ウィーン・フィル + サカリ・オラモ

Wiener Konzerthaus Großer Saal 2017年4月22日 15時30分〜17時30分

Wiener Philharmoniker
指揮 Sakari Oramo
バイオリン Janine Jansen
ソプラノ Anu Komsi

Peter Iljitsch Tschaikowsky (1840-1893)
 Konzert für Violine und Orchester D-Dur op. 35 (1878)
Rued Langgaard (1893-1953)
 Symphonie Nr. 2 “Vårbrud” (Frühlingserwachen) (1912-14)

コンツェルトハウスのチクルス
マイスター・ヴェルクの一環で
土曜日午後に1回だけのコンサート。
(5月10日の14時05分からオーストリア国営ラジオ1番にて放映。
 1回だけのコンサートでも放映権でモトはしっかり取るオーケストラ(笑))

チャイコフスキーのバイオリン協奏曲
しかも、この間聴いて、何か線の細い人だなぁ、と思った
ジャニーヌ・ジャンセンがソリスト。

・・・とあまり期待していなかったら
え? ジャンセンのバイオリンって、こんなに響きました?(驚愕)

しかしこの1楽章、何と言う演歌な演奏。
タメたっぷり思い入れたっぷり
あまりのロマンティックに、ちょっと気恥ずかしくなる位なのに
下品にならないのはバイオリニストの腕か。

ウィーン・フィルのコンサート・マスターは
ブルーメンシャインさんで
何か今日は、あまり見た事のないメンバー(トラとも言う)が多い。
割に大編成で演奏していたし
やっぱりウィーン・フィルの弦って
厚みと温かさと柔らかさがある。
(腐っても鯛・・・とは言わないが(こらっ))

イヤにロマンティックな演奏だったのだが
それでもソロ・バイオリンの音が、ものすごく伸びる。
決してワタシ好みの演奏という訳ではないのに
すごい説得力でガンガン押して来るので何か自然に納得してしまう。

アンコールがチャイコフスキーのメロディという事で
ウィーン・フィルの弦とバイオリン・ソロの絡み。
いや、あの忙しいウィーン・フィルが
よくぞ、こんな曲まで練習したものだ。

このアンコールが甘々の曲想ながら絶品で
上等の砂糖菓子を食べているような良い気分。

さて、後半の交響曲だが
ルーズ・ランゴーなんて作曲家、私は知らないぞ。

デンマークの作曲家で
有名なニールセンの影に隠れて
あまり演奏されなかった人らしい。
この曲もオーストリアでは初演である。

ふ〜ん、ウィーン・フィルがこんな新曲を演奏するのは珍しい。
どんな急進的な曲なんだろう、と思っていたら

リヒャルト・シュトラウスと
ワーグナーと、チャイコフスキーとを
全部混ぜ合わせて
コルンゴルト風の大規模オーケストラにしてみたけれど
失敗しました
・・・・・みたいな感じ(すみません)

う〜ん(悩)
これ、聴いてて面白いか?
確かに、美しいメロディに複雑なオーケストレーションで
分厚くて、ステキにチャーミングな曲ではあるのだが
だから何? というより
ワタクシ的には
あまり好きじゃないツェムリンスキーっぽいわ。

最終楽章にソプラノが入るのだが
すごいソプラノが来た。
スゴイというのは、よくわからないソプラノで
ともかく声がデカイし
声質がソプラノと言うよりメゾの厚みがあって
それが大声量で高音を歌うので

聴いている方がちょっと仰け反ってしまう。

う〜ん、オラモさん、とんでもない曲を持って来たな。
でもオラモさんってフィンランドの人だよね?
何故にデンマークの作曲家を?

北欧圏の作曲家、という意味なのかもしれないけれど
フィンランドって、言葉からして
スウェーデンとかデンマークとかノルウェーと違うじゃないの。

(それにフィンランドはシベリウスが・・・)

全部で40分弱の作品だったから
何か平凡だなぁ、とかは思いつつ
でも大編成オーケストラの
絶妙なオーケストレーションの響きは
充分に楽しませていただきました。

ヘンな現代音楽でワケわからんものでなくて良かった(笑)
(まぁ、そういうモノだったらウィーン・フィルは演奏しないかも)

サカリ・オラモという指揮者
どこかの中小企業の
一見地味だけど、本当はデキる課長さんという見た目で
(すみません、誉めてます)
指揮振りを見ていると、結構熱血漢 😃



明日はウィーン・マラソンというのに
(コンサート後はリング通りは閉鎖されていて
 周囲がものすごい交通渋滞だった)
風は強いし、雨も降るし
しかも寒くて
交響曲は「春の目覚め」というタイトルなのに
まだまだ春は遠い、とため息をつく私に
どうぞ1クリックをお恵み下さい。



冗談じゃなく本当に寒いんです。
もちろん暖房ガンガン入れてます(涙)

ウィーン・フィル + アダム・フィッシャー

Musikverein Großer Saal 2017年4月8日 15時30分〜17時30分

Wiener Philharmoniker
指揮 Adam Fischer
バイオリン Ziyu He

Franz Schubert (1797-1828)
 Ouvertüre zu der Oper “Fierrabras” D 796
Béla Bartók (1881-1945)
 Konzert für Violine und Orchester Nr. 2, H-Dur, Sz 112
Wolfgang Amadeus Mozart (1756-1791)
 Symphonie D-Dur, KV 504 “Prager Symphonie”

ウィーン・フィルの土曜日定期。
バイオリニストが出るようで
名前からすると中国人。
今まで名前を聞いた事もない人だし
後半は爆睡モーツァルト。

何となく気が乗らないまま行ったのだが

アダム・フィッシャー、素晴らしい ♡♡♡

御歳67歳で
もう音楽好きで好きで、むちゃくちゃ好きで
というのが伝わってきて
駆けって舞台に出て来て
嬉しそうに指揮台に飛び乗るキュートさ。

シューベルトのフィエラブラス序曲は
丁寧にシューベルトらしからぬドラマチックさを持って
しかも、音楽の端々から迸るような優しさが降ってくる。

うわああああ、何てチャーミングなシューベルト。

さて、誰だこれ、と思っていたバイオリニスト
Ziyu He は17歳。

中国出身でザルツブルクのモーツァルテウムの学生で
あちこちのコンクールで優勝しているみたい。
カワイイ顔立ちの真面目そうなバイオリニスト。

え〜っと、う〜ん、何と言うか
技術的には優れている・・・んだろうけど
バイオリンの音、響いて来ないし
内向的? それともデビューなのであがっているとか?
いや、わからないけれど
そんなに特筆すべき演奏には聴こえて来ないんだけど(困惑)

いや、もちろん私、バイオリンについては全くわからないし
ましてやバルトークのバイオリン協奏曲について
何も言えないのだが
それにしたって、一本調子だしニュアンスないし

何故かコンツェルトハウスでも
このバイオリニストの宣伝をガンガンやっている。

いや、邪推してしまうと
これ、政治絡み、経済絡みがかなりあるんじゃないか?

もちろんスゴイ才能なんだろう、きっと。
ウィーン・フィルのメンバーも特に管楽器が
楽器を置いて拍手していたくらいだし。

でも納得いかん(すみません)

アンコール1曲目は良かったけれど
かと言って
他のバイオリニストみたいに
豊かで音楽的な美しい響きがホールを満たす
という感じではなかった上

何とアンコール2曲目に
アルハンブラを弾き出した。

カヴァコスの演奏で何回か聴いた事があるけれど
これ、確かに超絶技巧ですよ。

超絶技巧をバリバリ弾いているのは良くわかるけど
音が出ていないので
痩せた感じの、ただの超絶技巧
しかも小さな音でブルブル震えているだけに聴こえてしまう。

すみません、言いたい放題で。
もちろん、ド・シロートの個人的感想だから
これからどんどん世界に出ていく演奏家になるかもしれないが
私はどうも苦手。

後半のモーツァルト
モーツァルト反射的爆睡体質の私なのだが

すごい!!!
このモーツァルト、すごいです!!!

古楽器のピリオド奏法ではなく
ちゃんとモダンの演奏なんだけど
活き活きとして、音楽そのものが生きていて

あぁ、これって
当時のエンターテイメント音楽ではあったんだけど
こうやって聴くと
今でも充分にエンターテイメント音楽になってる。

しかも、エンターテイメントでありながら
そこに突然心理的に深い部分が
隠れながらも現れて、時々、ギョッとさせられる。

アダム・フィッシャーのハイドン、私は好きなのだが
あのハイドンのイタズラ心たっぷりの遊びが
モーツァルトの音楽の中にも躍動しているのがわかる。

第3楽章に入る前に
オーケストラのみんなに、指揮台から
テンポは早くね、マキマキだよ、みたいな指示を出していたけれど
この楽章のテンポが絶妙で
音楽そのものが、現代に息づいて
この上もない楽しみを与えるものとして、そこにあるのがわかる。

う〜ん・・・まさかと思ったけれど
私のモーツァルト爆睡体質は
こういうとんでもない名演を聴くと治るのかも。
ともかく飽きさせない集中力で
とんでもなく楽しい瞬間を繋いで行くので
ワクワクしながら聴けちゃうのである。

恐るべしアダム・フィッシャー・・・

名指揮者の演奏を聴いていると
ほんの数回だけだけど
指揮者の「愛」が音楽に形を変えて
聴衆に届けられる瞬間がある。

故ジョルジュ・プレートルの指揮する演奏からは
限りない愛が聴衆に届いたけれど
アダム・フィッシャーの指揮する演奏からも
時々、優しさを纏った深い愛が降りてくる。

そういうコンサートを聴けた聴衆は
本当に幸せだと、つくづく思う私に
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ウィーン・フィル + アンドリス・ネルソンス 2回目

Musikverein Großer Saal 2017年3月19日 11時〜13時

Wiener Philharmoniker
指揮 Andrís Nelsons
チェロ Tamás Varga

Antonín Dvořák (1841-1904)
 Konzert für Violoncello und Orchester, h-Moll, op. 104
Ludwig van Beethoven (1770-1827)
 Symphonie Nr. 6, F-Dur, op. 68, “Pastorale”

ウィーン・フィルの日曜日定期。
さすがにここ2週間、むちゃくちゃ忙しくて
しかもグループ動いていてヘトヘトなので
朝のサウナは失礼して欠席(ちゃんと連絡してある)

さて、昨日と同じプログラムである。
ヒゲをはやして
前髪の脇の方が、かなり後退して
ふくよかなネルソンスは

指揮の動きは数年前の可愛かった頃とあまり変わってない(笑)
相変わらず動きは激しいし、表情も豊か。

ドボルジャークのチェロ協奏曲。
昨日と印象変わるだろうか、と思ったんだけど

う〜ん・・・ 微妙・・・

タマーシュ・ヴァルガのチェロは
本当に品が良いのである。
マジメだし端正だし技術的にも素晴らしいし
聴いている方まで背筋が伸びてくるような演奏なんだけど

オーケストラとあまりにバランス良過ぎというか
そこまで埋もれてどうする・・・

プレイヤーの持ち味だから
それはそれで良いとは思うんだけど

コーラスやって抜群に巧い歌手が
ソロを歌うと埋もれる事があるじゃないですか。
ああいう感じ。

音量も小さいのは確かだが
それ以上に

俺サマを見ろ
俺サマが主人公だ

というアクがないというか

木管との掛け合いのところで
木管のソロの方が目立っていてどうする?!

高いアンサンブル能力と
上品な持ち味が反って邪魔をしてしまった、というところか。

後半の「田園」は
いや、ウィーン・フィルの音だよなぁ、という印象。
ネルソンス、あんまり手を加えてないだろ(たぶん)
伝統的なウィーン・フィルらしい
厚みのある音と透明な弦の音と
木管・金管の名人芸で
別に何も変わった事はしていないのに
ついつい聴かされてしまった。

こういうド・トラディショナルな演奏というのも
時々は悪くないし
ティーレマンがやったような
ベートーベンが威張って歩き回っているような
大袈裟なヘンな解釈ではなかったので
最初から最後まで、安心して
ハイリゲンシュタットの緑の中を散歩させてもらいました。

このコンサート
同じプログラムで
火曜日のソワレ(行きません、念の為)と
木曜日の楽友協会のチクルス(チケット持ってる)と
全部で4回演奏される。

オーケストラのメンバーって
飽きないんだろうか(余計なお世話)
・・・だって、田園って
一つのモチーフを、しつこく繰り返し繰り返し繰り返し(以下省略)

そう言えば、今回
久し振りにベーレンライターのスコアを持ち込んだんだけど
最初のページに

PASTORAL-SINFONIE
oder
Erinnerung an das Landleben
(mehr Ausdruck der Empfindung als Malerei)

と書いてあって
最後の一行に大笑いしてしまった。
(絵画より印象的だぞ〜、と大声で主張している)

最近、ベートーベンの交響曲が大流行りで
ウィーン交響楽団だけじゃなくて
他の客演オーケストラもベートーベンを演奏するのだが

まぁ、それは別の話(笑)
イヤでも読者はそのうち
ワタシの個人的ド・シロート印象記を
読まされるハメになるでしょう、うっふっふ。

そんなワケで(よくわからんが)
本日もどうぞ1クリックをお恵み下さい。



実はダブルヘッダーで
午後もコンサートに行ったのだが
来週は木曜日までコンサート行きがないので
ちょっとケチして、明日、アップします(笑)

ウィーン・フィル + アンドリス・ネルソンス 1回目

Musikverein Großer Saal 2017年3月18日 15時30分〜17時30分

Wiener Philharmoniker
指揮 Andrís Nelsons
チェロ Tamás Varga

Antonín Dvořák (1841-1904)
 Konzert für Violoncello und Orchester, h-Moll, op. 104
Ludwig van Beethoven (1770-1827)
 Symphonie Nr. 6, F-Dur, op. 68, “Pastorale”

雨は降ってるし強風だし(傘が全く役に立たない)
あんまり関係ないけど
朝からチケット取り(自分のです)やって
その後寝ようと思っていたら

変更依頼の電話がかかって来たり
スーパーに1週間分の食料を買いに出たら
また別グループから変更依頼が入って来たり

洗濯機のスイッチ入れて掃除しようとしたら
忘れ物の電話がかかって来たり
(Kさん、アナタの事です(爆笑)
 でもドライバーがチェックしなかったのが悪い!)

いや、そういうのはこの業界では日常茶飯事と言って
緊急事態とは言わない(笑)
事故とかホテルとのトラブルとか
航空会社のストライキとか
アイスランドの火山の爆発で飛行機飛べないとか言うのと比べたら
全然大丈夫 ♡
それに、こういうバタバタとも
あと70日弱でオサラバかと思うと
最後のご奉公だから、全然気にならない 🎵

さてウィーン・フィルの定期公演。
ウィーン・フィルのメンバーがソリストになって
協奏曲を演奏する、という、時々あるパターン。

有名なソリスト呼んで来てギャラを払うより安上がり(爆笑)
メンバーも、自分たちの仲間を盛り立てて
自分もソリストとして演奏したい、というのがあるだろう(たぶん)

現在のところ、マジャールの血が優勢な
ウィーン・フィルのチェロ部門。
今回はタマーシュ・ヴァルガさんがソリスト。

え〜っと・・・
ワタシ、ド・シロウトですし
弦楽器、全然わからないから
私の印象を、皆さま、信じてはいけません(断言)

ドボルジャークのチェロ協奏曲って
割に元気の良い曲なんですよね。

指揮台には、ヒゲをはやして
ますますふくよかになった
ものすごく元気なネルソンスが立って

序奏の部分で、もう、音が大きい。
トゥッティでウィーン・フィルの音で団子になってる。

そこにヴァルガさんのチェロが入ってくると
う〜ん、ちょっと音量が足りないと言うか
控え目で、しとやかで
マジメで端正で
実に品のある、美しいソロなんだけど

ネルソンス率いるオーケストラのワイルドさから
何か浮いてる(涙)
オーケストラがソリストを苛めてるみたいな気分になって
何か、ちょっと。
いや、そういう被虐性がまた良いの、という意見もあろうが
元気一杯、いつもワイルド、というネルソンスとは
音楽的にあまり合わないような気がする。

アンコールはバッハの無伴奏チェロ組曲3番からジーグ。
うっふっふ、プロの友人が居ると
すぐに教えてもらえる ♡

これも実に品のある素晴らしい演奏。
ヴァルガさんならではの持ち味という感じ。

明日の日曜日定期で印象がまた変わるだろうか。
ネルソンス、そんなにオーケストラ鳴らさんで良いから(笑)

後半のベートーベン
交響曲6番「田園」
私の好みとしては、あまり好きな曲ではないので
(だってモチーフの繰り返し以外、何もないじゃないか)
スコア持ってにらめっこ。

あっ、第一楽章の繰り返し省略 😓
最初の弦のトゥッティが
ウィーン・フィルらしい弦の厚みがあって
すごく良かったので、リピートでもう一度聴けると思っていたら
肩すかしされた、ちっ。

さすがにこういう曲は手慣れてるなぁ。
ついつい視覚に釣られてしまうけれど
ウィーン・フィルらしい響きが魅力的で
別に目新しさとかはないのだが
ついつい、聴き惚れてしまう。

小川のほとりは、スコア見てると
かなり複雑なリズム設定なんだなぁ、としみじみ思った。
自分がついて行けなかったのだが
ちょっとリズム的にボロっとなりそうになった(ように聴こえた)ところも
次の小節でキレイに揃えたし
さすが超一流のプロオケって、辻褄合わせが見事。

嵐の部分の描写って
本当にウィーンの天気そのもの。
あれは、こちらに暮らしていると
モロにわかるんだよね。
ポツポツ来て、どっか〜んと来て
ベートーベンの時代にも
こういう天候だったんだなぁ、と思うと
感慨深いし

それをまたむちゃくちゃリアルに描いた
ベートーベンの手腕って凄いと思う。

最終楽章の第一バイオリンのメロディ
まるで1台のソロみたいに
完璧なアンサンブルで入って来たのには
度肝を抜かれた。

こういうところ、さすがウィーン・フィルだと思う。

ネルソンスは今度は無理なオーケストラの鳴らし方をせず
楽友協会のホールに程よく豊かに響く音量で
(オーケストラが自主的にやっていたのかも(笑))
木管・金管もソロも柔らかに響いて
ああああ、これぞベートーベンの田園 ♡

外の天気がもう少し良ければ
ああ、春が来た、とかはしゃいでいるのだが。
(月曜日って春分だよね? 何でこんな強風と雨が・・・)

春分に引っ掛けたのかもしれないけれど
これから夜の部。
同じ「田園」を
今度はウィーン交響楽団とフィリップ・ジョルダンで
コンツェルトハウスで聴いて来ます ♡

明日11時からは
楽友協会でウィーン・フィル
コンツェルトハウスでウィーン交響楽団が
同じベートーベンの6番を演奏するので
本当は両方聴きたいけれど、残念ながら身体は一つ(笑)

バタバタした土曜日だけど
コンサートに行けるって、すごく幸せ ♡ という
単純なワタクシに
どうぞ1クリックをお恵み下さい。



カッコーの3度の鳴き声って
最終楽章でも出現するの、初めて気がついた(アホ)




ウィーン・フィル + フランツ・ヴェルザー=メスト 2回目

Musikverein Großer Saal 2017年2月19日 11時〜13時

Wiener Philharmoniker
指揮 Franz Welser-Möst

Franz Schubert (1797-1828)
 Ouvertüre zum Zauberspiel “Die Zauberharfe”, D 644
René Staar (*1951)
 Time recycling, op. 22n
Richard Strauss (1864-1949)
 Ein Heldenleben. Tondichtung für großes Orchester, op. 40

基本的に昨日と同じなので
あまり書く事はないのだが

英雄の生涯、ちょっと感激してしまった 😓

音は相変わらずデカい(笑)
ニューヨーク仕様なら仕方ないと思うけれど
楽友協会であんなに鳴らしたら
まるでショスタコーヴィッチ状態。
かなりウルサイ・・・まぁ、仕方ないか。

ただ、コンサート・マスターのシュトイデさんのソロが
もう、感涙モノの絶妙さ。
最初のしとやかに見えるところから
かなりの気の強さを表現するところ
最後のお歳を召したところのパウリーネのソロが
また、とても落ち着いた上品な印象になっていて

よって、最後のシーンの昇天的な天国的なところが
何故かジ〜ンと胸に響いて来てしまった。

昨日書いた通り
決して同感するような曲ではないのだけれど
最後のあまりの美しさに呆然とした。

音は大きくても
やっぱりウィーン・フィルだなぁ・・・

タイム・リサイクリングについては
ノーコメント。
何回聴いても、その度に印象が違うという
何となく不思議な曲ではある。
その時の体調によるのかもしれない(あ、逃げた(笑))
(ただ、この曲の弦の使い方、私は好きだ。
 さすが、バイオリニストの曲だと思う)

今日の記事が何でこんなに短いかと言うと
ちょっとコンサートの後
オフィスに仕事しに来てるんです(冷汗)
久し振りだな、休日出勤(汗)

月曜日にもたっぷり仕事は残っているけれど
もう、これ以上、仕事したくないので
さっさとタイム・カードを押して
グッタリして

これから国立オペラ座に向かう私に
どうぞ1クリックをお恵み下さい。


ウィーン・フィル + フランツ・ヴェルザー=メスト 1回目

Musikverein Großer Saal 2017年2月18日 15時30分〜17時30分

Wiener Philharmoniker
指揮 Franz Welser-Möst

Franz Schubert (1797-1828)
 Ouvertüre zum Zauberspiel “Die Zauberharfe”, D 644
René Staar (*1951)
 Time recycling, op. 22n
Richard Strauss (1864-1949)
 Ein Heldenleben. Tondichtung für großes Orchester, op. 40

この間は楽友協会主催のコンサートで
今回はウィーン・フィルの定期。
プログラムは今日と明日は一緒だが
この間とは全く違う。

来週のソワレはまた違うプログラムなので
何でこんなに違うプログラムを用意するんだろう?と思ったら

ウィーン・フィルはこの後、アメリカ合衆国に演奏旅行。
ニューヨークで3回のコンサートを含む
全部で6回のコンサートを予定しているようだ。

今回のフランツ・ヴェルザー=メストの指揮のコンサート
この間もそうだったけれど
全体的にいつもより音量が大きいのは
ニューヨーク仕様だからですか?(笑)

シューベルトは
まぁ、いつ聴いてもシューベルト。

音量が不要に大きい部分を別として
中くらいの音量だと
やっぱりウィーン・フィルの優雅さが際立つ。

ルネ・スタールのタイム・リサイクリング。
ウィーン・フィルのスタンダード・ナンバーにしようと
ひたすら演奏しているような曲だなぁ。
(作曲者のルネ・スタールはウィーン・フィルのバイオリン・メンバー)

アタッカで続く4楽章は
Déja vu
Perpetua mobilia
Memories
Global Village
と名付けられている。

最初の2つの章は
如何にも「現代音楽」という響きなのだが
クラスターではない不協和音であっても
かなり透明感があって
私、こういうの嫌いじゃない。

Memories の部分は
名曲のコラージュの印象。
ちょっと聞き覚えのあるようなフレーズが
浮かんだり消えたり。

目を瞑って聴いていたら
バレエの音楽にもなりそうな感じ。
ここでソロ、こちらで群舞で
ここでダンサーが登場して・・・とか
ついつい考えてしまうのは
きっと寝落ちしていたんだろう、たぶん(こらっ!)

最後の Global Village は
私の席からは見えないけれど
各楽器のソロを、メンバーが立って演奏するらしい。
ジャズっぽいメロディてんこ盛りのトナールな曲。

最初に(たしか)グラーフェネックで聴いた時には
「最後がなかったらつまらん」と周囲の人が言っていたが
聴覚と視覚に訴える(はずの)最終楽章は
ウケ狙いとしか・・・あ、いえいえいえ(汗)

後半の「英雄の生涯」
スタンダード・ナンバーで
私はあまり好きじゃないのに
何回も何回も何回も聴かされている曲。

好きじゃない理由を列記してみると

誇大妄想的(あんたナニサマ?って感じ(笑))
他人のラブストーリーを延々と聞かされる
バイキンのメロディが不愉快
で、バイキンとの戦いが大袈裟
老年になってからの病気のところの痛みが異様にリアル
死ぬ、死ぬ、と喚きながら、なかなか死なない

・・・まぁ、あんまり「音楽」とは関係ないか(笑)

でも、これ、オーケストラで奏でるオペラみたいなものだろう。
ライトモチーフの使い方
オーケストレーションの妙味から言えば
実に魅力的な曲ではある。

アメリカン仕様か
ニューヨーク・フィルに負けてたまるか、という気概か
またもや大音響で金管の咆哮炸裂。

かなりウルサイけれど
輝くようなキラキラの音色でのテーマの提示は
誇大妄想狂の醍醐味であろう(書いててワケわからん)

この曲の始まる前の幕間で
フルートだかピッコロだかが
必死になってバイキンのテーマを
何回も何回も何回も練習していて
(あっ、すみません、バイキンじゃなくて
 敵=評論家なんだけど、私にはバイキンにしか聞こえない)

それでなくても神経に障るモチーフなのに
あれを何回も聴かされると、かなりイライラ。

練習の甲斐があってか
ますます神経に障る甲高い声での
バイキン、いや、敵=評論家のテーマは
うるさいの何の
本当に憎々しいばかり。

そして(興味ない他人の)ラブ・ストーリー。

コンサート・マスター、シュトイデさんのバイオリンが
あああああ、絶品 ♡♡♡

ヴェルザー=メストは速めテンポで
タメなしにグイグイ押してくるところを
シュトイデさんのソロは
英雄をイライラさせるように
ほんの少し長めの逡巡を
気を持たせるように繰り返す。

ここは
指揮者=英雄テーマと
コンサート・マスター=パウリーネの
見事な対決になっていて
実にドラマチック。

生涯の最後の方に出てくる
パウリーネのテーマは
がらっと音色を変えて
かなり良い感じの歳の取り方。
(う〜ん、さすがのシュトイデさんのソロである)

病気の時の痛みや死まで含めて
曲の好き嫌いはともかくとして
何とも見事に「語って」くれた。

別に感動してうち震えて、という曲ではないので
(そうなのかもしれないが感受性ゼロなので)
これだけ楽しく語って聴かせてくれれば
かなり満足 😀

ウィーン・フィルとは思えない音量だが
明日ももう1回、同じプログラムを聴くと思うと
ちょっとウキウキしている私に
どうぞ1クリックをお恵み下さい。


ウィーン・フィル + フランツ・ヴェルザー=メスト

Musikverein Großer Saal 2017年2月16日 19時30分〜21時30分

Wiener Philharmoniker
指揮 Franz Welser-Möst
ピアノ Rudolf Buchbinder

Johannes Brahms (1833-1897)
 Konzert für Klavier und Orchester Nr. 1 d-Moll, op. 15
Franz Schubert (1797-1828)
 Symphonie Nr. 7 h-Moll, D 759 “Unvollendete|
Béla Bartók (1881-1945)
 Der wunderbare Mandarin, Konzertsuite, op. 19

お久し振りの楽友協会。
最近、コンツェルトハウスに入り浸りなので
楽友協会の音響に耳慣れしていない。

このコンサートはピアニストのルドルフ・ブッフビンダーのチクルス。
発売初日に入ったけれど
あまり良い席(安くてまぁ、アレな席(笑))は既に売り切れ。
コンサートの1週間以上前から
コンサートのポスターに「売り切れ」と貼ってあった。

そういうコンサートで何が有り難いかと言うと
写真だけ撮りに入って来る観光客が少ないこと。

ブッフビンダーは、ジモッティには大人気だし
ウィーン・フィルというブランドは
観光客には圧倒的な魅力だから
少なくともマジメに音楽を聴こうという人が会場を埋め尽くす。

で、どうなるかと言うと
会場が静か ♡♡♡

多少の咳払いとかはあるけれど
普段に比べたら、本当に雑音が少ない ☺️

私としては、別にフランツ・ヴェルザー=メスト見る気ないし
ブッフビンダーも別に見なくても全然構わないので
雑音が少ないと、聴覚だけに集中できる。バンザイ。

ブラームスのピアノ協奏曲1番。
これ、ブッフビンダーはお得意の曲だし
ワタクシ的には有名な第2番より好きなんだけど

あれっ???
トゥッティで弦がメロディを描く最初の出だしが
・・・何か乱暴というか、荒いというか
アンサンブル揃ってるから
ますます弦の高音がヒステリックな叫びに聴こえてくる。

こんなワイルドな弦の音
ウィーン・フィルで聴いたことないぞ・・・

え〜っと、繰り返して書いておきますが
私のこのブログは
あくまでも、音楽ド素人の「個人的印象記」であって
営業妨害でも、何かをバカにするとか
音楽批評をするとか、そういう意図は一切ございません(断言)

確かにあのワイルドな第1テーマの弦は
しっかりとメロディを刻んでいるのだが
(以前パーカッションばっかり聴こえて弦が埋もれたケースあり)
すごい音量で、無理やりにガリガリ弾いている感じ。

ウィーン・フィルがガリガリ演奏しても
全然面白くない(すみません)

ブッフビンダーのピアノのタッチは非常に強いので
そこまでオーケストラが咆哮しても
全く埋もれずに聴こえてきて、これも驚愕だが。
骨組みの太い、堂々とした
如何にもゲルマン系という印象を醸し出すピアノで
やっぱりブッフビンダーって
ベートーベンとかブラームスとかだと
ある意味、無敵だと思う。

しかし、こんな荒々しい演奏・・・
いや、若き日のブラームスが
クララに抱く、やるせない慕情とその熱情を爆発させていると考えると
それが正しいのだろうが
老年に入った私には、ちとこの熱情は気恥ずかしい(すみません)

ただ、第2楽章は緩徐楽章なので
これが美しかった・・・

この楽章の後半にピアノのトリルがあるじゃないですか。
あの部分、むちゃくちゃ好きなんだけど
あの音が重なって来るところで
背中ゾクゾクして
羽が生えて、ちょっと天井まで飛んじゃって
何かもう、正にイっちゃった、という体感的快感 ♡

ブラームスは確かにメロディ・メーカーではないのだけれど
あの音の重なりの厚みって(まぁ、ベートーベンもだが)
時々、ストライクで体感的快感に結びつく。
(ええ、どうせ音響オタクでヘン○イです)

後半がシューベルトの未完成交響曲に
バルトークの中国の不思議な役人って
いったい、どういうプログラム構成なんだか
さっぱりわからんが

シューベルトの未完成。
指揮者によっては、すごいピアニッシモで始める曲だが
最初からピアニッシモというよりピアノで
普通に聴こえる音量。

淡々とした透明感のあるシューベルトで
伝統的とかウィーン的と言うより
もっとモダンなガラス張りの近代建築でも見ているような雰囲気。

ウィーンっぽいウエットな感じを徹底的に排除しました
・・・っていうところかなぁ。個人の勝手な印象だが。

この交響曲、やっぱり本当に「未完成」だよねぇ。
第2楽章が終わった後に拍手するのを逡巡するような
何だか中途半端な感じがスゴイ。
色々な演奏を聴いて来たけれど
あまり好きになれない曲ではある。

最後がバルトークの中国の不思議な役人。
(だから、プログラムの組み方が何かヘン)

これも、かなりの音量でガリガリ演奏したけれど
これは鋭くガリガリやって正解の曲。

細かい部分の透明感と解像度が抜群。
シューベルトでガラス構築された近代建築を見たかと思ったら
バルトークでは、ガラスをガリガリ引っ掻いて
鉄の棒で叩き壊して、ガラスを割って
そのガラスの輝きを表現しているような印象。

ウィーン・フィルのあの温かい音色はいったい何処に?
徹底的に冷血、徹底的に客観的で
かなり暴力的(笑)

まぁ、あの曲そのものが暴力的な曲だし。
あまりエロチックなところはなかったけれど
スピード感と大音響と
細かい部分の解像度で、バッチリ決めた印象。

あの曲で、体感的な快感を感じたら
これはかなりヤバイ症状だと思うので
すごいな〜、というだけにとどめよう(笑)

ウィーン・フィルとヴェルザー=メストのコンサートは
今週末に定期公演があるのだが
こちらは全然違うプログラムで
ロザムンデとルネ・スタールの曲と英雄の生涯。

来週のソワレは
シェーンベルクの浄夜とシューベルトの交響曲8番
(これは行きません。ウィーン交響楽団の方に行きます(笑))

普通ウィーン・フィルって
同じプログラムで何回もコンサートするのに
何で今回は、こんなに違うプログラムで登場するんだろう?
(リハーサルの時間、ほとんど取れないだろうに・・・???)

プロってスゴイな、と
やっぱり感心してしまう、ド・シロートの私に
どうぞ1クリックをお恵み下さい。



余計なことだけど
フランツ・ヴェルザー=メストって
クリーブランドと来るとスゴイと思うんだけど
それ以外で、あんまりきゃ〜っ、とはならないんですよね。
昔の、野心が滴り落ちるような演奏のイメージが強いのかもしれない。

ウィーン・フィル + セミヨン・ビシュコフ 2回目

Musikverein Großer Saal 2017月1月15日 11時〜12時30分

Wiener Philharmoniker
指揮 Semyon Bychokov
バリトン Johan Reuter

Johannes Brahms (1833-1897)
Detlev Glanert (*1960)
 Vier Präludien und Ernste Gesänge für Bassbariton und Orchester
 nach dem Vier Ernsten Gesängen von Johannes Brahms (op. 121)
 instrumentiert von Detlev Glanert

Gustav Mahler (1860-1911)
 Symphonie Nr. 1, D-Dur

日曜日は買物できないし
早朝サウナは失礼して(寝不足で倒れそうだし)
11時からのコンサート。

やっとクルレンツィス・コパンチスカヤ症候群から
多少回復して来たみたいで
比較的マトモな耳になって来たような気がする。

昨日の夜中に
やばい、ちょっとブラームスの、4つの厳粛な歌のオリジナルを
聴いておかないと、と思い立って
様々な歌手によるものを10回くらい聴き込んでから

このオーケストラ水増しバージョンに挑む(笑)

最初のプレリュードは
コガネムシのテーマで
第1曲に繋ぐのに違和感はない。

バリトン、美声だわ ♡
でも、相変わらずドイツ語の語尾がハッキリしなくて
何を歌っているのか、時々わからなくなるけれど

オーケストラもかなりの音量で演奏する事があるし
あの音の壁を突き破ってのバリトンだから
ピアノ伴奏での細かいニュアンスが潰れるのは
避けられないのかもしれない。

次のプレリュードと、その次は
いわゆる「死の舞踏」の伝統に則ったもの。
かなり激しいリズムのトナールの曲で
独立したものとして聴いてみれば
新しいモノ、という訳ではないけれど
それはそれなりに音楽として成立しているような感じ。

ただ、このブラームスの曲って
最初の3曲は死ぬ死ぬ死ぬ、とむちゃくちゃ暗くなって
最後の曲の、信仰 愛 希望 の部分と
愛が最も重要というコリント人への第一の手紙の部分が
ワタクシ的には最も重要に聴こえるのだが
(色々と解釈はあろうが)

この部分があまり印象的になっていなくて
更に、付け足したようにオーケストラの後奏が続いて
まぁ、弦の下敷きに木管のソロがあったり
天国的なものを出そうとしたのはよくわかるんだけど
どうも弱々しいというか

作曲した人、あんまり死後の世界とか
死による解放とか、考えた事、ないよね?(いや失礼)

この間、一休禅師の残した句で

いま死んだ
どこにも行かぬ
ここにおる

尋ねはするな
ものは言わぬぞ

というのを見つけて
ああ、これって日本人の死生観かなぁ、と思ったばかりなので
ひたすら厳粛でマジメでキリスト教死生観とは
文化的に合わないのだ。すみませんね。

さて、後半のマーラーの交響曲1番。

ううううう
完璧な演奏、というものがあるとすれば
その最も理想的な型の一つかもしれない。

透明感のある解像度に完璧なバランス
弦の芳醇な響きに、輝く金管と巧みな木管。

いやカッコーが1回だけ
4度じゃなくて5度で鳴いた時には仰け反ったが

あまりに完璧な演奏で
(技術のみならず、音色、リズムその他すべて含めて)
ちょっともうやだ、これあり?

こういう演奏に出会ってしまうと
ツッコミどころがないじゃないの(それかいっ!)

どういう演奏だよ?と思われた方は
これオーストリア国営ラジオ放送第1番で
ライブ放送していた筈なので
あと1週間はインターネットで聴けると思う。

名演と言ってしまって良いと思う。
なんかもう、その完璧さの前に
お代官さま、参りました、と土下座したくなる気分。

ウィーン・フィルって
時々、こういう事を平気でやるからな。
怖いオーケストラである。

やっとマーラーを聴けるような気分になったとたん
こんな超弩級の演奏を聴けるなんて
やっぱり幸せだわ、と思ってしまった私に
どうぞ1クリックをお恵み下さい。


ウィーン・フィル + セミヨン・ビシュコフ 1回目

Musikverein Großer Saal 2017月1月14日 15時30分〜17時30分

Wiener Philharmoniker
指揮 Semyon Bychokov
バリトン Johan Reuter

Johannes Brahms (1833-1897)
Detlev Glanert (*1960)
 Vier Präludien und Ernste Gesänge für Bassbariton und Orchester
 nach dem Vier Ernsten Gesängen von Johannes Brahms (op. 121)
 instrumentiert von Detlev Glanert

Gustav Mahler (1860-1911)
 Symphonie Nr. 1, D-Dur

ウィーン・フィルの定期公演。
プログラムの最初は、これいったい何?という
ブラームスの Vier ernste Gesänge に
オーケストラの間奏曲を付けて
オーケストラ伴奏で演奏しちゃおうという曲。

・・・(悩)

現代音楽ではなくて
非常に伝統的なトナールの曲で
ブラームスのあの1曲目の
コガネムシは金持ちだ(としか聞こえないです、これ)が聴こえてきても
あまり違和感はないのだが

まぁ、この曲、予習して来なかった私も悪い。
あ、いや、ブラームスの原曲の方だが
何回か聴いた事はあるものの
記憶力ゼロの私の海馬にも大脳新皮質にも存在していない(汗)
(覚えているのはコガネムシは金持ちだ、だけである)

しかし、このブラームスの曲をオーケストラ伴奏にしたのは良いとして
その前後に、こんな伝統的なオーケストラの小曲を挟む必要はあるのか?
いや、あるんだろうな、作曲家としては。

作曲家自身の話では(プログラム記載)
感情を呼び起こすためのオーケストラ間奏曲なのだそうだが
ブラームスのこのリートって
別にオーケストラの間奏曲入ってなくても
かなり感情にグサグサ来ますが。

バリトンの声は美しい。
倍音たっぷりの美声なんだけど
あんまりドイツ語がクリアじゃなくて
まぁ、オーケストラ伴奏だから
多少なりとも音量上げる必要があって
割に平坦に響いたところはある。

(すみません、やっぱりワタクシ的には
 ドイツ・リートはドイツ語がクリアに響く事が条件なので)

明日もう一回聴くチャンスがあるから
また感想変わるかもしれないが。

後半はマーラーの交響曲1番。
ここ数年、マーラーと言えば1番か4番か5番(笑)
(いつぞやは、続けてずっと6番ばっかりという年もあったが)
まぁ、編成上もマーラーの1番は比較的演奏しやすい曲だし。

で、これは私の体調とか気分のせいなのだが
今、ちょっとマーラーを聴くコンディションがない。

ここ2日のクルレンツィスにあたったという理由もあるだろうが。

オーケストラ、むちゃくちゃ巧いです。
(まぁ、ウィーン・フィルだし
 いくら初演をマーラーに頼まれて断ったオーケストラとは言え(笑))

マーラーがこの曲を書いた時って
この楽友協会でのウィーン・フィルの響きが頭にあったんだろうな、と
ストンと落ちるような演奏で
ある意味、整い過ぎというか
いや、すごい、すごいと思うけれど

それは私の大脳新皮質に内蔵されている演奏と
ほとんど違わなかったというだけで

巧いなぁ、とは思うけれど
宇宙の広がりとか
何か脳を掴まれてかき回されるような感じは一切なくて
ああ、ウィーン・フィルってやっぱり巧いんだわ
・・・と思ってしまったのは
私のコンディションが整っていなかったからで

コンサート聴きながら
これ終わったらスーパーマーケットに駆けって行って
ミルクとパンとバターは買わなくちゃ、とか思っていて
やっぱりそういう日常状態でマーラーというのは
ちょっと世界が違うので(すみません)

明日は買物の出来ない日曜日なので
ちょっとマーラーの世界に入れるかも・・と思いつつ
スーパーマーケットに走った私に
どうぞ1クリックをお恵み下さい。



すみません、感受性ないから
時々、こういうふざけた記事になります(冷汗)

ウィーン・フィル + ダニエル・バレンボイム 2回目

Musikverein Großer Saal 2016年12月18日 11時〜12時30分

Wiener Philharmoniker
指揮 Daniel Barenboim

Bedřich Smetana (1824-1884)
Mein Vaterland. Sechs Symphonische Dichtungen
1. Vyšehrad
2. Die Moldau
3. Šárka
4. Aus Böhmens Hain und Flur
5. Tábor
6. Blaník

さて困った。
2回目なのだが
やっぱり巧いというか

かなり大音響でオーケストラは鳴るのだけれど
それがうるさいと感じられないのは
スメタナ時代の音が
楽友協会の音響に合っているのか
ウィーン・フィルの自浄作用なのか
バレンボイムの腕なのかは判断がつかない。

たぶん、全部、合わせて理由になっているんだろうなぁ。

昨日聴いた時よりは
印象がワイルドになっていて
(やけっぱち?)
ノーブル・エレガントより
エネルギッシュ・ワイルドが目立つ印象。

いや何かって
モルダウの最後の消え入るような部分で
盛大になった携帯電話のベル。

ありゃ〜っ、と思ったら
モルダウの後の観客のザワザワが
全く静まっていないのに指揮棒を振り上げたバレンボイム。

ウィーン・フィルはもともと
国立オペラ座管弦楽団だから
拍手が鳴り止まない状態
ないしは間違った拍手が会場に広まった状態でも
オーケストラの音が全く聴こえないケースだって
指揮者の棒に従って演奏を始めてしまうのは
得意中の得意(だと思う。よくあるからそういうケース)

指揮者の怒りを反映するような
ドラマチックで復讐の怒りに燃えたサルカが
ちょっとコワイくらいの迫力。

ところで音楽はともかくとして
昨日も今日も
楽友協会の舞台を照らすランプが
あちこちにあって

ああ、これ、収録してるわ。

オーストリア国営ラジオ放送でライブやってるかと思ったら
今日のマチネはライブじゃなくて
10月のベルリン・フィルを放送していた模様。

・・・という事は
この演奏、もしかしたら DVD か CD になるとか?
(しかもプラハの春のオープニング・コンサートの時に
 売るつもりだったら、すごい商売熱心。
 オーストリアの団体とは思えない)

いや、ツィッターで
fidelio でのライブ放映と出ていたから
そちらでビジネスしてるな・・・
(ザワザワが収まらないのに演奏が始まったのは
 そちらの放映時間の関係もあるのかもしれない
 とか、ついつい邪推してしまう根性悪のワタシ)

スメタナの我が祖国の内容に関しては
ウィーン・フィルのプログラムに
かなり詳しい解説があるので

後でゆっくり読んで
時間のある時に、もう一度、全曲を聴いてみよう。

でも、こういう曲をウィーン・フィルで聴けるというのも
すごく幸せな事ではある ♡

半分寝てましたが(自爆)
言い訳=立って指揮者見ながら聴こうかと思っていたのだが
1時間半立っているのも体力的に・・・
(こらっ、指揮者は平気で立って動いてるぞ、って
 身体の鍛え方が違うわ。
 こちらは1日9時間、コンピュータ前で座りっぱなしの毎日)

さて、これにて今年のウィーン・フィルの定期公演は終わり。
一部の同じオーケストラ・メンバーで
オーケストラ・ピットからの演奏を聴くのは
来週の末から年末にかけて

うっふっふっふっふ
バレエのライモンダ
今のところ全公演のチケットを押さえてある
(はずだ、見逃しがなければだが)

今や、オーケストラ・コンサートのライブ公演だの
バレエのライブ公演だの
フィデリオからメディチからアマゾン・プライムや ITune に至るまで
ともかく自宅で何でも観られるという
エンターテイメントの飽和状態の中で

やっぱりナマが一番、と思っている
アナログ人間の私に
どうぞ1クリックをお恵み下さい。


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