アルディッティ弦楽四重奏団+アンサンブル・モデルン

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    Wiener Konzerthaus Mozart Saal 2018年11月23日 19時30分〜21時20分

    Ensemble Modern - Kammerensemble
    Arditti Quartett
    Irvine Arditti / Ashot Sarkissjan / Ralf Ehlers / Lucas Fels
    指揮 Brad Ludman

    James Saunders (*1972)
     you are required to split your attention between
     multiple sources of information (2017-2018) UA
      Kompositionsauftrag von Wien Modern

    Brian Ferneyhough (*1943)
     Umbartions. The Tye Cycle (2001-2017) EA
      Kompositionsauftrag von Westdeutschen Rundfunk, Ensemble Modern,
      Festival d’Automne à Paris, Huddersfield Contemporary Music Festival und Wien Modern

    Wiener Konzerthaus Mozart Saal 2018年11月23日 21時45分〜22時30分

    Late night 5 : Arditti Solo
    バイオリン Irvine Arditti

    James Clarke (*1957)
     2017-V (2017) UA

    Salvatore Sciarrino (*1947)
     Sechs Capricci für Violine solo (1976)

    現代音楽のレジェンドと言ったら
    これはもう、間違いなくアーヴィン・アルディッティと
    彼のアルディッティ弦楽四重奏団だろう。

    私が現代音楽にこれだけハマったのも
    アルディッティ弦楽四重奏団を聴いたのがきっかけだ。

    玉石混合の現代音楽でも、アルディッティは特別で
    ハズレはない(断言)

    今回はアンサンブル・モデルンと共同で本コンサートの後
    アルディッティがバイオリン・ソロを2曲弾くという豪華なコンサート ♡

    ジェームス・サンダースの曲が笑っちゃうほど面白い。
    舞台の下手(しもて)にアンサンブル・モデルン
    上手(かみて)の前にアルディッティ弦楽四重奏団
    その後ろにアンサンブル・モデルンのパーカッションが並び
    あれ?指揮者がいない???と思ったら
    突然、テープで英語のセリフが流れて来る。

    このテープの音声に従って
    各プレイヤーが演奏したり、笛を吹いたり
    スプレーしまくったり(するんですってば(笑))
    リハーサルはしているのだろうけれど
    テープのセリフにすぐに反応しなければならない部分も多く
    プレイヤーは楽器弾いたり、脇のスプレー缶を取ったり
    かなり目まぐるしい動きを要求される。

    アルディッティ弦楽四重奏団だけの演奏部分もあるけれど
    この部分のテープ音声の指示が
    はい、アーヴィンはこれ、アルディッティの2番はあれして
    ルーカルはこれして・・・という感じで
    音声ガイドに従い(?)様々なモチーフを演奏していく様子が
    いや、失礼だけど、なんだか微笑ましいというか。

    しかも、そこまで奏者がバラバラの事をやりながら
    音楽がまとまって、「音楽」とわかる程度に和声が聴こえる。
    もちろん、時々、ストップも入るし
    作曲家の指示(テープの指示)でのまとまりがあるのだろうが
    パーカッションもサイレン使ったりベルを使ったり
    生活音もたくさん入って来て(←雑音オタクなので)楽しいの何の。

    演奏している方は緊張しているのかもしれないけれど
    どう見ても、すごく楽しくやってるような印象だし
    同じように、見ている聴衆も時々笑い声が出そうになったり
    何ともユーモアに満ちた30分。

    後半は新しい複雑性 New Complexity の生みの親
    大御所のブライアン・ファーニホウの作品のオーストリア初演。

    ファーニホウの作品そのものは
    ウィーン・モデルン現代音楽祭で耳にするチャンスも結構あったのだが
    ともかく、作品がむちゃくちゃ複雑で難しいらしい。
    以前、「現代におけるフルートの最も演奏の困難な曲」
    とか言われる作品を聴いた時に
    けっ、結局はプレイヤーの腕自慢オリンピックかよ(それでもスゴイが)
    と思ってしまった事もある。

    だってそりゃ、奏法が複雑怪奇で
    演奏家がどれ程苦労しようが、練習しようが
    私のようなド・シロートの聴衆が受け取るのは
    それが聴覚に及ぼす音波だけであって
    その音波がもたらす心理的な要因だけが大事なんだもん。
    (だから、ギターで弾いたら簡単な曲を
     わざわざサーカス的なテクニックを使ってバイオリンで弾いたりするのも
     実はそれほど好きじゃない)

    ところが、この The Tye Cycle という作品、凄かった。
    サイクルだから、いくつかの作品から成っていて
    途中でアンサンブルあり、ソロありのバリエーションが多くて
    退屈しないのもあるけれど

    その複雑怪奇でむちゃくちゃ難しい(らしい)楽譜をもとに
    出てくる音の素晴らしい事といったら・・・

    音色のバリエーション、テンポやメロディ的な複雑性
    いや特に、私のような音響オタクには
    ソロ楽器の目まぐるしく変わる音色がたまらない。
    (ベリオのセクエンツァを思い出したが
     技術・音色はベリオよりずっと複雑性を増している)

    演奏時間約1時間の大曲だが
    音楽的にも、あるいは聴覚的にも次から次へと
    まるでカレイドスコープのように違う音色が出てくる。

    これだけ複雑で
    技術的にも人間の極限のような高い技術を要求される曲って
    いわゆるバロック時代のクラシックと比べたら
    リハーサルの時間も中途半端じゃないだろうし
    でも、現代音楽だからチケットは比較的安い。
    (政府から補助も出てるし、私のメイン・バンクもスポンサー)
    なんだか、すごくありがたいような気がして来る。

    ブライアン・ファーニホウご自身が会場に来ていらしたのには驚いた。
    御歳75歳。まだまだ、お元気そうである。

    さて、会場を片付けて
    21時45分からアーヴィン・アルディッティのバイオリン・ソロ。

    本コンサートでもばっちり演奏してから
    同じく複雑性のジェームス・クラークと
    特殊奏法のサルヴァトーレ・シャリーノ!!!

    鉄人アルディッティ・・・・(絶句)

    すごいなこの人
    もちろん、バイオリンの天賦の才もあるのだろうが
    ともかく、現代音楽を身体で具現しているというか
    バイオリンが身体の一部というのではなくて
    身体がバイオリンの一部になっているような感じがする。

    そのバイオリン奏法のスゴさは
    バイオリンを演奏する人でなければわからないのだろうが
    技術の多様さ、正確さから出てくる
    きっちりと計算された見事な音響には息を飲むだけ。

    シーンと静まり返った会場で
    針が落ちるような指先での弦の音まで聴こえて来て
    ああああああ、これこそ、音響オタクにはたまらない瞬間。

    繰り返して強調するが
    こういう音楽は、どんなに会場で感激しようが
    CD で聴いてはいけない。

    CD で聴いたら、ただの雑音に聴こえて来る事が多い。
    複雑で、時々、目にも止まらない速さの
    ボーイングや弓の弾き方、指での弦の弾き方などを
    視覚で捉えながら、そこから出る音(音楽ないしはただの音)を聴くのが
    現代音楽の楽しみというものである。

    その意味では、現代音楽って、実は贅沢なものかもしれない。
    もちろん、作品の出来が良ければの話だが。

    近代の演奏史では、マーラーとかブルックナーでさえも
    あるいはチャイコフスキーとかも
    オーケストラから「演奏不可能」とスコアを突き返されたケースがよく見られるが

    この新しい複雑性のファーニホウやクラークとかだったら
    もっとタイヘンじゃないか。

    でも、現代の音楽家は技術的に優れた人が多く
    というより、優れていなければ音楽家になれず
    楽譜が難しければ難しいほど、プロ意識で燃える人たちが居るらしい。
    (まぁ、シロウトのピアニストでも左手・右手で違うメロディを弾いたり
     いわゆる、才能の無駄遣い(笑)と言われている名人芸もあるしね)

    人間の運動能力というのは、一般的には、他の動物より劣っているのだが
    こと、楽器の演奏能力とかに関しては
    近代になってから、音楽家がみんなムキになって練習するのと
    グローバル化が進んで、天才が発掘されるケースも多くなって来ていて
    それこそ、こういう楽器演奏の技術というのは
    他の運動能力で他の動物に負ける人間の最後の砦じゃないか、という気はするが
    その意味で、アルディッティ氏とかの演奏技術を目の当たりにすると
    どう見ても、私より、ずっと進化した人間がいる、とつくづく思う。
    (というより、私が全く進化していないんだわ・・・)

    自分でも何を書いているか
    だんだん訳がわからなくなって来た私に
    どうぞ1クリックをお恵み下さい。


    クラング・フォーラム + カリツケ

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      Wiener Konzerthaus Mozart-Saal 2018年11月21日 19時30分〜21時30分

      Klangforum Wien
      ソプラノ Agata Zubel
      音響演出 Peter Böhm
      指揮 Johannes Kalizke

      Friedrich Cerha (1926*)
       Kurzzeit (2016-2017)
      Wolfram Schurig (*1967)
       fünf ostinati (2017-2018) UA
        Kompositionsauftrag von Wien Modern und Klangforum Wien
      Agata Zubel (*1978)
       Cleopatra’s Song (2017-2018) EA
        Erste Bank Kompositionspreis 2018

      ウィーン・モデルン現代音楽祭のスポンサーの銀行は
      私のメイン・バンクでもあるのだが
      ここ数年、資金の運用で大損を被っていて
      ゲネラル・パスが10ユーロ安くてもあまり嬉しくない。

      こういう、一部のフリークを除いて誰も見向きもしない(すみません)
      現代音楽祭のスポンサーになって
      例年、作品に賞を与えてる分の金を返せ・・・
      と、せこい事を思わないでもないのだが
      このスポンサーリングがなくなったら
      この音楽祭も続くかどうかわからないので
      (続いてくれないと11月の楽しみ=ツッコミどころ満点が減る)
      まぁ、それは良しとしよう。

      時々、本当に面白い作品が賞を取る事もあるし(稀ですが)

      さて、今回のコンサートの賞を取ったのは
      ポーランドの女性作曲家でソプラノのアガタ・ズベル。

      ポーランド・・・・
      この間のコンサートでポーランド大使館がスポンサーだったのがあったが
      その政治的関係もあるんじゃないだろうか
      と、ついつい邪推する腹黒のワタシ。

      だって、作品、面白くなかったんだもん。
      チェルハ教授のインストルメンタルの作品は
      あ〜、この人、92歳で、まだ、これだけの豊かな引き出しを持っているのか
      と、ちょっと仰け反り返ったが。

      その後のシューリックの作品は
      アガタ・ズベルがソプラノで、マイクで歌って
      後半のズベルの作品も
      同じくご本人がマイクでソプラノで歌ったんだけど

      どこに違いがあるのか
      さ〜っぱりわかりませんでした。
      すみませんね、シロウトだもんで。
      去年から大学に通っているとは言っても
      まだ、ガクシャのガの字までも到達していなくて
      せいぜい、ガの濁点1つくらいのところで止まってるもんで。
      (ひねくれたところを自慢するアホ)

      このテのコンサートになると
      来ている人は
      関係者(音楽家のお友達)か
      現代音楽しか聴きません、というコアなフリーク層か
      現代音楽とルネッサンス音楽しか聴きません、というキセル族くらい。
      (ご存知の通り、現代音楽ファンには、意外にルネッサンス音楽のファンが多い。
       確かにグレゴリアンとか、現代音楽に通じるところはある)

      その層がどういう層かと言うのが
      こういうコンサートだと如実に現れるのは
      音楽社会学的な観点から見ると、何となく面白い。

      ネクタイしている男性は1人もいない。
      全体的に服装が汚れた感じに見える(あ、すみません)
      着ている服の色が地味(女性含む)
      ライト・カジュアルが多い。ジーンズの割合が高い。
      運動靴が多い・・・というより革靴の人がいない。

      関係者の男性は、みんな長髪で、後ろを縛っていて
      だいたい上から下まで黒の服を着ている。

      こういうコンサートにもドレス・コードってあるんでしょうかね。
      確かに、この場に、ビジネスっぽい上着+ネクタイで来たら
      モロに浮きまくるに違いない。

      ウチの彼氏モドキに言わせると
      社会的に成功していない自称インテリ層の集まり
      なのだそうだが
      別にそれがイケないとか言うんじゃないので
      誤解なきよう。
      (それ言ったら、ワタシ自身だって、その層かもしれない。
       まぁ、インテリじゃないけど・・・)

      現代音楽って、玉石混合だから
      時々、えっ!という面白いものに出会う事もあるし
      なんじゃこれ、というのもある。
      (それはイム・プルス・タンツ コンテンポラリー・ダンス祭も同じ)

      今日みたいなコンサートを聴いてしまうと
      作曲家はいったい何を考えているんだろう、と思ったりする。

      だって、何も(少なくとも私には)伝わって来ない。
      作曲家ないしは演奏家が
      ほら、私、スゴイのよ、聴きなさいよ、ほらほら
      と言う感じに自己主張しているのはわかる。
      けれど、その中に聴衆の存在というものはあるんだろうか。

      確かに、いわゆる普通の人、失礼な言い方になるのを承知で
      一般大衆にウケて、マスコミで売れるような音楽を
      避けているのか、それともそういう曲は書けないのか
      ともかく、よくわからない存在ではある。

      先学期、現代女性作曲家をテーマにした講義があって
      毎週、オーストリアの現代女性作曲家を招いて
      公演してもらっていた時に
      一度、何でそんな曲を作曲するんですか?と聞いちゃったのだが
      (いやもう、ワタシって何て厚かましい・・・(^^;;)
      子供の頃から作曲に興味があって、という回答を得たので
      作曲家、という人種は
      ともかく作曲しなくては生きていけない、という人種のようだ。

      現代音楽の(一般)聴衆からの乖離というのは
      かなりスゴイ事になっているのではないか。
      しかも、聴衆が、どんどん老化している。
      いや、冗談じゃなくて
      マジに老人が多い。
      ウィーン・フィルの定期コンサートじゃないのこれ?
      と思うくらいに、お歳を召した方が多い。
      そりゃ、チェルハ教授だって90歳過ぎだし
      ノーノやリゲティに
      ブーレーズもシュトックハウゼンも故人になってしまい
      では、その後に、ものすご〜〜く有名な現代音楽作曲家が出ているかと言えば

      そりゃ、トーマス・アデスとか
      アリベルト・ライマンとか、
      ペテル・エトヴェシュやヴォルフガング・リーム
      そう言えばペンデレツキもグバイドリーナもシチェドリンも
      フランソワ・ベイルも、ラッヘンマンも
      アルヴォ・ペルトやバートウィッスルもご在命でした ^^;
      スティーブ・ライヒやフィリップ・グラスもいるな・・・
      私が大好きなサルヴァトーレ・シャリーノやトリスタン・ミュライユは
      この音楽祭では演奏されないんだろうか?(たぶん費用的に高すぎる(笑))

      あらま、結構、ポピュラーな作曲家、いるじゃん・・・

      今週末のアルディッティ弦楽四重奏団は
      ジェームス・サンダースとブライアン・ファーニホーを演奏する予定なので
      これは期待できる (^^)v

      コンサート後に、下のホールで
      受賞した作曲家を囲んで
      無料で飲み物が提供される小パーティがあるのだが
      (数年前までは食事まで供されていた)
      ああいう集まりは知り合いがいないと非常に気詰まりなので
      例年、パーティには行かず
      さっさと帰ってしまう、お友達のいないかわいそうな私に
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      朝の9時から17時まで
      びっしり講義と演習をこなして
      夜のコンサートまで図書館に閉じこもっているのだが
      全然勉強する気にならず
      書く気のなかった昨日のコンサートの独断偏見の印象だけまとめてみた。
      (よって、アップの日付と時間は実際の時間ではありません)

      STEOP 試験がもうすぐなので
      真面目に苦しんでいる新入生が多くて
      1年前を思い出して、ちょっと微笑ましい。
      ・・・もっとも STEOP に受かってからも地獄?が待ってるけど(笑)

      クラング・フォールム

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        2018年11月11日 17時〜19時(途中退場) Semperdepot

        Klangforum Wien

        Artur Malawski
         Trio in Cis (1954)

        Roman Haubenstock-Ramati
         Konstellation Nr. 2
         Streichtrio Nr. 1 „Ricercari“ (1948/1978)
         Jeux 2
         Pluriel für Streichquartett (1991)
         Konstellation Nr. 1

        Roman Haubenstock-Ramati, Bernhard Lang
         Morendo - double/echo (1991/2002)

        Roman Haubenstock-Ramati
         Konstellation Nr. 3 (1975)

        アングラの香りが香ばしいセンパー・デポの倉庫で
        現代音楽集団ナンバー・ワンのクラング・フォールムが
        今回はロマン・ハウベンシュトゥック=ラマティを取り上げた。

        ただ、このコンサート、ポーランド大使館が絡んでいるらしく
        ポーランド大使の女性が、非常に美しいドイツ語でスピーチ。

        オーストリアも1918年11月11日11時に
        シェーンブルン宮殿の中国の間と言われるルームで
        当時の皇帝カール1世が
        いやいやながら退位に署名して
        ハプスブルク帝国が終焉したのだが

        当然ながら、ハプスブルク家の支配下にあったポーランドも
        長い外国の支配から、この日に独立国家になったのである。

        エスペラントの父、ザメンホフが生まれた国だけに
        ロシアやらオーストリアやら
        周囲の大国に良いように翻弄されて来た国だから
        自国の文化に対する意識は強い。

        という訳で、今回取り上げられたのは
        ポーランドの作曲家、アルトゥル・マラフスキ (1904-1957) と
        ローマン・ハウベンシュトゥック=ラマティ(1919-1994)

        ローマン・ハウベンシュトゥック=ラマティについては
        数年前のウィーン・モデルンで
        現代音楽のノテーション(記譜法)が重点的なテーマになった際に
        オリジナルのグラフィック譜を含めて、見るチャンスがあったし
        クラングフォールムの演奏も聴いている。

        ハウベンシュトック=ラマティは、アルトゥル・マラフスキに学んだそうで
        ポーランドの近代音楽の代表的作曲家2名が取り上げられたわけか。

        ポーランドの近代の作曲家と言えば
        私はヴィトルト・ルトスワフスキとか
        在命中のクシシュトフ・ペンデレツキとか思い浮かぶけれど
        この2人はあまりにビッグ・ネームすぎて
        みんな知ってるから、あまり啓蒙活動は必要なさそう(笑)

        ハウベンシュトゥック=ラマティだって有名だけど
        ただ、あまり実際に演奏されるのは聴いた事がない。

        というより・・・

        あの楽譜で、いったい何をどうやって演奏するのだか
        私は、いつか機会があったら
        クラングフォールムに聞いてみたい(本気)

        今回演奏の曲には入っていなかったけれど
        便利なようつべで、グラフィック記譜の演奏があったので
        ものすごくヒマな人か
        あるいは現代音楽嫌いじゃない、という人のために貼っておく。



        楽器編成が様々なので
        舞台の上でパーカッションが2人で演奏したり
        弦楽アンサンブルだったり
        でも、舞台の上だけではなくて
        ホールの真ん中にスポットの照明を当ててそこで演奏したり
        ホール全体に散らばって
        後ろから、前から、両方の横から演奏したり

        聴衆はもちろんコテコテの現代音楽フリークなので
        間違ってもピアニッシモの繊細な音がホールに微かに響いている時に
        咳したり身動きしたりしないので
        音響オタクには至福の時間。

        ともかく四方八方から音が降ってくる感じ。
        (音楽ではない、音、ないしは音響である)

        こっそり各プレイヤーの持っている楽譜を覗いてみたら
        最初の曲は本当にグラフィック譜を持っていた(びっくり)
        でも、その後は、普通の五線譜。

        グラフィック譜をトランスクリプション・・・(絶句)
        中世の楽譜のトランスクリプションやら
        アフリカの音楽のトランスクリプションに大苦労している私には
        線描楽譜のトランスクリプションと考えただけで鳥肌が立つ。
        (プロに任せます、あ〜、良かったシロウトで)

        同じ会場の次のコンサートが19時開演予定なので
        それまでには終わるだろう・・・とは思っていたけれど
        19時30分の楽友協会でのコンサートに間に合うように
        会場を出なければならない。

        でも、会場が暗過ぎて、時計が見えない。
        スマホなら時刻表示はあるが
        この暗い会場でスマホつけると顰蹙を買いそう。

        一曲終わった後で、何とか腕時計を見てみたら
        えっ!?19時過ぎてる???
        いや、あまりに四方八方からの音に溺れ過ぎて
        出るチャンスを逃すところだった。
        慌てて、次の演奏が始まる直前
        音楽家(ホールのあちこちに立っている)の横をすり抜けて
        何とか外に出て
        (次の19時からのコンサートを待っている人がズラズラ・・・)
        楽友協会に走った私に
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        アンサンブル・モザイク エノ・ポッペ

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          Semperdepot 2018年11月10日 22時〜23時

          ensemble mosaik
          Christian Vogel, Roland Neffe, Mathis Mayr, Simon Strasser
          Ernst Surberg, Chatschatur Kanajan, Niklas Seidl, Enno Poppe, Martin Losert
          9 Synthesizer
          音響監督 Arne Vierck

          Enno Poppe
          Rundfunk (2018) UA

          華やかなバレエのプレミエ(初演)の後に
          急ぎオペラ座を出て
          センパーデポに早足で急ぐ私。

          ウィーン・モデルン現代音楽祭の一環で
          ドイツの作曲家エノ・ポッペの新作の初演がある。

          センパーデポは、建築家センパーが作った倉庫で
          ウィーン劇場の裏手にあるが
          ここも、アングラ感が漂う、妖しげな場所。

          雰囲気が現代音楽の妖しさとバッチリ合うので
          よく現代音楽のコンサートが行われる。
          (建物の入り口は2つある。塔の方が雰囲気があって私は好きだが
           今回は倉庫の方。入り口が遠かったので焦った。)

          エノ・ポッペは作曲家としても指揮者としても
          ウィーン・モデルンの常連。
          何回か聞いているし
          あろうことか、自宅にはポッペ作品の CD まである。

          作曲家曰く
          この音楽は分析的で情熱的である。
          何千もの原子で作られていて
          私は作曲する時は白衣を着ていた。
          ただ、コンサートは実験ではない。
          私が作曲家として、何が起こるか理解できなくなる時に
          芸術が成立するのだ。
          美は人知を越えたところ (Überforderung) に存在する。
          (意訳なので文責は負いません)

          あ〜、いつもの事ながら
          頭の良い現代音楽作曲家さまの言ってる事は
          さ〜っぱりわからない(笑)

          舞台にずらっと並んだ9台のシンセサイザーに
          9人のプレイヤーが座る(うち1人は作曲家のエノ・ポッペ自身)

          何人かはイアフォンしているようなので
          これは他の人の演奏に惑わされず
          ゲネラル・バスかカントゥス・フィルムスのように演奏するパートかもしれない。

          ポッペが大好きなマイクロトナールも使われているが
          以前の作品ほど目立たず
          今回の作品は、ほとんど伝統的なトナールに聴こえてくる。

          音そのものの動きも
          セクンドからテルツ、クヴァルト、クインテと
          明確に聴こえてきて
          ミニマル・ミュージックのように
          決まったインターバルの音の移動が繰り返されて
          その間に、オルガンの音だけではなくて
          オーバートーンを強調したようなメリスマが入る。

          1時間の演奏時間の間に
          音楽がどんどん発展していく様子が
          ものすごく面白い。
          最後はディアトニックのクラスターまで到達する。

          あ〜、いったい、こいつ、何書いてる?と思われた方
          どうぞお許し下さいまし。
          偉そうに書いてはいるが
          自分でも何書いてるのか、さっぱりわからん。
          (だったら書くな!)

          昨年10月に大学に入学した時には
          こういう音楽が、少しでもわかると良いな
          というのが理由だったのだが

          わかりゃしませんが(笑)
          ただ、何となく、基本にある作曲技法というか
          作曲家が何をやったのか、という
          見当までは行かないけれど
          ほんの少し、うっすらと道筋が見えるような気がする。
          (「気」だけです。これを思い上がりと言う)

          聴いている音楽に
          ちょっとでも名称が付けられると
          何となくわかったような気になる、というのは危険なのだが
          そこを手掛かりにすると
          聴いている対象が
          今までと全く意味を持って聴こえてくる(ような気がする)

          そういう自分の間違った思い上がりはさて置いて
          今回のこの作品
          「普通の音楽」として聴いても
          かなり聴きごたえがあって
          音楽芸術として、通常の「美」の範囲で
          成り立っていたように思う。

          以前の先鋭的なポッペの作品を知っている身としては
          ちょっと複雑な気分だけど
          人に喧嘩売ってるような
          あるいは、誰にも理解できない言語を喋っているような
          そういう独りよがりの曲ではなかった。

          華やかなオペラ座のバレエも良いけれど
          こういう、妖しげなアングラ感ただよう会場での
          現代音楽オタク(ほとんどが年配)と
          たぶん、作曲専攻や現代音楽を目指す大学の学生たちが集う
          こういうコンサートも好き、という
          分裂症気味な私に
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          ユダヤ人のいない街 オルガ・ノイヴィルト

          0
            Wiener Konzerthaus Großer Saal 2018年11月7日 19時30分〜21時10分

            DIE STADT OHNE JUDEN
            OLGA NEUWIRTH
            Film : Die Stadt ohne Juden (A 1924)
            Regie : H.K. Breslauer nach dem Roman von Hugo Bettauer
            Musik : Olga Neuwirth (2017 UA)
            PHACE
            Leitung : Nacho de Paz
            Production Wiener Konzerthaus in Kooperation mit Firmarchiv Austria

            現代音楽と言えば現代音楽で
            しかも音楽そのものは世界初演なのだが
            どちらかと言えば、映画の印象の方が強くて
            音楽は、ちょっとビックリした部分を除いて
            あんまり印象にない(すみません)

            プログラムを買おうと思ったら売り切れだったので
            記憶を掘り起こして書くので
            もしかしたら間違いがあるかもしれないのでお許しあれ。

            1924年に作られたオーストリアの無声映画
            「ユダヤ人のいない街」は
            ジャーナリストのフーゴ・ベッタウアーの小説をもとにしたもので
            ハンス・モーザーなど、名だたるオーストリアの俳優が出演している。

            ただ、このフィルムは長い間、消失していた。

            1991年にアムステルダムの映画博物館で断片が見つかり
            その後2015年に
            偶然に昔のフィルムのコレクターが
            パリの蚤の市で、完全なフィルムを発見。

            オーストリア映画記録所が、クラウド・ファンディングを作り
            修築・再現した状態で2018年3月にウィーンの映画館で再演の運びになった。

            タイトル「ユダヤ人のいない街」が示す通り
            とあるユートピアの街が登場する。
            (撮影はウィーンでしているので、ホーフブルク宮殿とか
             今でもモロわかりの場所が出てくるので、ウィーンである事は明らかだが)

            失業、インフレ等に悩む国民がデモを繰り広げ
            ユダヤ人が我々の仕事を奪っている、というデマが広まり
            政府は、ユダヤ人追放の法律を作って、ユダヤ人を国外追放にする。

            ユダヤ人はいなくなったのに
            国の通貨の価値はどんどん下がり
            世界の銀行はユダヤ系が多いので
            誰も資金の貸付をしてくれず
            コーヒーハウスも居酒屋もガラガラ。
            購買力は落ち
            外国人観光客は全く来なくなる。

            とある議員の娘の恋人はユダヤ人で
            国外追放されてしまったのだが
            このレオというユダヤ人は
            自分の出生を隠し、フランス人として入国する。
            (ホテルに行くと、あっ!!!外国人が来た!!!と
             大騒ぎになって、ダンナ、部屋が必要ですか?それとも
             ホテル全部をお買い上げですか? ・・・笑えるシーン)

            議会は、このユダヤ人追放の法律を変更しようとするのだが
            議員の3分の2以上の賛成がないと法律を変えられない。

            フランス人に化けたレオは
            恋人のところに行ってラブシーン。
            お父さん(議員)には当分隠しておかなきゃね、というので
            娘は、お父さんに
            私、フランス人の恋人が出来ちゃったの
            と言うと
            お父さんは、でも、お前にはレオという恋人がいるじゃないか、と驚く。

            フランス人とも結婚するし、レオとも結婚するわ
            と宣言して、お父さんが「ウチの娘は頭がおかしくなったのか」
            と悩むところなど、かなりコメディでおかしい。

            レオは「ユダヤ人を街に呼びもどそう。敬虔なキリスト教徒」というポスターを
            街中に貼ってキャンペーンに努めるのだが
            1票の差で可決できず
            差し戻し2回目の議決を取る時に
            議員の1人と懇意になって、酒を飲ませ
            家中の時計を遅らせて、議会に間に合わないように画策。

            それが功を奏して、やっと議決。
            最初に戻って来たユダヤ人を、国家を揚げて大歓迎。
            国の通貨の価値は上がり
            レオは晴れて身分を明かし、ハッピーエンド。

            映画ではそうなっているが
            実際にその後どうなったかは史実が示す通り。

            原作の著作者、フーゴ・ベッタウアーは
            1925年、自分のオフィスで、ナチス党員のロートシュトックに銃殺される。
            享年52歳。
            (犯人は裁判にはかかったが、精神病と言う理由で釈放され
             その後、ナチスとして活躍して、第二次世界大戦後も
             責任を追及される事なく、歯医者として豊かな生活を送ったそうだ)

            筋立ては単純だし
            その間に挟まるエピソードも短いものが多いけれど
            1938年にオーストリアで何が起こったかを知っていると
            かなりリアルな恐ろしさが迫って来る。

            オルガ・ノイヴィルトの曲は
            時々、連邦首相が出て来る時に
            今のオーストリアの国歌(当時のではない!)の断片を使ったり
            かなり皮肉の入ったものになってはいたけれど
            あくまでも映画音楽としての節操があったので
            ・・・書いた通り、ほとんど記憶に残っていない(すみません)

            この演目、11月下旬には、アムルテルダムでも上演されるそうだ。
            こういう映画を観られたのは、とても良い経験だったし
            史実を知っている事を別としても良い映画だったと思う。
            (というより、昔はオーストリア映画って
             非常に高いクオリティだったのだ。今は忘れられているものが多いが)

            ウィーン・モデルン現代音楽祭の一環で
            コンツェルトハウスの「映画と音楽」チクルスの催物でもあり
            コンツェルトハウスは満杯の状態。

            こういう催物に行く機会が少ないだけに
            (映画と音楽シリーズ、すごく良いものが多い)
            色々と考えさせられたし
            映画そのものの芸術性にも圧倒された私に
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            ピエール=ローラン・エマール リゲティ「エチュード」全曲

            0
              Wiener Konzerthaus Mozart Saal 2018年11月6日 19時30分〜21時

              ピアノ Pierre-Laurent Aimard

              György Ligeti (1923-2006)

              Études pour piano (1985/1995-2001/1988-1994)
              7. Galamb Borong, Vivacissimo luminoso, legato possible - Semplice, da lontano
              8. Fém. Vivace risoluto, con vigore
              17. À bout de souffle. Presto con bravura
              5. Arc-en-ciel. Andante con eleganza, with swing
              3. Touches bloquées. Vivacissimo, sempre molto ritmico - Feroce, impetuoso, molto meno vivace - Feroce, estrepitoso - Tempo I
              12. Entrelacs. Vivacissimo molto ritmico
              11. En suspens. Andante con moto
              1. Désordre. Molto vivace, vigoroso, molto ritmico
              16. Pour Irina. Andante con espressione, rubato, molto legato - Allegro con moto, sempre legato - Allegro vivace - Molto vivace
              9. Vertige. Prestissimo sempre molto legato
              4. Fanfares. Vivacissimo, molto ritmico, con alegria e slancio
              6. Automn à Varsovie. Presto cantabile, molto ritmico e flessibile
              15. White on White. Andante con tenerezza
              18. Canon. Vivace poco rubato - Prestissimo
              10. Der Zauberlehrling. Prestissimo, Staccatissimo, leggierissimo
              2. Cordes à vide. Andanteino rubato, molto tenero
              13. L’escalier du diable. Presto legato, ma leggiero
              14. Colona infinita. Presto possible, tempestoso con fuoco

              隣のホールのウィーン交響楽団(日曜日と同じプログラム)のチケットは
              ギリギリの時間に大学の同僚に押し付けて(笑)
              隣のモーツァルト・ホールに走る私。

              ドイツ語では Sternstunde 直訳すると星の時間、という
              キラキラ輝くような、言葉に出来ない素晴らしい時間の表現があるが
              あああああ、これこそ、その「星の時間」ではないか!!!!

              プログラムの番号がめちゃくちゃなのは
              プログラムに別紙が挟んであり
              ドラマツルギーの関係から、エマールが順番を以下のように変更しました
              ・・・という事で、慌てて曲に番号付けて別刷りした(のであろう)という理由。
              もともとのプログラムには
              premier livre (1985), troisième livre (1995-2001), deuxième livre (1998-1994)
              という記載があった。

              リゲティのこのエチュード
              技術的な難しさも超弩級だが
              なんて音楽的なの!!!!

              いや、音楽を理解できない私が
              何をおこがましい事を、とちゃんとわかってはいるのだが
              ここは、どうぞお許し下さい。

              ものすごい技術に裏打ちされた
              徹底的な解像度を持つ一つ一つのピアノの音が
              有機的繋がりを持って
              テクスチャーの中からメロディが立ち現れ
              信じられない色彩の変化の中で
              トナールともアトナールとも違う
              ポリフォニーのバランスの良さ・・・

              な、な、なんという美しさ。
              しかも、内容の凝縮された事と言ったら
              どの曲一つを取っても
              手抜きが全くなくて
              全部違う、そして、全部がこの上ない美しさと迫力。

              各曲について、プログラムに割に詳しい解説はあったのだが
              何せ、曲の順番を変更されてしまったので(笑)
              どれがどれだか、さっぱりわからなくなってしまって
              (それは私の知識と記憶力のなさが原因です)

              右手で白鍵のみ、左手で黒鍵のみ、とか言う曲もあったらしいが
              残念ながら、私の席からは
              エマールの表情と、リズム取ってる足先が見えるだけ。
              クインテばかりの曲というのもあって
              それはさすがに聴き取れたが(いやもう処理が見事な事・・・)

              このコンサート、ウィーン・モデルン現代音楽祭の一環なので
              ゲネラル・パス所有者には、かなり良い席をくれたんだけど
              それが平土間の前の方で、しかも右だった。
              (だったら、いつもの貧民席ギャラリーの後ろの方が良かったかも)

              ただ、平土間3列目(前がサークルなので実質5列目)の音響は
              驚くほど良い。
              右という事はピアノの蓋が開いている方向なので
              ピアノの音の当たり方が半端じゃなくて
              どんな弱音も強音も、細かいニュアンス含めて聴覚を直撃してくる。

              しかも、たぶん、このブロック、ゲネラル・パス所有者用だと思うのだが
              当然の事ながら、雑音も身動きも全くない現代音楽フリーク。
              こんなマナーの良い聴衆に囲まれて音楽を聴けるなんて
              現代音楽祭以外にはあり得ない(どれだけ貧乏・・・)

              エマールの表情と足元しか見えないので
              ずっと見ていたのだが(すみません、睨みつけて)
              エマールの表情の変化が、実は非常に面白かった。
              いつも、ちょっと無表情で、怖そうな顔をしている印象だが
              各曲によって、驚く程に表情が変わるのだ。

              足先だが、ペダルはほとんど使っていない。
              ただ、曲のリズムは、しっかりと足先で取っていて
              ほんの時たま、リズムの出だしに合わせて
              ほんの少しだけペダルを踏むか踏まないか、という感じ。

              で、ペダルほとんど使っていないのに
              あのフォルティッシモは何なんだ!!!!(驚愕)

              フォルティッシモなのに、ペダルなしの音響なので
              全く濁りがなくて
              ピアノって、こんなに豊かな表情を出すの?とひっくり返るくらい。

              1時間弱で続けざまの演奏で
              エマールの、あの体力、集中力・・・
              このピアニスト、私と同じ歳だよね。
              いや、私も頑張らねば、と一瞬思ったけれど
              あはははは、もともとの才能と出来が違うわ。

              曲の演奏の後にエマールとのインタビュー20分。
              ピアノはエマール所有のスタインウェイで
              例の傑作ドキュメンタリー「ピアノマニア」に登場した
              調律師が調律したそうだ。
              (あ〜、また、エマールが「ちょっと待って」とか
               色々と注文をつけたんだろうなぁ(爆笑))

              エマール曰く、リゲティのエチュードは
              若いピアニストも弾きたがる人が増えて来ているそうだが
              手だけあっても、いや、手があるだけでも素晴らしいが
              それ以上に、音楽を理解する事ができないと難しいだろう、との事。

              ご本人もいくつかの曲の初演をして
              何年か前に全曲演奏をしたそうだが
              (プログラムには今までの演奏回数1回、と書いてあったが
               これもエマールだったのね)
              その時と比べると、演奏が変化したのではなく
              もっと深くなったと言う。

              技術的な技巧も凄いけれど
              今回の演奏では、技巧を見せびらかすというのではなく
              本当にすべての曲が、徹底的に音楽的だったもんなぁ。

              会場を出る時に、階段で、年配の女性が
              この曲の CD は持っているけれど
              ライブで聴くと、全く違うわ!!!と
              興奮気味に話していたけれど
              あ、居たっ、ここにも同年代の現代音楽フリークが(笑)
              (註 実は私も CD 持ってます。リゲティ作品はほとんど全曲)

              いや、本当に生きていて良かった ♡
              こういう尽きない喜びと高揚感は
              芸術だけが与えられるものだなぁ、と
              多幸感に包まれて帰宅する途中で

              今週の木曜日に試験するから、という
              とんでもないメールを見つけて
              焦り狂っている私に
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              ジョン・ケージ + ルチアーノ・ベリオ「セクエンツァ」

              0
                Wiener Konzerthaus Großer Saal 2018年11月5日 19時30分〜21時途中退場

                CASINO CAGE
                Berio Sequenze + Cage Variations

                John Cage (1912-1992)
                Variation IV for any number of players, any sounds or
                combination of sounds produced by any means,
                with or without other activities (1963)

                Luciano Berio (1925-2003)
                Sequenza

                ルチアーノ・ベリオのセクエンツァと言ったら
                現代音楽の作品の中でも、大傑作の一つで
                数年前にクラング・フォーラムで何曲か聴いて
                えらく感激した私は CD まで買ってしまったのだが

                現代音楽は CD で聴いてもつまらない(断言)

                今回、ウィーン・モデルン現代音楽祭の一環で
                ウィーン・コンセルヴァトリウム音楽大学の学生さんが
                このセクエンツァの14曲を演奏する、というので
                むちゃくちゃ張り切って、授業を早退してコンツェルトハウスに行った。

                ウイーン・コンセルヴァトリウム音楽大学という名称は
                ググったら出てきたものだが、正式には
                Musik und Kunst Privatuniversität der Stadt Wien
                ウィーン市音楽芸術私立大学
                と訳した方が良いんじゃないのか、と思う。

                通常、ウィーン国立音楽大学として知られている
                Universität für Musik und Darstellende Kunst とは別の大学だが
                国立音大にない専攻なども設けていて
                優秀な学生が集まる大学である(もちろん入学試験あり)

                コンサートのタイトルが示す通り
                コンツェルトハウスの大ホールは、平土間の椅子が取り払われて
                カジノのテーブルが真ん中にどん、と置かれている。
                わざわざ目を14個にしたルーレットが置かれていて
                ちゃんとカジノ・オーストリアからクルピエまで控えている。

                何をやるかと言うと
                ジョン・ケージの Variations IV を
                ベリオのセクエンツァでやろうという試み。
                ジョン・ケージのこの作品がどういうものかは
                どうぞ、タイトルをご覧下さい。

                ウィーン・モデルンのインテンダントが
                燕尾服を着て出て来て
                手順について説明・・・するんだけど
                どうも、本人もよくわかっていない様子。

                プロダクションの責任者も明確な説明が出来ない(呆)

                ルーレットを回して、出て来たナンバーを演奏する、というのは
                解説なくてもわかるけれど
                それが、大ホール、シューベルト・ホール
                横のバー、フォワイエの4ヶ所に散らばるらしい。

                しかし大丈夫かこれ。
                だって、担当者が何人もわさわさ出てきて
                テーブルの周りで、手順について討論しているような感じなのだが。

                提示するための番号とかも用意しているようだが
                何で、コンサートがとっくに始まっている時間に
                ハサミで切ってるんだろう・・・(絶句)

                で、コンサートの聴衆は、あちこちのホールを渡り歩いて良い、と書いてある。
                ただし、演奏中の雑音にはご注意下さい・・・とは書いてあるけれど
                演奏中に移動したら、雑音出るの、当たり前じゃないか!!!!

                私は上のバルコンから、動かずに大ホールの演奏を聴くつもりでいたのだが
                バルコンの音響は非常に良い、いや、良すぎる。

                最初のビオラ(セクエンツァ6番)の演奏中に
                平土間を歩く聴衆の足音(時々硬い踵のカツカツという音!!!)や
                周囲の人たちの話し声、平土間を歩いている人たちの囁き声

                更にはルーレット・テーブルに集まった関係者たちの
                この場になっての打ち合わせの声や
                会場内の連絡用のハンド・マイクで喋る音まで
                音楽の背景音?として聴こえてくる上に

                加えて、隣のシューベルト・ホールでは
                ピアノ(セクエンツァ4番)の演奏が始まっていて
                ビオラとピアノが重なったポリフォニーが・・・

                最初の3つくらいは決定した後に
                14曲のうち、まだあと11曲の順番を決めなければならないので
                演奏途中でルーレットを回す音とかも。

                ええええ、私が気難しい老年の老女で
                雑音がものすご〜〜〜〜く気になる、という
                イヤなタイプである事は
                よ〜〜〜くわかってますけど

                でも、演奏されているのって、ベリオのセクエンツァですよ?!

                各楽器の持て得るすべての音響を
                貪欲にマテリアルとして使って
                楽器の可能性を極限まで追求して
                それを、とんでもない音楽性でまとめている傑作ですよ!!!

                聴く方としては
                ベリオがその持てる才能で
                楽器の究極の可能性を引き出した音響を
                じっくり聴きたいじゃないですか(ワタシだけか、そういう人は?)

                なのに、ハープがこの上なく繊細な音を出している時に
                足音だの、隣のピアノのフォルテだの、囁き声だのを
                一緒に聴かされるって、かなり苦痛。

                それに、最初の3曲くらいはアナウンスがあったけれど
                その後、どうなっているのか、さ〜っぱりわからん。

                関係者もよくわかっていないんじゃないか、という恐ろしい予感もあったし
                2つか3つの場所で並行して演奏されているという事は
                その前後の盛大な拍手も、演奏の最中に聞こえて来るのである。
                (たぶん、各プレイヤーが同僚や知り合いや家族を山ほど招待している)

                ビオラとハープと(隣のホール漏れ聞きのピアノと)
                トロンボーンと、ファゴットと
                ファゴット演奏後にフルートの後半を聞いただけで
                既に時間は21時。

                まぁ、最初の誰も何もわかっていない(ように思われた)状態から
                だんだん順番確定とか、場所確定とかは慣れて来ているのだろうが
                しかし、それにしても

                こんな段取りの悪さで
                よくぞ、偶然性の順番でやろうとか思ったものだ・・・(絶句)

                しかもカジノ・オーストリアまで巻き込んで・・・

                セクエンツァという曲そのもの聴かせてくれるのだったら
                舞台の上で、I から XIV まで
                順番どうでも良いから
                聴衆を静かに座らせた状態で、雑音なしで聴かせて欲しかった(涙)
                (そのまま順番で続けて1から14まで演奏しても2時間弱のはず)

                演奏されたセクエンツァのソリストたちが
                あまりに優秀で
                各楽器の持つ音の可能性に圧倒されていたので
                それだけに、聴衆が歩いて移動して
                関係者が「次どうしよう???」とかあちこちで囁き合っている
                (囁きの内容は推測です)
                そういう、音楽以外の要素で、音楽そのものを聴かせてくれない
                という状態は、ワタクシ的には避けて欲しかった。

                セクエンツァ14曲をまとめてナマで聴くチャンスなんて
                私が120歳くらいまで長生きしても、絶対にないだろうし
                (雑音に我慢して)聴いた分の演奏が素晴らしかっただけに

                ものすご〜く残念に思っている私に
                どうぞ1クリックをお恵み下さい。



                ジョン・ケージの作品の枠内での実験という意味はわかる。
                だが、それをやるなら、ちゃんと予行演習とか
                起こり得る事態を想定して、無駄なく手際よくやるべきではないか。
                (そういう事はオーストリア人に期待しても無駄、という声は聞こえてくるが・・・)

                スタジオ・ダン(現代音楽)

                0
                  Wiener Konzerthaus Mozart Saal 2018年11月3日 22時15分〜23時45分

                  Studio Dan
                  チェロ Maiken Beer
                  クラリネット、サクソフォン Viola Falb
                  フルート Thomas Frey
                  トランペット Dominik Fuss
                  バイオリン、ビオラ Sophia Goidinger-Koch
                  コントラバス Constantin Herzog
                  コントラバス Philipp Kienberger
                  パーカッション Mathias Koch
                  トロンボーン Matthias Muche
                  フルート Doris Nicoletti
                  トロンボーン、指揮 Daniel Riegler
                  サクソフォン、クラリネット Clemens Salesny
                  ピアノ、シンセサイザー Michael Tiefenbacher
                  照明、技術 Nina Ortner

                  Oxana Omelchuk
                  Wow and Flutter (2017)
                  Kompositionsauftrag von Studio Dan

                  Elisabeth Harnik
                  holding up a bridge (2018)
                  Kompositionsauftrag von Studio Dan

                  Vinko Globokar
                  Passagio verso il rischio (2017) UA
                  Kompositionsauftrag von Studio Dan (mit freundlicher Unterstützung der Ernst von Siemens Musikstiftung) und Wien Modern

                  大ホールでバンベルク交響楽団を聴いていた間
                  隣のモーツァルト・ホールでは
                  ウィーン・モデルン現代音楽祭のコンサートで
                  ジョン・ケージとかフリードリヒ・ハースとかを演奏していて
                  ・・・ううう、ほら、身体は2つないので(涙)

                  しかし、そのコンサートの後
                  22時から、同じホールで別のコンサートがある (^^)v
                  バーで公開インタビューしていたので、それを聞いてから
                  ちょっと準備が遅れて、22時過ぎに開いたモーツァルト・ホールへ。

                  さすがに連休のなか日で
                  しかも22時からのコンサートなので
                  観客は(たぶん)全員、関係者か
                  あるいはゲネラル・パスを持った現代音楽フリーク。

                  で、実はこれがむちゃ面白かった。
                  最初の2作品は、若い女性の作曲家によるもので
                  様々な工夫や新しい試みはあるけれど
                  まぁ、現代音楽って、そんなもんだよね、という感じだったが

                  最後のヴィンコ・グロボカールの作品が!!!!
                  作曲家ご自身が会場にいらしていて
                  ご高齢なので、杖をつかれているのだが

                  いや、この作品、すごい。
                  クラシックの作曲技法をマスターしながら
                  それを超えたところで
                  自由自在に遊びまくっている。

                  私もこの作曲家は知らなかったのだが
                  あまりに作品が面白かったので調べてみた。
                  読者の皆さま、ご興味あれば
                  日本語のウィキぺディアの記述は ここ

                  何が面白いかと言うと
                  何でもあり!!!なのである。

                  トナールからアトナール、さらにはジャズやポピュラー
                  最後はマーラーの交響曲のフラグメントまで入れて
                  曲に何も枠組みがなくて
                  こんな「自由」を感じさせる曲があるなんてビックリ。

                  奏者はアンサンブルなのだが
                  その時々によって、指揮をする人が変わり
                  プレイヤーによっては楽器の持ち替えもある。

                  で、絶対にこの作曲家、マウリツィオ・カーゲルの影響受けてるわよ。
                  だって、舞台が演劇的なんだもん。

                  トロンボーンが水の入った盥の上で吹いたり
                  トランペットとトロンボーンが、どんどん楽器を解体して
                  最後はリードだけで演奏していたり

                  コントラバス奏者は途中でエレキギターに持ち替えで
                  その上、エレキギター持ち替えの楽章は
                  全員で体操の時間。

                  エレキ・ギターを上に投げてキャッチするところで音を出したり
                  ギターの上で腕立て伏せしたりしている横では

                  バイオリニストがバイオリン弾きながらバレエらしきものを踊っているし
                  チェリスト(女性)は仁王立ちして
                  何だかワケのわからん動きをしているし。

                  最後にマーラーの交響曲のフラグメントを
                  プレイヤーが勝手に繰り広げて
                  (あ〜、だから舞台にテノール・ホルン!!!
                   トロンボーンが解体された後にテノール・ホルンでマーラー吹いてた)
                  その後、全員が舞台から次々に降りて
                  会場をあちこちに分散しながら
                  あちこちのドアから退場。

                  現代音楽って、聴いている方より
                  演奏している方が楽しいんじゃないか、と
                  昔から疑っているのだが

                  いや、これ、絶対に演奏してる方が面白い!!!

                  楽器が出来る人が集まって
                  クラシック演奏するのも飽きたから
                  破天荒な事をやりたいよね、という感じで
                  プレイヤーがむちゃくちゃ楽しんでいるのがわかるし

                  この作品、じゃぁ、自由自在に
                  やりたい放題で、芸術性ゼロ、という訳ではなくて
                  その背後に、膨大な音楽的知識と技術が詰まっているのがわかる。

                  初演の場に立ち会うチャンスがあって
                  すごくハッピー。
                  いや、こういう出会いがあるから
                  玉石混合の現代音楽祭のコンサートって
                  ともかくは行ってみるべきなんだわ。

                  23時45分過ぎのコンサート終了だったけれど
                  土曜日だったので、マイカーで出かけたので
                  感激を噛みしめつつ
                  思い起こすたびに、ちょっとクスクス笑いつつ
                  真夜中過ぎに帰宅した私に
                  どうぞ1クリックをお恵み下さい。



                  枠組みに囚われないというのなら
                  フリー・ジャズとかもあるけれど
                  既にトナールが枠組みで、それをぶっ壊したところで
                  自由自在に、あれだけの音のマテリアルで遊べるなんて
                  ちょっと考えもしなかった。
                  こんな作曲家がいるんですね・・・(感激)

                  Noche de los Muertos: Un-tape me

                  0
                    Echoraum 2018年11月1日 19時〜途中退場20時30分

                    Noche de los Muertos: Un-tape me

                    Jerôme Noetinger, Revox, Tapes, Electronics
                    Mark Vernon, Found dictaphone, Reel-to-reel tapes
                    Marta Zapparoli, Tape reconrders, Self-made devices
                    Wien Diesel feat. Burlin Mud (R.F. Culbertson III)
                    Installation : Angélica Castelló, Magnet Altar. Installation (2018)

                    ウィーン・モデルン現代音楽祭の一環だが
                    プログラムについては、質問しないでクダサイ。
                    最初の2曲で、既に20時30分を過ぎていて
                    ちょっと勘弁・・・という感じだったので
                    途中でずらかりました(すみません)

                    15区にあるエコー・ラウムという小さな会場で
                    アングラの香りが香ばしい場所に
                    現代音楽ファンという、妖しい層が集まって
                    何をやったかと言うと

                    テープとかコンピュータとか
                    エレクトロ二クスの装置とか
                    テーブル2つに、30年前の物理研究室のような
                    全然想像もつかない機材(小さい)が乗っていて
                    そこで、雑音を出す。

                    ・・・こ、こ、これは
                    ミュジーク・コンクレート 😮

                    まだ生き残っていたのか(って失礼な・・・)

                    音響をこよなく愛すワタクシとしては
                    決してミュジーク・コンクレートは嫌いではない。

                    が・・・
                    最初に30分以上、男性と女性のカップルが
                    手元の機械を操作して
                    ずっと雑音を流しているのを見ているのは
                    むちゃくちゃ退屈。

                    周囲暗いし(アングラ感満杯)
                    見るものないし
                    雑音の中で熟睡・・・(こらっ!!!)
                    途中、かなりの音量で、身体に振動が伝わって来たが
                    飛行機でも列車でも、問題なく寝られる体質なのでビクともしない。

                    気持ち良く雑音・騒音の中で熟睡した後
                    セットアップのチェンジがあって
                    2曲目は男性1人で機材を担当。

                    あ〜、カセット・テープ巻き戻しの音がする。
                    若い世代は知らないだろうが
                    カセット・テープと言えば
                    中学校から大学院卒業くらいまでの
                    私のかけがえのないお友達。

                    今でもものすごくレアな録音(ラジオ収録)とか持ってるし
                    出版社でバイトしていた頃の
                    貴重な○○○さまとのインタビューとか
                    声に惚れた○氏の朗読(音声学演習用と称して無理やり読んでもらった)とか
                    もうテープ伸びてるかも・・・とは思いつつ
                    捨てられない。

                    その懐かしいカセット・テープの雑音に加えて
                    不思議な音響が飛び交って
                    それなりに、妄想も掻き立てるし
                    バリエーションもあるし
                    途中でミニ・シロフォンみたいな楽器の音を混ぜたり
                    そこそこ面白いんだけど

                    いつまで続くの???

                    何楽章書いたのかわからないが
                    終わったかと思うと
                    またカセット・テープ巻き戻しの音から
                    次の(楽)章が始まる。
                    最初の音は全部同じなので
                    何となくブルックナー的というか(ブルックナーさんすみません)
                    で、ブルックナーに匹敵する、しつこさと長さ・・・

                    たっぷり1時間は演奏してたわ(絶句)
                    終わって時計みたら、20時30分過ぎてたし。

                    アングラ感漂うバーで
                    みんなワインとか飲んでいたみたいだが
                    (会場にワイン持ち込みしてた人も結構いたし)
                    友人や知り合いと一緒だったら、最後まで残ったかもしれないけれど
                    来週、試験1つあるし(ぎゃ〜〜〜っ)
                    課題提出2つあるし(ぎゃ〜〜〜〜っ)

                    いやでも、まだこの分野で活躍している人がいたかと思うと
                    う〜ん、現代音楽、何でもアリだな、と、つくづく思う。
                    というより、作曲され尽くした感のあるミュジーク・コンクレートで
                    まだ未知の音響を聴く事ができるとは・・・

                    室内にあるインスタレーションは
                    カセット・テープの祭壇、というコンセプトらしい。

                    カセット・テープ、まだお亡くなりになっていないと思う私は
                    (実際、自宅にはカセット・テープを使えるステレオがある!)
                    時代に遅れているのかも、と、ちょっと思った私に
                    どうぞ1クリックをお恵み下さい。


                    ウィーン交響楽団 + シルヴァン・カンブルラン

                    0
                      Wiener Konzerthaus Großer Saal 2018年10月31日 19時30分〜21時40分

                      Wiener Symphoniker
                      ピアノ・エレクロトニクス Sebastian Berweck
                      サクソフォン Marcus Weiss
                      パーカッション Christian Dierstein
                      指揮 Sylvain Cambreling

                      Iannis Xenakis (1922-2001)
                      Metastaseis B (1953-1954)

                      Malte Giesen (*1988)
                      Konzert für hyperreales Klavier und Orchester (2017-2018) UA

                      Julia Purgina (*1980)
                      Akatalepsia (2018) UA

                      Sir Harrison Birtwistle (*1934)
                      Panic. Ein Dithyrambus für Altsaxophon, Jazzschlagzeuger, Holzbläser,
                      Blechbläser und Percussion (1955)

                      Helmut Lachenmann (*1933)
                      Marche fatale (2017) EA

                      ウィーン・モデルン現代音楽祭のコンサート。
                      整理券もなし・・・という事は、わっはっは(察して下さい)
                      それでも、平土間70%がた入ってるし
                      バルコン席も同じく、半分以上は入っているのが凄い。

                      ヤニス・クセナキス以外は
                      すべて、まだ在命の作曲家の作品。
                      うち、2作品は世界初演 (UA = Uraufführung) で
                      1作品はオーストリア初演 (EA = Erstaufführung)

                      クセナキスの作品は1955年にドナウエッシンゲン音楽祭で初演された作品。
                      大規模オーケストラで、数学的な処理をされている音符のはずだが
                      実際に聴いてみると、何とも情熱的な感じがする。
                      7分くらいのコンパクトだが、内容の濃い作品。

                      次がドイツの新進作曲家による作品の初演。
                      ヤマハのピアノをコンピュータと繋いだ「超実数ピアノ」って
                      何の事か、アホな私には全くわからないが
                      プログラムの解説によれば
                      現代はみんな、イアフォンで音楽を聴いているので
                      音響空間が影響を及ぼさない音楽を
                      ピアノ・・・というより MIDIの発生源を使って
                      オーケストラと演奏する・・・らしい。

                      あ〜、う〜・・・

                      クセナキスの音楽が立体的だったのに比べて
                      こちらの音楽は超2次元的というか
                      オーケストラの普通の音響を使っている時点で
                      音響空間が影響を及ぼすのは自明のはずなのだが
                      アーティストによれば、それは違うらしいのだが
                      そういう高尚な事はワタクシにはわかりません。
                      (それに結構長かった・・・23分。最後はピアノ音響のループ)

                      後半はウィーンとベルリンでビオラと作曲を学び
                      ウィーン放送交響楽団の後、ウィーン室内管弦楽団のメンバーで
                      ウィーン大学でスラブ学とゲルマニスティックを学んでいる女性の作品。

                      フル・オーケストラだが
                      次の作品の準備か、弦が全部上手(かみて)に位置。
                      (下手(しもて)にはジャズのパーカッション・セットが2つ)

                      この作品、15分ほどの曲なのだが
                      弦のピアニッシモのピチカートと
                      弱音のパーカッションから始まって
                      曲に色彩が見える(ような気がする)

                      プログラムにタイトルの Akatalepsia 不可知論についての記載があるが
                      あ〜、もう、何だかよくわかりません。

                      眠りの神ヒュプノスとその兄弟モロスとタナトスが
                      夜の神ニュクスの子供たちと音楽の中を飛び回り
                      人間の死は確実だが、その美は死の瞬間に開示され
                      本質は感覚的にしか捉える事ができない(意訳、文責なし)

                      ・・・ったく何の事やら理解不可能(私がアホだから)

                      でも、作曲家自身が sinnlich 感覚的という言葉を使うだけあって
                      音楽そのものが、かなり詩的にロマンティックで
                      音響の構成が、その意味では古典的に美しい。

                      オーケストラの音量をかなり下げているだけに
                      金管を吹かずに、手で叩く奏法も
                      音が埋もれずに、かなり面白い音響設計になっていた。

                      ハリソン・バートウィッスルと言えば
                      イギリスの現代音楽では大御所で
                      私も今まで何回か、作品を聴いた事はあるが

                      今回の曲は1995年に BBC Symphony Orchestra で
                      イギリスのプロムスで初演された曲。
                      サクソフォンのソロとジャズ・パーカッションに
                      オーケストラは金管と木管とパーカッションだけ。

                      詳しい編成は
                      サクソフォン(ソロ)、パーカッション(ソロ)
                      フルート3本(2番・3番はピッコロ持ち替えあり)
                      オーボエ3本(3番はイングリッシュ・ホルン持ち替えあり)
                      クラリネット、変ホ調クラリネット、バス・クラリネット
                      ファゴット2本、トロンボーン3本、チューバ、ティンパニ、パーカッション

                      ・・・沈黙。

                      ソロのサクソフォン、時々、音が埋もれて聴こえないし
                      ジャズのパーカッションも
                      あんまりバリエーションなくて

                      途中、ジャズ・パーカッションが位置を変えて
                      サクソフォンが時々パーカッションにキューだして
                      パーカッションが指揮者とは別に指示を出して
                      かなり緊張感に満ちた、ギグみたいな面白さはあったけれど

                      きっと私の感受性の問題なのだが
                      何だか全体に似たような音楽の進行なので
                      何となく聴いていて、飽きてくる。

                      きっとサクソフォンの人は
                      素人にはわからない超絶技巧で演奏しまくりなのだろうが。

                      それに、ウィーン交響楽団の木管・金管ってむちゃ巧いんだけど
                      この作品、そのオーケストラの名人の盛大な無駄遣いのような気がする。

                      最後はヘルムート・ラッヘンマンの6分ほどの曲。
                      ジャズ・パーカッションのセット2つを片付け
                      バイオリンの椅子を置いて
                      現代音楽は舞台設定に時間がかかるのが難点だが
                      コンツェルトハウスのスタッフの早業は
                      いつもながら見事なものだ。

                      ラッヘンマンと言えば雑音・・・って
                      私も相当に失礼だが(笑)

                      プログラムによれば
                      2017年にシュトゥットガルトオペラ座オーケストラで
                      今日の指揮者のカンブレランと初演されたこの曲は
                      今までの作曲技法とは全く違うそうで

                      あらっ
                      伝統に回帰したのか、と思われる程の
                      古典的でトナールでメロディックで
                      映画音楽からの要素をふんだんに取り入れた
                      長調のフルオーケストラのポピュラー音楽

                      ・・・みたいに聴こえるのだが

                      で、私の周囲の人たちも
                      笑ったり、身体揺らして踊っていたりしたんだけど

                      これ、ほとんど認知しないようなところに
                      微妙に和声の間違いが・・・

                      ものすごく巧妙に仕組まれているために
                      表面だけ聴いていると
                      ただの映画音楽に聴こえない事もないんだけど

                      ものすごく気持ち悪いです。

                      プログラム記載の本人の解説によれば

                      現代の没落していく市民社会の中で
                      「笑うべきもの」を真面目に捉え
                      麻痺した精神の黒い穴への道が
                      愉快なものである可能性を示唆し
                      私の過去の「音楽でないもの」の作曲から
                      本来の音楽という概念を捉え直し、違う側面からアプローチし
                      コンサート・ホールが欺瞞的な隠れ場所への退避から
                      精神を開く冒険の場所になる・・・あるいは
                      そこから、ひどく裏切られて脱線する・・・どうやったらそうなるんだろう。
                      (意訳です、文責なし)

                      今の作曲家の皆さま
                      頭の良い方ばかりなので
                      プログラムに書かれていても、今ひとつ、よくわからん。
                      ハイドンが「今回の曲は新しい方法で書きました、ふうううう」とか言ってるのと
                      わけが違う。

                      聴いている側からすれば
                      その瞬間の音響「だけ」が重要なので
                      作曲家が何を考えたかなんて
                      学問対象にでもしない限りは、全く興味ないのだが
                      音楽社会学的なアプローチするなら・・・・

                      ああああああっ、いかん、毒されて来てる (^^;;

                      でも今回の選曲、バリエーションあって
                      かなり面白かった。

                      オーケストラはウィーン交響楽団だが
                      いつものような燕尾服+白い蝶ネクタイじゃなくて
                      ウィーン放送交響楽団と見間違える
                      上から下まで真っ黒の上着なしのシャツ揃え。

                      現代音楽のドレス・コードなのかしら(爆笑)
                      最初、あれ?ウィーン放送響だったっけ?
                      でも、何かメンバーが違う???と
                      不思議に思った私に
                      どうぞ1クリックをお恵み下さい。



                      11月1日はオーストリアは祝日。
                      金曜日2日は大学は授業なし。やれやれ。
                      もっとも、来週火曜日にテストがあるのをすっかり失念していたので
                      すごく焦ってはいるのだが・・・
                      (だったらブログなんて書いてないで勉強しろ、という声が聞こえる・・・💦)


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