シモン・ボリバル交響楽団 + グスターボ・ドゥダメル

Musikverein Großer Saal 2017年3月26日 19時30分〜21時30分

Simón Bolívar Symphony Orchestra of Venezuela
指揮 Gustavo Dudamel

Ludwig van Beethoven (1770-1827)
 Ouvertüre zu Goethes Trauerspiel “Egmont”, op. 84
 Symphonie Nr. 1 C-Dur, op. 21
 Ouvertüre zu “Coriolan”, op. 62
 Symphonie Nr. 2 D-Dur, op. 36

ドゥダメルがあっという間に世界中でキャリアを作って
ベネズエラのシモン・ボリバル・ユース・オーケストラが
世界中で招聘されるようになったと思ったら

微妙に名称が変わって、ユースが消えて
シモン・ボリバル交響楽団になってる。

???

いや、メンバーの年齢を見ればわかるだろ、という
読者のもっともなご意見、わかりますが
私の持っている貧民席からは
オーケストラは何にも見えませんってば。
編成さえわかりません(汗)

まぁ、それはともかく
立てば指揮者だけは見える(笑)

エグモント序曲とコリオラン序曲は
指揮者ドゥダメルを正面から拝見。

ドゥダメルがまだほとんど無名だった頃
ウィーン交響楽団で春の祭典を振ったのを
たまたまコンツェルトハウスのオルガン・バルコンから見て
すごいカリスマ、と思った後

どんどん有名になって
ロサンジェルス・フィルハーモニックの常任になった頃から
何だか普通の男の子になっちゃったなぁ
最初のカリスマ性は何だったんだろう?という時期があったが

すみません!!!
やっぱりカリスマだわ、この人(汗汗汗)

エグモントとコリオランが
オペラの序曲、という事を、すっかり忘れていたのだが
(だってコンサートでしか演奏されないし ← 当たり前だが)
ドゥダメルとシモン・ボリバル
実に劇的な構図を全面に出して来て
しかも、ものすごく丁寧に造り込んであって
音楽的にも非常に水準が高い。

後半のコリオラン序曲の前に
ドゥダメルが英語で何か、偉大な指揮者と指導者の
アブレウに捧げるとか言ったようだが
コリオラン序曲の迫力が半端じゃなかった。
ちょっと怖かったくらい。

ベートーベンの交響曲1番はスコアに頭突っ込んで聴いていたが
これも、ものすごく丁寧に造り込んでいて破綻がない。

フォルティッシモになると
時々音響が団子にはなるのだが(それはまぁ、仕方ない)
かなりの解像度と透明感があって
躍動するリズムと相まって
新鮮でフレッシュな音感で、これはゴキゲン。

いや、実はベネズエラの昨今の事情を考えると
(ご存知、ベネズエラの貧富の差は激しく
 政権が変わった後は、慢性的日常品不足で・・・)
何となく能天気にベネズエラのオーケストラを聴く気になれなかったのだが
このベートーベン、すごく良い。

2番は3楽章あたりから
ちょっと緊張感が緩んだ印象があったけれど

それはもしかしたら、私が眠たかったからかもしれないし(自爆)

丁寧に造り込んでいるだけに
若い指揮者や若いオーケストラに有り勝ちな
破天荒で荒々しいベートーベンとは対極にある。

シモン・ボリバル・ユース・オーケストラを期待して来た向きには
あまりにおとなし過ぎる正統的な演奏で驚いたかもしれない。
(ハッピ着て踊るマンボもなかったですし(爆笑))

失礼な言い方だが
若い指揮者とユース・オーケストラにあるような
ちょっと傷があっても
情熱と熱気で押し切ってしまえ、という演奏ではなく
マジメで正統で優等生の演奏になっていて

ただリハーサル時間を充分に取っている(だろう)から
ウィーンのプロオケが
ああ、ベートーベンね、と適当に演奏するのとは全く違う。
(註 ウィーンのオーケストラは
   ベートーベンは適当に演奏します、とは言ってません)

時間をしっかりかけて
ここまでの水準に育てた、という感触があって
それがとても爽やかな感じに響く。

が・・・
同時にシモン・ボリバル・オーケストラも
(ユースが何故付かないのかは疑問として残るが)
世界的水準に達した
普通のプロ・オーケストラになっちゃった
という感じは否めない。

ベネズエラのローカル性とかあったら
反って怖いか(笑)

普通のプロ・オーケストラとして聴いてみれば
音楽的な水準は非常に高い。
ベートーベンの交響曲チクルスも
これなら気持ち良く聴けそうである。

というワケで
売り切れとか出ていたけれど
見たら、まだ舞台上の席はあったので
月曜日・火曜日も行く事にした。
(こういう判断は早いのワタシ。
 先週の臨時収入は、これにて赤字となりました(自爆))

ドゥダメルの指揮を見ていて思ったのだが
この人の指揮、アメリカ風だね。
音楽と指揮の動きがほとんど同時になってる。

ヨーロッパの指揮者は
動いた後にオーケストラがそのキューをなぞるのだが
指揮者の動きのほんの一瞬後にオーケストラが反応するのが
結構面白かったりする。

思いがけなく楽しいコンサートで
ドゥダメルの古典=ベートーベンというのが
意外に正統的ヨーロピアンだった事を
喜んで良いのか
残念に思うべきなのか

ちょっと迷っている私に
どうぞ1クリックをお恵み下さい。



NHK交響楽団 + パーヴォ・ヤルヴィ

Wiener Konzerthaus Großer Saal 2017年3月7日 19時45分〜21時55分

NHK Symphony Orchestra Tokyo
バイオリン Janine Jansen
指揮 Paavo Järvi

Jean Sibelius (1865-1957)
 Konzert für Violine und Orchester d-moll op. 47 (1903-04/05)
Dmitri Schostakowitch (1906-1975)
 Symphonie Nr. 10 e-moll op. 93 (1953)

天下のNHK交響楽団さまに
このブログで文句付けるほど恐ろしい事はないので
書こうかどうしようか散々迷ったのだが

書く程の文句もないので(爆笑)
やっぱり備忘録として書いておく。

高校・大学と
お小遣いなるものは
すべて(専門書籍を除く)
都内の様々なオーケストラの
一番安い学生会員券につぎ込んで来た私だが

NHK交響楽団の定期会員には
最後までなれなかったという苦い思い出がある。

(註 当時はマトモなホールは東京文化会館と
 日比谷ホールくらいだったのである)

お陰で化粧とかお洒落とか女性らしい楽しみを知らずに、あ、いやいやいや(汗)

まぁ、前置きはともかくとして
NHK 交響楽団のヨーロッパ演奏旅行
凄まじいスケジュールで
昨日はロンドン、本日飛んで今日はウィーン
明日はケルンとか言うブラック企業系の詰め込み方(笑)

さてジャニーヌ・ヤンセンの
シベリウスのバイオリン協奏曲。

ものすごく細い線のバイオリンだなぁ、という印象。
オーケストラは
フル・オーケストラなのに
すごく薄めの音がする。

その分、透明感があって
まるで室内オーケストラのような軽さ。
線の細いバイオリンを盛り立てているかのよう。

すごいテクニックだという事は
シロウトでもわかるけれど
加えて内向的というか
誉めていえば哲学的音楽観とか言っちゃえば良いのだろうが

何か聴いていて、息苦しい。

自然に出てくる、というのと正反対の
無理やり絞り出している苦痛みたいなものを感じちゃう。
(そりゃ、お前の精神状態を反映しているだけだろ、という意見もあり)

明るさとか、わき上がるメロディとかと
極端に離れたところにあるシベリウス。
しょせんシロウトですから
ただの印象ですけど。

オーケストラの響きが
あまりに室内楽的で
う〜ん、こういうのアリか、と思いつつ
後半のショスタコーヴィッチへ。

この曲、私は大好きである。
楽友協会の大ホールで演奏されなければ・・・だが。

今回はコンツェルトハウスなので
どんなに大音響でも大丈夫だ、
それ、日本の誇るNHK交響楽団
どんどん大音響で弾けろ〜っ、行け〜っ

という心持ちで聴き始めて
ちょっとひっくり返った。

すみません、N響って
いつから、こんなに「歌う」ようになった???

アンサンブルの揃い方が見事なのは
優等生揃いの日本のオーケストラというので
驚きはしないけれど

最初の悲痛なピアニッシモのところから
メロディが長いボーゲンで語られて
細部まで抑制が効いて
ハッとする程に滑らかで美しい。

丁寧に丁寧に丁寧に歌わせていくパーヴォ・ヤルヴィに
ぴったり付いて
弦の響きがまろやかで

しかもこのオーケストラの木管
何て巧いのよ!!!!

特にファゴットだかバスーンだか
どうせシロウトには判断つきませんが
ともかくファゴットだかバスーンだかのソロ
こんな見事なソロって
この曲にありましたか?(アホですどうせ)

シベリウスの時にも聴こえた
「スッキリ」感がここにもあって
音が押し付けがましくない。

アンサンブル見事に揃って
細かいパッセージも完璧に演奏するのに
ともかく、メロディが見事に歌うのだ。
しかもイタリアっぽいカンタービレじゃなくて
もっと慎ましい感じで

言ってみれば、立てば芍薬、座れば牡丹の
大和撫子風の端正な、慎ましやかな美しさ。

フォルテの部分になると
パーヴォ・ヤルヴィのアゴーギクがかなり派手で
小節線がぼやけたりはしていたけれど
フォルティッシモの激しい部分よりも
メロディを歌わせる部分で
私はひたすらボーッとなっていた。

惜しむらくは
周囲の観客が・・・(いや、いや、仕方ないと言えば仕方ない)
ショスタコーヴィッチって
確かに親しみ難い作曲家で
10番の第1楽章がかなり長いのもわかるけれど

隣でスマホ出して
コンツェルトハウスの写真撮って送ったり
これ見よがしのため息ついたり
バッグの中をゴソゴソやったり
後ろから小声で
ゼルヴス(この場合は、ああああ、みたいな意味)とか
独り言を言わんで欲しかった。

ショスタコーヴィッチって
意外に演奏される機会があると思っていたのだが
ウィーンの聴衆には(特にご年配のお客さま方には)
一般的に「ウケ」るものではないみたい。

だからマーラーの6番を持ってくれば良かったのに。
(すみません、でもマーラーの6番も聴きたかったです(涙))

このショスタコーヴィッチの10番
音楽的にものすごく熟れていて
木管巧いし、弦はキレイだし
ゆっくりの部分のメロディは大和撫子の端正さ
速い速度のガンガン鳴らすところは
迫力あっても、変に厚くならず、スッキリ感はそのまま。

う〜ん、すごいオーケストラである。
世界水準以上のモノがある(身びいきではない)
技術的な水準も凄いけれど
それを、どこかのオーケストラのように
ほら見ろ見ろ見ろ、俺サマたちを聴け、と
ひけらかすような厚かましいところが一切ない。
(バイオリンのピアニッシモの部分の美しさと言ったら気絶モノだった)

コンサート後に
前に座っていた知り合いに
パーヴォさんって必ずアンコール持ってくるよね
シベリウスの「悲しきワルツ」なんて
パーヴォさんの指揮で何回聴いたか・・・

と言ったとたんに
シベリウスの「悲しきワルツ」が演奏されたので
ちょっと笑ってしまった。

この曲、今までパーヴォ・ヤルヴィの指揮で
様々なオーケストラで聴いて来たけれど
(もちろんアンコールである)
NHK 交響楽団も、すっかり手の内になったって感じがする。

あのオーケストラのスッキリ爽やか感と
丸みのある美しい弦の音を活かしながらも
やっぱり、見事に「パーヴォさんの」シベリウスだった(笑)

グラーフェネックでのデュトワとの幻想交響曲も良かったけれど
音楽的に、何かもう一つ、上への階段を昇ったような印象があって
自分とは全く関係なかったのに
何となく、自慢できるような気分になって
コンサート会場を出て帰宅した私に
(もう残業したくな〜い!!!)
どうぞ1クリックをお恵み下さい。


シカゴ交響楽団 + ムーティ

Musikverein Großer Saal 2017年1月23日 19時30分〜22時

Chicago Symphony Orchestra
指揮 Riccardo Muti

Paul Hindemith (1895-1963)
 Konzertmusik für Streicher und Blechbläser, op. 50
Edward Elgar (1857-1934)
 In the Sough (Alassio). Konzertouvertüre, op. 50
Modest Mussorgskij (1839-1881)
 Eine Nacht auf dem kahlen Berge
 Bilder einer Ausstellung. Orchesterfassung Maurice Ravel

シカゴ交響楽団と
帝王リッカルド・ムーティの客演。
実は2回あって
明日はリヒャルト・シュトラウスのドン・キホーテに
チャイコフスキーの交響曲4番なのだが

国立オペラ座のバレエが優先で
チケット取ってません。

何せ重症の
クルレンツィス・コパチンスカヤ症候群に罹患しているので
こんな症状の時に
シカゴ交響楽団+ムーティの
「普通の」クラシック・コンサートに行ったら
さすがの帝王ムーティの作る音楽でも
ケッ、とか言い出しかねない・・・という不安もあった。
(失礼な言い方だが、最初のク・コ症候群に罹患した後で行った
 ウィーン・フィルとビシュコフは
 回復するのに2日かかったからね)

結果だけ簡単に記すと

ク・コ症候群から完璧に一瞬で立ち直りました(笑)

更に加えて
年にほんの数回だけ
あああああ、神さま、本当にありがとう!!!!と
感涙に咽ぶコンサートがあるのだが

ツィッターに書いた通り
この世の神さま、及びその類の、妖精さんやら地霊さんやらに
ひれ伏して感謝したくなる程の強烈な体験となった。

最初見た時は
チクルスで持ってるから行くけど
何で私の苦手なヒンデミットにエルガーが前半なのよ
後半の展覧会の絵だって
もう何回様々なオーケストラと指揮者で聴いたか

前半は完全に寝落ちして
後半は飽き飽きしてげっそりするんじゃないだろうか

と真剣に思っていたのである。

苦手なヒンデミットの曲
最初の金管の音が出たとたん

ええええええっ、何ですかこれ!!! 😱
金管の音が音が音が・・・(絶句)

読者ご存知の通り
楽友協会の大ホールというのは
まるで教会のごとくの残響があって

力強いオーケストラが
思い切り音を出してしまうと
音が濁って、ウルサイなんて言うもんじゃなくて
耳を押さえて飛び出したい衝動に駆られるのだが

こんなに金管が全員揃って
しかもフォルテで吹き捲くっているのに

音が完璧に丸みを帯びて
しかも金管の輝くような色があって

いや、楽友協会でこの音色
どうやって出したんです????

しかも金管と弦のポリフォニーが
この上ない絶妙なバランスで
濁らずクリアに響いてくる。

まるで魔法のような世界が
厚みとまろやかさを兼ね備えたオーケストラの音で
全身を絹のように包んでしまい
この世とも思えない音響に悶えまくる。

ウソでしょ、ヒンデミットって、こんなに素晴らしかったの?
今まで聴いて、音がボッテリ厚くて、面白いと思った事なかったのに
厚みのある音響は
華やかさとなり、内部の透明さまであって
ゴージャスなのにオレオレにならず
これ、正にエンターテイメント・・・なのに

時々、何か得体の知れない
聖なるものが楽友協会に満ちているような
すごく不思議な
祈りのような
静謐な別世界が広がっていく。

まさに魔法とはこれかもしれない。

エドワード・エルガーも苦手なのだが
(エニグマとゲロンティウスは例外)
これも何とステキな曲。

音響のバランスが絶品なのだ。
オーケストラのトゥッティの背景色に
色々な楽器のソロが乗って来て
様々なストーリーが脳内で次から次にイメージされる。

いや、あり得ないわ、エルガーの
しかも初聴きの曲が、こんなに楽しいなんて。
何て美しいオーケストラの音色(うっとり)

あくまでも優雅でカンタービレ。
強いオーケストラなのに出しゃばらず
節度と気品があって
しかも、むちゃくちゃ巧い・・・

後半の禿げ山の一夜。
うわあああああ
これは本当に演劇に限りなく近い。

ムソルグスキーが抱いたイメージが
立体的に浮き上がって
すごい色彩感で目の前に出現する。

作曲家の頭の中にある
我々が実際に見られないイメージを

音楽家たちが
世界最高の機能を持つビデオ・カメラで
細かい部分まで全部撮影して

それを、最高限度のピクセルを持った
ホール一杯の大スクリーンで見ているような印象。

とことん細かいところまで拘って
ムソルグスキーの描いた景色を
全部クリアに見せてあげよう・・・という感じか。

うははははは
禿げ山の一夜でここまでやっちゃったら
展覧会の絵はどうなるんだろう。

・・・・凄かったです(断言)

音色についてはもうこれ以上は言うまい。

ムーティのリズムの取り方って
この上ない音楽性と老練さが混じってる。

チュイリー公園の、あのリズムの絶妙な揺らし方
あのセンスの良さって、いったい何ですか何なんですか。
卵の踊りの洒脱さ
(しかも途中で躓いて転んでるし(爆笑))

サミュエル・ゴルトベルクで
子供がすごい咳き込みして
(しかも親が連れて出ていかない(超怒!))
すごく気になったけれど

カタコンベでは
数百年に渡って沈滞した空気の匂いがしてきて
背筋がゾクゾクしてきて
完全に古代の洞窟に入り込んじゃったし

その後のプロムナードのピアニッシモの音色って
突然、ロココ様式のエルミタージュ宮殿の中に飛ばされてしまい
(いやビックリした、脳内で突然景色が変わった)
この上ない優雅さの中で
ゆったり歩いていたところに

突然のババガヤ出現!!!
バロックの金色の柱の後ろから
突然、怪物が飛び出てくるんだもん。
うわああああ、っと悲鳴を上げそうになりました。

堂々としたキエフの大門は
まず遠景から見えて来て

どんどん解像度抜群のカメラが近づいていって
あああああ、最後はこの上ないカタルシス。

怒濤のドラマ
ムソルグスキーとラヴェルの妄想に
引きずり回されて、翻弄されて

展覧会の絵の中に取り込まれて
古城の廃墟に立ったり、荷馬車に近づいたり
公園でコケったり
オバサンたちとお喋りしたり

う〜ん・・・何と言うか
クラシックの枠内にしっかり収まっているのに
(奇抜な事は何もしてないです)

その完璧な音色とリズム(含ゲネラル・パウゼ)
極限までドラマチックなのに
優雅さと品があって
エネルギッシュなのに乱暴でも粗くもなくて

ううううう、ムーティさま
参りました(深くお辞儀)

いや、あり得ないって
あのオーケストラの金管の見事だった事 ♡
輝く音色で完璧なアンサンブル
強いのにバランスが良くて
うるさくならずにホールに広がる
最高にゴージャスな音色。

このプログラム構成だって
かなり長いサービス精神の横溢したプログラムなのに

何とアンコールで
シチリア島の夕べの祈りの序曲!!!

ヴェルディですよ、ヴェルディ!!!!
私、ヴェルディ、苦手なんですけど
苦手なのに
何で何で何でこんなにカンタービレでワクワクしちゃうんですか。

ムーティのヴェルディは
ごめんなさい、もう「凄い」以外には何も言えません。

天才でイタリアンな音楽の心に満ちていてカンタービレで
老練な指揮者が演奏すると
歌って歌って歌って
ヴェルディって、こんなにドラマチックでチャーミングになっちゃうんですか。

序曲が終わった後も
できれば、そのままオペラに行きたい、と
ついつい切望してしまったではないか。
イタリア・オペラには行かないと堅く決心しているのに・・・

基本的にはブランドに興味はないので
シカゴ交響楽団だろうが
ムーティだろうが
別に名前に釣られて行った訳ではないし
(たまたまチクルス持ってたから)
ムーティさまだから音楽も良い筈とか
最初から全く思っていなかった。
(それどころか、クルレンツィス・コパンチスカヤの後で
 こりゃ、つまらんコンサートになるかも、と思っていた位)

なのに、こんな凄まじい音楽体験が出来るなんて
あああああ、本当に神さま、ありがとう!!!

仕事で色々とストレスが溜っていても
こういう音楽を聴くと
全身が活性化するような気がする私に
どうぞ1クリックをお恵み下さい。



こうなって来ると
明日のコンサートも気になるのだが
今、サイトに乗ってるチケットって
90ユーロですよ、90ユーロ!!!
(ビンボウは辛い・・・)

いや、ここまで凄い音楽を聴かされてしまうと
ムーティの追いかけする人の気持ちも
かなりわかるような気がする。
(私だって金と時間があれば
 ムーティの振るオペラ聴いてみたい、と本気で思った)

クリーブランド管弦楽団 + フランツ・ヴェルザー=メスト

Schloss Grafenegg 2016年8月21日

Prélude 16:40-17:40 Reitschule
Arcis Saxophon Quartett
Claus Hierluksch, Ricarda Fuss, laudia Jope, Jure Knez

György Ligeti (1923-2006)
 Sechs Bagatelien (1953)
Alexander Glasunow (1865-1936)
 Quartett für vier Saxophone B-Dur op. 109 (1932)
Sylvain Dedenon (*1962)
 Suite für Saxophonequartett nach Themen
  aus der Oper “Porgy and Bess” von George Gershwin

Abendkonzert 19:30-21:20 Auditorium
The Cleveland Orchestra
指揮 Franz Welser-Möst
ソプラノ Luba Orgonášová

Béla Bartók (1881-1945)
 Musik für Saiteninstrumente, Schlagzeug und Celesta (1936)
Richard Strauss (1864-1949)
 “Tod und Verklärung” Tonichtung op. 24 (1888-1890)
 “Vier letzte Lieder” für Sopran und Orchester (1948)

クリーブランド管弦楽団とヴェルザー=メストの2回目のコンサート。
今日はプレリュードに間に合うようにウィーンを出た。

朝から雨で、これなら室内だな、と思ってはいたものの
着いてみたら「まだわかりません」

しかもプレリュードはお城の中庭で開催、というので
中庭まで歩いて座ったとたんに降り出す雨。
やっぱりライトシューレでやります、とアナウンスの後
本コンサートはオーディトリウムで決定です、と続く。

やった!!!

プログラム見た時から
最後の4つの歌を野外音楽堂で聴くのか、とゲッソリしていたので
会場の変更は嬉しい。

さてプレリュードは
珍しいサクソフォンのクワルテット。

ソプラノ・サクソフォンなんて
ちょっと見たら、変わったオーボエにしか見えないが
ソプラノ・アルト・テノール・バスと揃ったサクソフォンは
滅多に見ないし聴かないだけに面白い。

リゲティの6つのバガテルって聴いた事あるような気がするけど
サクソフォン4本は初めてだと思う。

サクソフォンの音って面白い。
なんかあの楽器、クラシック曲には常設ではないし
どちらかと言えば、ジャズかなぁ、って印象なのだが
確かに聴いていると木管なんだけど
オーボエでもあり、クラリネットでもありフルートっぽくもなるし
でも基本的には、やっぱりサクソフォンの音なんだよね。
(まぁ、当たり前と言ったらそうだが(自爆))

リゲティの曲はリゲティらしい苦いユーモアとペーソスがあって
楽しく聴かせてもらったけれど
次のグラズノフが良くて、聴き惚れた。
伝統的なんだけど、何て美しいメロディ ♡

ポギーとベスの組曲も楽しく聴かせてもらった。

このクワルテット、今、CD を作るクラウドファンディングをしていて
8月24日が締め切りで、あともう少し、という話なので
ご興味ある方は、こちらをどうぞ。
Youtube のビデオも入ってます。
(寄付だけなら額面+税金だけだけど
 CD とかビデオとかを入手しようとすると
 送料がかなりかかって来ます、念の為)

さて、夜のコンサートはオーディトリウムのホール。
私のチケットは、雨天の時にホールに入れる
一番安いカテゴリーのチケットなのだが

野外音楽堂では、かなり真ん中の良い席なのだが
ホールになると、今度はそのカテゴリーの中でも
最も悪い席に変身する。

オーケストラの真上・・・(汗)

オーケストラ・メンバーと指揮者の頭頂部が見えて
ついでに真上なので
10倍の私の望遠鏡を使うと
指揮台のスコアまでしっかり見える(見ません!(笑))という席。

最初はバルトークの
弦楽器と打楽器とチェレスタのための音楽。

うううう、弦が上手い。
昨日も思ったけれど
このオーケストラの音の透明感ってスゴイ。

ピアニッシモが実に美しく響くのだが
ヴェルザー=メストは最初の楽章も
変にズブズブの感情任せにならず
ちょっと冷たいくらいの透明感を持たせる。

第2楽章ではピアノが大活躍。
昨日のアデスの1曲目でも
ものすごい存在感を持っていた女性のピアニストだが
打鍵の強さには目を見張るばかり。

しかもそんな強い音なのに
しっかりとオーケストラと対峙しながら溶け込んでいて
シロフォンとの、見事にマイクロセカンドで揃えたアンサンブルには
鳥肌がたった。
いやもう、あのその、どうしましょう。

しかもこのオーケストラと指揮者
バルトークでの音の色彩感が尋常じゃない感じ。

これはドビュッシーかリゲティか、と思わせる程
繊細でパステル色の不思議な音を出すので
(こういうのは CD じゃダメ(断言))

音響オタクとしては
オーケストラの真上だろうが何だろうが
メンバーの頭頂部のハゲを見ながら
体感的な快感にうち震えていた。

野外でやったとしても
この音、きちんと聴こえて来ただろうなぁ。
不要な厚みが全然なくて
弦のアンサンブルが鉄壁に揃っていて
ビオラの音があまりに美しくて
バイオリンのピアニッシモの透明さにゾクゾクして

ああああ、こういうのがナマの楽しみなのよ、うん。

前半で興奮しまくっていた私だが
後半はリヒャルト・シュトラウスの「死と変容」に
「最後の4つの歌」
・・・どちらも、ちょっと苦手なんですが(暗いから(笑))

死と変容だが
やっぱりもともと野外バージョンかよ、という
時々、とんでもない大音響を発していたけれど
でも、それでも不思議な軽さがある。

私のイメージでは
冷静で正確無比な堅物、というヴェルザー=メストが
何だか熱くなってるし(笑)

ヴェルザー=メストって
野心ギラギラの時の印象が強過ぎて
ちょっと苦手だったんだけど

クリーブランドの指揮台に立つと
この人、異様に繊細なニュアンスを出す上に
時々、えっ?と思うほど、熱くなる時がある(爆笑)

大音響になっても、音が変にボッテリしない、というのは
このオーケストラの強みだな。

で、驚いた事に
死と変容の後、そのまま(ほとんど)アタッカで
最後の4つの歌に入った。

ああああっ、こういう方法あり?!
確かに、死と変容の後に
最後の4つの歌の一曲目「春」は
全く違和感のないまま続く・・・(ビックリ)

舞台の真上なので、歌手の声は前に飛ぶから
この席だとイカンかなぁ、と思っていたのだが

ソプラノのリューバ・オルゴナショヴァは
さすがオペラ歌手というか
しっかり上向いて歌ってくれたので

オーケストラの真上でも
ちゃんとソプラノの声はしっかり聴こえてくる。

しかも何て強い声の持ち主!!!
叫び声にはならず
ピアノ部分もしっかりオーケストラの壁を超えて
ちゃんと低音まで聴こえてくるし
強いながら、芯の通った美声で安定感がある。

まぁ、ドイツ語はほとんどわかりませんが(笑)
しかも、はっきり歌おうとしているあまりに
最後の子音だけが突出して聴こえて来たのはご愛嬌か。

甘い声というよりは強い声で
凛としていて
ロマンティックだけではないこの曲によく合う。

いや、すみません、ついつい途中で泣きそうになっちゃいました。
だってオーケストラ巧いし
コンマスのソロがまた巧いし

全然ズブズブの感情になっていなくて
どちらかと言えば中立的な響きなんだけど
こちらのハートのど真ん中に刺さってくるところがある。

ううう、素晴らしい ♡

ヴェルザー=メストとクリーブランド管弦楽団って
かなり最強のコンビネーションかもしれない、と
またもや確信して夜道をすっ飛ばして帰って来た私に
どうぞ1クリックをお恵み下さい。


クリーブランド管弦楽団 + フランツ・ヴェルザー=メスト

Schloss Grafenegg Wolkenturm 2016年8月20日 19時30分〜21時40分

The Cleveland Orchestra
バイオリン Leila Josefowicz
指揮 Franz Welser-Möst

Thomas Adès (*1971)
 Tänze aus der Kammseroper “Powder Her Face” für großes Orchester (1995/2007)
 “Concertric Paths” Konzert für Violine und Kammerorchester op. 23 (2005)
Richard Strauss (1884-1949)
 “Symphonia domestica” für großes Orchester op. 53 (1902-03)

ピカピカに晴れた土曜日。
本当はプレリュードから聴きたかったのだが
土曜日だから掃除に洗濯、買物エトセトラで(言い訳)

さて、8月18日にザルツブルク音楽祭で演奏された
同じプログラムをグラーフェネックの野外音楽堂で聴けるという
大変にお得なコンサート(笑)

で、これですよ、これ!!!
やっと何ヶ月振りかに、超一流オーケストラで
コンサートらしいコンサートを聴いたような気がする。

アメリカのオーケストラだから
開演前に全員舞台に乗って
それぞれに勝手なところを練習しているので
ジョン・ケージもマッサオな現代音響が繰り広げられているが
楽友協会じゃなくて野外なので
まぁ、あんまり気にはならない(なるけど許す(笑))

大編成オーケストラで
トーマス・アデスのオペラからのダンス音楽。
もともとは室内オペラだったものを
大編成オーケストラ用に編曲した組曲だが

この音楽、ジャズっぽかったりして不思議な音響を出すのに
音が非常に細かくて、透明感があって
パートの解像度がむちゃ高く
薄く聴こえるという訳ではないのに
大編成でありながら
とことん室内楽的な音響なのに驚いた。

しかも、その室内楽的な音響が
この野外ホールでも見事に聴こえて来るのは何故だ?!(驚愕)

次のバイオリン協奏曲も素晴らしい。
あくまでもトナールで
変な事をしている訳ではないのに
最初の楽章の軽やかさと言ったら
澄んだ空気の中を、蝶がヒラヒラと踊っている感じ。

しかもバイオリンの音と
木管や金管が重なると
実に不思議な音響が響いてくる。

現代音楽って割に聴く方だから
音響に関しては様々なバリエーションを聴いて来たが

この音響、こんな音、聴いた事がない。
ともかく新鮮で不思議でぶっ飛んでいて

小説で言えば
伊坂幸太郎の重力ピエロとオーデュポンの祈りを
初めて読んだ時のような印象。
(この2冊を読んだ人にはイメージが沸くかも・・・)

途中のドラマティックな部分も
音量は時々大きくなるんだけど
音の不要な厚みが一切ない。

う〜ん、これはトーマス・アデスの作曲技法なんだろうか?
と思っていたら

後半のシフォニア・ドメスティカでも
解像度めちゃくちゃ高くて
不要な大音響が全くないのに
隅々まで、音楽が聴こえて来たのにぶっ飛んだ。

ヴェルザー=メストはオーストリアの指揮者だし
比較的早くから追っていて
あまり好き、というタイプではないのだけれど

クリーブランドとヴェルザー=メストって
相性が良いのか
長い協力関係での信頼が築かれているのか

だいたいこのオーケストラ、むちゃくちゃ巧い。
巧いというのは技術的な事もあるけれど

あんなに室内楽的に演奏しても
音があくまでも澄んでいて
音量を上げずとも
はっきりと野外ホールでも聴衆の耳に届くというのが
ちょっと驚愕モノ。

野外のホールだから大編成で
ガンガン音を出さねばならないのか、と思っていたけれど
オーケストラが巧いと
あれだけ弱音でも、しっかり聴こえてくるんですね・・・

シンフォニア・ドメスティカは
ホーム・ドラマみたいなゴキゲンな曲だし
多少長いにしても
妄想喚起力が異常だし(笑)

しかも、あの曲の複雑怪奇なパートを
実に巧みに、夫と妻の会話や喧嘩やナニを表現させたのは
指揮者とオーケストラの
解像度や透明度だけではない
バランスの妙技に拠るところが多い。

う〜ん、唸ってしまうわワタシ。
途中で鳥は鳴くわ、コオロギは歌うわ
ついでに何回か子供が会場の向こうで騒いでいたけれど
そんな雑音が全く気にならない位
凄まじく高い水準のコンサートを堪能してしまった。

飢えたところに、ドッと流れ込んで来た
クラシック音楽の楽しみ、という感じを
満喫した私に
どうぞ1クリックをお恵み下さい。



明日は同じオーケストラで
リヒャルト・シュトラウス・プログラムだが
雨の予報があるので
できればホールで聴きたい、と切望中。

ピッツバーグ交響楽団 + マンフレッド・ホーネック

Musikverein Großer Saal 2016年5月28日 15時30分〜17時50分

Pittsburgh Symphony Orchestra
指揮 Manfred Honeck
バイオリン Leonidas Kavakos

Ludwig van Beethoven (1770-1827)
 Ouvertüre zu “Coriolan”, op. 62
Alban Berg (1885-1935)
 Violinkonzert
Peter Iljitsch Tschaikowskij (1840-1893)
 Symphonie Nr. 6 h-Moll, op. 74 “Pathétique”

変人もといヘ○タイ指揮者マンフレッド・ホーネックと
ピッツバーグ管弦楽団のコンサート最終日。

昨日、チャイコフスキーの交響曲5番で
かなり派手にやらかしたので
今日の悲愴はどんなものやら・・・(コワイもの聴きたさ)

コリオラン序曲から
またもや大音響とピアニッシモの嵐。
ひたすらアゴーギクを効かせてテンポ揺らして
速いところは暴走するけれど
オーケストラはちゃんとそれに着いて来る。

でもでもでも
本日のハイライトはレオニーダス・カヴァコスが弾いた
アルバン・ベルクのバイオリン協奏曲だろう。

あああああ、もうもうもう
儚げな少女を描き出した
ロマンティックで、この世のものと思えない美しさの前半と
悲しみに満ちた、まるでレクイエムのような後半。

前半終わったとたんに拍手した奴、出て来い!(怒)

まるで絹糸のような光沢のある
叙情性に満ちた、あんな美しい音がバイオリンに奏でられるなんて。

太陽燦々と輝いて27℃越える気温になってしまったのに
楽友協会の中に吹くのは一陣の優しい春の風。

ええ、もう、春なんて季節、ウィーンにはなくなってしまいました(断言)
冬から突然、夏に変貌するんですよ、最近は。

カヴァコスのこの上なく繊細な音に
彼岸の世界まで連れていってもらって
アンコールがバッハ。

・・・何か、この世のものと思われない
聖なるものが、楽友協会に降りて来た感じがする。
これこそ、音楽の持っている不可思議な力なんだろう。
時代も地域も越えて
この世とあの世の区別もなくなってしまったような印象。

ただし、レオニーダス・カヴァコスの見た目には
ますます磨きがかかって
どこをどう見ても
そこら辺を歩いている長髪のヒッピー(死語)

何で普通の紺色のシャツ(しかもよれよれ)なんでしょうか舞台衣装が。
見た目と、出てくる音楽のあまりのギャップにクラクラする。

さて、そんなとんでもないモノを聴いてしまった後の
チャイコフスキーの悲愴は
聴きたいような聴きたくないような・・・
たぶん、間違いなく第3楽章の後で拍手出るだろうし。

昨日の5番とは違って
あら、比較的マトモで、丁寧に鳴らしてる。
もちろん、最初の部分は、カタツムリのごとくのテンポ。
だいたい、もう推測はつくので
ジャン、というあそこからは巻いて巻いて、また巻いてだろう
・・・・その通り(笑)

昨日もそうだったけれど
ホーネックって、小節の最後をほんの少し縮めるので
最後の音が完全に響き切っていない状態で
次の小節に入ってしまうので

推進力はあるし
どんどんテンポ・アップになるのだけれど
多少、ズルズル感が出て来てしまう。

更に、本日はますます強力になった「泣き節」
何ですか2楽章のあの凄まじいポルタメントは。

ここまで大袈裟にやられると
ちょっと笑ってしまうけれど
時代がかった舞台の上で
歌舞伎役者が
オマエさん、行かないでおくれ
泣くなハナ子よ(誰それ)おっかさんのために行かねばならぬ
すみません、ついつい妄想の世界に・・・

でも、これを、本当に至極マジメに
確信持って演奏されちゃうと
あああ、そういうモンですか、と
納得させられてしまう説得力があるなぁ。

何と本日の聴衆は
第1楽章の後にまで拍手が出たので(笑)
もちろん、第3楽章の後にも拍手が出たが
ありがたい事に周囲がそれに乗らず
なんとか、パラパラで収まったのでホッとした。

第3楽章は、はい、ご想像通りです(爆笑)
オーケストラ苛め、とまでは言わないが
どこまで速いテンポでオーケストラって演奏できるんだろう
という実験に付き合ってるみたい。

第4楽章の弦が、すごく良い。
このオーケストラ、本当に弦の色が不思議で
アンサンブルがピッタリというのはあるにしても
なんかこう、厚みのあるつや消しの茶色みたいな音で
大人の音? いや、幅の広いタリアテッレみたいな
あ、いかん、すみません、またついつい妄想の世界に(汗)

第4楽章の後は、なかなかよろしい余韻が終わってからの拍手。
このオーケストラ、本当に疲れを知らないオーケストラで
続けて、アンコールを2曲。

最後の曲がプロコフィエフのロメオとジュリエットの
ティーボルトとロメオの決闘シーンから、ティーボルトの死まで。

ったく、また高速オーケストラ記録更新目指して
あの細かい弦の刻みを
よくぞ、そのテンポで
というより、そのテンポ、バレエ・ダンサー誰も踊れませんから(笑)

最後の方で、かわいそうに
やっぱり第1バイオリン、微妙に遅れたし
最後のティーボルトの死に至っては
金管が
今までのチャイコフスキーで、思い切り大音響で吹けなかったから
これは復讐だ〜 とばかりに
すごい音量で吹き捲くり

いやん、このオーケストラ、時々ハチャメチャで
むちゃ面白いわ。

変人、ヘ○タイ、オーケストラ苛めの名人かもしれないが
マンフレッド・ホーネックって
実に面白い指揮者だ。

あの確信ハチャメチャ、情熱バリバリは
何となく、私の大好きな
アントニオ・パッパーノを思い起こさせるところもある。

というワケで、3日間続いた
ピッツバーグ管弦楽団のコンサート
ものすごく楽しかった。
ぜひまた来てね。

その後、ウキウキと国立オペラ座に向かった私に
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ピッツバーグ交響楽団 + マンフレッド・ホーネック

Musikverein Großer Saal 2016年5月27日 19時30分〜21時45分

Pittsburgh Symphony Orchestra
指揮 Manfred Honeck
ピアノ Daniil Trifonov

Antonín Dvořák (1841-1904)
 Karneval. Ouvertüre, op. 92
Franz Liszt (1811-1886)
 Konzert für Klavier und Orchester Nr.1 Es-Dur
Peter Iljitsch Tschaikowskij (1840-1893)
 Symphonie Nr. 5 e-Moll, op. 64

ピッツバーグ交響楽団のコンサートは3回あるが
まさか全部違うプログラムと思わず
あっ、と気が付いた時には
(ワタクシ的に)良いチケットは売り切れ。

だいたい私がコンサートのチケットを選ぶ重要な基準の一つに
出入りが楽、というのがある。
平土間の真ん中とかだと(いや高くて買えませんが(汗))
周囲の人が動くのを待って
狭い出口からみんなが出て行くのを待って
というのがイヤなのだ。

妥協して買った席で
最初のドボルジャークの「カーニバル」

いかん、ここ、音の響きのバランスがヤバイ(冷汗)
まるで片耳を塞がれたようなバランスの悪さ。
たぶん、いつも反対側なので私の耳バランスも狂っているのだろうが
しかし、それでもこの席はかなりいかん・・・

そのバランスの悪さの中で聴いた「カーニバル」は
むちゃくちゃテンポが早く
(いや、あれ、テンポみんな早いですよ、でも
 この演奏、その中でも一番だよ・・・)
当然ながら、オーケストラの音は
全部がごた混ぜ状態のごった煮状態となって
身沢山のカレー味シチューに
スパイスの効いた肉団子が崩れながら混ざっているというか
・・・すみません。

リストのピアノ協奏曲。
相変わらずトリフォノフのピアノって幽玄自在で
深い低音のマッチョな音から
煌めくような高音まで
豪華絢爛、貴婦人が悲鳴をあげて泣いて失神(笑)

でも、昔、という感じじゃなくて
あくまでも現代の豪華絢爛。
こういうのって
やっぱり、どう解釈しても
聴衆にウケるサーカス要素テンコ盛りの
超一流「エンターテイメント」だよね。
ものすごく良い意味での。

リストの曲って
超絶技巧の天才が弾くと
どうしてもみんな似たりよったりになっちゃうのだが
凄かったのがアンコール。

舞台見えない席だから
一瞬
あれ?フルート一緒に演奏してる?
お?ファゴットも入って来た?
(そんなワケない)

途中にオルガンが聴こえてきたり
弦や木管が聴こえてきたり
だから、ただの妄想だとわかっているけれど
舞台が見えないから
もしかしたら、これ、ピアノ2人で弾いてない?とか
人間業じゃないという
ほとんどサーカスの領域なのだが
サーカスに徹しないで「音楽」を聴かせてくれたのには驚いた。

恐るべしダニール・トリフォノフ。
あまりに吃驚したので
拍手の時にちょっと移動して
ピアニストを見てみたら

いや〜ん、何でヒゲはやしちゃったの???
あの可愛いカワイイお坊ちゃんピアニストに・・・ヒゲ(ショック)

見た目どうでも良いし
美少年好きという訳でもないけれど
イメージが・・・ううう。

後半、チャイコフスキーの交響曲5番が

・・・怪演(ぼそっ)

としか言えないだろうあれは。

指揮者のマンフレッド・ホーネックが
出だしの音響に拘って
ホールが静かになるのを待っているのはわかるのだが

ウィーンのコンサート・ホール
完全な静寂なんてあり得ませんから!!!
静かになったかと思うと
絶対に誰かが咳するし、モノを落とすし、椅子が軋むし
日本じゃないんだから、そんなに待っていても無理だってば。

この上ないピアニッシモでゆっくりゆっくり出る第1楽章。
途中でテンポをあげて
目まぐるしくギアチェンジされて
マッチョで筋肉質な第1楽章の後

またもや、静かになるまで(なりませんっ!)待って
第2楽章の最初のホルン。

・・・・・・お疲れさまです(すみませんホルンに同情)

あのあのあのあの、遅いテンポで
あの弱音でホルン鳴らせってか?!
いや、それを演奏しちゃうホルニストも凄いけど
マンフレッド・ホーネックって
実はオーケストラ苛めが好きな隠れ S か?!

確かに夕暮れの中を
暖かい郷愁を誘うホルンのメロディが
遥か彼方から聴こえてくる、というコンセプトはわかるけど

あそこまであからさまにやられちゃうと
あざとさが目立つし
リアルな風景というよりは
作られた劇場での、かなり大袈裟に表出される
俳優さんたちの泣き顔、みたいなウソッコに聴こえてしまうが

あのゆっくりゆっくりのテンポで
息継ぎにミスせず、ばっちり付いていった金管は偉い!!!

続くワルツは
いや、さすがオーストリア人指揮者で巧いなぁ、とか
書きたいんですけど

巧いのは確かだし
しっかりワルツの雰囲気は出ているのだが

これ、廃墟のお城の中の亡霊たちのパーティですよね?

どう聴いても、楽しい舞踏会とかから遥かに離れたところで
過去の亡霊たちが
満身創痍のまま、以前は豪華であっただろうボロボロの衣装を
プライド高く装ってワルツを踊っているような幻想にかられる。
良くも悪くも、背筋がゾクゾクして
ただ、あらキレイなメロディね、とか聴いていられない。
はっきり言うと・・・コワイ。

最終楽章だが
もうオーケストラも指揮者も疲れ果てているだろう。
なのに、なのに、それなのに
最後の盛り上がりを

あのテンポでやるかっ!!!
(=速いんです、しかもむちゃくちゃ・・・)

ここまでやられると
オーケストラも、何とか最後だけ合わせりゃそれでオッケー
(ほとんどヤケッパチだな)
途中の縦線はズレるし、弦と管が入れ子になってるし
まぁ、そりゃそうだ、あれやられたら
(しかも3日間でチャイコフスキーの4番・5番・6番)

いや、あれ、プロってスゴイな。
ちょっと、いや、かな〜り笑えちゃったのだが
(笑っちゃいけない)
色々な意味で
凄いオーケストラと
正に変人、ヘン○イ指揮者のマンフレッド・ホーネックである。

こういうオーケストラと指揮者、すごく好き ♡
開き直りが見事で
え〜い、やっちまえ、というトライ精神が
やっぱりアメリカの開拓者スピリットかしら(爆笑)

こういうコンサート、ハチャメチャだけど
すごく好きだわ・・・
ヘンに完璧に冷静に演奏されるのは時々あるけど
あの見事な開き直りと変人対決って
滅多にウィーンじゃ聴けないし(笑)

ついついニヤニヤする顔を引き摺ったまま
オフィスに戻って仕事を片付けて来た私に
どうぞ1クリックをお恵み下さい。



片耳が聴こえない恐ろしい席は
後半は隣の観光客が帰ったようなので
1つズレたら、音のバランスが全く違ったのでラッキー。
あの席は要注意だわ、気をつけよう。

ピッツバーグ交響楽団 + マンフレッド・ホーネック

Musikverein Großer Saal 2016年5月26日 19時30分〜21時55分

Pittsburgh Symphony Orchestra
指揮 Manfred Honeck
パーカッション Martin Grubinger

Joseph Haydn (1732-1809)
 Symphonie D-Dur, Hob. I: 93
Bruno Hartl (*1963)
 Konzert für Schlagzeug und Orchester, op. 23
Peter Iljitsch Tschaikowskij (1840-1893)
 Symphonie Nr. 4 f-Moll, op. 36

私が限りない愛と尊敬を籠めて
ヘンタイ、と呼ぶ指揮者は
ローリン・マゼールとニコラウス・アーノンクールともう一人だが

マゼールもアーノンクールも鬼籍に入ってしまった後
残ったヘンタイ第一人者は
オーストリア人指揮者の、このマンフレッド・ホーネックである。

フランツ・ヴェルザー=メストが一時
あの鬼気迫る野心で
オーストリア人指揮者として脚光を浴びていたのに
ホーネックが、それ程派手にアピールしないのは
本人も音楽家家族の良いところのお坊ちゃん、という経歴もあるだろうが

この人、間違いなくヘンタイ・ナンバーワンですから。

その愛するヘンタイ指揮者が
手持ちのピッツバーグ交響楽団とヨーロッパ公演 ♡

初日になる本日の最初は、ハイドンの交響曲。
わっはっはっはっは、やってるぞ。ヘンタイ度100%!!!

ハイドンの後期の交響曲というのは
ともかく、むちゃくちゃエンターテイメント音楽で
イタズラが凄くて
この曲も、最初からドッカン、ドッカン来て
面白いのなんの

途中の楽章なんか、お○らの音まで出てくるし
ワルツっぽい音楽で踊らせたは良いけれど
巨漢のぶきっちょな人が転んだりしてるし

そのイタズラっ気たっぷりのエンターテイメントを
ピッツバークとホーネックが
実に楽しそうに演奏して行く。

品があると言うよりは
適当に下品で(笑)
気取っていなくて
生真面目さよりも、チャーミングな方が目立つ。

ハルトルのパーカッション協奏曲だが
これは、マルティン・グルービンガーの
圧倒的なパーフォーマンスと音楽性に唖然とする。

マルティン・グルービンガーは
2008年に引っ越したこのブログで
最初に記録の残っている2010年には
私は何回も何回も何回も聴いていた記憶がある。

かなり早い時期から、うおおおおおおっ、天才!と
追っかけていたので
今さら、その天才性に驚く事はない筈なのだが

それでも、やっぱり凄い(笑)

偶然ながら、このブログに引っ越してから最初の記録が
同じブルーノ・ハルトルの曲だったのだが
今聴いても、やっぱり

これ、オーケストラ要らないんじゃない?

(すみません、オーケストラ頑張ってたのに)

途中のマリンバのソロだけでも
完全に独立した世界を作っていて
このマルチ・パーカッショニストの才能に
唖然とするばかり。

前にも書いたけれど
一部の天才芸術家が、芸術史を作っていく、という事実を
まざまざと見せられる。
この時代に、マルティン・グルービンガーを聴けるのは
我々聴衆に取っては、実にラッキーな事だと言える。

アンコールはマリンバの素晴らしい曲。
で、その前に、マルティン・グルービンガーらしく
オーケストラと聴衆に
英語とドイツ語でお礼の言葉を言う。

本当に気取りがなくて
力が入っていなくて
ともかく音楽を楽しんで楽しんで
自分も楽しむけれど
とことん聴衆も楽しませよう、と言う気概に溢れている。

世界中で大人気になってしまったし
コンツェルトハウスのパーカッション・プラネットのチクルスは
うっかりしていると、あっという間に売り切れて
最近、なかなかナマで聴く機会がなかったので
実に楽しい時間だった。

後半はチャイコフスキーの交響曲4番。
ヘンタイだから、何かやるかと思ったら
やっぱりやった(爆笑)

第1楽章からのうねりが凄い。
おおおっ、そこでフォルテとピアノを対立させるんかい、という箇所や
あっ、そこでアッチェルランドかけるの、というところや
聴き慣れた曲が
ものすごい推進力と圧倒的なエネルギーで迫ってくる。

音量は上げているのだけれど
何故か、全然うるさくない。
これは楽友協会のホールを知り尽くしている
ホーネックの見事な手腕。

アメリカのオーケストラ、力強いオーケストラが多いので
楽友協会で演奏すると
ただ、ウルサイだけになってしまうケースが多いのだが
そこらへん、ホーネックがオーケストラを抑えているとすれば
これは実に見事な音楽的表現だと思う。

金管も木管も名人揃い。
特に輝くような金管の
力強く、でも柔らかく、輝かしく響く音が実に良い。
ファゴットのソロの哀愁を帯びた音色には
ついつい涙出そうになったし
ピッコロの鋭い音が見事にオーケストラの他の楽器と合って
いやもう、舌を撒く。

弦のアンサンブルの揃い方には呆然とした。
ここまで均一のアンサンブルって
昔、サロネンとロンドン響か何かで聴いた記憶しかない。

しかも弦の音色が何とも言えない不思議な色合いなのである。
柔らかで、絹のようなんだけど絹ほど細くはなくて
ちょっとオレンジ色から黄色がかかった
温かい感触の茶色、というイメージ。
(柴犬・・・を連想した、というと、私もかなりのヘンタイである)

だから、チャイコフスキーの4番で爆発しても
どんなに音響が大きくなっても
全体的な手触りが尖っていない(滑らか、とはちょっと違うが)

アメリカのオーケストラとは思えない。
どちらかと言えば、ミュンヒェン・フィルとかに似てる。

チャイコフスキーの4番は
最終楽章の、あの爆発前の静かなところで
携帯電話(しかも、今の時代にノキアのメロディ!)を鳴らしたアホがいたが
最後の爆発が
やるか、と思ったら
やっぱり、途中から
とんでもないアッチェルランドをかけて
疾走して疾走して疾走して
汗を飛ばしながらゴール!!という

うわ〜、爽快!!!

この曲、ワタクシ的には
フェドセイエフが指揮した時がベストだったし
その印象は今でも変わっていないけれど

ホーネックは、フェドセイエフとは全く違ったアプローチで
あの名曲を、現代曲みたいに新鮮に響かせてくれた。

明日、明後日と続けてのコンサートだが
ヘンタイ指揮者が何やりだすか
ワクワクしている私に
どうぞ1クリックをお恵み下さい。



今日はオーストリアの祝日だったのだが
朝8時過ぎに起きて
9月の国立オペラ座のチケット取りやって(笑)
それから
コミック44巻を38巻くらいまで一気読みしたところに
添乗員から電話があって
それからコンサートに行くまで仕事してました、という
8月15日まで、これから祝日のない月が続くのに
何か、ちょっと残念な祝日だった。
あ、でも38巻コミック読めたから良しとするか(苦笑)

バッハ・コレギウム・ジャパン + 鈴木雅明

Wiener Konzerthaus Großer Saal 2016年4月15日 19時30分〜21時40分

Bach Collegium Japan
指揮 Masaaki Suzuki
ソプラノ Hana Blažíková
ソプラノ Joanne Lunn
アルトゥス Robin Blaze
テノール Makoto Sakurada
バス Dominik Wörner

Johann Sebastian Bach (1685-1750)
 Ich hatte viel Bekümmernis BWV 21 (vor 1714-23)
 Vergnügte Ruh’, beliebte Sellenlust BWV 170 (1726)
 Magnificat D-Dur BWV 243 (ca. 1728-31)

ドイツ語で Sternstunde という表現がある。
直訳すれば「星の時間」
人生に滅多にないような
星が空から降ってくるような
至福の時間の事を意味する。

・・・今日、正に星の時間を味わってしまった!!!!!
(すみません、よって今日の記事、むちゃ長いので覚悟して読んで下さい)

日本のバッハ・コレギウムのコンツェルトハウス・デビューは
前から知っていたものの

宗教曲苦手だし
バッハはもっと苦手だし
(だいたい子供の頃のインベンションで躓いている)
仕事も忙しいし
どうしよう、と迷いつつ

一番安い天井桟敷の端っこ(ちょっとだけ舞台が見えるはず)があったので
えいっ、と思い切って買って

行って良かった〜〜〜〜っ。
バッハ観、いや、人生観が変わってしまった。

かのメンデルスゾーンが
バッハの曲を再発見した感動って
こういうモノじゃないだろうか。
(って、自分をメンデルスゾーンに例えるのはあまりにおこがましいが)

小編成の古楽器オーケストラに
少人数のコーラス。

これは大ホールで聴く音楽じゃなさそう、と思ったのは一瞬。
最初のオーボエのソロで、どっか〜〜〜ん 💣

最初の曲は
私にはたくさんの心配事がある
と訳せば良いのだろうか。

ソプラノの泣き節が・・・すごい表現力。
ため息、涙、悩み、窮境
不安に満ちた憧憬、畏怖と死
・・・というのを
何か、すごい泣き方で歌う。

なんだこれ
オーケストラと歌手、コーラスのバランスが絶妙。
この間の古楽器オーケストラみたいに
コーラスとオーケストラが一体化してしまって
両方ともが意識に上らないというのと正反対で

コーラスもソロもオーケストラも
はっきり、くっきりと聞こえて来て
その透明感たるや言葉に尽くせない。

テノールのソロがまた、何て美しい。
張り上げず、あくまでも透明で端正な声で

しかもコーラス含めて
何でこんなに、はっきりとドイツ語が聞こえてくるの?!

しかもドイツ語のリズムと音楽のリズムが
完全に一体化していて
言葉のリズムを音楽が辿っているのがわかる。

もともとドイツ・リートでドイツ語に入ったワタシは
ドイツ語にはちょっとうるさい(すみません)

なのに、なのに、なのに
このドイツ語のクリアさと対等に鳴るオーケストラって・・・(絶句)

スゴイ・・・とひっくり返っていたら
Seconda parte の最初に出てくる
バスとソプラノの掛け合いで、椅子から落ちそうになった。

だってだってだってだって
このデュエット、モロにラブソングじゃないか。

ソプラノがイヤイヤ、ワタシ不幸だし堕落してるし・・・と
あの可愛い声で(本当に可愛いのである!)
グズグズいじけているところに
入ってくるバスの美声がイエス・キリストで
ほら、そんな事言わないで
愛してるよ、愛してるよ
・・・・って
これ、本当に宗教曲かよ?!

心配事の多い人生は
キリストによって、魂が満足して
痛みや悩みが消えて
ため息も消えて

と歌われて行くうちに
身につまされて涙が出て来た。
天井桟敷、割にガラガラで
(よってみんな前の席に移動してしまい
 私の周辺には誰もいなかった)
一番後ろの席で、涙ボロボロ流していても
誰にも見えなかったのが幸運だったかも。

ヤバイぞこれは。

後半、気を取り直して
Vergnügte Ruh’, beliebte Seelenlust というカンタータは
小編成オーケストラに
カウンターテノール、プログラムにはアルトゥスとあったから
何かの専門用語なんだろう。

この男性ながらアルトの歌手
まんまるな目を見開いて、何かすごく可愛いのだが

え〜い、ドイツ語がクリアじゃないぞ!!!
前半のコーラスと歌手のドイツ語が見事だっただけに
聞こえてこないドイツ語と
最初のうちは声の色が不安定で
なんだこいつは?と思ったけれど

だんだん調子を取り戻して来て
バロックらしい声のコロコロの音程も安定して来て
発声も途中からキレイになった。
(最初、本当にヤバかった。だって男声に戻りそうになった部分あったもん)

それに、見た目が、可愛くて純真な感じがして
いつもビックリしているような丸い目がキュート ♡
(見た目で人を判断してはいけません(笑))

最後が Magnificat って
ううううう、これ、ラテン語だよね?
しかもプログラムによれば演奏時間40分?
宗教曲苦手なんだけど(冷汗)

(沈黙)

いやっ、信じられない!!!
何ですかこの曲、この演奏。
確かにラテン語なんだけど
一つ一つの曲が比較的短くて

しかも曲想の変化がものすごく多様で
曲の内容で全く違う音楽が次から次に出て来て

オーケストレーションの多様さも目まぐるしく
コーラスにソプラノ、バス、アルトゥスとテノール
様々な組み合わせで

これはまるでカレイドスコープ。

しかも、この音の透徹感の凄さ。

古楽器アンサンブルって
一応、そこそこ聴いている筈だが
だいたい、ちょっと音程がフラフラしていたり
ミスがあったり、あれあれ、何それ、というのがあったり
でも、それは古楽器だから仕方ないと思っていたのだが

このバッハ・コレギウムというアンサンブル
全然違う!!!

古楽器だからこその音の響きを徹底的に追求していて
よれよれにならず
あくまでも端正なのに、真面目過ぎてつまらなくもならず
モダン・オーケストラでも難しい透明さを持った音で
しかも、しっかりバッハの音楽の構成が見える。

うそ〜〜〜〜っ、バッハの音楽って
こんなに素晴らしかったの?
というより、今まで私、何を聴いていたんだろう?

あまりに聴き惚れていたので書き忘れそうになったが
このオーケストラとコーラスの巧さも特筆もの。

だいたいあのオルガン奏者、どういう人?
右手でオルガン、左手でチェンバロ。
踏めくりまで自分でやっているって、超人だよね?

オーボエやチェロのソロの見事な事。
華やかなハレルヤやアーメンで入るトランペットの輝かしい響き。

ラテン語の40分なんてアッと言う間に過ぎてしまい
世界がひっくり返ったような驚愕の中で

オフィスに戻って仕事していたアホな私に
どうぞ1クリックをお恵み下さい。



時事ネタは取り上げない主義の私だが
熊本の地震で
日本のあまりのリスク・マネージメント意識の欠如に
ああ、日本出て来て良かったかも・・・なんて
愛する故国に悲しい思惑を持たざるを得ないって
何とも言えない複雑な気分。

東京都交響楽団 + 大野和士

Wiener Konzerthaus Großer Saal 2015年11月23日 19時30分〜21時50分


Tokyo Metropolitan Symphony Orchestra

バイオリン Vadim Repin

指揮 Kazushi Ono


Claude Debussy (1862-1918)

 La Mer. Drei symphonische Skizzen (1903-05)

Sergej Prokofjew (1891-1953)

 Violinkonzert Nr. 2 g-moll, op. 63 (1935)

Peter Iljitsch Tschaikowsky (1840-1893)

 Symphonie Nr. 4 f-moll op. 36 (1877)


東京都交響楽団のヨーロッパ演奏旅行の最後は

ウィーンのコンツェルトハウスでのコンサート。


睡眠不足とその他諸々で

ちょっと精神的にも体力的にも限界に近いので簡単にメモだけ。


ドビュッシーの「海」は

実に繊細な作り方。

細かく細かく演奏するので

ちょっと音楽そのものが自然に流れず

技術的には巧いのだが、ボツボツ切れているような印象。


しかもオーケストラが

お行儀が良いというのか

一糸乱れずと言うか

印象としては、ものすごく控え目。


でも、最後にフォルテになると

とんでもない音量を出すので、ビックリした。


レーピンのソロでプロコフィエフのバイオリン協奏曲。

楽しかった(それだけかいっ!)

ドビュッシーと同じく

オーケストラの表現が細かいので

解像度は良いし、リズム感もある。

それなりのプロコフィエフのユーモアが楽しい。


チャイコフスキーの交響曲4番は

う〜ん、この間、フェドセーエフで、ちょっと決定版を聴いちゃったからなぁ。


オーケストラは巧いのである。

最初の金管だって、だれも素っ転ばず

一糸乱れぬアンサンブルで

ともかく正確無比の清潔な音がするし

元気も良いし

まるで、スコアをそのまま

はい、これが模範演奏です・・・・って


素晴らしい、ああいう演奏こそ

模範演奏として CD にしたら

予習としては非常に良い見本になりそう。


でも・・・

すみません、うるさい奴で・・・


面白くない(ボソ)


とことん徹底的にマジメで

音の揺れもなくて

理想的なテンポで理想的な音が出ているのに

そこに色気とか人間性とか心理的不安とか

全く感じる事がない「模範演奏」


音楽は色々だから

巧く演奏されて、何で文句を付けるんだ!という反論もあると思う。

でも、やっぱりウィーン交響楽団とフェドセーエフの時は

オーケストラが満身創痍でも

何かに憑かれたようなゾッとするものがあったけれど


都響+大野和士だと、何でこんなに「模範演奏」になるのか

私にはさっぱりわかりません。


でも大野和士は都響の方が合ってる(たぶん)

ウィーン交響楽団との、チグハグなマーラーよりずっと良い。

面白みは全然ないけれど

その意味では、音楽そのものを、そのまま舞台に乗せたわけで

それはそれで、素晴らしい演奏だったんだろうと思う。


所詮音楽なんて、ド・シロートには好みの問題ですし(笑)


コンサートの後も夜中1時半までちょっと仕事していたのに

印象だけは夜中過ぎ、というか明け方でも書かないと気が済まない

アホな私に、どうぞ1クリックをお恵み下さい。




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