マルティン・グルービンガー + ユジャ・ワン

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    Wiener Konzerthaus Großer Saal 2019年1月26日 19時30分〜21時15分

    ピアノ Yuja Wang
    パーカッション Martin Grubinger
    The Percussive Planet Ensemble
    Martin Grubinger sen.
    Leonard Schmidinger
    Alexander Georgiev

    Béla Bartók (1881-1945)
    Sonate BB 115 für zwei Klaviere und Schlagzeug (1937)

    György Ligeti (1923-2006)
    Fanfares. Étude Nr. 4 (Études pour piano, premier livre, 1985)
    Der Zauberlehrling. Étude Nr. 10 (Études pour piano, deuxième livre, 1988-94)
    Désoudre. Étude Nr. 1 (Étude pour piano, premier livre)

    Iannis Xenakis (1922-2000)
    Okho (1989)

    Nikolai Kapustin (*1937)
    Variationen op. 41 (1984)

    John Psathas (*1966)
    One Study (2005)

    Arturo Márquez (*1950)
    Danzón Nr. 2 (1994)

    ユジャ・ワンの衣装が衣装が衣装が・・・😱

    最初の登場では、黒のほとんどビキニの水着タイプで
    上はギリギリで胸のところだけ隠して
    お腹+背中はばっちり見えて
    下半身はホットパンツのもっと短いような(だから水着です!)
    黒のストッキングに、黒の10センチ・ヒール。

    うわあああ
    いや、ユジャ・ワンの衣装がスゴイのは今に始まった事ではないが。
    私でも鼻血ぶーになりそうな状態。

    最初はバルトークの2台のピアノとパーカッションのための曲。
    編曲して、ピアノ1台にマリンバ2台+パーカッションで演奏。
    古典曲だが、やっぱりパーカッションに混じると
    ユジャ・ワンのピアノのタッチが
    尋常でなく強いにしても
    マリンバの音にかなり消されてしまうところがある。

    ユジャのソロで、リゲティのエチュード3曲。
    いや、そりゃ、むちゃ巧い。
    リゲティあたりだと
    ピアノはほとんどパーカッションと化すのだが
    超高速のテンポを正確無比に保ちながら
    中からメロディを引き出してくる手腕に脱帽。

    クセナキスはパーカッションだけで演奏。
    うおおおおお、カッコいい ♡
    黒いTシャツとズボンを着た若い男性3人が
    (パパ・グルービンガーは出ていなかった)
    激しくパーカッションを演奏するところなんて
    聞いても観ても、悶えるじゃないですか。
    まるでダンスのようで。

    しかし面白いなぁ。
    クセナキスのパーカッション曲は
    パーカッション・アンサンブルとしては
    ヨーロッパのクラシック史では初期の作品だと思うのだが
    パーカッションだけ、とは言っても
    途中にテルツやクヴァルトの音の移動も微かに聞こえて
    メロディ・ライン(音の上下)が残っている。

    リズムそのものは、クセナキスなら
    数学使って緻密に計算してある乱拍子だろう。
    ついついトランスクリプションの癖が抜けず
    ついつい拍子を数えようとしてしまうのだが(こらこら)
    クセナキスの曲の拍子を数えても無意味で
    本当に数えたり理解しようと思ったら
    やっぱり楽譜が必要だ(数学だから・・・)

    マルティン・グルービンガーとその仲間たちのリズム感。
    いや〜、もう、マルティンが、ものすご〜〜〜く楽しそうに演奏してる。

    この人、昔の日本に生まれていたら
    2代にわたって、田舎の村の鎮守のお祭りで
    ものすごい名人芸で太鼓を叩くファミリーとして
    庄屋さんとかお代官さまとかのお気に入りになって
    将軍の前で演奏・・・とかしていたんだろうなぁ(妄想です、妄想)

    ニコライ・カプスティンの曲が演奏されたのは嬉しい。
    もちろんピアノ独奏である。

    で、ユジャ・ワンの衣装が衣装が衣装が・・・ 😳

    クセナキスの間に衣装替えして
    今度は金箔のラメの、超ミニのドレス。

    胸の間がお腹まで開いていて
    もちろん背中は丸出しで
    肌色(金色?)のストッキングに
    金色の(たぶん)13センチのピンヒール。

    ピンヒール履いてピアノのペダル踏むの、大変なんじゃないだろうか。
    (ピンヒールはほとんど床と平行になっている状態)

    カプスティンはジャズのエレメントが楽しいので
    ノリノリのリズム感に加えて
    ジャズのハーモニーがとても美しい。
    ユジャ・ワンって、技術だけじゃなくて
    このピアニストの音楽性って抜群だわ。
    様々なスタイルに対しての反応の良さがずば抜けている。

    ジョン・プササズの One Study は
    ピアノとパーカッション。
    マリンバも入るけれど
    後ろに、ナベのかかったスタンドが・・・(笑)
    マルティンがマリンバを演奏しながら
    時々後ろを向いて、大小の鍋を叩く(爆笑)

    この人、ヨーロッパ中世に生まれていたら
    貴族のキッチンで料理しながら
    料理の間や洗い物の時に
    夢中で鍋を叩きまくっていたに違いない(妄想)

    民衆の中には、きっと、ナベ叩きのエンターテインメントとか
    あったんだろうなぁ。記録も楽譜も残っていないが。

    この One study って、実にクールな曲。
    ユジャ・ワンのピアノも、ばっちり活きていて
    あの強いタッチでなければ
    このグループの中では生きていけないだろう(笑)

    最後はアルトゥロ・マルケスのダントン・ヌメロ・ドス
    ・・・だったんだけど
    ピアノとパーカッション(マリンバ含む)の編曲が
    ものすごくエネルギッシュで
    むちゃくちゃカッコいい ♡

    原曲にあるような、ちょっとしたメランコリーなんて
    どこにある?というような感じだが
    いやぁ、良い曲ですなぁ。
    ピアノのユジャの後ろで
    ものすごく嬉しそうにカホンの上に座って
    叩いていたマルティンの嬉しそうな顔。

    マルティン・グルービンガーって
    ドラマツルギーを知り尽くしてるな。
    観客に「楽しんでもらう」というコンセプトが中心にあって
    しかも古典曲から現代曲、最後はメキシコの現代タンゴまで
    どんどん聴衆を熱狂に巻き込んで行く。

    アンコールするかな?とみんなウズウズして待っていたら
    マルティンがマイクを持って

    「みんな、ありがとう!
     実はアンコールは用意していないんです。
     今日は休憩なしの長いコンサートなので
     みんな、コンサートの後にトイレに行きたいだろうと思って・・・
     メンバーで話し合ったのですが
     だったら、プササズの曲で即興しちゃえ、という事になりました」

    というわけで
    プササズの曲の一部を即興で。

    ユジャの後ろで、マルティンがカホンに座ったら
    パパ・グルービンガーも
    ユジャのピアノの横に座って
    嬉しそうにシェイカー振ってた。

    聴衆熱狂。
    最後は全員のスタンディング・オベーション。

    マルティン・グルービンガーも追いかけて長いけれど
    (確か Frozen in Time の初演(2007)に立ち会ったと思うので
     考えてみれば、もう10年以上)

    この元気なパーカッショニスト
    永遠の「男の子」って感じがスゴイな。

    エネルギッシュで天才で
    本当かどうかはともかくとして
    演奏している時が、ボク、一番幸せ・・・っていう
    アドレナリン爆発状態が
    こちらにも伝わってきて
    聴衆もノリノリになってしまうので
    一度ファンになったら止められない中毒症状が出る。

    マルティン・グルービンガーは
    次はヨーテボリ交響楽団との共演でコンツェルトハウスの舞台に立つ。

    もちろんチケットは確保済み、という
    割にしつこいファンの私に
    どうぞ1クリックをお恵み下さい。


    ゲルハーヘル + フーバー「冬の旅」

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      Musikverein Großer Saal 2019年1月18日 19時30分〜20時50分

      バリトン Christian Gerhaher
      ピアノ Gerold Huber

      Franz Schubert (1797-1828)
      Winterreise, D 911

      一部ファンではゲルさまと異名が付いているのだが
      同じバリトンでゲルネ(正確にはウムラウトなのでゴョルネみたいに聞こえる)もいるので
      省略するのはナシとしても

      ドイツ語的に読めば、ゲルハーハーとなる名前が
      日本語の定訳でゲルハーヘルとなっているのも
      何となく納得いかないのだが

      そういう無駄な前置きはともかくとして

      このゲルハーヘル
      デビューした頃から
      ドイツ・リートの正統派も正統派
      どこからどう聴いても
      ディートリッヒ・フィッシャー=ディースカウにしか聞こえない
      ・・・という時期があったのは確かである。

      ウィーンでコンサートするなら
      何はともあれ、駆けつけている私だが
      通常、楽友協会ならリートはブラームス・ホール(小ホール)なのに
      ゲルハーヘルだと、大ホールを満杯に出来るのだ。

      ドイツ・リートを聴こうと思ったら
      いつもの舞台後ろの超貧民席ではダメ(断言)

      かと言って高い席は買えないから(超貧乏)
      お財布に無理してもらって、バルコンの2列目。
      舞台は見えないけれど
      歌手やピアニストを見に行く訳ではないので
      それはどうでも良い。

      演目は・・・冬の旅。
      これ、何回もこのブログには登場するんだけど
      シューベルトのリーダー・チクルスの中でも
      未だに私が積極的に馴染めない曲で

      若い頃は
      あ〜、こういう暗い曲は
      歳取って、人生に諦観しないと
      わからないよなぁ・・・と思っていて

      今、歳取ってみると
      まだ人生への諦観からは程遠く(すみませんガキで)
      シューベルトが30歳ちょっとで届いた境地には
      遥かに遠いところに居るので
      結局、現在に至るまで、冬の旅は苦手。

      実際、このリーダー・クライスは暗い。
      シューベルトが友人の前で披露した時代ですら
      菩提樹以外のウケは悪かった。

      シューベルトが意図したかどうかはともかく
      最初から最後まで、本当に「色」がない。
      ヨーロッパの冬、ジメジメしていて寒くて
      雪が降って
      朝から夜まで、厚い雲が空にかかって
      太陽って何?という日が延々と続く気候条件があってこそ
      この暗さに納得がいく。

      冬の旅と言えば
      最近はフローリアン・ベッシュばかり聴いていたのだが
      クリスティアン・ゲルハーヘルの冬の旅は
      ベッシュと全く違う世界を創り上げていく。

      この上もなく柔らかな
      中心線がはっきり通った端正な美声が
      隅々までコントロールされていて

      テキストのクリアさ
      ドイツ語と音楽の完璧な融合。
      同じメロディでも違う単語で歌われれば
      その部分の音色が違う。

      決して声を張り上げない。
      楽友協会の大ホールは
      観客が静かであれば
      どんなに弱音でも、ホールは悠々と拾う。

      ホールの残響まで緻密に計算した音量は
      ゲルハーヘルだけではなく
      あの、この上もなく繊細で美しい声に
      寄り添いながらも
      独自の世界をピアノだけでも作り上げていた
      ゲロルド・フーバーのピアノの賜物でもある。

      フローリアン・ベッシュが
      黒白のコントラストをはっきりさせた
      時々暴力的な怒りまで感じさせる冬の旅を歌うとすれば

      クリスティアン・ゲルハーヘルの冬の旅の世界は
      最初から最後まで
      灰色の霧のなか。

      灰色一色の単色の世界なのに
      そこに閉じ込められた透明感がすごい。
      時々、思い出したように
      懐かしく、甘く、入ってくる長調の時には
      透明なグレーのなかに
      ほんの微かにパステル色が混じる。

      人生に対する怒り、というようなものを
      既に遥かに超越してしまっていて

      ただ「諦め」とかの敗北感は全く感じない。
      勝ち負けとか、幸福・不幸とか
      そういう二極対立を全く感じさせない
      現世からの超越感というのは

      もしかしたら
      ここで我々聴衆が聴いているのは
      すべてが、どこか懸け離れた幻想の世界で起こっているのか
      あるいは、場合によっては、既に彼岸の世界なのか。

      ゲルハーヘルの冬の旅を聴いていると
      現実感からフワッと浮いてしまい
      足元に全く何もない世界に入り込んでいるような印象。
      不安定なのだが、不安定じゃない。
      孤独なのだが、孤独じゃない。
      不幸せだけど、不幸せじゃない。

      そんな、生臭い感情を全て飛び越えてしまい
      ミュラーの詩が描き出す
      ロマン派の、ちょっと大袈裟なまでの孤独感が
      音楽の中で、グレーの色に溶けていって
      どこか非現実な世界が迫ってくる。

      テキストという意味論的な中心部を
      メロディと音楽
      ゲルハーヘルのこの上なく繊細な美しいバリトンの声と
      フーバーの、これまた控えめなのに
      とことん音楽的なピアノが
      ミュラーのテキストそのものを自分の中に取り込んで
      意味を音楽の中で再構築したって感じかなぁ。

      感情的にならないだけに
      突き放した部分も多いのだが
      透き通る感情のイメージが表面に浮いてきて
      現実に焦点を結んで来ない。

      そんな中に
      ほんの少しの「温度」が入るのが
      パステル色が微かに光るところで
      あ〜、すみません、ついつい涙が・・・

      最後のライアーマン。
      この音楽の空間の広さ、というか
      途中の、あの「距離感」にはひっくり返りそうになった。

      ライアーマンが「遠い」のである。
      いや、ほんと、あれは音楽音響的にどういう処理をしたのか
      マジメに聞いてみたい。
      音響心理学の分野かもしれないが
      詩と音楽が一体になって、ある位置を占めるとして
      その遥か遠くに
      幻想の、薄い霧の中の向こうに
      ライアーマンがいる、としか表現しようのない不思議な感覚。

      強いて言えば
      ゲルハーヘルとフーバーは
      この「冬の旅」から
      現実イメージを徹底的に追い出して
      ある意味、ものすごく哲学的な
      形而上学的な世界を作った、という印象が強い。

      こういう歌唱とピアノを聴けるなんて
      何て私って幸せもの・・・ (*^^*)

      ホール満杯の聴衆は
      比較的マナーも良くて、集中できた。

      もちろん咳は多いにあったけれど
      それでも少ない方だったと思う。
      携帯電話は2回鳴った(怒)←音は小さかったが。
      ライアーマンで客席で倒れた人が居たようで
      多少、話し声とか運び出しとかでバタバタしたが
      これも最小限の支障で済んだ。
      ・・・こういうのってこちらのホール、慣れてるからな。
      (結構、コンサート最中に倒れる人がいる)

      こういう歌手とピアニストが居ることに
      心から感謝して
      また色のある現実世界に戻って来た私に
      どうぞ1クリックをお恵み下さい。


      フラヌイ + フローリアン・ベッシュ

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        Wiener Konzerthaus Mozart-Saal 2019年1月11日 19時30分〜21時

        Musicbanda Franui
        バスバリトン Florian Boesch
        舞台・ビデオ Johas Dahlberg

        „Alles wieder gut“
        Liederabend mit einem vergänglichen Bühnenbild von Jonas Dahlberg
        Musikalische Bearbeitung und Komposition sämtliche Musikstücke :
        Andreas Schett & Markus Kraler

        Franz Schuberg (1797-1828)
        Die Vögel D 691 (1820)
        Heidenröslein D 257 (1815)
        Trockene Blumen D 795/18 (Die schöne Müllerin) (1823)

        Gustav Mahler (1860-1911)
        Die zwei blauen Augen von meinem Schatz
        (Lieder eines fahrenden Gesellen) (1883-85)

        Robert Schumann (1810-1856)
        Es fiel ein Reif in der Frühlingsnacht op. 64/3 Nr. 2
        (Romanzen und Balladen) (1841)

        Gustav Mahler
        Ging heute morgen übers Feld
        (Lieder eines fahrenden Gesellen) (1883-85)

        Johannes Brahms (1833-1897) / Robert Schumann
        Die Sonne scheint nicht mehr WoO 33/5
        (49 deutsche Volkslieder, 1. Buch) (1894)
        „In der Fremde“ op. 39/1 (Liederkreis) (1840)

        Gustav Mahler
        Wenn mein Schatz Hochzeit macht
        (Lieder eines fahrenden Gesellen) (1883-85)

        Robert Schumann
        Der arme Peter op. 53/3 (Romanzen und Balladen) (1840)
        Der Haus und die Grete tanzen herum
        In meiner Brust
        Der arme Peter wankt vorbei

        Franz Schubert
        Du bist die Ruh D 776 (1823)

        Johannes Brahms
        Da unten im Tale WoO 33/6
        (49 deutsche Volkslieder, 1. Buch) (1894)

        Franz Schubert
        Abendstern D 806 (1824)

        Franz Schubert
        Am Tage Aller Seelen D 343
        „Litenei auf das Fest Aller Seelen“ (1816)

        Gustav Mahler
        Ich hab’ ein glühend Messer
        (Lieder eines fahrenden Gesellen) (1883-85)
        In bin der Welt abhanden gekommen
        (Fünf Lieder nach Gedichten von Friedrich Rückert) (1901)

        アンコール
        Henry Purcell : Thy hand, Belinda ... When I am laid in Earth
        (Dido's Lament / Rezitativ und Arie der Dido aus "Dido and Aeneas" Z 626)
        Robert Schumann : Wehmut op. 39/9 (Liederkreis)

        フラヌイについては
        何回か書いて来たので
        熱心な読者さまはご存知かもしれない。

        知らない方は
        2011年のこのページ
        あるいは、フラヌイのホーム・ページ

        ドイツ語が出来てお時間のある方は
        約1時間のドキュメンタリーをオーストリア放送局が
        20周年記念に作ったものがある。
        これは非常によく出来たフィルムで
        フラヌイの音楽も聴く事が出来る。

        結成25年の記念の CD は
        ドイツ・レコード批評家賞を受賞した。
        (コンサートの後、売ってたから買った (^^)v
         フラヌイの数少ない CD は全部持ってる)

        プログラムと舞台を見て
        デジャヴに襲われたが
        2017年4月25日に同じプログラムでコンサートしてた。

        しかし、音楽というのは不思議なもので
        全く同じコンサートというのは一つもない。

        背景のものすごく不思議なビデオと共に
        フラヌイの演奏で歌うフローリアン・ベッシュは
        フラヌイの音楽ととことん同一化していて
        知っているシューベルトやブラームス、マーラーが
        全く知らない音楽であるかのように
        不思議な統一性を持って聴こえてくる。

        フラヌイを表現するのには、ベタな言い方なのだが
        オーストリアの民謡と、クラシックと
        現代音楽とジャズなどの融合

        ・・・って、それ以外、どうやって言って良いのか
        誰にもわからないと思う。
        とことんクロス・オーバーなのだ。
        表現方式に限界がないのである。

        管楽器中心で、バイオリンとコントラバスが加わり
        コントラバス奏者はアコーデオンも弾いて
        ハックブレットやチターが入るし
        時々、全員が声を揃えてコーラスまでする。

        私はオーストリア人ではないし
        30年以上、こちらに居るとは言っても
        オーストリア人の連れ合いもいないし

        よって、オーストリア人家族との交流もないし
        会社勤務の関係上、オーストリアの会社とは言え
        ずっと日本社会で生きて来たようなものなので

        いわゆるオーストリア文化に触れる機会がほとんどなかったにもかかわらず
        フラヌイの音楽を聴いていると
        何とも懐かしいような
        原風景を見せられているような
        奇妙な気分になる。

        いわゆる「民謡」が心の奥底の
        原始的な懐かしさに触れるというのは
        もしかしたら文化圏と関係なく
        人間の根底にあるのかもしれないなぁ(と誤解させる力がある)

        ベッシュの歌の荒々しさと力強さ
        後ろに移動して歌う時の
        この上なく不思議で無骨な優しさ
        フラヌイのメンバーが
        ハックブレットの伴奏でコーラスで歌う時の温かさ。

        プログラムのタイトルが
        強いて日本語に訳せば
        「終わり良ければすべて良し」・・・なんだろうけれど
        「終わり」が欠けているところが、何とも暗喩的。

        しかもタイトルの「すべて良し」って
        ホントじゃないじゃん。
        全然、最後は「良し」になっていない(←日本人的感覚では)

        背景のビデオは
        家具のミニチュアをワックスで作成して
        そこにアルコールをかけて
        熱して溶ける様をビデオに撮影し
        徹底的なスローモーションで見せていくもので

        ベッドがあって、ランプがあって、トーネット風の椅子があって
        洋服を入れる戸棚があって

        まずは椅子が溶けていって
        ランプが溶けて
        横の戸棚が溶けて
        枕が溶けて、ベッドが溶けて
        最後は、何にもなくなってしまう。

        プログラム最後の歌はマーラーの
        Ich bin der Welt abhanden gekommen である。

        こいつら、単細胞のチロル人の集まりかと思ってたら
        ばっちりウィーン風の虚しさを身につけているではないか(誤解あるかも)

        でも、このプログラム構成、本当に凄い。
        人生の様々な局面を
        ドラマチックに
        怒りや喜び、悲しみ、懐かしさ、そして諦観と死生観まで含めて
        ベッシュが自由自在に歌い上げていくところに

        フラヌイが、ただの伴奏に終わらず
        時には対立し、時には歌を包み込み
        時には伴奏だけが独立して自己主張をしながら
        独特の世界を作り上げていく。

        この世界を、私の乏しい言語能力でどう表現しろと?
        こういうのは、聴いてみないとわからないし
        これこそ、言語表現の出来ない部分での芸術表現
        つまるところ、言語の限界、音楽の可能性かもしれない。

        コンツェルトハウスのモーツァルト・ホールは満杯。
        フラヌイのチクルスもあるのだが
        私はチクルスでは買わなかったので
        会員発売初日を狙ったのだが、チケット取れて良かった。
        私と同じように、コアなファンがいるのだ。
        しかも、年齢層が比較的幅広い。
        (熟年が多いのはどこでも同じで
         さすがにティーン・エージャーは見なかったけれど)

        次のフラヌイのコンサートは
        他のコンサートとバッティングしてしまうので
        涙を飲んで諦めた。
        (いや、今日だって、実は大ホールでは
         ウィーン交響楽団だったんだけど
         すみません、フラヌイはいつでも聴けるというものではないので・・・)

        結成25年、しかもド田舎のバンドで
        故郷では色々と嫌がらせなどもあった上
        国際的云々というよりは
        徹底的に地方色を保って来たグループだけに
        コンサート・ホール満杯にして
        コンサート後には熱狂的なブラボー・コールが飛び交うのも嬉しい。

        民謡でもなく
        クラシックでもなく
        現代音楽(だけ)でもなく
        ともかく不思議なフラヌイ
        これからも機会があれば追いかけます、という私に
        どうぞ1クリックをお恵み下さい。



        ザルツブルクとかは記録的大雪の模様だが
        ウィーンは降ったり止んだりで
        今日は太陽が出たのでウキウキしていたら
        コンサート終わって外に出たら・・・吹雪。
        ついでに自宅のWiFi も落ちまくりで
        この記事、3回アップしようとして失敗して
        仕方ないのでスマホ(プロバイダーが違う)に繋いでアップしてます。
        ホント、オーストリアっていい加減なところ・・・

        フローリアン・ベッシュ+マルティヌー「冬の旅」

        0
          Wiener Konzerthaus Mozart Saal 2018年11月19日 19時30分〜21時30分

          バスバリトン Florian Boesch
          ピアノ Malcolm Martineau

          Franz Schubert (1797-1828)
          Winterreise. Liederzyklus nach Gedichten von Wilhelm Müller D 911 (1827)

          19時までの授業を早退して
          (先生からは了承済み)
          少し早めに出たのに
          地下鉄がなかなか来なくて
          最後は、泣きながらカールスプラッツからコンツェルトハウスまで走って
          何とかギリギリに駆けつけたコンサート。

          だいたい、超貧乏の私が、何故に50ユーロ近くの席を買ったんだか・・・
          いつも初日を選んで買っているので
          遅かったとは言わせないが、きっと、既に安いチケットは売り切れだったのだろう。

          いくら安くても、平土間の後ろの席には絶対に座りたくないし。
          (音響が悪いのだ。平土間後ろの上に被さる席は避けるべし)

          汗だくで席について
          フローリアン・ベッシュの「冬の旅」
          2010年2015年に続き、聴くのは3回目。

          昨日からウィーンは急に冬の様相を呈し
          初雪は降るわ、暗いし、道路は濡れてるし
          ロマンティックな「冬」の感じは一切なくて

          ああああ、とうとう、冬が来てしまった・・・

          秋とか冬とか言う季節は
          太陽は出て来ないし
          暗いし、ジメジメしていて
          もう、本当にどうしようもない季節なのだ(断言)。

          よく冬に来る観光客のグループにアテンドするガイドさんが
          時々、太陽が照る日に当たると
          「皆さま、今日は太陽が出てます!!!」と
          ものすご〜く嬉しそうに1人ではしゃいでいて
          グループの日本人の方々は
          何故にガイドさんがはしゃいでいるのか
          よくわからん、という状況に遭遇する事があると思うのだが

          冬が始まったら
          数週間、太陽なんていったいこの世にそんなもの、まだあったっけ?
          という、暗い暗い暗い季節が4月のイースターまで続く、という
          残酷なヨーロッパの状況をご存知ないのである。

          そんな冬の始まりの
          ジメジメして、太陽がなくて
          朝から夕方まで暗くて
          その後はもっと暗くて

          でも、先週からはウィーン市庁舎前の
          クリスマス・マーケットまで始まってしまった
          (すごい人混みだった)
          暗い季節だからこそ
          何か華やかな行事がなければ
          うつ病になるかも・・・という
          恐ろしい冬の始まり。

          そんな暗いシーズンにシューベルトの「冬の旅」(絶句)
          あの、恐ろしいまでに色彩のない
          白黒の世界の、鬱々とした「冬の旅」!!!(しつこい)

          シューベルトの歌曲は数が多いのだが
          まぁ、美しき水車小屋の娘は初々しくて好きだし
          白鳥の歌は死後にマーケティングの関係上
          まとめた歌曲集で、最後の鳩の郵便が好きなのだが
          この「冬の旅」だけは
          どうしてもどうしても好きになれず・・・

          ベッシュの歌声で聴いても
          暗い色調で、鬱々としていて
          この季節に聴いたら
          全員、コンサート・ホールを出て
          踏切に向かって集団自殺でもするんじゃないか、というチクルスなのだが
          ウィーン、ほとんど踏切ないし・・・いや、そういう事じゃなくて(汗)

          ただ、このチクルス
          ベッシュで3回目だけど
          最初の時は、本当にゾクゾクする程の恐ろしさを秘めて
          2回目は、ちょっと、その背後に、何となくの優しさが見えて

          今日のチクルスだけど
          時々、むちゃくちゃ優しくなる部分もあるけれど
          無情な人生への怒りが、時々、すごく暴力的に出て来る。

          やるせない怒りなのだが
          それが、諦観になっていない。
          くそ、諦めるものか、この人生の不幸に逆らってやる
          ・・・という気概のエネルギーみたいなものが
          ジンジンと伝わって来る。

          だから、今回は救いのない「冬の旅」になっていない。
          そうだ、人生、どこかで戦わねばならないのだ
          という悲愴な決心みたいなものが、根底にある。

          とは言え、それは私の主観的な受け取り方。

          この間のシューベルトの「美しき水車小屋の娘」と同じように
          コンサート後に、残る人は残って
          フローリアン・ベッシュが
          この冬の旅に、どうアプローチしたか、というお話の時間が設けられた。

          ベッシュ曰く
          「冬の旅」については、何も言えない・・・
          とか言いながら
          最初の「別離」についても

          ほら、ここ、君の夢を邪魔しないように、というところで
          普通だったら繰り返しで短調で行くところを
          シューベルトは長調で作曲したんですよ、ほら長調でしょ?!

          これは、ミュラーの詩が
          皮肉の入ったものではないか、という聴衆からの質問に答えたもので
          ミュラーが皮肉に満ちた詩を書いたとしても
          シューベルトの音楽が、その諧謔性を否定している、という話になった。

          ベッシュ曰く
          シューベルトがこの歌曲集を通じて音楽で表現したのは
          悲しい者に対しての、ものすごく暖かい視線ではないか、との事。

          最後のライアーマンにしても
          ベッシュに言わせると
          あれは、ich bin der Welt abhanden gekommen の世界で
          (註 もちろんマーラーである)
          ライアーマンは誰の役にも立たない楽器を演奏しているけれど
          彼の中で世界は完結している・・・のだそうだ。

          そうだよね、うん。
          だから、ベッシュの解釈ではライアーマンは救いようがない訳ではなく
          社会から孤立していても
          そこで生き抜いていくだけの逞しさがチラ見えする。

          ベッシュの解釈では
          この「冬の旅」の主人公は
          あっちで追い出され、こっちで拒否されても
          菩提樹が「ここで休みなさい」と言っても
          それを拒否し、休む事を知らずに
          ともかく、どこに行き着くかわからなくても
          歩いていく、という強い意志を持った人間なのだそうだ。

          あ〜、だからか。
          今回の「冬の旅」では
          もちろん曲の持っている暗さとか
          墨絵みたいな白黒の世界はあっても
          そこに「絶望」という文字はなく

          生きている詩人(主人公か)が
          思い通りにならない人生に怒りを覚えながらも
          まだまだ先に行くぞ、みたいな
          エネルギッシュな推進力のある「冬の旅」だった。

          歌手の解釈がどうだったか
          あるいは、歌手がテキストと音楽に何を見ているか
          聴いていても、ある程度はわかるんだけど
          (わからなかったら意味ないし)
          こうやって、言語的に背景の解釈的な事を聞くと
          疑問に思っていた事も、多少なりとも解決するので面白い。

          ベッシュの美しいドイツ語は
          あくまでもクリアで、詩の内容を一字一句とも疎かにしない。
          表現はあくまでもドラマチック。
          時々、抑制の効かないような感情的な爆発もある。

          ミュラーの詩そのものは
          シューベルトが作曲しなかったら
          文学史からは忘れられているであろう、とかよく言われるんだけど
          確かに中2病の真っ只中で
          後で読んだら、あまりに気恥ずかしくて死にたくなるような詩だけど
          当時のロマン派って
          みんな、そうだったので
          時代の背景を考えてみたら、詩としては良いんじゃないかと思う。
          (いやでも、確かに詩として読んだら
           あまりの恥ずかしさにちょっと逃げたくなるのは事実だが)

          でもシューベルトは
          人生振り返って、きゃ〜〜〜っ、青春の恥っ!!!と思うほど、生きなかった。
          31歳で没したのだから
          センチメンタル青年のままで良いのである。
          シューベルトが70歳まで生きていたとしたら
          たぶん、この数多くのリートは存在していなかったんじゃないだろうか。
          (その代わり、交響曲が20曲以上あったりして・・・(笑))

          すみません、次の日の夜に
          かなり酔っ払って急いで書いた記事なので
          めちゃくちゃですが
          書かないよりはマシか、とアップしてしまう
          厚かましい私に
          どうぞ1クリックをお恵み下さい。


          イアン・ボストリッジ + サスキア・ジョルジーニ

          0
            Wiener Konzerthaus Mozart Saal 2018年10月16日 19時30分〜21時30分

            テノール Ian Bostridge
            ピアノ Saskia Giorgini

            Claude Debussy (1862-1918)
             En sourdine (Fêtes galantes, 1. Heft Nr. 1)(1891)
             Frantoches (Fêtes galantes, 1. Heft Nr. 2) (1891)
             Clair de lune (Fêtes galantes, 1. Heft Nr. 3) (1891)
             Les ingenus (Fêtes galantes, 2. Heft Nr. 1) (1904)
             Le faune (Fêtes galantes, 2. Heft Nr. 2) (1904)
             Colloque sentimental (Fêtes galantes, 2. Heft Nr. 3) (1904)

            Maurice Ravel (1875-1937)
             Shéhérazade (1903)
              Asie
              La Flûte enchantée
              L’Indifferént

            Johannes Brahms (1833-1897)
             Es träumte mir op. 57/3 (1871)
             Auf dem Kirchhofe op. 105/4 (1886)
             Herbstgefühl op. 48/7 (1867)
             Der Gang zum Liebchen op. 48/1 (1859)
             Geheimnis op. 71/3 (1877)
             Minnelied op. 71/5 (1877)
             Alte Liebe op. 72/1 (1876)
             Sommerfäden op. 72/2 (1876)
             O kühler Wald op. 72/3 (1877)
             Verzagen op. 72/4 (1877)
             Über die Heide hallet op. 86/4 (1877)
             Mein Herz ist schwer op. 94/3 (um 1884)
             Botschaft op. 47/1 (1868)

            Zugabe
            Gabriel Fauré : Clair de lune op. 46/2
            Robert Schumann : Mondnacht op. 39/5 (Liederkreis)
            Benjamin Britten : O Waly, Waly
            (Folk Song Arrangements Band 3, British Isles Nr. 5)

            コンツェルトハウスの大ホールでは
            かのテノール、ファン・ディエゴ・フローレスが
            ラテン音楽を歌いまくっているようだが

            私は大ホールではなく、隣のモーツァルト・ホールで
            イギリスのテノール、イアン・ボストリッジのリサイタル。

            コンツェルトハウスのリート・チクルスの一環なので
            ある程度の固定客は見込めるとしても
            かなり通向きのプログラム構成。

            前半はドビュッシーとラヴェルだが
            ドビュッシーがポール・ヴェルレーヌの詩を作曲した
            「艶なる宴」からの曲。

            ・・・知りません(汗)

            しかも歌詞がフランス語で
            ドイツ語の対訳はプログラムに記載されているけれど
            象徴的なテキストで(だいたい詩というワケのわからないモノは苦手)
            しかもテキスト見てると
            舞台で、ものすご〜〜〜く動くボストリッジ博士を見逃してしまう。

            そうなんです、ボストリッジ、めちゃくちゃ動くんです。
            いつもながら、どこからその声が出てるんですか?という痩身の
            背の高い身体が
            観客に向かって迫るかと思えば
            ピアノに向かって、ぐったりと身を預けて歌ったり
            マティアス・ゲルネが乗り移ったかと思った。

            ただ、ボストリッジの声は全方向性があって
            ゲルネのように、顔が向く方向にしか声が飛ばない、という事はない。

            で、何故かものすご〜〜〜くドラマチック。
            ソット・ヴォーチェからフォルティッシモまで
            自由自在に使い分けて歌うのだが
            同時に身体を動かし、時々は上を向いてため息をつき
            (違うのかもしれないが、そう見える)
            歌詞の意味は全然わからないけれど
            声の美しさとドラマツルギーで充分に聴かせてくれる。

            というよりプログラムのドイツ語訳に
            時々、ステファン・ゲオルゲの名前が出て来てビックリした。
            ヴェルレーヌの詩に Nachdichtung と書いてあったので
            真似したって事???(違うと思うけれど一応・・・)

            ラヴェルのシェエラザードって
            うわああ、こんな曲があったんだ、という程に
            マイナーな選曲(だと思う。でも私だけが知らなかったという可能性もある)
            バラード的な語りなのだが
            何せ、フランス語がわからない(涙)

            やっぱりリートってテキストが大事・・・

            後半はブラームスだが
            ブラームスなんだけど
            ともかく、すごく芸術的というか
            暗いというか
            陰鬱というか(歌詞の内容も)

            ボストリッジは時々、ピアノにすがりつくように
            気分でも悪いんですか
            大丈夫ですが
            ・・・次の瞬間に自殺しそうな雰囲気を纏って
            アナタの名前は太宰治ですか、とか言いそうになる。

            何故にまた、こんな暗い曲ばっかり・・・(絶句)

            で、時々、耐えかねたような絶叫が入るんだけど
            これがまた悲壮というか
            いや、フォルティッシモの高音の時
            声が被ってなかった箇所が2回ありましたよね?
            意図的なものかもしれないけれど、ちょっとギョッとした。

            ロマン派の美学なのかもしれないけれど
            ここまで、夢(もちろん愛は実現しない)とか、墓とか
            秋(こちらでは陰鬱な冬が来るというシンボル)
            恋人との別れとか
            悲しみに満ちて森を彷徨うとか

            ・・・う〜、暗いぞ、暗いぞ。
            ヨーロッパの秋にしては比較的気温が高くて
            まだ太陽が照っているから良いようなものの
            通常の季節なら、陰鬱な冬の始まりに
            こんな暗い曲を続けざまに歌われたら
            (しかも、ともかくこちらもドラマチック)
            観客全員を鬱病にしてやる、という
            そこはかとない悪意をアーティストが持っている、と言われても
            信じるかもしれない(極論)

            しかもボストリッジが、本当に辛そうに歌うのである。
            何か個人的に不幸な事でもありましたか?と
            本気で聞きたくなる雰囲気。

            ともかく声が美しいし
            ほんの時々、チャーミングに響く事もあるし
            ドイツ語のディクテーションも以前に比べたら格段に巧くなったが
            ブラームスの歌曲の、しかも音楽もテキストも陰鬱なものを
            ずらっと並べて、あそこまでドラマチックに歌われてしまうと
            あまりにドラマチック過ぎて、かえって単調に聴こえたりする。

            最後に取ってつけたように
            長調の Botschaft を歌われて
            しかもプログラムの右側にはアントワーヌ・ヴァトーの
            艶なる宴の絵が載っていても

            それまで太宰治だったので
            あんまり急激に気分は変えられません・・・

            コンツェルトハウスを私が限りなく愛すのは
            アンコール・サービスと言って
            携帯電話のメッセージにアンコール曲の情報が送られて来るから。

            アンコールは、コンサート本体の暗さから(多少は)抜けて
            フォーレは抑え気味の美しさを出してくれたし
            シューマンも、ドイツ・リートらしい節制が効いていて
            (そりゃ、あの曲で感情を爆発させたらヤバイだろう)
            でも、最後のベンジャミン・ブリテンがすごく良かった。
            やっぱりボストリッジって、ブリテンを歌わせると巧いわ。

            伴奏のピアニストはイタリアのイモラとトリノ
            その後はザルツブルクのモーツァルテウムで学んだ若い女性。
            譜面台の上には iPad があって
            どうやって譜めくりしているんだろう?(足かな?)

            非常に綺麗な音色を出す人だが
            割に強いタッチなので
            伴奏より、ソロ・ピアノ向けの人かなぁ、という印象。
            なんとなく歌手と溶け合っていない
            ピアノだけが浮くという感じを受けたところがあった。
            (まぁ、好みの問題ですが・・・)

            通向けのプログラムだったけれど
            ブラームスの歌曲に、こんな曲があったのか、と驚いたし
            ドビュッシーやラヴェル、フォーレもチャーミングだった。

            隣のホールのフローレスのペルー音楽も聴いてみたかったけれど
            (民族音楽学の教授がペルー出身なのである)
            残念ながら身体は1つしかないし
            でも、テノールの歌手のコンサートを
            同じ時間に2つのホールで開催するなんて・・・・と
            コンツェルトハウスがちょっと恨めしい私に
            どうぞ1クリックをお恵み下さい。


            素浄瑠璃 伊賀越道中双六 第八段「岡崎」

            0
              Weltmuseum 2018年10月4日 18時〜20時

              Die Macht der Stimme
              Ensemble „Koden-no-kai“ Europa-Tournee 2018

              素浄瑠璃 伊賀越道中双六(近松半二・近松加作)
              岡崎の段

              詁傳の会
               竹本千歳大夫
               竹本碩大夫
               五代豊澤富助
               野澤勝平

              翻訳・字幕・解説 Heinz-Dieter Reese

              いつもの私のナイト・ライフとは全く違うが
              浄瑠璃のヨーロッパ公演と聞いて
              しかも、仕事していたら18時開始の公演はとても時間的に無理だけど
              今週はまだ半分くらいの授業しか始まっていないので、時間はある!

              ウィーンの民族学博物館・・・とまだ日本語に訳しているようだが
              民族学博物館から、名称をワールド・ミュージアムに変更して
              新オープンしたのが1年半くらい前だったと思う。
              私も行った事がなかったので
              公演前に、ちょっと内部を見学してみたが

              ハプスブルク家って
              何でもコレクションする家系だったんだなぁ・・・(違!)

              ヨーロッパの王家はみんなそうだし
              人間、ちょっと経済的に上向けば
              コレクションに傾倒する、というのもわかるけれど

              この博物館行ったら
              世界旅行をしているような気になっちゃうじゃないの(笑)

              ハプスブルク家の王子さまたちや
              貴族や冒険家が持ち帰った世界各地の物品の展示が
              大規模でスゴイのだが

              それに加えて
              移住・移民のテーマが、かなり大きく扱われているのが面白い。
              ウィーンでは何語が話されているか、という統計や
              移民の2代目が、自分のアイデンティティについて話しているフィルムなど
              現代的なテーマに取り組んで行く意欲は高く評価したい(偉そう(笑))

              建物はホーフブルク宮殿の中なので
              ホールの吹き抜けもネオ・バロックで非常に美しく
              内部の展示は照明を落としてあって
              とてもとてもとても雰囲気があるし、見学者が少ない!(これ大事)

              しかも、この博物館のショップが
              大高級ショップで(!!!!)
              ロブマイヤーのグラスだの、ホルンの革製品とか
              超高級品をセンス良く置いているのだ。
              そうよ、観光客だって、結構裕福な人は多いんだから
              大量生産のキッチュなお土産品じゃなくて
              こういうオーストリア製品を置いておくって重要だわ。
              (人が少ないから出来る。多ければ万引きの被害が重大だろう)

              いや、博物館について書くのが目的ではなく
              浄瑠璃ですよ、浄瑠璃!!!

              大阪の市長云々の政策についてもプログラムに言及があったし
              日本大使のスピーチで
              浄瑠璃は見た事のない方も多いでしょう、という話もあったが

              実は日本でガイドとして仕事していた時には
              京都にドイツ人グループを連れていくたびに
              観光客向けの「日本芸能なんでもあり」幕内弁当方式の公演に行って
              八百屋お七か何かの(記憶にあまりない)浄瑠璃もあったので
              きちんと全公演観た事はなくても、10分くらいは観ている(自慢にならん)

              人形を使った浄瑠璃・・・と思って行ったら
              どうも様子が違う。
              プログラムを見たら、素浄瑠璃で
              語り手と三味線による人形なしのパーフォーマンス。

              あ・・・

              と一瞬思ったけれど
              上にしっかり日本語とドイツ語の字幕が出て
              字幕の横に、シーンに使われる人形の写真も出て来るし
              語り手さんの表情や声があまりにドラマチックで
              たぶん、人形だけ見ていたら知らなかった
              裏舞台の語り手さんと三味線の演劇的部分を
              じっくり見られるという意味では、実に面白かった。

              最初の解説で言われた通り
              (プログラムにもかなり詳しく書かれている)
              伊賀越道中双六は、歴史ものなので
              全部を上演すると8時間以上になるとの事。

              ワーグナーなんか完璧に超越してるな、日本の芸術は。

              歴史ものは、歌舞伎でもそうなのだが
              全体の筋とか、超複雑な人間関係がわからないと
              さっぱり理解できないので、私は苦手なのだが
              (人間関係、複雑でなくても私は苦手)

              ともかく、仇討ちの話である。
              8段目の岡崎は、政右衛門の子殺しの話でもある。
              ラブストーリーも入っている。

              筋書きとか、超面倒な人間関係とかは
              興味のある方はご自分でお調べ下さい(私は書けない、複雑すぎる)

              いやしかし、この語りの芸術ってスゴイ。
              老女から、女房から、武士から、陰謀する悪役まで
              一人の語り手が、すべて演じ分けて
              声の高さ、歌の抑揚
              セリフに籠められる感情などが
              すべて手に取るようにわかる上に
              効果音まで声でやってしまうという・・・

              これ、一人芝居の究極の形じゃないの。

              大阪市の補助金どうのこうのの問題もあるけれど
              クール・ジャパンとかいうキャンペーンは
              あれから、いったいどうなったんだ???

              こういうものを、もっと紹介しないといかんだろ、日本は!!!
              歌舞伎もステキだし
              能については、先学期に大学で(有難い事に)講座があったので
              かなり昔の DVD を見る機会もあって
              そこそこ文献も読んだけれど

              こういう素浄瑠璃で、人数は少なくても
              実にドラマチックな舞台で
              しかも、着ているものが裃だからね(カッコいいんですこれが)

              歌舞伎や能、浄瑠璃の海外公演は
              舞台(衣装等含む)だけで、とんでもない金額がかかるだろうが
              こういう4人くらいの舞台で
              しっかりと解説・字幕(もちろんドイツ語も)が付いて
              比較的小さな会場で、公演するのは良いアイデアではないだろうか。

              ただ、惜しむらくは、宣伝が足りない!!!!!

              私も本当に偶然に見つけた公演で
              普通に生活していたら、こんな公演があるなんて知らなかったわよ。
              大学にもお声がけ一つもなかったし。
              (日本学部にはあったのかしら?)

              まぁ、会場が小さいから、入場人数にも制限があるのだろうが
              もっとガンガン宣伝して、大きなホールで
              ・・・というには、予算が足りないのか、ちっ。
              (文化庁は関係している)

              この公演はケルンの日本文化研究所が中心となって
              今回は、チューリヒ、ウィーン、ベルリン、ケルン、バイロイトでの公演。

              博物館も面白かったし
              (機会を改めて、一度ガイディングに参加してみたい)
              人形なしの素浄瑠璃が、こんなに面白いものだという
              新しい発見もあって
              ちょっと嬉しい私に
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              この記事のカテゴリー、どうしたら良いのか
              散々迷った。
              「演劇」にするという手もあったけれど
              演劇と音楽の総合芸術だから・・・

              ラジオ・ブラス

              0
                ORF Radiokulturhaus Großer Sendesaal 2018年9月27日 19時30分〜21時30分

                Radiiobras
                トランペット Johann Plank, Christian Hollensteiner
                ホルン Peter Keserü
                トロンボーン Sascha Hois
                チューバ Rainer Huss

                Victor Ewald (1860-1935)
                Quintett in Des-Dur Op. 7

                Vivaldi/Bach
                Concerto (arr. David Baldwin (1984))

                Christer Danielsson (1942-1989)
                Konzertante Suite - für Tuba und vier Blechbläser

                Enrique Crespo (*1942)
                Suite Americana No. 1

                Charles Ives (1874-1954)
                Four Songs
                On the Counter
                The Side Show
                Slow March
                Tarrant Moss

                Allen Vizutti (*1952)
                Prelude and Presto (1989)

                ウィーン放送交響楽団の金管メンバーによる室内楽グループの
                ラジオ・ブラスのコンサート・シリーズ1回目。

                普段、室内楽とか行かないので、ワタクシ的には珍しいコンサートだが
                知り合いから声をかけられて
                たまたま1日だけ夜が空いていたのでチケット買って行ってみた。

                インターネットのチケット・セールが
                席を選べず、3列目とかになってしまって
                ええええええっ??? 金管楽器だけのコンサートで3列目?
                コンサート終わった後に難聴になるんじゃないか
                ・・・と、ちょっと恐れていたのだが

                これだけ全員が巧いと
                全然うるさくない!!!!

                金管だけの曲というのは近代以降しかない(筈な)ので
                曲のバリエーションに偏りがあるかと思っていたけれど
                ばっちりクラシックで、様々な音楽があって、面白い。

                最初の曲は、歴史的に
                ほとんど初めて、金管アンサンブル用に作曲された作品だそうだ。

                普段、金管楽器ってソロ部分以外は
                オーケストラに埋もれていて
                時々、ブッ・・・とか入るだけで意識に上らないんだけど
                (すみません、金管さま・・・)
                5人のアンサンブルだと
                各楽器のパートが美しく聴こえて来て面白い。

                2番目の曲、プログラムには
                バッハ・ヴィヴァルディ・・・って何なんだ?と思っていたら
                解説者曰く
                最初にヴィヴァルディが作曲し、バッハが別の楽器に編曲し
                その後、ボルドヴィンが金管用に編曲したという
                ヴィヴァルディの曲が、色々な編成で演奏される有名な曲。

                これがまぁ、名人技連発(笑)
                バロックなので、タカタカタカタカという細かい音型が続くんだけど
                友人の解説では、あれは全てタンギングで処理しているらしく
                金管だと、むちゃくちゃ難しいそうだ。
                (いや、そんな難しい曲、練習しなくても、と思うのは
                 シロウト感覚で
                 そういう、この楽器では困難です、というのをマスターするのが
                 名人には楽しいんだろうか?よくわからない)

                でも、バロック曲の金管バージョン、響きが面白い上に
                バロックらしい華やかさがある。
                そう言えば、ヘンデルも、水上の音楽とか
                金管を豪華に使用した派手な曲を作曲してたよね。

                ダニエルソンはスウェーデンの人で
                自身がトロンボーン奏者で、オーケストラで演奏していたとの事。
                で、このダニエルソンの作品、チューバの協奏曲っぽくて
                ええええ? あのジミーな楽器のチューバが大活躍。

                チューバって、あんなに美しい音が出るんですか?
                しかも、どこまで小回りが効くの?(プレイヤーが巧い)
                ドラマチックで盛り上がりたっぷりの
                まるで映画音楽のようなカッコよさ。
                チューバ、ステキ ♡ 惚れるわ、あれは(誰に?)

                幕間の後のクレスポの曲は
                題名の通り、ラグタイム、ボサノヴァ、ペルーのワルツ
                ズンバにメキシコの歌、という、ゴキゲンな曲。
                でも、ポピュラーのノリというよりは
                あくまでもクラシックの端正さがある。
                (だから、あんまり弾けない(笑)
                 ワタクシ的には弾けてもらっても(爆笑))

                チャールズ・アイヴスは
                もちろん、金管だけの曲は書いていないけれど
                数多く残っているリートから、金管に編曲。

                歌を金管?と思ったけれど
                これがまた、巧く編曲してあって
                しかもとことん丁寧に美しい音で演奏されると
                メロディックでロマンチック。

                金管アンサンブル用に作曲された
                華やかなプレリュードとプレストで終わってから
                アンコールには、トランペット・プレイヤーの息子さんが作曲したという
                ちょっとオーストリア民謡っぽいチャーミングな曲。

                オーケストラだけ聴いていると
                時々、ヒマそうに座っている(すみません)金管だけど
                トランペットとかホルンのソロはよくあるけれど
                トロンボーンの柔らかな音とか
                チューバの落ち着いた低音とか
                ちょっと驚くくらいキレイでびっくりしてしまった。

                地味な楽器とか思っていて、ごめんなさい(お辞儀)
                いや、今回は、特にトロンボーンとチューバに惚れたわ。

                メンバーは全員男性。
                金管プレイヤー、もちろん女性もいるけれど
                肺活量の問題なのか、あるいは楽器のイメージの問題なのか
                オーケストラを見ていても、金管は比較的男性が多いような気がする。

                その意味では、3列目で
                いつものウィーン放送交響楽団らしい、真っ黒な服を着て
                イケメン揃いが、嬉しそうに楽器を演奏しているのを見るのも
                意外に眼福で楽しかった。

                しかし金管プレイヤーって
                あんなに長く、ずっと演奏しているって、すごいな。
                だいたい、金管楽器が
                唇を震わせて演奏するなんて
                つい最近まで知らなかった私としては
                (だって音楽の勉強してないも〜ん、というより
                 学校でも教わらなかったような気がする・・・)
                プロってやっぱりスゴイ、と感心しきり。

                これからオーケストラの演奏を聴きに行く時も
                もう少し、チューバとトロンボーンに注目してみよう
                (ちょっとへんな方向に考えが・・・)
                と固く決心したものの
                私の行くほとんどのコンサートの超貧民席は
                舞台(=オーケストラ)が全く見えない席だった事に思い至って
                あはははは・・・(イケメンが見えない)と
                脱力している私に
                どうぞ1クリックをお恵み下さい。


                フローリアン・ベッシュ + マルコルム・マルティヌー

                0
                  Mozarteum Salzburg Grosser Saal 2018年8月20日
                  19時30分〜21時15分

                  バリトン Florian Boesch
                  ピアノ Malcolm Martineau

                  Franz Schubert (1797-1828)
                  Der Wanderer D 649 (1819)
                  Der Wanderer an den Mond D 870 (1826)
                  An den Mond D 259 (1815)

                  Gustav Mahler (1860-1911)
                  Lieder eines fahrenden Gesellen (1884/85)

                  Ernst Krenek (1900-1991)
                  Reisebuch aus den oesterreichischen Alpen
                  Liederzyklus op. 62 (1929)

                  今年のザルツブルク音楽祭のチケットは
                  クルレンツィスのベートーベン・チクルスも
                  ベルリン・フィルも、全部外れ。
                  もちろん、私のチケット予算の少なさが一番の原因ではあるが
                  フローリアン・ベッシュのリーダー・アーベントは
                  何とか予算内にて確保した。

                  モーツァルテウムの大ホールでのコンサートは初体験。
                  開演前にビュッフェでコーヒー飲んでいる時に
                  庭に出たら、あ〜、昔見た「魔笛小屋」があるわ。
                  仕事している時に、これ、色々とトラブったんだったっけ
                  ・・・と考えると、引退して良かった、とつくづく思ったりして(笑)

                  今回のテーマは見てお分かりの通り Heimat
                  ドイツ語のハイマートという言葉は
                  日本語に訳すとしたら「故郷」なんだけど
                  いわゆるロマン派詩人たちが多用していて
                  「ふるさと」よりも、もっと感情的な思い入れがある。

                  う〜ん、「ふるさと」ねぇ・・・
                  私の「ふるさと」=子供時代を過ごした場所と言うなら
                  敢えて言えば東京なのだろうが(何回か引っ越しはしている)
                  大都会東京では
                  ウサギも美味しくないし(すみませんオヤジギャグです)
                  小鮒も釣った事がないので、どうも「ふるさと」という感じがしない。
                  (それに、とうとう人生の半分以上をウィーンで過ごしている事になってしまったし)

                  まぁ、ワタクシ事はともかくとして
                  前半はシューベルトの「旅人」シリーズ的な3曲。
                  あの有名な旅人ではなく D649 はシュレーゲルの詩。

                  何とまぁ、繊細な表現。
                  次のザイドルの詩による D870 も
                  ゲーテの月に寄せる D259 も
                  無駄な力を一切省いて
                  徹底的に優しい表現を使っているのに
                  ヘンに甘くならず、禁欲的なまでにビーダーマイヤー的な内向性を出している。

                  ところが、次のグスタフ・マーラーのさすらう若人になったとたん
                  ベッシュは豹変した。
                  とことんドラマチック。
                  声量も極端なピアニッシモから
                  圧倒的なフォルティッシモまでのバリエーションを使い分け
                  ほとんど暴力的なまでの激しさを見せる。

                  最初の曲で
                  ああああ、この暴力男、振って他の男性と結婚したのは
                  きっと間違いじゃないわよ・・・とか思ってしまった程である。
                  心の中にナイフ持ってるというのも
                  本気でイライラしながら叫びまくっているので
                  あ、もちろん、音楽的表現というのは充分にわかってはいるけれど
                  さっきまでの、とことん優しいシューベルトとの対比があまりに凄い。

                  私の今回の目的は
                  後半のエルンスト・クルシェネクの「オーストリア・アルプスからの旅日記」である。
                  (クルシェネクは、本人もオーストリア人もクレネックと名前を呼んでいるが
                   日本のウィキだと、もともとチェコ語のエル・ハチェックがあるため
                   日本ではクルシェネクとかクジェーネックなどと読まれているらしい)

                  この曲、クルシェネクが自分でテキストを書き
                  シューベルト的な新ロマン派のトナール(一部例外あり)で作曲したもので
                  テキストの皮肉が、むちゃくちゃ効いていて
                  オーストリアあるあるの満載。

                  ハイマートという言葉より
                  ファーターラントという語を使っているのが
                  シューベルトのビーダーマイヤー時代から
                  第一次世界大戦後の、オーストリアのアイデンティティ・クライスを感じさせる。

                  1929年あたりは第一次世界大戦の敗戦後
                  ハプスブルクのドナウ帝国が崩壊して
                  各地の民族が独立して主権国家が成立し
                  ドイツはドイツでプロイセンが覇権を握ってしまって
                  突然、自分たちが世界の中心から、放り出されたような
                  アイデンティティの不安定感が強かったんだろうなぁ。

                  当時の交通機関(2曲目、これ、笑える)から
                  アルプスの修道院の偉そうな修道僧の話から
                  セラーでワイン飲みながら、人生の無意味と向かい合ったり
                  不安定な天気に一喜一憂したり(これも笑える)

                  好き、と言ったら誤解されそうなのだが
                  6曲目の山村の墓地という曲の
                  ゾッとするような死と貧困への目線には圧倒される。
                  8曲目のワインの歌はホイリゲで歌われるシュランメルを思い起こさせるし
                  10曲目の Auf und ab なんて
                  旅行を楽しむどころじゃなくて、あちこちでパンフレット搔き集め
                  写真撮りまくって絵葉書を書きまくって
                  まぁ、現在で言えば、スマホで写真やビデオを撮って
                  インスタに載せるのに夢中になって
                  本当に旅を楽しんでいるのかわからん、というのとよく似てる。

                  かと思えば政治的アピールもして
                  雷も落ちて、ホームシックにもかかり
                  最後19曲目で、故国=ファーターラントに戻っては来るのだが

                  クルシェネクのこの曲に背筋が凍るのは
                  その後、最後の20曲目。
                  アカペラで12音技法を使ったエピローグ。

                  フローリアン・ベッシュはこの曲を完璧にレパートリーにしているので
                  ドイツ語の発音のクリアさに加えて
                  表現の幅が中途半端でないこの20曲を
                  それぞれ見事に歌い上げる。

                  ピアノのマルティヌーの演奏も抜群に素晴らしい。
                  完璧だわ、もう、うっとりしてしまう・・・

                  オーストリアに暮らしていると
                  あるあるがクルシェネクの皮肉な目で余すところなく書かれている上
                  当時の政治・経済状況まで手に取るようにわかって
                  何ともやるせない思いに駆られるこのチクルス
                  私はとても好きだ。

                  この曲、ベッシュが録音しないかなぁ、と長く希望していたのだが
                  売店にあった!!!!!(狂喜)
                  ちなみに、アマゾン(ドイツ)では、ほとんど出て来ない。
                  ヘルマン・プライの録音がある筈なのだが
                  全集の中で3曲しか歌ってない。
                  (この曲は最初から最後まで聞いて、その良さがわかるのだ!(断言))

                  ベッシュの録音のCDがあったなんて(感涙)
                  イギリスの Hyperion から MP3 のダウンロードもある。→ ここ


                  今までツェドネックのテノール版しか持っていなかったので
                  これは嬉しい \(^o^)/

                  1泊だけだが、明日の仕事とコンビネーションも出来て
                  素晴らしい美声と表現力を楽しませてもらって
                  すごく幸せになっている私に
                  どうぞ1クリックをお恵み下さい。



                  イアン・ボストリッジ + ジュリアス・ドレイク

                  0
                    Musikverein Brahms Saal 2018年6月5日 19時30分〜21時30分

                    テノール Ian Bostridge
                    ピアノ Julius Drake

                    Hugo Wolf (1860-1903)

                    Lieder nach Gedichten von Heinrich Heine
                     Aus meinen großen Schmerzen
                     Spätherbstnebel
                     Du bist wie eine Blume
                     Mädchen mit dem roten Mündchen
                     Mein Liebchen, wir saßen beisammen
                     Wenn ich in deine Augen seh’
                     Mit schwarzen Segeln
                     Wie des Mondes Abbild zittert

                    Lieder nach Gedichten von Johann Wolfgang von Goethe
                     Frech und froh I
                     Frech und froh II
                     Der Rattenfänger
                     Gutmann und Gutweib
                     Ganymed
                     Grenzen der Menschheit

                    Lieder nach Gedichten von Eduard Mörike
                     Der Genesene an die Hoffnung
                     Der Knabe und das Immlein
                     Jägerlied
                     Der Tambour
                     Begegnung
                     Nimmersatte Liebe
                     Verborgenheit
                     Auf ein altes Bild
                     In der Frühe
                     Gebet
                     Peregrina I
                     Peregrina II
                     Der Feuerreiter
                     Abschied

                    同じ日の同じ時間に
                    コンツェルトハウスのモーツァルト・ホールでは
                    ミヒャエル・シャーデのコンサートがあるって
                    もう、ホントにウィーンに居ると
                    時々、身体が2つか3つ欲しい(涙)

                    歌手ってよく直前に体調不良とかでキャンセルになったりするし
                    (実際、本日、フローレスはオペラ座のリゴレット2公演をキャンセルした)
                    ともかくチケットだけは押さえて、と両方のチケットを持っていた。

                    直前までどうしようか迷いに迷った末に
                    大学の授業で同僚にシャーデのコンサートのチケットは押し付けて
                    私はイアン・ボストリッジ博士のコンサートに行く事に決定。

                    だってオール・フーゴ・ヴォルフのプログラムだもん。
                    ボストリッジはイギリス人だけど
                    昔からドイツ・リートをレパートリーにしていて
                    フーゴ・ヴォルフもよく歌っている。

                    ハイネの詩による歌曲集は私もよく知らない。
                    Du bist meine Blume とか、シューマンの曲もあるぞ(笑)
                    で、聴いてみると、フレーズのいくつかが
                    シューマンにそっくりで、あはは、パクリか
                    それとも、この歌詞にはその方法しかないのか・・・と考えてしまう。
                    (同じく Wenn ich in deine Augen seh’ も詩人の恋にある)

                    ゲーテの詩による歌曲集は知っている。
                    Frech und froh I と II をユーモアたっぷりに歌い上げる。

                    ボストリッジのドイツ語は
                    Oウムラウトにちょっと難があるけれど
                    しっかりした発音だし、多少の傷は全く気にならない。

                    と同時に、ボストリッジのハイテノールのこの美声といったら・・・
                    オペラではないから抑制の効いた声なのだが
                    伸びるところになると、溜息ものの美しさだし

                    ドイツ語の発音の一つ一つに徹底的に拘って
                    歌詞の内容に伴う発声の表現力が豊かで
                    優しい音色で歌われると背筋がゾクゾクする。

                    Der Rattenfänger は早口言葉が言えないと無理、という
                    テンポの速い曲で、内容もとんでもないのだが
                    ボストリッジは余裕綽々で、しかもドラマチックに語ってくれる。
                    Gutmann und Gutweib も語り口が巧い。

                    Ganymed は私も大好きな曲で
                    ヴォルフらしいエロスと、登っていく時の恍惚感を
                    あの美声で歌われるとメロメロ。

                    前半の最後は Grenzen der Menschheit
                    何故、こんな暗い曲で前半を終わらせたのかはわからないが
                    この曲、かなり低音があって
                    ボストリッジのハイテノールには向かないと思うのだが
                    じっくり丁寧に低音も歌わせて
                    暗い曲想のバリトンかバス向きの曲を見事に聴かせてくれる。

                    後半、メリケの歌曲集。
                    最初の何曲かは語り的な要素の強い軽いバラード。
                    Jägerlied ではドイツ語の単語の明るさにきちんと差をつけていて
                    いやもう、何て魅力的。

                    Der Tambour あたりで、ちょっと疲れが見え隠れ。
                    この曲もバラードで、メロディというよりは語りだから
                    ドイツ語が母語でない人には非常に難しい事を考えると
                    ちゃんと歌って(=語って)はいるのだけれど
                    ちょっと辛そうだなぁ。

                    Begegnung のドイツ語ディクションはむちゃくちゃ難しいのだが
                    ドイツ語のクリアな美しさというよりは
                    ダイナミックさと繊細さで聴かせてくれる。
                    Nimmersatte Liebe って、私が意味を誤解していなければ
                    ちょっとヤバイ内容ではあるんだけど
                    抑制が効いて、最後のサロモンのところを洒脱に提示する。
                    うううう、巧いなぁ・・・

                    続く4曲は静かな印象の曲で
                    しっとりと歌い上げてくれる(けど、4曲続くとちょっと平坦かも)
                    ペレグリーナも洒脱に歌い上げて

                    最後の Der Feuerreiter と Abschied へ。

                    え〜〜〜っと、何故、ボストリッジは
                    Der Feuerreiter をここに持って来たんだろう・・・
                    これ、メロディとかほとんどなくて
                    激しいドイツ語ディクションが必要な上
                    割に低めの音が多くて
                    ・・・博士の美声に全然合わない。

                    最後の Abschied は
                    大抵歌い終わったあたりで拍手のフライングがある曲だが
                    ピアニストが後奏のワルツの最初の音を早めに叩いて
                    実に巧いタイミングで拍手のフライングを阻止したのには驚いた。

                    この曲もディクションと表現力と
                    ついでに、この曲こそ、ほとんどメロディないんだけど
                    ボストリッジの表現力で見事に劇的なシーンを再現。

                    アンコールにいくつかの曲の
                    別作曲家バージョン(シューマン・バージョン)をサービス。

                    え〜っと・・・ボストリッジの美声だと
                    ヴォルフよりシューマンの方が映えますね(笑)

                    シャーデのコンサートと重なったのは残念たっだけれど
                    ボストリッジ博士の表現力の豊かさと
                    ハイテノールのチャーミングさに
                    うっとりしながら帰った私に
                    どうぞ1クリックをお恵み下さい。


                    アンサンブル・シュティムヴェルク

                    0
                      Campus Altes AKH Alte Kapelle 2018年5月11日 19時〜20時30分

                      Von der Tinte zum Ton, Renaissancemusik zum Klingen gebracht

                      Ensemble Stimmwerck
                      カウンターテノール Franz Vitzthum
                      テノール Gerhard Hölzle
                      テノール Klaus Wenk
                      バス Marcus Schmidl

                      Ludwig Senfl (1490?-1543?)

                      Nisi Dominus aedificaverit domum
                      2.p. Cum diderit dilectis suis somnum
                      ***
                      Nunc, Deus, ad requiem
                      Sum tuus in vita (i)
                      O bone Jesu !
                      2.p. Per me ivi in peccatum
                      ***
                      Nesciens Mater Virgo virum
                      Ave sanctissima Maria
                      2.p. Tu es singularis Virgo pura
                      3.p. Ora pro nobis Jesum
                      4.p. tuum dilectum Filium
                      Regina caeli, laeterare / Conscendit iubilans
                      2.p. Quia quem meruisti portare / Gloria, laus et honor
                      3.p. Resurexit sicut dixit / Grates nunc omnes reddamus
                      4.p. Ora pro nobis / Te ergo quaesumus
                      5.p. Alle-, Domine nate matris / Dies est laetitiae
                      ***
                      Egregie Dei martyr Sebastiane
                      ***
                      Christe, qui lux es et dies
                      Pange lingua (i)
                      Festum nunc celebre

                      ルードヴィヒ・ゼンフルを知っていますか?

                      と聞いたら
                      このブログの読者の中で手を挙げる人が何人か居そうだが

                      私は知りませんでした(恥)

                      驚くべき事にウィキペディアにも日本語の記述がある位なので
                      本当はすごく有名な人なのかもしれない。

                      皇帝マキシミリアン1世のお抱え音楽師だったし
                      若い頃はウィーン帝室礼拝堂の聖歌隊員(ウィーン少年合唱団だ!)だったし
                      イザークのコラリス・コンスタンティヌスの実用版をまとめ上げて
                      マキシミリアン1世の崩御後はカール5世にクビにされて
                      マルティン・ルターとも親交を持ち
                      ミュンヒェンの宮廷楽団員として、ミュンヒェンで生涯を終えた人。

                      で、何故に私がゼンフルのコンサートに行ったかと言うと
                      このコンサートを企画・主催した教授が
                      先学期の、論文の書き方セミナールの担当で
                      演習の問題例に、何回も何回もゼンフルが登場したから(爆笑)

                      教授としては、やっぱり自分の専門領域から
                      宿題や演習の例を出したいわけで
                      MGG (というスタンダードな百科事典がある)とかで
                      ゼンフルの項を読んでいたら、やっぱり曲を聴いてみたくなる。

                      ウィーンのプロジェクトで New Senfl Edition というのがあって
                      今回はその研究の成果から、ゼンフルの曲を
                      4声の男性アンサンブルで紹介。

                      ヨゼフ2世の建てた総合病院がキャンパスになっているウィーン大学の
                      古い教会の中で、説明を交えながら聴く事が出来た。
                      (教会そのものは建物の中で、祭壇が置いてある以外は
                       修築されてしまっているので
                       ただの普通のちょっと天井が高い部屋という感じである)

                      いや〜、本当にルネッサンスの音楽ですよ?!
                      15世紀から16世紀、日本だと室町時代から戦国時代
                      文化的には東山文化、足利将軍家。
                      ウィーンでは、ステファン寺院の南の塔は既に完成していたから
                      ゼンフルも、今、我々が見ている塔を見ていたのだろう。

                      ノテーションはもちろん現在と違うし
                      総譜じゃなくて、声部ごとの記載。

                      残っている資料をもとに
                      専門の学者たちが新しいエディションを発行。

                      ただ、ゼンフルの作品かどうかわからない作曲者不明のものもあるし
                      (これは様式その他の研究で、ゼンフルの作品と位置づけされた)
                      声部の一部が欠けてしまっている作品もある。

                      歌われた Egregie Dei martyr Sebastiane は、アルト譜が欠けているのを
                      2人の学者が、それぞれ違う再構築をして
                      アルトが違う2つのバージョンで聴かせてくれた。

                      アカペラだが
                      各声部がポリフォニーで
                      時々、カノンの形にもなっていて

                      トーンザッツの授業で習っている和声と対位法が
                      そこそこ見えてきて(たぶん私の妄想)面白い。

                      私だって、まだ楽理とかチンプンカンプンだし
                      パレオグラフィーは来学期に取るつもりで
                      今学期の演習には参加していないし
                      だから、もう、全然ワケわかんないけど

                      この4声の音楽
                      響くと、ものすごく空間が広がって
                      あ〜、なんか、すごく感激する。

                      歌われているラテン語も、さ〜っぱりわからないけれど(こらっ!)
                      今から400年以上前の時代
                      電気もない、マイクもない(ピアノもなかったよね、チェンバロだけで)
                      私には想像もつかないようなナイナイ時代で
                      こんなに豊かな和声を、教会や貴族は聴いていたのだ
                      ・・・と考えるだけで、かなり感激してしまう。

                      当時のカウンターテノールって
                      教会内で声の美しい男の子を・・・
                      (あ〜、以下省略。こういうのって、かなりおぞましい)
                      そういう俗な妄想は背筋が凍るので脇に押しやって
                      (いや、そう考えると日本のお稚児さんなんて、なんて無害な・・・)
                      和声の美しい響きを、とことん楽しませてもらった。

                      教会旋法なのでフリギア旋法とかもあったけれど
                      (教会旋法は理論としては楽理で習ったけれど
                       まだ判断ができる程、演習もしてないし、私、アホだし)
                      そんな理論はともかくとして
                      和声の響き、各声部の動きがチャーミングで
                      (宗教曲にそういう事を言ったら失礼なのかもしれないが)
                      自分で思っていたよりも感激してしまった f^_^;

                      もちろん、当時はまだ平均律の考え方もないし
                      実際、どう響いていたのかは謎のままなのだが
                      それでも、こうやって再構築されて
                      室町時代の音楽の、少なくとも片鱗を聴けるのは楽しい。

                      ゼンフルの楽譜のエディションを出しても
                      別に誰の役にも、何の役にも立たない(すみません!)とは思うのだが
                      でも、こういう事に情熱を持って立ち向かう学者たちの努力って
                      人間の好奇心に限界がない事を感じられて、ちょっと嬉しい。

                      音楽学という、ともかく役に立たないヘンな学問に
                      足を突っ込みだして数ヶ月。
                      トナリティがアポステリオリかアプリオリか、という
                      大昔に頭を捻った問題にも
                      ある程度の説明が出来るようになった。

                      何年か前のウィーン・モデルンで行われた
                      音楽と脳、という講義のシリーズも
                      今だったら、別の捉え方でアプローチできるんだろうなぁ。

                      あ〜、知識って、役に立つか立たないかはともかく
                      やっぱり大事だわ、と、つくづく思う私に
                      どうぞ1クリックをお恵み下さい。



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