ウィーン・フィル + アンドリス・ネルソンス 2回目

Musikverein Großer Saal 2017年3月19日 11時〜13時

Wiener Philharmoniker
指揮 Andrís Nelsons
チェロ Tamás Varga

Antonín Dvořák (1841-1904)
 Konzert für Violoncello und Orchester, h-Moll, op. 104
Ludwig van Beethoven (1770-1827)
 Symphonie Nr. 6, F-Dur, op. 68, “Pastorale”

ウィーン・フィルの日曜日定期。
さすがにここ2週間、むちゃくちゃ忙しくて
しかもグループ動いていてヘトヘトなので
朝のサウナは失礼して欠席(ちゃんと連絡してある)

さて、昨日と同じプログラムである。
ヒゲをはやして
前髪の脇の方が、かなり後退して
ふくよかなネルソンスは

指揮の動きは数年前の可愛かった頃とあまり変わってない(笑)
相変わらず動きは激しいし、表情も豊か。

ドボルジャークのチェロ協奏曲。
昨日と印象変わるだろうか、と思ったんだけど

う〜ん・・・ 微妙・・・

タマーシュ・ヴァルガのチェロは
本当に品が良いのである。
マジメだし端正だし技術的にも素晴らしいし
聴いている方まで背筋が伸びてくるような演奏なんだけど

オーケストラとあまりにバランス良過ぎというか
そこまで埋もれてどうする・・・

プレイヤーの持ち味だから
それはそれで良いとは思うんだけど

コーラスやって抜群に巧い歌手が
ソロを歌うと埋もれる事があるじゃないですか。
ああいう感じ。

音量も小さいのは確かだが
それ以上に

俺サマを見ろ
俺サマが主人公だ

というアクがないというか

木管との掛け合いのところで
木管のソロの方が目立っていてどうする?!

高いアンサンブル能力と
上品な持ち味が反って邪魔をしてしまった、というところか。

後半の「田園」は
いや、ウィーン・フィルの音だよなぁ、という印象。
ネルソンス、あんまり手を加えてないだろ(たぶん)
伝統的なウィーン・フィルらしい
厚みのある音と透明な弦の音と
木管・金管の名人芸で
別に何も変わった事はしていないのに
ついつい聴かされてしまった。

こういうド・トラディショナルな演奏というのも
時々は悪くないし
ティーレマンがやったような
ベートーベンが威張って歩き回っているような
大袈裟なヘンな解釈ではなかったので
最初から最後まで、安心して
ハイリゲンシュタットの緑の中を散歩させてもらいました。

このコンサート
同じプログラムで
火曜日のソワレ(行きません、念の為)と
木曜日の楽友協会のチクルス(チケット持ってる)と
全部で4回演奏される。

オーケストラのメンバーって
飽きないんだろうか(余計なお世話)
・・・だって、田園って
一つのモチーフを、しつこく繰り返し繰り返し繰り返し(以下省略)

そう言えば、今回
久し振りにベーレンライターのスコアを持ち込んだんだけど
最初のページに

PASTORAL-SINFONIE
oder
Erinnerung an das Landleben
(mehr Ausdruck der Empfindung als Malerei)

と書いてあって
最後の一行に大笑いしてしまった。
(絵画より印象的だぞ〜、と大声で主張している)

最近、ベートーベンの交響曲が大流行りで
ウィーン交響楽団だけじゃなくて
他の客演オーケストラもベートーベンを演奏するのだが

まぁ、それは別の話(笑)
イヤでも読者はそのうち
ワタシの個人的ド・シロート印象記を
読まされるハメになるでしょう、うっふっふ。

そんなワケで(よくわからんが)
本日もどうぞ1クリックをお恵み下さい。



実はダブルヘッダーで
午後もコンサートに行ったのだが
来週は木曜日までコンサート行きがないので
ちょっとケチして、明日、アップします(笑)

ウィーン・フィル + アンドリス・ネルソンス 1回目

Musikverein Großer Saal 2017年3月18日 15時30分〜17時30分

Wiener Philharmoniker
指揮 Andrís Nelsons
チェロ Tamás Varga

Antonín Dvořák (1841-1904)
 Konzert für Violoncello und Orchester, h-Moll, op. 104
Ludwig van Beethoven (1770-1827)
 Symphonie Nr. 6, F-Dur, op. 68, “Pastorale”

雨は降ってるし強風だし(傘が全く役に立たない)
あんまり関係ないけど
朝からチケット取り(自分のです)やって
その後寝ようと思っていたら

変更依頼の電話がかかって来たり
スーパーに1週間分の食料を買いに出たら
また別グループから変更依頼が入って来たり

洗濯機のスイッチ入れて掃除しようとしたら
忘れ物の電話がかかって来たり
(Kさん、アナタの事です(爆笑)
 でもドライバーがチェックしなかったのが悪い!)

いや、そういうのはこの業界では日常茶飯事と言って
緊急事態とは言わない(笑)
事故とかホテルとのトラブルとか
航空会社のストライキとか
アイスランドの火山の爆発で飛行機飛べないとか言うのと比べたら
全然大丈夫 ♡
それに、こういうバタバタとも
あと70日弱でオサラバかと思うと
最後のご奉公だから、全然気にならない 🎵

さてウィーン・フィルの定期公演。
ウィーン・フィルのメンバーがソリストになって
協奏曲を演奏する、という、時々あるパターン。

有名なソリスト呼んで来てギャラを払うより安上がり(爆笑)
メンバーも、自分たちの仲間を盛り立てて
自分もソリストとして演奏したい、というのがあるだろう(たぶん)

現在のところ、マジャールの血が優勢な
ウィーン・フィルのチェロ部門。
今回はタマーシュ・ヴァルガさんがソリスト。

え〜っと・・・
ワタシ、ド・シロウトですし
弦楽器、全然わからないから
私の印象を、皆さま、信じてはいけません(断言)

ドボルジャークのチェロ協奏曲って
割に元気の良い曲なんですよね。

指揮台には、ヒゲをはやして
ますますふくよかになった
ものすごく元気なネルソンスが立って

序奏の部分で、もう、音が大きい。
トゥッティでウィーン・フィルの音で団子になってる。

そこにヴァルガさんのチェロが入ってくると
う〜ん、ちょっと音量が足りないと言うか
控え目で、しとやかで
マジメで端正で
実に品のある、美しいソロなんだけど

ネルソンス率いるオーケストラのワイルドさから
何か浮いてる(涙)
オーケストラがソリストを苛めてるみたいな気分になって
何か、ちょっと。
いや、そういう被虐性がまた良いの、という意見もあろうが
元気一杯、いつもワイルド、というネルソンスとは
音楽的にあまり合わないような気がする。

アンコールはバッハの無伴奏チェロ組曲3番からジーグ。
うっふっふ、プロの友人が居ると
すぐに教えてもらえる ♡

これも実に品のある素晴らしい演奏。
ヴァルガさんならではの持ち味という感じ。

明日の日曜日定期で印象がまた変わるだろうか。
ネルソンス、そんなにオーケストラ鳴らさんで良いから(笑)

後半のベートーベン
交響曲6番「田園」
私の好みとしては、あまり好きな曲ではないので
(だってモチーフの繰り返し以外、何もないじゃないか)
スコア持ってにらめっこ。

あっ、第一楽章の繰り返し省略 😓
最初の弦のトゥッティが
ウィーン・フィルらしい弦の厚みがあって
すごく良かったので、リピートでもう一度聴けると思っていたら
肩すかしされた、ちっ。

さすがにこういう曲は手慣れてるなぁ。
ついつい視覚に釣られてしまうけれど
ウィーン・フィルらしい響きが魅力的で
別に目新しさとかはないのだが
ついつい、聴き惚れてしまう。

小川のほとりは、スコア見てると
かなり複雑なリズム設定なんだなぁ、としみじみ思った。
自分がついて行けなかったのだが
ちょっとリズム的にボロっとなりそうになった(ように聴こえた)ところも
次の小節でキレイに揃えたし
さすが超一流のプロオケって、辻褄合わせが見事。

嵐の部分の描写って
本当にウィーンの天気そのもの。
あれは、こちらに暮らしていると
モロにわかるんだよね。
ポツポツ来て、どっか〜んと来て
ベートーベンの時代にも
こういう天候だったんだなぁ、と思うと
感慨深いし

それをまたむちゃくちゃリアルに描いた
ベートーベンの手腕って凄いと思う。

最終楽章の第一バイオリンのメロディ
まるで1台のソロみたいに
完璧なアンサンブルで入って来たのには
度肝を抜かれた。

こういうところ、さすがウィーン・フィルだと思う。

ネルソンスは今度は無理なオーケストラの鳴らし方をせず
楽友協会のホールに程よく豊かに響く音量で
(オーケストラが自主的にやっていたのかも(笑))
木管・金管もソロも柔らかに響いて
ああああ、これぞベートーベンの田園 ♡

外の天気がもう少し良ければ
ああ、春が来た、とかはしゃいでいるのだが。
(月曜日って春分だよね? 何でこんな強風と雨が・・・)

春分に引っ掛けたのかもしれないけれど
これから夜の部。
同じ「田園」を
今度はウィーン交響楽団とフィリップ・ジョルダンで
コンツェルトハウスで聴いて来ます ♡

明日11時からは
楽友協会でウィーン・フィル
コンツェルトハウスでウィーン交響楽団が
同じベートーベンの6番を演奏するので
本当は両方聴きたいけれど、残念ながら身体は一つ(笑)

バタバタした土曜日だけど
コンサートに行けるって、すごく幸せ ♡ という
単純なワタクシに
どうぞ1クリックをお恵み下さい。



カッコーの3度の鳴き声って
最終楽章でも出現するの、初めて気がついた(アホ)




ウィーン・フィル + フランツ・ヴェルザー=メスト 2回目

Musikverein Großer Saal 2017年2月19日 11時〜13時

Wiener Philharmoniker
指揮 Franz Welser-Möst

Franz Schubert (1797-1828)
 Ouvertüre zum Zauberspiel “Die Zauberharfe”, D 644
René Staar (*1951)
 Time recycling, op. 22n
Richard Strauss (1864-1949)
 Ein Heldenleben. Tondichtung für großes Orchester, op. 40

基本的に昨日と同じなので
あまり書く事はないのだが

英雄の生涯、ちょっと感激してしまった 😓

音は相変わらずデカい(笑)
ニューヨーク仕様なら仕方ないと思うけれど
楽友協会であんなに鳴らしたら
まるでショスタコーヴィッチ状態。
かなりウルサイ・・・まぁ、仕方ないか。

ただ、コンサート・マスターのシュトイデさんのソロが
もう、感涙モノの絶妙さ。
最初のしとやかに見えるところから
かなりの気の強さを表現するところ
最後のお歳を召したところのパウリーネのソロが
また、とても落ち着いた上品な印象になっていて

よって、最後のシーンの昇天的な天国的なところが
何故かジ〜ンと胸に響いて来てしまった。

昨日書いた通り
決して同感するような曲ではないのだけれど
最後のあまりの美しさに呆然とした。

音は大きくても
やっぱりウィーン・フィルだなぁ・・・

タイム・リサイクリングについては
ノーコメント。
何回聴いても、その度に印象が違うという
何となく不思議な曲ではある。
その時の体調によるのかもしれない(あ、逃げた(笑))
(ただ、この曲の弦の使い方、私は好きだ。
 さすが、バイオリニストの曲だと思う)

今日の記事が何でこんなに短いかと言うと
ちょっとコンサートの後
オフィスに仕事しに来てるんです(冷汗)
久し振りだな、休日出勤(汗)

月曜日にもたっぷり仕事は残っているけれど
もう、これ以上、仕事したくないので
さっさとタイム・カードを押して
グッタリして

これから国立オペラ座に向かう私に
どうぞ1クリックをお恵み下さい。


ウィーン・フィル + フランツ・ヴェルザー=メスト 1回目

Musikverein Großer Saal 2017年2月18日 15時30分〜17時30分

Wiener Philharmoniker
指揮 Franz Welser-Möst

Franz Schubert (1797-1828)
 Ouvertüre zum Zauberspiel “Die Zauberharfe”, D 644
René Staar (*1951)
 Time recycling, op. 22n
Richard Strauss (1864-1949)
 Ein Heldenleben. Tondichtung für großes Orchester, op. 40

この間は楽友協会主催のコンサートで
今回はウィーン・フィルの定期。
プログラムは今日と明日は一緒だが
この間とは全く違う。

来週のソワレはまた違うプログラムなので
何でこんなに違うプログラムを用意するんだろう?と思ったら

ウィーン・フィルはこの後、アメリカ合衆国に演奏旅行。
ニューヨークで3回のコンサートを含む
全部で6回のコンサートを予定しているようだ。

今回のフランツ・ヴェルザー=メストの指揮のコンサート
この間もそうだったけれど
全体的にいつもより音量が大きいのは
ニューヨーク仕様だからですか?(笑)

シューベルトは
まぁ、いつ聴いてもシューベルト。

音量が不要に大きい部分を別として
中くらいの音量だと
やっぱりウィーン・フィルの優雅さが際立つ。

ルネ・スタールのタイム・リサイクリング。
ウィーン・フィルのスタンダード・ナンバーにしようと
ひたすら演奏しているような曲だなぁ。
(作曲者のルネ・スタールはウィーン・フィルのバイオリン・メンバー)

アタッカで続く4楽章は
Déja vu
Perpetua mobilia
Memories
Global Village
と名付けられている。

最初の2つの章は
如何にも「現代音楽」という響きなのだが
クラスターではない不協和音であっても
かなり透明感があって
私、こういうの嫌いじゃない。

Memories の部分は
名曲のコラージュの印象。
ちょっと聞き覚えのあるようなフレーズが
浮かんだり消えたり。

目を瞑って聴いていたら
バレエの音楽にもなりそうな感じ。
ここでソロ、こちらで群舞で
ここでダンサーが登場して・・・とか
ついつい考えてしまうのは
きっと寝落ちしていたんだろう、たぶん(こらっ!)

最後の Global Village は
私の席からは見えないけれど
各楽器のソロを、メンバーが立って演奏するらしい。
ジャズっぽいメロディてんこ盛りのトナールな曲。

最初に(たしか)グラーフェネックで聴いた時には
「最後がなかったらつまらん」と周囲の人が言っていたが
聴覚と視覚に訴える(はずの)最終楽章は
ウケ狙いとしか・・・あ、いえいえいえ(汗)

後半の「英雄の生涯」
スタンダード・ナンバーで
私はあまり好きじゃないのに
何回も何回も何回も聴かされている曲。

好きじゃない理由を列記してみると

誇大妄想的(あんたナニサマ?って感じ(笑))
他人のラブストーリーを延々と聞かされる
バイキンのメロディが不愉快
で、バイキンとの戦いが大袈裟
老年になってからの病気のところの痛みが異様にリアル
死ぬ、死ぬ、と喚きながら、なかなか死なない

・・・まぁ、あんまり「音楽」とは関係ないか(笑)

でも、これ、オーケストラで奏でるオペラみたいなものだろう。
ライトモチーフの使い方
オーケストレーションの妙味から言えば
実に魅力的な曲ではある。

アメリカン仕様か
ニューヨーク・フィルに負けてたまるか、という気概か
またもや大音響で金管の咆哮炸裂。

かなりウルサイけれど
輝くようなキラキラの音色でのテーマの提示は
誇大妄想狂の醍醐味であろう(書いててワケわからん)

この曲の始まる前の幕間で
フルートだかピッコロだかが
必死になってバイキンのテーマを
何回も何回も何回も練習していて
(あっ、すみません、バイキンじゃなくて
 敵=評論家なんだけど、私にはバイキンにしか聞こえない)

それでなくても神経に障るモチーフなのに
あれを何回も聴かされると、かなりイライラ。

練習の甲斐があってか
ますます神経に障る甲高い声での
バイキン、いや、敵=評論家のテーマは
うるさいの何の
本当に憎々しいばかり。

そして(興味ない他人の)ラブ・ストーリー。

コンサート・マスター、シュトイデさんのバイオリンが
あああああ、絶品 ♡♡♡

ヴェルザー=メストは速めテンポで
タメなしにグイグイ押してくるところを
シュトイデさんのソロは
英雄をイライラさせるように
ほんの少し長めの逡巡を
気を持たせるように繰り返す。

ここは
指揮者=英雄テーマと
コンサート・マスター=パウリーネの
見事な対決になっていて
実にドラマチック。

生涯の最後の方に出てくる
パウリーネのテーマは
がらっと音色を変えて
かなり良い感じの歳の取り方。
(う〜ん、さすがのシュトイデさんのソロである)

病気の時の痛みや死まで含めて
曲の好き嫌いはともかくとして
何とも見事に「語って」くれた。

別に感動してうち震えて、という曲ではないので
(そうなのかもしれないが感受性ゼロなので)
これだけ楽しく語って聴かせてくれれば
かなり満足 😀

ウィーン・フィルとは思えない音量だが
明日ももう1回、同じプログラムを聴くと思うと
ちょっとウキウキしている私に
どうぞ1クリックをお恵み下さい。


ウィーン・フィル + フランツ・ヴェルザー=メスト

Musikverein Großer Saal 2017年2月16日 19時30分〜21時30分

Wiener Philharmoniker
指揮 Franz Welser-Möst
ピアノ Rudolf Buchbinder

Johannes Brahms (1833-1897)
 Konzert für Klavier und Orchester Nr. 1 d-Moll, op. 15
Franz Schubert (1797-1828)
 Symphonie Nr. 7 h-Moll, D 759 “Unvollendete|
Béla Bartók (1881-1945)
 Der wunderbare Mandarin, Konzertsuite, op. 19

お久し振りの楽友協会。
最近、コンツェルトハウスに入り浸りなので
楽友協会の音響に耳慣れしていない。

このコンサートはピアニストのルドルフ・ブッフビンダーのチクルス。
発売初日に入ったけれど
あまり良い席(安くてまぁ、アレな席(笑))は既に売り切れ。
コンサートの1週間以上前から
コンサートのポスターに「売り切れ」と貼ってあった。

そういうコンサートで何が有り難いかと言うと
写真だけ撮りに入って来る観光客が少ないこと。

ブッフビンダーは、ジモッティには大人気だし
ウィーン・フィルというブランドは
観光客には圧倒的な魅力だから
少なくともマジメに音楽を聴こうという人が会場を埋め尽くす。

で、どうなるかと言うと
会場が静か ♡♡♡

多少の咳払いとかはあるけれど
普段に比べたら、本当に雑音が少ない ☺️

私としては、別にフランツ・ヴェルザー=メスト見る気ないし
ブッフビンダーも別に見なくても全然構わないので
雑音が少ないと、聴覚だけに集中できる。バンザイ。

ブラームスのピアノ協奏曲1番。
これ、ブッフビンダーはお得意の曲だし
ワタクシ的には有名な第2番より好きなんだけど

あれっ???
トゥッティで弦がメロディを描く最初の出だしが
・・・何か乱暴というか、荒いというか
アンサンブル揃ってるから
ますます弦の高音がヒステリックな叫びに聴こえてくる。

こんなワイルドな弦の音
ウィーン・フィルで聴いたことないぞ・・・

え〜っと、繰り返して書いておきますが
私のこのブログは
あくまでも、音楽ド素人の「個人的印象記」であって
営業妨害でも、何かをバカにするとか
音楽批評をするとか、そういう意図は一切ございません(断言)

確かにあのワイルドな第1テーマの弦は
しっかりとメロディを刻んでいるのだが
(以前パーカッションばっかり聴こえて弦が埋もれたケースあり)
すごい音量で、無理やりにガリガリ弾いている感じ。

ウィーン・フィルがガリガリ演奏しても
全然面白くない(すみません)

ブッフビンダーのピアノのタッチは非常に強いので
そこまでオーケストラが咆哮しても
全く埋もれずに聴こえてきて、これも驚愕だが。
骨組みの太い、堂々とした
如何にもゲルマン系という印象を醸し出すピアノで
やっぱりブッフビンダーって
ベートーベンとかブラームスとかだと
ある意味、無敵だと思う。

しかし、こんな荒々しい演奏・・・
いや、若き日のブラームスが
クララに抱く、やるせない慕情とその熱情を爆発させていると考えると
それが正しいのだろうが
老年に入った私には、ちとこの熱情は気恥ずかしい(すみません)

ただ、第2楽章は緩徐楽章なので
これが美しかった・・・

この楽章の後半にピアノのトリルがあるじゃないですか。
あの部分、むちゃくちゃ好きなんだけど
あの音が重なって来るところで
背中ゾクゾクして
羽が生えて、ちょっと天井まで飛んじゃって
何かもう、正にイっちゃった、という体感的快感 ♡

ブラームスは確かにメロディ・メーカーではないのだけれど
あの音の重なりの厚みって(まぁ、ベートーベンもだが)
時々、ストライクで体感的快感に結びつく。
(ええ、どうせ音響オタクでヘン○イです)

後半がシューベルトの未完成交響曲に
バルトークの中国の不思議な役人って
いったい、どういうプログラム構成なんだか
さっぱりわからんが

シューベルトの未完成。
指揮者によっては、すごいピアニッシモで始める曲だが
最初からピアニッシモというよりピアノで
普通に聴こえる音量。

淡々とした透明感のあるシューベルトで
伝統的とかウィーン的と言うより
もっとモダンなガラス張りの近代建築でも見ているような雰囲気。

ウィーンっぽいウエットな感じを徹底的に排除しました
・・・っていうところかなぁ。個人の勝手な印象だが。

この交響曲、やっぱり本当に「未完成」だよねぇ。
第2楽章が終わった後に拍手するのを逡巡するような
何だか中途半端な感じがスゴイ。
色々な演奏を聴いて来たけれど
あまり好きになれない曲ではある。

最後がバルトークの中国の不思議な役人。
(だから、プログラムの組み方が何かヘン)

これも、かなりの音量でガリガリ演奏したけれど
これは鋭くガリガリやって正解の曲。

細かい部分の透明感と解像度が抜群。
シューベルトでガラス構築された近代建築を見たかと思ったら
バルトークでは、ガラスをガリガリ引っ掻いて
鉄の棒で叩き壊して、ガラスを割って
そのガラスの輝きを表現しているような印象。

ウィーン・フィルのあの温かい音色はいったい何処に?
徹底的に冷血、徹底的に客観的で
かなり暴力的(笑)

まぁ、あの曲そのものが暴力的な曲だし。
あまりエロチックなところはなかったけれど
スピード感と大音響と
細かい部分の解像度で、バッチリ決めた印象。

あの曲で、体感的な快感を感じたら
これはかなりヤバイ症状だと思うので
すごいな〜、というだけにとどめよう(笑)

ウィーン・フィルとヴェルザー=メストのコンサートは
今週末に定期公演があるのだが
こちらは全然違うプログラムで
ロザムンデとルネ・スタールの曲と英雄の生涯。

来週のソワレは
シェーンベルクの浄夜とシューベルトの交響曲8番
(これは行きません。ウィーン交響楽団の方に行きます(笑))

普通ウィーン・フィルって
同じプログラムで何回もコンサートするのに
何で今回は、こんなに違うプログラムで登場するんだろう?
(リハーサルの時間、ほとんど取れないだろうに・・・???)

プロってスゴイな、と
やっぱり感心してしまう、ド・シロートの私に
どうぞ1クリックをお恵み下さい。



余計なことだけど
フランツ・ヴェルザー=メストって
クリーブランドと来るとスゴイと思うんだけど
それ以外で、あんまりきゃ〜っ、とはならないんですよね。
昔の、野心が滴り落ちるような演奏のイメージが強いのかもしれない。

ウィーン・フィル + セミヨン・ビシュコフ 2回目

Musikverein Großer Saal 2017月1月15日 11時〜12時30分

Wiener Philharmoniker
指揮 Semyon Bychokov
バリトン Johan Reuter

Johannes Brahms (1833-1897)
Detlev Glanert (*1960)
 Vier Präludien und Ernste Gesänge für Bassbariton und Orchester
 nach dem Vier Ernsten Gesängen von Johannes Brahms (op. 121)
 instrumentiert von Detlev Glanert

Gustav Mahler (1860-1911)
 Symphonie Nr. 1, D-Dur

日曜日は買物できないし
早朝サウナは失礼して(寝不足で倒れそうだし)
11時からのコンサート。

やっとクルレンツィス・コパンチスカヤ症候群から
多少回復して来たみたいで
比較的マトモな耳になって来たような気がする。

昨日の夜中に
やばい、ちょっとブラームスの、4つの厳粛な歌のオリジナルを
聴いておかないと、と思い立って
様々な歌手によるものを10回くらい聴き込んでから

このオーケストラ水増しバージョンに挑む(笑)

最初のプレリュードは
コガネムシのテーマで
第1曲に繋ぐのに違和感はない。

バリトン、美声だわ ♡
でも、相変わらずドイツ語の語尾がハッキリしなくて
何を歌っているのか、時々わからなくなるけれど

オーケストラもかなりの音量で演奏する事があるし
あの音の壁を突き破ってのバリトンだから
ピアノ伴奏での細かいニュアンスが潰れるのは
避けられないのかもしれない。

次のプレリュードと、その次は
いわゆる「死の舞踏」の伝統に則ったもの。
かなり激しいリズムのトナールの曲で
独立したものとして聴いてみれば
新しいモノ、という訳ではないけれど
それはそれなりに音楽として成立しているような感じ。

ただ、このブラームスの曲って
最初の3曲は死ぬ死ぬ死ぬ、とむちゃくちゃ暗くなって
最後の曲の、信仰 愛 希望 の部分と
愛が最も重要というコリント人への第一の手紙の部分が
ワタクシ的には最も重要に聴こえるのだが
(色々と解釈はあろうが)

この部分があまり印象的になっていなくて
更に、付け足したようにオーケストラの後奏が続いて
まぁ、弦の下敷きに木管のソロがあったり
天国的なものを出そうとしたのはよくわかるんだけど
どうも弱々しいというか

作曲した人、あんまり死後の世界とか
死による解放とか、考えた事、ないよね?(いや失礼)

この間、一休禅師の残した句で

いま死んだ
どこにも行かぬ
ここにおる

尋ねはするな
ものは言わぬぞ

というのを見つけて
ああ、これって日本人の死生観かなぁ、と思ったばかりなので
ひたすら厳粛でマジメでキリスト教死生観とは
文化的に合わないのだ。すみませんね。

さて、後半のマーラーの交響曲1番。

ううううう
完璧な演奏、というものがあるとすれば
その最も理想的な型の一つかもしれない。

透明感のある解像度に完璧なバランス
弦の芳醇な響きに、輝く金管と巧みな木管。

いやカッコーが1回だけ
4度じゃなくて5度で鳴いた時には仰け反ったが

あまりに完璧な演奏で
(技術のみならず、音色、リズムその他すべて含めて)
ちょっともうやだ、これあり?

こういう演奏に出会ってしまうと
ツッコミどころがないじゃないの(それかいっ!)

どういう演奏だよ?と思われた方は
これオーストリア国営ラジオ放送第1番で
ライブ放送していた筈なので
あと1週間はインターネットで聴けると思う。

名演と言ってしまって良いと思う。
なんかもう、その完璧さの前に
お代官さま、参りました、と土下座したくなる気分。

ウィーン・フィルって
時々、こういう事を平気でやるからな。
怖いオーケストラである。

やっとマーラーを聴けるような気分になったとたん
こんな超弩級の演奏を聴けるなんて
やっぱり幸せだわ、と思ってしまった私に
どうぞ1クリックをお恵み下さい。


ウィーン・フィル + セミヨン・ビシュコフ 1回目

Musikverein Großer Saal 2017月1月14日 15時30分〜17時30分

Wiener Philharmoniker
指揮 Semyon Bychokov
バリトン Johan Reuter

Johannes Brahms (1833-1897)
Detlev Glanert (*1960)
 Vier Präludien und Ernste Gesänge für Bassbariton und Orchester
 nach dem Vier Ernsten Gesängen von Johannes Brahms (op. 121)
 instrumentiert von Detlev Glanert

Gustav Mahler (1860-1911)
 Symphonie Nr. 1, D-Dur

ウィーン・フィルの定期公演。
プログラムの最初は、これいったい何?という
ブラームスの Vier ernste Gesänge に
オーケストラの間奏曲を付けて
オーケストラ伴奏で演奏しちゃおうという曲。

・・・(悩)

現代音楽ではなくて
非常に伝統的なトナールの曲で
ブラームスのあの1曲目の
コガネムシは金持ちだ(としか聞こえないです、これ)が聴こえてきても
あまり違和感はないのだが

まぁ、この曲、予習して来なかった私も悪い。
あ、いや、ブラームスの原曲の方だが
何回か聴いた事はあるものの
記憶力ゼロの私の海馬にも大脳新皮質にも存在していない(汗)
(覚えているのはコガネムシは金持ちだ、だけである)

しかし、このブラームスの曲をオーケストラ伴奏にしたのは良いとして
その前後に、こんな伝統的なオーケストラの小曲を挟む必要はあるのか?
いや、あるんだろうな、作曲家としては。

作曲家自身の話では(プログラム記載)
感情を呼び起こすためのオーケストラ間奏曲なのだそうだが
ブラームスのこのリートって
別にオーケストラの間奏曲入ってなくても
かなり感情にグサグサ来ますが。

バリトンの声は美しい。
倍音たっぷりの美声なんだけど
あんまりドイツ語がクリアじゃなくて
まぁ、オーケストラ伴奏だから
多少なりとも音量上げる必要があって
割に平坦に響いたところはある。

(すみません、やっぱりワタクシ的には
 ドイツ・リートはドイツ語がクリアに響く事が条件なので)

明日もう一回聴くチャンスがあるから
また感想変わるかもしれないが。

後半はマーラーの交響曲1番。
ここ数年、マーラーと言えば1番か4番か5番(笑)
(いつぞやは、続けてずっと6番ばっかりという年もあったが)
まぁ、編成上もマーラーの1番は比較的演奏しやすい曲だし。

で、これは私の体調とか気分のせいなのだが
今、ちょっとマーラーを聴くコンディションがない。

ここ2日のクルレンツィスにあたったという理由もあるだろうが。

オーケストラ、むちゃくちゃ巧いです。
(まぁ、ウィーン・フィルだし
 いくら初演をマーラーに頼まれて断ったオーケストラとは言え(笑))

マーラーがこの曲を書いた時って
この楽友協会でのウィーン・フィルの響きが頭にあったんだろうな、と
ストンと落ちるような演奏で
ある意味、整い過ぎというか
いや、すごい、すごいと思うけれど

それは私の大脳新皮質に内蔵されている演奏と
ほとんど違わなかったというだけで

巧いなぁ、とは思うけれど
宇宙の広がりとか
何か脳を掴まれてかき回されるような感じは一切なくて
ああ、ウィーン・フィルってやっぱり巧いんだわ
・・・と思ってしまったのは
私のコンディションが整っていなかったからで

コンサート聴きながら
これ終わったらスーパーマーケットに駆けって行って
ミルクとパンとバターは買わなくちゃ、とか思っていて
やっぱりそういう日常状態でマーラーというのは
ちょっと世界が違うので(すみません)

明日は買物の出来ない日曜日なので
ちょっとマーラーの世界に入れるかも・・と思いつつ
スーパーマーケットに走った私に
どうぞ1クリックをお恵み下さい。



すみません、感受性ないから
時々、こういうふざけた記事になります(冷汗)

ウィーン・フィル + ダニエル・バレンボイム 2回目

Musikverein Großer Saal 2016年12月18日 11時〜12時30分

Wiener Philharmoniker
指揮 Daniel Barenboim

Bedřich Smetana (1824-1884)
Mein Vaterland. Sechs Symphonische Dichtungen
1. Vyšehrad
2. Die Moldau
3. Šárka
4. Aus Böhmens Hain und Flur
5. Tábor
6. Blaník

さて困った。
2回目なのだが
やっぱり巧いというか

かなり大音響でオーケストラは鳴るのだけれど
それがうるさいと感じられないのは
スメタナ時代の音が
楽友協会の音響に合っているのか
ウィーン・フィルの自浄作用なのか
バレンボイムの腕なのかは判断がつかない。

たぶん、全部、合わせて理由になっているんだろうなぁ。

昨日聴いた時よりは
印象がワイルドになっていて
(やけっぱち?)
ノーブル・エレガントより
エネルギッシュ・ワイルドが目立つ印象。

いや何かって
モルダウの最後の消え入るような部分で
盛大になった携帯電話のベル。

ありゃ〜っ、と思ったら
モルダウの後の観客のザワザワが
全く静まっていないのに指揮棒を振り上げたバレンボイム。

ウィーン・フィルはもともと
国立オペラ座管弦楽団だから
拍手が鳴り止まない状態
ないしは間違った拍手が会場に広まった状態でも
オーケストラの音が全く聴こえないケースだって
指揮者の棒に従って演奏を始めてしまうのは
得意中の得意(だと思う。よくあるからそういうケース)

指揮者の怒りを反映するような
ドラマチックで復讐の怒りに燃えたサルカが
ちょっとコワイくらいの迫力。

ところで音楽はともかくとして
昨日も今日も
楽友協会の舞台を照らすランプが
あちこちにあって

ああ、これ、収録してるわ。

オーストリア国営ラジオ放送でライブやってるかと思ったら
今日のマチネはライブじゃなくて
10月のベルリン・フィルを放送していた模様。

・・・という事は
この演奏、もしかしたら DVD か CD になるとか?
(しかもプラハの春のオープニング・コンサートの時に
 売るつもりだったら、すごい商売熱心。
 オーストリアの団体とは思えない)

いや、ツィッターで
fidelio でのライブ放映と出ていたから
そちらでビジネスしてるな・・・
(ザワザワが収まらないのに演奏が始まったのは
 そちらの放映時間の関係もあるのかもしれない
 とか、ついつい邪推してしまう根性悪のワタシ)

スメタナの我が祖国の内容に関しては
ウィーン・フィルのプログラムに
かなり詳しい解説があるので

後でゆっくり読んで
時間のある時に、もう一度、全曲を聴いてみよう。

でも、こういう曲をウィーン・フィルで聴けるというのも
すごく幸せな事ではある ♡

半分寝てましたが(自爆)
言い訳=立って指揮者見ながら聴こうかと思っていたのだが
1時間半立っているのも体力的に・・・
(こらっ、指揮者は平気で立って動いてるぞ、って
 身体の鍛え方が違うわ。
 こちらは1日9時間、コンピュータ前で座りっぱなしの毎日)

さて、これにて今年のウィーン・フィルの定期公演は終わり。
一部の同じオーケストラ・メンバーで
オーケストラ・ピットからの演奏を聴くのは
来週の末から年末にかけて

うっふっふっふっふ
バレエのライモンダ
今のところ全公演のチケットを押さえてある
(はずだ、見逃しがなければだが)

今や、オーケストラ・コンサートのライブ公演だの
バレエのライブ公演だの
フィデリオからメディチからアマゾン・プライムや ITune に至るまで
ともかく自宅で何でも観られるという
エンターテイメントの飽和状態の中で

やっぱりナマが一番、と思っている
アナログ人間の私に
どうぞ1クリックをお恵み下さい。


ウィーン・フィル + ダニエル・バレンボイム 1回目

Musikverein Großer Saal 2016年12月17日 15時30分〜17時

Wiener Philharmoniker
指揮 Daniel Barenboim

Bedřich Smetana (1824-1884)
Mein Vaterland. Sechs Symphonische Dichtungen
1. Vyšehrad
2. Die Moldau
3. Šárka
4. Aus Böhmens Hain und Flur
5. Tábor
6. Blaník

何でまたこの時期に
スメタナの「我が祖国」しかも全曲?と思っていたら
来年5月のプラハの春音楽祭のオープニング・コンサートが
やっぱりウィーン・フィル+ダニエル・バレンボイム。

あぁ、リハーサルか(いやそれはわからん)
もし同じメンバーで来年5月プラハで演奏するなら
コンサート・マスターはシュトイデさん
隣にブルーメンシャイン
チェロには日本にも良く行くノイジさんがいて
フルートにはシュッツがいる。

舞台見えない席なので
それ以上はわかりません(無責任)

さて、このクリームさんの
(註 ご存知とは思うが
   スメタナはチェコ語でクリームの事である)
愛国心満々のドラマチックな曲は

モルダウだけが有名で
(しかもライト・ミュージック的に演奏される事も多くて)
後の5曲は、まず滅多に演奏されないし
されるとしても、その中から数曲。

だってだってだって
申し訳ないけど
やっぱりこの曲、むちゃくちゃシツコイです(すみません)

暑苦しいしドラマチックだし
チェコの歴史とか景色とか知らないと
全然わからないし
ここで終わりか、と思うとまだ続いて
時々、こら〜、あんたはブルックナーか
とか、叫びたくなる。

いやしかし
そういうシツコイ曲なのに

言ったらアレだけど
ウィーン・フィルって、やっぱり巧いんだよなぁ・・・

あの弦の柔らかさと
絶対にある限界の音量を越えず
どんなにフォルティッシモになっても
楽友協会の音響にピッタリ嵌る。

その上、この曲、金管・木管のソロが多いのだが
このソロが、もうともかく素晴らしい ♡

ソロが次々に違う楽器に
この上なく丁寧に、愛情を持って渡されていったり
一つのソロ楽器に寄り添うように
他のソロ楽器が同じメロディを奏でたりするところって
ちょっと背筋がゾクゾクする程に魅力的。

全部で1時間を優に越える曲で
数日前に、こりゃイカン、ちょっと予習せねば、と
慌てて半分寝ながら聴いた
ノイマンとチェコ・フィルの演奏に比べると

ものすごく洗練されていて、ビックリする。
これがウィーンと言う貴族の都市に洗われたスメタナか。
って勝手に納得できてしまう程に
泥臭さが完全に抜け落ちて
ドラマチックなんだけどノーブル。

バレンボイムがヘンに熱くならず
(充分に熱いんだけど(笑))
オーケストラのバランスを見事に抑制していた。

だからオーケストラの音響の
不要な厚みがなくて
かと言って劇的な部分はちゃんと残した上で

ソロでラブストーリーとか聴かせてくれるんだもんなぁ。
いや、参ったなこれ。

チェコっぽいところは全くないのだが
それだけに、チェコの歴史だの何だの
知識として持っていなくても
音楽として、最初から最後まで楽しく聴けちゃうじゃないの。

楽友協会のプログラム売りの係の人が
クリスマス・カードをくれて
明日の午前中のウィーン・フィルも来るんだよね?
と聞いて来たので

今日の夜公演も
明日のマチネも
明日の午後公演も来るよ

と言ったら
苦笑いされてしまった私に
どうぞ1クリックをお恵み下さい。


ウィーン・フィル + トゥガン・ソキエフ

Wiener Konzerthaus Großer Saal 2016年12月6日 19時30分〜21時40分

Wiener Philharmoniker
ピアノ Rudolf Buchbinder
指揮 Tugan Sokhiev

Felix Mendelssohn Bartholdy (1809-1847)
 Ouverture “Die Hebriden/Fingalshöhle” op. 26 (1829-33)
Edvard Grieg (1843-1907)
 Konzert für Klavier und Orchester a-moll op. 16 (1868)
Peter Iljitsch Tschaikowsky (1840-1893)
 Symphonie Nr. 5 e-moll op. 64 (1888)

チャイコフスキーの交響曲5番祭りも
(残念ながら)本日が最後。

コンツェルトハウスのチクルスでは
前半のプログラムを変更。
メンデルスゾーンのフィンガルの洞窟
続いてエドヴァルド・グリーグのピアノ協奏曲。

聴く側としては
ベートーベンのピアノ協奏曲5番を
繰り返していただいても全然構わなかったのだが
もしかしたら演奏している方が飽きて来たのかも(笑)

コンツェルトハウスのデッドな音響で聴くと
ウィーン・フィルのイメージもかなり変わるのだが

フィンガルの洞窟、すごく良い感じ。
ソキエフの音楽は、かなり細かい部分までパートを浮き彫りにして
この曲の写実的な部分を、しっかり聴かせてくれる。

ウィーン・フィルの弦の美しさや優雅さが目立つ
というものではなかったが(ホールの音響による)
ドラマチックな表現と言う意味では
やっぱり、このオーケストラって
もとがオペラのオーケストラだよね。

グリーグのピアノ協奏曲。
この曲の出だしって
何か子供の頃に、何かのテレビかラジオ番組で
何らかの刷り込みをされているので
聴くたびに、何となく不思議なイメージが沸く曲なのだが

普通、この曲って
もっと、ピアノがガンガン弾くんじゃないでしょうか???

ブッフビンダーのピアノの音は
一つ一つがクリアに立って
オーケストラの壁を越えて
綺麗に聴こえてくるのだが

その表現が何とも・・・たおやかで
いや、変な言い方だけど
弱々しい訳じゃないし
優雅とか言う高慢な感じじゃなくて
どう表現しようかと考えると
たおやかな大和撫子になってしまう。

芯は強いのだが
表面に出て来る部分は
あくまでも繊細で
感受性の高い乙女みたいな音楽。

感受性ゼロに近いワタクシとしては
もうちょっと、メカニカルに
ガンガン強くピアノを叩いてくれた方が好みなのだが
ああ、グリーグのこの曲で
こんな表現の仕方もあったのか、と
ちょっとビックリした。

コンツェルトハウスのプログラムにも
ブッフビンダー70歳祝い、とは書いてあったのだが
ウィーン・フィルがスピーチする事も
花束を渡す事もなく
よって、アンコールもなく終わり。

さて後半のチャイコフスキー、交響曲5番。

うっ・・・・
いかん・・・・

ついついウィーン交響楽団+ドゥネーヴの演奏と比べてしまう。

出だしはソキエフの音の方が大きいなとか
ゲネラル・パウゼはドゥネーヴの方が長かったけれど
テンポの揺れや強弱はソキエフの方が揺れ幅が大きいとか

え〜い、普通はそういう事は考えずに
音楽は楽しんで感激するものなのだよ。
なのに、ついつい比べてしまうクラオタの悲しさ。

こうやって聴いてみると

ドゥネーヴ+ウィーン交響楽団の演奏の方が
ズブズブしたところがなくてトラディショナル
時々、各パートのバランスを意図的に取り過ぎるあまり
多少メロディ・ラインが消える部分があって

ソキエフ+ウィーン・フィルの演奏は
テンポの揺らしが多く、うねりの強弱の幅が大きくて
かなり癖があるのだが
メロディ・ラインは長いボーゲンで絶対に失わない。

どちらが良い、という訳ではなくて
これはもう好みの問題としか言えない。

第2楽章のホルンのソロは
コンツェルトハウスでの演奏を聴くと
ウィーン・フィルのホルニストの勝利だな。

あの遅いテンポで
ホルンの弱音をあれだけ見事に
一回も当て損ねなしに演奏したプロ根性は見上げたものだ。

続くクラリネットの首席は
最初から最後まで大活躍で、これもすごく見事。

オーボエもとても良かったのだが
ウィーン交響楽団 + ドゥネーヴの時は
ドゥネーヴがオーケストラの音量をコントロールして
オーボエのソロが響くようにしたのに対して
ソキエフはオーケストラの音量はそのままだったので
多少、トゥッティに埋もれてしまって
存在感が 50% くらい減っていた。

楽友協会ホールでは
フォルテの連続でうるさく聴こえた演奏も
さすがにコンツェルトハウスになると
大音響全く大丈夫 ♡

金管の輝くような響きが
貧民席に響き渡るとワクワクする。
多少、他のパートから金管の音量が飛び出ていた部分はあったが
あれはコンツェルトハウスの貧民席の特徴だと思う。

同じ曲を続けて聴いて
ついつい比べてしまう、という悪癖さえなければ
(だからずっと頭の中で比較ばっかりやっていて
 音楽を聴いた、という感じじゃなかったんです(涙))
すごくステキなコンサートだったのに
え〜い、ワタシのアホ・・・

まだ数日はコンサート漬けが続く私に
どうぞ1クリックをお恵み下さい。


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