トロント交響楽団 + ピーター・ウンジャン

Wiener Konzerthaus Großer Saal 2017年5月16日 19時30分〜21時50分

Toronto Symphony Orchestra
Wiener Singakademie
ソプラノ Carla Huhtanen
バイオリン Maxim Vengerov
指揮 Peter Oundjian

Pierre Boulez (1925-2016)
 Le Soleil des eaux für Sopran, gemischten Chor und Orcheser (1947-65)
Johannes Brahms (1833-1897)
 Konzert für Violine und Orchester D-Dur op. 77 (1877/78)
Béla Bartók (1881-1945)
 Konzert für Orchester Sz 116 (1943)

コンツェルトハウスの国際音楽祭の一環のコンサートで
あっ、ブーレーズがある!と気が付いた時には
貧民席は残っておらず
同じギャラリーでも比較的前の方の高いチケットを買ったのだが

う〜ん、ブーレーズ1作品で演奏時間10分。
しかも、みんな(たぶん)ヴェンゲーロフのファン(かもしれない)で
ブラームスのバイオリン協奏曲を聴きに来ている感じの聴衆の層。

よって
えええええっ、そのタイミングで咳するか、とか言うのが多かったけれど
まぁ、それはもう言わない事にする(諦めの境地)

さてブーレーズのカンタータ「水の太陽」は
1947年の作品なので
あの名曲、ル・マルトー・サン・メートルより以前の作品だが

ル・メルトー・サン・メートルを思わせる要素が多い。
ソプラノ・ソロが入る事もあるけれど
インストルメンタルのきっちりした骨組みの構成が
ル・マルトー・サン・メートルや
その後の傑作、プリ・スロン・プリなんかを思い起こさせる。

ブーレーズの曲を聴くたびに
その透明な音色感は
ほとんど人間不在を感じさせるのに
そんな透徹した人間の生臭さのない音楽なのに
人間の声を多用しているって、ものすごく不思議。

まだ澄んだソプラノの声だけであれば
オーケストラの一部に溶け込む事も出来るのだが

この「水の太陽」って、第二部で混声コーラスが入って
しかもこのコーラス部分
時々、かなり荒い目のシュプレッヒ・シュティメが入る。

音楽そのものと相反する
生っぽいコーラスの人間臭い叫び声って不思議な雰囲気。

まぁ、正直言うと
実はコレだけのために高い席を買っちゃったのだが
ブーレーズの曲って
周囲の咳や、バッグを探るゴソゴソ音とか
飴の包み紙のシャカシャカ音とかなしの
スタジオ録音の方が良いかもしれないなぁ。
(もちろん、ナマで聴けば、それなりの立体感は出てくるけれど)

ヴェンゲーロフのブラームス。
う〜ん、実は私、昔からあまりヴェンゲーロフとは合わないのだが

このバイオリニスト
以前は、もっと演歌調の歌わせ方をしてませんでした?

席が席だったのでデッドな音響だったのは確かなんだけど
以前に聴いた時のようなヤンチャ感に欠けていて
よって、以前のような
好き嫌いは別としてのキラキラ感がなくなって
何か巧いけれど、普通の真面目なバイオリンになっちゃった印象。

音には厚みと深みがあって
如何にもブラームスだぞ!と響くのだが

何せ最近の私のお気に入りは
例のコパチンスカヤなので
(すみません、比べる方が間違いです)

幕間の後は
バルトークのオーケストラのための協奏曲。
好きなんですよ、私、この曲。

・・・・だけど
う〜〜〜ん、私の耳がおかしいのだろうし
コンサートの後に久し振りに残業予定という
精神的な圧力もあったし

昨日、ミュンヒェン・フィルという
名人オーケストラを聴いてしまったばかりで

オーケストラ、いや、そりゃ国際的なオーケストラで
水準は高いのだろうが
(で、金管、とっても巧かったけど)
何か、ちょっと、私のイメージと違う。

だって第二楽章のスケルツォ
ファゴットがあのテンポに付いていくのに
かなり苦労していたというか・・・
(かなり早めテンポですっ飛ばした)

エレジーも、思い入れがなくて
アッサリとタメなしで
バルトークがアメリカという遥かな外国の土地で
故郷のハンガリーやオーストリアに思いを寄せた
という感傷が、ま〜ったく感じられない。

オペレッタからの引用も
ただ「おおお、楽しいわ」とか演奏されては
何か違う(と私は思う、私が間違っているかもしれない)

でもこれは、指揮者のピーター・ウンジャンの解釈によるのかも。
みんなプレイヤーは一生懸命だし必死だし
好意的に見れば、おお、頑張っとるのう、とは思う。

何ともカナダっぽい、とか言ったらイケナイのだろうが
(だって偏見だもんね)
キレイに演奏するけれど、それ以上のものは・・・という印象。
(もしかしたらブラームスも
 オーケストラがそういう感じだったからかもしれない)

オーケストラのアンコールも演奏したみたいだけど
(後で SMS でエルガーのエニグマのニムロッドという情報が入っていた)
ともかく、バルトークの演奏が終わったのが21時50分。

慌ててオフィスに戻って
残った仕事に取り掛かって
(締め切り、明日だと思っていたら今日だった・・・時差の関係で(汗))
真夜中前には帰れないだろうなぁ、と思っていたら
1時間で何とか片付いてしまい

うわ〜、ワタシって
実は事務処理仕事の天才だったのかしら
・・・と、アホな事を考えつつ(ハイになってる)
真夜中前に帰宅できた私に
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ウエスト・イースタン・ディヴァン・オーケストラ + バレンボイム

Musikverein Großer Saal 2017年5月1日 19時30分〜21時30分

West-Eastern Divan Orchestra
指揮 Daniel Barenboim

Wolfgang Amadeus Mozart (1756-1791)
 Symphonie Es-Dur, KV 543
 Symphonie g-Moll, KV 550
 Symphonie C-Dur, KV 551 “Jupiter-Symphonie”

日曜日のウィーン・フィルも行ったのだが
基本的に土曜日と感想変わっていないし
GW の真っ最中という事で
日本からのお客さまも多かったようなので
感想記はアップしない(というか書いてない(汗))

5月1日はメイデーでヨーロッパは祝日だが
ちょっと色々とバタバタあって
朝6時30分から飛び回ってオフィスにも行って
朝早くから17時30分まで、コーヒー2杯しか飲んでいない状態だったが
17時30分から自宅で急いで空腹を満たして出掛ける楽友協会。

・・・チクルスで持っていたから行ったんだけど
読者ご存知の通り
モーツァルト条件反射爆睡体質の私には
かなり辛いコンサートである。

しかも39番なんか
ウィーン・フィルとブロムシュテットで2回聴いて
間空けずに3回目(げっそり)

と思ったものの
行ってみたら、色々な意味で発見のある
面白い体験になった(ゲンキンなのワタシ)

このコンサート、「売り切れ」のシールが貼ってあったが
平土間あたりにはチラチラと空席もあって

私の周囲は(いつもの常連クラオタ1名以外は)
すべて観光客で
しかも、クラシック・コンサートなんて初めてです、というタイプ(偏見ですたぶん)

更に貧民席には
とある国からの家族連れ観光客の群れ(子供あり)
あんまり言いたくないけど
ある意味、かなり凄まじかったです。

でもまぁ、貧民席なんてそんなもんだし
それがイヤだったら高いチケットを買え、という事で
高いチケットは買えない収入なので(笑)
文句言っても仕方がない(諦観)

この間のウィーン・フィルの
この上なく純粋に音楽で優雅で高貴な39番と
このオーケストラとバレンボイムの演奏が、えらく違う。

このウエスト・イースタン・ディヴァン・オーケストラというのは
私の中では、純粋なオーケストラというよりは
バレンボイムの政治活動の一環という意味合いが強い。

で、それは非常に立派な事だし
バレンボイム自身は
それを政治活動とは言わず
一緒に音楽をするだけ、というスタンスを貫いているのはスゴイ。

で、もちろん巧いオーケストラだが
言ってみれば、学生オーケストラでもあるわけで

ウィーン・フィルの、あの純粋なプロオケの
優雅な響きと比べる事自体が間違っている。

と、ここまで前置き書いてから
オーケストラの悪口を言うワケではないけれど
ウエスト・イースト・ディヴァン・オーケストラの音は
やはり、かなり堅い。

ただ面白い事に、音質が堅いだけに
ピリオド奏法でもないのに
音がかなり鋭く響いて
かなり輪郭のハッキリしたキレの良いモーツァルトになってる。

ゆっくり目のテンポで始めた39番だが
途中からかなりテンポ・アップして
1回目のリピートは省略。
ある意味、粗く聴こえるほどのワイルドさで
すっ飛ばすモーツァルトで
爽快というよりは

何か怒ってるモーツァルト(笑)

焦燥感、イライラ感、もどかしい気持ちみたいなものが
もしかしたら、私が
え〜い、お前ら、音楽聴かずに雑音出してるなら出てけ
とか思っていた怒りとシンクロナイズした可能性はある。

そんな事でいちいち怒っていたら
楽友協会なんて行けないので気にしないように努力はしていたのだが。

いやでも、この怒れるモーツァルト
なかなか鋭い感じがして
今の気分にピッタリくる。

ウィーン・フィルとブロムシュテットの演奏より
個性が際立っていて(良いか悪いかは好みだが)
バレンボイムの熱い指揮振りも共感を呼ぶ。

う〜ん、これで40番はどうなるか、と思ったら

40番、もっと怒ってました(爆笑)

普通、40番って、もっと滑らかに美しく
純粋な音楽として、「キレイ」に演奏しちゃうじゃないですか。
それがもう、ゴツゴツしてマッチョで
モーツァルトって、こんな男性的だったんかい、と
ひっくり返ってビックリするような演奏。
(註 あくまでもワタクシの主観なので
   読者の皆さまはまともに取らないよう)

私がいくら周囲のマナーにぶち切れていたとしても
それに呼応するような荒々しいモーツァルトの40番ってアリ?

モーツァルト爆睡体質なのに
あまりに曲の焦燥感と怒りがぐんぐん迫って来て
全然眠れません。

幕間の後のジュピターは
前半に比べると、なんかおとなしいというか凡庸というか
いや、曲そのものがそうなんだろうなぁ。
最後のシンフォニーという事で高く評価されてはいるが

ベートーベンの最後の交響曲9番を作曲せずに
8番で終わっていたら、こんな感じかも・・・

ジュピターって、派手で輝かしい音の造りではあるのだが
やっぱり39番とか40番に比べたら
古典回帰と言うか
一般ウケ狙ってましたね、って言うのが比較的よく見える(ような気がする)

それに、モーツァルトばっかり聴いて
飽きて来たのもあるのだけれど
最終楽章、むちゃくちゃシツコイですね、これ。
同じメロディの繰り返しを
どうだ、ほら聴け、またやったるぞ
・・・というしつこさで
延々と転調繰り返すんだもん。

苦手なイタリア・オペラの
死ぬ死ぬ、と言いながら
なかなか死なないテノールとかソプラノを
うんざりしながら聴いている気分。

モーツァルト・ファンの皆さま、ごめんなさい。
ウチのモドキにこんな事を言おうものなら
キミはバカだから、モーツァルトをわかっていない、という理屈抜きの反論を
延々と聞かされる羽目になりそうで
そう言う事を言いたい読者の方も絶対にいらっしゃると思うのだが

こればかりは人の好みですし
私、専門家でもなければ
音楽批評をしている訳でもなく
あくまでも個人用の自分のためだけの感想記ですので
どうかお許し下さいまし。

連続モーツァルトが終わって
今週はストラヴィンスキーのバレエの追っかけその他
日本の連休の間は
オフィスからは休暇を取って遊ぶ予定の私に
どうぞ1クリックをお恵み下さい。


シモン・ボリバル交響楽団 + グスターボ・ドゥダメル

Musikverein Großer Saal 2017年3月30日 19時30分〜20時50分

Simón Bolívar Symphony Orchestra of Venezuela
指揮 Gustavo Dudamel
コーラス Singverein der Gesellschaft der Musikfreunde Wien
ソプラノ Julianna Di Giacomo
メゾソプラノ Tamara Mumford
テノール Joshua Guerrero
バス Soloman Howard

Ludwig van Beethoven (1770-1827)
 Symphonie Nr. 9 d-Moll, op. 125

シモン・ボリバル交響楽団とドゥダメル
ベートーベン・チクルス最終日。

スコア持ち込んでいつもの席に座ったものの
春眠暁を覚えずとやらで
夕方になると眠くて眠くて仕方がない(涙)

スコア見ながら寝込んだら
これこそ本当のアホなので
(しかも手元から滑ったスコアが床に落ちれば
 楽友協会ではホール全体の顰蹙を買う騒音と化す)
最初はドゥダメルの指揮姿を拝見。

日曜日のコンサートは
新聞評がこぞって
トラディショナルでおとなしくて
(つまらん、とは書いていなかったが)
・・・と、かなり何だこりゃ、という感じだったのを
オーケストラと指揮者が読んだかどうかは不明だが

第1楽章から、そんな大きな音で始めてしまって良いんでしょうか?

最初は静かに始まるものだ、と思い込んでいると
かなりギョッとする。
あの音量で、クレッシェンドにするかと思うと
気が遠くなりそうだったのだが

しっかりクレッシェンドで持って行って
いやはや、初日の交響曲でのおとなしい演奏は何だったんですか?という
すごい音量と速めのテンポで
グイグイ押してくる。

最初の楽章から
ううううん、音楽って
ある程度の大音響と速いテンポだと
みんな生理的に乗せられてしまうんだなぁ、と実感。

面白い事に
短調の部分は割に平坦なのだが
長調になると急に音楽が活き活きするのは
オーケストラとドゥダメルの資質によるものなんだろうか。

第2楽章はテンポに乗れば
カッコ良く聴こえるので
これはリズム感抜群の指揮者には楽勝でしょう。
オーケストラもよく付いて来ていたし
キリッと締まった小気味良い演奏になった。
(しかもテンポ速いからあっという間に終わる)

ところが、緩徐楽章になると
う〜ん、丁寧に丁寧に
ものすごく長いボーゲンで音楽を描いているのだが
ドイツ語で言うところのプラカティーフ。

このプラカティーフって、よく見る単語で
まるでポスター(プラカート)のような、と言う
まぁ、褒め言葉ではなく(ポスターが悪いとは言ってません)
強いて日本語に訳せば
表面的、二次元的、よく出来ているけれど大量生産的、平面的
と言うのが、すべて混ざった感じの言葉。

ゆっくり目のテンポで
丁寧に歌わせてはいるのだが
音楽が平面的で
音が立ち上って来ないのである。

だから聴いていて、ちょっと退屈。
ついつい立ったまま眠りこけそうになったのはここ。

立ったままも疲れるし
立ったまま寝るとガクンと来るし
いくら高校大学時代に立ったまま眠る特技を身につけたとしても
ここで寝てどうする?!というのがあったので

最終楽章は、持って来たスコアとにらめっこ。

第3楽章から最終楽章にアタッカで繋げる指揮者もいるが
ドゥダメルは各楽章ごとに、しっかり休んでいたので
バッグからスコアを出して準備万端。

で、この最終楽章が
もう笑っちゃうほどに力任せの
ほとんどヤケッパチかこれは、という音量とテンポ。
(註 むちゃくちゃテンポが速いし、音が大きい)

良いのかこれで。
スコア見てると、恐ろしい数の音符が飛びまくっているのだが
これ、本当に全員、全部弾いてる?
(シロウトだからわかりません)

何せテンポが速いので、どんどん進む。
スコアも捲って捲って捲って状態で
あれよあれよと言う間に音楽が進んでいって

バスのソロ

すごい声量でビックリ。
ホールに響き渡る見事な美声の大音響のバス

・・・・は良いんだけど
音程が不安定で、どんどんズレてますが(汗)

それに楽譜見てると
その音で歌ってないじゃん、というところがあって
でも、今までの経験でも
しっかり全部の音を音程外さず歌ったバスは
いなかったような気がするが、どうなんでしょうね、あれは。

だいたい、ベートーベンは
これが実際に人の声で歌えるか、なんて考えてなかっただろ、たぶん。

テノールは甘い声で声量もあって
この人の音程は安定していて
かなりのテクニックの持ち主。

ソプラノが、声は伸びるんだけど
やっぱり多少音程がフラフラしていてアセアセ。

4重唱になると
高音の h をものすごく甲高いフォルテで出すので
(しかも時々ずり下がる)
4人の歌手の怒鳴り合い状態になっている。

・・・でも、これはよくある事なので(わはは)

このコーラスのソプラノも、何回か h があるんだけど
さすが楽友協会合唱団で
合唱団の方がソリストより音程がしっかりしてる(爆笑)

すごい速度の、すごい音量で
最初から最後まで
超高速運転でぶっ飛ばした最終楽章。

音が団子状にならずに
かなりしっかりまとまって聴こえては来ていたが
弦のあの音符の多さって・・・・すごいですね(感心)
本当に全部あれを弦楽器奏者って弾いてるんだろうか(邪推)
(まぁ、オクターブが飛ぶところなんかは
 ピアノと違ってボウで処理できるんだろうけど)

あそこまでトゥッティの全員が力任せの
大音響の演奏だと
各パートが本当にちゃんと演奏しているかなんて
ド・シロウトの私の耳にはわからないし

ともかくすごい速さの大音響に巻き込まれて
あれよ、あれよと言う間に終わり・・・・

そりゃブラボー・コールが飛び交うわ。
人間って、生理的に大音響に反応しちゃうもん。

言ってみれば、ロックンロールというか
ハードロックというかヘヴィメタルと言うか
聴衆もオーケストラもコーラスも
大音響の中で、ひたすら陶酔、という印象。

う〜ん、ベートーベンって
やっぱりヘヴィメタルだったんだなぁ(違うかも)

何と言うか、洗脳されてしまうのだよ。
楽譜見ながらひぇ〜、と思っていた
比較的いつも冷静(ホント?)な私にしてからが
圧倒的な音量のエネルギーにすっ飛ばされそうになったし
これ、一歩間違えば
集団洗脳のプロパガンダ音楽になりかねない危険性のある曲だね。

カトリック教会も
キリエ・イレイソンとかミサ曲を聴かせる代わりに
このベートーベンの交響曲9番をミサで聴かせていたら
もっと布教できたかも(すみません(汗)極論です)

だいたい私はこの曲にあまり良い思い出がないし
(ごめんなさい、ここで書けない職業上の理由です)
この曲はウィーンでの演奏回数はかなり少ない。

今まで聴いたなかで印象に残っているのは
ティーレマンとウィーン・フィルのベートーベン・チクルスの
やっぱり全員が火の玉となって
浮かされたような(ついでにミスもあった)
色々な意味でとんでもないコンサートと

ウィーン交響楽団がコープマンと
見事にピリオド奏法で演奏したコンツェルトハウスの
年末のコンサートと

ベルリン・フィルとラトルのベートーベン全曲の時の
パリでのテロの次の日に演奏された
これもまた
何かに憑かれたような、まるで祈りのような演奏くらい。

(あら、こうやって書くと、結構聴いてるのか・・・)

これを聴くたびに
良いか悪いかはともかくとして
ベートーベンって、まぁすごい曲を書いたんだなぁ、と

音楽の持つ恐ろしい力に
ちょっと、いや、かなりコワイ思いをしてしまう私に
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ウィーンの日中の温度が突然20℃を越えたりすると
やっぱり体調おかしくなります。
夜は寝られないのに日中が眠くて眠くて
(仕事したくないだけだろ、という意見もある(自爆))

ニューヨーク・フィルハーモニック + アラン・ギルバート

Wiener Konzerthaus Großer Saal 2017年3月29日 19時30分〜21時40分

New York Philharmonic
指揮 Alan Gilbert
ソプラノ Christina Landshamer

Béla Bartók (1881-1945)
 Musik für Saiteninstrumente, Schlagzeug und Celesta Sz 106 (1936)
Gustav Mahler (1860-1911)
 Symphonie Nr. 4 G-Dur für großes Orchester und Sopran-Solo (1899-1901)

楽友協会ではカリスマのドゥダメルが
ベートーベンの交響曲7番と8番を演奏しているが
こちらはコンツェルトハウスで
ニューヨーク・フィルハーモニックとアラン・ギルバートの指揮のコンサート。

数日続けて楽友協会の音響に耳が馴らされてしまうと
コンツェルトハウスのかなりデッドな音響が異質に響いてはくるが

コンツェルトハウスのこのデッドな音響は
その分、オーケストラの細かい部分の音を
容赦なく聴衆に届けて来て
楽友協会のように、多少の難は隠してくれるような優しさはない(笑)

バルトークの弦楽器と打楽器とチェレスタのための音楽。
舞台にビッシリ並んだ弦楽器の群れ。

見事に揃ったアンサンブル
ビオラの最初の出だしから、腰が抜けそう。

弦で丁寧に丁寧にカノンのように登場するメロディの重なり。
一分の隙もないアンサンブルが
ドライな音色で響いて来る。

ギルバートの指揮は熱くならない。
精密に音楽を描いていくけれど
音符をそのまま舞台から観客に届けているような
誠実さを感じる。
その意味では、ドラマチックとは言い難くて
何とも洗練された
現代音楽のような風味の緻密な演奏に聴こえる。

いやでも、このオーケストラ、巧いね(今さら何を)

チェレスタがほとんど聴こえて来なかったけど
(ピアノはよく聴こえて来た)
これって、そういう曲だったっけ(って私、寝てた?)

何か久し振りにこの曲を聴いたような気がする。
確かに有名なのだが、あまり演奏されない曲だしなぁ。

後半はマーラーの交響曲4番。

久し振りにナマで聴くけれど
すごい皮肉に満ちた曲で
美しい曲想に酔っていると
突然、激しいビンタで引っ叩かれるような曲だな。

コンツェルトハウスのデッドな音響もあるけれど
徹底的に室内楽的。
細かい部分まで実に精密に
感情任せにせずに
徹底的にアンサンブルを揃えたという印象がある。

天井桟敷の貧民席は
ホルンの位置によっては
この楽器だけ突出して聴こえて来る時があって
今日も、かなり飛び出してはいたのだが

ホルンの首席、スゴイですこの人。
弱音でかなり長く伸ばしている部分があるのだが
まぁ、よくぞ見事にあの音を、あの弱音で・・・(驚嘆)

ここまで精密に演奏されると
曲そのものの持つ不気味な力が際立ってくる。
何も特殊な奇を衒った事はしていないのに
第1楽章からして、相当不気味である。

第2楽章は、これは本当に不気味にやろうとしたら
かなり気味悪い演奏になる事もあるのだが
そこは、オーケストラとギルバートは
比較的あっさりと持って来た。
マーラーの底なしの病的暗さではなく
あくまでも踊るメロディを届けて来た感じで
かなり現代的な透明な色感で
まるでガラスで出来た建築物か何かを見ているような印象。

遅めテンポで丁寧に丁寧に描かれる第3楽章。
ここまで遅めだと、ウエットになる事も多いのだが
あくまでもドライな印象を保ちつつ
不思議な別世界に観客を誘って行く。

最終楽章のソプラノがまた良くて・・・
楽友協会の音響とは全く違うから
楽友協会で同じ曲を聴いたら、また印象が全く変わるのだろうが
ものすごくキュートな声で
あまりマーラーっぽい皮肉とかは感じなかったけれど
ともかく、むちゃくちゃカワイイ。

終わってみたら
すっぽりと、現実という名に開いている穴に
落ち込んでしまっていて
現実に全然戻れない・・・

何も特別な変わった演奏ではなかったのに
(しかも、ドラマチックとか鬱病になりそうな暗さもなかったのに)
全く違う別世界に飛ばされてしまったような不思議な気分。

ヒットメーカーのベートーベンを続けて聴いた後に
マーラーの曲を聴くって
ある意味、非常に危険だと思う。
ベートーベンなら
1800年代のウィーンにすっ飛ぶ事はあっても
あくまでも「現実」の上に立っていられるのだが
マーラーは、近代という、今に近い時間軸にあるくせに
とんでもない病んだ不思議な世界に
知らない間に連れられて行ってしまう事がある。

ニューヨーク・フィルハーモニックの設立は
ウィーン・フィルの設立と同じ年なのだそうで
ニューヨークでは、その展覧会も行なわれているようだ。

同じ年に出来たとは言え
全く違う音色を持つオーケストラだよね(笑)

明日はまたベートーベンに戻るけれど
マーラーを息抜き、あるいは箸休めと思って聴きに行って
違う世界に飛んでしまった私に
どうぞ1クリックをお恵み下さい。



風は強かったものの
日中22℃まで上がって
急に春が来た、という感じ。
(もっとも4月の天気は気まぐれだからまだわからない・・・)

シモン・ボリバル交響楽団 + グスターボ・ドゥダメル

Musikverein Großer Saal 2017年3月28日 19時30分〜21時20分

Simón Bolívar Symphony Orchestra of Venezuela
指揮 Gustavo Dudamel

Ludwig van Beethoven (1770-1827)
 Symphonie Nr. 5 c-Moll, op. 67
 Symphonie Nr. 6 F-Dur, op. 68 “Sinfonia pastorale”

唐突で申し訳ないが
ワタシはアホである。
もう救いようのないアホで
もしかしたら、既にアルツハイマー入ってるかも(涙)

3月26日のコンサートを聴いて
よし、月曜日と火曜日も行こう、と即決心。

売り切れとは書いてあったが
舞台上に席を作ったようで
慌てて幕間と帰りの地下鉄の中で
スマホでインターネットに入ってチケットを買って
自宅の PC からプリント・アウトして

本日夕方18時過ぎに
さぁ、今日も舞台上だ、とチケットを取り出してみたら

日付が違う・・・・(茫然自失 😱)

慌ててウエブに入ったものの
「当日残券は窓口にて」と書いてあるだけ。

えええええっ
だって、持ってるこのチケットのコンサートの日って
私、行けない日だし

しかも今日はベートーベンの交響曲の中でも
最もポピュラーな5番と6番。

行けないチケットを戻さねばならないし
(再販できなかったらもう仕方ない)
それで今日のチケットがなかったら
仕方ないから、帰宅してフテ寝しよう、と
悲愴な決心で向かう楽友協会。

結果的にはチケットあったんですけど
その後の事はあまり書きたくない・・・

何でこの席、45ユーロもするんですか(涙)
しかも
できるだけオーケストラから離れたところで、と言ったのに
座ってみれば一番近いところ。
(席の並びがいつもと違って不規則だった)
コントラバスが目の前で
左手にはホルンが朝顔をワタシに向けて座っている。

周囲に日本人らしき何人かがチラホラしていたし
これ書いたら顔バレするんじゃないか、と思ったが
わはは、私、それほど有名じゃないから大丈夫だろうきっと。

妙齢の美人のコントラバス奏者が
美しい筋肉質の腕を晒し出して前に居るのは良いのだが
(お前はオジサンかっ)
もちろん、このプレイヤーがしっかりと視界を遮っていて
指揮者なんか全く見えない。

オーケストラ・スコアをバッグの中に忍ばせているのだが
観客からバッチリ見える席で
スコア広げて見るだけの勇気はない(涙)
(あぁ、せめて2列目か3列目かだったら良かったのに。
 見えないのは同じなのだし・・・)

よって、ベートーベンの交響曲5番は
コントラバスの音と
時々入るホルンの咆哮と
何故かその前に座っている木管が響いて来て

例によって例のごとく
(あの席はそういう席なのである)
楽譜の裏返し状態。

オーケストラの中に入って音を楽しむ
あの Im Klang と思って開き直るしかないわ、もう。
Im Klang だってチケットの値段はけっこうするし(やけっぱち)

ある意味、現代音楽を聴いているようなもの(言い過ぎ)
最初から最後まで
コントラバスと(いや面白かった。6本ありました)
ホルンと木管ばっかり聴いていた。

音の響きとしては、ものすごく面白かったのだが
これこそ、ベートーベンの5番には聴こえません。
(席のせいです)

本当に会場は満杯状態だった。
でも、
あのホルンの朝顔しっかりコッチに向いてます状態で
パストラーレの農民の騒ぎとか聴いちゃったら
難聴になりそうだったので
何とか逃げて来た。
(周囲の人は、あ、帰った、と思っただろう)

交響曲6番「田園」は
この間もウィーン・フィルで3回
ウィーン交響楽団で1回聴いたばかりなのだが

う〜ん、唸るよ、この曲。
タッタカ・タッタカの繰り返しとか思っていたけれど
この構成の妙と
楽器の使い方の絶妙さに圧倒されるばかり。

無駄な音が一切なくて
必要な音は全部揃っているという・・・(沈黙)

ドゥダメルの田園
刻みをあまり前面に出さず
スラーがかかっている小節を
時々、もっと長いスラーで演奏したり
全体が無理のない自然な進み方をしているし
各楽器のバランスの取り方が巧い。

第一楽章の繰り返しは、今回はきちんとやった。
でも冗長にならず
刻みとレガートのコンビネーションを
実に巧く演奏して、飽きさせない。面白い。

農民の祭りはえらくピアニッシモで始めて
なんかおとなしいじゃないか、と思ったら
騒ぎ出したら凄かった(笑)

ただ、最初の日にあったような
オーケストラの音が団子、というのは
2日目から全くなくなった。
たいした指揮者だよ、この人・・・(脱帽)

どの演奏が何とか、とか言うのではなくて
技量のあるオーケストラが
優秀な指揮者で演奏したら
細かい部分の表現はともかくとして
作品そのものの持つ力が凄くて、圧倒されてしまう。

ドラマチックでちょっとウエットで
強弱が激しい演奏だったけれど

ドゥダメルって、ソツがない、というか
あれだけカリスマ纏って何年か前に
彗星のごとく登場した天才指揮者ではあるのだけれど
割に「優等生」っぽくなっちゃった感触。

初期に聴いた頃は、もう少し尖っていた印象があるんだけど
物馴れて来た、と言って失礼なら
成熟した、というか
ヨーロッパ慣れして
一流の生活に慣れて来たんだろう、というのが
音楽にも出ているような気がするのは

私の勝手な思い込みなので
読者の皆さまはマジメに取らないようご注意下さい。

音楽家や指揮者はハングリーであれ、とか
訳のわからない価値観を押し付ける気は一切ありませんので。

うおおおお、とか、ひええええっ、とか
大声出して喚きたくなって
椅子からずり落ちるような演奏ではなく
やっぱり、かなりマトモでヨーロピアンな演奏だったけれど

その意味では
さして悩みもなく
かなり明るい音色の楽しい楽しい楽しいベートーベンで
しかめっ面して
難しい顔をして、演奏どうのこうのと言う
アホな(私のごとき)ド素人評論家モドキは張り倒して

儂はヒットメーカーだぞ
何か文句あるか、楽しく聴け〜!!!(祝ベートーベン)

・・・ワケわからん事を書いてごめんなさい。

でも難しい哲学的云々は全くなく
文句なしに
ハイリゲンシュタットのお散歩も
農民の酔っ払いの喧嘩も
嵐も雷も、その後の水滴が樹から落ちて太陽燦々の風景も
目一杯楽しませてもらったコンサートだった。

財布には大打撃だったけれど
(それでなくとも
 ザルツブルク音楽祭だの
 トーンキュンストラーや楽友協会や
 コンツェルトハウスのチクルスもそろそろ請求書が来る筈)

まぁ、飢え死にまでは行かないから
(近いうちに行くかもしれないが(爆))
この歳になったら
楽しい思い出しか天国には持って行けないので(たぶん)
フテ寝じゃなくて、ベートーベン聴けて良かった、と
ひたすら自分を納得させようとしている私に
どうぞ1クリックをお恵み下さい。



シモン・ボリバル交響楽団 + グスターボ・ドゥダメル

Musikverein Großer Saal 2017年3月27日 19時30分〜21時30分

Simón Bolívar Symphony Orchestra of Venezuela
指揮 Gustavo Dudamel

Ludwig van Beethoven (1770-1827)
 Symphonie Nr. 3 Es-Dur, op. 55 “Eroica”
 Symphonie Nr. 4 B-Dur, op. 60

私はアホだが
周囲に賢人の知人が多いので(有り難い!)
シモン・ボリバル交響楽団の説明をしてもらった。

2011年からユースではなくなって
このオーケストラの下に
テレサ・カレーニョ・ユースというオーケストラがあり
彼らが今はナショナル・ユースの地位にある

という情報をいただいた。
(N.G. さま、感謝です ♡)

さて、音楽家というのは
ほとんどブラック企業じゃないのか(しかも肉体労働)と思うほど
今回のシモン・ボリバルの公演は
日曜日に1番・2番と序曲を2つ
月曜日に3番と4番
火曜日に5番と6番
水曜日に7番と8番
木曜日に9番
・・・・って、一日も休みナシ。

リハーサルとかもあるだろうし
体力的にも精神的にも、かなりキツイと思うのだが
ちゃんとチケット買って行っている聴衆としては
集中的にベートーベンの交響曲を聴けるのは、それなりに楽しい。

というより、最初は行く気なかったんだけど(汗)

さて交響曲3番、エロイカ。
スコアを広げつつ聴いていたのだが
すごいエネルギー。

昨日の1番と2番のお行儀の良さはどうした?!(笑)
あ、もしかして、ネコ被ってました?(爆笑)

楽譜の音符の間を破って
立ち上ってくるエネルギーにクラクラする。
音量が大きいとかではなく
フォルテはきちんとフォルティッシモとは区別しているのだが
出てくる迸るようなエネルギーの総量が大きい。

オーケストラの技量としては一流だが(失礼な言い方)
このオーケストラをドゥダメル以外の指揮者で聴こうとは
実はあまり思わない(すみません)

ほんの小さなズレとか不揃いとか音程の上下が
ないわけではないのだけれど
そんな事、全く気にならないくらいの力強さで
グイグイ押してくるところは
すごくベートーベンらしい。

まぁ、その意味では昨日と同じく
かなり「正統派」の「伝統的」な演奏であって
どこかの異端指揮者がやっているような
なんだこれ本当にベートーベンかよ、という演奏ではない(笑)

4番を聴いていて思ったのだが
ドゥダメルって、時々、なんか突然、浪花節になるところがあって
ズルッとセンチメンタルでウエットになる箇所がある。

いや、それが良い、という人ももちろん多いだろう。
割に「ロマン派」っぽい解釈で
(だからエネルギッシュでドラマチックにもなる)
時々、細かいアンサンブルを犠牲にしても
力任せで音を出してしまうところもある。

丁寧に、時々かなりウエットになって歌わせた第2楽章が
ちょっと丁寧すぎて、かなり冗長に響いたなぁ、と思ったら
第3楽章が、かなり重たくて驚いた。

そりゃあの弦のアンサンブルを
あそこまで鳴らしたら、あの部分が重くなるのは当然だが
一応アレグロ・ヴィヴァーチェなんだけど
なんかズルズル引き摺る感じ。

それに比べると1楽章と最終楽章の
アップテンポな楽章の処理は見事で、しっかり夢中にさせてくれる。

無理な大音響は出していない。
かと言ってピリオド奏法みたいにドライな音ではなく
しっかりロマン派の香りがするので
楽友協会ホールの音響にピッタリ嵌って
この上なく美しい音響になる。

まぁ、ここら辺の事を言い出すと
もう「好み」の問題でしかない。

しかしベートーベンってやっぱり人気があるんだなぁ。
コンサートはバッチリ売り切れで
もちろん常連のクラオタ連中の顔も見かけるけれど
それ以上に
今回が初めてのコンサート♡ という感じの観客も多い。
(そぶりを見ていればわかります(笑)ヤな奴だなワタシ)

でもベートーベンって楽しいでしょ?
当時のヒットメーカーだもん。
ドゥダメルは3番の最初のリピートはしなかったけれど
その後のリピートは(4番は全部)ちゃんと演奏して

聴き込んでいる曲だから
それが多少冗長に聴こえてしまった、というのはあるかもしれないけれど

CD もラジオも Youtube もない時代には
ナマで聴くしかなかったのが音楽というモノだったから
初めて聴きます(特に4番はそういう人が多いかも)という人には
面白かったと思う。

明日は5番と6番。
さすがに明日のコンサートは完全に売り切れで空き席がないだろうから
舞台の上で目立たないように寝てます・・・あっ、いやいやいや
舞台の上でスコア広げてるのも恥ずかしいので
しっかり聴いて来ます(ホントか?)と
堅い決心をしている私に
どうぞ1クリックをお恵み下さい。


シモン・ボリバル交響楽団 + グスターボ・ドゥダメル

Musikverein Großer Saal 2017年3月26日 19時30分〜21時30分

Simón Bolívar Symphony Orchestra of Venezuela
指揮 Gustavo Dudamel

Ludwig van Beethoven (1770-1827)
 Ouvertüre zu Goethes Trauerspiel “Egmont”, op. 84
 Symphonie Nr. 1 C-Dur, op. 21
 Ouvertüre zu “Coriolan”, op. 62
 Symphonie Nr. 2 D-Dur, op. 36

ドゥダメルがあっという間に世界中でキャリアを作って
ベネズエラのシモン・ボリバル・ユース・オーケストラが
世界中で招聘されるようになったと思ったら

微妙に名称が変わって、ユースが消えて
シモン・ボリバル交響楽団になってる。

???

いや、メンバーの年齢を見ればわかるだろ、という
読者のもっともなご意見、わかりますが
私の持っている貧民席からは
オーケストラは何にも見えませんってば。
編成さえわかりません(汗)

まぁ、それはともかく
立てば指揮者だけは見える(笑)

エグモント序曲とコリオラン序曲は
指揮者ドゥダメルを正面から拝見。

ドゥダメルがまだほとんど無名だった頃
ウィーン交響楽団で春の祭典を振ったのを
たまたまコンツェルトハウスのオルガン・バルコンから見て
すごいカリスマ、と思った後

どんどん有名になって
ロサンジェルス・フィルハーモニックの常任になった頃から
何だか普通の男の子になっちゃったなぁ
最初のカリスマ性は何だったんだろう?という時期があったが

すみません!!!
やっぱりカリスマだわ、この人(汗汗汗)

エグモントとコリオランが
オペラの序曲、という事を、すっかり忘れていたのだが
(だってコンサートでしか演奏されないし ← 当たり前だが)
ドゥダメルとシモン・ボリバル
実に劇的な構図を全面に出して来て
しかも、ものすごく丁寧に造り込んであって
音楽的にも非常に水準が高い。

後半のコリオラン序曲の前に
ドゥダメルが英語で何か、偉大な指揮者と指導者の
アブレウに捧げるとか言ったようだが
コリオラン序曲の迫力が半端じゃなかった。
ちょっと怖かったくらい。

ベートーベンの交響曲1番はスコアに頭突っ込んで聴いていたが
これも、ものすごく丁寧に造り込んでいて破綻がない。

フォルティッシモになると
時々音響が団子にはなるのだが(それはまぁ、仕方ない)
かなりの解像度と透明感があって
躍動するリズムと相まって
新鮮でフレッシュな音感で、これはゴキゲン。

いや、実はベネズエラの昨今の事情を考えると
(ご存知、ベネズエラの貧富の差は激しく
 政権が変わった後は、慢性的日常品不足で・・・)
何となく能天気にベネズエラのオーケストラを聴く気になれなかったのだが
このベートーベン、すごく良い。

2番は3楽章あたりから
ちょっと緊張感が緩んだ印象があったけれど

それはもしかしたら、私が眠たかったからかもしれないし(自爆)

丁寧に造り込んでいるだけに
若い指揮者や若いオーケストラに有り勝ちな
破天荒で荒々しいベートーベンとは対極にある。

シモン・ボリバル・ユース・オーケストラを期待して来た向きには
あまりにおとなし過ぎる正統的な演奏で驚いたかもしれない。
(ハッピ着て踊るマンボもなかったですし(爆笑))

失礼な言い方だが
若い指揮者とユース・オーケストラにあるような
ちょっと傷があっても
情熱と熱気で押し切ってしまえ、という演奏ではなく
マジメで正統で優等生の演奏になっていて

ただリハーサル時間を充分に取っている(だろう)から
ウィーンのプロオケが
ああ、ベートーベンね、と適当に演奏するのとは全く違う。
(註 ウィーンのオーケストラは
   ベートーベンは適当に演奏します、とは言ってません)

時間をしっかりかけて
ここまでの水準に育てた、という感触があって
それがとても爽やかな感じに響く。

が・・・
同時にシモン・ボリバル・オーケストラも
(ユースが何故付かないのかは疑問として残るが)
世界的水準に達した
普通のプロ・オーケストラになっちゃった
という感じは否めない。

ベネズエラのローカル性とかあったら
反って怖いか(笑)

普通のプロ・オーケストラとして聴いてみれば
音楽的な水準は非常に高い。
ベートーベンの交響曲チクルスも
これなら気持ち良く聴けそうである。

というワケで
売り切れとか出ていたけれど
見たら、まだ舞台上の席はあったので
月曜日・火曜日も行く事にした。
(こういう判断は早いのワタシ。
 先週の臨時収入は、これにて赤字となりました(自爆))

ドゥダメルの指揮を見ていて思ったのだが
この人の指揮、アメリカ風だね。
音楽と指揮の動きがほとんど同時になってる。

ヨーロッパの指揮者は
動いた後にオーケストラがそのキューをなぞるのだが
指揮者の動きのほんの一瞬後にオーケストラが反応するのが
結構面白かったりする。

思いがけなく楽しいコンサートで
ドゥダメルの古典=ベートーベンというのが
意外に正統的ヨーロピアンだった事を
喜んで良いのか
残念に思うべきなのか

ちょっと迷っている私に
どうぞ1クリックをお恵み下さい。



NHK交響楽団 + パーヴォ・ヤルヴィ

Wiener Konzerthaus Großer Saal 2017年3月7日 19時45分〜21時55分

NHK Symphony Orchestra Tokyo
バイオリン Janine Jansen
指揮 Paavo Järvi

Jean Sibelius (1865-1957)
 Konzert für Violine und Orchester d-moll op. 47 (1903-04/05)
Dmitri Schostakowitch (1906-1975)
 Symphonie Nr. 10 e-moll op. 93 (1953)

天下のNHK交響楽団さまに
このブログで文句付けるほど恐ろしい事はないので
書こうかどうしようか散々迷ったのだが

書く程の文句もないので(爆笑)
やっぱり備忘録として書いておく。

高校・大学と
お小遣いなるものは
すべて(専門書籍を除く)
都内の様々なオーケストラの
一番安い学生会員券につぎ込んで来た私だが

NHK交響楽団の定期会員には
最後までなれなかったという苦い思い出がある。

(註 当時はマトモなホールは東京文化会館と
 日比谷ホールくらいだったのである)

お陰で化粧とかお洒落とか女性らしい楽しみを知らずに、あ、いやいやいや(汗)

まぁ、前置きはともかくとして
NHK 交響楽団のヨーロッパ演奏旅行
凄まじいスケジュールで
昨日はロンドン、本日飛んで今日はウィーン
明日はケルンとか言うブラック企業系の詰め込み方(笑)

さてジャニーヌ・ヤンセンの
シベリウスのバイオリン協奏曲。

ものすごく細い線のバイオリンだなぁ、という印象。
オーケストラは
フル・オーケストラなのに
すごく薄めの音がする。

その分、透明感があって
まるで室内オーケストラのような軽さ。
線の細いバイオリンを盛り立てているかのよう。

すごいテクニックだという事は
シロウトでもわかるけれど
加えて内向的というか
誉めていえば哲学的音楽観とか言っちゃえば良いのだろうが

何か聴いていて、息苦しい。

自然に出てくる、というのと正反対の
無理やり絞り出している苦痛みたいなものを感じちゃう。
(そりゃ、お前の精神状態を反映しているだけだろ、という意見もあり)

明るさとか、わき上がるメロディとかと
極端に離れたところにあるシベリウス。
しょせんシロウトですから
ただの印象ですけど。

オーケストラの響きが
あまりに室内楽的で
う〜ん、こういうのアリか、と思いつつ
後半のショスタコーヴィッチへ。

この曲、私は大好きである。
楽友協会の大ホールで演奏されなければ・・・だが。

今回はコンツェルトハウスなので
どんなに大音響でも大丈夫だ、
それ、日本の誇るNHK交響楽団
どんどん大音響で弾けろ〜っ、行け〜っ

という心持ちで聴き始めて
ちょっとひっくり返った。

すみません、N響って
いつから、こんなに「歌う」ようになった???

アンサンブルの揃い方が見事なのは
優等生揃いの日本のオーケストラというので
驚きはしないけれど

最初の悲痛なピアニッシモのところから
メロディが長いボーゲンで語られて
細部まで抑制が効いて
ハッとする程に滑らかで美しい。

丁寧に丁寧に丁寧に歌わせていくパーヴォ・ヤルヴィに
ぴったり付いて
弦の響きがまろやかで

しかもこのオーケストラの木管
何て巧いのよ!!!!

特にファゴットだかバスーンだか
どうせシロウトには判断つきませんが
ともかくファゴットだかバスーンだかのソロ
こんな見事なソロって
この曲にありましたか?(アホですどうせ)

シベリウスの時にも聴こえた
「スッキリ」感がここにもあって
音が押し付けがましくない。

アンサンブル見事に揃って
細かいパッセージも完璧に演奏するのに
ともかく、メロディが見事に歌うのだ。
しかもイタリアっぽいカンタービレじゃなくて
もっと慎ましい感じで

言ってみれば、立てば芍薬、座れば牡丹の
大和撫子風の端正な、慎ましやかな美しさ。

フォルテの部分になると
パーヴォ・ヤルヴィのアゴーギクがかなり派手で
小節線がぼやけたりはしていたけれど
フォルティッシモの激しい部分よりも
メロディを歌わせる部分で
私はひたすらボーッとなっていた。

惜しむらくは
周囲の観客が・・・(いや、いや、仕方ないと言えば仕方ない)
ショスタコーヴィッチって
確かに親しみ難い作曲家で
10番の第1楽章がかなり長いのもわかるけれど

隣でスマホ出して
コンツェルトハウスの写真撮って送ったり
これ見よがしのため息ついたり
バッグの中をゴソゴソやったり
後ろから小声で
ゼルヴス(この場合は、ああああ、みたいな意味)とか
独り言を言わんで欲しかった。

ショスタコーヴィッチって
意外に演奏される機会があると思っていたのだが
ウィーンの聴衆には(特にご年配のお客さま方には)
一般的に「ウケ」るものではないみたい。

だからマーラーの6番を持ってくれば良かったのに。
(すみません、でもマーラーの6番も聴きたかったです(涙))

このショスタコーヴィッチの10番
音楽的にものすごく熟れていて
木管巧いし、弦はキレイだし
ゆっくりの部分のメロディは大和撫子の端正さ
速い速度のガンガン鳴らすところは
迫力あっても、変に厚くならず、スッキリ感はそのまま。

う〜ん、すごいオーケストラである。
世界水準以上のモノがある(身びいきではない)
技術的な水準も凄いけれど
それを、どこかのオーケストラのように
ほら見ろ見ろ見ろ、俺サマたちを聴け、と
ひけらかすような厚かましいところが一切ない。
(バイオリンのピアニッシモの部分の美しさと言ったら気絶モノだった)

コンサート後に
前に座っていた知り合いに
パーヴォさんって必ずアンコール持ってくるよね
シベリウスの「悲しきワルツ」なんて
パーヴォさんの指揮で何回聴いたか・・・

と言ったとたんに
シベリウスの「悲しきワルツ」が演奏されたので
ちょっと笑ってしまった。

この曲、今までパーヴォ・ヤルヴィの指揮で
様々なオーケストラで聴いて来たけれど
(もちろんアンコールである)
NHK 交響楽団も、すっかり手の内になったって感じがする。

あのオーケストラのスッキリ爽やか感と
丸みのある美しい弦の音を活かしながらも
やっぱり、見事に「パーヴォさんの」シベリウスだった(笑)

グラーフェネックでのデュトワとの幻想交響曲も良かったけれど
音楽的に、何かもう一つ、上への階段を昇ったような印象があって
自分とは全く関係なかったのに
何となく、自慢できるような気分になって
コンサート会場を出て帰宅した私に
(もう残業したくな〜い!!!)
どうぞ1クリックをお恵み下さい。


シカゴ交響楽団 + ムーティ

Musikverein Großer Saal 2017年1月23日 19時30分〜22時

Chicago Symphony Orchestra
指揮 Riccardo Muti

Paul Hindemith (1895-1963)
 Konzertmusik für Streicher und Blechbläser, op. 50
Edward Elgar (1857-1934)
 In the Sough (Alassio). Konzertouvertüre, op. 50
Modest Mussorgskij (1839-1881)
 Eine Nacht auf dem kahlen Berge
 Bilder einer Ausstellung. Orchesterfassung Maurice Ravel

シカゴ交響楽団と
帝王リッカルド・ムーティの客演。
実は2回あって
明日はリヒャルト・シュトラウスのドン・キホーテに
チャイコフスキーの交響曲4番なのだが

国立オペラ座のバレエが優先で
チケット取ってません。

何せ重症の
クルレンツィス・コパチンスカヤ症候群に罹患しているので
こんな症状の時に
シカゴ交響楽団+ムーティの
「普通の」クラシック・コンサートに行ったら
さすがの帝王ムーティの作る音楽でも
ケッ、とか言い出しかねない・・・という不安もあった。
(失礼な言い方だが、最初のク・コ症候群に罹患した後で行った
 ウィーン・フィルとビシュコフは
 回復するのに2日かかったからね)

結果だけ簡単に記すと

ク・コ症候群から完璧に一瞬で立ち直りました(笑)

更に加えて
年にほんの数回だけ
あああああ、神さま、本当にありがとう!!!!と
感涙に咽ぶコンサートがあるのだが

ツィッターに書いた通り
この世の神さま、及びその類の、妖精さんやら地霊さんやらに
ひれ伏して感謝したくなる程の強烈な体験となった。

最初見た時は
チクルスで持ってるから行くけど
何で私の苦手なヒンデミットにエルガーが前半なのよ
後半の展覧会の絵だって
もう何回様々なオーケストラと指揮者で聴いたか

前半は完全に寝落ちして
後半は飽き飽きしてげっそりするんじゃないだろうか

と真剣に思っていたのである。

苦手なヒンデミットの曲
最初の金管の音が出たとたん

ええええええっ、何ですかこれ!!! 😱
金管の音が音が音が・・・(絶句)

読者ご存知の通り
楽友協会の大ホールというのは
まるで教会のごとくの残響があって

力強いオーケストラが
思い切り音を出してしまうと
音が濁って、ウルサイなんて言うもんじゃなくて
耳を押さえて飛び出したい衝動に駆られるのだが

こんなに金管が全員揃って
しかもフォルテで吹き捲くっているのに

音が完璧に丸みを帯びて
しかも金管の輝くような色があって

いや、楽友協会でこの音色
どうやって出したんです????

しかも金管と弦のポリフォニーが
この上ない絶妙なバランスで
濁らずクリアに響いてくる。

まるで魔法のような世界が
厚みとまろやかさを兼ね備えたオーケストラの音で
全身を絹のように包んでしまい
この世とも思えない音響に悶えまくる。

ウソでしょ、ヒンデミットって、こんなに素晴らしかったの?
今まで聴いて、音がボッテリ厚くて、面白いと思った事なかったのに
厚みのある音響は
華やかさとなり、内部の透明さまであって
ゴージャスなのにオレオレにならず
これ、正にエンターテイメント・・・なのに

時々、何か得体の知れない
聖なるものが楽友協会に満ちているような
すごく不思議な
祈りのような
静謐な別世界が広がっていく。

まさに魔法とはこれかもしれない。

エドワード・エルガーも苦手なのだが
(エニグマとゲロンティウスは例外)
これも何とステキな曲。

音響のバランスが絶品なのだ。
オーケストラのトゥッティの背景色に
色々な楽器のソロが乗って来て
様々なストーリーが脳内で次から次にイメージされる。

いや、あり得ないわ、エルガーの
しかも初聴きの曲が、こんなに楽しいなんて。
何て美しいオーケストラの音色(うっとり)

あくまでも優雅でカンタービレ。
強いオーケストラなのに出しゃばらず
節度と気品があって
しかも、むちゃくちゃ巧い・・・

後半の禿げ山の一夜。
うわあああああ
これは本当に演劇に限りなく近い。

ムソルグスキーが抱いたイメージが
立体的に浮き上がって
すごい色彩感で目の前に出現する。

作曲家の頭の中にある
我々が実際に見られないイメージを

音楽家たちが
世界最高の機能を持つビデオ・カメラで
細かい部分まで全部撮影して

それを、最高限度のピクセルを持った
ホール一杯の大スクリーンで見ているような印象。

とことん細かいところまで拘って
ムソルグスキーの描いた景色を
全部クリアに見せてあげよう・・・という感じか。

うははははは
禿げ山の一夜でここまでやっちゃったら
展覧会の絵はどうなるんだろう。

・・・・凄かったです(断言)

音色についてはもうこれ以上は言うまい。

ムーティのリズムの取り方って
この上ない音楽性と老練さが混じってる。

チュイリー公園の、あのリズムの絶妙な揺らし方
あのセンスの良さって、いったい何ですか何なんですか。
卵の踊りの洒脱さ
(しかも途中で躓いて転んでるし(爆笑))

サミュエル・ゴルトベルクで
子供がすごい咳き込みして
(しかも親が連れて出ていかない(超怒!))
すごく気になったけれど

カタコンベでは
数百年に渡って沈滞した空気の匂いがしてきて
背筋がゾクゾクしてきて
完全に古代の洞窟に入り込んじゃったし

その後のプロムナードのピアニッシモの音色って
突然、ロココ様式のエルミタージュ宮殿の中に飛ばされてしまい
(いやビックリした、脳内で突然景色が変わった)
この上ない優雅さの中で
ゆったり歩いていたところに

突然のババガヤ出現!!!
バロックの金色の柱の後ろから
突然、怪物が飛び出てくるんだもん。
うわああああ、っと悲鳴を上げそうになりました。

堂々としたキエフの大門は
まず遠景から見えて来て

どんどん解像度抜群のカメラが近づいていって
あああああ、最後はこの上ないカタルシス。

怒濤のドラマ
ムソルグスキーとラヴェルの妄想に
引きずり回されて、翻弄されて

展覧会の絵の中に取り込まれて
古城の廃墟に立ったり、荷馬車に近づいたり
公園でコケったり
オバサンたちとお喋りしたり

う〜ん・・・何と言うか
クラシックの枠内にしっかり収まっているのに
(奇抜な事は何もしてないです)

その完璧な音色とリズム(含ゲネラル・パウゼ)
極限までドラマチックなのに
優雅さと品があって
エネルギッシュなのに乱暴でも粗くもなくて

ううううう、ムーティさま
参りました(深くお辞儀)

いや、あり得ないって
あのオーケストラの金管の見事だった事 ♡
輝く音色で完璧なアンサンブル
強いのにバランスが良くて
うるさくならずにホールに広がる
最高にゴージャスな音色。

このプログラム構成だって
かなり長いサービス精神の横溢したプログラムなのに

何とアンコールで
シチリア島の夕べの祈りの序曲!!!

ヴェルディですよ、ヴェルディ!!!!
私、ヴェルディ、苦手なんですけど
苦手なのに
何で何で何でこんなにカンタービレでワクワクしちゃうんですか。

ムーティのヴェルディは
ごめんなさい、もう「凄い」以外には何も言えません。

天才でイタリアンな音楽の心に満ちていてカンタービレで
老練な指揮者が演奏すると
歌って歌って歌って
ヴェルディって、こんなにドラマチックでチャーミングになっちゃうんですか。

序曲が終わった後も
できれば、そのままオペラに行きたい、と
ついつい切望してしまったではないか。
イタリア・オペラには行かないと堅く決心しているのに・・・

基本的にはブランドに興味はないので
シカゴ交響楽団だろうが
ムーティだろうが
別に名前に釣られて行った訳ではないし
(たまたまチクルス持ってたから)
ムーティさまだから音楽も良い筈とか
最初から全く思っていなかった。
(それどころか、クルレンツィス・コパンチスカヤの後で
 こりゃ、つまらんコンサートになるかも、と思っていた位)

なのに、こんな凄まじい音楽体験が出来るなんて
あああああ、本当に神さま、ありがとう!!!

仕事で色々とストレスが溜っていても
こういう音楽を聴くと
全身が活性化するような気がする私に
どうぞ1クリックをお恵み下さい。



こうなって来ると
明日のコンサートも気になるのだが
今、サイトに乗ってるチケットって
90ユーロですよ、90ユーロ!!!
(ビンボウは辛い・・・)

いや、ここまで凄い音楽を聴かされてしまうと
ムーティの追いかけする人の気持ちも
かなりわかるような気がする。
(私だって金と時間があれば
 ムーティの振るオペラ聴いてみたい、と本気で思った)

クリーブランド管弦楽団 + フランツ・ヴェルザー=メスト

Schloss Grafenegg 2016年8月21日

Prélude 16:40-17:40 Reitschule
Arcis Saxophon Quartett
Claus Hierluksch, Ricarda Fuss, laudia Jope, Jure Knez

György Ligeti (1923-2006)
 Sechs Bagatelien (1953)
Alexander Glasunow (1865-1936)
 Quartett für vier Saxophone B-Dur op. 109 (1932)
Sylvain Dedenon (*1962)
 Suite für Saxophonequartett nach Themen
  aus der Oper “Porgy and Bess” von George Gershwin

Abendkonzert 19:30-21:20 Auditorium
The Cleveland Orchestra
指揮 Franz Welser-Möst
ソプラノ Luba Orgonášová

Béla Bartók (1881-1945)
 Musik für Saiteninstrumente, Schlagzeug und Celesta (1936)
Richard Strauss (1864-1949)
 “Tod und Verklärung” Tonichtung op. 24 (1888-1890)
 “Vier letzte Lieder” für Sopran und Orchester (1948)

クリーブランド管弦楽団とヴェルザー=メストの2回目のコンサート。
今日はプレリュードに間に合うようにウィーンを出た。

朝から雨で、これなら室内だな、と思ってはいたものの
着いてみたら「まだわかりません」

しかもプレリュードはお城の中庭で開催、というので
中庭まで歩いて座ったとたんに降り出す雨。
やっぱりライトシューレでやります、とアナウンスの後
本コンサートはオーディトリウムで決定です、と続く。

やった!!!

プログラム見た時から
最後の4つの歌を野外音楽堂で聴くのか、とゲッソリしていたので
会場の変更は嬉しい。

さてプレリュードは
珍しいサクソフォンのクワルテット。

ソプラノ・サクソフォンなんて
ちょっと見たら、変わったオーボエにしか見えないが
ソプラノ・アルト・テノール・バスと揃ったサクソフォンは
滅多に見ないし聴かないだけに面白い。

リゲティの6つのバガテルって聴いた事あるような気がするけど
サクソフォン4本は初めてだと思う。

サクソフォンの音って面白い。
なんかあの楽器、クラシック曲には常設ではないし
どちらかと言えば、ジャズかなぁ、って印象なのだが
確かに聴いていると木管なんだけど
オーボエでもあり、クラリネットでもありフルートっぽくもなるし
でも基本的には、やっぱりサクソフォンの音なんだよね。
(まぁ、当たり前と言ったらそうだが(自爆))

リゲティの曲はリゲティらしい苦いユーモアとペーソスがあって
楽しく聴かせてもらったけれど
次のグラズノフが良くて、聴き惚れた。
伝統的なんだけど、何て美しいメロディ ♡

ポギーとベスの組曲も楽しく聴かせてもらった。

このクワルテット、今、CD を作るクラウドファンディングをしていて
8月24日が締め切りで、あともう少し、という話なので
ご興味ある方は、こちらをどうぞ。
Youtube のビデオも入ってます。
(寄付だけなら額面+税金だけだけど
 CD とかビデオとかを入手しようとすると
 送料がかなりかかって来ます、念の為)

さて、夜のコンサートはオーディトリウムのホール。
私のチケットは、雨天の時にホールに入れる
一番安いカテゴリーのチケットなのだが

野外音楽堂では、かなり真ん中の良い席なのだが
ホールになると、今度はそのカテゴリーの中でも
最も悪い席に変身する。

オーケストラの真上・・・(汗)

オーケストラ・メンバーと指揮者の頭頂部が見えて
ついでに真上なので
10倍の私の望遠鏡を使うと
指揮台のスコアまでしっかり見える(見ません!(笑))という席。

最初はバルトークの
弦楽器と打楽器とチェレスタのための音楽。

うううう、弦が上手い。
昨日も思ったけれど
このオーケストラの音の透明感ってスゴイ。

ピアニッシモが実に美しく響くのだが
ヴェルザー=メストは最初の楽章も
変にズブズブの感情任せにならず
ちょっと冷たいくらいの透明感を持たせる。

第2楽章ではピアノが大活躍。
昨日のアデスの1曲目でも
ものすごい存在感を持っていた女性のピアニストだが
打鍵の強さには目を見張るばかり。

しかもそんな強い音なのに
しっかりとオーケストラと対峙しながら溶け込んでいて
シロフォンとの、見事にマイクロセカンドで揃えたアンサンブルには
鳥肌がたった。
いやもう、あのその、どうしましょう。

しかもこのオーケストラと指揮者
バルトークでの音の色彩感が尋常じゃない感じ。

これはドビュッシーかリゲティか、と思わせる程
繊細でパステル色の不思議な音を出すので
(こういうのは CD じゃダメ(断言))

音響オタクとしては
オーケストラの真上だろうが何だろうが
メンバーの頭頂部のハゲを見ながら
体感的な快感にうち震えていた。

野外でやったとしても
この音、きちんと聴こえて来ただろうなぁ。
不要な厚みが全然なくて
弦のアンサンブルが鉄壁に揃っていて
ビオラの音があまりに美しくて
バイオリンのピアニッシモの透明さにゾクゾクして

ああああ、こういうのがナマの楽しみなのよ、うん。

前半で興奮しまくっていた私だが
後半はリヒャルト・シュトラウスの「死と変容」に
「最後の4つの歌」
・・・どちらも、ちょっと苦手なんですが(暗いから(笑))

死と変容だが
やっぱりもともと野外バージョンかよ、という
時々、とんでもない大音響を発していたけれど
でも、それでも不思議な軽さがある。

私のイメージでは
冷静で正確無比な堅物、というヴェルザー=メストが
何だか熱くなってるし(笑)

ヴェルザー=メストって
野心ギラギラの時の印象が強過ぎて
ちょっと苦手だったんだけど

クリーブランドの指揮台に立つと
この人、異様に繊細なニュアンスを出す上に
時々、えっ?と思うほど、熱くなる時がある(爆笑)

大音響になっても、音が変にボッテリしない、というのは
このオーケストラの強みだな。

で、驚いた事に
死と変容の後、そのまま(ほとんど)アタッカで
最後の4つの歌に入った。

ああああっ、こういう方法あり?!
確かに、死と変容の後に
最後の4つの歌の一曲目「春」は
全く違和感のないまま続く・・・(ビックリ)

舞台の真上なので、歌手の声は前に飛ぶから
この席だとイカンかなぁ、と思っていたのだが

ソプラノのリューバ・オルゴナショヴァは
さすがオペラ歌手というか
しっかり上向いて歌ってくれたので

オーケストラの真上でも
ちゃんとソプラノの声はしっかり聴こえてくる。

しかも何て強い声の持ち主!!!
叫び声にはならず
ピアノ部分もしっかりオーケストラの壁を超えて
ちゃんと低音まで聴こえてくるし
強いながら、芯の通った美声で安定感がある。

まぁ、ドイツ語はほとんどわかりませんが(笑)
しかも、はっきり歌おうとしているあまりに
最後の子音だけが突出して聴こえて来たのはご愛嬌か。

甘い声というよりは強い声で
凛としていて
ロマンティックだけではないこの曲によく合う。

いや、すみません、ついつい途中で泣きそうになっちゃいました。
だってオーケストラ巧いし
コンマスのソロがまた巧いし

全然ズブズブの感情になっていなくて
どちらかと言えば中立的な響きなんだけど
こちらのハートのど真ん中に刺さってくるところがある。

ううう、素晴らしい ♡

ヴェルザー=メストとクリーブランド管弦楽団って
かなり最強のコンビネーションかもしれない、と
またもや確信して夜道をすっ飛ばして帰って来た私に
どうぞ1クリックをお恵み下さい。


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