ロンドン交響楽団 + フランソワ=グザヴィエ・ロト

Wiener Konzerthaus Großer Saal 2017年4月24日 19時30分〜21時55分

London Symphony Orchestra
ビオラ Antoine Tamestit
指揮 François-Xavier Roth

Claude Debussy (1862-1918)
 Prélude à l’après-midi d’un faune (1892-94)
Béla Bartók (1881-1945)
 Konzert für Viola und Orchester Sz 120 (1945)
  Rekonstruktion : Tibor Serly (1901-1978)
Anton Bruckner (1824-1896)
 Symphonie Nr. 4 Es-Dur “Romantische” (1873-74/78-80)

この人も、見た目だけを言うなら
どこかの中小企業の
目立たないけれど、実はデキる部長、に見えてしまう
フランソワ=グザヴィエ・ロト。

ご本人のウエブ・サイトから拝借
© François Sechet



このお写真も、どうみても指揮者というより
「ほう、今年の売り上げ業績は良いねぇ」
・・・と言っている経営者にしか見えない。
(↑ 誉めてます。私、こういうタイプ、好きなんです)

写真と同じく
ビジネス・スーツ姿にネクタイ締めて
ロンドン・シンフォニー・オーケストラの客演。

しかもプログラム盛り沢山というか・・・長いよ、これ。
最初に「牧神の午後への前奏曲」を持って来たのは
自分の音楽のルーツに加えて
名人フルーティストの紹介かな。

このフルートのソロが
何とも「風」を感じさせる素晴らしさ ♡
これは、優秀なフルート奏者が居て
初めて引き立つ曲だから
ウィーン交響楽団なんかは
首席フルート奏者が変わると、必ず演奏するのだが
フルートという楽器の息吹を
何とも情緒的に、しかも淡々と
美しい音色で聴かせてもらって満足。

さて次の曲は何とバルトークで
しかもビオラ協奏曲・・・なんて、初めて聴く。

バルトーク未完の絶筆で
ビオラ部分以外のオーケストラはほとんど楽譜がなく
ハンガリー出身のシェルイ・ティボールによって補筆されたもの。

ビオラのソロはアントワン・タメスティという
1979年パリ生まれのプレイヤーで

えええええええっ!!!!
何ですか、何なんですか、この音色は!!!!!

信じられない。
ビオラって音程不安定で
音があまり伸びず
何処に入っても埋もれて埋もれまくって
どんなに巧い奏者が弾いても
ど〜しようもない楽器(すみません)
・・・というイメージだったのだが

何という音色の美しさ ♡

しかもバイオリンみたいに神経に響く高音ではなく
チェロよりもっと優雅で慎み深い。

オーケストレーションの薄さもあるかもしれないが
ビオラの音が沈まない。
何とも澄んだ優雅な音で
バルトークっぽくない歌うメロディが客席に届いて来る。

悶絶・・・

いや実はビオラのソロって
コンサート以外の時に
時々、聴く事があるのだが
すごく巧い人でも
やっぱりバイオリンと比べると
不安定で地味で
まぁ、それを狙っての事だろうと思うから
それはそれで良いんだけど

コンサートでこういうビオラ聴いちゃうと
もともと、ビオラという楽器そのものが
不安定で地味な楽器だ、という事を忘れてしまうじゃないの。

こういう天才的なビオラって
この間のタベア・ツィンマーマンとか
大昔、ライブで聴いて椅子から転げ落ちそうになった
今井信子さんとか
コンサート・ホールで、こんなスゴイ演奏ばかり聴いたら
ビオラってバイオリンやチェロに負けない魅力的な楽器とか
ついつい思ってしまう危険性があるぞ。

私みたいなド・シロートの聴衆に
ここまで水準の高いビオラのソロを聴かせて
他のビオラ奏者はヘタクソ、とか誤解してしまったら
どうしてくれる?(関係ないが)

アンコールはバルトークの小曲を
コンサート・マスターとの重奏で演奏して
これも実にゴキゲン。
コンサート・マスターのバイオリンとタイマン張ってる
すごいビオラの音だった。

ドビュッシー、バルトークと続いて
後半がブルックナーの交響曲4番。
比較的短い曲ではあるけれど
それだって1時間以上はかかる。

舞台の上のオーケストラの並びが面白い。
上手(かみて)の奥にトロンボーン、チューバとトランペット。
第二バイオリンでその後ろにビオラ。
真ん中後ろに木管とホルンで
下手(しもて)には第一バイオリン、その横がチェロ。
下手(しもて)後ろにコントラバス。

いつも聴いているオーケストラ構成と全く違って
下手(しもて)のコントラバスと
上手(かみて)のトロンボーンが低い音で呼応する。

私の席はチクルスの人ばかりの貧民席なのだが
左右と後ろが女性ばかりで
この女性軍団、コンサートが始まっても
いつも平気で小声でお喋りしているので

最初の出だし
指揮者のロトはとんでもないピアニッシモで
弦がほとんど聴こえない状態で
(周囲は聴こえないので、まだ演奏が始まっていないと思って
 小声でお喋りを続けている)
突然ホルンのソロが入ったのでギョッとした。
(ついでに周囲の女性軍団もギョッとしていた)

舞台の配置を見た時に薄々想像はしていたけれど
徹底的に音響に拘って拘って拘ったブルックナー。

LSO って、聴くたびに思うのだが
弦のアンサンブルが完璧で見事で
しかも、あの大人数の弦になったら
厚みがあって、しかもアンサンブル完璧で
(ビオラのトゥッティのソロの部分の美しさ!!!)
惚れ惚れする音響の美しさ。

なのに・・・
まぁ、私の耳が悪いのだろうが

管が不安定で・・・(涙)

ホルンの裏返りは時々ある事だけど
このホルンの首席
巧いのかヘタクソなのか判断に迷う。

最初のソロの時に
あっ、音程下がってる 😱 と思ったのは
シロウト耳の私が悪いのかもしれないけれど
その後も
絶妙に素晴らしいピアニッシモを聴かせてくれたかと思ったら
次の瞬間、何それ?というひっくり返りをやるし

それでなくても、この4番は
ホルンが突出して巧くないとイケナイ曲なのだよ(偏見)

最初にキラ星のごとくのソロを吹いたフルートと
それに負けずにキラキラの音を出したオーボエは良かったけれど
クラリネットもトランペットも
え?みたいなところがあって
(はいはい、私の耳が悪いんです。
 決してオーケストラへの悪口ではございません)

弦が美しい音を出しているだけに
管が入るところで、ずっとドキドキしていたのは
心臓に悪い(謂れのない文句)

音量のレンジは最大限で
これはコンツェルトハウスだと聴き映えがする。
極限まで落としたピアニッシモの時に
かなり声付きの咳が客席から聞こえて来たのは仕方ないとして

後ろの年配女性が
時々、飴の包み紙シャカシャカ
ティッシュペーパーのビニールをシャカシャカした後
ピアニッシモの時に、すごい音で鼻を嚼んで
更に携帯電話を鳴らした時には殺意が湧いたが。

だってブルックナーのピアニッシモって
一番緊張する時じゃないですか。
その後に、またフォルテでモチーフが演奏される、という
緊張感に満ちた時に
学校の授業の終わりのような
キンコン・カンコンのベルが響いたんですよ、今日は!!!

徹底的に音響に拘った(だろうと思われる)のに
管の不安定さが、ちょっとそれを崩しかけ、という印象だったが

私の偏見である事は前提として
LSO の管の人って
別にブルックナー好き、という訳ではなさそう。

ウィーンのオーケストラだと
ブルックナー、大好き、好き好き好き ♡ という
金管奏者が山ほどいる(と聞いた事がある)ので
ブルックナーがプログラムに入ると
みんなが、やりたい、やりたい、と言うらしいのだが

LSO の管の人たちって
プログラムに乗ってるから演奏してます、という
かなり醒めた感じではあった。

そこら辺りが
やっぱりウィーンとロンドンの差ですかね(笑)

オーケストラ編成からして
ウィーンで聴き慣れたブルックナーとは
一味違った感じで
最近の若い指揮者がやるような
透明感のある重力のないブルックナーではなくて
低音がズンズン、すごく良い感じで響く
地に足のついた聴き応えのあるブルックナーだったのは確かだが。

長いコンサートだったけれど
最近、色々と新鮮なブルックナーを聴くチャンスがあって
ちょっと楽しくなった私に
どうぞ1クリックをお恵み下さい。


ローザンヌ室内管弦楽団 + ベルトランド・ド・ビリー

Musikverein Großer Saal 2017年4月2日 19時30分〜21時30分

Orchestre de Chambre de Lausanne
指揮 Bertrand de Billy
オルガン Olivier Latry

Maurice Ravel (1875-1937)
 Le tombeau de Couperin
Françis Poulenc (1899-1963)
 Konzert für Orgel, Streichorchester und Pauken g-Moll
Joseph Haydn (1732-1809)
 Symphonie D-Dur, Hob.I:104 “Salomon”

夜のコンサートのチケットを買ったのは
ベルトランド・ド・ビリーが
久し振りに指揮台に立つのを知ったから。

ローザンヌのオーケストラを聴くチャンスなんて
滅多にないけれど
プログラムの前半はフランスもの。
後半にハイドンがあるけれど
これはウィーン古典派を得意とするビリーらしい選択。

クープランの墓
音色が明るくて透明感があって
まごう事なきフランス語圏のオーケストラ ♡

ぴったり揃った気持ちの良いアンサンブルに
ラヴェルの色彩豊かな色が弾ける。

本来、フランスの曲には
楽友協会の厚みのある音響は
あまり合わないような気がするが

そこら辺はホールの音響を知り尽くしたビリーの手腕か
響かせ過ぎず、スッキリと音をまとめたのは見事。

舞台の配置換え。
大きなオルガンのコンソールが舞台に置かれて
プーランクのオルガン協奏曲。

・・・腰が抜けた。

オルガンがすぐ横にある事を考えると
(正確に言えば、オルガン・パイプがすぐ横と言った方が良いか)
音響的には、ベストの席ではなかっただろうとは思うのだが
圧倒的なオルガンの音色がホール一杯に響いて
圧巻・・・と言うより
最初から最後まで唖然としているうちに終わっちゃった。

指揮者のビリーがほとんどソリストを見ず
ソリストが弾きながら左に顔を傾けて
ビリーの指揮を見ていたのが印象的(笑)

ド・ビリーって
ウィーン放送交響楽団が存続の危機にあった時の首席で
現代音楽専門みたいなあのオーケストラに
しっかり在任中に古典を叩き込んで
オーケストラのレベルを格段にアップさせた指揮者なのだが

出来るだけに
フランスの独裁者とかも言われていたようだし(笑)
その後、ウィーンの国立オペラ座で
オペラの短縮バージョンにとことん逆らって
初演の直前に指揮をほっぽり出して
オペラ座と喧嘩して出ていったのは有名で

その意味では、完璧主義者ではあるんだろうなぁ。

オルガンのアンコールが2曲。
これこそ、抜けた腰がもっと抜けて
失神しそうになった。
何ですかあれは。
あんな音がオルガンって出るんですか?という
こうやって聴いてみると
パイプ・オルガンというのは
とんでもない楽器ではないかとつくづく思う。

後半はハイドンの交響曲104番。
言わずとしれたロンドン・シンフォニーのザロモン・セットの一つ。

うはははははは
後期のハイドンの交響曲って
もう、めちゃくちゃ面白いです。

同じようなテーマが出てくるかと思えば
微妙に違っていて
ビックリする展開をしてくるし
最終楽章に至っては
スラブ系(調べてみたらクロアチア民謡?)のスケールが出てきて
度肝を抜くし

これこそ、当時のエンターテイメント。
みんなが、きゃ〜、面白い〜と叫ぶ楽しい曲。

こういう曲もビリーは巧い。
活き活きとしたリズムと
室内楽的な透明感があるのと同時に
オーケストラも観客も巻き込んで
ほら、楽しいよ〜
チャーミングでしょ
ここでイタズラしちゃうから驚いてね
・・・という感じの語り口が素晴らしい。

で、またオーケストラのメンバーが
最初から最後まで
全員で身体を動かしノリノリで演奏しちゃうので
ほとんどこれはディスコ音楽ではないか(違)という印象。

ハイドンってつまらないと思われている傾向があるのは知っているが
後期のロンドン・セットは
ともかく、外国人への「ウケ」だけ狙って作曲されているので
(他の曲だって、エスターハージーへの「ウケ」狙いではある)
職人作曲家の本領発揮で
こういうのが楽しい音楽だよね ♡
(18世紀に生きていたら、もっと楽しかったかもしれないが)

独裁者だろうが何だろうが
やっぱりビリーって
レパートリーも広いし
何でも指揮できるという
稀な才能を持つ
この人も、良い意味での「職人」なのかもしれない。

ニコニコしながらコンサート会場を後にした私に
どうぞ1クリックをお恵み下さい。


グスタフ・マーラー・ユース・オーケストラ + ハーディング

Musikverein Großer Saal 2017年3月31日 19時30分〜21時45分

Gustav Mahler Jugendorchester
指揮 Daniel Harding
バリトン Christian Gerhaher

Hector Berlioz (1803-1869)
 Les Nuits d’été, op. 7
  für eine Singstimme mit Begleitung von kleiem Orchester
    Villalle
    Le Spectre de la rose
    Sur les Lagunes (Lamento)
    Absence
    Au Chmetière (Clar de Lune)
    L’lle inconnue
Anton Bruckner (1824-1896)
 Symphonie Nr. 5 B-Dur

グスタフ・マーラー・ユース・オーケストラの
イースター公演ツアー。
ロレンツォ・ヴィオッティとダニエル・ハーディングで
リサボン、マドリッド、ルクセンブルク
パリ、バルセロナ、ザラゴザ、フェレーラ、ウィーン
最後がフランクフルトの公演。

それぞれにプログラムも指揮者も変わるけれど
今年のウィーンは
エクトル・ベルリオーズとブルックナー。

・・・・って、いったいどういう組み合わせなんだか(笑)

スタンダード・プログラムでは
アルバン・ベルク、シューベルトにブルックナー5番。
ベルリオーズにはシェーンベルクとシューマンの2番だったみたいなんだけど。

それはともかくとして
ゲルハーヘルの歌うのが
ベルリオーズの、しかも私の全然知らない曲で
歌うテキストは・・・恐ろしくもフランス語(当たり前)

題名だってよくわからんが(題名の翻訳はなかった)
ニュイとか言うのは夜の筈だし
エテとか言うのは夏だった筈(すみません・・・)

鉄壁のクラオタの皆さまはご存知かもしれない。
ウィキの記載はこちら

で、これが、これが、これが
むちゃくちゃ素晴らしかった ♡♡♡

ゲルハーヘルのバリトンの美声もため息モノだが
この人、ドイツ語を歌わせても、ものすごく言語がキレイなのに
フランス語のディクションの美しさ
フランス語のニュアンスを活かした歌い方。

もう、いったい、何なんですか、この人は。
言語に対する音楽性の感覚が
半端じゃなく優れていて
フランス語全然わからなくても
その美しさに悶絶しそう。

しかもオーケストラ伴奏が
これまた徹底的に繊細で
何と美しい ♡

ハーディングの徹底的な室内楽的透明さが
この上ない美声の美しいフランス語の
ゲルハーヘルの音楽の語りを
柔らかく優しく包んで
声とオーケストラのバランスが絶妙。

信じられない。
ベルリオーズって、こんな美しい繊細な曲を書いていたのか。
これ、録音で聴いてみても
これだけふくよかな立体感のある演奏を聴いてしまうと
どれを聴いても、聴き劣りしてしまうだろう。

あああああ、至福の時間 ♡

こんなに美しいリートを聴いてから
後半のブルックナーの交響曲5番なんて
何か無粋だわ、もう帰ろうかしら。

いや、でも楽友協会のチケット高いし
最後まで聴いて行こう・・・と思って聴いたのが

うおおおおお
すごいよ、このブルックナー(仰天)

信じられないピアニッシモのピチカートで
どの楽章も始まるという
ざわざわした聴衆とギシギシ鳴る椅子の楽友協会で
こんな曲、演奏しても大丈夫か・・・という曲なのだが

さすがハーディング
しかもユース・オーケストラ(プロのタマゴの優秀なプレイヤー)を
しっかり手の内にして
徹底的に室内楽的透明感を持ったブルックナー。

こういうブルックナー、どこかで聴いた事があるぞ、と思ったら
ロビン・ティチアーティで聴いたブルックナーと
非常に印象が似ている。

でもティチアーティよりハーディングの方が老練だ。
ドラマチックになる部分は
透明性を保ちながら、しっかり攻めてくる。

ただ、どの和音にも、どのフレーズにも
全く濁りがない。
途中で弱音になる部分では
聴こえるか聴こえないかくらいまで落として
音楽が空気に溶けて
天上に向かって立ち昇って行くかのような音響を醸し出す。

重力のないブルックナー。
荘厳というよりは、徹底的に美しい。
最終楽章の金管の鋭い部分のソロも
鋭いというよりは、際立って透明のまま客席に飛んでくる印象。

金管のアンサンブルのソロも、あまりに美しく響いて
もうその音響だけで失神しそうな気分。

久し振りにブルックナーを聴くと
やっぱり凄いなぁ、と、ついつい胸が熱くなってしまう。
聴いている者をねじ伏せるような力があるのだが
ハーディングの手にかかると
力でねじ伏せられるというよりは
気がついたら、床に組み伏されてました、しまった(笑)

変に力の入った劇的な演奏ではなく
かと言って、淡々と演奏しているのではなく
そこら辺のバランス感覚が絶妙。

ハーディングって
まだ背広に細いネクタイで
指揮台に立っても
ただの普通のお兄ちゃん、という感じで
全くカリスマとか威厳を感じないのだが(好みです好み)

ちょっと頭の中で
フィリップ・ジョルダンみたいに
コンサートには必ず美しい燕尾服を着て
しっかり蝶ネクタイ付けてくるハーディングを思い描いたら

・・・・合わない(ボソ)

というより、ハーディングがあの燕尾服の格好をしたら
ちょっとコワイかも(みなさまも想像してみて下さい)

しかし、どう見ても普通のそこら辺のお坊ちゃんという感じのハーディングが
徹底的に透明感に拘ったブルックナーの
隠れた迫力と言ったら、もうタダモノではない。

コンサートの後
何だかフラフラになりながら
会場を後にした私に
どうぞ1クリックをお恵み下さい。


ムジカエテルナ + テオドール・クルレンツィス

Wiener Konzerthaus Großer Saal 2017年3月11日 19時30分〜22時

MusicAeterna
ピアノ Alexander Melnikov
バイオリン Patricia Kopantchinskaja
指揮 Teodor Currentzis

Wolfgang Amadeus Mozart (1756-1791)
 Konzert für Klavier und Orchester d-Moll K 466 (1785)
 Konzert für Violine und Orchester D-Dur K 218 (1775)
Ludwig van Beethoven (1770-1827)
 Symphonie Nr. 3 Es-Dur op. 55 “Eroica” (1803)

天才で鬼才のとんでもない指揮者
テオドール・クルレンツィスが
自分のオーケストラ、ムジカエテルナと一緒に
コンツェルトハウスでコンサート。

驚いた事にコンサートはオルガン席まで満席。
クルレンツィスって
いつの間に、ウィーンのクラシックオタクの中で
こんなに有名になったんだ?

この指揮者
カメラータ・ザルツブルクのウィーンのコンサートで
初めて見て聴いて、ひっくり返ったのが
2016年10月5日
(おヒマな方、記事は ここ

2017年1月12日と13日には
ウィーン交響楽団とコパチンスカヤで
とんでもないコンサートをした記憶は新しい。
(おヒマな方、記事は ここ と ここ

カメラータやウィーン交響楽団には
客演なので、多少はおとなしくしていたんじゃないだろうか。

自前のオーケストラ持って来たら
どんな事になるんだろう???

うははは
期待を裏切らない
とんでもないコンサートになった(笑)

まずはプログラムである。
実は今日のプログラム
コパチンスカヤのバイオリン協奏曲(約25分)と
ベートーベンの交響曲3番エロイカ(約50分)だけが予告されていて

直前にコンツェルトハウスのサイトを確認していたら
この2曲だけなのに、終演時間予定22時と出ている。

はて???

何かお話でもあるのか
アンコールが長いのか
それとも2曲とも、異様に遅いテンポで演奏するとか?

会場の舞台には
真ん中にアンティークのピアノ・・・

どう見てもアンティークの「ピアノ」であって
(しかもアンティークだがグランド・ピアノである)
チェンバロではないし

第一、モーツァルトのバイオリン協奏曲に
チェンバロなんてあったっけ???

マイクを持ったコンツェルトハウスの総裁が登場。

ううう、こういう時って
指揮者やソリストの急病による変更とか
プログラムの突然の変更とか
あんまり良いニュースじゃないんだけど・・・

戸惑ったような表情の総裁曰く(本当に戸惑ってオロオロ状態だった)

  指揮者のクルレンツィスは
  ウィーンに向かう時に
  いくら何でも
  モーツァルトのバイオリン協奏曲と
  ベートーベンの交響曲だけでは
  ウィーンの聴衆には短すぎて物足りないだろう、と考え

  アジアへの演奏旅行からベルリンに戻ったばかりの
  ピアニストのアレクサンドル・メルニコフに電話をかけ

    お〜い、ウィーンにおいでよ
    一緒に音楽やろう

  という訳で
  本日は最初にモーツァルトのピアノ協奏曲20番
  その後にバイオリン協奏曲、後半をエロイカ、という事になりました。

  代役というのではありませんが
  コンツェルトハウス始まって以来の
  最も直前のコンサート・プログラム変更です。

いや、こういう変更なら大歓迎。
しかも今日は土曜日で
コンサートの後、オフィスに戻って残業する必要もないし(バンザイ)

さて、クルレンツィスがお得意とするモーツァルトを
自前のオーケストラで演奏したらどうなるか。

気絶しそう・・・

何ですか何なんですか、このモーツァルト。
音楽が跳ねてるし飛び回ってるし
え、そんなアクセントあり?
低弦が叫んでますけど、それあり?

メルニコフの「ピアノ」
確かに「ピアノ」であってチェンバロではないが
いったい、この「ピアノ」っていつの時代のピアノ???

ちゃんとハンマーはあるのだから
ピアノで、ピアノの音でもあるし
いや、そうなんだけど
いわゆる現代のグランド・ピアノとは全く違う音がする。

しかもペダルがない。
ペダルがないのにカデンツァの時に
音を重音で合わせるだけで
まるでペダルを使用しているかのような
すごい極彩色の色彩感を出したのには気が遠くなった。

気が遠くなって、そのまま爆睡しました。
すみません、だって、だって、だって
いくら超有名なピアノ協奏曲で
ワタシだって知っている曲ではあるのだが
やっぱりモーツァルトですよ。
モーツァルト聴くと、反射的に爆睡するんですワタシ。

これではいかん、と
バイオリン協奏曲だけは寝るまい、と
堅い決心をして気を取り直して
今回はしっかり聴いたのは

クルレンツィスとコパチンスカヤとオーケストラの
モーツァルトのテーマによる

掛け合い漫才

・・・それ以外に、どうやってアレを表現したら良いんでしょう。

これがモーツァルト?!
様々な才能あるプロの音楽家が
限りなく尊敬し、敬愛し
まるでクラシックの神であるかのように
その音楽をマジメに演奏するモーツァルト???

オーケストラも跳ねて飛んでだったけれど
そこに入ってきたコパンチスカヤのバイオリンのソロって

ネコの鳴き声

・・・気まぐれで、ワガママで
好き勝手やっているのに
そこはかとなく可笑しいネコが
モーツァルトの中で
暴れたり、ゴネたり、僻んだり
笑ったり、ゴロゴロしたり、昼寝したり

何だ、このモーツァルトは?!!!

いや、それこそが天才の鬼才が2人揃った、という事なんだけど
あまりに鬼才過ぎる。

これ、モーツァルトではあっても
モーツァルトじゃない、というか

このモーツァルト爆睡体質の私が
最初から最後まで
え〜っ、次に何やる?
という興味で、寝落ちもせずワクワク聴き続け

更には時々、口を押さえて
何とか笑いを堪えて(それでも顔はニヤニヤ笑いになる)
・・・だから、紛れもない「掛け合い漫才」と断言できる。

いや、凄い。凄過ぎる。
クラシック音楽というものを
真面目に難しい顔で
「楽譜に書いてある事がすべてです」などと
謹厳におっしゃる音楽ファンの方には
全く理解できない世界。

以前のコンサートの時には
途中で帰った「謹厳たる真面目なクラシック・ファン」も居たけれど
今回はクルレンツィスとコパンチスカヤが
何をやるか、興味津々で来ている人ばかりだったので

飛び交うブラボー・コール ♡

コパンチスカヤの自前のカデンツァのキュートな事。
(もちろん現代音楽入ってます)
更には、最終楽章での
アンティークのピアノとの駆け引き
(メルニコフ、そのまま残ってバイオリン協奏曲で一緒にピアノ弾いてた)
コンサート・マスターとの二重奏のやり取り(これがまた爆笑で)

コパンチスカヤ、あまりにキュート過ぎる!!!
クラシック界のナターシャと呼ぼう。
(バレエ・ファンの方ならわかるはず)

さて、後半はベートーベンの交響曲3番「エロイカ」

あれ????
オーケストラのメンバー、全員、立ってる・・・

さすがにチェロは座ってるし
ビオラの男性1名は足に何かあるのか座っていて
クラリネットの年配のオジサンも座っていて
コントラバスは高めの椅子に寄りかかっているけれど

後は弦も金管も木管も、全員立った状態。

指揮台なし、クルレンツィスは指揮棒もなしで
始まったエロイカ。

きゃ〜〜〜〜〜っ!!!

ピリオド奏法で古い楽器を使って
オリジナルの音色を出す、という
学者肌の真面目なオーケストラとか思っていたら大違い。

確かにモダンの音ではないけれど(ピッチが低い)
エネルギー溢れて活き活きしていて
リズミカルで、アクセントが面白くて
強弱激しくて
え?そのバランス?というところが
全然奇妙に聴こえて来ない(それだけ説得力があるのだ)

しかも
コンサート・マスター、面白すぎ!!!!
このコンサート・マスターあってのクルレンツィスか、と思えるくらい
このコンマスも鬼才というか変わり者というか

指揮者のプリエも凄いけれど
コンマスの膝も柔らかく
しかも時々ルルベになって
コンマスのジャンプなんて初めて見た(笑)

視覚的な刺激として
このコンサート・マスター
見てると全然飽きない、というより目が逸らせません。

もともとクルレンツィスが作ったオーケストラではあるけれど
全員が、この鬼才の指揮者のやりたい事を完全に理解していて
面白いじゃん、これ ♡ とノリノリで演奏しているのがわかる。

ベートーベンがものすごく新鮮。
古楽器なので
ウィーン交響楽団とジョルダンのような新鮮さとはまた違うし
アーノンクールがコンツェントス・ムジクスでやったような
オリジナルの響きに拘る方向ではなく

言ってみれば
グスタフ・マーラーが
え〜い、現代にシューマンのスコアは合わん、と
楽譜にものすごい手を入れてしまったような新鮮さ。
(マーラー編曲シューマン、シャイーでナマで全曲聴いた事がある。
 ついでに CD まで買ってしまったのだが、あれはあれで面白い)

鳴り止まぬ拍手に応えてのアンコールが
フィガロの結婚序曲で
これこそ、数千回も数万回も聴いている曲だと思うのだが
何でああ新鮮に聴こえてくるんだろう・・・信じられない。

こういう鬼才って
偉そうでマジメな音楽評論家に無視されて
斬り殺されそうな(ハンスリックだったらやってそう)
そういう危険性も大きいのに

よくぞ出て来てくれた!!!

時代がクルレンツィスを呼んだのか
こんな指揮者が数十人も現れたら
ちょっと困るけれど(爆笑)
この才能は誰にも真似できないだろう。

その意味では、ベスト指揮者ではなく
あまりにユニーク過ぎるオンリー・ワンの指揮者。

マジメなクラシック・ファンで
眉を顰める人も絶対に居ると思うけれど

たぶん、モーツァルトやベートーベンの時代に
貴族や庶民が音楽を楽しんだような感覚を
現代に蘇らせてくれる気分にさせてくれる
貴重な音楽家たちである事は間違いない。

心配しなくても、一度聴いたら
たぶん、ひっくり返って、椅子からずり落ちて
気が遠くなって、笑いが止まらなくなってから
強烈なファンになりますって(断言)

このメンバー、またウィーンに来て
ハイドンとペルゴレージを演奏するので
行きたいのは山々なのだが
同時期にオスロのノルウェー国立バレエの公演が・・・(涙)

ううう、行きたい公演が重なって
身体が2つないのが悲しい私に
どうぞ1クリックをお恵み下さい。


チャイコフスキー記念交響楽団 + フェドセイエフ

Musikverein Großer Saal 2017年3月6日 19時30分〜21時30分

Tschaikowskij-Symphonieorchester Moskau
バイオリン ソロ Mikhail Shetakov
チェロ ソロ Fyodor Zemlerub
ハープ ソロ Emilia Moskvitina
コーラス Singverein der Gesellschaft der Musikfreunde Wien
指揮 Vladimir Fedosejev
ソプラノ Anna Aglatova
テノール Sergei Radchenko
語り手 Peter Matić

Peter Iljitsch Tschikowskij (1840-1893)
Undina - Opernfragment
Rekonstruktion von Alexandra Maximova
mit verbindenden Texten von Konstantin Rytschkow

Peter Iljitsch Tschaikowskij
Suite aus dem Ballett “Schwanensee”, op. 20
zusammengestellt von Vladimir Fedosejev
I. Introduktion
II. Walzer
III. Pas de trois. Intrada. Coda
IV. Pas d’action
V. Tanz der Schwäne (4. Akt, Nr. 27)
VI. Tanz der kleinen Schwäne (2. Akt, Nr. 13)
VII. Mazurka
VIII. Finale

以前のモスクワ放送交響楽団である
チャイコフスキー記念交響楽団は
ウィーン交響楽団をフェドセイエフが仕切っていた際に

あいつはウィーン交響楽団で稼いだ金を
全部チャイコフスキー記念交響楽団につぎ込んでいる

と、かなり嫉妬混じり(笑)の言い方をされていた
ウラジミール・フェドセイエフの手持ちオーケストラでもある。

今回のゲスト公演は本日と明日。
チクルスとしては、実は明日のコンサートのチケットを持っていたのだが
ご存知の通り
我が祖国が世界に誇る日本放送交響楽団のウィーン公演と重なり

慌てて同じプログラムの本日のチケットを追加で買ったのだが

チャイコフスキーのオペラのフラグメントで
歌手が入るし
フェドセイエフさまだし
え〜い、いつもより良いチケット買っちゃえ

・・・こういうのが、ますます財政を圧迫するのだ
(とわかっているけど止められない)

さて、このウンディーナ(オンディーヌ)というオペラは
ご存知ドイツの小節ウンディーネを基にした
チャイコフスキー28歳の時の2番目のオペラ。

だが、作曲したのに上演を断られて
楽譜は放棄されてしまった・・・のが
ちょっとだけ見つかって
物好きな人たちが・・・いや、あの、その
そういう事に興味のある人たちが
再構成したもの。

もっとも、それでも全く失われた2楽章というのは
構築できていないので、最初と最後だけ。

一部のメロディは他の作品に使われている。
最後で突然、白鳥の湖のメロディが
アリアで歌われたのには、仰け反った。

交響曲第一番より後の作品で
如何にもチャイコフスキーらしい ♡

最初のインストルメンタルが
色彩感に満ちて
特に木管の使い方が巧くてチャーミング。

オンディーヌのアリア
ソプラノの声がキレイ。
価格の高い席は、やっぱり歌手が入ると響きが違う。
多少音程が不安定な部分はあったけれど
あれだけ澄んだ声で
可愛らしくオンディーヌを歌ってくれたら、すごく満足。

嵐の情景とかのオーケストレーションが素晴らしい。
本当にこれ、初期作品か?
怒濤のコーラスは、音量が大きすぎて
オーケストラと一緒になると
ほとんど団子状態で、全く解像度ゼロだったが
その分、出てくるエネルギーの凄さが圧倒的。

後半に入ってくる騎士フルブラントのテノールは
あくまでもオペラ的歌手で
テノールの泣き節がオペラ好きにはウケそう。
(オペラ嫌いなのでちょっと冷淡)

フォルティッシモのコーラスと一緒に歌っても
きちんとテノールで響いてくる声量は
オペラ向きかもしれない。

書いた通り、最後がバッチリ
白鳥の湖のメロディになるので
これがオペラとしてアリアで歌われるのを聴くって
非常に不思議で不可思議な体験だったけれど
違和感なく収まって、素晴らしかった。

フェドセイエフって
いつも、本当に珍しいモノを持ってくる。
手垢のついた名曲だけではないのが
さすが老練な指揮者の見識だ。

後半の白鳥の湖も
指揮者フェドセイエフ自身が選んで並べたもの。

こちらは幕間に木管が練習しているのを聴きながら
ああああ、オルガさま、と独り悶絶していたのだが
(すみません、バレエ・ファンの方には分かる筈)

蓋を開けてみれば
最初からジークフリートが独り悩んで踊るソロで
オデットは出て来ない。
(目の前にデニスが浮かんだ時には椅子から転げるかと思った)

その後、突然、ロットバルトが現れてギョッとする。
(いや、ロットバルトって最初にチラッと出るんだっけ?
 でも通常は最終幕で活躍するんだよね?)

その後のワルツが
これ、バレエでは群舞のシーンの筈なんだけど
これが、何か異様に長いんですが・・・
バレエの時って、あんなに繰り返し多くなかったと思うんだけど
そりゃ美しいメロディだが
あそこまで繰り返しが多いと単調でちょっとお腹いっぱい。

不思議な事に
その後のパ・ド・トロワと、パ・ダクションの2曲は
聴いた事がない。
ウィーンで上演されるヌレエフ版にはない曲なのかしら。

最終幕の白鳥たちのコールドが
一糸乱れぬ群舞を繰り広げる幻想的なシーン。

うわああああっ
ハープのソロが何ですかこれ、すごい、凄すぎる。
こんなハープのソロ、聴いた事がない。
豊かな音色で、ものすごいニュアンスがあって
多少、アピールする派手目な印象のすごく華やかなソロ。
(これ、ウィーンのバレエの白鳥の湖と、楽譜違うよね?)

バイオリンのソロは
まぁ、すみませんね
一応ウィーン・フィルの歴代のコンマス色々と聴いてるもんで
(ああ、イヤな言い方)

最終シーンだってオデットよりは群舞のシーンが中心で
その後、何故か、その前の第2幕の
4羽の小さな白鳥たちが
目にも止まらぬ速さでタカタカ出て来て
(あのテンポではどんなバレエ・ダンサーも踊れません!)

その後のマズルカって何だったっけ(既に記憶にない)
で、フィナーレだが
ううううん、ヌレエフ版では
ここは王子が波に巻き込まれて
地上でバタバタしている後ろを
ロットバルトにリフトされたオデットが
薄い幕の向こうに、微かに見えながら遠ざかっていくシーン。

オデットの出番が少ないじゃないかっ!(怒)

いや、もちろん、これ、コンサートであって
バレエではないので
本当は純粋に「音楽」として聴くべき、というのは理解しているが
クラシック・オタクにバレエ・オタクが混じっている身としては
オディールが無視されているのはともかく
オデットの出番が少ないのはちょっと・・・

しかし面白い組み方で、新鮮ではある。
音は、やっぱり団子になるけれど
これは、きっといつもより高級な席の特徴なのかも。

何回も出たり入ったりするよりも
早めにアンコール1曲。
まぁ、元気でノリの良い曲を
コンサート全部終わった後に、よくぞまた演奏した。

と思ったら
何とアンコールもう1曲。
こちらは帰る準備を始めていて外に出たら
会場がシンとしたので
いかん、と、いつもの席に飛び込んで
あの高級席じゃなくて、いつもの貧民席から
最後のアンコールを聴いた。

快速ロマンス・グレーのフェドセイエフさまの
面目躍如っていう感じ。
若々しくてエネルギーに溢れていて
でも乱暴にならず
音楽への愛がジワジワと伝わってくる ♡

フェドセイエフも84歳。
指揮台への上り下りがちょっと足元がフラフラするところもあったが
まだまだ、指揮姿もお元気そうで
永遠の美中年、あ、いや失礼
若々しいエネルギーが横溢した音楽を聴かせてくれる。

まだまだご活躍下さいね、と
心から祈って感謝して会場を後にした私に
どうぞ1クリックをお恵み下さい。



バレエ・オタク的には
5月・6月には
国立オペラ座で、また白鳥の湖が予定されている ♡
オルガさまはまだ観られないけれど
できる限り追い掛けます。
(とは言え、5月・6月ってコンサートの数も凄いので
 結構バッティングしていて頭が痛い)

イェーテボリ交響楽団 + マルク・スーストロ

Wiener Konzerthaus Großer Saal 2017年2月15日 19時30分〜21時20分

Götebourger Symphoniker
テノール Klaus Florian Vogt
指揮 Marc Soustrot

Jean Sibelius (1865-1957)
 Finlandia op. 26 (1900)
Richard Strauss (1864-1949)
 Vier Lieder op. 27 (1894)
  Nr. 3 : Heimliche Aufforderung
 Ständchen op. 17/2 (1885-87)
 Freundliche Version op. 48/1 (1900)
 Liebeshymnus op. 32/3 (1896)
 Vier Lieder op. 27 (1894)
  Nr. 1 : Ruhe, meine Seele !
  Nr. 4 : Morgen !
  Nr. 2 : Cäcilie
Modest Mussorgski (1839-1881)
 Bilder einer Ausstellung (1874/1922)
 Bearbeitung für Orchester : Maurice Ravel

イェーテボリ交響楽団のコンサートは
当初、アラン・アルティノグリュが指揮する予定だったが
オーストリア・ドイツ・ベルギーを巡る演奏旅行をキャンセル。
マルク・スーストロが指揮台に立った。

最初はフィンランディア(笑)
ちょっと国が違うけれど
ご挨拶曲としては良い選択。

あまり熱くならず
比較的繊細に仕上げている。
まぁ、コンツェルトハウスのデッドな音響もあるけれど。

さて、この間の「死の都」で聴き逃した
クラウス・フローリアン・フォークトだが
プログラムの順序を変えて
リヒャルト・シュトラウスの4つの歌の
Heimliche Aufforderung を最初に歌ったので
プログラムには、別刷りの紙が一枚入っていた。
(いやはや、これ面倒だったろうなぁ、コンツェルトハウス関係者には(笑))

甘いテノール健在だが
この人の声の質って
(声量はむちゃくちゃある)
男の子がそのまま大人になったような
女性で言えばスープレットのような声なので
あの、色っぽくて艶っぽい、秘密めいた曲が
何だか、若い男の子に誘われているみたいで
全然エロチックにならん!!!

次のセレナーデは、内容としては声の質に合っていて
これは可愛かった ♡

Ruhe meine Seele ! って割に暗い曲だと思うのだが
あのテノールで歌われると
何か、全然暗くならないけれど
あまりに声がチャーミングで可愛いので許す。

Morgen ! は、最近、みんな歌うけれど
流行なのかしら。
曲が短くて、歌うところがあまりないからな・・・(邪推)

Cäcilie で盛り上げて終わろうという意図はよくわかる。

アンコールに Zuneigung を聴かせてくれたのだが
実は、これが一番良かった。

あの甘い声のテノールは
やっぱりメロディたっぷりの伸ばすフレーズで聴くのが一番良い。
何も好き好んでドイツ語のブチブチ切れるものを歌わなくても
どちらかと言えば、イタリアのベルカントで聴きたい声だ。

さて、流行と言えば
ムソルグスキーのラヴェル編曲版「展覧会の絵」も
最近、何回も何回も何回も聴いているような気がする。

最近と言えば、1月23日に
シカゴ交響楽団とムーティで、この曲聴いちゃったから
オーケストラの巧さとか
アンサンブルの精密度から言ったら
やっぱり、このオーケストラ
どうしても多少劣って聴こえるのは仕方がない。

こんなスタンダードな曲
どうやって工夫したって面白くならんだろ、と思っていたら

グノームの演奏の最後の方で
弦にあれ?という、ちょっと外れ気味のポルタメント。
えええ? ありゃ、これ、すごく面白いじゃないの。

古城の演奏なんか
古城というよりは
重力がなくなって、空に浮いた古城のようなイメージで
(そういうジブリ映画ってあったよね(笑))

サックスのソロは間違いなく名人。
メロディが長いボーゲンで歌われて聴き惚れた。

無理に速いテンポは使わず
丁寧な演奏なので
情熱とか熱狂とかから、かなり遠い
冷静な造りに聴こえてくる。
(まぁ、これもコンツェルトハウスの音響のせいかもしれない)

シカゴ交響楽団+ムーティと比べてはいけないけれど
それなりの工夫も見えたし
色彩感というよりは
もっとマジメな安定した正統的なオーケストラ音楽だった。

客演オーケストラが持って来るアンコールは
私にとって楽しみの一つだが(センスがわかる)

Wilhelm Stenhammer : Interlude (Sången, symphonische Kantate op. 44)

コンツェルトハウスは
自分が行ったコンサートの後に
アンコール曲を携帯電話のショート・メッセージに送ってくれる、という
とても有り難いサービスがあるのだ。

この演奏がむちゃくちゃ良かった ♡
本当に素晴らしかった ♡♡♡

調べてみたら
このヴィルヘルム・ステーンハンマルって
このオーケストラの歴代指揮者の1人で
スウェーデンの最も重要な作曲家の1人と書いてある!!!

いや何ですか、これ。
素晴らしいじゃないですか。
この作曲家、他にも作品がたくさんあるみたいなのに
何で、こういう曲を持って来ないのかしら?
(残念ながら、知名度の低い曲のコンサートのチケットは
 確かに売れ行きが悪くなるのだが・・・)

考えてみれば
フィンランディアのシベリウスはフィンランド
私の好きなカール・ニールセンはデンマーク
ピアノ協奏曲で有名なエドヴァルド・グリークはノルウェー。

スウェーデンの作曲家と言われても
確かに私、誰も知らないわ(勉強不足)

あまりに素敵な曲だったので
Youtube で探してみたら
同じオーケストラの公式チャンネルで
やっぱりアンコールで弾いている6分強のビデオがあったので貼っておく。



クラシックの名曲、山ほど聴いているような気がするけれど
まだまだ知らないお宝が山ほどある、と思うと
ちょっと興奮してしまう私に
どうぞ1クリックをお恵み下さい。




バイエルン放送交響楽団 + マリス・ヤンソンス

Musikverein Großer Saal 2017年1月30日 19時30分〜21時

Symphonieorchester des Bayerischen Rundfunks
指揮 Mariss Jansons

Gustav Mahler (1860-1911)
 Symphonie Nr. 9 D-Dur

音楽会に行ったとか
コンサート聴いて来た、とか
そんな生易しいものではなかった

・・・というのが
唖然として会場を出て来た私の正直な気持ちだったのだが

自分用メモだから
まずは長い長い長い前置きから行く(すみません)

ヤンソンスとバイエルン放送交響楽団のこのコンサート
実は発売日を完全に見逃していたのである(恥)

めぼしいコンサートは
自分のカレンダーをチェックしながら
発売初日を書き込んでいるのに

いつだか、地下鉄の駅の中で
ヤンソンスとバイエルン放送響
グスタフ・マーラーの交響曲9番、というポスターを見て
あぁ、こういうの、絶対にチケット持ってるわ

・・・と思ってカレンダー見たら
見事に1月30日の予定がない!!!!

焦って楽友協会のサイトを見たら
当然、立ち見席以外売り切れ満杯。

立ち見席に偏見はないけれど
楽友協会の立ち見席というのは
音響的には最悪のスペースなのである。

舞台が見える見えないは全然気にしないけれど
あんな音の飛んでこない、籠る場所で聴くのはイヤ。

ふん、マーラーの1曲だけだし
別にマーラー聴く気分じゃないし
・・・とか、色々と自分に言い聞かせつつ
毎日、楽友協会のサイトをチェックしていたら

出たぁっ!!!
カテゴリー5の席が!!!
(いつもはカテゴリー6の席を買う)

49ユーロでバルコン・ロジェだが
いつも行っている側だし
49ユーロ、49ユーロ、うううううん、高い
高いのは確かだし、たったの1時間ちょっとのコンサートだし

と、迷ったのは5秒くらい。

楽友協会のチケットも
自宅でプリント・アウトできる方式が採用されて
払い込みは銀行の口座からネットバンキングだし
チケット買うのに手間が要らない分

口座の残金が恐ろしい事になって行くのだが
それはもう、クラオタの宿命で
(って、なんか他人事みたいだが、それで良いのか?)

下から2番目のカテゴリーだから
舞台は見えない・・・というより
一部がかろうじて見える。

コントラバス8台と
第2バイオリンと(今日は対抗位置だった)
ホルンの一部と
その向こうに座っている
ポディウムの観客が見える。

(あの編成で舞台上まで席作って売ったんかい。
 楽友協会ってある意味、スゴイな)

指揮者は見えない。
木管も見えない。
パーカッションも見えない。

で、どうせ見えない席だろうからと
バッグの中にはオーケストラ・スコア。

第1楽章から第3楽章まではスコアを追う気は全くない。
(どうせ追いていかれるだろうし)

スコアを持参した理由は
最終楽章を追いたかったからである。

見栄っ張りが自分の恥を晒すのは苦痛なんだけど
マーラーの交響曲9番の最終楽章って

どこで終わるか、今ひとつハッキリしないんだもん(汗)

弦が恐ろしいピアニッシモになっていって
途切れ途切れの吐息みたいに続いて
いつまで続くの、この吐息・・・とか思っているうちに
何となく終わってしまう、という状態は
今日は絶対に避けたい(悲愴な決心)

第4楽章のところを開けたまま足の上に置いて
始まった演奏だが

あれ?何か・・・普通というか
いや、オーケストラむちゃくちゃ巧いし
昨日、上品に演奏していたのと違って
時々、マーラーっぽい皮肉の
荒い部分が爆発的にあって
だけど、別に巧いだけで
そんなにあれこれ言う程の事もないような気が・・・

凄い失礼な事を書いてますが
もともとここ数ヶ月、マーラーを聴く精神状態にないし
ヤンソンスと聞いただけで
ああ素晴らしい指揮者だわ、という思い込みで
感激してしまうプラシーボ効果は私にはない。

いつもの位置と席が違うから
音も多少遠くて
その代わり、フォルテの部分は非常にバランス良く聴こえてくる。

という感じで
割に冷静に、分析的に
ついでに、いつもの観客より
多少なりともハイ・ソサエティな周囲の観客を
観察している余裕まであったのだ。

・・・って、自分で書いていてイヤになるわ。

まとめてのチクルス買いで来ている人がかなり居て
演奏中にプログラム読んでいたり
居眠りしていたり

でもチクルスで買える財力を備えた
ご年配の方々なので
スマホも弄らず
居眠りも極めて静かで上品 ♡

第2楽章の途中で
あの繰り返されるエレメントが
悪魔のストーカーに聴こえてきてゾッとしたが・・・
(脳内妄想)

座敷童というか
何か人の横っちょをコソコソ動いて
追い払おうとしても去っていかず
小柄な身体に邪悪な気配を纏って
隙あらば、悪い事に引きずり込むみたいな

あんな陽気で能天気に響くエレメントが
おかしな世界の邪悪な微笑みに聴こえて来たのは
私の精神状態がオカシイのかもしれない。

さて、最終楽章では
スコアをジッと見つめて追って行ったのだが
演奏が始まったとたんに
圧倒的な力に
思い切り殴られた(そういう気分)

すみません
ここで沈黙させて下さい。

世界で最も美しい曲と言うものがあるのなら
(まぁ、個人の好みとかあるから
 「世界で一番」という主観的な対象物はあり得ないけれど)
このマーラーの交響曲9番の最終楽章ではないだろうか。

豊かな厚みのある弦の完璧なアンサンブルを
楽友協会の大ホールの残響が
優しくまろやかに包んで

そこに出現するのは
天国と地獄、この世と彼岸の間を揺蕩う
現実にはあり得ない空間。

感情的になり過ぎないように
スコアまで持って来ているのに
実際にはスコアを追いながら

冷静なチョイ悪ババアの見栄っ張りを気取っている私が
涙ボロボロ出てくるのを止められなかった状態。
(いや、恥ずかしい・・・)

この響きは、楽友協会の大ホールでないと
きっと聴けないだろう、と確信させるだけの力があって

しかもスコア見てると
各パートのフォルテ記号やクレッシェンド、デクレッシェンドが
もう見事に細かく書き込まれていて
(そういうのを見ちゃうだけの冷静さはあったみたい)
何て美しいスコア。

音響構築の完璧さ。
(移調楽器が多いのには参るけど・・・読めないじゃんか)
ああ、ここでこの楽器をこう重ねると
こういう音が出るのか、という目からの納得と
複雑な和声の妙味が
耳から入るわ、目から入るわ
ほとんど地獄だよ、これは(←狂喜している)

最後の1ページ。
指揮者にもオーケストラにも緊張感マックスで
聴いている方も固唾を飲んで集中する
あの最後の5分で

かなりでっかい声を出して
何回か咳き込んだ男性がいて
満場1800人の顰蹙を買っていた。

(まぁ、咳は仕方ないんですけど
 普通、この曲を聴きに来る時は
 のど飴を充分に用意した上
 厚手のハンカチか小さなタオルを用意しませんか?
 いや、しないんだよね、ウィーンの聴衆って(ため息)
 ・・・それでも顰蹙買う咳をしたのが1人だけだった、というのは
 ウィーンではスゴイ事ではある)

しかしあの世界観はいったい何なんだ。
作品そのものの持っている力というのは
当然あるのだけれど
ヤンソンスとバイエルン放送交響楽団が描き出した
地獄のような天国のような
あの圧倒的な音響空間に出現した
全く別の世界って、何だったんだろう。

スコア追っていたお陰で
最後の音がどれかは明確にわかったんだけど

もうその時には
次元の違う空間に思い切りすっ飛ばされていて
全然コッチの世界に戻ってこられない状態。

マーラーの9番だから、と覚悟はしていたけれど
まさか異空間にすっ飛ばされるとは
考えてもみなかった。

もう完全にフラフラ状態で
会場出てから
同じコンサートに行ったらしい
年配のご婦人たちが
ウチの孫がね、なんて言う話をしているのを
地下鉄の駅で聞きながら

ううう、私も早いところ
現実世界に戻らねば・・・と思いつつも
頭の中でずっと、あの透明感のある厚みのある弦が鳴っていて
異次元の空間を彷徨っていて

いやこれ、今日は自分の車で運転して帰ったら危ない
・・・と
会社のガレージに車を突っ込んだまま
ボーッとしながら
公共交通機関で帰宅した私に
どうぞ1クリックをお恵み下さい。



しかしマーラーってコワイ。
ある意味、聴いているものの認識を
根底からひっくり返すだけの力を持っている。
くわばらくわばら。

バイエルン放送交響楽団 + マリス・ヤンソンス

日曜日のダブル・ヘッダー。
時系列で読みたい方は ここ からお読み下さい。
(註 たいして面白い事は書いてません、すみません)

下は夜のコンサートの勝手な覚え書きです。


Musikverein Großer Saal 2017年1月29日 19時30分〜21時30分

Symphonieorchester des Bayerischen Rundfunks
指揮 Mariss Jansons
アルト Gerhild Romberger

Vladimir Sommer (1921-1997)
 Antigone. Ouvertüre zur Tragödie des Slphokles
Gustav Mahler (1860-1911)
 Kindertotenlieder nach Gedichten von Friedrich Rückert
 für eine Singstimme und Orchester
Sergej Rachmaninow (1873-1943)
 Symphonische Tänze für Orchester, op. 45

バイエルン放送交響楽団とマリス・ヤンソンスのコンサートは
本日と明日でプログラムが違うが
両方とも見事に売り切れのシールがポスターに貼られている。

ミュンヒェンなんて
そんなに遠くないから
聴こうと思えば行けるんだけどね(笑)
反って近いところには行き難いとか・・・

ヤンソンス人気はあるだろうなぁ、きっと。

さて、最初のウラジミール・ゾンマー。
ヤナーチェックのもとでも勉強し
ヨゼフ・スークの孫弟子にあたるチェコの作曲家だそうだが
全然知らない人(不勉強ですみません)

ソフォクレスのアンティゴネをドラマチックに表現した曲だが
何かこれ、ヘンにリヒャルト・シュトラウスに似てるような気が。

クレオンのテーマが木管で出て来るのだが
これ、リヒャルト・シュトラウスの英雄の生涯のバイキンと
すごく似ているように聴こえてくるのは何故なんだ(すみません無知で)

木管があまりに良すぎて
アンティゴネは弦のメロディで表現されるらしいのだが
弦のメロディより
木管のバイキン(いや、英雄の生涯では評論家だっけ?)が
活き活きしていて音色がキレイで
空気を切り裂いて飛んでくるので印象的。

ご挨拶の最初の曲にコレを持って来たというのは
我々のオーケストラの見事な木管を聴け!!!って事だなきっと。

さて、次は「亡き子を偲ぶ歌」なのだが
当初予定されていたヴァルトラウド・マイヤーがキャンセルされて
ゲルヒルド・ロムベルガーという歌手で
いったい誰だこれ?と思ったが
かなり国際的に活躍している歌手らしい。

声が深くて通って
いや、これ、見事じゃないの(ビックリ)

オーケストラが
まるで室内楽のような精密さ。
重くなく、あくまでも透明感を持っていて
そこに乗る深いアルトの歌声が
大袈裟にならず節度を持った悲しみを深く描き出す。

この曲、今まで私、男性のバリトンでしか聴いた事がなくて
アルトで聴いたの初めてだと思うのだが
バリトンで歌われる時と、雰囲気がやっぱり違うなぁ。

あくまでも内向的
抑えて抑えて抑えた時に出てくる
やりきれない悲壮感が
表面に出てこない分、グッサリ刺さってくる。

まぁ、私、子供がいないので
ああいう曲の本質的なところは理解できないが(すみません)

オーケストラの見事な事。
名人揃いの木管・金管に弦が
あれだけクリアな透明度を持って
深いアルトに寄り添って行くと
そのバランスの良さに舌を巻く。

後半がラフマニノフの交響的舞曲。
これ、すごく好き ♡ なのだが
これを中途半端なリズムで演奏しようとして
コケた演奏も何回も聴いているので
あまり期待せずに聴いてみて

ひっくり返りました。

ヤンソンスの棒って、魔法ですか?
この間のムーティもそうだったけれど
天才で老練な指揮者って
本当に魔法使いにしか見えない事がある。

絶妙なテンポに加えて
くっきりはっきりパートがわかるほどの
クリアなオーケストラの音色に
名人揃いの木管・金管が大活躍して
(しかしこのオーケストラの木管って
 超超超一流じゃないか。驚いた)

すごいマッチョなラフマニノフ。
知らずに聴いたらベルリン・フィルと言われても信じたかも。

筋肉質で締まっていて堅くて
第2楽章のメランコリーも
大袈裟に流される事なく
激情に駆られず
ものすごい自己抑制の効いた
ほとんど禁欲的なまでのラフマニノフ。

この曲、激情の任せるままに
ガンガン弾いたら気持ち良さそうな感じがするが
ヤンソンスとバイエルン放送交響楽団の音は
絶対に下品にならないのだ。
エネルギッシュでマッチョなのに
あくまでも優雅で高雅でクラシックで
じゃぁマジメ過ぎてつまらないかと言うと
そこを行き過ぎでないドラマチックさで補って

いやん、何ですかこれ
ほとんど理想的な演奏じゃないですか。

さすがに売り切れコンサートで
クラオタが揃って会場に居るらしく
咳もほとんど聞こえて来ないし
私の近くで小声でお喋りしていた観光客集団は
前の気難しそうなオバサンが
凄い勢いで後ろ向いて
手でスマホを叩いてから静かになったし。

これこそがクラシック・コンサートの会場の静けさだわ♡
貴賓席には前任の大統領も奥方とご出席だったし
何か会場が
とってもハイ・ソサイエティだった(笑)

さてラフマニノフで
オーケストラとヤンソンスの巧さにぞっこん惚れた後に
アンコールが、アンコールが

ひえええええええっ!!!
シューベルトですよ、シューベルト!!!
楽興の時第3番!!!!

絶句・・・というより
何というシューベルトらしいシューベルト!!!
いや、バイエルンって同じ文化圏だけど
弦の音の柔らかさ
(さっきのマッチョなラフマニノフから大変身!!!)
隠されたメロディ・ラインが浮き上がり
あまりに、あまりに、あまりに素晴らしくて

このオーケストラでシューベルト聴きたいっ!!!
と叫びそうになってしまった。

え〜い、何でシューベルト持って来なかったの?
ラフマニノフの筋肉隆々のマッチョも良いけれど
この、端正であっさり感あるくせに
とことん音楽的なシューベルトを演奏するなら
プログラムもシューベルトで聴きたかったですっ!!!

鳴り止まぬ拍手に応えて
今度は何か金管・木管・パーカッションが
ド派手に大音響を鳴らす曲を演奏したのだが
あれは何だったんだろう???
(後で楽友協会のサイトに掲載されたら追補しておきます)

マーラーもラフマニノフも良かったけれど
実は最後のシューベルトに一番感激してしまった
感受性ゼロに近いアホな私に
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ルクセンブルク・フィルハーモニー管弦楽団 + ヒメノ

Wiener Konzerthaus Großer Saal 2017年1月20日 19時30分〜21時40分

Orchestre Philharmonique du Luxembourg
バイオリン Sergej Khachatryan
指揮 Gustavo Gimeno

Maurice Ravel (1875-1937)
 Pavane pour une infante défunte (1899/1910)
Dmitri Schostakowitsch (1906-1975)
 Konzert für Violine und Orchester Nr. 2 op. 129 (1967)
Igor Strawinski (1882-1971)
 Le Sacre du printemps (1911-1913)

このルクセンブルク・フィルハーモニー管弦楽団って
2015年6月7日にクリヴィヌの指揮で聴いているのだが
今回は首席指揮者になったグスターボ・ヒメノと客演。

ヒメノは今まで接するチャンスがなかったのだが
日本にも2015年に行っているようで
パーカッショニスト、指揮者、教師など
色々な音楽体験を積んでいる人らしい。

で最初がラヴェルの
亡き王女のためのパヴァーヌ。

(沈黙)

あのあのあの
このオーケストラとヒメノ
ご挨拶代わりの最初の短い曲に
なんでこんな曲を選んじゃったの?

う〜ん、私が普段聴いているオーケストラとの
音色の違いが大きいのだろうが
最初のホルンのソロが・・・

当たり損ねは2ヶ所くらいだったのだが
何か普通にウィンナー・ホルンを聴いている耳に
何だか粗いホルンの音が気になって気になって。

このオーケストラ、以前聴いた時には
マイナーだけど、なかなか繊細なオーケストラ、と思ったのだが。

ショスタコーヴィッチのバイオリン協奏曲2番。
1番は2010年に何回か聴いたけれど
2番も同じく

バイオリニスト最初から最後まで弾きっぱなし
しかも最初から最後まで暗くて
一番最後の数小節だけちょっと明るくなる

という、何かよくわからん曲だが

バイオリンを弾いたセルゲイ・ハチャトリアン。
このバイオリニスト
2010年と2014年にウィーン交響楽団で聴いた事がある。

僕の人生にはバイオリンしかありません
・・・と言う印象を撒き散らす
マジメで暗くて優等生で
朝から夜中までずっとバイオリン弾いているタイプ

・・・に見えるのは、ただの私の偏見と妄想です。

そんな優等生タイプの
ひたすらマジメなバイオリニストなのに
いや、だから、なのかもしれないけれど

音色はしっとり感たっぷりで
厚みのあるしっかりした音が
滑らかにカンタービレで流れてくる。

ロシアだのショスタコーヴィッチだのを忘れてしまうような
穏やかな印象があって

ぐっすり熟睡(自爆💣)

あっ、でも私だけじゃないですよ寝てたのは
(言い訳にならん)
私は音楽聴きながらウトウトしていたけれど
隣の隣あたりからは
イビキになりそうな鼻息がずいぶん聞こえてました(笑)

しかしこのバイオリニスト
技術の裏打ちが凄いのだろうが
本当に音色の手触りが滑らかで気持ち良い。

アンコールに弾いたバッハのソナタも
透明な音色で美しくホールに響き渡る。
ワタクシ的な好みから言えば
ちょっとセンチメンタル過ぎだが
音色の美しさは素晴らしい。

後半は「春の祭典」
オーケストラの編成が大きくなって
舞台一杯に広がる。

ファゴットのソロは見事 ♡

ヒメノのこの曲の解釈というかプレゼンの仕方が面白い。
低音に隠されたメロディ・ラインが強調されていて
管楽器の複雑なポリフォニーのアンサンブルが
全部、しっかり拾われていて
どの楽器も、ちゃんと分解されて聴こえてくる。

リズム感はさすがにパーカッショニストかも。
無駄のない、キリッと締まった速めのテンポ。

全体的に力みもない代わりに
あんまり迫力とかは感じないなぁ。

泥臭くない。
ロシアっぽくない。
民謡っぽくない。

都会のモダンな雰囲気に洗われた
洗練された速め・軽めの
野性を感じない春の祭典。

もちろん、こういうのは
あくまでも個人の印象なので
あの演奏から
エネルギッシュな野性を感じる人が居ても
良いと思う。
(だいたい、どの席に座っているかで
 印象なんてガラッと変わる可能性もあるし)

で、シロウトはコワいもの知らずだし
厚かましいし
独断・偏見に満ちているから言っちゃうけど

このオーケストラ、技術的には
ちょっとまだ、色々と問題が・・・(すみません)

細かい部分を
鬼の首でも取ったようにあげつらうのは
あまりにガキっぽいので止めておく。
(それに、それって間違ってる可能性も大だし(笑))

割に地味な、良いとこのご子息・ご令嬢のオーケストラって感じだから
上品で上質な音は出ているのだが
ちょっと気になった部分も含めて
何かチマチマとまとまってしまった、という印象。

アンコールの最初の小節聴いて、ひっくり返った。

シューベルトのロザムンデ・・・

いや、サービス精神ですよ、これは、きっと。
ウィーン公演だからシューベルトを演奏しようと
オーケストラも指揮者も張り切ったに違いない。

・・・けど、ごめんなさい、ホントにごめん。
その響き、いつも聴いてるウィーンのオーケストラと
全く違ってます。
優雅に演奏しようと思っているのはわかるけど
それ、優雅というより、ちょっと痩せた感じに聴こえてくる。
(私の耳が悪いという可能性が充分にある事を
 読者の皆さまはお忘れなく。
 これ、あくまでも勝手な印象記です)

頑張ってサービスしたのが
思い切り滑った・・・という感じだったなぁ。
ごめんね。

ところでチラッと思ったのだが
このオーケストラの名称
プログラムにはフランス語で書いてある。

オルケストレ・フィルハーモニック・ドゥ・リュクサンブールと
しっかり書いてあるんだけど
リュクサンブールって
ルクセンブルク公国の事だよね。

あの国は公用語は
ルクセンブルク語・フランス語・ドイツ語の筈だが
何で Philharmonisches Orchester von Luxemburg って
ドイツ語で書かないんだろう???

何かフランス語で書いた方が洒落てるからかしら?(笑)

指揮者のヒメノは引き続きウィーンに残って
来週はウィーン交響楽団の指揮台に立つ。

まだ未知数の指揮者なので
本当はウィーン交響楽団のコンサートも
何回か聴きたいのだが(全部で3回同じプログラムで予定されている)
ちょっと色々あって(リーズの結婚とか(笑))
1回しか聴けないのがちょっと残念。

オーケストラの音って
各オーケストラによって
あるいはお国柄によって変わってくるんだなぁ、と
つくづく思った私に
どうぞ1クリックをお恵み下さい。



都市部のウィーンでも
最近はマイナス10度以下になる事もある。
ここ数年暖冬が続いたので
みんなブチブチ文句を言っているけれど
セントラル・ヒーティングの効いている屋内では
何も感じません(笑)

シュターツカペレ・ベルリン + バレンボイム

Musikverein Großer Saal 2017年1月11日 19時30分〜21時40分

Staatskapelle Berlin
指揮とピアノ Daniel Barenboim

Wolfgang Amadeus Mozart (1756-1791)
  Konzert für Klavier und Orchester D-Dur, KV 537 “Krönungskonzert”
Anton Bruckner (1824-1896)
  Symphonie Nr. 3 d-Moll, Zweite Fassung (1877)

年明け初めての楽友協会でのコンサートは
シュターツカペレ・ベルリンとバレンボイムの客演で

年明けの最初の楽友協会がモーツァルトとはね(笑)
(註 モーツァルト聴くと反射的に爆睡する体質)

ちょっとだけノン・ビブラート奏法を入れているのか
温かみのある曇ったようなオーケストラの音なのに
キレは良くて、ダイナミックなオーケストラに
バレンボイムのピアノが入ってくる辺りで
・・・すみません、いつもの通り、爆睡状態になりました。

年が変わっても、私の体質に変更はなさそうだ(反省)

お目当ては後半のブルックナー、交響曲3番。
バレンボイムは暗譜で指揮しているが

プログラムを見たら、本日演奏されるのは第2稿。
たぶん、私が聞き慣れているのは第3稿なので
頭の中と食い違う、というよりは
あら、そんなフレーズや繰り返しやテーマ、あったかしら
みたいな
でも、もちろん聴き慣れたフレーズも出てくる訳で

聴いていて、油断がならん(笑)

で、この第2稿、聴いてると面白い。
確かに長いし、多少冗長なんだけど

マッチョになって金管がグワーッと咆哮する部分と
ナヨッとなっておとなしくなって
何だか非常に繊細で恥ずかしがり屋の部分の対比が面白い。

力強い部分と恥ずかしがっている部分が
交互に現れて
何かこの交響曲
複雑な面を持った人間の感情を
全部、曲の中にぶち込んでみました、という感じだ。

いや、こんな極端に躁から鬱まで
見栄っ張りから恥ずかしがり屋まで
こんな大きな揺れ幅のある不安定な人間と
実際にはお付き合いしようとは思わないけれど

音楽として聴くなら大丈夫(笑)
いや〜、イヤな奴だなぁ
さっき、大見得張っていたと思ったら
突然落ち込みやがって
・・・あ、いえいえいえ、勝手な妄想で擬人化してごめんなさい。

ちょっと記憶にある部分と
記憶にない部分とが
絶妙に入り交じって
かなり面白い体験になった。

しかしまぁ、巨匠バレンボイムって
こういう、色々な稿のある曲まで
全部完璧に頭に入ってるのか・・・(驚嘆)

オーケストラは容赦ない音量のフォルティッシモを出してくるが
これが楽友協会のホールに響くと
かなり良い感じで、ウルサイとは思わなかったのも発見。

演奏中にモーツァルトの最後のところと
ブルックナーの途中で1回か2回
携帯電話を派手にならした観客が居て

モーツァルトの時には
本当に最後のところだったので
(しかもメロディ付きで派手に鳴った)
その後、大音響になったオーケストラとピアノが
かなりの怒りを籠めて
すごい勢いでフィニッシュに持っていったのが
ちょっと面白かったという
根性悪の私に
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