フローリアン・ベッシュ+マルティヌー「冬の旅」

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    Wiener Konzerthaus Mozart Saal 2018年11月19日 19時30分〜21時30分

    バスバリトン Florian Boesch
    ピアノ Malcolm Martineau

    Franz Schubert (1797-1828)
    Winterreise. Liederzyklus nach Gedichten von Wilhelm Müller D 911 (1827)

    19時までの授業を早退して
    (先生からは了承済み)
    少し早めに出たのに
    地下鉄がなかなか来なくて
    最後は、泣きながらカールスプラッツからコンツェルトハウスまで走って
    何とかギリギリに駆けつけたコンサート。

    だいたい、超貧乏の私が、何故に50ユーロ近くの席を買ったんだか・・・
    いつも初日を選んで買っているので
    遅かったとは言わせないが、きっと、既に安いチケットは売り切れだったのだろう。

    いくら安くても、平土間の後ろの席には絶対に座りたくないし。
    (音響が悪いのだ。平土間後ろの上に被さる席は避けるべし)

    汗だくで席について
    フローリアン・ベッシュの「冬の旅」
    2010年2015年に続き、聴くのは3回目。

    昨日からウィーンは急に冬の様相を呈し
    初雪は降るわ、暗いし、道路は濡れてるし
    ロマンティックな「冬」の感じは一切なくて

    ああああ、とうとう、冬が来てしまった・・・

    秋とか冬とか言う季節は
    太陽は出て来ないし
    暗いし、ジメジメしていて
    もう、本当にどうしようもない季節なのだ(断言)。

    よく冬に来る観光客のグループにアテンドするガイドさんが
    時々、太陽が照る日に当たると
    「皆さま、今日は太陽が出てます!!!」と
    ものすご〜く嬉しそうに1人ではしゃいでいて
    グループの日本人の方々は
    何故にガイドさんがはしゃいでいるのか
    よくわからん、という状況に遭遇する事があると思うのだが

    冬が始まったら
    数週間、太陽なんていったいこの世にそんなもの、まだあったっけ?
    という、暗い暗い暗い季節が4月のイースターまで続く、という
    残酷なヨーロッパの状況をご存知ないのである。

    そんな冬の始まりの
    ジメジメして、太陽がなくて
    朝から夕方まで暗くて
    その後はもっと暗くて

    でも、先週からはウィーン市庁舎前の
    クリスマス・マーケットまで始まってしまった
    (すごい人混みだった)
    暗い季節だからこそ
    何か華やかな行事がなければ
    うつ病になるかも・・・という
    恐ろしい冬の始まり。

    そんな暗いシーズンにシューベルトの「冬の旅」(絶句)
    あの、恐ろしいまでに色彩のない
    白黒の世界の、鬱々とした「冬の旅」!!!(しつこい)

    シューベルトの歌曲は数が多いのだが
    まぁ、美しき水車小屋の娘は初々しくて好きだし
    白鳥の歌は死後にマーケティングの関係上
    まとめた歌曲集で、最後の鳩の郵便が好きなのだが
    この「冬の旅」だけは
    どうしてもどうしても好きになれず・・・

    ベッシュの歌声で聴いても
    暗い色調で、鬱々としていて
    この季節に聴いたら
    全員、コンサート・ホールを出て
    踏切に向かって集団自殺でもするんじゃないか、というチクルスなのだが
    ウィーン、ほとんど踏切ないし・・・いや、そういう事じゃなくて(汗)

    ただ、このチクルス
    ベッシュで3回目だけど
    最初の時は、本当にゾクゾクする程の恐ろしさを秘めて
    2回目は、ちょっと、その背後に、何となくの優しさが見えて

    今日のチクルスだけど
    時々、むちゃくちゃ優しくなる部分もあるけれど
    無情な人生への怒りが、時々、すごく暴力的に出て来る。

    やるせない怒りなのだが
    それが、諦観になっていない。
    くそ、諦めるものか、この人生の不幸に逆らってやる
    ・・・という気概のエネルギーみたいなものが
    ジンジンと伝わって来る。

    だから、今回は救いのない「冬の旅」になっていない。
    そうだ、人生、どこかで戦わねばならないのだ
    という悲愴な決心みたいなものが、根底にある。

    とは言え、それは私の主観的な受け取り方。

    この間のシューベルトの「美しき水車小屋の娘」と同じように
    コンサート後に、残る人は残って
    フローリアン・ベッシュが
    この冬の旅に、どうアプローチしたか、というお話の時間が設けられた。

    ベッシュ曰く
    「冬の旅」については、何も言えない・・・
    とか言いながら
    最初の「別離」についても

    ほら、ここ、君の夢を邪魔しないように、というところで
    普通だったら繰り返しで短調で行くところを
    シューベルトは長調で作曲したんですよ、ほら長調でしょ?!

    これは、ミュラーの詩が
    皮肉の入ったものではないか、という聴衆からの質問に答えたもので
    ミュラーが皮肉に満ちた詩を書いたとしても
    シューベルトの音楽が、その諧謔性を否定している、という話になった。

    ベッシュ曰く
    シューベルトがこの歌曲集を通じて音楽で表現したのは
    悲しい者に対しての、ものすごく暖かい視線ではないか、との事。

    最後のライアーマンにしても
    ベッシュに言わせると
    あれは、ich bin der Welt abhanden gekommen の世界で
    (註 もちろんマーラーである)
    ライアーマンは誰の役にも立たない楽器を演奏しているけれど
    彼の中で世界は完結している・・・のだそうだ。

    そうだよね、うん。
    だから、ベッシュの解釈ではライアーマンは救いようがない訳ではなく
    社会から孤立していても
    そこで生き抜いていくだけの逞しさがチラ見えする。

    ベッシュの解釈では
    この「冬の旅」の主人公は
    あっちで追い出され、こっちで拒否されても
    菩提樹が「ここで休みなさい」と言っても
    それを拒否し、休む事を知らずに
    ともかく、どこに行き着くかわからなくても
    歩いていく、という強い意志を持った人間なのだそうだ。

    あ〜、だからか。
    今回の「冬の旅」では
    もちろん曲の持っている暗さとか
    墨絵みたいな白黒の世界はあっても
    そこに「絶望」という文字はなく

    生きている詩人(主人公か)が
    思い通りにならない人生に怒りを覚えながらも
    まだまだ先に行くぞ、みたいな
    エネルギッシュな推進力のある「冬の旅」だった。

    歌手の解釈がどうだったか
    あるいは、歌手がテキストと音楽に何を見ているか
    聴いていても、ある程度はわかるんだけど
    (わからなかったら意味ないし)
    こうやって、言語的に背景の解釈的な事を聞くと
    疑問に思っていた事も、多少なりとも解決するので面白い。

    ベッシュの美しいドイツ語は
    あくまでもクリアで、詩の内容を一字一句とも疎かにしない。
    表現はあくまでもドラマチック。
    時々、抑制の効かないような感情的な爆発もある。

    ミュラーの詩そのものは
    シューベルトが作曲しなかったら
    文学史からは忘れられているであろう、とかよく言われるんだけど
    確かに中2病の真っ只中で
    後で読んだら、あまりに気恥ずかしくて死にたくなるような詩だけど
    当時のロマン派って
    みんな、そうだったので
    時代の背景を考えてみたら、詩としては良いんじゃないかと思う。
    (いやでも、確かに詩として読んだら
     あまりの恥ずかしさにちょっと逃げたくなるのは事実だが)

    でもシューベルトは
    人生振り返って、きゃ〜〜〜っ、青春の恥っ!!!と思うほど、生きなかった。
    31歳で没したのだから
    センチメンタル青年のままで良いのである。
    シューベルトが70歳まで生きていたとしたら
    たぶん、この数多くのリートは存在していなかったんじゃないだろうか。
    (その代わり、交響曲が20曲以上あったりして・・・(笑))

    すみません、次の日の夜に
    かなり酔っ払って急いで書いた記事なので
    めちゃくちゃですが
    書かないよりはマシか、とアップしてしまう
    厚かましい私に
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    イアン・ボストリッジ + サスキア・ジョルジーニ

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      Wiener Konzerthaus Mozart Saal 2018年10月16日 19時30分〜21時30分

      テノール Ian Bostridge
      ピアノ Saskia Giorgini

      Claude Debussy (1862-1918)
       En sourdine (Fêtes galantes, 1. Heft Nr. 1)(1891)
       Frantoches (Fêtes galantes, 1. Heft Nr. 2) (1891)
       Clair de lune (Fêtes galantes, 1. Heft Nr. 3) (1891)
       Les ingenus (Fêtes galantes, 2. Heft Nr. 1) (1904)
       Le faune (Fêtes galantes, 2. Heft Nr. 2) (1904)
       Colloque sentimental (Fêtes galantes, 2. Heft Nr. 3) (1904)

      Maurice Ravel (1875-1937)
       Shéhérazade (1903)
        Asie
        La Flûte enchantée
        L’Indifferént

      Johannes Brahms (1833-1897)
       Es träumte mir op. 57/3 (1871)
       Auf dem Kirchhofe op. 105/4 (1886)
       Herbstgefühl op. 48/7 (1867)
       Der Gang zum Liebchen op. 48/1 (1859)
       Geheimnis op. 71/3 (1877)
       Minnelied op. 71/5 (1877)
       Alte Liebe op. 72/1 (1876)
       Sommerfäden op. 72/2 (1876)
       O kühler Wald op. 72/3 (1877)
       Verzagen op. 72/4 (1877)
       Über die Heide hallet op. 86/4 (1877)
       Mein Herz ist schwer op. 94/3 (um 1884)
       Botschaft op. 47/1 (1868)

      Zugabe
      Gabriel Fauré : Clair de lune op. 46/2
      Robert Schumann : Mondnacht op. 39/5 (Liederkreis)
      Benjamin Britten : O Waly, Waly
      (Folk Song Arrangements Band 3, British Isles Nr. 5)

      コンツェルトハウスの大ホールでは
      かのテノール、ファン・ディエゴ・フローレスが
      ラテン音楽を歌いまくっているようだが

      私は大ホールではなく、隣のモーツァルト・ホールで
      イギリスのテノール、イアン・ボストリッジのリサイタル。

      コンツェルトハウスのリート・チクルスの一環なので
      ある程度の固定客は見込めるとしても
      かなり通向きのプログラム構成。

      前半はドビュッシーとラヴェルだが
      ドビュッシーがポール・ヴェルレーヌの詩を作曲した
      「艶なる宴」からの曲。

      ・・・知りません(汗)

      しかも歌詞がフランス語で
      ドイツ語の対訳はプログラムに記載されているけれど
      象徴的なテキストで(だいたい詩というワケのわからないモノは苦手)
      しかもテキスト見てると
      舞台で、ものすご〜〜〜く動くボストリッジ博士を見逃してしまう。

      そうなんです、ボストリッジ、めちゃくちゃ動くんです。
      いつもながら、どこからその声が出てるんですか?という痩身の
      背の高い身体が
      観客に向かって迫るかと思えば
      ピアノに向かって、ぐったりと身を預けて歌ったり
      マティアス・ゲルネが乗り移ったかと思った。

      ただ、ボストリッジの声は全方向性があって
      ゲルネのように、顔が向く方向にしか声が飛ばない、という事はない。

      で、何故かものすご〜〜〜くドラマチック。
      ソット・ヴォーチェからフォルティッシモまで
      自由自在に使い分けて歌うのだが
      同時に身体を動かし、時々は上を向いてため息をつき
      (違うのかもしれないが、そう見える)
      歌詞の意味は全然わからないけれど
      声の美しさとドラマツルギーで充分に聴かせてくれる。

      というよりプログラムのドイツ語訳に
      時々、ステファン・ゲオルゲの名前が出て来てビックリした。
      ヴェルレーヌの詩に Nachdichtung と書いてあったので
      真似したって事???(違うと思うけれど一応・・・)

      ラヴェルのシェエラザードって
      うわああ、こんな曲があったんだ、という程に
      マイナーな選曲(だと思う。でも私だけが知らなかったという可能性もある)
      バラード的な語りなのだが
      何せ、フランス語がわからない(涙)

      やっぱりリートってテキストが大事・・・

      後半はブラームスだが
      ブラームスなんだけど
      ともかく、すごく芸術的というか
      暗いというか
      陰鬱というか(歌詞の内容も)

      ボストリッジは時々、ピアノにすがりつくように
      気分でも悪いんですか
      大丈夫ですが
      ・・・次の瞬間に自殺しそうな雰囲気を纏って
      アナタの名前は太宰治ですか、とか言いそうになる。

      何故にまた、こんな暗い曲ばっかり・・・(絶句)

      で、時々、耐えかねたような絶叫が入るんだけど
      これがまた悲壮というか
      いや、フォルティッシモの高音の時
      声が被ってなかった箇所が2回ありましたよね?
      意図的なものかもしれないけれど、ちょっとギョッとした。

      ロマン派の美学なのかもしれないけれど
      ここまで、夢(もちろん愛は実現しない)とか、墓とか
      秋(こちらでは陰鬱な冬が来るというシンボル)
      恋人との別れとか
      悲しみに満ちて森を彷徨うとか

      ・・・う〜、暗いぞ、暗いぞ。
      ヨーロッパの秋にしては比較的気温が高くて
      まだ太陽が照っているから良いようなものの
      通常の季節なら、陰鬱な冬の始まりに
      こんな暗い曲を続けざまに歌われたら
      (しかも、ともかくこちらもドラマチック)
      観客全員を鬱病にしてやる、という
      そこはかとない悪意をアーティストが持っている、と言われても
      信じるかもしれない(極論)

      しかもボストリッジが、本当に辛そうに歌うのである。
      何か個人的に不幸な事でもありましたか?と
      本気で聞きたくなる雰囲気。

      ともかく声が美しいし
      ほんの時々、チャーミングに響く事もあるし
      ドイツ語のディクテーションも以前に比べたら格段に巧くなったが
      ブラームスの歌曲の、しかも音楽もテキストも陰鬱なものを
      ずらっと並べて、あそこまでドラマチックに歌われてしまうと
      あまりにドラマチック過ぎて、かえって単調に聴こえたりする。

      最後に取ってつけたように
      長調の Botschaft を歌われて
      しかもプログラムの右側にはアントワーヌ・ヴァトーの
      艶なる宴の絵が載っていても

      それまで太宰治だったので
      あんまり急激に気分は変えられません・・・

      コンツェルトハウスを私が限りなく愛すのは
      アンコール・サービスと言って
      携帯電話のメッセージにアンコール曲の情報が送られて来るから。

      アンコールは、コンサート本体の暗さから(多少は)抜けて
      フォーレは抑え気味の美しさを出してくれたし
      シューマンも、ドイツ・リートらしい節制が効いていて
      (そりゃ、あの曲で感情を爆発させたらヤバイだろう)
      でも、最後のベンジャミン・ブリテンがすごく良かった。
      やっぱりボストリッジって、ブリテンを歌わせると巧いわ。

      伴奏のピアニストはイタリアのイモラとトリノ
      その後はザルツブルクのモーツァルテウムで学んだ若い女性。
      譜面台の上には iPad があって
      どうやって譜めくりしているんだろう?(足かな?)

      非常に綺麗な音色を出す人だが
      割に強いタッチなので
      伴奏より、ソロ・ピアノ向けの人かなぁ、という印象。
      なんとなく歌手と溶け合っていない
      ピアノだけが浮くという感じを受けたところがあった。
      (まぁ、好みの問題ですが・・・)

      通向けのプログラムだったけれど
      ブラームスの歌曲に、こんな曲があったのか、と驚いたし
      ドビュッシーやラヴェル、フォーレもチャーミングだった。

      隣のホールのフローレスのペルー音楽も聴いてみたかったけれど
      (民族音楽学の教授がペルー出身なのである)
      残念ながら身体は1つしかないし
      でも、テノールの歌手のコンサートを
      同じ時間に2つのホールで開催するなんて・・・・と
      コンツェルトハウスがちょっと恨めしい私に
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      素浄瑠璃 伊賀越道中双六 第八段「岡崎」

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        Weltmuseum 2018年10月4日 18時〜20時

        Die Macht der Stimme
        Ensemble „Koden-no-kai“ Europa-Tournee 2018

        素浄瑠璃 伊賀越道中双六(近松半二・近松加作)
        岡崎の段

        詁傳の会
         竹本千歳大夫
         竹本碩大夫
         五代豊澤富助
         野澤勝平

        翻訳・字幕・解説 Heinz-Dieter Reese

        いつもの私のナイト・ライフとは全く違うが
        浄瑠璃のヨーロッパ公演と聞いて
        しかも、仕事していたら18時開始の公演はとても時間的に無理だけど
        今週はまだ半分くらいの授業しか始まっていないので、時間はある!

        ウィーンの民族学博物館・・・とまだ日本語に訳しているようだが
        民族学博物館から、名称をワールド・ミュージアムに変更して
        新オープンしたのが1年半くらい前だったと思う。
        私も行った事がなかったので
        公演前に、ちょっと内部を見学してみたが

        ハプスブルク家って
        何でもコレクションする家系だったんだなぁ・・・(違!)

        ヨーロッパの王家はみんなそうだし
        人間、ちょっと経済的に上向けば
        コレクションに傾倒する、というのもわかるけれど

        この博物館行ったら
        世界旅行をしているような気になっちゃうじゃないの(笑)

        ハプスブルク家の王子さまたちや
        貴族や冒険家が持ち帰った世界各地の物品の展示が
        大規模でスゴイのだが

        それに加えて
        移住・移民のテーマが、かなり大きく扱われているのが面白い。
        ウィーンでは何語が話されているか、という統計や
        移民の2代目が、自分のアイデンティティについて話しているフィルムなど
        現代的なテーマに取り組んで行く意欲は高く評価したい(偉そう(笑))

        建物はホーフブルク宮殿の中なので
        ホールの吹き抜けもネオ・バロックで非常に美しく
        内部の展示は照明を落としてあって
        とてもとてもとても雰囲気があるし、見学者が少ない!(これ大事)

        しかも、この博物館のショップが
        大高級ショップで(!!!!)
        ロブマイヤーのグラスだの、ホルンの革製品とか
        超高級品をセンス良く置いているのだ。
        そうよ、観光客だって、結構裕福な人は多いんだから
        大量生産のキッチュなお土産品じゃなくて
        こういうオーストリア製品を置いておくって重要だわ。
        (人が少ないから出来る。多ければ万引きの被害が重大だろう)

        いや、博物館について書くのが目的ではなく
        浄瑠璃ですよ、浄瑠璃!!!

        大阪の市長云々の政策についてもプログラムに言及があったし
        日本大使のスピーチで
        浄瑠璃は見た事のない方も多いでしょう、という話もあったが

        実は日本でガイドとして仕事していた時には
        京都にドイツ人グループを連れていくたびに
        観光客向けの「日本芸能なんでもあり」幕内弁当方式の公演に行って
        八百屋お七か何かの(記憶にあまりない)浄瑠璃もあったので
        きちんと全公演観た事はなくても、10分くらいは観ている(自慢にならん)

        人形を使った浄瑠璃・・・と思って行ったら
        どうも様子が違う。
        プログラムを見たら、素浄瑠璃で
        語り手と三味線による人形なしのパーフォーマンス。

        あ・・・

        と一瞬思ったけれど
        上にしっかり日本語とドイツ語の字幕が出て
        字幕の横に、シーンに使われる人形の写真も出て来るし
        語り手さんの表情や声があまりにドラマチックで
        たぶん、人形だけ見ていたら知らなかった
        裏舞台の語り手さんと三味線の演劇的部分を
        じっくり見られるという意味では、実に面白かった。

        最初の解説で言われた通り
        (プログラムにもかなり詳しく書かれている)
        伊賀越道中双六は、歴史ものなので
        全部を上演すると8時間以上になるとの事。

        ワーグナーなんか完璧に超越してるな、日本の芸術は。

        歴史ものは、歌舞伎でもそうなのだが
        全体の筋とか、超複雑な人間関係がわからないと
        さっぱり理解できないので、私は苦手なのだが
        (人間関係、複雑でなくても私は苦手)

        ともかく、仇討ちの話である。
        8段目の岡崎は、政右衛門の子殺しの話でもある。
        ラブストーリーも入っている。

        筋書きとか、超面倒な人間関係とかは
        興味のある方はご自分でお調べ下さい(私は書けない、複雑すぎる)

        いやしかし、この語りの芸術ってスゴイ。
        老女から、女房から、武士から、陰謀する悪役まで
        一人の語り手が、すべて演じ分けて
        声の高さ、歌の抑揚
        セリフに籠められる感情などが
        すべて手に取るようにわかる上に
        効果音まで声でやってしまうという・・・

        これ、一人芝居の究極の形じゃないの。

        大阪市の補助金どうのこうのの問題もあるけれど
        クール・ジャパンとかいうキャンペーンは
        あれから、いったいどうなったんだ???

        こういうものを、もっと紹介しないといかんだろ、日本は!!!
        歌舞伎もステキだし
        能については、先学期に大学で(有難い事に)講座があったので
        かなり昔の DVD を見る機会もあって
        そこそこ文献も読んだけれど

        こういう素浄瑠璃で、人数は少なくても
        実にドラマチックな舞台で
        しかも、着ているものが裃だからね(カッコいいんですこれが)

        歌舞伎や能、浄瑠璃の海外公演は
        舞台(衣装等含む)だけで、とんでもない金額がかかるだろうが
        こういう4人くらいの舞台で
        しっかりと解説・字幕(もちろんドイツ語も)が付いて
        比較的小さな会場で、公演するのは良いアイデアではないだろうか。

        ただ、惜しむらくは、宣伝が足りない!!!!!

        私も本当に偶然に見つけた公演で
        普通に生活していたら、こんな公演があるなんて知らなかったわよ。
        大学にもお声がけ一つもなかったし。
        (日本学部にはあったのかしら?)

        まぁ、会場が小さいから、入場人数にも制限があるのだろうが
        もっとガンガン宣伝して、大きなホールで
        ・・・というには、予算が足りないのか、ちっ。
        (文化庁は関係している)

        この公演はケルンの日本文化研究所が中心となって
        今回は、チューリヒ、ウィーン、ベルリン、ケルン、バイロイトでの公演。

        博物館も面白かったし
        (機会を改めて、一度ガイディングに参加してみたい)
        人形なしの素浄瑠璃が、こんなに面白いものだという
        新しい発見もあって
        ちょっと嬉しい私に
        どうぞ1クリックをお恵み下さい。



        この記事のカテゴリー、どうしたら良いのか
        散々迷った。
        「演劇」にするという手もあったけれど
        演劇と音楽の総合芸術だから・・・

        ラジオ・ブラス

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          ORF Radiokulturhaus Großer Sendesaal 2018年9月27日 19時30分〜21時30分

          Radiiobras
          トランペット Johann Plank, Christian Hollensteiner
          ホルン Peter Keserü
          トロンボーン Sascha Hois
          チューバ Rainer Huss

          Victor Ewald (1860-1935)
          Quintett in Des-Dur Op. 7

          Vivaldi/Bach
          Concerto (arr. David Baldwin (1984))

          Christer Danielsson (1942-1989)
          Konzertante Suite - für Tuba und vier Blechbläser

          Enrique Crespo (*1942)
          Suite Americana No. 1

          Charles Ives (1874-1954)
          Four Songs
          On the Counter
          The Side Show
          Slow March
          Tarrant Moss

          Allen Vizutti (*1952)
          Prelude and Presto (1989)

          ウィーン放送交響楽団の金管メンバーによる室内楽グループの
          ラジオ・ブラスのコンサート・シリーズ1回目。

          普段、室内楽とか行かないので、ワタクシ的には珍しいコンサートだが
          知り合いから声をかけられて
          たまたま1日だけ夜が空いていたのでチケット買って行ってみた。

          インターネットのチケット・セールが
          席を選べず、3列目とかになってしまって
          ええええええっ??? 金管楽器だけのコンサートで3列目?
          コンサート終わった後に難聴になるんじゃないか
          ・・・と、ちょっと恐れていたのだが

          これだけ全員が巧いと
          全然うるさくない!!!!

          金管だけの曲というのは近代以降しかない(筈な)ので
          曲のバリエーションに偏りがあるかと思っていたけれど
          ばっちりクラシックで、様々な音楽があって、面白い。

          最初の曲は、歴史的に
          ほとんど初めて、金管アンサンブル用に作曲された作品だそうだ。

          普段、金管楽器ってソロ部分以外は
          オーケストラに埋もれていて
          時々、ブッ・・・とか入るだけで意識に上らないんだけど
          (すみません、金管さま・・・)
          5人のアンサンブルだと
          各楽器のパートが美しく聴こえて来て面白い。

          2番目の曲、プログラムには
          バッハ・ヴィヴァルディ・・・って何なんだ?と思っていたら
          解説者曰く
          最初にヴィヴァルディが作曲し、バッハが別の楽器に編曲し
          その後、ボルドヴィンが金管用に編曲したという
          ヴィヴァルディの曲が、色々な編成で演奏される有名な曲。

          これがまぁ、名人技連発(笑)
          バロックなので、タカタカタカタカという細かい音型が続くんだけど
          友人の解説では、あれは全てタンギングで処理しているらしく
          金管だと、むちゃくちゃ難しいそうだ。
          (いや、そんな難しい曲、練習しなくても、と思うのは
           シロウト感覚で
           そういう、この楽器では困難です、というのをマスターするのが
           名人には楽しいんだろうか?よくわからない)

          でも、バロック曲の金管バージョン、響きが面白い上に
          バロックらしい華やかさがある。
          そう言えば、ヘンデルも、水上の音楽とか
          金管を豪華に使用した派手な曲を作曲してたよね。

          ダニエルソンはスウェーデンの人で
          自身がトロンボーン奏者で、オーケストラで演奏していたとの事。
          で、このダニエルソンの作品、チューバの協奏曲っぽくて
          ええええ? あのジミーな楽器のチューバが大活躍。

          チューバって、あんなに美しい音が出るんですか?
          しかも、どこまで小回りが効くの?(プレイヤーが巧い)
          ドラマチックで盛り上がりたっぷりの
          まるで映画音楽のようなカッコよさ。
          チューバ、ステキ ♡ 惚れるわ、あれは(誰に?)

          幕間の後のクレスポの曲は
          題名の通り、ラグタイム、ボサノヴァ、ペルーのワルツ
          ズンバにメキシコの歌、という、ゴキゲンな曲。
          でも、ポピュラーのノリというよりは
          あくまでもクラシックの端正さがある。
          (だから、あんまり弾けない(笑)
           ワタクシ的には弾けてもらっても(爆笑))

          チャールズ・アイヴスは
          もちろん、金管だけの曲は書いていないけれど
          数多く残っているリートから、金管に編曲。

          歌を金管?と思ったけれど
          これがまた、巧く編曲してあって
          しかもとことん丁寧に美しい音で演奏されると
          メロディックでロマンチック。

          金管アンサンブル用に作曲された
          華やかなプレリュードとプレストで終わってから
          アンコールには、トランペット・プレイヤーの息子さんが作曲したという
          ちょっとオーストリア民謡っぽいチャーミングな曲。

          オーケストラだけ聴いていると
          時々、ヒマそうに座っている(すみません)金管だけど
          トランペットとかホルンのソロはよくあるけれど
          トロンボーンの柔らかな音とか
          チューバの落ち着いた低音とか
          ちょっと驚くくらいキレイでびっくりしてしまった。

          地味な楽器とか思っていて、ごめんなさい(お辞儀)
          いや、今回は、特にトロンボーンとチューバに惚れたわ。

          メンバーは全員男性。
          金管プレイヤー、もちろん女性もいるけれど
          肺活量の問題なのか、あるいは楽器のイメージの問題なのか
          オーケストラを見ていても、金管は比較的男性が多いような気がする。

          その意味では、3列目で
          いつものウィーン放送交響楽団らしい、真っ黒な服を着て
          イケメン揃いが、嬉しそうに楽器を演奏しているのを見るのも
          意外に眼福で楽しかった。

          しかし金管プレイヤーって
          あんなに長く、ずっと演奏しているって、すごいな。
          だいたい、金管楽器が
          唇を震わせて演奏するなんて
          つい最近まで知らなかった私としては
          (だって音楽の勉強してないも〜ん、というより
           学校でも教わらなかったような気がする・・・)
          プロってやっぱりスゴイ、と感心しきり。

          これからオーケストラの演奏を聴きに行く時も
          もう少し、チューバとトロンボーンに注目してみよう
          (ちょっとへんな方向に考えが・・・)
          と固く決心したものの
          私の行くほとんどのコンサートの超貧民席は
          舞台(=オーケストラ)が全く見えない席だった事に思い至って
          あはははは・・・(イケメンが見えない)と
          脱力している私に
          どうぞ1クリックをお恵み下さい。


          フローリアン・ベッシュ + マルコルム・マルティヌー

          0
            Mozarteum Salzburg Grosser Saal 2018年8月20日
            19時30分〜21時15分

            バリトン Florian Boesch
            ピアノ Malcolm Martineau

            Franz Schubert (1797-1828)
            Der Wanderer D 649 (1819)
            Der Wanderer an den Mond D 870 (1826)
            An den Mond D 259 (1815)

            Gustav Mahler (1860-1911)
            Lieder eines fahrenden Gesellen (1884/85)

            Ernst Krenek (1900-1991)
            Reisebuch aus den oesterreichischen Alpen
            Liederzyklus op. 62 (1929)

            今年のザルツブルク音楽祭のチケットは
            クルレンツィスのベートーベン・チクルスも
            ベルリン・フィルも、全部外れ。
            もちろん、私のチケット予算の少なさが一番の原因ではあるが
            フローリアン・ベッシュのリーダー・アーベントは
            何とか予算内にて確保した。

            モーツァルテウムの大ホールでのコンサートは初体験。
            開演前にビュッフェでコーヒー飲んでいる時に
            庭に出たら、あ〜、昔見た「魔笛小屋」があるわ。
            仕事している時に、これ、色々とトラブったんだったっけ
            ・・・と考えると、引退して良かった、とつくづく思ったりして(笑)

            今回のテーマは見てお分かりの通り Heimat
            ドイツ語のハイマートという言葉は
            日本語に訳すとしたら「故郷」なんだけど
            いわゆるロマン派詩人たちが多用していて
            「ふるさと」よりも、もっと感情的な思い入れがある。

            う〜ん、「ふるさと」ねぇ・・・
            私の「ふるさと」=子供時代を過ごした場所と言うなら
            敢えて言えば東京なのだろうが(何回か引っ越しはしている)
            大都会東京では
            ウサギも美味しくないし(すみませんオヤジギャグです)
            小鮒も釣った事がないので、どうも「ふるさと」という感じがしない。
            (それに、とうとう人生の半分以上をウィーンで過ごしている事になってしまったし)

            まぁ、ワタクシ事はともかくとして
            前半はシューベルトの「旅人」シリーズ的な3曲。
            あの有名な旅人ではなく D649 はシュレーゲルの詩。

            何とまぁ、繊細な表現。
            次のザイドルの詩による D870 も
            ゲーテの月に寄せる D259 も
            無駄な力を一切省いて
            徹底的に優しい表現を使っているのに
            ヘンに甘くならず、禁欲的なまでにビーダーマイヤー的な内向性を出している。

            ところが、次のグスタフ・マーラーのさすらう若人になったとたん
            ベッシュは豹変した。
            とことんドラマチック。
            声量も極端なピアニッシモから
            圧倒的なフォルティッシモまでのバリエーションを使い分け
            ほとんど暴力的なまでの激しさを見せる。

            最初の曲で
            ああああ、この暴力男、振って他の男性と結婚したのは
            きっと間違いじゃないわよ・・・とか思ってしまった程である。
            心の中にナイフ持ってるというのも
            本気でイライラしながら叫びまくっているので
            あ、もちろん、音楽的表現というのは充分にわかってはいるけれど
            さっきまでの、とことん優しいシューベルトとの対比があまりに凄い。

            私の今回の目的は
            後半のエルンスト・クルシェネクの「オーストリア・アルプスからの旅日記」である。
            (クルシェネクは、本人もオーストリア人もクレネックと名前を呼んでいるが
             日本のウィキだと、もともとチェコ語のエル・ハチェックがあるため
             日本ではクルシェネクとかクジェーネックなどと読まれているらしい)

            この曲、クルシェネクが自分でテキストを書き
            シューベルト的な新ロマン派のトナール(一部例外あり)で作曲したもので
            テキストの皮肉が、むちゃくちゃ効いていて
            オーストリアあるあるの満載。

            ハイマートという言葉より
            ファーターラントという語を使っているのが
            シューベルトのビーダーマイヤー時代から
            第一次世界大戦後の、オーストリアのアイデンティティ・クライスを感じさせる。

            1929年あたりは第一次世界大戦の敗戦後
            ハプスブルクのドナウ帝国が崩壊して
            各地の民族が独立して主権国家が成立し
            ドイツはドイツでプロイセンが覇権を握ってしまって
            突然、自分たちが世界の中心から、放り出されたような
            アイデンティティの不安定感が強かったんだろうなぁ。

            当時の交通機関(2曲目、これ、笑える)から
            アルプスの修道院の偉そうな修道僧の話から
            セラーでワイン飲みながら、人生の無意味と向かい合ったり
            不安定な天気に一喜一憂したり(これも笑える)

            好き、と言ったら誤解されそうなのだが
            6曲目の山村の墓地という曲の
            ゾッとするような死と貧困への目線には圧倒される。
            8曲目のワインの歌はホイリゲで歌われるシュランメルを思い起こさせるし
            10曲目の Auf und ab なんて
            旅行を楽しむどころじゃなくて、あちこちでパンフレット搔き集め
            写真撮りまくって絵葉書を書きまくって
            まぁ、現在で言えば、スマホで写真やビデオを撮って
            インスタに載せるのに夢中になって
            本当に旅を楽しんでいるのかわからん、というのとよく似てる。

            かと思えば政治的アピールもして
            雷も落ちて、ホームシックにもかかり
            最後19曲目で、故国=ファーターラントに戻っては来るのだが

            クルシェネクのこの曲に背筋が凍るのは
            その後、最後の20曲目。
            アカペラで12音技法を使ったエピローグ。

            フローリアン・ベッシュはこの曲を完璧にレパートリーにしているので
            ドイツ語の発音のクリアさに加えて
            表現の幅が中途半端でないこの20曲を
            それぞれ見事に歌い上げる。

            ピアノのマルティヌーの演奏も抜群に素晴らしい。
            完璧だわ、もう、うっとりしてしまう・・・

            オーストリアに暮らしていると
            あるあるがクルシェネクの皮肉な目で余すところなく書かれている上
            当時の政治・経済状況まで手に取るようにわかって
            何ともやるせない思いに駆られるこのチクルス
            私はとても好きだ。

            この曲、ベッシュが録音しないかなぁ、と長く希望していたのだが
            売店にあった!!!!!(狂喜)
            ちなみに、アマゾン(ドイツ)では、ほとんど出て来ない。
            ヘルマン・プライの録音がある筈なのだが
            全集の中で3曲しか歌ってない。
            (この曲は最初から最後まで聞いて、その良さがわかるのだ!(断言))

            ベッシュの録音のCDがあったなんて(感涙)
            イギリスの Hyperion から MP3 のダウンロードもある。→ ここ


            今までツェドネックのテノール版しか持っていなかったので
            これは嬉しい \(^o^)/

            1泊だけだが、明日の仕事とコンビネーションも出来て
            素晴らしい美声と表現力を楽しませてもらって
            すごく幸せになっている私に
            どうぞ1クリックをお恵み下さい。



            イアン・ボストリッジ + ジュリアス・ドレイク

            0
              Musikverein Brahms Saal 2018年6月5日 19時30分〜21時30分

              テノール Ian Bostridge
              ピアノ Julius Drake

              Hugo Wolf (1860-1903)

              Lieder nach Gedichten von Heinrich Heine
               Aus meinen großen Schmerzen
               Spätherbstnebel
               Du bist wie eine Blume
               Mädchen mit dem roten Mündchen
               Mein Liebchen, wir saßen beisammen
               Wenn ich in deine Augen seh’
               Mit schwarzen Segeln
               Wie des Mondes Abbild zittert

              Lieder nach Gedichten von Johann Wolfgang von Goethe
               Frech und froh I
               Frech und froh II
               Der Rattenfänger
               Gutmann und Gutweib
               Ganymed
               Grenzen der Menschheit

              Lieder nach Gedichten von Eduard Mörike
               Der Genesene an die Hoffnung
               Der Knabe und das Immlein
               Jägerlied
               Der Tambour
               Begegnung
               Nimmersatte Liebe
               Verborgenheit
               Auf ein altes Bild
               In der Frühe
               Gebet
               Peregrina I
               Peregrina II
               Der Feuerreiter
               Abschied

              同じ日の同じ時間に
              コンツェルトハウスのモーツァルト・ホールでは
              ミヒャエル・シャーデのコンサートがあるって
              もう、ホントにウィーンに居ると
              時々、身体が2つか3つ欲しい(涙)

              歌手ってよく直前に体調不良とかでキャンセルになったりするし
              (実際、本日、フローレスはオペラ座のリゴレット2公演をキャンセルした)
              ともかくチケットだけは押さえて、と両方のチケットを持っていた。

              直前までどうしようか迷いに迷った末に
              大学の授業で同僚にシャーデのコンサートのチケットは押し付けて
              私はイアン・ボストリッジ博士のコンサートに行く事に決定。

              だってオール・フーゴ・ヴォルフのプログラムだもん。
              ボストリッジはイギリス人だけど
              昔からドイツ・リートをレパートリーにしていて
              フーゴ・ヴォルフもよく歌っている。

              ハイネの詩による歌曲集は私もよく知らない。
              Du bist meine Blume とか、シューマンの曲もあるぞ(笑)
              で、聴いてみると、フレーズのいくつかが
              シューマンにそっくりで、あはは、パクリか
              それとも、この歌詞にはその方法しかないのか・・・と考えてしまう。
              (同じく Wenn ich in deine Augen seh’ も詩人の恋にある)

              ゲーテの詩による歌曲集は知っている。
              Frech und froh I と II をユーモアたっぷりに歌い上げる。

              ボストリッジのドイツ語は
              Oウムラウトにちょっと難があるけれど
              しっかりした発音だし、多少の傷は全く気にならない。

              と同時に、ボストリッジのハイテノールのこの美声といったら・・・
              オペラではないから抑制の効いた声なのだが
              伸びるところになると、溜息ものの美しさだし

              ドイツ語の発音の一つ一つに徹底的に拘って
              歌詞の内容に伴う発声の表現力が豊かで
              優しい音色で歌われると背筋がゾクゾクする。

              Der Rattenfänger は早口言葉が言えないと無理、という
              テンポの速い曲で、内容もとんでもないのだが
              ボストリッジは余裕綽々で、しかもドラマチックに語ってくれる。
              Gutmann und Gutweib も語り口が巧い。

              Ganymed は私も大好きな曲で
              ヴォルフらしいエロスと、登っていく時の恍惚感を
              あの美声で歌われるとメロメロ。

              前半の最後は Grenzen der Menschheit
              何故、こんな暗い曲で前半を終わらせたのかはわからないが
              この曲、かなり低音があって
              ボストリッジのハイテノールには向かないと思うのだが
              じっくり丁寧に低音も歌わせて
              暗い曲想のバリトンかバス向きの曲を見事に聴かせてくれる。

              後半、メリケの歌曲集。
              最初の何曲かは語り的な要素の強い軽いバラード。
              Jägerlied ではドイツ語の単語の明るさにきちんと差をつけていて
              いやもう、何て魅力的。

              Der Tambour あたりで、ちょっと疲れが見え隠れ。
              この曲もバラードで、メロディというよりは語りだから
              ドイツ語が母語でない人には非常に難しい事を考えると
              ちゃんと歌って(=語って)はいるのだけれど
              ちょっと辛そうだなぁ。

              Begegnung のドイツ語ディクションはむちゃくちゃ難しいのだが
              ドイツ語のクリアな美しさというよりは
              ダイナミックさと繊細さで聴かせてくれる。
              Nimmersatte Liebe って、私が意味を誤解していなければ
              ちょっとヤバイ内容ではあるんだけど
              抑制が効いて、最後のサロモンのところを洒脱に提示する。
              うううう、巧いなぁ・・・

              続く4曲は静かな印象の曲で
              しっとりと歌い上げてくれる(けど、4曲続くとちょっと平坦かも)
              ペレグリーナも洒脱に歌い上げて

              最後の Der Feuerreiter と Abschied へ。

              え〜〜〜っと、何故、ボストリッジは
              Der Feuerreiter をここに持って来たんだろう・・・
              これ、メロディとかほとんどなくて
              激しいドイツ語ディクションが必要な上
              割に低めの音が多くて
              ・・・博士の美声に全然合わない。

              最後の Abschied は
              大抵歌い終わったあたりで拍手のフライングがある曲だが
              ピアニストが後奏のワルツの最初の音を早めに叩いて
              実に巧いタイミングで拍手のフライングを阻止したのには驚いた。

              この曲もディクションと表現力と
              ついでに、この曲こそ、ほとんどメロディないんだけど
              ボストリッジの表現力で見事に劇的なシーンを再現。

              アンコールにいくつかの曲の
              別作曲家バージョン(シューマン・バージョン)をサービス。

              え〜っと・・・ボストリッジの美声だと
              ヴォルフよりシューマンの方が映えますね(笑)

              シャーデのコンサートと重なったのは残念たっだけれど
              ボストリッジ博士の表現力の豊かさと
              ハイテノールのチャーミングさに
              うっとりしながら帰った私に
              どうぞ1クリックをお恵み下さい。


              アンサンブル・シュティムヴェルク

              0
                Campus Altes AKH Alte Kapelle 2018年5月11日 19時〜20時30分

                Von der Tinte zum Ton, Renaissancemusik zum Klingen gebracht

                Ensemble Stimmwerck
                カウンターテノール Franz Vitzthum
                テノール Gerhard Hölzle
                テノール Klaus Wenk
                バス Marcus Schmidl

                Ludwig Senfl (1490?-1543?)

                Nisi Dominus aedificaverit domum
                2.p. Cum diderit dilectis suis somnum
                ***
                Nunc, Deus, ad requiem
                Sum tuus in vita (i)
                O bone Jesu !
                2.p. Per me ivi in peccatum
                ***
                Nesciens Mater Virgo virum
                Ave sanctissima Maria
                2.p. Tu es singularis Virgo pura
                3.p. Ora pro nobis Jesum
                4.p. tuum dilectum Filium
                Regina caeli, laeterare / Conscendit iubilans
                2.p. Quia quem meruisti portare / Gloria, laus et honor
                3.p. Resurexit sicut dixit / Grates nunc omnes reddamus
                4.p. Ora pro nobis / Te ergo quaesumus
                5.p. Alle-, Domine nate matris / Dies est laetitiae
                ***
                Egregie Dei martyr Sebastiane
                ***
                Christe, qui lux es et dies
                Pange lingua (i)
                Festum nunc celebre

                ルードヴィヒ・ゼンフルを知っていますか?

                と聞いたら
                このブログの読者の中で手を挙げる人が何人か居そうだが

                私は知りませんでした(恥)

                驚くべき事にウィキペディアにも日本語の記述がある位なので
                本当はすごく有名な人なのかもしれない。

                皇帝マキシミリアン1世のお抱え音楽師だったし
                若い頃はウィーン帝室礼拝堂の聖歌隊員(ウィーン少年合唱団だ!)だったし
                イザークのコラリス・コンスタンティヌスの実用版をまとめ上げて
                マキシミリアン1世の崩御後はカール5世にクビにされて
                マルティン・ルターとも親交を持ち
                ミュンヒェンの宮廷楽団員として、ミュンヒェンで生涯を終えた人。

                で、何故に私がゼンフルのコンサートに行ったかと言うと
                このコンサートを企画・主催した教授が
                先学期の、論文の書き方セミナールの担当で
                演習の問題例に、何回も何回もゼンフルが登場したから(爆笑)

                教授としては、やっぱり自分の専門領域から
                宿題や演習の例を出したいわけで
                MGG (というスタンダードな百科事典がある)とかで
                ゼンフルの項を読んでいたら、やっぱり曲を聴いてみたくなる。

                ウィーンのプロジェクトで New Senfl Edition というのがあって
                今回はその研究の成果から、ゼンフルの曲を
                4声の男性アンサンブルで紹介。

                ヨゼフ2世の建てた総合病院がキャンパスになっているウィーン大学の
                古い教会の中で、説明を交えながら聴く事が出来た。
                (教会そのものは建物の中で、祭壇が置いてある以外は
                 修築されてしまっているので
                 ただの普通のちょっと天井が高い部屋という感じである)

                いや〜、本当にルネッサンスの音楽ですよ?!
                15世紀から16世紀、日本だと室町時代から戦国時代
                文化的には東山文化、足利将軍家。
                ウィーンでは、ステファン寺院の南の塔は既に完成していたから
                ゼンフルも、今、我々が見ている塔を見ていたのだろう。

                ノテーションはもちろん現在と違うし
                総譜じゃなくて、声部ごとの記載。

                残っている資料をもとに
                専門の学者たちが新しいエディションを発行。

                ただ、ゼンフルの作品かどうかわからない作曲者不明のものもあるし
                (これは様式その他の研究で、ゼンフルの作品と位置づけされた)
                声部の一部が欠けてしまっている作品もある。

                歌われた Egregie Dei martyr Sebastiane は、アルト譜が欠けているのを
                2人の学者が、それぞれ違う再構築をして
                アルトが違う2つのバージョンで聴かせてくれた。

                アカペラだが
                各声部がポリフォニーで
                時々、カノンの形にもなっていて

                トーンザッツの授業で習っている和声と対位法が
                そこそこ見えてきて(たぶん私の妄想)面白い。

                私だって、まだ楽理とかチンプンカンプンだし
                パレオグラフィーは来学期に取るつもりで
                今学期の演習には参加していないし
                だから、もう、全然ワケわかんないけど

                この4声の音楽
                響くと、ものすごく空間が広がって
                あ〜、なんか、すごく感激する。

                歌われているラテン語も、さ〜っぱりわからないけれど(こらっ!)
                今から400年以上前の時代
                電気もない、マイクもない(ピアノもなかったよね、チェンバロだけで)
                私には想像もつかないようなナイナイ時代で
                こんなに豊かな和声を、教会や貴族は聴いていたのだ
                ・・・と考えるだけで、かなり感激してしまう。

                当時のカウンターテノールって
                教会内で声の美しい男の子を・・・
                (あ〜、以下省略。こういうのって、かなりおぞましい)
                そういう俗な妄想は背筋が凍るので脇に押しやって
                (いや、そう考えると日本のお稚児さんなんて、なんて無害な・・・)
                和声の美しい響きを、とことん楽しませてもらった。

                教会旋法なのでフリギア旋法とかもあったけれど
                (教会旋法は理論としては楽理で習ったけれど
                 まだ判断ができる程、演習もしてないし、私、アホだし)
                そんな理論はともかくとして
                和声の響き、各声部の動きがチャーミングで
                (宗教曲にそういう事を言ったら失礼なのかもしれないが)
                自分で思っていたよりも感激してしまった f^_^;

                もちろん、当時はまだ平均律の考え方もないし
                実際、どう響いていたのかは謎のままなのだが
                それでも、こうやって再構築されて
                室町時代の音楽の、少なくとも片鱗を聴けるのは楽しい。

                ゼンフルの楽譜のエディションを出しても
                別に誰の役にも、何の役にも立たない(すみません!)とは思うのだが
                でも、こういう事に情熱を持って立ち向かう学者たちの努力って
                人間の好奇心に限界がない事を感じられて、ちょっと嬉しい。

                音楽学という、ともかく役に立たないヘンな学問に
                足を突っ込みだして数ヶ月。
                トナリティがアポステリオリかアプリオリか、という
                大昔に頭を捻った問題にも
                ある程度の説明が出来るようになった。

                何年か前のウィーン・モデルンで行われた
                音楽と脳、という講義のシリーズも
                今だったら、別の捉え方でアプローチできるんだろうなぁ。

                あ〜、知識って、役に立つか立たないかはともかく
                やっぱり大事だわ、と、つくづく思う私に
                どうぞ1クリックをお恵み下さい。



                ゲルハーヘル + フーバー「美しきマゲローネ」

                0
                  Wiener Konzerthaus Mozart Saal 2018年4月15日 19時30分〜21時

                  バリトン Christian Gerhaher
                  ピアノ Gerold Huber
                  語り手 Ulrich Tukur

                  Johannes Brahms (1833-1897)
                  Die schöne Magelone
                  15 Romanzen aus Ludwig Tiecks Erzählung op. 33
                  (Textbearbeitung : Martin Walser) (1861-69)

                  ドイツ・リートを歌える現代の歌手のうち
                  トップの1人だと思うクリスティアン・ゲルハーヘルが
                  ブラームスの「美しきマゲローネ」を
                  コンツェルトハウスのモーツァルト・ホールで歌ってくれるなんて

                  こんな贅沢な時間がどこにある?!!!!

                  プログラムを見つけた時から
                  一般発売開始の日をカレンダーに書き込んで
                  貧民席ながらもバルコンの正面(ワタシにとっては高い)席をゲット。

                  だって、マゲローネですよ!!!
                  シューベルトの三大リート・チクルスとか
                  シューマンの詩人の恋は、なんだかんだと取り上げられるけれど
                  ブラームスの美しきマゲローネって
                  私の記憶にある限り
                  10年以上前にトーマス・クヴァストホフが
                  楽友協会のブラームス・ホールで
                  ディートリッヒ・フィッシャー=ディースカウと
                  寸分違わぬ歌い方で
                  私は客席でひっくり返って驚いたのが
                  唯一のコンサートだったと思う。

                  美しきマゲローネ、むちゃくちゃ好きです ♡
                  誤解を招きそうだが、もちろん、その音楽が好きなんです。

                  ストーリーは実にアホらしいのだが
                  最初の曲が、もう、ものすごく好き。
                  だって、最初の曲って
                  若い頃のアホっぽい冒険は後悔する事は何もなく
                  数十年も経ってから、父親が息子に語る
                  ・・・みたいな
                  え〜い、日本語にすると(翻訳の才能がない)全然カッコよくないが
                  実にしみじみした名曲なのだ。

                  私は家族を持つ事を拒否して来ただけに
                  青春時代に差し掛かった息子と
                  居間の暖炉の前で飲み交わしながら
                  お父さんが、自分の若い頃の冒険談を語るって
                  なんか、すご〜く良いなぁ、と思ってしまう。

                  現代だったら息子からウザいと言われて終わりだろうが(笑)
                  19世紀の息子たちは、もう少しヒマと寛容さがあったのかも・・・

                  この歌曲集、確かにリートだけ聴いたら
                  どういう冒険だか、さ〜っぱりわからない。
                  (私は知ってますよ?15歳くらいの頃からレコード(!)聴きまくっていたので)

                  今回はドイツ人の俳優ウルリッヒ・トゥクルが朗読。
                  バリバリのドイツ人=高地ドイツ語なんだけど
                  原稿はあるものの、ほとんど目線は原稿に向けず
                  観客に語りかけるように、実に自然に
                  しかもドイツ語に表情があって
                  本人も座っているのに、表情や仕草で演技して

                  更に、誰が書いたんですか?このテキスト?と言う位
                  内容がむちゃ面白い(皮肉もある)

                  さすがに語りはマイクを使っているので
                  導入部の語りの後の1曲目は
                  ちょっと違和感あったが(話し声と歌声の差異が)
                  それも慣れてしまえば、バランスとして悪くないので自然に聴ける。

                  ゲルハーヘルのバリトンは、いつもながらの美声だが
                  同時に、ドイツ語の単語の一つ一つをきっちりと捉えて
                  音楽とのコンビネーションが完璧に考えられている。

                  朗々と歌い上げる部分と
                  セリフで語るように歌われる部分のバランスの良さ。
                  マッチョな男性的要素を出してくる事もあれば
                  一転して、不安や女性的な感情を歌に乗せてくる。

                  この歌曲集の歌って
                  ただのシュトローフェン・リートかと思っていると
                  途中から、とんでもない移調をしたり
                  リズムもメロディも突然変わって、実にドラマチックな構成なのだ。

                  語りのテキストのユーモアもあって
                  いや〜、むちゃくちゃ楽しいわ。

                  実は3曲目の途中で
                  客席で事故があって
                  (ギャラリーの老婦人が脳溢血を起こした模様、すごいイビキが・・・)
                  周囲の人たちが、医者はどこ?と、歌を中断。
                  (その判断は正しい)

                  ご存知の通り、こちらの法律では
                  コンサートには必ず医者と警察が待機しているので
                  歌は中断してもらって
                  係の人が入って来て連れ出して行った。

                  ・・・で、普通、その後、続ける時には
                  歌っていた歌の最初から歌うかと思ったら
                  ちょうど中断したところから歌い出したのにはひっくり返った。
                  あんな事、出来るんですね?
                  舞台上のアーティストには思わぬ突発事項だったとは思うんだけど
                  人命第一ですから。

                  でも、この事故によって
                  集中力が途切れる事はなく
                  まるで何もなかったかのように
                  最後まで緊張感を持って歌われたのには脱帽。

                  ティークの詩のうち、2つだけブラームスは作曲していないが
                  それは、ゲルハーヘルが朗読した。
                  (朗読のドイツ語もため息が出るほどに美しい・・・)

                  いやしかし、この主人公のペーターって
                  マゲローネと駆け落ちしたは良いが
                  マゲローネの寝姿にムラムラして(脳内妄想)
                  脱がせたら、胸のアクセサリーをカラスが持っていったので
                  カラスを追いかけて、マゲローネを1人にしたまま
                  カラスの方向に走って船に乗って
                  サラセン人に捕まってスルタンのところに連れて行かれてって

                  ホントのアホだね、こいつは。
                  (それが父親になって、そういう話を息子にするのか?
                   それもちょっと問題かもしれない・・・)

                  マゲローネも、帰って来ないペーターを
                  村の庶民のところで暮らしながら2年待っていて
                  ペーターが戻って来たら、すぐにペーターだとわかったのに
                  ペーターはマゲローネの事が分からず・・・って
                  このペーターって、あまりにアホすぎる!!!(唖然)

                  まぁ、おとぎ話だから、怒っても仕方ないんだけど
                  古今東西のおとぎ話って
                  いつまでも愛をなくさず1人の男性を待っている女性と
                  (もちろん、それは世の男性の叶わない妄想です)
                  あまりにアホすぎて、世の女性が呆れ返る男性が
                  ワケのわからんラブストーリー(男性脳内妄想優性)を繰り広げる
                  というのが多いなぁ。

                  楽しい朗読(美しいドイツ語!)と
                  ゲルハーヘルさまの、この上ない美声で
                  表情豊かにドラマチックに語られるストーリーで
                  悶えっぱなしの2時間。

                  この曲、語りも含めてソニーから CD になっていて
                  (このサイトで、ゲルハーヘルの美声が一部聴けます)
                  しっかり購入して、後からサインしてもらった (^^)v
                  (私がサイン会に行くのは非常に珍しい(笑))


                  (クリックで大きくなります)

                  CD の録音で聴くと
                  声の質の関係か、録音技師の関係か
                  ディートリッヒ・フィッシャー=ディースカウに
                  非常に似て聴こえて来るのだが
                  実際にナマで聴くと、全く違って
                  ゲルハーヘルならではの解釈が、あちこちに聴こえてくる。

                  悶絶の2時間を徹底的に楽しんでしまって
                  大学の宿題(義務ではない)をやっていなくて
                  真夜中に焦っている私に
                  どうぞ1クリックをお恵み下さい。



                  実は今日は午前中11時からのコンツェルトハウスの
                  ウィーン・フィル+サカリ・オラモのコンサートにも行ったのだが
                  ほとんど最初から最後まで寝ていたので、記録が書けない(汗)

                  フローリアン・ベッシュ + マルコルム・マルティヌー

                  0
                    Musikverein Brahmssaal 2018年3月7日 19時30分〜21時05分

                    バリトン Florian Boesch
                    ピアノ Malcolm Martineau

                    Franz Schubert (1797-1828)

                    Aus „Schwanengesang“, D 957
                     Liebesbotschaft
                     Frühlingssehnsucht
                     Ständchen
                     Abschied
                     In der Ferne
                     Aufenthalt
                     Kriegers Ahnung

                    Drei Lieder nach Texten von Johann Wolfgang von Goethe
                     Grenzen der Menschheit, D 716
                     Meeres Stille, D 216
                     Der Fischer, D 225

                    Aus „Schwanengesang“, D 957
                     Das Fischersmädchen
                     Am Meer
                     Ihr Bild
                     Die Stadt
                     Der Doppelgänger
                     Der Atlas

                    アンコール
                     Die Taubenpost

                    ドイツ・リートというのは
                    テキストと音楽の一体化と語り口と
                    ドイツ語のディクションの美しさに
                    如何に音楽性を乗せるか、という
                    非常に難しい分野だと思う。
                    (他の分野、オペラやマドリガルなどが簡単とは言ってません、念の為)

                    よって、どんな美声の持ち主でも
                    別にこの人でドイツ・リート聴かなくても良いわ、というケースもある。
                    (具体的に何人もの歌手が思い浮かぶのだが
                     名前を書くのは止めておく ^^;)

                    つい数年前まで
                    ディートリッヒ・フィッシャー=ディースカウという
                    とんでもない巨匠がいて
                    この人が居たからこそ、この芸術ジャンルが生き延びたと思うのだが

                    ただ、あまりにこの歌手が偉大すぎて
                    その後、フィッシャー=ディースカウにそっくりの歌手が続出。

                    ああ、もう、ディースカウの遺産から離れられないのか・・・
                    と思っていたら

                    ここ数年、ディースカウのアプローチと
                    全く違うドイツ・リートを聴かせてくれる歌手が出て来るようになった。

                    聴き手としての自分自身も
                    ディースカウの呪縛から
                    やっと、逃れる事が出来てきたような気がする。

                    ディースカウを継ぐ素晴らしいリート歌手も居るけれど
                    フローリアン・ベッシュというバリトンは
                    ディースカウとは全く違った局面から
                    シューベルトのリートにアプローチしていて

                    「冬の旅」や
                    この間の非常に奇妙な「美しき水車小屋の娘」に続き
                    今回は「白鳥の歌」を中心にプログラムを組んだ。

                    地下鉄が遅れて
                    ギリギリの時間にホールに入ったら
                    係員が「プログラム売り切れ」・・・・・って
                    ええええええっ、ドイツ・リートをテキストなしに聴くのっ!?
                    (テキスト見るという前提なので
                     舞台は全く見えない貧民席を確保している)

                    その時はプログラム内容までチェックしていなかった。
                    (シューベルトの歌曲という事はわかっていたが
                     シューベルトのドイツ・リートって576曲ある・・・)

                    手元のスマホで楽友協会のサイトに入って曲目だけ見たら
                    前半は白鳥の歌からの歌曲だったので
                    曲そのものを知っていたから良いんだけど。

                    し・か・し!!!
                    ベッシュはタダモノではないので、すごい曲の順番になってる。

                    長調の「愛の使い」から「春の憧れ」
                    短調の「セレナーデ」を挟んで、長調ながら悲しさの混じった「別れ」
                    その後に「遠国にて」「住処」第1部の最後は「兵士の予感」と
                    ど〜んどん暗くなって行く。

                    最初の「愛の使い」でひっくり返りそうになったのだが
                    極論っぽく言えば、この人、歌ってない。
                    あくまでもテキストのドイツ語を
                    音楽という第二義的補助を使って「語って」いる。

                    続く「春の憧れ」も、徹底的にドイツ語の語りにしているので
                    音楽的にものすごく不思議な部分が噴出する。

                    驚くようなところでタメるとか、ほんの少しのテンポのズレとか
                    更には音程の外れまで散見(散聴?)されて
                    ものすごく奇妙なシューベルト。

                    シューベルティアーデのイメージのような
                    家庭的な温かさというのものが、すっぽり抜けて

                    テキストを強調する歌い方だが
                    激情に流されず
                    ものすごく客観的に、ある意味、冷たい突き放しがあり
                    ちょっとゾッとするような感じで鳥肌が立つ。

                    テンポの遅い「遠国にて」「住処」「兵士の予感」では
                    その美声もたっぷり聴かせてくれたけれど
                    ベッシュの暗めの低音で、こういう歌を聴くと
                    シューベルト歌曲の持っている鬱な部分が強調されて
                    ああああああ、暗い、暗い、暗いわ。

                    幕間にやっとプログラムを入手。
                    後半の最初の「人間の限界」って・・・
                    このテキスト、良く知ってる。

                    反射的にフーゴー・ヴォルフの音楽が頭の中に浮かんだのだが
                    へええええ、シューベルトも作曲してたのか。

                    聴いてみると
                    テキストによるものなのだろうが
                    メロディの扱い方がヴォルフにすごく似ている。
                    (というより、ヴォルフが後だから反対か(苦笑))
                    音そのものの動きが少なくて
                    あくまでもテキスト重視の曲になっていて
                    音楽的には・・・まぁ、あまり面白くはない(こらこらこら)

                    「海の静寂」「漁師」と続けて
                    その後は、また「白鳥の歌」に戻る。

                    で、またこの組み方が
                    「漁師の娘」「海辺にて」「彼女の肖像」「街」「ドッペルゲンガー」「アトラス」
                    と、どんどん重くなり暗くなる編成。

                    前半と同様に
                    場合によっては音楽を多少なりとも無視しても
                    テキストが前に出て来て
                    明るい曲でも、ゾッとするような背景が見える。

                    ドッペルゲンガーなんて・・・
                    あああああ、あの表現をどう言語で表現すべきか。
                    ともかくゾッとする。コワイ。
                    存在感そのものを問うような恐ろしさがある。

                    しかも最後がアトラスとはね。
                    すごい声量の美声で
                    どっしりした重さで
                    全世界の苦しみを
                    しかもオペラ的感情の噴出ではなく
                    抑えて抑えて抑えたところで出してくるので
                    ほとんど絶望感しか見えてこない。

                    うううう、これでコンサートを終わりにするなんて・・・
                    鳥肌立ちっぱなしだし
                    精神的にむちゃ落ち込むし
                    暗いし絶望するし、そりゃないだろ。

                    でも、もちろん(!)リートのリサイタルだから
                    アンコール曲がある訳で

                    そうです、アンコールと言ったら、もうコレしかない、という選択で
                    「鳩の便り」

                    これ、シューベルトの最後の作品と言われていると思うのだが
                    普通は聴いて、ちょっとホッコリする曲。

                    でもベッシュが歌うと
                    ホッコリというよりは、やっぱり奇妙なのだ。

                    最後の
                    Sie heißt - die Sehnsucht ! Kennt ihr sie ?
                    それを「憧れ」と言う。君たち知ってるかい?(意訳)
                    の部分の Sehensucht (憧れ)を
                    極端な小声で、まるで囁くように歌われて
                    「そんなモノ、実はないんだよ」と
                    耳元でそっと言われている気分(妄想爆発中)

                    この歌手の歌うシューベルトは
                    ともかく奇妙で
                    伝統的解釈の音楽的シューベルトが好きな人には
                    かなり違和感があるだろう。

                    自分自身も、ベッシュのシューベルトを欠かさず聴いて来て
                    果たしてこれが自分の好きなアプローチか、と問えば
                    自信を持って、大好き、とは言えないのだが

                    じゃぁ、伝統無視の奇妙なだけのシューベルトか、と言われると
                    ちゃんとドイツ・リートとしての
                    端正な節度を持っているので
                    奇妙とは言っても、不思議に人を離さない魅力があるのだ。

                    ともあれ
                    こういうアプローチが出来る歌手が居るというのは
                    大事な事だし
                    ドイツ・リートのファンとしても嬉しい、と
                    これだけは確信持って言っちゃう私に
                    どうぞ1クリックをお恵み下さい。



                    気温はプラスまで上がったし
                    多少なりとも太陽も出るようになったし
                    でもベッシュのシューベルトを聴くと
                    まだ冬の真っ只中のような気分になる。
                    ・・・でも、実はそれも悪くないと思う今日この頃。

                    サイモン・キーンリサイド + マルコルム・マルティヌー

                    0
                      Musikverein Brahms Saal 2018年2月21日 19時30分〜21時30分

                      バリトン Simon Keenlyside
                      ピアノ Malcolm Martineau

                      Hugo Wolf (1860-1903)
                       Harfenspieler I
                       Genialisch treiben
                       Prometheus
                       Lied vom Winde
                       Fußreise
                       Denk’es, o Seele
                       Blumengruß
                       Der Knabe und das Immlein
                       Wien sollt’ ich heiter bleiben
                       Erschaffen und Beleben

                      Maurice Ravel (1875-1937)
                       Histoires naturelles
                        Le paon
                        Le grillon
                        Le cygne
                        Le martin-pêcheur
                        La pintade

                      Francis Poulenc (1899-1963)
                       Pavane für Klavier Solo aus der „Suite française d’après Claude Gervaise“
                       Mazurka
                       Paganini
                       L’anquille
                       Carte postale
                       Avant le Cinéma
                       1904

                      Claude Debussy (1862-1918)
                       Voici que le printemps

                      Gabriel Fauré (1845-1924)
                       Le secret
                       En sourdine
                       Le papillon et la fleur

                      アンコールにシューベルトを数曲。
                      後で楽友協会のサイトに発表されると思う。
                      (後記 Im Abendrot, D799 : Der Gondelfahrer, D809 :
                      An den Mond in einer Herbstnacht, D614)

                      いや〜、悶絶した。

                      もともとこの日は先行発売のオペラ座のバレエ・チケットを持っていたのだが
                      バレエのチケットはキープしながら
                      サイモン・キーンリサイドのチケットの
                      一番安い席(舞台全く見えず、ただし正面で音は良い)を購入。

                      だって歌手って直前キャンセルというケースが多いじゃないですか。
                      特にここ数日、ウィーンは雪が降って
                      気温も最高でプラス2度になるかどうか、という毎日。

                      ギリギリ引っ張ったけれど
                      プログラムの多少の変更はあったけれど
                      歌ってくれました、キーンリサイド!!!!! \(^o^)/

                      キーンリサイドのリサイタルへ行く、と話したら
                      あ〜、キーンリサイドってイイ男だわね、と言われたけれど
                      舞台見えないので、どうかはわかりません。
                      (いや、何回もリサイタルは言っているので
                       どういう「姿」の人かは知ってますが(笑))

                      前半がフーゴ・ヴォルフ。
                      ゲーテの詩によるものを中心にメリケの詩を数曲。

                      ううううう、美声だ、美声!!!
                      倍音たっぷりの深い男性バリトンだが
                      美声に溺れる事なく
                      ものすごく美しいドイツ語のディクション。

                      ヴォルフのゲーテの歌曲集なんて
                      メロディがあって無きが如く
                      ドイツ語での語りを、徹底的に細密に聴かせないと
                      とてもじゃないけど、聴いていられる曲じゃないし。

                      暗い色調の曲が多い選択だけど
                      クリアでこの上なく美しいドイツ語のディクションが
                      深いバリトンに映えて、ああああ、悶絶・・・

                      美しい・・・ (。-_-。)

                      さて後半はフランス歌曲。
                      歌詞は手元のプログラムにドイツ語訳が載っている。
                      これを見ているので、舞台見えなくても別に構わないのだ。

                      ラヴェルの博物誌。
                      うわあああ、モーリス・ラヴェルってこういう曲も書いていたのか。
                      どこかで聴いた事があるような気もするが
                      これ、むちゃ面白い。

                      くじゃく、こおろぎ、白鳥、かわせみ、ほろほろ鳥
                      それぞれのストーリーが、それぞれの音楽で語られる。

                      キーンリサイドのフランス語、ものすごくチャーミング ♡
                      フランス語の良し悪しなんてわからないけれど(無教養)
                      でも発音の美しさと、それが音楽に寄り添う様はよくわかる。

                      ピアノ・ソロでプーランクのジェルヴェーズによるフランセーズからパヴァーヌ。
                      あ〜、これも美しい。
                      フランスの作曲家の曲って
                      ドイツ語圏の曲と全く違って
                      ゴツゴツしたところや、イジイジした暗さがなくて
                      空気に溶け込むような軽さが爽快。

                      そのまま続けて歌曲へ。
                      これもストーリーを語る曲で
                      あ〜、こういうの、フランス語がわかると絶対に違うんだよなぁ
                      ・・・と思いつつ、それはフランス語を習わない私が悪い(涙)

                      続けてのドビュシー
                      そしてガブリエル・フォーレの1曲目は
                      あああ、私が中学時代に聴いていた曲だぁ。
                      (当時はラジオでの放送をカセット・テープに録音するしか方法がなくて
                       何かの放送でフォーレの歌曲集があった。
                       もちろん歌詞は???である(いまだに))

                      最後のフォーレの「蝶と花」は作品番号1-1である。
                      でも何てチャーミングな曲なの ♡
                      調べてみたらソプラノで歌われる事が多い曲のようだが
                      キーンリサイドは、あの美声のバリトンで
                      重くならずチャーミングに歌い上げる。

                      あああああ、ホントに惚れます(声に)

                      ブラームス・ホールは
                      こういう歌曲の夕べにはぴったりの大きさ。

                      大ホールと同じく音響も抜群で
                      ついでに大ホールと同じく、椅子が全部、むちゃくちゃ軋る上に
                      大ホールと同じく客席の雑音の響き方も半端じゃないので

                      もっと安い席を買って
                      音響が悪いから、と幕間の後に隣に移って来た人がたてる雑音が・・・
                      (あの、その席、空いてましたけど
                       あなたの持ってる席の4倍くらいする席ですが。
                       まぁ、いつものモグリのおばさんも居て
                       これは超高い席に座っていたから・・・)

                      まぁ、でもこれは仕方ない。
                      そういう雑音や咳払いにも負けず
                      (それでもリートのリサイタルは咳払いは比較的少ない)
                      妙なる美声と
                      エネルギッシュながら声高には叫ばないマルティヌーのピアノを
                      アンコールのシューベルト含めて
                      とことん堪能して
                      悶絶し過ぎて、ボーッとしながら会場を出た私に
                      どうぞ1クリックをお恵み下さい。



                      プログラムには記載がなかったが
                      ご本人のウエブ・サイトを見たら
                      このコンサート、収録があったようで
                      3月6日の19時30分から、オーストリア国営放送ラジオ第一チャンネルで聴ける。
                      その後1週間はオン・デマンドでも聴けるので
                      この美しい声とディクションを聴きたい方は、ぜひどうぞ!!!

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