本日日曜日は朝から3つのコンサートをハシゴ。
最初のコンサートのメモから読みたい方は こちら から。
下は午後のコンサートの個人メモです。
2024年3月17日 15時30分〜17時
Musikverein - Großer Saal
Symphonieorchester des Bayerischen Rundfunks
指揮 Sir Simon Rattle
Gustav Mahler (1860-1911)
Symphonie Nr. 6, a-moll „Tragische“ (1903/04)
ラトルのマーラーは
私が比較的初期に全集をCDで買って
何回か聴いたものなので
もしかしたら、私のマーラーの原点になっている
・・・かもしれない、わからないけど 🙇
このチクルスは持っていなかったので
(インテリが読む日刊新聞
ディ・プレッセのチクルス)
会員発売当日に買ったのだが
ラトルが見える席が1席だけ空いていて
いや〜、ラッキー 😀
行ってみたら
どうも年配ご夫婦の奥さまだけが
別の席をお求めになったようで
(詳しい事情は知らんし関知しない)
お隣の上品な年配のご婦人から
「この席は音楽のすぐ上だから良いわよ」
と親切なお言葉を掛けられた。
・・・知ってますよワタシ 😆
たぶん、貴女より楽友協会に来てると思う(言わないけど)
ラトルは客席が静かになってから
指揮棒を振りたいらしいが
楽友協会で静寂って無理ですから・・・
(絶対に誰かがガタンと音を立てるし
舞台が見えない席が多いので
演奏直前まで、いや演奏が始まっても
小声で喋る人も多い)
重いリズムを刻む第1楽章の
慟哭に満ちた、埋葬?あるいは軍隊の行進曲。
ものすごい感情を込めて
エネルギー爆発させて
めちゃくちゃ力いっぱいに
顔をひたすら歪ませながら
指揮棒を振り回すラトル。
この指揮者、表情を見てると
本当に面白い(すみません悪趣味で)
声は出さないけど
一緒に歌ってる。
ところで唐突だが
ワタシは、友人から
「感情のない女」と言われていて
それが当たっている自覚はあるが
時々、夢の中で感情の嵐に揉まれる事がある。
朝起きてみて
自分でもえっ?と思うほどの胸苦しさと
同時に、ある意味、すごいカタルシスがあるのだが
昨日の夢の中で
久し振りに感情に翻弄されて
何だか非常に良い気分で
マーラーに挑戦、という良い精神状態。
こういう時には
ラトルが、どれだけのめり込んで
あたり構わず
音楽で泣き叫んで叫び散らかして
慟哭して、悶えていても
このアホ、とは思わないのである。
第2モチーフの美しい旋律は
鬱で暴力的な行進曲とは
打って変わって
愛に満ちた憧憬を
胸苦しいばかりに表現して来て
こういう分裂症的なマーラーって
ラトルが振ると
すごく分裂症で合っていて
納得行くし面白い。
第2楽章の尖り方も素晴らしい。
強いオーケストラを強力に鳴らしているのだが
楽友協会の大ホールという
残響たっぷりの音響の中での演奏にしては
音が団子状にならず
どのパートもクリアに聴こえて来るし
音量の大きさ以外の要素で
力強さを演出して行くのは見事。
途中にチラチラ出現する
キッチュで甘いメロディは
とことん甘くロマンティックに出してくるのも
分裂症っぽい表現が得意のラトルらしい。
途中のカウベルの扱い方には目を剥いた。
って言うか
こんな繊細で美しい響きのカウベル
「カウ」じゃない・・・
あくまでも都会っぽい柔らかな響きで
オーケストラの音の絨毯の中に
繊細に隠れてキラキラ光って落ちてくる。
ラトルは最初から最後まで
身体の動きも表情も
力一杯って感じで
精神的に入れ込んで入れ込んで
ひたすら感情の世界を表出している
・・・だけに
細かい部分のズレとか齟齬が
ないワケではないのだが
それもこの指揮者は、きっと織り込み済み。
全体的に流れる
慟哭と悲劇と
溢れる愛の苦しみと
運命に翻弄される感情の嵐を
どうしても描きたかったに違いない。
最終楽章のハンマーは
音量だけではなく
ホール全体の内装が振動するような
(オーケストラの上だから
マジに振動した)
音とか音楽とか言うよりは
体感的なショック。
最後のカウベルが
どちらかと言うと
教会での葬儀の時の鐘っぽく聴こえたのは
指揮者の確信犯だと思うけれど
もちろん、私の解釈間違いである可能性は高い。
最初から最後まで
集中力マックスで押し切って
すごいエネルギーの奔流だった。
これ、ベルリン・フィルとかだったら
もっと筋肉質でマッチョな演奏になるんだろうな。
バイエルン放送響は
そこらへん、割にノーブルさ・・・というか
金持ちミュンヒェンのブルジョワ階級の感じがあって
(もちろん偏見と認識バイアスのなせる印象)
ちょっとした縦線のズレなんかが
かえって人間くささというか
抑えきれない感情の放出っぽくて
リアルさが増したような気がする。
いや〜、昨日の夜、感情任せの夢を見て良かった 😄
って、そういう問題じゃないが(ごめんなさい)
久し振りに感情的に
ズブズブにマーラーの世界に取り込まれて
ひたすら気持ち良く
図書館に足を運んでから
最後の夜のコンサートに向かった
懲りない私に
どうぞ1クリックをお恵み下さい。
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Symphonieorchester des Bayerischen Rundfunks
指揮 Sir Simon Rattle
Gustav Mahler (1860-1911)
Symphonie Nr. 6, a-moll „Tragische“ (1903/04)
ラトルのマーラーは
私が比較的初期に全集をCDで買って
何回か聴いたものなので
もしかしたら、私のマーラーの原点になっている
・・・かもしれない、わからないけど 🙇
このチクルスは持っていなかったので
(インテリが読む日刊新聞
ディ・プレッセのチクルス)
会員発売当日に買ったのだが
ラトルが見える席が1席だけ空いていて
いや〜、ラッキー 😀
行ってみたら
どうも年配ご夫婦の奥さまだけが
別の席をお求めになったようで
(詳しい事情は知らんし関知しない)
お隣の上品な年配のご婦人から
「この席は音楽のすぐ上だから良いわよ」
と親切なお言葉を掛けられた。
・・・知ってますよワタシ 😆
たぶん、貴女より楽友協会に来てると思う(言わないけど)
ラトルは客席が静かになってから
指揮棒を振りたいらしいが
楽友協会で静寂って無理ですから・・・
(絶対に誰かがガタンと音を立てるし
舞台が見えない席が多いので
演奏直前まで、いや演奏が始まっても
小声で喋る人も多い)
重いリズムを刻む第1楽章の
慟哭に満ちた、埋葬?あるいは軍隊の行進曲。
ものすごい感情を込めて
エネルギー爆発させて
めちゃくちゃ力いっぱいに
顔をひたすら歪ませながら
指揮棒を振り回すラトル。
この指揮者、表情を見てると
本当に面白い(すみません悪趣味で)
声は出さないけど
一緒に歌ってる。
ところで唐突だが
ワタシは、友人から
「感情のない女」と言われていて
それが当たっている自覚はあるが
時々、夢の中で感情の嵐に揉まれる事がある。
朝起きてみて
自分でもえっ?と思うほどの胸苦しさと
同時に、ある意味、すごいカタルシスがあるのだが
昨日の夢の中で
久し振りに感情に翻弄されて
何だか非常に良い気分で
マーラーに挑戦、という良い精神状態。
こういう時には
ラトルが、どれだけのめり込んで
あたり構わず
音楽で泣き叫んで叫び散らかして
慟哭して、悶えていても
このアホ、とは思わないのである。
第2モチーフの美しい旋律は
鬱で暴力的な行進曲とは
打って変わって
愛に満ちた憧憬を
胸苦しいばかりに表現して来て
こういう分裂症的なマーラーって
ラトルが振ると
すごく分裂症で合っていて
納得行くし面白い。
第2楽章の尖り方も素晴らしい。
強いオーケストラを強力に鳴らしているのだが
楽友協会の大ホールという
残響たっぷりの音響の中での演奏にしては
音が団子状にならず
どのパートもクリアに聴こえて来るし
音量の大きさ以外の要素で
力強さを演出して行くのは見事。
途中にチラチラ出現する
キッチュで甘いメロディは
とことん甘くロマンティックに出してくるのも
分裂症っぽい表現が得意のラトルらしい。
途中のカウベルの扱い方には目を剥いた。
って言うか
こんな繊細で美しい響きのカウベル
「カウ」じゃない・・・
あくまでも都会っぽい柔らかな響きで
オーケストラの音の絨毯の中に
繊細に隠れてキラキラ光って落ちてくる。
ラトルは最初から最後まで
身体の動きも表情も
力一杯って感じで
精神的に入れ込んで入れ込んで
ひたすら感情の世界を表出している
・・・だけに
細かい部分のズレとか齟齬が
ないワケではないのだが
それもこの指揮者は、きっと織り込み済み。
全体的に流れる
慟哭と悲劇と
溢れる愛の苦しみと
運命に翻弄される感情の嵐を
どうしても描きたかったに違いない。
最終楽章のハンマーは
音量だけではなく
ホール全体の内装が振動するような
(オーケストラの上だから
マジに振動した)
音とか音楽とか言うよりは
体感的なショック。
最後のカウベルが
どちらかと言うと
教会での葬儀の時の鐘っぽく聴こえたのは
指揮者の確信犯だと思うけれど
もちろん、私の解釈間違いである可能性は高い。
最初から最後まで
集中力マックスで押し切って
すごいエネルギーの奔流だった。
これ、ベルリン・フィルとかだったら
もっと筋肉質でマッチョな演奏になるんだろうな。
バイエルン放送響は
そこらへん、割にノーブルさ・・・というか
金持ちミュンヒェンのブルジョワ階級の感じがあって
(もちろん偏見と認識バイアスのなせる印象)
ちょっとした縦線のズレなんかが
かえって人間くささというか
抑えきれない感情の放出っぽくて
リアルさが増したような気がする。
いや〜、昨日の夜、感情任せの夢を見て良かった 😄
って、そういう問題じゃないが(ごめんなさい)
久し振りに感情的に
ズブズブにマーラーの世界に取り込まれて
ひたすら気持ち良く
図書館に足を運んでから
最後の夜のコンサートに向かった
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