようで
よくよく見たら、住所が Escaldes になっている。

え〜っとですね
私もちょっと混乱しているので
アンドラの州の地図はこちら。



赤い四角が首都のアンドラ・ラ・ペリャで
その右側に Les Escaldes とあって、どうもここにあるホテル。

で、ホテルのサイトは こちら

ホテルでもらった地図の一番左に大きな矢印で
Andorra la Vella と書いてあったので
え、ここ、首都じゃないの?と気がついた
私、どこまでアホ。

バルセロナからバスを降りたところで
このホテル何処?って聞いたら
タクシーでしか行けないと言われたのも、まぁ、そうですね、はい。

ただ、このホテルのロケーションは抜群だった!!!

首都のゴチャゴチャしたところに宿泊するより
ずっと静かで
後ろには渓谷を川が蕩々と流れていて
近くには広大な歩行者天国のショッピング・センターがある。

ちょっと離れたところには
ホテル専用の50メートル・プールもあったのだが
アホな私は、水着を忘れて(以下省略)

さて、アンドラ2泊予定の我々は
見どころの情報は(ほとんど)ないし
旅行オタクは早速、オタクなお店で
アンドラの地図は買って来て

あちこち廻るツアーがあるんだけど
全部で9時間で500ユーロくらいする・・・・って

いや、それ、さすがに高過ぎだろ。
だったら、レンタカーにしよう
というのは、車が好きな私の勝手な判断(笑)

ナビゲータにされた友人にはかわいそうだが(爆笑)

ホテルにチェックインしてから
ガレージの予約をして
近くのレストランで遅めのランチ。

で、ですね。
アンドラという国は
隣のスペインとフランスからの訪問者がほとんどで
街を走っている車も
アンドラ・ナンバーよりも
圧倒的にスペインとフランスの車が多いのである。

それが何を意味するかと言うと
ここでは
カタルーニャ語か
いわゆるスペイン語と呼ばれるカスティーリャ語か
フランス語しか通じない(汗汗汗)

いやもう、旅行オタクの友人が
フランス語もスペイン語も出来て良かった。
私1人だったら、完全にアウトの世界である。
(そう言えば大昔にセヴィリア周辺を彷徨った時も
 スペイン語しか通じなくて、英語もドイツ語もダメでイヤな思いをしたのだった)

お魚の盛り合わせがあまりに美味しくて
ここ、一応、ピレネーの内陸国だけど
やっぱりスペインの海岸とかが近いのだな、と納得。

さて、その後に何するかと言うと
レンタカーをピック・アップに行かねばならぬ。

どうも市内からずっと離れたところにあるらしく
タクシーで行かねばならないようなのだが
タクシー・スタンドにタクシーいないし
そこに書いてある電話番号に電話して
旅トモが何とかスペイン語でタクシー呼んでくれたから良いものの
私1人じゃ絶対無理(涙)

AVIS のレンタカー、エコノミーの上のクラスにしたら
来たのがマツダのデミオのシルバー・グレイ。


(クリックで大きくなります。
 日本のサイトからひっぱった写真ですが
 もちろんレンタルしたのはヨーロッパ仕様の左ハンドル、マニュアル車)

で、この車、むちゃくちゃ走りやすい上に
燃費が信じられない程良くて、驚いた。
ハンドルは軽いし、速度は出るし、ギアも楽に入る。

惜しむらくはガソリン消費のメーターとかの表示が
ちょっと暗くてわかりにくいし
ライトも、スタンド・バイとライトと普通のライトの区別が
車の中には表示されない事かな。
(もっともそれは私の見方が悪かったのかもしれない)

知らない国だし、ナビも必要かと、追加費用でナビをレンタルしたら

・・・ナビゲーション、カタルーニャ語オンリーで
全くわかりません(涙)

旅トモはスペイン語からの連想でわかるようだが
何故か、アンドラの州が違うと、通りの名前が出て来ない、と怒っていて
結局、ナビゲーション全然使わずに走る事になった。

首都のアンドラ・ラ・ペリャの会議センターのパーキングに停めて
(いや〜、私の車より短いので停めやすいったら(笑))
パーキングの7階で降りて旧市街に入る。

まだ続きます。
退屈でしょうが、お付き合い下さいまし。
ついでに1クリックをお恵みいただけましたら望外の幸いです。


ベルリン印象記

忘れないうちにベルリンの印象を

思いつくままにメモして置く。

あくまでも個人メモです(断言)


ベルリンは大都会なので

しかも、東西分かれて発達して来た時代があるので

仕方がない部分もあるだろうが


公共交通機関がかなりややこしい。

地下鉄に S-Bahn にバスと市電があるのは

ウィーンだって同じだが

路線の数が(市電を除く)半端じゃなくて

乗り継ぎにしても

何処がどう繋がっているかがわからないとお手上げ。


公共交通機関の駅に入るのに

エスカレータがない!!!!!

時々、エレベータはあるし

エスカレータだって、全くない、という訳ではなく

ほんの時々、申し訳のようにあるものの

基本的には地下鉄から上に出るのは階段。


これ、歳取ったら、かなり移動しにくい構造じゃないか?


ベルリンに行くなら、身体と足が動くうちに行こう・・・(決心)


コーヒーハウスが少ない。

というより、スターバックスとか時々見かけるけれど

ウィーンだったら街のあちこちにある

コーヒーハウスやお菓子屋さん(コンディトライ)がものすごく少ない。


ショッピング通りなんて

本当にお店ばっかりの連続で

ショッピング最中に疲れたら、何処で休むんですかベルリンっ子たちは?


甘いものが好きな同僚が居るので

やっぱりバウムクーヘンだろう、とお菓子屋さんを探したけれど

フリードリヒ通りもウンター・デン・リンデンも

アレクサンダー広場もポツダム広場も

お菓子屋さんやコーヒーハウスがない。

(いや、見つけられなかっただけで、きっと何処かにあるだろうが)


ベルリンのエージェントさんと会ったので

バウムクーヘンの有名なお店って何処?と聞いたら

知らない、とバッサリ。


え〜い、じゃぁ、ググってやる、と調べたところで

見つかった郊外のお店までわざわざ足を運んだのだが

来てるの日本人しかいないよ?

(ちなみに、そのお店、ググった結果

 「ベルリンっ子にも大人気の」とあったけれど

 生粋のベルリンっ子であるところの業界エージェントも知らなかった。

 まぁ、そういう事って有り勝ちなのだが・・・)


ついでに市内にレストランが少ない。

というより、レストランのある場所には集中してあるのに

それ以外のところに、全く延々とレストランがない。


加えて言えば、市内にスーパー・マーケットがない。

雑貨屋さんとかドラッグ・ストアはあるのだが

食料品って、いったい何処で買うんでしょう、みなさん・・・


(註 オーストリアはヨーロッパ諸国の中で

   住民一人あたりのスーパー・マーケットの面積が

   ダントツ一位らしいので

   街のあちこちにあり過ぎるくらいスーパーがあるのに慣れている)


ホテルにスモーキング・ルームがまだあった!!!

これは驚き。

ウィーンでは、ほとんどのホテルが全室ノン・スモーキングになっていて

タバコ愛好者は、ホテルの前に置いてある、どでかい灰皿のところで

スパスパ吸ってからルームに行かねばならないのに。


その代わりに、市内には灰皿がない!!!!

何と驚く事に、まだまだポイ捨てタバコが散乱しているところがある。


ウィーンでタバコのポイ捨て禁止になった時

しめしめ、これで携帯灰皿を売ったら大儲けできるか、と思ったら

街の角々のゴミ捨ての缶の横に

タバコ用のゴミ捨て缶が併設されてしまっていて

ほとんど角ごとの柱に、灰皿風のタバコ捨てがあるので

携帯灰皿持っていなくても、全く不自由しない。


ベルリンはそういうのがナイ(断言)

どこにも灰皿がない。

ホテルの前にも、地下鉄や快速線の駅のところにも

(ウィーンは地下鉄駅に降りるところに灰皿が必ずある)

バス乗り場のところにもない(地面に盛大に吸い殻が捨てられている)


コーミッシェ・オーパーも

シラー劇場も

クローク・ルームが無料だった。


しかも誰もチップ渡してない(だから私もケチった)

トイレにも、チップをあげねばならないトイレおばさんが居ない。


しかもチケット安いし(笑)

ドイツでは文化的な催物には付加価値税がかからないのである。

(オーストリアは文化国家とか言ってるくせに

 現時点では10%、今年5月からは13%の付加価値税をかけている)


その代わり(?)プログラムが5ユーロ。

ちょっきり5ユーロですよ、チップ渡せませんよ。

通常、ウィーンなんかは、4ユーロ50セントとか(5ユーロ渡す)

私がいつも買うキャスト表は90セント(1ユーロ渡す)とか

半端な金額を切り上げてチップにしているので

プログラム5ユーロで、6ユーロあげるべきか悩んだのだが

誰もチップ渡していない様子だったのでケチして渡さなかった。

(けど、それで良いのか???)


で、これはあくまでも印象だが

ベルリンには若い人が多い。

(逆を言えば、ウィーンは老人だらけ、という事もある)


ついでに、すごく不思議だったのだが

イスラム教徒の女性のマフラー姿を全く見かけないのだが・・・


気温マイナス11℃で、むちゃ寒いので

みんな帽子を被っているせいか、とも思ったけれど

ウィーンでは山ほど見かける

マフラーで頭を隠したイスラム教徒って

全然ベルリンでは見かけなかった。

(ウィーンには多すぎるのかもしれないけど・・・う〜ん)


地下鉄乗っても、ドイツ語が聞こえてくる。


いや、すみません、ウィーンの地下鉄に乗ると

トルコ語やロシア語、アルメニア語とかチェコ語とか

ともかく、ほとんどドイツ語が聞こえて来ないんですわ。


私が入院した時も

同室全員トルコ人(で毎日家族10人くらいがお見舞いに来る)で

病院の下働きの女性もトルコ人で

ずっとトルコ語ばっかり聞こえて来て

いったい、ここは何処?という感じだった経験がある。


ドイツも外国人労働者でトルコ人を山ほど受け入れた時代がある筈なんだが

あの時のイスラム教徒のトルコ人は何処に???


市内の車が少ない。

でもこれ、もしかしたらまだみんなクリスマス・新年休暇なのかも。

ただ、メイン道路は別として市内の車交通は少ない。

でも、ガソリン代が、ざっくりオーストリアの20%増しだから

市内では車は使わないのかもしれないなぁ。

(パーキングはチケットを購入するタイプのものだった。

 値段をチェックしなかったけれど、高いのかもしれない)


同じドイツ語だし

しかも大学で習った美しいドイツ語に近いし

公共交通機関の使い方は

1週間ほど居て慣れたら問題ないと思うし


ただ、階段の多さと歩く距離が長い。

(ウィーンだったら降りたらすぐに目的地(笑)

 だいたい、観光客の目玉の一つの Museumsinsel が

 何処の駅からも徒歩5分くらいかかるって、何なんだ?!)


それを考えると

ベルリンに行くのは、多少なりとも足が動くうちでないと無理か。


若い人が多い=老人が少ない

というのはあるから

老人にはあまり優しい街でない事は確かだからな。


引退したら、一度はベルリンに長期滞在してみたい、と

野望をメラメラ燃やす私に

どうぞ1クリックをお恵み下さい。



私のすごく古いiPhoneで写真撮ろうとしたら

メモリー不足になって全然写真は撮れなかった・・・

新しい機種を買う余裕はない(こういうベルリン旅行しちゃったから(汗)


明日1月6日はオーストリアは祝日でオフィスはお休み。

ついでにお店も全部お休みです(笑)



グライレンシュタイン城

Schloss Greillenstein  2015年7月5日


実は昨日のグラーフェネックの音楽祭を最後に

長い夏休みに入る予定だったのだが


ツィッターをやっている方はご存知の通り

ウィーンから低地オーストリア州に入った高速道路のところで

電話が鳴って

その後、ガソリン・スタンドに車を停めて

33℃の気温の中

携帯電話2台使って、問題を解決して

更にその後、オフィスに戻って

(で、戻ろうとして来た道を戻れず

 とんでもないヘンな高速道路でウィーンに戻って(←方向音痴))

結局、夜8時近くまでかかったので

諦めて戻って来た(涙)


ちょっと言いたいんだけど

これ、ウチのミスじゃないですから(怒)

同僚の休暇中、私が完璧に手配を済ませて

すべての情報を間違いなく渡していたのに・・・


まぁ、ミスは誰にでもある。

それは仕方ない。

それでコンサートに行けなくなっても仕方ない(涙)


いやいや、ここで文句を言っても始まらない。


さてウィーンには熱波が来ていて

土曜日は33℃。日曜日はそれを越える予想で

月曜日〜火曜日はもっと暑くなりそう。


日曜日の朝8時の恒例のご近所さんサウナの後

今日、みんなでホイリゲに行くんだけど、というのを断って

昼ちょっと前に車に飛び乗って

目指すはオーストリアには少ないルネッサンスのお城。


ルネッサンス好きなんだも〜ん。

でも、オーストリアの貴族って、みんな金持ちだったのと

30年戦争とかで建物を壊されてしまったので

みんな、バロックにしちゃってるので

残ったルネッサンスの城は非常に少ない。


観光事業関係の方はご存知の通り

その中で最も有名なのは、インスブルック郊外の

アンブラス城だろう。


これは押しも押されもしないハプスブルク家の

オーストリア大公フェルディナントが

豪商のヴェルザー家のフィリッピーネと貴賤結婚して

ともかく金があったらしく(笑)

実に豪華絢爛なホールが現存していて(コンサートも行われている)

武器庫には、何と損傷の全くない日本の鎧兜まである


・・・・おっと、話がズレた。


その他のルネッサンスと言えば

やはりヴァルトフィアテル地方のローゼンブルク城では

お城の馬場を舞台にして夏の演劇祭が行われている。


そんな少ない中で見つけたのが

グライレンシュタイン城


14時30分からガイディングがあるというので

ウィーンから A22 高速道路を走って

Stockerau Nord から Horn 方向に国道を走る。


オーストリアの良いところは

こういう見どころに関しては

ある程度、道路標識がしっかりしていて

茶色に白抜きの(時々は絵まで添えて)表示があるので

何とか迷わず

Greillenstein という村まで来た。


で、城は何処????(汗)


車で5分走ったら村出ちゃったし(大汗)

慌ててUターンして、また村に入って

ちょっと道路を曲がったら


あら、あった。



このお城は現在でもクフシュタイン家の個人所有で

1960年くらいまで、本当に住んでいたそうだ。

見事なルネサンスのアーケードがある ♡



ガイディングに参加すると

最初に入るのは、何と、事務室と裁判室(!!!)

1634年にこの地域の最高裁判権(死刑も可能)をハプスブルクから与えられ

1848年に地方裁判所が出来るまで

この部屋で、住民や土地の管理をして

裁判も行われていたそうで


裁判の机はマリア・テレジア時代より古い

現存する唯一のもの。

(そんなに古くは見えませんが(笑))

壁にはずらっと書類棚が並んでいる。

ううう、すごい古文書の数・・・・(まだ実際にあるそうです)


しかし、この若いお姉さんのガイドさん

ほとんど内容のないガイディングだなぁ。


いつまで裁判が行われていたのですか、というのに

地方裁判所が出来るまで(だからそれ何時?)と答えて

他のお客さまがヨゼフ2世の頃とか言い出したら

そう、とか言うんだもん。


あのね、ヨゼフ2世って1741年〜1790年だから

1848年までのファイルがある訳ないでしょうに。

(それに1848年は革命の年だったから

 オーストリアの歴史知ってたら、そこらへん、もう少し詳しく聞きたかった)


まぁ、それはともかく

チャペルはルネサンスの祭壇が少し残っていて


面白い事に、このクフシュタイン家は

ずっとこの地方のプロテスタントをまとめていて

自分でもプロテスタントだったそうだ。

ただ、30年戦争(1618-1648) の時にカトリックに改宗したそうである。

(そこら辺の政治状況も、もう少し詳しく話してくれると良かったのだが)


図書館は、うははははは

う・う・う・羨ましい。

これだけの広さがあれば、私の本だって余裕で収まるのに

(いや、でも、ここ6000冊とか言っていたから無理かも)


本棚はどの時代のもの?と聞かれて

若いお姉ちゃんのガイドさん「知らない」と逃げていたが

この本棚、様式から言うとビーダーマイヤーだと思うよ?(笑)


で、この図書館のルネサンス様式の天井は

フランツ2世(1世)が欲しい、というので

ラクセンブルクにあるフランツェンスブルクに持って行かれてしまったそうで

そう言えば、フランツェンスブルクで確かに見たわ。

(あれは盗品の城と言ってもかまわんだろう。立派だが)


隣接する、古い小規模な図書室の天井は

紛れもないルネッサンスの

現存する中で最も色彩が残っている木に描かれた絵画が・・・

修復しようにも、当時の絵の具とかがなくて修復できないそうだが

あれだけ鮮やかに色の残っているルネッサンス、確かに珍しい。


騎士の間、トルコ人の間(オスマン・トルコとの外交交渉に向かったため)

先祖たちの肖像画の部屋

お城に出る幽霊を描いた絵(笑)

プライベートな領域には、17世紀の家具がオリジナルで残っている。


オーストリアの作家、フランツ・グリルパルツァーは

このクフシュタイン家の召使いと仲が良くて

何回かこのお城(か、この地域)に滞在した事があるらしい。


庭にある不思議な石も面白い。

(小人の石のコレクションもある。これはバロックだが)



今のクフシュタイン家は、このお城には住んではおらず

向かいの家に住んでいるとの事。

ガイディング終わって外に出て来たら

向かい側の、やっぱりルネッサンス様式の建物から

出てきた女性が「こんにちは」と挨拶して来たが

あの方はもしかしたら貴族の方だったのかしら。

(いや、召使いという可能性も・・・(笑))


外は33℃を越えていたが

さすがにルネッサンスのお城は壁が厚いので

中はとても涼しかった。


が・・・

炎天下に停めてあった車の中は

シートが燃えてるし(比喩です)

ハンドル持てないし(熱過ぎて)


すぐ近くのアルテンブルク修道院にチラッと寄ったのだが

説明はないのに、何故かゆっくりと廻っていた

若いガイドのお姉さんのせいで

(しかも最後に「チップのないガイドは幽霊のないお城みたいなものだ」

 とか言う注意書きがあって、チップを渡す羽目になったという(苦笑))

ガイディングには間に合わず

レストランで食事だけして帰って来た。



アルテンブルク修道院は

何年も前にグループ送った事があって

(冬のマイナス20℃の時である)

勝手に暖炉に薪をくべて

修道院のワインを真夜中過ぎまで痛飲して

次の日のミサには二日酔いの頭抱えて参加した経験があるが

まぁ、それは別の話(笑)


という訳で

2015年前半の音楽シーズンはこれにて終了。

時々、こういうネタで書くかもしれないが

次のコンサートは8月8日で

それまで、もしかしたら長い休暇をいただくかも。


更新なくなって申し訳ございませんが

これは夏に何もないウィーンという都市が悪い

・・・と人に罪を被せる私に

今シーズン最後のクリックをよろしくお恵み下さい。





オルト城 ドナウ湿地帯国立公園

Schloss Orth - Nationalpark Zentrum


5月25日は聖霊降臨祭でお休み(わ〜い)

朝8時からご近所さんサウナでバッチリ汗を流したのは良いのだが

どうも天気が今一つ・・・


大雨にはならないけれど

曇っていて暗い。でも気温はそれ程低くはないみたいなので

ドナウ川の北側にあるお城に行く事に決定。


Orth と名前がつくお城は

Gmunden の方が有名だが(高級ホテルである)

実はドナウ川流域の湿地帯にもある。


ここら辺のお城って、何回か通った事はあるのだが

閉まっていたり、時間がなかったりで中を見た事がなかった。

本当は隣にある Eckertsau を一度観てみたいのだが

(ハプスブルク家最後の皇帝カール1世は、ここからスイスに亡命した)

行くたびに結婚式だの、今日は終わりだので見られないので

まずは手始めに、その手前の Orth 城だ。


ウエブ・サイトは こちら

(ちゃんと英語もあるぞ(笑)


ドナウ川の北側の高速道路を走り

延々と22区を走り抜け

田舎の道路をドライブして到着したが


あら、駐車場がない(汗)

隣の教会のパーキングは満杯だし(聖霊降臨祭だもん)

お城パーキングはここ、みたいな表示もないし

街から出そうになって大汗かいて(2回目のサウナ(ウソ))

Uターンして、何とか適当な道路に停めて

ここかな?と歩いていったら

関係者以外立ち入り禁止とあって

ショックを受けていたら

その左手に、ちゃんと


ドナウ湿地帯国立公園インフォメーション・センターの表示があった。


入ったら子供連れの家族ばっかりだが

15時からのガイディングがあるようなのでそれに参加。

大人一人11ユーロ。

(しかし、こういう時に力を発揮するガイドのライセンス(笑)

 もっともコピー取ってたから、後で請求来るかも(爆笑))


低地オーストリア州は

その中に国立公園を2ヶ所抱えるオーストリアで唯一の州だそうだ。

ご参考までにオーストリアの国立公園の地図を下に貼っておく。


↑ どれがどれだか分からない方は

こちらの サイト をどうぞ。


ドナウ川流域は、氾濫を繰り返しながら

両岸に肥沃な土砂が積もっていって

肥沃なので生物が多く

ここを生息地とした鹿などは他の地域より大きくなったので

昔からハプスブルク家の狩りの地として有名だった。


ただ、ドナウの治水工事によって

氾濫がなくなってから、この周囲の生態系が変わってきた。


私の記憶にもある、ハインブルク水力発電所プロジェクトは

1984年〜1985年に、自然を守れ、という住民運動と

予定地への座り込みで中止され

その後、この地域は動植物を保護する国立公園となった。


ドナウ川には60を越える種類の魚がいて

生物の数としては(昆虫などを含めて)5000以上の種が生存しているそうだ。

ドナウ川治水工事の前の状態に少しでも近づけるために

現在は、支流を作ったりする試みが行われていると言う。


ガイディングはドイツ語だが

子供向けの内容なので

劇場風の物語になっていたり

地図や風景が出たりしながら

テープもお父さんと小さな息子の会話で進められて

途中で子供の遊びまで用意されている。

・・・そこに大人一人で参加している私はウキまくり(笑)

   ↑ もちろん全然気にしてません。


そう言えば、このドナウ湿地帯国立公園って

ずいぶん前に、会社に招待状をくれた事があったっけ。

週末ならともかく、普通の日だったので

ドナウ川流域の自然保護地帯のハイキングに興味はあったけれど

行けなかったのだ(会社から何人かは参加したようだ)


それに、日本の旅行会社で

わざわざドナウ川流域のカエルだの蛇だのを見るために

ツアー組むとは思えないし。

(それでツアー作ろうと言う勇気のある会社の方いたらお知らせ下さい)


ガイディングは一般的な情報に始終したけれど

実はこのオルト城の最も楽しいアトラクションは庭にある。



お城を出て中庭を通り、ドナウ川の支流を越えたところに

小さな島が作ってあって

ミニ動物園と水族館のようになっているのだ。

(規模はむちゃ小さい)


折り重なって寝ている亀とか



昆虫のホテルとか



最も魅力的なのは

地下の通路から、池の中が見える水族館。

本当に池の下に通路を作ってある。


様々な魚が泳いでいる様が素晴らしくて

ついつい見とれてしまったのだが


子供がかくれんぼして奇声を出して走り回ったり

(そりゃ、ちょっと暗いからかくれんぼには理想的だが)


どこかの田舎のおばさんたちが

あらぁ、すごい魚が居るわ、とはしゃいで

ガラス叩いて、ほら、こっち来い・・・・って


犬じゃあるまいし(呆然)


子供が騒いだり

大人がガラスを叩くたびに

魚は驚いて逃げていくし(涙)


多少静かになると、また、色々と戻ってきて

これがもう楽しくて。


小さな魚でガラスぎりぎりに泳いでいる奴は

自意識過剰か、あるいはガラスに写る姿に見とれているのか(違)


小さな水槽では

大きな目の小さな銀色の魚が

ガラスのところに頭をくっつけて

おかしいなぁ、何でここから先、行けないんだろう?と

ウロウロしてるし(爆笑)


ううう、焼いて味噌漬けにしたら美味しそう

・・・・と考えてしまった私を

自然保護主義者の皆さま、どうぞお許し下さい。


公園内には、蛇もいるし(とぐろ巻いて二匹で絡まって寝てた)

羊もいるけれど

まぁ、それ以上のアトラクションは別にない。


高度成長時代の東京に育ったシティ・ガールの私は

別にこれと言って自然に興味はないし

カエルだの蛇だの鳥だのはともかくとして

虫がブンブン飛んでいるような地域は

できれば避けたい。

(案の定、帰って来たら、こめかみに虫刺され)


帰りの売店でも、ヘビとかカブトムシとか

青虫とかのミニチュアが多くて

いや、買って帰ってオフィスにミニチュア蛇を飾ろうかと思ったが

また部下に睨まれそうだし。


ただ、こんな曇りの日ではなくて

天気の良い夏の日中に

ちゃんと帽子被って、虫除けスプレー持って

ガイドさんと、ドナウ川流域を

カエルを探しながら歩き回る、というのもオツかもしれない。


帰りは22区を避けて

ハインブルクの方まで出て空港高速道路で帰って来た私に

どうぞ1クリックをお恵み下さい。



池の下のお魚の写真だが

あまりに楽しくて見とれてしまって

写真を撮ろうなんて考えもしなかったので

ごめんなさい、写真はありません。




サラエヴォ旅行記 その2

2014年8月1日〜3日 サラエヴォ旅行記その2


サラエヴォは面白い街である。

あちこちにモスクがあり

美しいユダヤのシナゴーグがあり

(ユダヤ人は750人くらいしかいないそうだが)

カトリックの大聖堂があり

ギリシャ正教の教会がある。


もともとユーゴスラビア社会主義連邦共和国と言えば

冷戦時代に(どうせワタクシは老人です(爆))

ヴィザが必要だった旧東欧圏とは違い

日本人観光客がヴィザなしで行ける、唯一の国だった。


自力でパルチザン軍隊でナチを追い出し

ソビエト連邦の完全支配下からも逃れた

ユーゴスラビアという国は


7つの国境

6つの共和国

5つの民族

4つの言語

3つの宗教

2つの文字


という、とんでもない多民族国家だった。


これをまとめたチトーの死後、

1991年からのヨーロッパ情勢を受けて

結局、すべて独立する訳だが


内戦が始まった後にはウィーンでも

今までユーゴ人と(我々が)思っていた人たちが

セルビア人とクロアチア人に分かれて

居酒屋で喧嘩したとかのニュースが

結構頻繁に流されたりしていた。


う〜ん、民族問題って

実はよくわからんのだが。


言語も、当時はセルボ・クロアチア語と称していて

セルビア語・クロアチア語・ボスニア語などなど

ほとんど日本の方言みたいなもので

意志の疎通に問題はない筈なのに。


宗教的には

セルビア人がギリシャ正教

クロアチア人はカトリックで

ボシュニャック人はイスラムらしい。


イスラム教の習慣はかなり違うにせよ

ギリシャ正教とカトリックの細かい区別までは

異教徒の私には理解不能。

(教会を見ればわかるが、教義についてはお手上げである)


サラエヴォ包囲と、それに続くスレプレニッツァの虐殺は

セルビア人が民族浄化のために

イスラム教だったボシュニャック人を殺したもので


サラエヴォ包囲では

ボシュニャックの文化を集めた図書館が狙われ

200万冊に及ぶ貴重な蔵書が灰となった。


修復された大学図書館の入り口には

こういうプレートが ↓


2日目にお願いしたガイドさんは


街にはセルビア人だって住んでいますし

僕たちは仲良く生活しています

でも、一部の狂信的なセルビア人が戦争をしかけて来たので

僕たちは、そういう狂信的なセルビア人と戦っただけで

狂信者も、親からそういう洗脳を受けて来たのだと思います


と言っていた。


包囲中は、毎日爆撃があり

戦線の向こうから、セルビア人のスナイパーが

道路上で動くものがあれば、全部撃って来たので


道路は、車でも人でも全速力で走らなければならなかったと言う。

(スナイパー通りと呼ばれていた道路もある)

死体は道路に転がったまま

撃たれてボロボロになった車は放置されたまま

国連軍の戦車の向こう側に隠れて人が移動していたケースもしょっちゅうで

建物には、まだまだ爆撃の跡が生々しく残る。


2日目には、命のトンネルと呼ばれたところを

車とガイドさんをお願いして見学して来た。


国際連合の支配下にあった空港を横切って

食料や武器、兵隊などを運び込んだトンネルで

現在は一部が公開され、博物館になっている。


„Sarajevo tunnel 3“ von Elias Bizannes from Sydney, Australia - P1020342Uploaded by Smooth_O. Lizenziert unter Creative Commons Attribution-Share Alike 2.0 �・ber Wikimedia Commons - http://commons.wikimedia.org/wiki/File:Sarajevo_tunnel_3.jpg#medi

Sarajevo tunnel 3“ von Elias Bizannes from Sydney, Australia - P1020342Uploaded by Smooth_O. Lizenziert unter Creative Commons Attribution-Share Alike 2.0 �・ber Wikimedia Commons - 


物資を運んだトラックも置いてあるが

当時、トラックは真夜中にライトもつけず

途中でタバコ休憩もできず

(ちょっとした光が見えても銃撃される)

危険な山道を走って、物資を運んだのだ。


トンネルも高さ1メートル60で

一部は1メートル40くらいの部分があり

もちろん明かりはないので

頭をぶつけて怪我して運ばれて来る人も多かったらしい。


建物には、爆撃の跡が残っている。

爆発した部分の床には、その跡もあり

その爆撃で9人が亡くなったそうだ。



床に残る爆発の跡 ↓



こうやって戦争の話ばかり聞いていると

(何せ隣に生き証人がいるし)

かなり滅入るのも確かだが

トンネル博物館にあった

当時のサラエヴォの地図で

サラエヴォ市と、ボスニア軍、セルビア軍の位置を把握すると

どうしてそこにトンネルが掘られたのかがよくわかる。


結果的には、このトンネルのお陰で

サラエヴォは生きながらえたのだ。


包囲されているところから出る機会があるなら

どんどん外に逃げれば良いのに・・・・と思うが

(実際、逃げた人も多かった)

サラエヴォ市当局としては

街がゴースト・タウンになったら大変なので

(そりゃそうだ、街を守る人がいなくなって

 セルビア人の手に落ちてしまう)

出入りの監視は非常に厳しかった。

出入り1人1人と物資の搬入の手書きの記録は

すべて残っている。


トンネル見学の後

サラエヴォの冬期オリンピック(1984年)の

ジャンプ台のあるところまで車で連れて行ってもらった。




周囲を山に囲まれて

本当に自然が美しい。


ただ、まだ地雷が埋まっているところも多いらしいので

道路から外れない方がよろしい(ホント)


こんなに自然の美しいところで

民族同士の戦争があったと言うのが痛ましい。


こういう、かなり滅入る戦争の話を

何回かに分けて続けるのも

何となく気が進まないので

そろそろここら辺で終わりにしよう


・・・と勝手に決める私に

どうぞ1クリックをお恵み下さい。



どんなに能天気と言われようが
民族間の問題なんてわからないだろうと言われようが
やっぱり戦争はイヤだ、とつくづく思った3日間だった。

サラエヴォ旅行記 その1

Sarajevo 2014年8月1日〜3日


言い方は悪いけれど

今回、私がやった小旅行は

「戦争ツーリスム」と呼べるものだったと思う。


ボスニア・ヘルツェゴビナの首都、サラエヴォは

オーストリアの歴史を振り返ってみれば

1914年、当時のハプスブルク王位継承者だった

フランツ・フェルディナントが

冷遇されていた妻のソフィー・ホテックと共に

パレードの時に

ボスニア系セルビア人のガブロ・プリンツィプに暗殺され

これが原因で

オーストリア=ハンガリー帝国がセルビアに宣戦布告。





誰も長期にわたる世界戦争になるとは思っていなかったものが

第一次世界大戦という悲劇を生み出した。


しかし、それだけではない。


1991年から始まった

ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の解体は

ウィーンに住んでいた者にとっては

他人事ではなかった。


亡命してくる人たちの受け入れ

毎日流される悲惨な戦争のニュース

(だいたいテレビで

 これからの画像は子供や心臓の悪い人は見ないで下さい

 とか言っていて、目を瞑っていると

 ますます恐ろしい光景が妄想で浮かぶので

 怖くて寝られなかった時もある)


日ごとに変わる国境や国家の名称

(ワケわからなかったです、当時のヨーロッパ地図は)


NATO  によるセルビア空爆時は

中立国であるオーストリアは国境を閉鎖し

空爆機がオーストリア上空を飛ばないように

オーストリア空軍が監視


旅行業に携わる我々にとっては

NATO の空爆機の航空路確保のために

ヨーロッパの旅客機のルート変更、遅延、キャンセルが相次いで

アシスタント泣かせの時期という忘れられない思い出


ボスニア・ヘルツェゴビナの首都サラエヴォは

1992年から1996年まで

長期にわたって包囲された街。


この間、12000人が死亡、50000人が負傷

うち85%は非戦闘員。


民族浄化の旗のもとに

セルビア人がボシュニャック人を虐殺した

スレプレニッツァの事件も記憶に新しい。


1995年のデイトン合意によって

やっと終結を見てから19年。


当時、職業上の関係で、何回もサラエヴォに行き

戦闘をその目で見て

爆撃をその耳で聞いた友人の

過去を振り返る旅に同行する事になった。


何せ、隣に当時の生き証人がくっついているので

話がむちゃ生々しい。


当時、飛行機も、撃ち落とされると到着せず

そうすると出発もできず

サラエヴォへのフライトは

Maybe Airlines と冗談で言われていたのだそうだ。


空港に到着したとたん

戦争時は、向こうがセルビアの軍隊がいて

こちらがボスニア側で

壊れた戦車があちこちにあって

・・・・とかいう話から始まった。


ホテル・ホリディ・インには

ジャーナリストが居たそうだが

セルビアとの戦線が非常に近く

道路側の建物はすべて崩れ

前の道路では、毎日毎日爆弾が爆発していたそうだ。


政治的に全然関心がなくて

当時の(旧)ユーゴスラビアの内戦だって

何でまた、同じところに住んでいる人たちが争うのか

さ〜っぱりわからなかった私は


NATO の空爆や

国際連合軍の介入など

事実として知ってはいたけれど


何でまた、そんな状況になってしまったのかは

恥ずかしながら、ほとんど関心外だった。

(すみません)


長くなるので明日に続く

というか、これ以上書くかどうかはわからないというワタクシに

どうぞ1クリックをお恵み下さい。



続きを書こうとは思っているのだが

何せ突き詰めて行くと

民族間の問題があまりに大き過ぎて

日本人の私にはわからない事だらけ・・・(爆)


オーストリアのテルメ(温泉)

突然だが、3日間の休暇を取った。


月曜日はベルリン・フィルのゲネプロを観に

ザルツブルクまで行って

知り合いに会って、ウィーンに帰ってから

また知り合いに会って

充実した長い1日(朝5時起きで帰ったの真夜中12時過ぎ(笑))


火曜日の午前中に会社に出て

お昼に出るつもりだったのに

そのまま仕事に絡めとられて

昼食も取らず

15時過ぎに車をすっ飛ばして行った

オーストリアの温泉。


オーストリアには数多くの温泉がある。

温泉とは言え、温水プール施設なので

やっぱりここはドイツ語でテルメと言う方がふさわしいだろう。


実はワタクシは温泉フリークで

付き合いの長い方々はご存知の通り

以前は週末ごとに

往復で250キロくらいドライブして

地方の温泉に入り浸っていた事がある。


その頃行った温泉としては

バート・タッツマンスドルフ

バート・ルッツマンスブルク


さすがに往復250キロはガソリン代がヤバく感じる頃になってからは

チェコとの国境に近い

ラー・アン・デア・タヤのテルメ


ここは片道70キロちょっとだが

高速道路がなくて、ずっと国道、しかもけっこうカーブが多く

夜に帰って来る時は別ルートの片道80キロでないとコワイ。


バート・ヴァルタースドルフ

往復約300キロ。まぁ、日帰りできる距離ではある。


もちろん、中央ヨーロッパ最大のテルメ

ロイパースドルフも行ったし

恐ろしい事に片道270キロのガインベルクにも行った。


シャラーバッハに行った時は

さすがに安いペンションに一泊したが。

 (リンツの近くである)


一時オーストリアで起こったウエルネス・ブームに乗って

テルメの周囲には、ニョキニョキとホテルが建設されている。


私としては、週末の、しかも夜の割引チケット狙いなので

宿泊してまで、とは考えた事はないが

今回、友人と一緒に、という事になって


しめた、2人で宿泊できる!


だって、テルメは基本的にはカップルか

家族連れか、せめて友人同士で行くところであって

シングル・ルームなどというのは、意外に難しいのだ。


ルッツマンスブルクのホテルなんか

一度問い合わせたら

「ウチは家族連れ限定です」と冷たく対応されたし(涙)


もっとも1泊2日、正確には1日半しかないワケだから

遠出は無理。


行ったけれどテルメは入っていないラドカースブルクとか

(片道2時間半以上かかる・・・・無理)

新しいチロルのアクア・ドームとか

(片道550キロ。走行時間6時間以上・・・・無理)


う〜ん・・・と悩んでいたら


あるではないか、近くに

かなり新しいテルメが!!!!


そう言えば、この近くに住んでいたガイドさんから

宣伝のために、住民を無料で招待してくれたのよ、という話を

オープニング直後に聞いた事がある。


では・・・というので予約。

何? 2人で270ユーロ?! けっこう高いな・・・

でも、ハーフボードで5コースの夕食付き

温泉入場料も入って

バスローブもバスタオルもバッグも貸与。

インターネット接続はロビーが WiFi で

ルームはケーブル(ケーブル貸し出しあり)


本当は朝9時からチェック・インして温泉に入って

16時からルームに入れる、というシステムなので

昼に出て14時くらいからテルメで泳いで

それから、17時過ぎにハンガリーで友人をピック・アップして

(あはは、まぁ、色々あって・・・(笑))

と思っていたら

15時まで仕事していたので

到着したのが結局16時過ぎ。


そのテルメは ここ



写真はウエブ・サイトから拝借。

(写真大き過ぎるけど、縮小するとヘンなので勘弁してクダサイ)


カタツムリのような形になっていて

ホテル・ルームはロッジ風。

目の前にテルメ施設が見えて

その横の湖も見える。

ルームは禁煙だが、テラスで吸えるので全然問題ない。


32平方メートルのゆったりとしたルームで

窓を閉めると自動温度調節のエア・コンディションが入る。


ちょっとアフリカ風な感じで

アフリカ・フリークの友人は大喜び。

外の湖を見ては

ワニがいるとか

カバが水浴びしているとか

過去の妄想に浸りまくりだったらしい(笑)


いや、ここ、ブルゲンラントですから

カバもワニもチータもライオンもいません(爆笑)


ホテルのレジャー・プログラムとして

「サファリ」というのもあって

友人は最初行く気満々だったみたいだが


ここのサファリは主にバード・ウォッチング。

1日半の休暇でバタバタするのもイヤだし

ワニもカバもいないので

ともかく、ひたすらサウナと温水プールに浸かりまくり。


友人はプールのデッキ・チェアで

アフリカの夢を見ながら爆睡。


驚いた事に

火曜日から水曜日という

週のど真ん中なのに

テルメもホテルも、ほとんど満杯。


値段設定も(田舎にしては)かなり上だし

週末でもないのに

オーストリア(とその周辺国?)って

こんなに金持ちが多いんかいっ??(ちょっとショック)


高いホテルだけに

従業員の教育は行き届いていて

丁寧で親切なのは良いのだが

アジア人なんか滅多にいないので

どこに行っても名前で呼びかけられるのは

くすぐったいやら恥ずかしいやら。


チェック・アウトの時には

お土産として、パンをくれて

バスタオルやバスローブも貸与なので

自宅に帰っても大量の洗濯をする必要もない。


・・・やっぱり、それなりのカネを出すと違うんだなぁ


高いモノはやっぱり良い、という

当たり前の事を再発見してしまった私に

どうぞ1クリックをお恵み下さい。




休暇明けでオフィスに来てみれば

また戦場という

嬉しいような恨めしいような(笑)

仕事があるのは有り難い事だ(無理矢理納得)



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