ウィーン交響楽団 + フィリップ・ジョルダン

今週は土・日曜日ともダブル・ヘッダー。
時系列に読みたい方は
もう一つ下の記事からお読み下さい。

こちらは夜のコンサート。
計らずも、午後のコンサートと同じ曲を
違うホール・違うオーケストラ・違う指揮者で聴くという
面白い体験でした。

Konzerthaus Großer Saal 2017年3月18日 19時30分〜21時30分

Wiener Symphoniker
指揮 Philippe Jordan
ピアノ François-Frédéri Guy

Ludwig van Beethoven (1770-1827)
 Ouverture c-moll zu “Coliolan” op. 62 (1807)
Béla Bartók (1881-1945)
 Konzert für Klavier und Orchester Nr. 3 Sz 119 (1945)
Ludwig van Beethoven
 Symphonie Nr. 6 F-Dur op. 68 “Pastorale” (1807-08)

夜はウィーン交響楽団で
またもや後半はベートーベンの交響曲6番「田園」(笑)

オーケストラのマネージメントって
別に何を考えている、というワケでもないのかしら。

さて、最初はコリオラン序曲から。

コンツェルトハウスの大オーケストラ向けのデッドな音響に
あの勇壮なメロディがキッチリ響くと
すごくマッチョで筋肉質、硬質で透明な音が響き渡る。

切れ味の鋭いウィーン交響楽団の持ち味が活きる。
男性的なのに、無駄に熱くはならず
音の重さがこの上ないバランスで決まっていて
スタイリッシュに聴こえてくるのはジョルダンの持ち味か。

バルトークのピアノ協奏曲3番。
ソリストはフランソワ・フレデリック・ギー。
ちょっと見た目が不思議なヒッピーみたい。
(写真はご本人のサイトからダウンロード。
 クリックで(すごく)大きくなります)



で、これが、これが、これが
ちょっと凄かった(汗)

出だしだけは知ってるけれど
聴き込んでもいない曲なのに
この人のピアノの音、ものすごい色彩感。
次から次に色が変わって
めくるめく色がホールに飛び散るような印象で
何ですか、このピアニスト 😨

呆気に取られて引き摺り込まれて
あっという間に曲が終わっちゃった。
まさかバルトークの協奏曲で
こんな色彩の洪水に溺れるとは思ってもみなかった。

前半で頭がボーッとしてしまって
気を取り直して
後半の「田園」は
ウィーン・フィルのコンサートの時と同じく
スコアに頭を突っ込む事にした。
(どうせ天井桟敷で前が一杯で舞台は見えません)

・・・面白い ♡

ジョルダンは最初のリピートもちゃんと演奏。
さすがにウィーン・フィル+楽友協会という音響とは違って
最初の弦にうっとり、という事はなかったけれど

ジョルダン、時々、フォルテで長く続くフレーズに
膨らみを持たせていて
(え?そんなの楽譜に書いてない、って感じでビックリ)
それが、何とも音楽的に響いてカッコいい。

ホールのデッドな音響の影響もあるけれど
音が全体的にスッキリしていて
爽やかなハイリゲンシュタットあたりの
夏の空気を彷彿とさせて
周囲の空間の空気が澄んでくるような気分になる。

第2楽章で、また椅子からずり落ちそうになった。
ビオラとチェロ、コントラバスの音色が違う。
あれは、ノンビブラートでやらせたのか
中間の音と低音が実に柔らかく
くもった感じで聴こえて来るので
それに乗せるメロディ・ラインの美しい事。

ううう、やるじゃん、ジョルダンとウィーン交響楽団 ♡
なんかちょっと、このメロディを甘く歌わせるところで
涙ウルウルになって来てしまうような状態(アホですどうせ)

農民たちの大騒ぎは
きゃ〜〜〜っ、何ですかそのテンポ。

ウィーン・フィルの演奏より、心持ち早めで
木管がキレイに響くんだけど
クラリネットのあの下降音階
誤摩化した?とは言わないが
ウィーン・フィルの時には、くっきりはっきり聴こえて来たのが
割にボケて聴こえて来たけれど
まぁ、そんなのは好みの問題である(断言)

嵐の部分、迫力たっぷりなんだけど
やっぱり楽友協会との音響の差があって
ウィーン・フィルの音のような脅かすような芝居がかった雰囲気はゼロ。

あくまでも冷静にスタイリッシュに
聴いていて気持ちが良い、というよりは
ホールの音響のせいで
自分はガラス窓のある家から
外の嵐を見て、逃げ惑う農民を見ているような

ある意味、ちょっとノーブルな感じの演奏だったかも。

押し付けがましくない。
ちゃんと主張はしているのだけれど
熱情の嵐に巻き込むというよりは
もう少し距離を置いて、現代的にクールにしてみました、ってところか。

ちゃんとフォルテはフォルテで
無駄にフォルティッシモにしていなかったというのも見事。

何とも新鮮で ♡
トラディショナルというよりはモダン。
オーケストラの持っている音が違うから
ウィーン・フィルと比べられないけれど
ネルソンスよりは、もっと客観的で
ウィーン・フィルの伝統的な演奏に比べると現代的で
スッキリ爽やか。

多少の傷がなかった訳ではないし
弦のアンサンブルの揃い方はウィーン・フィルの方が上だが
こういう、爽快感のある演奏、私は好きだ。

明日、日曜日の11時から
またこのコンサートあるんだけど
ウィーン・フィルも同じプログラムで11時から楽友協会。

う〜ん 😖
ウィーン・フィルのチケットは持っているんだけど
今日のウィーン交響楽団のコンサートを聴いちゃったら
ちょっと明日はウィーン交響楽団に行きたいような気分。
(バルトークのピアノ協奏曲も抜群だったし)

でもお金もないし
持っているチケットを無駄にしたくないし(ケチ)
ウィーン・フィルのドボルジャークと田園だって
明日、もう一度聴いたら
また違う印象になるかもしれないし・・・

ウィーン交響楽団が昼の公演じゃなくて
(日曜日11時のコンサートは
 もれなくバーバラ・レットのお話会が付いて来るのもウザい)
夜のコンサートをやってくれるんだったら
もう一度、このコンサート行きたいんだけど(涙)

どれが上とか下とか言うのではなくて
それぞれのオーケストラやホールの持ち味で
同じ曲でも、これだけ印象が変わってくるという

だから音楽って面白い、と
本気で考えてしまう私に
どうぞ1クリックをお恵み下さい。


ウィーン交響楽団 + フィリップ・ジョルダン

Musikverein Großer Saal 2017年3月8日 19時30分〜21時30分
Musikverein Großer Saal 2017年3月9日 19時30分〜21時30分

Wiener Symphoniker
指揮 Phlippe Jordan

Ludwig van Beethoven (1770-1827)
 Symhphonie Nr. 4 B-Dur, op. 60
 Symphonie Nr. 5 c-Moll, op. 67

ウィーン交響楽団とフィリップ・ジョルダンの
ベートーベン・チクルスと名付けてはいるが
今シーズンに全曲演奏する訳ではないようで
先日1番と3番
今回が4番と5番で
3月にバルトークのピアノ協奏曲3番との組み合わせで6番を予定。

ちっ、私の好きな2番と8番は無視か・・・
(9番はまぁ、どうでも良い。すみません、色々とね・・・)

3月は仕事がむちゃくちゃ忙しい時期で
でも昨年と比べたらまだマシと自分に言い聞かせつつ
何とかやってる状態なので
昨日と本日の感想を一緒に書くが
まぁ、同じコンサートの似たような記録を残すよりマシかも。

読者ご存知の通り
つい先日、優等生でパーフェクトなオーケストラを聴いた後で
ウィーン交響楽団を聴くと

・・・・(沈黙)

巧い・下手は全く関係ない。
音楽的にどれが上とか、そんな恐ろしい事を言うつもりもない。

昨日のコンサートの時には
うはははは、えらく粗い演奏だなぁ
どこかのオーケストラだったら完璧に揃える
速いパッセージのアンサンブルも
勢いに任せて、え〜い、やっちまえ、みたいなところがあって

それがまたえらく魅力的っていうのは何故なんだ?!

ベートーベンの交響曲なんて
CD でも Youtube でも
ついでにナマでも、イヤという程聴いている筈なのだが

今回のコンサートは、すごいエネルギーなのだ。

ここ数年流行っている
ピリオド奏法による小編成のアッサリ感は全くなく

かと言って
いわゆる過去の巨匠たちがやったような
(あるいは現代でも数人居るが(笑))
思い入れたっぷりのアゴーギクたっぷりの
大編成オーケストラのどっか〜んという
ほら見ろ俺さまたちを聴け、というのでもない。

勢いでぶっ飛ばし、すっ飛ばし
あちこちをなぎ倒して
周囲を完全に巻き込みながら
すごい速さで駆け抜けていく
イタズラ小僧みたいな印象。

だから、聴いていると
ウキウキしてくるし楽しいし
奇を衒っているところは全くないのに
自然に身体が反応してしまう。

2日目はスコアに頭を突っ込んで
4番の2楽章で時々瞬間睡眠に襲われて
スコアに置いてきぼりを喰らわされたりして
(ベートーベンなら、まだ追い掛けられる)
結局、第3楽章から最終楽章までは
ぐったり寝落ちしていた
・・・ような気がする。頭の中で音楽は鳴っていたけれど。

5番の第3楽章の255小節目から始まる
最終楽章の前の
タタタ・タ タタタ・タ という箇所の響きが
信じられない気味悪さで
こんな演奏、初めて聴いた。
どこをどうバランス取ったら、あんな音になるんだろう?

気味悪いというよりは
ほとんど現代音楽かこれは、というパッセージの後に
爆発するような最終楽章が
これまた、凄まじいスピードで駆け抜ける。

スコア見ていても
リズムが微妙にズレかけた箇所とか
おい、なんだその音、っていうソロも
なかった訳ではないのだが
(99,9999% のソロは見事でした)

多少の傷はあっても
アンサンブルの緻密さは優等生オーケストラに負けても
その「揺れ」が
とんでもないエネルギーを発散する。

オーケストラのメンバーが全員揃って
身長も体重も同じで
首の角度もすべて揃えて
右向け右、とやるより

多少向け方が上だったり下だったり
個性の強い芸術家たちが集まって
それぞれの音を響かせながら
それぞれの個性を尊重しながら
多少の揺れをモノともせずに
ぶつかり合う個性を
指揮者が、自分の個性を出しつつまとめた、という感じ。

だから、音に味がある。
完璧性だけを競うのだったら
楽譜をコンピュータに入れて
正確に読ませたら、そこで事は足りてしまうわけで

強烈な個性のぶつかり合い
音の揺れ
ほんの少しの傷
というような物が
ものすごく人間臭い(笑)

で、それはたぶんベートーベンの曲には
非常に合う。
ヤケッパチみたいな
庶民バンザイみたいな
破天荒なベートーベンが

ほらほらほら、面白いだろ、これ
と、ニヤニヤ舞台を見ているような気分になる。

5番は第2楽章から最終楽章まで
アタッカで通したけれど
それだけ緊張感も続いて
音楽的なまとまりがよく聴こえて来た。

アンコールにエグモント序曲 ♡
(この間の1番・3番の時はコリオラン序曲だった)

いやしかし、凄いなこのオーケストラと
フィリップ・ジョルダンって・・・

この間の優秀なオーケストラと
対極的なところに立っているような印象だが
(両方とも一流のプロなので、巧いのであって
 技術的にどうのこうの言っているのではない)
音楽がイキイキしていて
ひたすら人間的で
すごくオーガニックで

ついでにイタズラ小僧で悪ガキ(爆笑)

1日目は指揮者のジョルダンを見ていたのだが
この長身のイケメン指揮者
指揮台の上で
全身使って(上半身だけではない!)
踊るわ踊るわ
身体中から音楽を発散している。

何ともチャーミングで魅力的なコンサート。
こういう演奏を聴くと
やっぱりベートーベンって名曲だなぁ、と思うと同時に
色々な解釈を許す余地のあるクラシックって
聴き飽きないし

時々、こういう目の醒めるようなビックリもある。

多少睡眠不足でも
(コンサートの間、寝てるから(汗))
こういう時間を持てるって
ものすごく幸せな事だと
しみじみ思う私に
どうぞ1クリックをお恵み下さい。



しかし、このオーケストラ
この間、マジメにピリオド奏法で
ヨハネの受難曲とか演奏してたオーケストラだよね?
カメレオンみたいなオーケストラだな(誉めてます)

ウィーン交響楽団 + フィリップ・ジョルダン

Wiener Konzerthaus Großer Saal 2017年3月5日 15時30分〜18時05分

Wiener Symphoniker
指揮 Philippe Jordan
ビオラ・ダ・ガンバ Christophe Coin, Lucas Schurig-Breuß, Elisabeth Wiesbauer
ガンバ Hubert Hoffmann
オルガン Reinhard Führer
チェンバロ Johannes Maria Bogner
コーラス Wiener Singakademie
エヴァンゲリスト Werner Güra
キリスト Adrian Eröd
ソプラノ Genia Kühmeier
アルト Elisabeth Kulman
テノール Daniel Behle
バスバリトン Florian Boesch

Johann Sebastian Bach (1685-1750)
 Johannespassion BWV 245 (vor 1724)

宗教曲は好みではないのだが
クラシック・ファンを自称する身としては
年に1回だけ聴かねばならないものに
バッハの受難曲がある。
(まぁ人によってはワーグナーのパルシファルという人もいるだろうが)

ウィーン交響楽団がフィリップ・ジョルダンで
ヨハネの受難曲を演奏する、というのも珍しい。
普通、受難曲と言えば
古楽器の小編成アンサンブルで
それこそ、コンツェントゥス・ムジクスとか
ヴィーナー・アカデミーあたりのお得意曲だと思うのだが。

オーケストラは小編成。
よく見れば、フルート奏者はトラヴェルソ持ってるし
真ん中にチェンバロ、その横にオルガン
後半になれば、ビオラ・ダ・ガンバが揃って
モダン・オーケストラなのに
見事に古楽器オーケストラに化している。

こういう芸当、トーマス・コープマンが登場してから
このオーケストラ、完璧に出来るようになったのは凄いな。

一般的にはマタイの受難曲の方が有名で
演奏される機会も多いのだが
マタイの受難曲は・・・ともかく長いので
ちょっと短いヨハネの受難曲の方が有り難い(笑)

その代わりに、やっぱりマタイと比べると
音楽的にはストイックな感じがする。

エヴァンゲリストのヴェルナー・ギューラは
以前もエヴァンゲリストで聴いたけれど
体つきに全く似合わない
本当に繊細で美しい、透明で濁りのない高音を出す。

あまりに声が美しすぎて
しかも甲高い声をすごい声量で張り上げるのではなく
本当にバロック的に
まるで教会か小さな貴族のホールで聴いているような
声量を感じさせない声なのに
貧民席のギャラリーの後ろまで
見事に響いて来て、神経に障らず
聴き惚れちゃいました。

ただ、その分、あまりドラマチックにはならない。
あくまでも語り手としての端正さがある。
(ただ、一ヶ所だけコロコロと激情に駆られる部分は凄かった)

エレードのイエスは
これまた、見事にマジメ、むちゃマジメでクソ真面目。

いや、そりゃ、真面目に歌うパートである事はわかるが
エレードの声の質って
バリトンよりはテノールに近いから
マジメなんだけど、あまり威厳はない。

鬼才のフローリアン・ベッシュが
とんでもないピラトスを歌うんじゃないか、と
ちょっと期待していたのだが
これは声の質から言って
堂々として、でも迷いがあってというピラトス像で
とんでもない、というワケではなかった(こらっ)

キューマイヤーのソプラノも澄んだキュートな声だし
もう1人のテノールのダニエル・ベーレも
はっきりしたドイツ語で、美しい声で歌ってくれて

う〜ん、全体的に非常にこじんまりと纏まった感じの
ヨハネの受難曲になった。

出来は非常によろしい。
古楽器オーケストラ的なヨロヨロもあって
それに
コーラスがすごく巧くて

そりゃ、これ聴いたら
ユダヤ人って何だ、という
結構な憎悪に駆られるわよね。

一番活き活きしていたのが
ユダヤ人たちの情景を描いたコーラスだったりして(笑)

しかし毎回バッハの受難曲を聴くたびに
その斬新でドラマチックな音楽に圧倒される。
あの時代の、あの音楽技法の枠組みの中で
あんな近代的で前衛的な音楽技法が出来るという事に
いつも打ちのめされてしまう。

ほら、バッハって
何となく、あのピアノのインヴェンションとかのイメージが
強いじゃないですか。
ピアノの先生と赤鉛筆持って
ここのモチーフが、こちらに来て云々というのが
たぶん、私の記憶にある最初の音楽分析だったと思うのだが
(ちなみに、13歳くらいの時で、それ以降は何もやってません)

クソ面倒な数学的音楽を書く人、というイメージが強いのに
こういう曲を聴くと
(まぁ、ロ短調ミサなんかもそうなんだけど)
ドラマチックな構成に
ひっくり返りそうになる。

コラールは美しいし
その間のストーリーは劇的な展開だし
まぁ、一種の宗教オペラというか(言い過ぎ)

とまれ、今年もちゃんと受難曲聴いて来ましたので
キリスト教の神さまも
どうぞ私をお見捨てなく、よろしくお願いします・・・って
ワタシ、多神教だから、何人神さまが居ても気にしないので
(あっ、キリスト教信者の皆さま、ごめんなさい)

今年の義務が終わったような気がするコンサートというのも
まぁ、珍しいかもしれないけれど
何となくスッキリした気分で
会場を後にした私に
どうぞ1クリックをお恵み下さい。



くだらない話だが
以前、何かの折りに
「ヨハネの情熱」という翻訳を見た事があって爆笑した。
確かに Passion はパッションだけどね。

ウィーン交響楽団 + フィリップ・ジョルダン

久し振り?に
日曜日のダブルヘッダーです。
時系列に読みたい方は、まず こちら からどうぞ。
下は夜のコンサートです。

Musikverein Großer Saal 2017年2月26日 19時30分〜21時20分

Wiener Symphoniker
指揮 Philippe Jordan

Ludwig van Beethoven (1770-1827)
 Symphonie Nr. 1 C-Dur, op. 21
 Symphonie Nr. 3 Es-Dur, op. 55 “Eroica”

実はこのコンサート
昨日の土曜日と今日の日曜日にあって
本当は2回行く予定にしていたのである。

1週間に1回、週末にチケットを纏めてバッグに入れるのだが
あれ? 土曜日のコンサートのチケットがなくて
日曜日のコンサートのチケットが2枚???

げげげげげ〜っ 😱

私、カレンダーに間違えた日付を書いて
土曜日のコンサートじゃなくて
日曜日のコンサートのチケットをダブルで買っちゃったのか。

時、既に遅し
土曜日のコンサートのチケットは売り切れ。

日曜日の2枚目を楽友協会にリセールで持っていった時に
土曜日のチケット、まだないかなぁ、と聞いたら
申し訳なさそうに、売り切れなのよね、と言われてしまった(涙)

何故にウィーン交響楽団のコンサートが
2回続けて売り切れなんだっ!!!
(いや、すみません、失礼な言動を・・・)

さて、2回目のコンサートになる本日のベートーベン。
フィリップ・ジョルダンが
ウィーン交響楽団と、これから行なう
ベートーベン・チクルスの1回目。
(ウィーン・フィルとティーレマンみたいに
 チクルスにはなっていないが)

バッグにスコアを突っ込んで
会場に到着してからも
スコア見ようか、指揮者をガン見しようか悩んだのだが
まず1番はスコアとにらめっこ。

うわ〜、すごいぞ、この1番。
弦のニュアンスが豊かな事。
しかもアンサンブルがピッタリ揃って
何とも混じりっけのない、すごく透明な音色なのに

何てベートーベンらしいというか
この曲そのものは
まだモーツァルトやハイドンの影響が強いとは言え
そんな伝統的な作りの中でも

ベートーベンらしいワイルドな破天荒さが
あちこちに顔を出して
悪戯っ子がニヤニヤしながら
あちこちを元気一杯で駆け回っているような印象。

ティンパニを強めに出して
速めテンポのノリの良い演奏なのだが
一点の曇りもない揃った弦の透明な美しさに
茶目っ気のある木管や金管が大暴れして

ひえ〜っ、これはたまらん!!!
何か身体中をくすぐられている感じがする。

ちょっと笑っちゃうというか
スコア見ていても面白いんだけど
繰り返しの時はスコアから目を離して
音に集中すると、もっと跳ね返りで面白いし。

スコア見ながら
時々、天井を虚ろな目つきで見上げながら
ニヤニヤ独りで笑っているアジア人というのも
かなり不気味な存在かもしれない(すみません)

イケメンのジョルダンのお姿も拝見したいが
スコアを手に
目から耳から、という
身悶えする程の快感も捨て難く
(どうせヘン○イです)

後半のエロイカも
スコアに頭を突っ込む事にした。

第一楽章のダカーポの前で
グッとテンポを落とすというアゴーギクは珍しかったが
アクセントの付け方が絶妙で
息をつく暇もないほど
駆け足で全身を持って行かれる気分。

何と言うダイナミズム。
モダン・オーケストラでの演奏なのに
ピリオドの小編成のごとくにスッキリ軽く
イヤミがなくて華やかで

あぁ、ベートーベンって
当時のヒットメーカーだったんだよなぁ、って
ひたすらエンターテイメントと納得してしまう。

第2楽章の埋葬行進曲も
ちょっとあれ?と思う程に
思い込みだの、重たい精神性だのがない。
純粋に音楽として
丁寧で、軽く、モダンなのに大袈裟感がない。

何とも言えず、爽やかなのだ。
こんなベートーベンってあったっけ?
聴き慣れた曲なのに、何て新鮮に響くだんろう。

第3楽章からはスコアを閉じて
イケメン指揮者を拝見。
(あの楽章、速すぎてスコア見てもついていけないだろうし(笑))

正に疾走、小気味が良い。
しっかり丁寧に歌わせているのに
出てくるエネルギーの量が半端じゃなくて

1番もそうだったけれど
ちょっと笑っちゃうほどに
ベートーベンのイタズラ風味や
うはは、とニヤニヤ笑いながら
あちこちに翻弄するトリックを仕掛けているのが聴こえて来る。

例のホルンのパッセージの見事だった事。
惚れ惚れするわ。
ウィーン交響楽団、もともと管は名人揃いだし
それに、今回みたいに鉄壁のアンサンブルの弦が加わると
このオーケストラも時々、異様に無敵になる(笑)

この曲のハチャメチャな最終楽章
実は大好き ♡
ベートーベン得意のバリエーションが
これも息をつく暇もなく
次から次へと
まるでヤケッパチみたいに華やかに
極彩色の紙芝居でも見ているかのよう。

今さらベートーベン?と思っていたけれど
やっぱりベートーベンって凄い。

というより
これだけ手垢のついた古典作品を
ウィーン交響楽団とフィリップ・ジョルダンが
手垢を擦り落として
ピカピカの新鮮な状態で
でも、根本的な部分の音響の美しさとか構成は
そのままのオリジナルな形で
見事に聴かせてくれたのがむちゃ嬉しい。

それだけに昨日、聴き損ねたのが残念(涙)

アンコールにプロメテウスが演奏されて
これもモダン・オーケストラなのに
すっきりした音を響かせてくれて
ものすごくお得な気分で
楽友協会を後にした私に
どうぞ1クリックをお恵み下さい。


ウィーン交響楽団 + 佐渡裕

Wiener Konzerthaus Großer Saal 2017年2月21日 19時30分〜21時30分

Wener Symphoniker
指揮 Yutaka Sado
ピアノ Alice Sara Ott

Edvard Grieg (1843-1907)
 Konzert für Klavier und Orchester a-moll op. 16 (1868)
Nikolai Rimski-Korsakow (1844-1908)
 Scheherazade. Suite symphonique op. 35 (1888)

仕事でも驚きの災難続きなのだが
まさか私が買ったコンサートまで災難続きとは 😱

チクルスで持っていたのは昨日分なのだが
昨日分は友人に譲って、今日の分を別に購入。

最初は
指揮がクリヴィーヌでピアノがティボーデの予定。

ティボーデがキャンセルして、アリス・サラ・オットに変更。
クリヴィーヌがキャンセルして、ミッコ・フランクに変更。

更にその後
コンツェルトハウスからのアナウンスによれば
ミッコ・フランクが最終リハーサルの時に倒れてキャンセル。

結局、佐渡裕氏が急遽の代役で指揮台に立つ事になった。

ミッコ・フランクの指揮で演奏する予定だった
エイノユハニ・ラウタヴァーラの曲はキャンセル(涙)

グリークのピアノ協奏曲とシェヘラザードというプログラム
私の好みじゃないし(すみません、偏ってますんで)
仕事は今むちゃくちゃな状態なので
行こうかどうしようか散々迷ったのだが

昨日行った知り合い(プロ)が
良かったですよ、というメールをくれたのと
もう仕事する気力もなかったので(何と言う言い訳)

で、行ってみたら
このコンサート、思っていたよりずっと良かった 😀

アナウンスによると
オーケストラのメンバーの何人かも倒れたらしく
どこぞからトラを持って来たという話だが

グリークのピアノ協奏曲
ピアノの音がクリアに存在感を主張していて
すごくチャーミング。

この曲を聴くと
どうしても日曜サスペンス劇場か何かの
テレビ番組を連想するのは仕方ないとして
(第二テーマのところで、スポンサーは・・という
 アナウンスまで頭に響いてくるのである)

美人でスタイル良くて
スマートな体つきをまるでレオタードのように見せる
銀色の衣装を纏った裸足のピアニストは
見た目もチャーミング。

鉄壁のテクニックなのだが
それをこれ見よがしに誇示する事もなく
男性と聴き間違うばかりの強いピアノの音で
しかも、遅めテンポの堂々とした印象で
じっくりと攻めてくる。

出てくる男性的でゲルマン的な音と
見た目の華奢なスタイルのギャップに
悶える、というのはアリなんでしょうかね(笑)

演奏後に指揮者に抱きついたり
カーテン・コールで走って出て来たりという
キャピキャピな
如何にも私ってカワイイでしょ、というマナーは
私はあまり好きではないが
年配のお客さまにはむちゃくちゃウケそう。

でもマナー云々よりも
音楽が期待以上に骨太で
しっかり聴かせてくれたので
日曜か火曜サスペンス2時間特集よりも
ずっと音楽的に最初から最後まで楽しめた。

後半のシェヘラザード。
これ、同じテーマが延々と続くので
時々、辟易するのだが

これがまたドラマチック ♡
楽友協会でやったら絶対に許さん、という
大音響を容赦なく鳴らせて
品も外聞もない程に徹底的にドラマチックな作り方。

よってお話が目の前に彷彿とする位の
語りのある音楽になっているのだ。

コンマスのシェヘラザードは
あまり色気は感じなかったが(笑)←男性で色気っていうのもね
弱いかと思うと凛とした感じにもなって
良い感じで聴かせてくれて
でも、それ以外のドラマチック部分がものすごい迫力。
主人公はシェヘラザードじゃなくて
アリババの盗賊(なんてここに居たっけ?)か何かかと思ってしまう位。

ここまで大音響でオーケストラを鳴らせると
気持ち良いわ(註 コンツェルトハウス大ホール限定(笑))

色々と困難のあったコンサートだが
危機を乗り越えて
きちんと音楽を語ってくれた
指揮者、ピアニスト、オーケストラに感謝。

佐渡裕氏もほとんどリハーサルなしの状態で
指揮台に立ったんだろうなぁ。大変だっただろう。

ミッコ・フランク氏、早く元気になってね。

自宅に戻って
他のチケットを見ていたら
とんでもない発見をして
冷汗かいている私に
どうぞ1クリックをお恵み下さい。



冷汗の原因だが
間違えた日付のコンサート・チケットを買っていた 😨
買ったと思った日付のコンサートは既に売り切れ。
神さまが
あまりコンサートばかり行くな、と
私を叱っているのかもしれない(そんなアホな)

ウィーン交響楽団 + ウェイン・マーシャル

Wiener Konzerthaus Großer Saal 2017年2月2日 19時30分〜21時30分

Wiener Symphoniker
指揮 Wayne Marshall
ピアノ Michel Camilo

George Gershwin (1898-1937)
 Cuban Overture “Rumba” (1932)
Michel Camilo (*1954)
 Konzert für Klavier und Orchester Nr. 2 “Tenerife” (2008) EA
George Gershwin
 Porgy and Bess : A Symphonic Picture (1934/42)
Prelude Nr. 2 “Blue Lullaby” & Improvisation Michel Camilo
 “Rhapsdy in Blue” für Klavier und Orchester (1924)
  Kadenz : George Gershwin/Michel Camilo

ウィーン交響楽団のコンサートだが
チクルスのジャンルは「ジャズ」であって
ジャズ・ピアニストのミシェル・カミロのチクルスでもある。

いやちょっとプログラムがかなり面白そうだったので
食指が動いた。

だが・・・
数日前からの偏頭痛が・・・
いかんのだ、これ出ると数日は頭痛薬を飲み続けても
色々と調子が悪い。

(今日は実は国立バレエ団の
 ヤコブとナターシャの特番もあったんですよ(涙)
 ただダンサーは舞台で踊ってナンボと思っている私は
 お話を聞く気はなかった、というのもあるが
 やっぱりちょっと踊ったんだろうなぁ・・・)

で調子が悪い時に音楽を聴くと言うのも
ちょっと辛い(弱音・・・)

ただ、最初から最後までジャズである(笑)
よって、クラシック聴くよりも
もう楽しんで楽しんで楽しんでしまえばよろしい、と
覚悟して行った。

ガーシュインと言えば
クラオタが唯一知ってるジャズっぽい音楽の作曲家という事で(笑)
ただ、知ってるとは言っても
ラプソディ・イン・ブルーと
パリのアメリカ人と
ポギーとベスのサマータイムと
アイ・ガット・リズム程度のものなので

何ですか、この最初のルンバというのは!!!
すごくノリノリの音楽と言うのもあるけれど
それ以上に
単純なエンターテイメントの音楽を越えて
かなり複雑な和声やリズム
場合によってはポリフォニーまで使っていて
楽しいんだけど油断がならん。

ひえ〜っと叫びたくなるような箇所がかなりあって
ガーシュインって、こういう音楽も書いたのね、と
ちょっとビックリ。

クラシックのシンフォニー・オーケストラのはずの
ウィーン交響楽団のメンバーが
また、何だか異様に嬉しそうにノリノリ。

指揮者のウェイン・マーシャルって
確かこの人、もともとオルガニストだよね?
指揮者としてトーンキュンストラーで見た事はあるけれど
アフリカ系イギリス人というだけで
ジャズのコンサートに駆り出されたのかしら?

と、失礼な事を思っていたけれど
ご本人はガーシュインはお得意らしい。

さて本日のメイン
ジャズ・ピアニストのミシェル・カミロ。
ドミニカ共和国出身、ジュリアード音楽院卒業のピアニスト。

ピアノ協奏曲第2番「テネリファ」は
今回がオーストリア初演。

で、これが面白かった!!!
ジャズっぽい部分が
しっかりとしたクラシックの手法で書かれていて
しかも、ご本人の超絶ピアノ・テクニックがスゴイ。

スゴイというより
あの、それ、ご自分が作曲したんですよね?
なのに、ピアノと重なる部分のオーケストレーションが
何でそんなに厚くて大音響なんですか?
しかも、そんなに大音響なのに
ピアノがちゃんと聴こえてくる・・・というのにもビックリ。

ジャズっぽい部分の洒落っ気が
実に実にチャーミング ♡

調子悪いので途中で意識が遠くなっていたのが
今から思うと非常に残念・・・

後半最初のポギーとベス。
知っているメロディはサマータイムだけだが(無教養)
ストーリーが見えてくるような語りの曲で
これは最初から最後まで楽しく鑑賞。

しかしウィーン交響楽団って
こういう曲まで(しかも嬉しそうに)演奏できるのか・・・

カミロが再登場して
即興演奏の後、アタッカで続けて
ラプソディ・イン・ブルー。

クラリネットのソロのあまりの巧さに
ついつい笑ってしまう。
しかも、ものすごくジャズっぽいの(笑)

いつもマジメに、さりげなく巧いソロは聴いていたけれど
こういう、ちょっと捻ったジャズも巧いんですね。
トランペットの妙技や
ホルンの見事なソロにも耳を奪われた。

で、カミロのピアノだが
わ〜っはっはっはっは
ジャズ・ピアニストがラプソディ・イン・ブルーを弾くと
クラシック・ピアニストが弾くのと
こんなに違うんかいっ!!!

転げ回ってしまいそうになったわ。
隣のオジサン、ずっと足と手でリズム取っていて
椅子はグラグラ揺れるし
でも、それ、ちょっとわかる(笑)

いや、ラプソディ・イン・ブルーって
なんだかんだ言って
クラシックのコンサートでも聴く機会は意外にあるし
録音でも色々と聴いているから
曲は知ってるわけですよ。

ところがカミロのピアノにかかると
クラシック一辺倒のピアニストが
音符を一つ一つ、正確なリズムで刻むのと
全く違う事になってしまって

何とも本能的というか、衝動的というか
あ、音符崩れてますよ、リズム崩れてますよ
というところがテンコ盛りなんだけど
それがむちゃくちゃ洒落てるという
え〜っ、それアリですか?

リズムも違うし
アクセントの付け方も違う。
あっ、そこにそうアクセント持ってくるか、という
驚きの発見ヤマ盛り。

そのクラシック的なものとは対照的な
ジャズのリズムと音色感を
オーケストラがまた嬉々として出してくるのが
何かもう楽しい ♡

周囲の聴衆も
(隣でずっとリズム取って足とか手を動かしていたオジサン含めて)
若い人も多いし
(よってピアノ協奏曲の時には楽章ごとの拍手があった)
終わったら総立ちブラボー・コールだし

年配が多くて
ひたすらマジメにマジメにマジメに聴く
クラシック一辺倒のコンサートより
何か楽しかったかも。

このプログラムの縮小版
ウィーン交響楽団の Fridays@7 が
明日、コンツェルトハウスであるのだが
チケットはかなり前から完売(ちっ)

体調が悪かったのが
実に実に実に残念だった
(が、偏頭痛は発症したら3日は治らない(涙)
・・・とちょっと悔しい思いの私に
どうぞ1クリックをお恵み下さい。



酷い体調だった
昨日のフォルクス・オーパーの
バレエの記事は
また改めて書きます・・・・すみません。

ウィーン交響楽団 + グスターボ・ヒメノ

Musikverein Großer Saal 2016年1月25日 19時30分〜21時20分

Wiener Symphoniker
指揮 Gustavo Gimeno
バイオリン Baiba Skride

Franz Schubert (1797-1828)
 Ouvertüre “Im italienischen Stile” D-Dur, D 590
 Symphonie Nr. 3 D-Dur, D 200
Karol Szymanowski (1882-1937)
 Konzert für Violine und Orchester Nr. 2, op. 61
Maurice Ravel (1875-1937)
 Daphnis et Chloé. Suite Nr. 2

ルクセンブルク交響楽団と来たグスターボ・ヒメノが
ウィーン交響楽団とコンサート。

3日続けての公演で
本当は後になればなるほど
慣れて良くなっていくのはわかってはいるのだが
明日も明後日も別プログラムがあるので
初日に楽友協会へ。

先日のルクセンブルクでは
最後のシューベルトが滑りまくっていて
(いえ、個人的な独断と偏見ですが)
今回の前半がシューベルト・プログラムって
サービス精神のある指揮者なのか
コワいもの知らずなのか
それとも、本当にシューベルト好きなんだろうか?

最初の曲は私は知らない。
(予習もしませんでした、ごめんなさい)
ゆったりとしたテンポと言えば聞こえは良いが
何か、どっしりして重くて
シューベルトっぽい感じはしないなぁ。

もちろん最初の導入部の後は
テンポ・アップはするのだが
テンポが速くなったのに
重苦しさはなくならず

いや、曲が「イタリア風」だからだろうとは思うが
シューベルトにしては
異様にウエットでドラマチックで
う〜ん・・・ ちょっとこれ、私の好みではないんだけど。

交響曲3番も同じく
四角四面で軽さがなくて
だいたいシューベルトの交響曲って
ウィーンっぽく、洒脱でちょっと遊び心があって
アンプロンプチュでカプリッチオの筈なんだけど。
(ワケのわからん個人の好みですみません)

あのアムステルダム・コンセルトヘボーのパーカッションで
指揮の才能を、名だたる指揮者の面々に発掘されたという
エピソードには事欠かない指揮者なのだが
何か、シューベルトにはマジメ過ぎて
面白くないぞ。

後半はバイオリニストのバイバ・スクリデが登場。
実はこの若くて美人なバイオリニストのコンサート
今まで何回か聴いているのだが
あまり良い思い出がない、というより
このバイオリニストの
ウエットでポルタメントたっぷりの
まるで民族音楽の泣き女みたいなバイオリン
非常に苦手だった。

よって、最初から何にも期待してなくて聴いた
カロル・シマノフスキのバイオリン協奏曲2番が

えらく良かったのである(驚愕)

ウィーン交響楽団のちょっと尖った現代的な音色と
ちょっと泣き節の多いスクリデのバイオリンが
ものすごくマッチしていて

さすがに近代音楽(現代音楽ではない)の曲なので
今まで辟易したウエットで感情過多のところも気にならず

しかもこのバイオリンのカデンツァ
何てまぁ、見事というか
ダブル・ボーゲンで、あんなテクニック使えるんですね?

豊かなバイオリンの深い音響が
ホール一杯に広がって
ありゃ〜、このバイオリニスト、すごいじゃん。
何でこんなに聴き惚れてしまうの?

バイオリンそのものの音色も
多彩で、どんどん変化していって
シューベルトでは鼻についた
過剰なドラマチック的要素が
シマノフスキでは、完璧に活きている。

いや、驚いた。
何て素晴らしい曲なんだ。
ちょっと探して、後でもう一度聴いてみよう・・・

この指揮者、意外とイケるかもしれない。
(おお、偉そうに(笑))

最後がラヴェルのダフニスとクロエ組曲第2番。

最初のピアニッシモの音色で
椅子からずり落ちそうになった。

リズムだけの指揮者かと思っていたら
何ですかその繊細で細かいくせに透明感のある音色は?!

だいたい、この最初の出だしの音色って
むちゃくちゃ難しい(はず)
団子になってもイケナイし
どこかの楽器が飛び抜けてもダメだし
バランスと音の長さの名人芸的な要素を必要とされるのに

この指揮者、実は音響オタク?

シューベルトもそうだったんだけど
(で、それが、反ってあざとく聴こえたのだが)
最初のテンポをギリギリまでゆっくりで演奏する。
若い指揮者に有り勝ちな
速めテンポで印象的にグイグイ攻めようというのがなく
信じられない程の忍耐力で
耐えて耐えて耐えて
その代わりに、ダレないように音色に徹底的に拘っている印象。

で、当然、やるよね、と思った通り
後半で、前半と対比的なテンポ・アップ(予想はつく)

ただ、テンポ・アップした後に
タメが全くなくて
普通、ちょっとタメるよね、というところを
グイグイ、すごい促進力で
疾走して駆け抜けて、暴風が吹き荒れてる感じ。

しかもこのヒメノの指揮
確かにパーカッション出身という事は
絶対に体育系マッチョだと思うのだが
一拍一拍を、最初から最後まで
全部振ってるぞ(驚)

しかも、ものすごく正確に・・・

何か、あんなに教科書通りの振り方
しかも速い部分も
物理的に何の困難もみせず(アスリートだろうあれは)
ちょっと動き過ぎでうるさくなる位の
激しいダンスを指揮台の上で踊っている。

その上、それを上半身だけでやってるのでビックリする。
顔の表情は全く動かず
最初から最後まで
能面のごとく、マジメで真剣な顔で
上半身と腕が、目まぐるしく動いて
しかも、それが
教科書通りの3拍子・4拍子・6拍子・8拍子と
指揮棒がヒラヒラ動くのである。

いや、指揮者がどんなダンスを指揮台の上で披露しようが
出てくる音楽がすべてなので
動きはどうでも良いんだけど(笑)

良い意味で、すごく鋭い感じの
締まったマッチョな演奏になっていて
でも、それが暑苦しい筋肉じゃなくて
かなり鑑賞の耐える筋肉の付き方になっていて
あっ、何を言わせるんだワタシに(汗汗)

楽友協会の支配人も
前半では、椅子の背にもたれて聴いていたけれど
後半になったら、支配人ボックスから身を乗り出してたし。
(今日は反対側からだったから、見えちゃった(笑))

名だたる指揮者に取り入った
こすっからいオーケストラ・プレイヤーかと思っていたが
もしかしたら、この指揮者、お買い得かも(こらこらっ)

いやちょっと本気で
明日と明後日の同じコンサート
後半だけ(シューベルトは要らない)聴きたくなって来たぞ。

でも明日も明後日も
ギッシリ予定を詰めてしまって
(しかも、2日待てば50%割引で買えたチケットを
 わざわざ正規料金で買ってしまったアホは私です)
残念ながら、もっと良くなっているだろうコンサートに行けない(涙)

こういう思いがけない
えっ?という体験があるから
やっぱりナマがないと生きていけないんだわ、と
人が聞いたら誤解されそうな発言を(いいんです、もうババアだし)
ついついしてしまう私に
どうぞ1クリックをお恵み下さい。


ウィーン交響楽団 + クルレンツィス 2回目

Wiener Konzerthaus Großer Saal 2016年1月22日 15時30分〜18時10分

Wiener Symphoniker
指揮 Teodor Currentzis
バイオリン Patricia Kopatschinskaja
司会 Barbara Rett

Peter Iljitsch Tschaikowsky (1840-1893)
 Konzert für Violine und Orchester D-Dur op. 35 (1878)
 Symphonie Nr. 4 f-moll op. 36 (1877)

1月12日の Im Klang でオーケストラの第二バイオリンに混じって聴いて
1月13日に本コンサートを同じ会場で聴いたプログラム。
ドイツ演奏旅行からウィーン交響楽団が帰って来て
最後のコンサートをコンツェルトハウスの大ホールで行なった。

あの奇想天外なチャイコフスキーのバイオリン協奏曲
3回目に聴いたら、さすがに奇妙すぎて飽きるんじゃないか
という懸念もあったけれど
ありがたい事にコンツェルトハウスの貧民席は
20ユーロを切るお値段(笑)

さて、座っていたら
突然現れる司会のレット女史。
いやもう、別に解説とか司会は要らんのだが
考えてみれば、これ、もともと
ウィーン交響楽団日曜日11時のマチネで

今回は「オーガナイゼーションの理由により」
15時30分に変更になったけれど
もれなく司会が付いてくるのであった。やれやれ。

レット女史が舞台に呼んだのは
バイオリニストのコパチンスカヤ。

ビリビリに裂けた服で(全部のコンサートにこれ着てた)
裂けた服は Work im Progress なんだそうだ(爆笑)

何故チャイコフスキーのバイオリン協奏曲を?という質問に

 だってこの曲、演奏され過ぎじゃないですか。
 同じような演奏聴いても面白くないでしょう?
 それに私は、昔のカビの生えたような演奏され過ぎの音楽じゃなくて
 現代に生きる我々の、現代の音楽を演奏したいんです。

・・・おおおおおっ、ご立派。
さすが現代音楽もよく演奏する(自分でも作曲するらしい)音楽家の言葉。

次の質問で
音楽家が演奏する時に、聴衆って何か関係がありますか?
というアホらしい質問に対する答えで
私は仰け反った。

え〜い、あれを巧く表現できるか心もとないんだけど

 音楽は、聴衆が心の中で聴くものです。
 ここにいらっしゃる皆さん全員が
 自分の心の中で、自分の音楽を聴いて
 その音楽に個々の個人の自分の感情を呼び起こして行くのです。
 だから我々音楽家は
 みなさんが心の中で聴くものが素晴らしい体験になる
 そういうお手伝いをするだけなんです。

・・・・・

絶句ってこういう事を言うのかもしれない。

大昔から
あなたの見ている色は
他の人の見ている色とは違うかもしれない
という議論は多々あったけれど

音楽だって同じ事で
同じものを隣の人が聴いているとは限らない

・・・どころか、絶対に違うモノを聴いていると思う。

鼓膜の振動を通して脳に入った「音」は
そこで脳の機能に応じて、それぞれ個人の脳の中で解釈される。

いわゆる「耳の良い人」というのは
脳内の音の解像度が、絶対に私のようなシロウトとは違うだろうし
その部分の脳機能が優れた人は
絶対に私が聴いている音楽とは違うモノを聴いていると思う。

音楽が掻き立てる感情だって
1000人の聴衆が居れば、1000通りの違いがある。

脳内に蓄積された経験や思い出や
どこかのシナプスが繋がったり切れたりの中で
琴線に触れるところと言うのは、たぶん、全く違う。

だから人間にとっての音楽というのは
プレイヤーたちの動作によって引き起こされる空気の振動ではなく

我々、受け手が鼓膜から伝わる刺激を
脳内で、それぞれの脳の機能のフィルターを通して
そこで理解して、初めて音楽になるのではないか。

これ、本当にそう理解している音楽家って
いったい世界に何人居るんだろう?
ただ、自分の脳内で満足の行く空気の振動だけを
正しく出せば良いと思っている人たちって
意外に多いんじゃないだろうか。

まぁ、それも一つの行き方だし
自己満足でもテクニックが完璧で
ついでに完璧なテクニックが聴衆にウケれば
それはそれで幸福な人生だから、何も言いませんが。

聴衆の受け取り方まで意識している音楽家という
正しく不思議なプレイヤーを
私は正直、初めて見たような気がする。

あ、これを面白がって読んでいらっしゃる
プロの音楽家の方々
そんな事、ワタシも考えてるわよ、という方がいらしたら
どうぞ失礼をお許し下さいまし。

以前2回聴いたコパチンスカヤのチャイコフスキー、バイオリン協奏曲。
3回目を聴いていても

す・ご・い

奇抜だとか、こんな解釈聴いた事がない、とか言うのは
いったん忘れて聴いてみると

音楽とか言う枠に収まらない
強いて言えば、演劇に近い。

音楽が言葉になり
悲鳴になり
イヤイヤする幼児の叫び声になり
酔っ払ってフラフラしながら
やるせない愛の痛みを訴えてくるし

バイオリニストと指揮者とオーケストラが
それぞれに親密に呼応し合って
これもひたすら演劇に近い
音楽=意志の疎通のやり取りが舞台上で繰り広げられていて

舞台上でのコミュニケーションの中に
聴衆も引き込まれてしまって
俳優さんが現す感情の嵐をそのまま
ダイレクトに受けて
脳内で同じような感情の嵐に巻き込まれてしまう。

これ、もう、本当にクラシック音楽とか言えないわ。
演劇であり、演技、いや、音楽に基づいた
真の感情の嵐であり
最高にドラマチックな感情の怒濤のドラマ。

いやもう、何なんですかこれは。
この2人がやった事は
鬼才が奇抜な事をやった、というだけでは済まない
既存のクラシック音楽観を
根底からひっくり返している。

先週はずっと
クルレンツィス・コパチンスカヤ症候群に罹患していたが
これ、耳がどうのこうののレベルじゃない。

ちょっと大袈裟に言わせてもらえるなら
ジョン・ケージやマルセル・デュシャンが
先世紀初頭にぶちまけた芸術の価値観をひっくり返すような
そんな革命を、この2人はクラシック界に持ち込もうとしている
(ようなショックがある)

これは難しい(悩)
これだけの挑戦を受けた我々受け手が
これから、既存のクラシック音楽を
おとなしく、はいはい言いつつ聴けるかどうか(超悩)

この間のインテリ向け日刊新聞のプレッセには
アンファン・テリブルと書かれていたけれど
彼らがこの演奏で行なったのは
既存のクラシックのプレイヤーと聴衆への
恐ろしい挑戦状でもある。

後半のチャイコフスキーの交響曲4番も
クルレンツィスの棒にオーケストラが良く乗って来て
コパンチスカヤのバイオリン程には奇想天外ではなかったにせよ

指揮者もオーケストラも
ドラマを提示して、聴衆の頭の中に妄想を呼び起こした。

途中で携帯電話のベル(しかも昔の黒電話のリンリン)を
3回以上鳴らしたアホが、1人のみならず、2人も居たけれど
それも気にならない程に集中した。
(カチンとは来たが。しかもちょっと時間を置いて2回目・3回目があったし)

コパンチスカヤのアンコール
クルタークの「チャイコフスキーへのオマージュ」は
何回聴いても、かなり笑えるし
(途中で悩んで突っ伏すところもあるんです)

オーケストラのアンコールの
クルミ割り人形のロシアのダンスも
ジョルダンの時とはまた違った味わいがあった ♡
(どちらが良いとか言うのはまた話は別)

この革命児たち、これからのクラシック界でどうなるか。
2人とも、自分のやっている事に対しては
何をやっているのか、しっかりした自覚があって
ものすごく頭の良い人なので

うっふっふ、こういう人たち、ワタシ、大好き ♡

コパンチスカヤのチャーミングなビデオを貼っておくので
ぜひご覧あれ。
音楽家=個人の人格という非常に稀な例。



また数日は
クルレンツィス・コパチンスカヤ症候群の
ディープな症状が出そうな私に
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ウィーン交響楽団 + クルレンツィス

Wiener Konzerthaus Großer Saal 2016年1月13日 19時30分〜21時40分

Wiener Symphoniker
指揮 Teodor Currentzis
バイオリン Patricia Kopatschinskaja

Peter Iljitsch Tschaikowsky (1840-1893)
 Konzert für Violine und Orchester D-Dur op. 35 (1878)
 Symphonie Nr. 4 f-moll op. 36 (1877)

昨日オーケストラの第二バイオリンのど真ん中で聴いたが
本日は本コンサートなので
舞台からは、思いっ切り遠い愛用の貧民席。

昨日、ずっと仰け反りまくって
段ボールの箱に腰掛けながら身体を揺すっていた
チャイコフスキーのバイオリン協奏曲。

オーケストラの中で
音に囲まれながら陶酔の時間を過ごしたのとは違って
やっぱり音が遠い。

けれど、だから迫力がない、かと言うと正反対。
あの異様な最初のバイオリンのソロから
ぐいぐい引き込まれてしまう。

確かにこの解釈、演奏って、すご〜くヘン。
めちゃくちゃヘン。

聴き慣れた曲が新鮮に聴こえてくるなんて
生易しいものではなくて
まるで全く別の曲がまとわりついてくる感じ。

コパチンスカヤ、あんなに奔放に
好きなように勝手に弾きまくっているように見えるけれど
そこには間違いのないコパチンスカヤの美意識が
小さな音色、ほんの少しのオーケストラの絡みに至るまで
細部の細部までとことん計算されている。

こうやって離れたところから聴いてみると
あの演奏は
コパチンスカヤと指揮者とオーケストラの
徹底的に親密な会話に聴こえてくる。

なのに、その親密な会話は
内に閉じ篭るものではなくて

あくまでも外の聴衆に開かれていて
大きいドアが開いて
ほら、面白いよ、ここに来てごらんよ
一緒に楽しんじゃいません?と
プレイヤーたちからニコニコしながら誘いを受けている気分。

たぶんコパチンスカヤもクルレンツィスも
変わった事をしたい
それで名前を売りたい
なんて一切思っていない(ような気がする)

この異様な演奏から出てくるのは
ほらほらほら、面白いでしょ、楽しいでしょ、という
人間の本能、心の奥底から湧き出てくる
既存の概念をとっぱらった
正に音楽そのものに思えるのだ。魔法みたいである。

昨日の Im Klang では
コンサート・マスターが
コパンチスカヤに
「そんなにピアニッシモで聴こえないような音で良いんですか?」
と聞いたら、それでもかまわない、という話があったけれど

さすがにコンサート・ホールとして
第一次世界大戦前に建設されたコンツェルトハウスは
舞台からの、聴こえるか聴こえないかのような
繊細なピアニッシモも
間違いなく天井桟敷まで届けてくれる。

異様なバイオリンに耳を奪われるが
それにピッタリ付けてくるオーケストラも凄まじい。

特にオーボエ、クラリネットとフルート、ファゴットの巧さと言ったら・・・
オーボエのお兄ちゃん
今まで、あんなにチャーミングな音、出してましたっけ?
(って失礼な(笑))
出しゃばらず何気に巧いクラリネットに
澄んだ音のフルート
下を確たる技術で支えて温かい音を出すファゴット。

いやすみません、もう参りました。惚れましたワタシ。
ウィーン交響楽団って
乗らないとむちゃ緩くなる場合もあるんだけど
本気を出すと、ちょっと背筋がゾクゾクするくらい巧くなる。

異様なチャイコフスキーのバイオリン協奏曲の後
舞台の端にあったアップライト・ピアノが運ばれて来て
バイオリンを持たずに出て来たコパンチスカヤが
可愛らしいチャーミングな声で
(しかもこの声、甲高くないのに通って、言ってる事がわかる!)

 チャイコフスキーのバイオリン協奏曲聴いちゃったら
 もうバイオリンなんて飽き飽きでしょうから
 ピアノを弾きます。
 クルタークの「チャイコフスキーへのオマージュ」です

これがこれがこれが
チャイコフスキーのピアノ協奏曲1番のパロディというか
リズムはピアノの最初のソロのところなんだけど
それが全部クラスターで

ごめん!
不謹慎なんだけど
笑い声漏れないように前に屈んだのは良いけど
腹筋がブルブルして・・・・

ああもうワタシ、ダメです。
こんな演奏が聴けるなんて
天国だか地獄だか、ワケわかんない(爆笑)

後半のチャイコフスキーの交響曲4番。
バイオリン協奏曲の自由奔放な演奏と比べれば
おとなしい・・・と言っちゃって良いのか

でもこれがまた
細かい部分まで揺るがせない
解像度完璧なのに、繊細にも軽くもなっていない上に

音の色が次から次に変わっていって
作曲家からか演奏家からかはわからないけれど
とてつもない深い温かい愛情みたいなものが
聴衆にストレートに伝わってくる。

交響曲4番だけを聴いたのであれば
あれだって、他の指揮者では聴けないような
非常に変わった演奏だったと思うのだが
(バイオリン協奏曲で馴らされてしまったのかも)

クルレンツィスの音楽って
伝統とか文化とか完全無視で
既存の枠組みからむちゃくちゃ飛び出しているくせに

ネルソンスや初期のドゥダメルみたいに
音楽好き好き、もうめちゃ好き、という
自分の音楽観に拘泥した内向きの情熱ではなく

あくまでも聴く側の存在がそこにはある。
一切聴衆に迎合せずに
自分の音楽的純粋さや完璧性には徹底的に拘っているのに

ほら、音楽ってね、楽しいよね
と語りかけられているような
基本的に、非常に外に開かれた音楽が提示される。

何回か聴いたらつまらなくなるかも、と思っていたら
どうも、この外向きの音楽は
全然つまらなくならないような気がする。

「気がする」と書いたのは
ウィーン交響楽団が外国への演奏旅行をした後
最終公演が同じプログラムでコンツェルトハウスであって

しつこい私は
当然の事ながら
この最終コンサートのチケットも確保しているのである。

アホと言うなら言え(開き直り)

天才というよりは鬼才。
実に不思議な指揮者が
ロシアの片隅に現れたものだ。

これが、ナマで聴けるなんて
これこそ人生の奇跡かもしれない。

これから、この音楽が
どういう方向に発展していくのか
なんか、ものすごく楽しみな私に
どうぞ1クリックをお恵み下さい。



カメラータの時には
幼稚園児御用達スモッグを表裏反対にしたような服だったが
今回はちゃんと背広で
しかも細身のネクタイしていて
ヘアスタイルも、この間より、ちょっとマトモになっていたので
この指揮者、音楽もこの間よりマトモになったかと思ったら
全くマトモになっていないので
すごく嬉しくなった(笑)

ウィーン交響楽団 + クルレンツィス Im Klang

Wiener Konzerthaus Großer Saal 2016年1月12日 19時〜20時20分

Im Klang
Wiener Symphoniker
指揮 Teodor Currentzis
バイオリン Patricia Kopatschinskaja
司会 Mirjam Jessa

Peter Iljitsch Tschaikowsky (1840-1893)
  Konzert für Violine und Orchester D-Dur op. 35 (1878)

ウィーン交響楽団の Im Klang 音の中で、という催物。

オーケストラのメンバーの中に入り込んで聴いてしまうという
ベルリンでやっている Mittendrin の後追いプログラムだが

何でこんなに観客増えてるんですか?😵

だって、段ボール椅子の数がこの間の倍くらいになってるし
周囲にも椅子が置かれて、それも目一杯だし
オーケストラ内チケットより安いバルコンとかもほとんど満席。

クルレンツィスの人気か
このオーケストラの内部に侵入プログラムが人気なのか

自分の好きなところに座りたいので
早めに会場入りして正解だった ♡

とは言え、どこにどの楽器があるかはわからず
プログラム売りのおばさまに
ビオラって何処?と聞いたら
配置図を出して、あ、左の方・・・というので
左に行って、プレイヤーとプレイヤーの中の1席に陣取ったものの

前の楽譜を見るとト音記号・・・
いかん、これ、ビオラじゃない、と一瞬焦ったが
その間にどんどん人が入って来て
うっかりしているとオーケストラの中に席がなくなりそう。

ラッキーな事に反対側にコンマスが見えたので
おおお、第二バイオリンだ。だったらオッケー(内声が好き)

司会のお姉さんが上ずった声で挨拶して
こんなに人が入るなんて、みたいな興奮状態。

チャイコフスキーや指揮者やバイオリニストについての話を
延々としているんだけど
別にそんな解説要らんわい(すみません)

登場したクルレンツィスとコパンチスカヤ。
うわああああ、コパンチスカヤって

か・わ・い・い!!!

むちゃくちゃ幼い、イタズラ好きの少女みたいな
小柄でキュートな顔立ちで
いや、コパンチスカヤ、何回も舞台では見てる筈なんだけど
こんなにキュートな少女でしたっけ?
(1977年生まれなので39歳?
 どう見ても18歳くらいに見える・・・)

クルレンツィスは
昨年10月にカメラータとのコンサートを聴いた。

その時には、ひっくり返って悶絶してしまい
フィガロの結婚の CD を買って
その後に出たドン・ジョバンニの CD も購入してしまい
(お〜い、両方ともモーツァルトだよ?!)
その CD を聴きながら、また仰け反っていた指揮者。

今回もいったいチャイコフスキーのバイオリン協奏曲で
何をするのか(ドキドキ)

では、普通に弾いてみましょう、と始まった
バイオリン協奏曲。
あれ、別に何て事ないじゃん。
こちらが期待し過ぎだったんだな、きっと。

と思ったら途中で止めて
そうじゃなくて、実はね・・・

と新たに演奏が始まったチャイコフスキーに

思わず仰け反りました 😱

ちょっと待ってクダサイ、何ですかこれは。
アクセントは違うわ、ダイナミック・レンジが全然違うし
カデンツァのところなんか
コパンチスカヤが指揮者を押しのけて指揮台に上がってしまって
しかもカデンツァの合間に指揮者のセリフ入るし(爆笑)

クルレンツィスも、激しい指揮・・とか言うもんじゃなくて
指揮台蹴っ飛ばして木管のところまで駆けっていって振ってるし

こちらは動き回る指揮者とバイオリニストを
目で追い掛けながら
普段意識しない第二バイオリンの音に
脳みそを掻き回されつつ

うおおおおお、これってディスコ音楽かよ?!
何かもう、自分の身体が揺れて行くのがわかる。

というより、揺れてしまうと
前後のバイオリニストのボウに突かれそうなので
(その位、段ボール椅子がキチキチに詰めてある。
 コンツェルトハウス、どの位儲けたんだよこれで。あ、いやいや)
できるだけ縮こまってはいたんだけど。

いやチャイコフスキーには聴こえません(断言)

正に異端というか鬼才というか
既存概念を全部とっぱらって
奇を衒ったと言えば極端に奇を衒っていて

むちゃくちゃ楽しいじゃん、これ(爆笑)

Im Klang 恒例で第一楽章の後にちょっと解説。
クルレンツィスが嬉しそうにマイクを持って

クラシックの美学とは何でしょう?
そんなもの、習慣でしかないじゃないですか。
もともと人間の叫び声とかに美学はありませんよね

・・・というような内容を訥々と英語で話した後

第二楽章はチャイコフスキーの民謡に似たようなメロディがあります
と、ピアノ伴奏でコパンチスカヤがその民謡を演奏して
すぐに第二楽章の演奏に入った。

おおお、確かに似てるし共通するものがある。
しっとりと語られる暖炉の傍のような温かさに
メランコリックな湿った悲しみが語られて
爆発する第三楽章・・・

に入ったとたん、またストップ。

司会者曰く
45秒で席を変わる人は変わって下さい。

この間はチェロのところに移動したけれど
今回は第二バイオリンが面白いので、そのままの位置で

またもや爆発する第三楽章。
いや、もう爆発というかディスコ音楽というか
疾走して走りまくって
指揮者もバイオリニストも駆け回って
何が何だか翻弄されている間にフィニーッシュ!!!

何だなんだなんだったんだ、これは(呆然)
いや、ホントに、やられたっ、という感じ。

正しいクラオタにしてみれば
これは立派なルール違反だろう(笑)

チャイコフスキーがこの演奏聴いたら
腰抜かすと思うけれど

クラシック音楽でコレあり??(爆笑)
既存概念とか伝統とかを蹴っ飛ばして
踏みつけて
楽しかったらそれでイイじゃん、という
確信犯的な開き直りって

実は大好き ♡

ここまで異端に徹してしまえば
それはそれで潔くて実に気持ちが良くて爽快。

鬼才、としか言いようのないクルレンツィス。
それまでの名曲を
全く違ったものとしてプレゼンテーションしてくれる。

この奇の衒い方は
好き嫌いが真っ二つに分かれそうだし

既存から完璧にはみ出した演奏が
何回も聴いてみて
やっぱり良いわ、となるか
鼻につくようになるかは、まだわからないけれど。

以前の Im Klang の時には
平土間全体にオーケストラが散らばって
しかもその中に、こういう迷惑な聴衆が陣取っていたので
音ズレがかなり凄かったけれど

今回はオーケストラの音が
ものすごくまとまっていて
音ズレがなくてピッタリとソリストに絡まって来たのが
また気持ち良い 😌

だんだんアブナイ世界にハマりそうな自分が
ちょっとコワイ私に
どうぞ1クリックをお恵み下さい。



本コンサートは明日の夜
後半はチャイコフスキーの交響曲4番。

ウィーン交響楽団はその後、演奏旅行に出掛けて
1月22日に同じプログラムで
最後のコンサートをコンツェルトハウスで演奏する。

ウィーン在住の、頭の柔らかいクラオタの皆さま
聴きに行ってソンはないコンサートです(断言)
ただ、なんだこりゃ? クラシック音楽を侮辱しとる、と
怒る人は出てくるかもね(爆笑)

いやいや、ウィーン交響楽団の皆さま
あれについて行くのはタイヘンだったでしょう(笑)
お疲れさまです(お辞儀)

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