2024年3月2日 19時30分〜21時35分
Musikverein - Großer Saal
Tonkünstler-Orchester Niederösterreich
指揮 Riccardo Frizza
バイオリン Sergei Dogadin
Michail Glinka (1804-1857)
Ouvertüre zur Oper
„Ruslan und Ludmilla“ (1842)
Dmitri Schostakowitsch (1906-1975)
Konzert für Violine und Orchester
Nr. 1 a-Moll op. 77 (1947/48)
Giuseppe Martucci (1856-1909)
Symphonie Nr. 1 d-Moll op. 75
楽友協会でのトーンキュンストラーのコンサートだが
何故にこんなに満杯?
立見席まで一杯で
いったい何故だ?と
ホールの係と頭を捻っていたのだが
よくわからん・・・
指揮者がむちゃくちゃ人気とか
バイオリニストが
自分のファンを大量に招待したとか
(グラーツ音大や MUK で勉強していたらしい)
まさかグリンカと
ショスタコーヴィッチの例の気の滅入る
バイオリン協奏曲1番と
聞いた事のないイタリアの作曲家の
マルトゥッチの交響曲1番の
オーストリア初演を目指してホールに集まった
・・・とは考え難いし(失礼な(笑))
指揮者のリッカルド・フリッツァは初聴き
・・・かと思ったら
ウィーン劇場のプロダクションで
2009年はドン・ジョバンニ
2012年にホフマン物語
2013年にヴェルディのアッティラで振っていた。
(ウィーン劇場は修築中で
ミュージアム・クォーターでオペラを上演しているけれど
最近はチケットが高過ぎて行けない。すみません)
バイオリニストのセルゲイ・ドガディンも
グラーフェネック音楽祭で2回聴いている。
さてグリンカのリュスランとリュドミラ序曲は
たった5分ほどだし
調子の良いドラマチックな曲なので楽しい。
続けてのショスタコーヴィッチの
バイオリン協奏曲1番。
この間、テツラフのバイオリンで聴いたばかりなので
私は聴き比べしたくて
このコンサートのチケットを買ったのだ。
何回聴いても、ともかく気が滅入る。
果てしなく悲しむのが好きなロシア人が
ダラダラと、果てしなく悲しむ第1楽章。
当時の社会的状況とか戦争の話とか
ショスタコーヴィッチの置かれた状況を
頭に置かないと
音楽だけで純粋に楽しむのは
少なくとも私には絶対に無理。
隣に座っている小さな女の子(母親が後ろに居る)
めちゃくちゃ退屈してる・・・かわいそうに・・・
(それでも静かに聴いているのは素晴らしい)
第2楽章は、ナマで2回続けて聴いてみると
ムツェンスク郡のマクベス夫人のテーマや
ショスタコーヴィッチの例のサインの多用がわかる。
それまでわからなかったんかい、とセルフツッコミ。
このバイオリニスト
音色のパレットが多彩で凄いな。
その分、最初からビブラートたっぷりの
非常にエモーショナルな演奏だが
第2楽章の叩きつけるような表現って
主観的な印象からすると
ものすごく抑えられた怒りを感じる。
いや、もちろん、このロシアのバイオリニストが
昨今のロシアの状況に対して
どうのこうの、というのは音楽とは関係ない事で
(第一、この人、チャイコフスキー・コンクール優勝後
ゲルギエフとのコンサートでオーストリア・デビューした)
もしかしたらゴリゴリの親プー⚪︎ンかもしれないし
そこらへんは考えても仕方がない。
音楽からプレイヤーの政治的判断を読み取るのは不可能だから。
第2楽章の激しさに続いて
第3楽章のカデンツァの激しさには
ちょっと息を飲む。
って言うか
このバイオリン、本当に音色のバリエーションが凄い。
バイオリンって、あんな音まで出せるのか、と
ひっくり返りたくなる位に多彩。
アンコールも超絶技巧をふんだんに披露して
ここでも音色の多彩さを充分に楽しませてくれた。
技術が高いからこそ出来るのだろうが
本人も、どういう音を出すかについての
非常にしっかりしたイメージがありそうだ。
さて後半のプログラムだが
ジュゼッペ・マルトゥッチなんて初めて聞く。
神童のピアニストとして活躍し
指揮者としては
ワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」をイタリアで初演。
イタリアの作曲家としては例外的に
器楽曲を中心にドイツ音楽を出発点としたものを作り
アルトゥーロ・トスカニーニがよく取り上げていたらしい。
全体で演奏時間約40分で4楽章から成る。
う〜ん 🤨
微妙な曲だなぁ・・・
あまり演奏されないのも納得する(すみません)
確かに絶対音楽の系列ではあるのだが
オーケストレーションが厚すぎて
ワケのわからん倍音が不協和音っぽい響きを作るし
モチーフが不明確で
いや、モチーフあるんだろうけど
展開が早過ぎて、リピートが少ないので
詰め込み過ぎたお弁当の様相を示す。
聴いている方にとっかかりを作らないまま
どんどん音楽が流れるので
掴みどころがない。
第2楽章初めの
叙情的なチェロのソロは美しいけれど
これも、どんどんワケのわからないまま
展開されていくので
私のようなシロウトには
曲の構造が見えて来ない。
最終楽章では
モチーフの繰り返しが
やっと出現するけれど
今度はモチーフの展開がよくわからん上
最後に盛り上がって終わるか、と思ったら
突然、第2楽章的なリリックなメロディが
前後左右のバランスなく出現。
すみません、よくわかりません・・・
ちゃんと予習もしたんですけど
何回聴いても
頭に残らないのだ(ボケのせいもあるかも)
歴史に残る曲って言うのは
やっぱりそれなりの理由があるのかもしれない
・・・と
作曲家には非常に失礼な事を考えてしまった私に
どうぞ1クリックをお恵み下さい。
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Musikverein - Großer Saal
Tonkünstler-Orchester Niederösterreich
指揮 Riccardo Frizza
バイオリン Sergei Dogadin
Michail Glinka (1804-1857)
Ouvertüre zur Oper
„Ruslan und Ludmilla“ (1842)
Dmitri Schostakowitsch (1906-1975)
Konzert für Violine und Orchester
Nr. 1 a-Moll op. 77 (1947/48)
Giuseppe Martucci (1856-1909)
Symphonie Nr. 1 d-Moll op. 75
楽友協会でのトーンキュンストラーのコンサートだが
何故にこんなに満杯?
立見席まで一杯で
いったい何故だ?と
ホールの係と頭を捻っていたのだが
よくわからん・・・
指揮者がむちゃくちゃ人気とか
バイオリニストが
自分のファンを大量に招待したとか
(グラーツ音大や MUK で勉強していたらしい)
まさかグリンカと
ショスタコーヴィッチの例の気の滅入る
バイオリン協奏曲1番と
聞いた事のないイタリアの作曲家の
マルトゥッチの交響曲1番の
オーストリア初演を目指してホールに集まった
・・・とは考え難いし(失礼な(笑))
指揮者のリッカルド・フリッツァは初聴き
・・・かと思ったら
ウィーン劇場のプロダクションで
2009年はドン・ジョバンニ
2012年にホフマン物語
2013年にヴェルディのアッティラで振っていた。
(ウィーン劇場は修築中で
ミュージアム・クォーターでオペラを上演しているけれど
最近はチケットが高過ぎて行けない。すみません)
バイオリニストのセルゲイ・ドガディンも
グラーフェネック音楽祭で2回聴いている。
さてグリンカのリュスランとリュドミラ序曲は
たった5分ほどだし
調子の良いドラマチックな曲なので楽しい。
続けてのショスタコーヴィッチの
バイオリン協奏曲1番。
この間、テツラフのバイオリンで聴いたばかりなので
私は聴き比べしたくて
このコンサートのチケットを買ったのだ。
何回聴いても、ともかく気が滅入る。
果てしなく悲しむのが好きなロシア人が
ダラダラと、果てしなく悲しむ第1楽章。
当時の社会的状況とか戦争の話とか
ショスタコーヴィッチの置かれた状況を
頭に置かないと
音楽だけで純粋に楽しむのは
少なくとも私には絶対に無理。
隣に座っている小さな女の子(母親が後ろに居る)
めちゃくちゃ退屈してる・・・かわいそうに・・・
(それでも静かに聴いているのは素晴らしい)
第2楽章は、ナマで2回続けて聴いてみると
ムツェンスク郡のマクベス夫人のテーマや
ショスタコーヴィッチの例のサインの多用がわかる。
それまでわからなかったんかい、とセルフツッコミ。
このバイオリニスト
音色のパレットが多彩で凄いな。
その分、最初からビブラートたっぷりの
非常にエモーショナルな演奏だが
第2楽章の叩きつけるような表現って
主観的な印象からすると
ものすごく抑えられた怒りを感じる。
いや、もちろん、このロシアのバイオリニストが
昨今のロシアの状況に対して
どうのこうの、というのは音楽とは関係ない事で
(第一、この人、チャイコフスキー・コンクール優勝後
ゲルギエフとのコンサートでオーストリア・デビューした)
もしかしたらゴリゴリの親プー⚪︎ンかもしれないし
そこらへんは考えても仕方がない。
音楽からプレイヤーの政治的判断を読み取るのは不可能だから。
第2楽章の激しさに続いて
第3楽章のカデンツァの激しさには
ちょっと息を飲む。
って言うか
このバイオリン、本当に音色のバリエーションが凄い。
バイオリンって、あんな音まで出せるのか、と
ひっくり返りたくなる位に多彩。
アンコールも超絶技巧をふんだんに披露して
ここでも音色の多彩さを充分に楽しませてくれた。
技術が高いからこそ出来るのだろうが
本人も、どういう音を出すかについての
非常にしっかりしたイメージがありそうだ。
さて後半のプログラムだが
ジュゼッペ・マルトゥッチなんて初めて聞く。
神童のピアニストとして活躍し
指揮者としては
ワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」をイタリアで初演。
イタリアの作曲家としては例外的に
器楽曲を中心にドイツ音楽を出発点としたものを作り
アルトゥーロ・トスカニーニがよく取り上げていたらしい。
全体で演奏時間約40分で4楽章から成る。
う〜ん 🤨
微妙な曲だなぁ・・・
あまり演奏されないのも納得する(すみません)
確かに絶対音楽の系列ではあるのだが
オーケストレーションが厚すぎて
ワケのわからん倍音が不協和音っぽい響きを作るし
モチーフが不明確で
いや、モチーフあるんだろうけど
展開が早過ぎて、リピートが少ないので
詰め込み過ぎたお弁当の様相を示す。
聴いている方にとっかかりを作らないまま
どんどん音楽が流れるので
掴みどころがない。
第2楽章初めの
叙情的なチェロのソロは美しいけれど
これも、どんどんワケのわからないまま
展開されていくので
私のようなシロウトには
曲の構造が見えて来ない。
最終楽章では
モチーフの繰り返しが
やっと出現するけれど
今度はモチーフの展開がよくわからん上
最後に盛り上がって終わるか、と思ったら
突然、第2楽章的なリリックなメロディが
前後左右のバランスなく出現。
すみません、よくわかりません・・・
ちゃんと予習もしたんですけど
何回聴いても
頭に残らないのだ(ボケのせいもあるかも)
歴史に残る曲って言うのは
やっぱりそれなりの理由があるのかもしれない
・・・と
作曲家には非常に失礼な事を考えてしまった私に
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