ウィーン・フィル + ヤクブ・フルシャ 2回目

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    Musikverein Großer Saal 2019年12月1日 11時〜13時

    Wiener Philharmoniker
    指揮 Jakub Hrůša
    ピアノ Denis Matsuev

    Peter Iljitsch Tschaikowsky (1840-1893)
     Konzert für Klavier und Orchester Nr. 1, b-Moll, op. 23

    Béla Bartók (1881-1945)
     Konzert für Orchester, Sz 116

    昨日のドボルジャークがあまりに強烈だったので
    貧民席からの逃亡を真剣に考えていた朝
    マリス・ヤンソンスの訃報を聞いてひっくり返った。
    ・・・だって、ついこの間まで
    キツそうだったけど、かなり凄いプログラム指揮してたし
    今回のキャンセルも、心臓じゃなくて
    足の筋を傷めたとかいう理由だったと聞いていたのに。

    楽友協会の前には
    黒い旗がかかっていて
    さすがに反応が早い。

    いつもの貧民席からの脱出を謀り
    何とか脱出に成功はしたが
    最初に、ヤンソンスについてのアナウンスがあり
    全員起立しての黙祷の後
    マツエフが、ラフマニノフのエチュードを演奏。
    もちろん、演奏の後の拍手はなしで
    ドボルジャークの謝肉祭序曲なしで
    そのままチャイコフスキーのピアノ協奏曲へ。

    同じプログラムのコンサートが明日も楽友協会主催で行われるが
    これは、楽友協会から、公式に
    ドボルジャークの代わりにモーツァルトというアナウンスがあったので

    土曜日のドボルジャークの謝肉祭序曲って
    結局、1回しか演奏されなかったのか。
    珍しいモノを聴いたのだな、2回目がなくてホッとしているけど(すみません)

    さて、チャイコフスキーのピアノ協奏曲だが
    うははは、貧民席脱出しても
    やっぱりバリバリの演奏である。

    ピアノのペダリングで
    ピアノそのものが残響音でオーケストラに聴こえてくるくらい
    音のスペクトルが幅広い。
    その分、連打で音が昨日はボケた印象があったのだが
    いやいや、あまりに打鍵が強すぎて
    あれだけ、オクターブ連続、ペダルいっぱいの状態でも
    ちゃんとそれぞれの音が聴こえてくるという

    やっぱりサーカスかスポーツを見ているような気がする。
    スゴイな、人間技じゃないわ
    よくぞここまでの特殊能力に訓練が加わって
    とんでもない特殊人間が出来たものだ
    ・・・とか、大変に失礼な事を思ってしまうわけだが

    それは芸術家がどうのこうのじゃなくて
    ひとえに私の芸術感受性の欠如によるものである。

    しかしまぁ、この速度でのピアノと
    それに一瞬たりとも遅れず
    ついていくオーケストラ・メンバーの能力が凄い。

    力強くてマッチョで、ガリガリの強いピアニズムは
    聴いていて、爽快で気持ちが良くて
    疾走する感じはすごく好きだけど
    あまりに技術が高すぎて、少し息苦しい。
    (私の受動能力のテンポが、たぶん、少しだけ遅い(笑))

    後半のバルトークは
    貧民席を脱出したので
    舞台が見えて、これがなかなかスリリング。

    弦の絨毯の時の美しさや
    細かい部分のビブラートのつけかた
    すごく好き。

    加えて、管楽器、特に木管のプレイヤーたちが
    来るぞ来るぞ来るぞ、と
    真剣に構えて
    演奏するところで力一杯演奏して
    その後、楽器を置いて、どや顔をするところが
    すごくキュートである。
    特にFのS(以下省略)、いや、むちゃくちゃ可愛かった。

    第3楽章は、フルートが、かなり皮肉に笑うところがあるじゃないですか。
    あれ、どう聞いても、皮肉な笑い声にしか聴こえて来ないのは
    ワタシだけじゃないですよね?
    実はあのフレーズ、好き。
    郷愁の気持ちと、それに相反する皮肉な気分が混じり合って
    二つの相反する感情の中で揺れる人間って
    時々、笑うしか、方法がない時があると思う。

    最後にメンバーを立たせるところで
    指揮者が先にホルン軍団を立たせて
    隣のトロンボーン軍団が不満そうな顔をしてたけど
    あれは、確かにおかしい。
    本来はトロンボーン集団が名指しされるはず。
    ホルンは目立つソロが多いから、よく立つけれど
    トロンボーンは立つチャンスは少ないのだから
    この曲の時には、トロンボーンを優先しましょう(余計なお世話)

    これも、あれあれあれ、という早めのテンポで
    特に最終楽章は、まさに疾走という感じの演奏だったので
    メンバーのソロの後のどや顔を見ているだけで
    かなり楽しめてしまったのだが

    確かに、今の時代
    ここまでテンポをアップしないと
    聴衆にはウケないですかね・・・

    何もかもが、もっと早く、もっと強く、もっと完璧に
    演奏家も聴衆も(特に聴衆だな、きっと)
    技術的な高みを目指しているのは
    文化のグローバル化と、一般的な普及の速さから
    理解できる事ではあるのだが

    いわゆる「伝統的クラシック」以外の分野が
    エレクトロニクスを使ったり
    マイクや、テープ等の、人間の技量を超えるような技術を
    充分に利用しているのに比べて

    クラシック音楽って
    いくら楽器が発達しても
    そうそう自動になるわけじゃないし
    (いや、今、自動ピアノで演奏するピアノ協奏曲とかで
     すごい速さと強さで演奏させたら・・・って
     ついつい想像しちゃった・・・(汗))
    その意味では、ものすごく制限のある芸術だと思う。

    現代音楽も好きだけど
    ブラームスの時代に完成したホールで
    1700年代に作られた弦楽器とかで
    19世紀の音楽を聴く事もできる。
    ロマネスク様式の教会で
    グレゴリオ聖歌を聴くのも可能(あれこそ現代に残る歴史そのものだろう)
    聴き手に、すごい数の情報量と機会が与えられる
    現代という時代に感謝・・・という事かな。

    何だかワケのわからん記事になってしまったが
    (いつもの事だ、うん)
    これから、2回目のコンサートに向かう
    懲りない私に
    どうぞ1クリックをお恵み下さい。


    ウィーン・フィル + ヤクブ・フルシャ 1回目

    0
      Musikverein Großer Saal 2019年11月30日 15時30分〜17時30分

      Wiener Philharmoniker
      指揮 Jakub Hrůša
      ピアノ Denis Matsuev

      Antonín Dvořák (1841-1904)
       Carneval. Eine Konzertouvertüre, op. 92
      Peter Iljitsch Tschaikowsky (1840-1893)
       Konzert für Klavier und Orchester Nr. 1, b-Moll, op. 23
      Béla Bartók (1881-1945)
       Konzert für Orchester, Sz 116

      ウィーン・フィルの定期公演は
      マリス・ヤンソンスのキャンセルのため
      プログラムを変更して
      ヤクブ・フルシャがデビューの運びとなった。

      ちょっと懸念してはいたものの
      ドボルジャークのコンサート用序曲「謝肉祭」

      私の席では耐えられない程の大音量。
      席が悪い、席が!
      ティンパニの真上なので
      ともかく、力一杯のティンパニしか聴こえて来ない。

      ティンパニばかり聴こえてくるので
      弦が微かに遠くから
      弾いてるんだか弾いてないんだか
      ティンパニの音の影に隠れて
      最初の転調なんか、ま〜ったくわかりませんでした。

      お風呂残響に近い楽友協会では
      確かに、オーケストラの音が団子になってしまい
      ただのカオス、というケースがないわけではないし

      このドボルジャークの「謝肉祭」は
      今までも、音量大きすぎて、ティンパニ強すぎて
      おおおおおっ!という経験はあるんだけど

      あそこまで遠慮なく音量を最大限に上げて
      パーカッションに最大限の力で打楽器を叩かせた指揮者を
      私は知らない。

      本気で耳を塞ごうかと思った。
      というより、聴いてると
      ティンパニの一応音の高低はわかるものの
      雑音要素の多い音ばかり聴こえてくるので
      音楽を聴いている、と言う感じが全くしない。

      あ〜、良いんですけど、私、雑音系好きだし
      ・・・・って、そういう問題じゃなくて!!!!
      ドボルジャークでメロディとか転調が聴こえて来なかったら
      かなり悲しいじゃないか。

      もっとも、休憩時間中に会った
      高級席を愛用する友人は
      オーケストラはかなり鳴っていて
      バランスも良かったし
      非常に良い演奏だった、と言っていたので
      これはもう、はっきり言って、席(の価格?)の問題に集約される。

      明日も同じ席なんだよねぇ。
      ちょっと滅入って来た(本気)

      続いてのチャイコフスキーの
      誰もが知っている名曲のピアノ協奏曲も

      音がでかい!!!!

      オーケストラが容赦なく鳴るのに対抗して
      マツエフのピアノが
      またよく鳴る・・・というか、むちゃくちゃ強い。

      マツエフは最近、ロマンティック路線に行ったかと思ったんだけど
      いやいやいやいや
      今日の演奏は少なくとも私の貧民席で聴いていると
      マッチョさ満開
      技術も強さも、見たかおい、俺に黙って着いてこい、という
      ほとんど女性の敵と化している。
      (でもそういう男性が好きな女性もいる、たぶん)

      ウィーン・フィルとは思えない音量で鳴るオーケストラから
      ピアノの音がガンガン浮き上がって来て
      なんかもう、何なんですかこの演奏。

      いや、良し悪しは私には全くわからないし
      演奏の好き嫌いは主観的なものだし
      誰か特定の指揮者やピアニストや
      オーケストラを
      神のように、それが絶対として信仰するカルトの傾向は
      私にはない筈なので
      (良くも悪くも、かなり醒めてるタイプじゃないかと)
      う〜ん、これもありか
      ランラン真っ青というか
      ブロンフマンも真っ青というか
      (あ〜、そう言えばロマンティック路線回帰かな、と思ったのは
       マツエフではなく、ブロンフマンであった)
      ピアノの強さで言えば
      アルゲリッチが飛び抜けて凄かったけれど
      アルゲリッチの場合は、マツエフのマッチョさはないだろう。

      もちろん、音が濁る限界に近いところまで
      ペダルを踏み込んでいて
      オクターブの連打になると
      (しかも、これが人間技とは思えない速さ)
      さすがに、ここも音が団子になってしまい

      そこまで速く鍵盤をぶっ叩いて
      音を団子状に潰さなくても良いのに
      と思うのは、あくまでも私の好みである。

      最終楽章のフィナーレに至っては
      サーカスか、オリンピックの短距離競走か
      あるいはジャンプか、ともかく
      うおおお、このアスリート、人間じゃない
      という
      まぁ、一種、見せ物(聴かせもの?)みたいな感じがして
      これは、絶対に聴衆にはウケる。

      いや、音楽に精神性だの何だの
      哲学的に難しい事は言いませんから
      あれだけの
      人間技と思えない技術を習得するためには
      ずば抜けた身体能力と
      とんでもない練習の時間があったんだろうなぁ、と
      ともかく、その身体能力と努力に脱帽する。

      音楽性云々は私には重過ぎるテーマなので避ける。
      (ただ、正直言うと
       あれだけガリガリ弾かれると
       あ〜、自分が来世に、あんな天才の素質があったら
       あ〜いう風にガリガリとチャイコフスキーを弾いたら
       気持ち良いだろうなぁ・・・と思った。すみません)

      後半のバルトークのオーケストラのための協奏曲。
      これも音量マックスで来たら
      ちょっとゲッソリだなぁ、と思っていたら
      これはかなりマトモ(普通)な音量。

      しかもオーケストラの解像度も悪くない。
      音が塊にならず、ちゃんとパートごとにクリアに響くし
      あっ、そんなところに
      通俗低音みたいにスケールが隠れてたのね?という箇所もあって
      これはなかなか面白い。

      え〜っと、非常にしつこいマウンティングだが
      今、音楽分析でバルトークが課題になっていて
      ちょっと平常心でバルトーク聴けない状態で(汗)

      ついつい、使われているスケールは何だとか
      バルトーク和音は何処にある、というような
      無駄で中途半端な知識に振り回されているので
      平常心で聴いていない、というのはあったにせよ

      タメとか、思い入れとか
      浪花節とかが全く感じられないバルトーク。
      エレジーとか、もっとねっとり歌わせる指揮者も多いのに
      なんだか、あっけらかんという程に
      あっさりと「音楽」として演奏されている(ような気がする)

      最終楽章はチャイコフスキーに輪をかけての高速で
      オーケストラ・メンバー、よくあの速度についていったな・・・
      めったやたらと元気が良いのである。
      (バルトークはこの時、ほとんど死にかけの状態だった筈)

      エレジーの、あのウィーン風オペレッタのメロディの後の
      不協和音での管のアンサンブルなんか
      私には、自己に対する苦い皮肉にしか聴こえないのだが
      そこまで踏み込んでなかったんじゃないかなぁ。
      若い世代だから、あの胸が痛くなるような郷愁って
      難しいかもしれない。私だってわからん。

      ひたすら明るくあっけらかんと演奏されたような気がするが
      (しかもオーケストラ能力の限界を示す速さで)
      でも、こういう演奏、私、嫌いじゃない。
      (チャイコフスキーのサーカスも実は好きです)
      意外にパートがクリアに出て来て
      隠されたラインが見えたりしたのも楽しかった。

      明日の午前11時からの定期公演は
      またオーストリア・ラジオ1番でライブ放送。
      たぶん、あのドボルジャークのバランスは
      録音技師の腕で、巧く処理されて、ラジオの波長に乗るんだろうなぁ。

      あの席では、私はあの音に耐えられないから
      さて、何とか何処かに逃げられないか、と
      密かに策を練る私に
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      ウィーン・フィル + ドホナーニ 2回目

      0
        Musikverein Großer Saal 2019年11月24日 11時〜13時15分

        Wiener Philharmoniker
        バイオリン Rainer Honeck
        指揮 Christoph von Dohnányi

        György Ligeti (1923-2006)
         Atmosphères für grosses Orchester
        Richard Wagner (1813-1883)
         Vorspiel zur Oper „Lohengrin“
        Alban Berg (1885-1935)
         Konzert für Violine und Orchester
        Johannes Brahms (1833-1897)
         Symphonie Nr. 3, F-Dur, op. 90

        日曜日のコンサートはオーストリア国営放送ラジオ1番にて
        ライブの放送がある。

        だからと言って
        ウィーン・フィルのプレイヤーたちには
        別に何と言う事はないだろうが。
        (ただ、オペラ座のバレエなんかだと
         ライブがあるとオーケストラが張り切る時はある(笑))

        リゲティは、土曜日も言った通り
        別にウィーン・フィルで聴かなくても、という曲ではあるのだが
        (すみません、プロオケが全員、これを完璧に演奏できるとは言いません)
        やっぱり、あの、音の絨毯に全身囲まれる感じは
        いくら途中に咳き込みが入っても素敵 ♡

        そのまま続けてのローエングリン
        いや、確かに音の色としては似た感じで響くし
        ドラマツルギーとしても見事だとは思うけれど
        ちょっと違和感がないわけではない。
        (が、シロウトなのでわからない)

        ベルクのバイオリン協奏曲の
        ホーネックの音の美しさには
        昨日と同じく悶絶。

        ラジオで聴くとそうでもないけれど
        (マイクとミクシングの関係があると思う)
        如何にもコンサート・マスターの音で
        オーケストラの音楽から
        不必要にはみ出して自己主張する事なく
        なのに、澄んだ艶のある音で
        オーケストラから立ち上ってくる、という快感。

        だいたい、オペラ座のオーケストラ・ピットで
        バレエ音楽とか聴いていても
        ホーネックのソロって、すぐにわかるもんなぁ・・・

        もう、このベルクの曲、12音技法なのに
        音の並びに伝統的なインターバルを使っているせいか
        冷たさが全くなくて
        愛に満ちているというか
        ミステリアスというか
        こんな美しい曲が12音技法で作曲できるとは
        ベルクって、やっぱり天才。

        後半のブラームス交響曲3番。
        昨日に比べると、第一楽章にえらく力が入っている感じで
        エネルギッシュというか、どうしたの?

        土曜日の演奏の方がブラームスらしい美しさは
        もっと前面に出て来ていたような気がする。

        後でラジオのオンデマンド聴いてみたが
        やっぱり、第一楽章、むちゃくちゃ指揮者にやられてる感が
        (註 ツィッター読者の指摘)
        かなり強いような印象がある。

        楽友協会の、あのお風呂残響っぽい
        ちょっとしたミスなら、全部、オレの力で隠してやる音響が
        ウィーン・フィルあたりになると
        100%活かされるって感じですかね。

        だって、ともかく
        ブラームスがむちゃくちゃ美しいのだ。
        何だこの音の厚みと温かさは。
        途中で咳とかクシャミとか
        私の前の女性は鼻を噛んでいたけど(まぁ、良いんですが)
        2楽章や3楽章の音の美しさと言ったら失神モノ。

        ・・・で、後でオンデマンドで聴いたら
        意外にアンサンブルの乱れがあったりする(爆笑)

        いや、これ、いったい何だろう、と思ったのだが
        そう言えば、楽友協会で聴いた同じプログラムを
        デッドで無慈悲な音響のコンツェルトハウスで聴くと
        あれあれあれ、という事になる経験があったのを思い出した。

        ブラームスのこの交響曲3番は
        楽友協会のこのホールで初演されたそうで
        当時は弦楽器のビブラート奏法はなかったにしても
        この響きを、ブラームス自身が
        ホールで聴いていたのか、と考えると感慨深い。

        ここで、クラシックに詳しい方は
        当時のコンサート・ピッチは、と言い出すと思うのだが

        うふふふふふ
        この間の私の発表は
        コンサート・ピッチの歴史だったんですよ〜ん(笑)
        ウィーン・クラシックの時代には
        だいたい430〜440ヘルツくらいだったらしい。

        現代オーケストラのピッチが多少高いとは言え
        10ヘルツくらいの差でしかないので
        場合によっては、多少、音色が暗めになる位で
        そうそう変わりません。

        ブラームスの交響曲と言えば
        1番・4番がしょっちゅう演奏されて
        夏の休暇前には2番が好まれて
        なかなか3番をナマで聴くチャンスがないのだが
        ブラームスの作曲技法としては最高潮の頃の作品。
        (1853年だから、50歳の時、1897年に63歳にて没)
        第3楽章で、来ているカップルが
        突然、身体を寄せ合うのは、微笑ましいが
        4番みたいに、ヘンに枯れていなくて
        すごくチャーミングな曲だと思う。

        その円熟のブラームスを
        多少のミスは隠してやるぞ、という楽友協会で
        ウィーン・フィルのアンサンブルで聴くというのは
        最高の贅沢ではあった。
         (しかも2回も聴けたし \(^^)/)

        ラジオのオンデマンドは1週間聴けるので
        ORFのウエブ・サイトからぜひどうぞ。
        こちらから入って、7 Tage のところから)

        さすがのシーズンというか
        ウィーン・モデルン現代音楽祭に行っている時間がないほど
        ともかく充実したプログラムが続いて
        勉強する時間がない(自業自得)と
        焦っている私に
        どうぞ1クリックをお恵み下さい。



        ところで前半でソロを弾いたホーネック氏は
        後半では、しれっとウィーン・フィルのコンマス席に座っていた。
        どういうブラック企業(違!)

        ウィーン・フィル + ドホナーニ 1回目

        0
          Musikverein Großer Saal 2019年11月23日 15時30分〜17時45分

          Wiener Philharmoniker
          バイオリン Rainer Honeck
          指揮 Christoph von Dohnányi

          György Ligeti (1923-2006)
           Atmosphères für grosses Orchester
          Richard Wagner (1813-1883)
           Vorspiel zur Oper „Lohengrin“
          Alban Berg (1885-1935)
           Konzert für Violine und Orchester
          Johannes Brahms (1833-1897)
           Symphonie Nr. 3, F-Dur, op. 90

          指揮者のクリストフ・フォン・ドホナーニって
          たぶん、私がウィーン・フィルで聴くのは初めてかも。
          御年90歳、椅子に座っての指揮だが、現役バリバリ。

          面白いプログラム構成である。
          最初にリゲティのアトモスフェア。
          この曲、有名な割にはあまり演奏されないし
          (ワタクシ的には、本当はロンターノの方が好き)
          保守的聴衆のウィーン・フィルの定期で
          よく取り上げたな。

          案の定、演奏中の咳き込みが凄かったが。
          まぁ、それはこういう曲では仕方がない。
          現代音楽祭だったら、みんな、ものすごく静かなんだけど(言っても無駄)

          しかし、この曲、別にウィーン・フィル(の定期公演)で聴かなくても
          オーケストラ全体としてのアンサンブルとか
          音の美しさが目立つ曲ではないから
          もちろん、録音よりも
          本来は空気のたっぷりあるホールで
          残響と鑑賞すべき曲なので
          その意味では、雑音が入っても、ホールで聴けるのは嬉しい。

          その後、拍手を待つ事なく
          (拍手のタイミング、わからんよね、聴衆は)
          そのままローエングリンに突入。
          あ〜、何となく、そのまま音色を変えずに
          ローエングリンに行ったのはわかる(ような気がする)
          時代も作曲法も全く違うのだが
          音の色に共通なところがある(ような気がする)

          その後、アルバン・ベルクのバイオリン協奏曲。
          ウィーン・フィルのコンサート・マスター、ライナー・ホーネック氏のソロ。

          うおおおおおおおお
          ちょっと叫んでしまうわ、これは。
          ホーネック氏のバイオリンって
          オーケストラ曲のソロなんかでも、その色の美しさに悶えるんだけど
          このベルクの曲のバイオリンの
          あまりに美しいメロディ・ラインを
          あのホーネックの音で演奏してくれたら

          もう最初から最後まで悶えっぱなし。
          友人とも話していたんだけど
          さすがにコンサート・マスターで
          ソリストという感じの「しゃしゃり出る」感が全くなくて
          なのに、オーケストラから
          バイオリン・ソロの音が浮き上がってくるという
          稀な現象。

          ベルクのこの繊細な曲を
          オレ様で弾かれてしまうとイヤなんだけど
          その点で、こんな、ある意味、完璧な演奏を聴けるなんて・・・

          あまりに前半が良かったので
          後半のブラームスの交響曲3番なんて
          別にど〜でも良いや、と思っていたら

          うわ、驚いた・・・

          ウィーン・フィルの美しい音が
          楽友協会の音響で最大限に発揮されるのは
          こういう曲なんだわ・・・

          若い指揮者が
          自分のオリジナリティを出そうと
          必死になって色々やっている(と思われる)ブラームスが
          これだけ「正統的」に堂々と
          ブラームスらしく演奏されて

          それがまた、むちゃくちゃハマっているという
          嬉しい驚き。
          何なんですか、この美しさは・・・

          ベルクで悶えていたけれど
          まさか聴き慣れたブラームスで
          またもや悶えまくるとは思ってもみなかった。

          もう音が深くて、厚みがあって
          手触りが暖かくて
          これこそ、ウィーン・フィルの音の楽しみって感じ。

          ベルクもだけど
          明日、もう一度、この「音」が聴けると思っただけで
          嬉しさに顔が緩んで来てしまう状態。

          というわけで
          打ち震えて悶えまくった後に
          これからまた、オペラ座のバレエで
          悶えまくる予定の私に
          どうぞ1クリックをお恵み下さい。


          ウィーン・フィル + オロスコ=エストラーダ

          0
            Wiener Konzerthaus Großer Saal 2019年10月15日 19時30分〜21時30分

            Wiener Philharmoniker
            ピアノ Yuja Wang
            指揮 Andrés Orozco-Estrada

            Sergej Rachmaninoff (1873-1943)
             Konzert für Klavier und Orchester Nr. 3 d-moll op. 30 (1909)

            Igor Strawinski (1882-1971)
             Le sacre du printemps (1911-13)

            ついこの間、ウィーン交響楽団とフィリップ・ジョルダンで演奏した
            春の祭典を、今度はウィーン・フィルとオロスコ=エストラーダで聴く。

            しかし、その前にユジャ・ワンのラフマニノフ、ピアノ協奏曲3番がある。
            今日のユジャ・ワンのお洋服は
            花嫁衣装にも使えそうな、ただしボディコンの白いロング・ドレス。

            横にスリットでもあっておみ足が見えるかと思ったが
            本日はスリットは入っていなかったようだ。
            (ただし天井桟敷超貧民席なので、よく見えない)

            ユジャ・ワンのピアノが・・・すごい。
            この曲を、これだけ強いタッチで弾けるピアニストは
            男性だって珍しい。

            リハーサル不足なのか何なのか
            部外者にはよくわからんが
            オーケストラとの連携が今一つで
            ピアノとオーケストラが微妙にズレたりしていたが

            ユジャ・ワンのピアノが凄過ぎて
            原色感に溢れて
            オーケストラの音を遥かに引き離して
            会場にキラキラ輝きながら飛び散ってくるので

            あ〜、すみません、
            ウィーン・フィルの素晴らしい音なのに
            一瞬、いや、ちょっと何回か

            オーケストラいらん・・・

            とか思ってしまった私を
            どうぞお許し下さい。

            いや、たぶん、ユジャ・ワンが
            オーケストラを振り回したんだろうなぁ、というのは想像つくが。

            あんなに力強いピアノのタッチで
            ガンガン弾かれたら
            美女に連れ回されて
            嬉々として女王さまを崇めるオーケストラ、という
            私の(いつもの)ヘン○イ趣味の妄想が爆発してしまう。

            いやしかし、本当にすごい(それしか言えんのかワタシは)
            アンコールにシューベルトの「糸を紡ぐグレートヒェン」の
            メロディ付きピアノ・バージョンを
            (確かリスト編曲のむちゃくちゃ難しい奴)
            完璧に弾きこなす・・・どころか
            中間部の音楽的爆発の素晴らしさに息を呑む。
            リート歌いだって、あれには負けそう・・・

            これでアンコール終わりかと思っていたら
            (ドレスが長くて、たぶん、またピンヒールがすごいので
             舞台の出入りに異様に時間がかかるのである)
            チャイコフスキーの「白鳥の湖」からの
            4羽の白鳥の音楽を、すごいピアノ・アレンジで聴かせてくれた。
            (で、観客がまだ拍手しているのに
             オーケストラが捌け出すという・・・
             まぁ、早く帰りたいですもんね、気持ちはよくわかる)

            春の祭典は面白かった。
            この曲、ウィーン・フィルは何回も演奏しているので
            技術的には全く問題ないし

            オロスコ=エストラーダもジョルダンと同じように
            各パートを均等に出して来て、解像度が高い。
            途中でテンポをアップして
            すごい推進力で曲を引っ張って行くが
            泥臭い感じが全くないのは
            ウィーン・フィルのノーブルな音によるものかもしれない。
            割にスタイリッシュに仕上がっていて
            現代的にスリムな印象を受ける。

            それに、時々、おっ、と思うところを
            前面に出してくるので
            聴き慣れたはずの曲が新鮮に聴こえるのがお得な気分(笑)

            指揮者が完璧にオーケストラを支配下に置いている
            という印象はまだなくて
            今ひとつ、抑え切れていないかも、という感じはあったけれど
            オーケストラと指揮者の桎梏みたいなものが
            垣間見える感じがして
            それはそれで非常に面白い(根性悪いですワタシ)

            明日はグラーツで、ドボルジャークの「新世界から」を演奏するのだが
            このプログラムはウィーンで演奏してくれないのだ、ちっ。

            日本でのコンサート・プログラムも
            ラフマニノフとストラヴィンスキーになってるな。
            オロスコ=エストラーダだったら
            ドボルジャークの方が楽しそうな感じがするんだけど
            「新世界から」だと、通俗的な名曲アワーになってしまうという
            主催者側の判断なんだろうか。

            日本公演までに、春の祭典も、どんどん緻密になって
            きっと素晴らしい演奏になるんだろうなぁ・・・

            今学期、まだ始まったばかりだが
            アホな事に授業を詰め込みすぎて
            そういう時に限って
            面倒な仕事が山積みになったりしていて
            (その面倒な仕事の報酬がどうなるのか
             実は私もよくわかっていない。ペイしない可能性もある)

            そんな中で
            ぶっ倒れそうになりながらも
            コンサートだけはしつこく行くという
            周囲の顰蹙を買いそうな私に
            どうぞ1クリックをお恵み下さい。


            ウィーン・フィル + ティーレマン 2回目

            0
              Wiener Konzerthaus Großer Saal 2019年10月6日 11時〜12時30分

              Wiener Philharmoniker
              指揮 Christian Thielemann

              Anton Bruckner (1824-1896)
              Symphonie Nr. 8, c-Moll, WAB 2018
              Mischversion aus Bruckners erster und zweiter Fassung von Robert Haas

              マイヨーのバレエに感激しまくったせいで
              ティーレマン のブルックナーについて
              1日経ってみると
              一体、何を書いて良いのか、よくわからん状態。

              だったら書かなくても良いよね
              ・・・とか思いながらも

              一応、個人的メモなので
              行った事だけは記録しておきたい。

              終わり・・・とか、そこで書くほど
              私は根性が据わっていない(わはは)

              コンツェルトハウスという
              デッドな音響で
              大編成の交響曲にはバッチリ合うホールで
              ブルックナーの8番。

              楽友協会の、あの残響たっぷりの音響に慣れてから
              同じ曲をコンツェルトハウスで聴くと
              細かい部分まで聴こえすぎて
              時々、あ〜、あっはっは(言いたい事は察して下さい)という事もあるが

              コンツェルトハウスでのブルックナーの音
              昨日の楽友協会の、厚すぎる音から解放されて
              でも、重厚さは失わず
              デッドな音響に負けない厚い和声の塊を
              しっかり天井桟敷の貧民席にも伝えてくる。

              しかも、昨日、楽友協会で聴こえたような
              遅めテンポによるパートのズレが
              全くなくなった。

              こういうのが、プロのオーケストラの凄いところ。
              予想はしていたけれど
              2回目で、あそこまでまとまるとは・・・

              コンツェルトハウスで聴いても
              やっぱり、ティーレマンのブルックナーであって
              オレさまを聴け、というアクの強さが
              ブルックナーのオーケストラの音に吸収されて
              好みの問題はあると思うけれど
              かえって、その開き直りが快感。

              だいたい、私はティーレマンが
              随分昔にミュンヒェン・フィルで振った
              ブルックナーの8番で
              この曲に目覚めたから
              割にティーレマンのブルックナー、好きなのである。
              何か文句ある?(笑)

              2日目にして
              これだけ完成度を上げてくるオーケストラも凄い。

              ブルックナーって、確かに敬虔なキリスト教で
              真面目で、謹厳で、神さま万歳で(誤解あるかも)
              音楽も、クソ真面目で
              対位法だの和声だのの理論をしっかり守って
              あくまで伝統的に作曲した人だから

              そのしつこい作曲技法に好き嫌いはあろうが
              ベートーベン、ブラームスと続いた、いわゆるドイツ音楽に
              ワーグナーの毒を充分に浴びて出て来たブルックナーは
              伝統的で聴きやすいというのはあると思う。
              (マーラーは全く別だ、あれは異端児だろう)

              さて、同じプログラムは
              来週日曜日のウィーン・フィルの定期公演で
              もう一度、聴く機会がある。

              この曲好きだし
              ティーレマンの、あのしつこいネットリしたところも
              ブルックナーらしい特色が充分に出て面白いから

              ちょっと今から楽しみな私に
              どうぞ1クリックをお恵み下さい。


              ウィーン・フィル + ティーレマン 1回目

              0
                Musikverein Großer Saal 2019年10月5日 15時30分〜17時

                Wiener Philharmoniker
                指揮 Christian Thielemann

                Anton Bruckner (1824-1896)
                 Symphonie Nr. 8, c-Moll, WAB 2018
                 Mischversion aus Bruckners erster und zweiter Fassung von Robert Haas

                コンサートの時間を注意深く見た人は
                ちょっと驚くかもしれないが、本当である。
                途中に休憩とか入ってませんから。

                ウィーン・フィルの定期公演だが
                今回は例外的に、明日の同じプログラムがコンツェルトハウスで
                日曜日定期は来週10月13日になる。
                今のところ、明日のコンツェルトハウスも13日の定期も
                チケットは押さえてあるので、3回聴く予定。

                11月の中国と日本公演でも演奏される予定の
                ブルックナーの交響曲8番で
                今回はファーストとセカンド・バージョンのミックスのハース版。

                明日も同じコンサートなのだが
                会場が違うので、また印象が変わると思うので
                今の印象だけ、ちょっとメモしておきたい。

                一言で印象を言うならば
                ティーレマンがブルックナー8番振ったら
                やっぱり、これだよね(笑)

                かなりテンポが遅い。
                (よって、演奏時間は1時間30分!)
                ゲネラル・パウゼは短めで
                ティーレマンにしては、もったいぶってないという感じだが
                全体のテンポが遅いので
                和声の響きを極限まで表現して聴かせるという

                まぁ、ティーレマンがよく言う「麻薬」みたいな感じですよ。
                本人も熱に浮かされたような指揮ぶりだし
                最初から神がかっちゃって(すみません、貶してません)
                指揮棒を振るというよりは
                ゲルギエフのように、指揮棒の先をブルブル震わせているだけ
                というお姿も拝見。

                1時間半、指揮ぶりを見ているのもしんどかったので
                第一楽章の後は座って音楽に集中してましたが。

                楽友協会という響きの良いホールとしては
                かなり音量は最初から上げて演奏していたけれど

                何せ、ワタシ、まだ風邪が完治していなくて
                耳が聴こえにくいので
                今日だったら、ショスタコーヴィッチでもオッケーという
                音楽を聴くにはあまり理想的な状態でなかったのが幸いして
                かなりの音量でも、全然大丈夫(笑)

                遅いテンポと
                指揮者のわかりづらい指揮棒という二重苦で
                時々、パート同士のテンポのズレも聴こえたけれど
                ウィーン・フィルは、それなりの自浄作用があるし
                明日はきっと、ズレの部分は治っていると思う。

                ティーレマンらしい、と言ったのは
                テンポの遅さと
                強弱のダイナミックの極端な強調が聴けるからだが
                思い込みとか色々と偏見があるにしても
                ブルックナーの交響曲で
                これだけ

                俺だ、俺、俺サマを聴け!!!!

                という印象を受ける演奏も滅多に聴けるものではない。
                最初から最後まで
                ティーレマン節が、小節ごとにくっきり刻まれている感じで
                ご本人は忘我の神がかりの境地で
                指揮台の上で感極まって悶えていて
                これは、ティーレマンのファンには堪らないだろう。

                私は誰のファンというのは、あまりない上に
                感受性ゼロなので
                何を聴いても、ふ〜ん、としか思わない冷血人間だが
                あの暑苦しさはティーレマンでなければ聴けないわ。

                ブルックナーの8番の和声の重厚さを
                しつこく、暑苦しく
                ティーレマン・ブランドの刻印をつけて
                みなさまにご提供します、という感じですね。

                ティーレマンの指揮に関しては
                ワーグナーやブルックナー、リヒャルト・シュトラウスなんかは
                ともかく巧いと思う。
                指揮者自身のアクの強さに曲が負けていないし
                どれだけ「オレ様を聴け」が表面に出て来ても
                曲そのものの個性の強調が際立ってくる。

                ウィーンの(特にご年配の)聴衆は
                ティーレマンの熱狂的ファンも多いし
                ブルックナーとなれば
                オーストリア出身のキリスト教の保護者みたいな作曲家だし
                モーツァルトのファンです、と言うより
                ブルックナーって良いですね、と言う方がインテリっぽく聞こえるし
                みなさん、揃ってブルックナー大好きで

                お陰で、途中の無駄な咳き込みとかが一切なく
                非常に快適ではあったのだが

                照明・録音装置がずらっと揃っていて
                どこかの電気接続の関係だろうが
                微かに、ジーッという雑音が聞こえていたのが
                ちょっと気になった。

                明日のコンツェルトハウスでの同じプログラムも
                強気の価格設定(39ユーロから159ユーロ!)なのに
                チケットはもちろんすべて売り切れ。

                まぁ、日本公演の1万7千円から3万7千円(もちろん売り切れ)に比べれば
                ウィーンの方が安いんだけど
                我々の給与水準、すごく低いからなぁ(オマエだけだ、というツッコミありそう)

                明日の印象がホールの音響でどの位変わるか
                私の鼓膜の調子がどうなるか

                それはまた明日、という事で
                急いでファースト・インプレッションだけ書いた私に
                どうぞ1クリックをお恵み下さい。



                実はこの後、サンクト・ペルテンにバレエを観に行った。
                その印象記も書きたいのだが
                サンクト・ペルテンのバレエは明日も観るので
                (よって、今日と明日とは全く同じプログラム(笑))
                サンクト・ペルテンは、明日、まとめて書くつもり。

                ウィーン・フィル + ダニエル・ハーディング 2回目

                0
                  Musikverein Großer Saal 2019年9月21日 15時30分〜17時45分

                  Wiener Philharmoniker
                  ソプラノ Christiane Karg
                  指揮 Daniel Harding

                  Jean Sibelius (1865-1957)
                   Symphonie Nr. 4 a-moll op. 63 (1911)

                  Gustav Mahler (1860-1911)
                   Symphonie Nr. 4 G-Dur (1899-1901)

                  昨日コンツェルトハウスで聴いた同じプログラムを
                  楽友協会で聴くという、オツなコンサート(笑)
                  ホールの音響も違うし
                  私の超貧民席の場所も違うので
                  聴こえ方が変わってくる楽しみ。
                  (根性悪ではない、純粋に知的興味である(ウソ))

                  新シーズンで会員の入れ替えも多少あって
                  いつものメンバーが居なくなったりして
                  新しい会員も入って来たような感じ。
                  まぁ、シーズン初めだし
                  シベリウス4番だし
                  (余りチケット売ってる人が楽友協会前にかなり居た)

                  だいたい、雲ひとつない秋晴れの青空の日の午後に
                  楽友協会でシベリウス4番を聴きたいというのは
                  かなりのヘンタイに違いない(誤解あり)

                  さて、その暗い暗い暗い暗い
                  陰鬱さから言ったら
                  世界で最も悲しい音楽と言われる
                  サミュエル・バーバーの弦楽のためのアダージョより
                  ワタクシ的には、もっと暗く感じる曲を
                  楽友協会で聴いてみると

                  うおおおお
                  昨日も感じた弦の美しさに
                  膨らみが加わって
                  残響たっぷり倍音たっぷりの
                  豪華絢爛たる音響 ♡

                  いや、この曲で悶えてどうする。
                  しかし、人数を増やしたウィーン・フィルの弦の音って
                  まぁ、あまりに美し過ぎて、ちょっと失神モノ。

                  昨日は弦の美しさだけに耳が集中してしまったけれど
                  今日、改めて聴いてみると
                  時々入ってくる管楽器のソロが絶品。

                  しつこく繰り返されるトリトノスのユニソノで
                  調性があるような、ないような
                  背筋に氷を当てられるような不安感に満ちて
                  ただ、さすがにシベリウスは
                  調性破壊までは絶対に行かずに
                  途中で調性に戻ってくる。

                  戻ってくるのに、その調性のメロディのど真ん中に
                  セクンドでのオルゲルプンクトを入れたりして
                  ま〜、イケズというか一筋縄ではいかない。

                  生涯続く中二病患者なので
                  また、はっぱがアホな事を自慢げに言ってる、と
                  読者の方々は無視して下さい m(__)m
                  ちなみに、トリトノスについては
                  コンツェルトハウスのプログラムに書いてあって
                  結構、詳細にこの曲を分析していたので面白かった。

                  暗い、と喚いてはいるけれど
                  確かに陰鬱なのだが
                  ただ、ものすごく美しい曲でもある。

                  シベリウスらしいメロディの断片もあるし
                  不協和音を使いながらも
                  時々、調性に戻って来て
                  思いがけない転調をするのにも度肝を抜かれるし
                  全体的に調性を感じさせないドロドロした作りなのに
                  それが不自然ではなく聴こえてくる。

                  ハーディングの私のイメージって
                  ネクタイしている、オーラのない男の子で
                  作る音楽はちまちましていて室内楽的だったのだが
                  (酷いイメージだな・・・)
                  オーラはともかくとして
                  この難しいシベリウスの曲を
                  かなりエモーショナルに
                  しかも、ちまちまどころか、結構大胆に
                  スケール大きくオーケストラに演奏させたのは大したものだ。

                  後半のマーラー4番。
                  うははは、やっぱり響きがコンツェルトハウスと違う。

                  コンツェルトハウスの時は
                  割にゴツゴツした感じだったのだが
                  楽友協会で同じ音楽を鳴らすと
                  ここまで豊かに響くのか。

                  もっとも、マーラーの大規模オーケストラの交響曲は
                  鳴らして聴き映えするのはコンツェルトハウスかもしれない。
                  楽友協会では、やはりちょっと響き過ぎの傾向はある。

                  出だしの鋭い音の後に続くところで
                  オーケストラの縦線が微妙に崩れたのだが
                  それが、楽友協会の音響と相まって
                  何ともウィーンっぽい、讎な雰囲気を作り出したのには驚いた。
                  確かにマーラーって、まごう方なきウィーンの音楽なので
                  ちょっと崩れた部分が必要なのかもしれない。

                  その後は縦線も揃って
                  ハーディングのエモーショナルな音楽作りが凄い。
                  何だか叩きつけるような激しさで
                  よほど、欲求不満が溜まっていたんだろうか(違!)

                  まるで子供がイヤイヤをして叫んでいるような印象がある。
                  永遠に満たされる事のない渇望という感じで
                  イライラと焦燥が伝わってくる。
                  ゴリゴリと無理押しするような強さで
                  感情に訴えてくるのが
                  素直に聴ける部分と
                  あざといなぁ、と思う部分が入り混じる。

                  少なくともコンフォート・ゾーンで
                  適当に美しく演奏すれば良いや、という感じではない。
                  不愉快に聴こえるギリギリのところまで
                  押して押して押しまくるハーディングって
                  こんなに感情的に指揮が出来る人だったっけ?
                  (それとも、最後のシーズンだからやりたい放題?(笑))

                  第2楽章で、そのイライラ感は頂点に達する。
                  バイオリンのソロも、あくまでも鋭く
                  皮肉に大げさに
                  まるでグロテスクな操り人形のようなのだが
                  これが、オーケストラの他のパートも音量が同じなので
                  特別に際立つ事がなく、埋もれながら悲鳴をあげているようだ。

                  あ〜、こうやって聴いてみると
                  ハーディングのこの曲の解釈、本当にいやらしいわ(褒めてます)
                  聴衆をイライラさせて不安を煽って
                  席を立ちたいほどに居たたまれなくなって

                  そこで入る第3楽章・・・
                  あざとい程のドラマチックな演出。

                  ただ、第3楽章で、それまでのイライラが解消するかと言うと
                  そうでもなくて
                  この世とも思われない美しい解決が
                  すぐそこにあるのに
                  手が今一つ届かないもどかしさ。
                  美しいのに、素直に聴けない。

                  そのイライラは、最終楽章で戻ってくる。
                  天国の生活と名付けながら
                  全然、天国じゃない。
                  まるで嫌がらせのように入ってくる騒音に
                  ソプラノが手を伸ばしている楽園は
                  何回も何回も邪魔をされる。

                  いやもう、実にいやらしい音楽作りだハーディング。
                  なんともしつこく、陰湿で
                  苛められているような気分になってくるじゃないの。

                  これが、最後の最後で
                  本当に突然、天国に昇華されてしまうのだが
                  当然ながら、そこまでしつこく苛められている聴衆には
                  その天国は、昨日書いた通り
                  それまでの生々しい刺激がなくなった
                  死後の世界、彼岸の風景にしか見えなくなる。

                  マーラーの4番って、演奏回数も多いけれど
                  ハーディングのマーラー
                  ここまで聴衆を追い詰めて追い詰めて
                  不愉快感を最高潮まで高めておいて
                  最後に聴衆全員をぶっ殺してしまう、という凄さ。

                  いや、ほんと、ハーディングのイメージが変わった。
                  そこまでドラマチックにするか、という
                  ちょっとびっくりの呆れ感もあるし
                  エモーショナル過ぎて、ちょっと辟易というか
                  あざとい、と思う部分もあるけれど
                  このくらい、あざとくやらないと
                  耳ばかり肥えている聴衆には、驚きにはならない、というのはある。

                  明日の日曜日定期も聴きたいのは山々だが
                  ちょっと野暮用で行けないのが残念で
                  地団駄踏んでる(子供のヒステリー ← 今日の演奏に感化(笑))私に
                  どうぞ1クリックをお恵み下さい。



                  ところで昨日の2楽章の違和感は
                  本日はすっかり消えていた・・・・と言うことは
                  あれはやっぱり(以下省略)

                  ウィーン・フィル + ダニエル・ハーディング 1回目

                  0
                    Wiener Konzerthaus Großer Saal 2019年9月20日 19時30分〜21時45分

                    Wiener Philharmoniker
                    ソプラノ Christiane Karg
                    指揮 Daniel Harding

                    Jean Sibelius (1865-1957)
                     Symphonie Nr. 4 a-moll op. 63 (1911)

                    Gustav Mahler (1860-1911)
                     Symphonie Nr. 4 G-Dur (1899-1901)

                    エアフランスのパイロットに職替えしそうな
                    ダニエル・ハーディングがウィーン・フィルの指揮台に登場。
                    今日のコンツェルトハウスのコンサートの後
                    明日、土曜日の定期と日曜日の定期公演が同じプログラム。

                    同じ時間に国立オペラ座では
                    バレエの「シルヴィア」今年の最終公演があって
                    むちゃくちゃ悩んだものの
                    日曜日定期に、とある事情で行けないので(涙)
                    今回はコンツェルトハウスでのコンサート優先。

                    しかしプログラムがシベリウスの交響曲4番とは・・・(絶句)
                    シベリウスそのものが、あまり演奏されないし
                    演奏されるとしたら、2番か5番くらいで
                    私も4番って、聴くのは初めて。

                    慌ててヘビロテで聴いてはみたものの
                    記憶力ゼロ、音楽性ゼロの私には、さっぱり・・・
                    (だいたいシベリウスは難しい)
                    シベリウスっぽいメロディのフラグメントは
                    時々聴こえて来て
                    美しい曲だとは思うけれど・・・暗い・・・

                    でも、これ、ウィーン・フィルの弦で聴いたら
                    きっと、とことん美しいんだろうなぁ、と思って行って

                    期待は裏切られなかった。

                    弦のアンサンブルの美しさと言ったら
                    コンツェルトハウスのデッドな音響空間でも
                    この上なく滑らかな手触りで
                    私の最初からの思い込みというのはあるにせよ
                    あまりに予想通りで
                    これは悶える。

                    盛り上がりがあるんだかないんだか
                    よくわからん曲だが
                    アタッカでずっと続けて
                    一つ一つのフレーズの音響の美しさに身震いする。
                    (私には音楽性というのものはないんです、悪しからず)

                    コンツェルトハウスで、これだけ豊かに響かせると
                    明日の楽友協会での響きが飽和してしまうのではないか
                    という一抹の懸念はあるが
                    そこらへんはハーディングだから
                    あくまでも室内楽的なスッキリさを出してくると思う。
                    ちょっと楽しみ。

                    後半はマーラーの交響曲4番。
                    これはまぁ、お馴染の曲だけど

                    何この、すごく尖った感じ?
                    ウィーン・フィルとは思えない鋭い音。
                    (前半の、フレーズの長いシベリウスと
                     同じオーケストラとは思えない)

                    この曲は、ご存知の通り
                    尖ったところと柔らかい部分の格差が激しく
                    マーラーの曲を聴くといつも思うんだけど
                    なんだ、この二重人格者は、という部分が
                    かなり強調されて出て来ている。

                    第2楽章の諧謔性の鋭さを
                    各パートを、ほとんど暴力的に乖離させて
                    (あくまでもシロウトの個人的印象ですっ!)
                    音楽的繋がりの有機性を断ち切って
                    ギョッとするようなポリフォニーを出してくるので
                    シロウトの悲しさ
                    最後の方のフレーズが
                    むちゃくちゃ奇妙に聴こえて
                    ついつい椅子から身体を乗り出しそうになった。

                    後で確かめてみたが
                    確かにあの部分、あれで間違いじゃない
                    けれど
                    普通は、あのバラバラの部分に
                    とっかかりになるメロディ・ラインを見つけて
                    我々聴衆がポリフォニーの海に溺れないように
                    捕まるところを作ってくれる演奏が多いのだが
                    ハーディングは容赦がない。
                    聴衆を溺れさせても全然平気。

                    第3楽章の美しさは
                    普通の聴衆なら、もう頭の中にすっかり入っているので
                    音の美しさを楽しんでって感じか。

                    最終楽章は、鋭さと牧歌的な部分の対比だが
                    これがまたむちゃ鋭くて
                    世知辛い現実と
                    夢想の非俗的な世界が
                    まだらのように混じって
                    ちょっと気持ち悪いほどにグイグイ迫ってくる。

                    カルグのソプラノは
                    あくまでも澄んで美しい細めの美声で
                    声を抑えて抑えて、ピアニッシモの領域で
                    天井桟敷まで声を飛ばしてくる。

                    それを支えるオーケストラの弱音の美しさ。
                    牧歌性というのに加えて
                    彼岸の
                    どこにもこの世にはない
                    たぶん、死後の世界と思わせる
                    ある意味、突き放した冷たさを基調とする透明感。

                    正直、この歳になると
                    若い頃と違って「死」というものが身近になってくるから
                    (私は年金のモトを取るまで死なないつもりだが)
                    こういう、容赦のない冷たさと
                    感情のない優しさに満ちた牧歌的風景は
                    悪意がないだけに、かなり胸にズシンと来て
                    ちょっと精神的にきつい。

                    私は単純な人間だし
                    音楽性全くないし
                    音楽って辛い思いをしに聴きに行ってるわけじゃないよなぁ
                    ・・・とか思いながら
                    なぜ、あんな辛い美しさを秘めた最後のフレーズを
                    やっぱり明日も聴きたいとか思ってしまうのか

                    実は私はマゾだったのか(違)

                    音楽って(私みたいなシロウトの場合)主観だから
                    その時々の精神状態に従って
                    様々に勝手な印象を抱いてしまうわけで
                    その意味で
                    ポリフォニーやら多様性やらを追求しているマーラーの場合
                    何でもアリかもしれないなぁ、と
                    天国のマーラーが聞いたら
                    真っ赤になって怒りそうな事を考えている私に
                    どうぞ1クリックをお恵み下さい。


                    ウィーン・フィル + オロスコ=エストラーダ

                    0
                      Schloss Grafenegg Wolkenturm 2019年9月8日 19時〜21時10分

                      Wiener Philharmoniker
                      バイオリン Leonidas Kavakos
                      指揮 Andrés Orozco-Estrada

                      Antonín Dvořák (1841-1904)
                       «Die Mittagshexe»
                         Symphonische Dichtung für großes Orchester op. 108 (1896)
                      Erich Wolfgang Korngold (1897-1957)
                       Konzert für Violine und Orchester D-Dur op. 35 (1937-39/1945)
                      Antonín Dvořák
                       Symphonie Nr. 9 e-Moll op. 95 «Aus der Neuen Welt» (1893)

                      グラーフェネック夏の音楽祭の最終公演は
                      ウィーン・フィルとオロスコ=エストラーダが
                      ロンドンのプロムスで演奏したプログラムを持って来た。

                      チケットも高い。
                      悪天候でホールに席のある一番安いカテゴリーで45ユーロ。

                      天候がここ数日不安定で、昨日は大雨。
                      今日も日中は太陽が出たけれど
                      夕方には雨の予報。

                      17時過ぎにチェックしてみたら
                      「本日は予定通り、野外音楽堂で行います」
                      ・・・って、本気か???

                      夕方の気温、20℃切ってるし、風も強い。
                      グラーフェネックに到着したら、小雨がパラパラ。
                      直前にホールに変更になるか、と思っていたら
                      野外音楽堂でのコンサートを断行。

                      案の定、最初のドボルジャークの「真昼の魔女」の途中で
                      かなりの雨が降って来た。

                      観客全員(1500人くらい?)が
                      椅子の下のビニールの使い捨てレインコートを
                      ガサガサと開けて着用し始める。

                      ビニールですよ?
                      レジ袋みたいなものですよ?
                      それを1000人以上が一斉に開けて着込むんですよ?

                      ・・・どういう激しい雑音が発生するか想像つきます???
                      もちろん演奏中です!!!

                      あまりの雑音の激しさに
                      指揮者のオロスコ=エストラーダが振り返って観客を見る。

                      観客は立ったり、座ったままだったりだが
                      ともかく、みんなレインコートを袋から出して広げていて
                      それだけなら良いけれど
                      当然ながら「これ、どうやって着るの?」とか
                      「雨ってイヤね」とか
                      それを機会に嬉々として周囲とお喋りする人も多い。

                      しつこいようだが、演奏中です。

                      ほとんど全員が着用するのに、約10分くらい。
                      この間、オーケストラは舞台上で演奏を続けている。
                      フォルテのトゥッティはともかくとして
                      中間部のピアノは、雑音に掻き消されて、ほとんど聴こえない。

                      しかも、みんな着終わった後でも
                      ビニール・コートに落ちる雨の音がバラバラバラ・・・

                      ちょっとこれ、1曲めが終わったら
                      屋内のホールに会場を移すケースじゃないのか???

                      いえいえいえ・・・
                      次のカヴァコスがソロを弾いた
                      あの、限りなく美しいコルンゴルトのバイオリン協奏曲は
                      そのまま続けて野外で演奏。

                      周囲はみんなビニールのレインコートを着用しているので
                      ちょっと動くとレジ袋のガサガサ

                      動かなくても、ちょっと風が吹いたりすると
                      風で動いたビニールが衣装と擦れてガサガサ

                      絶え間ないレジ袋のガサガサ音を背景に
                      あんなに美しいコルンゴルトのバイオリン協奏曲を聴く羽目になるなんて。

                      もちろん、いつもの付属品である
                      外からの車の騒音や
                      上空からの飛行機の騒音にも不足はない。

                      耳元で隣の人のビニールがガサガサ音を出している状態で
                      クラシック音楽を聴くというのが好きな人が居たらお目にかかりたいものだ(怒)

                      この曲だって
                      ホール内で聴いたら、妙なるバイオリンの美しい音に
                      ブラボー・コールの嵐になったと思うのだが
                      (最初の曲の時は、どうも指揮者が振り向いてイヤな顔をしたらしく
                       珍しく客席の一部からブーが出た)
                      小雨になったとは言え、レジ袋の雑音と一緒に聴いていたら
                      バイオリンの音だって楽しくない(断言)

                      なんだか、えらくヒステリックな硬質な音に聴こえて来て
                      コルンゴルトに必要な甘さに欠けている。
                      (あくまでも雑音が混ざった状態での個人的印象)

                      アンコールにアルハンブラ。
                      これ、カヴァコスの定番の一つだけれど
                      この曲、ギターで聴いた方がずっと良いのに
                      ただ超絶技巧だけ見せたいがために
                      こんなバイオリンではムリムリな曲をムリに演奏するって
                      何か意味があるのかしら・・・

                      前半終わって、さすがにホールに会場変更かと思ったら
                      そのまま野外でコンサート続行。
                      途中でまた雨が降って来たので
                      コートでしのいでいた私も、幕間にビニールを被る事にした。

                      後半の前に、音楽監督ブッフビンダーが舞台に登場。

                      「天気予報官と電話で話したところ
                       大雨になるのは22時くらいから、という事でした。
                       ウィーン・フィルのメンバーは
                       最終コンサートのドボルジャークを
                       野外で演奏する事を快く承知してくれました。
                       指揮者のオロスコ=エストラーダも野外で続行してくれるそうです。
                       感謝します」

                      ・・・ちょっと待て、聞き捨てならぬ失礼な発言じゃないか、これ!!!

                      オーケストラは良いですよ、屋根の下で濡れる事はないんだから。
                      ただ、こんな悪天候で、寒くて小雨の時に
                      ビニールまで被って、コンサートを聴いている聴衆にこそ
                      主催者は感謝すべきじゃないの?

                      ウィーン・フィルさまさまが演奏なさってくれるから感謝で
                      聴衆は畏まって、雨の中をウィーン・フィルさまさまの演奏を聞けってか??

                      ちょっと私の怒りが爆発していたので
                      冷静に演奏を聴いていられるような精神状態ではなかったのだが

                      ホールだったらともかくとして
                      ウィーン・フィルって、別にものすごく巧いオーケストラじゃないじゃん。
                      (これ言うと、夜道でぐっさりかも・・・)

                      アンサンブル揃ってないし
                      アインザッツが時々ずれるし
                      楽器のソロだって
                      他のオーケストラに比べて
                      名人がうおおおおおっ、というソロを聴かせてくれるワケでもないし。

                      唯一、第2楽章の最後のあたりの
                      弦楽の室内楽的な部分は、さすがに美しかったが。

                      22時から雨とか言った(とブッフビンダーが主張していた)予報官は
                      無能だったらしい(断言しちゃう)

                      最終楽章の途中から大雨になった。

                      ビニールは被っているから濡れはしないけれど
                      ビニールに当たる雨音が、かなりスゴイ。

                      雨のバラバラバラという音と
                      ビニールのレインコートのガサガサ音を背景に
                      クラシック音楽を聴くのが趣味という人が居たら
                      お目にかかりたいものだ。

                      グラーフェネックの最終日のコンサートは
                      そんなワケで、最悪も最悪
                      これで良く聴衆が我慢するな、とマジに思った。
                      (私は怒り心頭に発していたが)

                      こういう事をされるんだったら
                      来年からもう行かないよ?(本気)

                      ここ数日、車で到着する時に
                      地元の人たちが
                      「騒音反対、車の音反対」というデモをやっている。
                      周囲何キロにもわたって、お城以外に建物は何もないし
                      このお城でコンサートをする事による
                      低地オーストリア州への経済効果は非常に大きいと思うのだが
                      (お城内部には、地元のワインを集めたヴィノテークもある)

                      騒音(どこで聴こえるの?)反対の人たちは
                      この音楽祭がなくなった事による
                      低地オーストリア州の税収の減少については
                      自分たちでそれを補う代案はあるんでしょうね?
                      (ほとんど八つ当たり・・・)

                      あまりのひどい状況でのコンサートと
                      雨とビニールの雑音で意識を持っていかれたにしても
                      正直、演奏の水準として満足の行くものではなかったし
                      あんな大雨と寒さの中で
                      音楽を聴かされる、というのは

                      全 く 楽 し く な い ! ! ! !

                      とりあえず、今年のグラーフェネックは終わった。
                      週末ごとに往復140キロのドライブをする必要もなくなった。

                      来年、行くかどうかは未定。
                      今日はブッフビンダーの発言に
                      かなり怒っているので
                      冷静になれない私に
                      どうぞ1クリックをお恵み下さい。


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