魔笛 オペラじゃないオペラ @ ブルク劇場

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    2023年6月13日 20時〜22時10分

    Burgtheater

    DIE ZAUBERFLÖTE
    THE OPERA BUT NOT THE OPERA

    In einer Bearbeitung von Nils Strunk, Lukas Schrenk
    und Ensemble
    nach Wolfgang Amadeus Mozart und Emanuel Schikaneder

    タミーノ Gunther Eckes
    パパゲーノ/アントン・クラツキー=バシック Tim Werths
    パミーナ Lilith Häßle
    夜の女王 Katharina Pichler
    ザラストロ Wolfram Rupperti
    モノスタートス/パパゲーナ Annamária Láng
    3人の魔女 Lilith Häßle, Annamária Láng, Katharina Pichler

    ピアノ・ギター・ボーカル Nils Strunk
    ギター・バス・ボーカル Bernhard Moshammer/Hans Wagner
    ドラム Jörg Mikula/Teresa Müllner

    演出・音楽 Nils Strunk
    舞台 Annelise Neudecker
    衣装 Anne Buffetrille
    サウンドデザイン Alexander Nefzger
    リハーサル担当 Thomas Casteñeda
    音響 Moritz Schauer
    照明 Norbert Gottwald
    ドラマツルギー Anika Steinhoff

    モーツァルトの「魔笛」で
    オペラじゃないオペラで

    想定としては

     クラツキー・バッシックのマジック・シアターが
     破産寸前で
     楽聖モーツァルトのオペラで
     何とか金を儲けよう

    と言う事らしい(笑)

    ブルク劇場に入ったら
    客席がチカチカ光っていて
    座席の番号なんか見えない状態(笑)
    係員もよくわかっているらしく
    ちゃんと座席を示してくれる。

    場末の小屋みたいな舞台で始まって
    まるで紙芝居のような小さな舞台装置。
    アカペラ・コーラスでの序曲(爆笑)
    破産寸前の劇場支配人の挨拶の後
    タミーノが蛇に襲われて、と言う
    ストーリーは踏襲している。

    けど・・・

    いや 🤣
    ちょっと、これ、ナニ? 😆

    もちろん、モーツァルトの曲を下敷きにしているんだけど
    時々、クイーンとかジョン・レノンとポール・マッカートニーとか
    ファルコまで出て来ちゃうんですけど。
    しかも、むちゃくちゃ合ったシーンで。

    出演者は「歌手」ではない。
    マイクも装着している。
    ベルカントの発声でもないんだけど
    全然気にならないのは

    ほとんどの聴きどころのアリアが
    英語のミュージカル・ナンバーに化けている!!!

    いや、これアリかい。
    しかも、わかりやすい英語で
    マイク使用もあるけれど
    まぁ、実に巧みに英語にされていて
    もちろん、3人のミュージシャンの伴奏も
    ミュージカル・ナンバーそのもので

    あれれ、私、今、何を鑑賞してるの?
    と戸惑ってしまう。

    めちゃくちゃ可笑しいので
    隣のおじさん、笑い上戸かもしれないけど
    ものすごく笑ってる。
    って言うか、私もものすごく笑っちゃうし。

    (気絶から戻ったタミーノが
     ボヘミアン・ラプソディで「ママ〜」って🤣)

    タミーノのアリア「美しい絵姿」も英語。
    これがまた、合ってるんですよ。
    I never saw so beautiful girl とかだったと思うけど
    英語になる事で(あと伴奏のアレンジで)
    メロディを変えずに
    あんなに雰囲気が変わるとは。

    セリフはドイツ語だし
    一部のアリアもドイツ語なので
    英語・ドイツ語が混ざって
    多少、頭の中が混乱するけど(英語が苦手)

    パミーナが、パパゲーノに会って
    タミーノが絵姿に惚れて救いに来る、と話を聞いて

    「え?絵姿に恋した?
     私の内面の美はどうでも良いの?」

    と突っかかって
    パパゲーノから、タミーノが、その愛のために
    命を賭けて君のために来るんだよ
    ・・・と諭され

    「ところで、そのタミーノの絵姿、持ってる?」

    パパゲーノ呆れて
    「内面の美はどうしたんだ?」

    ・・・いや、パミーナの気持ちは
    よ〜〜〜〜くわかるよ、うん。

    さて、モーツァルトの「魔笛」と言ったら
    「夜の女王」だよね、という
    重要な役どころだが

    歌手じゃなくて、俳優さんですけどね
    キーを下げて
    低音は地声のミュージカル発声で
    (これがむちゃ迫力)
    途中で発声の仕方を変えて
    そこそこ、コロラチューラを歌っちゃうのが凄い。

    途中、わざわざ「ズル」する箇所もあって
    ここも大笑いのシーンだが。

    それに、ともかく夜の女王の存在感が圧倒的。

    出演者はみんな、歌舞伎かよ、という
    厚塗りメイクをしているので(ほら、場末の劇場だし)
    存在感は非常にあるけれど
    夜の女王の凄さは、飛び抜けていた。

    タミーノは最後の最後まで
    いや、頑張るんだけど(笑)
    ちょっと臆病なおぼっちゃまの感じがチャーミング。

    最後にパミーナと和解するラブシーンでも
    ずっと小声でパミーナに言い訳してるんだもん。
    (僕は君と話したかったんだよ、
     でも、試練だから話しちゃいけない、って言われていて
     あ、本当に話したかったんだけど
     で、君が悲しんでいるのもわかったんだけど
     僕ちゃんにはどうしようもなかったの 云々・・・)

    で、業を煮やしたパミーナからビンタ喰らってるの 😆

    お互い同士が I am sorry 言いまくって(ついでに歌って)
    最後の試練に出向くわけだが

    最後の試練をしている間に
    ザラストロと夜の女王が下手(しもて)に並んで

    「気が済んだかい?」
    「そうね、死んだ旦那の復讐だったかもね。」
    「えっ、君のご主人は、僕たちの事に気がついていたの?」
    「あら、当たり前じゃない。とっくにバレてたわよ」
    「じゃ、パミーナが僕の・・・むにゃむにゃ」
    「今さら、何言ってるの」

    ・・・でしょうね。
    私もかねがね、そうじゃないかと思っていた。
    (オリジナルでは、そういう話じゃない・・・はずだが)

    今年4月にシュヴァルツェンベルク広場の
    Kasino am Schwarzenbergplatz で初演されたが
    チケット売り切れが続出して
    ブルク劇場にての上演になったと言うだけあって
    ものすごく面白い。

    短いクリップしかないのが残念だが
    ご興味ある方はぜひどうぞ。

    ところで、ブルク劇場はかなり大きく
    座席が1175席、立見席85と車椅子席が12。
    内部客席の傾斜が大きくて
    まぁ、正面に近ければ舞台は見えるのだが

    ギャラリーに座ってみて
    ああ、天井桟敷って言葉がよく合うなぁ。
    本当に真上から見下ろす感じ。
    もう少し上のミッテル・ラングだと
    正面だから(註 ギャラリーは脇)
    舞台全体は見えるだろうけれど
    傾斜が激しいので
    高所恐怖症の人には向かないかもしれない。

    演劇のチケットは
    コンサートに比べれば比較的安いので
    ケチせずにもうちょっと良い席を買った方が
    良かったのかなぁ

    と、真剣に反省している私に
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    (魔笛なので、ちょっとミステリアスなバーナーで😀)

    ちなみに、私が買った
    ギャラリー(天井桟敷の脇)は
    11ユーロでした(笑)

    ところで、このパーフォーマンスのジャンル
    「オペラじゃない」からオペラに出来ないし
    演劇でもないんだけど・・・😅

    広い国 @ アカデミー劇場

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      2023年6月3日 20時〜22時20分

      Akademietheater

      Arthur Schnitzler
      DAS WEITE LAND

      演出 Barbara Frey
      舞台 Martin Zehetgruber
      舞台助手 Stephanie Wagner
      衣装 Esther Geremus
      音楽 Josh Sneeby
      照明 Rainer Küng
      ドラマツルギー Andreas Karlaganis

      フリードリヒ・ホーフライター Michael Maertens
      ゲニア、その妻 Birgit Mimichmayr
      アンナ・マインホルト=アイグナー Bibiana Beglau
      オットー、その息子 Felix Kammerer
      アイグナーの医者 Bibiana Beglau
      ヴァール夫人 Dorothee Hartinger
      エルナ、その娘 Nina Siewert
      ナッター、銀行家 Branko Samarovski
      アデーレ、その妻 Sabine Haupt
      マウラー博士、医者 Itay Tiran

      お達者倶楽部学生で
      ブルク劇場のアボを持っている人が
      面白かったよ、と言うし
      ほとんどチケット売り切れているし
      じゃぁ、面白いんだろう(単純)

      と思って行ったら
      タイヘンだった。

      あくまでも個人メモなので
      恥を忍んで書いてしまうが
      (じゃぁ、公開するな、という声が・・・
       大丈夫、誰も読まない(笑))

      これ、劇の中では
      何も起こらない、というより
      人間関係のドロドロだけで
      人間関係に興味のないワタシには
      さ〜っぱり理解できない作品。

      ゴシップ好きな人には面白いかも。
      (学友がゴシップ好きとは言わないけど)

      最初に不倫関係にあったピアニストが
      自殺した、とかそういう話から始まって

      年配の既婚夫人が
      あちこちでウワキしているらしくて

      (いや〜、あの歳でモテるって良いなぁ
       羨ましいなぁ
       でもミミッヒマイヤー、年取ったなぁ)

      その旦那も浮気されても
      いや、奥さんが浮気しているのが
      苦痛を伴った快感なのか

      何せ、アルトゥール・シュニッツラーの作品である。

      当時の社会状況で
      タブーというものが、どういう捉え方をされていたのか
      知らないと
      現代に生きる私には
      何の事やら、さっぱりわからん。

      (というより、私の人生には
       変わった男性が多かったので・・・
       いや、それ以上は言わない 🤐
       やばい話になる)

      なんだかもう
      あっちでくっつき、こっちで告白して
      人間関係ごちゃごちゃで
      よくわからないし

      誰にも共感できないし
      (あの状況で一人
       冷酷に冷静になっていた
       マウラー博士だけは、なんとなくわかる)
      フリードリヒがゲニアに怒鳴っているのも
      何故なんだか不明だし(浮気してるから?)

      あの若さで
      ゲニアに惚れるオットーもわからん。

      だって、ゲニアって
      浮気しまくり(という役どころ?)の年配女性にしては
      なんだか、全然、魅力なくて
      人生に退屈している有閑夫人にしか見えないんだもん。

      せめて、バリバリの女性キャリアとか
      愛想良くて、誰にでも爽やかに接する
      オーラ出まくりの女性とかだったら理解できるけど
      最初から最後まで
      陰鬱で、この人、浮気して何が楽しいんだろう
      ・・・としか思えない。

      誰かがドロミテで足を滑らせて
      怪我したのか死んだのか
      そんな話も出てくるのだが
      (ドロミテは、たぶん、当時としては
       上級の中産階級が「お休暇」をお過ごしになる
       高級リゾート(あくまでも成金用)だったのだ)

      ドイツ語能力不足で
      理解できないっていうのが、絶対に敗因だと思う。

      舞台は椅子が3つ置いてあるだけで
      後方にカーテンがあり
      そのカーテンから登場人物が出入りする。
      照明の関係で
      カーテンの向こう側の人物が写ったりもして
      複雑な人間関係を暗示しているらしい。

      後半になると
      そのカーテンが開いて
      後ろに巨大な車輪?のようなものがある。

      ・・・よくわからん。
      これも、輪舞みたいなものか?

      シュニッツラーの作品と言えば
      演劇のみならず、バレエやオペラの題材にもなった
      輪舞は有名だし(バレエもオペラも演劇も見てる)
      輪舞は、そりゃ確かに
      白黒ショー(あっ💦)なんだけど
      登場人物の社会的階級が様々で
      セリフにそれが反映されているのが面白いし

      フロイライン・エルゼは
      演劇(一人芝居)のみならず
      コンツェルトハウスで映画も見た記憶があって
      それはそれで面白かったんだけど・・・

      まぁ、シュニッツラーの登場人物は
      みんな、どこかおかしい。
      というより
      現代では別におかしくないんだけど
      当時のタブー社会では
      抑圧されていて
      ヘンなところが全部出て来るんだろう、きっと。

      こういう、別に何も起こらず
      ただ登場人物の話だけで進む演劇って
      やっぱり難しいというか
      私のドイツ語能力では無理なんだろうな。

      オーストリアに長く住んでいる、とは言っても
      パートナーもいないし
      家族もいないから
      どうしても私のドイツ語能力には
      欠ける部分があるのは仕方がない・・・
      (努力しろ!💢)

      かと言って
      演劇を理解できるように
      まずはテレビドラマを見る、とか言うのも面倒
      (第一、時間がないわ)
      ・・・という怠け者の私に
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      岡田利規/藤倉大 リビングルームのメタモルフォーシス

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        2023年5月13日 20時30分〜22時

        Museumsquartier Halle G
        リビングルームのメタモルフォーシス
        Toshiki Okada / chelfitsch
        Dai Fujikura, Klangforum Wien

        テキスト・演出 Toshiki Okada
        音楽 Dai Fujikura
        出演 Izumi Aoyagi, Chieko Asakura, Wataru Omura,
        Mariko Kawasaki, Ayana Shiibashi, Makoto Yazawa
        アンサンブル Klangforum Wien
        クラリネット、バス・クラリネット Bernhard Zachhuber
        ファゴット、コントラフォルテ Lorelei Dowling
        チェレスタ Florian Müller
        バイオリン Sophie Schafleitner, Jacobo Hernandez Enriquez
        ビオラ Dimitrios Polisoidis
        チェロ Benedikt Leitner
        サウンドデザイン Aki Shiraishi, Koichi Ishimaru
        照明 Masayoshi Takada
        衣装 Kyoko Fujitani
        舞台 dot architects
        ドラマツルギー Masahiko Yokobori
        技術 Daijiro Kawakami

        プログラムにはもっとスタッフの名前が列記されていたが
        ウエブ・サイトからDLできるので
        ご興味ある方は こちら からどうぞ。

        日本でも色々と取り上げられているようで
        チェルフィッチュの公式サイトでの解説は こちら
        ウィーン芸術週間の Youtube での紹介は ここ

        初演の日に行ったので
        14日・15日に行く方には
        ネタバレになるので

        どうぞここにてお引き取り下さい 🙇


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        ****************

        最近の現代芸術では
        難しくて理解不可能であればあるほど
        高級で芸術的という傾向があるんじゃないか、と
        あらぬ疑いを持ってしまうワタシ・・・

        だって、だって、だって

        全然わからん 😱
        全く理解できない 😱

        クラング・フォールムのメンバーが
        舞台前方に座り

        後ろの下手(しもて)には
        リビング・ルームのインテリア

        上手(かみて)には
        大きな黒色の石?のようなものが置いてある。

        登場するのは
        お父さん、お母さんと、3人の娘らしい。
        (登場するだけで母と娘の区別がついてしまうのは
         服装のせいか、俳優さんの歳のせいなのか
         あるいはさりげない動きが原因なのか
         実は自分でもわからん)

        雨が降って来たのに
        毛布を外に干してあって
        それがずぶ濡れになって使い物にならなくなって

        お母さんは
        業者から「家主が追い出したがっているので
        そのうち、直接連絡があるかも」という電話を受けて
        あまり良い心理状態ではない。

        それに対して、娘の1人が
        家主の追い出しに関しては
        法律で戦えるわよ、と手紙を書いて

        第二部では
        毛布を買い替えたようで
        高かったけど、コストを注ぎ込んだだけの事はある
        と父親が自慢していると

        全身から黒いドロドロを垂らした男性が
        上手(かみて)から登場して
        父親が、どこから入って来た?
        門の鍵は掛けなかったのか、と静かに怒り
        出て行った間に
        そのドロドロ男が
        嫌われている父親を殺しちゃえば?と誘惑し

        どうも殺した死体をリビング・ルームに持って来て
        そこに不動産屋と家主?らしき人が乱入し
        (この2人は頭に黒いボサボサの大きなマスクをしていて
         人間とは思えない格好で入ってくる)
        喚いている間に
        リビング・ルームがどんどん解体される。

        ・・・もしかしたら違うかもしれないけど
        こうやって書いていても
        本当に何が何だか、全然わからない。

        チェルフィッチュの身体表現は
        以前に鑑賞した時から面白いと思っていて
        パーキンソン病のような不思議な
        予想もしない動きがセリフと一緒に出てくるので
        ともかく、不思議で不可思議な空間が出てくる。

        藤倉大の音楽は
        演劇との統一感はあっても
        その統一感が劇伴にはならず
        演技と一緒に演奏されるところも
        あるいは音楽として独立した形で演奏されるところも
        それぞれあって
        様々な音色が混ざり合うバリエーションが多く
        ワケのわからない演劇に
        彩りを添えて(彩り、というには音楽は強いが邪魔になっていない)
        音楽なかったら
        あまりのワケのわからなさに
        うんざりしていたかもしれない。

        チェルフィッチュのファンの方、ごめんなさい。
        あまりに芸術的過ぎて
        本当に理解不能なんです、ワタシには・・・

        一つだけ、感激したのが
        日本語の美しさ・・・というより
        チェルフィッチュの岡田利規特有の日本語のリズム?

        ほとんど棒読みに聞こえる
        ドラマ性に欠ける日本語の単調な響きって
        何て美しいの・・・ 😍

        ドイツ語演劇だと
        速度の変化とか、声量の変化とか
        怒鳴り声とかも使って
        ものすごくドラマチックになる事が多く
        俳優さんが、ドイツ語を叫ぶシーンが
        ワタシはコワイのだが(ホントです、神経細いので(笑))

        岡田利規の演劇には
        (被り物を纏った2名は多少声量は上げるけれど)
        全体的に、すべてのセリフが
        ほとんど抑揚なしに語られて
        その代わりに、そのセリフと呼応する
        不思議な身体の動きが、その単調さを補うって感じか。

        日本語のセリフが平坦で落ち着いている事によって
        藤倉の音楽のドラマ性が更に引き立つ。
        音楽はフラグメント的な長さなので
        ドラマチックとは言っても
        短時間なので、強すぎる主張にはならないが

        日本語と俳優さんたちの動きによる
        不思議な世界をサポートして
        演劇だけでは、ほとんどわからないであろう
        個人的感情や、外の嵐などのドラマを
        音楽がさりげなく表現して行く。

        いや、でも、本当にワケわからん。
        こういうのを賛美するのは
        自分も芸術性に優れている人なんだろう、きっと。

        私が、もともと感受性に欠けている事は
        自分でも知ってるし
        周知の事実でもあるので
        こういう、高い芸術性を示す作品が
        ま〜ったく理解できなくても仕方がない。

        いや、理解できないものは
        本当は再挑戦したいところなのだが
        明日も明後日も(公演は3回しかない)
        別の予定が入っている。
        (というより、ウィーン芸術週間のプログラムが発表になった時に
         今日という日の夜が空いていたのは奇跡)

        日本人の観客も多かった。
        日本語を母語とする我々は
        たぶん、ドイツ語や英語の字幕を読んでいる人たちとは
        全く違う感じ方をしたんだろうなぁ・・・

        と、ついついマウンティングしたくなる
        (だって普段、ドイツ語とか英語に苦労してるし)
        芸術感受性ゼロのアホな私に
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        ジーグムント・フロイトの夢判断(デッド・センター)

        0
          土曜日のダブル・ヘッダーです。
          午後のウィーン・フィルについては こちら をどうぞ。

          下記は夜の演劇鑑賞の個人メモです。

          2023年5月6日 20時〜21時50分

          Akademietheater
          DIE TRAUMDEUTUNG
          VON SIGMUD FREUD
          Dead Centre

          出演
          Philipp Hauß
          Alexandra Henkel
          Tim Werths
          Johannes Zirner
          Anouk Auer/Chiara Bauer-Mitterlehner/
          Mara Nathalie Brosteanu
          Eine Träumerin

          演出 Ben Kidd & Bush Moukarzel
          舞台・衣装 Nina Wetzel
          ビデオ Sophie Lux
          サウンドデザイン・音楽 Kevin Gleeson
          照明 Marcus Loran
          ドラマツルギー Andreas Karlaganis

          ロンドンとダブリンの2人組チームの
          Dead Centre が
          アカデミー劇場のために作った3作品の
          最初の作品で
          初演は2020年1月16日。

          技術的に、あまりに素晴らし過ぎて
          特に後半は
          ビデオだけじゃないの?
          という印象を与えてしまうので

          その意味では
          2作目のヴィットゲンシュタイン・テーマの方が
          面白かったと思う。

          デッド・センターが主要テーマにしているのは
          主体と客体、現実と虚構で
          これが作品の中で目まぐるしく入れ替わる。

          俳優さん(女性)が登場して
          フロイトのソファに横たわると
          後ろにライブ・ビデオで彼女の顔が映り

          ああ、いつものヤツね・・・

          と思っていたら
          ソファから立ち上がった俳優さんが
          衣装を脱いでフロイトになり

          その間も、後ろのスクリーンには
          俳優さんの顔のアップが映って喋っていて

          誰が何を喋っているのか
          どこまでがビデオなのか
          続いて、舞台上のフロイトと化した俳優さんが
          ビデオに映っている俳優さんと会話をするという

          ・・・ここら辺から
          だんだん、ワケがわからない世界に突入。

          フロイト博士の夢判断の患者になって頂きます、と
          観客を立たせ

          「女性の観客で
           舞台に上がりたい方はいらっしゃいますか?」

          ・・・いや、それ、舞台に上がるのは
          当然ながら、いわゆる「サクラ」で
          俳優さんだよね?

          ところが平土間のミドル・エイジの女性も
          立候補してしまい
          舞台上の俳優さんも一瞬、焦ったようだ。

          (って言うか、そこで本当に立候補する人が居るんだ
           という事も不思議。世の中、様々な人がいる)

          でも、プログラムを見てみたら
          本当に観客から1人、舞台に乗せたらしい。
          もっとも、セリフもあるし
          (このセリフが言えなかったら全体がワヤ)
          事前の打ち合わせはしっかりやっているとは思うが
          プロの俳優の中での
          時々、とんでもなくアウェイなチグハグさ。

          こういうのって
          周囲を気にする日本人には無理。
          (だって観客全員から、ある意味、笑われているワケだし)

          内容は、もちろん、フロイトの夢判断とは
          全く関係ない(笑)
          有名な性的な暗示とかも、ほとんど出て来ない。

          飛び入り出演者(と言って良いのか?)の語る夢が
          舞台変換で、フロイト時代の部屋になって
          フロイトの友人たちがカード・ゲームに集まって
          モルヒネを鼻から吸いながら
          その語りの中で
          何回かフラッシュ・バックする。

          夢の内容がショッピング・センターなので
          19世紀末のフロイトの時代のルームと衣装に
          現代のショッピング・センターが重なったりして
          作品の中に収納された層が

          19世紀と現代
          プロの俳優とアマチュアの飛び入り
          夢と現実(しかも現実の時代層が混乱中)
          仕事と家族

          ・・・なんだか、複雑に絡まって来るのに加え
          どんどん、ビデオの中に入って
          みんな、おかしくなって来て

          ショッピング・センターに
          椅子とフロイトのソファが現れて
          フロイトの葉巻が、ゆっくりと飛び交う辺りで

          なんだ、この既視感は・・・

          その後の地下室やら
          現代の最先端の病院での脳の測定とか
          途中でローマが出て来たり
          ハンニバル(俳優さん)と、その軍団(俳優さん)が
          象に乗って出て来たり

          あっ、これ、モンティ・パイソン
          フライイング・サーカスじゃないか・・・💡

          (モンティ・パイソン・フライイング・サーカスは
           現代のポリティカル・コレクトネスの社会では
           絶対に容認されないタブーのギャグに満ち溢れているが
           あのギャグがBBCで出来たのも
           当時は、まだ、それをタブーとして受け止めるだけの
           コモン・センスがあったのだよ、きっと。
           今や、多様化でコモン・センスがなくなってしまったので
           法律で規制するしかない、という状況になっているのは
           そりゃ、良いところは数え切れない程あるんだけど
           芸術とかタブーとか言う意味からは
           ちょっと残念ではある。
           そのうち、モンティ・パイソンのギャグなんか
           公開チャンネルでは見られなくなるぞ)

          さすがに現代演劇だから
          モンティ・パイソンのようなヤバいギャグは一つもないが。
          (だって、セックス絡みのギャグもないんだもん。
           フロイトの夢判断を取り上げているのに・・・)

          夢と現実、時代の錯誤など
          色々と詰め込んでいて
          だんだん、しっちゃかめっちゃかの
          ワケのわからん世界観に巻き込まれるのは面白いのだが

          あまりにビデオの技術が高過ぎて
          前撮りしたビデオを見せられているような気になってしまう。
          (本当はビデオと共に
           例の緑色のレオタードを着用して
           後ろで俳優さんたちが
           ビデオと寸分違わぬ演技を繰り広げているらしい)

          出演者と技術者が
          最高度のテクニックを繰り広げているのに
          観客にはわからない・・・と言う悲劇(笑)

          ショッピング・センターの夢を中心に
          現実と虚構が入り乱れる構成なので
          ストーリーとしては比較的単純で
          その中のバリエーションで魅せる印象。

          そうか、この作品で
          最後のビデオと現実の虚構が
          あまりに巧みに作られ過ぎていたので
          次のヴィットゲンシュタイン・テーマ
          あの不思議な作品が出来たのか・・・

          演劇としては休憩なしの2時間弱で
          展開のスピードも程よくて
          飽きも来ないし冗長さもないし
          こういう演劇、楽しい。

          Dead Centre は今まで
          アカデミー劇場のために3作品作っているが
          新しい作品は作らないのかなぁ、と
          会場に積んであった
          2023年・24年のプログラムを持って帰ったが
          来シーズンはないみたい・・・残念。

          来シーズンは久し振りに
          トーマス・ベルンハルトの
          英雄広場をブルク劇場で上演する予定。

          1988年初演時には
          ほとんど全ての日刊新聞の第一面に
          スキャダルとして取り上げられた作品。
          これが大スキャンダルになっていた時代って
          なんか懐かし過ぎる・・・

          1988年を「懐かしい」と感じてしまう
          自分の年齢が
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          歳を取ったこと自体はイヤじゃないんですよ。
          「若くなりたい、人生やり直したい」と言う人も居るけど
          人生のやり直しなんて
          はっきり言って、真っ平御免です。
          (また入学試験とか絶対にイヤ)

          若くなりたい、ともあまり思えないけれど
          もっと頭が良かったらなぁ、とは切実に思う・・・

          バンベリー(真面目が肝心)@ アカデミー劇場

          0
            2023年4月23日 19時〜21時45分

            Akademietheater

            Oscar Wilde
            BUNBURY
            Deutsch von Rainer Kohlmayer

            ジョン・ワージング Nils Strunk
            アルジャーノン・モンクリフ Tim Werths
            ブラックネル夫人 Regina Fritsch
            グヴェンドレン・フェアファックス Mavie Hörbiger
            セシリー・カーデュー Andrea Wenzl
            プリズム女史 Mehmet Atesçi
            チャジュブル博士 Max Gindorff
            紳士 Arthur Klemt

            演出 Antonio Latella
            舞台 Annelisa Zaccheria
            衣装 Graziella Pepe
            音楽 Franco Visioli
            振付 Francesco Manetti
            照明 Marcus Loran
            ドラマツルギー Federico Bellini, Andreas Karlaganis

            初演は2021年5月23日。
            オスカー・ワイルドと言ったら
            無教養なワタクシはサロメしか知らないが
            オスカー・ワイルドの「喜劇」?に興味があって

            以前に行こうとしたら、キャンセル(演目変更)されて
            やっと、今日、俳優さん全員揃って鑑賞できた。
            (演劇は俳優さんは決定してしまうので
             1人でも欠けると公演が出来ないのだ。
             そこらへん、代役でも務まるオペラと違って
             タイヘンだと思う(裏方が))

            舞台は後ろの暖房装置まで見えていて
            バレエ用のバーと
            地下に繋がっている床(写真真ん中下手(しもて)の白い部分)
            前の照明もあるけれど
            観客席もほとんど照明は落とさずの上演。
            (だからこそ、舞台が暗くなるシーンが印象的ではある)



            「紳士」役はレーンとメリマンを兼ねて
            役柄上、台本持って舞台の上手(かみて)の椅子に座り
            途中の看板を掲げたり
            床にネズミを走らせたり
            終末の段取りをつけたりする。

            舞台がないだけに
            セリフと、セリフの言い回しと
            俳優さんの存在感だけで作られたような感じ。

            ジョン・ワージングの役作りは最もマトモだが
            アルジャーノンは、途中で薄気味悪くなるし(ゴリラと化す)
            ブラックネル夫人は、まぁ、ステレオ・タイプなので
            あれ以上の作り込みは出来ないだろうが
            グヴェンドレンとセシリーの薄気味悪さと存在感は特筆もの。

            私が男性だったらノーサンキューだな(すみません)
            若くてキレイなだけで女性の価値はあるのだろうが
            あの2人の性格だと、結婚後に苦労すると思うよ(余計なお世話)

            途中の踊りとか歌とか
            あまり筋と関係ないし冗長。
            ただ、出演者の身体的能力には敬意を表す。

            後半のプリズム女史(演じているのは男性)の告白が
            あまりに長過ぎてウンザリ 😩
            プリズム女史(男性だが)その前にも
            キラッキラの衣装で出て来て
            ダンスとか踊ってるので
            あそこまで目立たせる必要があったのか?
            ともかく、しつこくて長い。

            最後のハッピー・エンドも
            俳優は全員はけてしまい
            紳士役(執事?)が
            はい、客席の皆さん
            このパネルを読んで下さい
            ・・・って
            これでみんな幸せになりました、終わり 🔚

            2時間半以上も演劇を観て
            最後がこれ? 🤪

            ストーリーはご都合主義なので
            事前に調べていれば、追うのに全く問題はないし
            ピアノだのネズミだの
            ハンドバッグ(これは後半)とかの
            大道具・小道具は楽しい仕掛けもあったし

            俳優さんたちの
            見事な演技(見事すぎて気持ち悪い(笑))と
            身体表現を楽しむ、と言う意味では
            面白い公演だった。

            でも、これ1回で鑑賞は終わりにします(笑)
            まぁ、演劇ってそう言うものだよね、とか
            呟く私に
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            カタルシス @ アカデミー劇場

            0
              2023年4月6日 20時〜21時30分

              Akademietheater

              KATHARSIS
              von Dead Centre
              nach Geschichten aus Olga Tokarczuks Unrast
              Deutsch von Victor Schlothauer

              演出 Ben Kidd, Bush Moukarzel
              舞台 Jeremy Herbert
              衣装 Mirjam Pleiners
              音楽・サウンドデザイン Kevin Gleeson
              照明 Marcus Loran
              ビデオ Sophie Lux
              ドラマツルギー Alexander Kerlin
              校閲・アドバイス Daniel Romuald Bitouh

              俳優/病理医/フランツ2世 Ernest Allan Hausmann
              アンティゴネ/病理医/ヨゼフィーネ・ソリマン Safira Robens
              イスメーネ/病理医/マグダレーナ(ヨゼフィーネの母) Katrin Grumeth
              病理医/ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト Philipp Hauß
              病理医/アッベ・シモン・エベルレ Johannes Zirner

              ライブ・カメラ Julia Janina Várkonyi, Andrea Gabriel

              アカデミー劇場で
              デッド・センターの新作が上演されている
              ・・・と言うのをみたら
              行かない、と言う選択肢はない(きっぱり)

              ギャラリーの一番後ろの席に座っていたら
              係の人が来て

              「今日は観客が少ないので
               平土間の空いているところ
               何処にでも座って良いですよ」

              何人か平土間に移動した人も居るけれど
              ギャラリーのクロークに荷物も預けているし
              面倒なので、そのまま居座るワタシ。
              (超貧民席だけど、アカデミー劇場は小規模なので
               舞台はよ〜く見える。
               立見席の人も、良い席に座れたし
               周囲に人がいなくて快適至極)

              いや〜、わっはっは、こういうのって
              呆気に取られて笑うしかないんだけど

              デッド・センター
              (またもや)とんでもない作品を作ったな・・・

              この間のような技術的な不思議感には欠けるけれど
              もちろん、ビデオもライブ・ビデオも使って
              舞台の真ん中の棺桶 ないしは 解剖台には
              様々な仕掛けがある。

              最後は大掛かりな大道具のトリックで
              度肝を抜かれたし

              演劇というジャンルの持つ、というよりも
              演劇でなければ持ち得ない可能性を
              これでもか、とばかり見せてくれるサービス精神。

              土台になっているのは
              モーツァルト時代を生きたアンジェロ・ソリマン

              の娘、ヨゼフィーヌが
              フランツ皇帝(神聖ローマ皇帝として2世)に宛てて
              標本になっている父親の死体を返して欲しい
              と書いた懇願の手紙

              という想像に基づく
              ポーランドのノーベル賞作家、オルガ・トカルチュクの作品

              を基にしたもの。

              ・・・だいたい、ここで既に
              何重もの構造があるところが曲者。

              この演劇作品そのものも多重構造になっていて
              中心になるのが「解剖学」・・・というよりは
              解剖学に象徴される「肉体の精査」

              この「肉体の精査」は
              肉体への注視という形で
              観客から舞台上の俳優の肉体への注視と共に
              俳優から、観客の肉体の観察という
              相反する局面から考察される。
              (最初のシーンから、普通の演劇では考えられない事が起こるので
               ちょっとドッキリします)

              何を言ってるんだろう?と思われるのは覚悟の上だが
              もしかしたら、この個人メモを読んで
              面白そうだから、行ってみよう
              と、私に騙されて、アカデミー劇場に行く
              ウィーン在住の人(及び観光客)が
              居る・・・かもしれないので
              (そこまで影響力ないので、居ないとは思うけれど)

              こと、こういう演劇に関しては
              ネタバレしたら、そこで終わりだから
              あまり具体的に書くワケにはいかんのだ。

              解剖台があって
              解剖がなされて行く間に
              モーツァルトの時代になって
              ヨゼフィーネが登場して

              その間にも解剖が続いていて
              ヨゼフィーネとアッベが
              死体を挟んで向かい合って
              (この時にはライブ・ビデオなので
               観客には舞台上とビデオ上の二重構造になる)
              食事しながら話している間に

              消化器官の動きとかの
              詳細な説明が入るとか・・・

              観客と俳優
              解剖台の上の解剖されている死体と
              舞台上の生きている肉体に
              モーツァルト時代と現代が入り混じる。

              アンジェロ・ソリマンについては
              インターネットで調べれば膨大な資料が出てくるが

              ソリマンがテーマ、という事で
              アフリカからの奴隷制度への批判とか
              肌の色が違う事によって生じたバロック時代の偏見とか

              だから人種差別はやめようね
              ・・・などという、青少年の主張大会は
              熟練の演出デュオであるデッド・センターは、絶対にやらない。

              それよりも、それをテーマに
              観客も出演者も
              とことん「肉体」という存在の深くまで
              向き合わされるわけで

              スプラッタが苦手、という方は
              止めた方が良いかもしれない。
              (小道具さんの作った臓物が
               シロウト目には、異様にリアルに見えます)

              こと「死体」に関しては文化背景が違う。
              ウィーンには「美しい死体」という伝統もあるし

              ハプスブルク家の方は
              死体は心臓と臓物と、その他に分けられて
              心臓はアウグスティーナ教会
              臓物はステファン寺院
              それ以外はカプチーナ教会に入っている。
              もちろん全員ではないが。

              あの時代の、死体への感覚は、今とはかなり違っただろう
              加えて、火葬の習慣のある日本とは、全く違うはず。

              という歴史的な知識に基づく推測はできるけれど

              それをわかった上で
              更に、舞台の一部を現代にして
              肉体と、肉体を観るという観点を
              突き詰めた演劇作品。

              これは文学でもオペラでも出来ず
              「演劇」という手段でしか表現できない
              という凄まじさがある。

              入り乱れる登場人物
              混乱する時代背景
              死体と肉体の混ざり合い
              アンティゴネとイスメーネというギリシャ悲劇まで登場し
              色々な仕掛けがあちこちにあって
              演劇って、何て楽しいんだろう

              と、つくづく思いつつ
              1時間半の濃密な時間を
              とことん楽しんだ私に
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              明日は聖金曜日。
              劇場もオペラもコンサート・ホールも
              すべて閉まって
              キリスト教信者の方は
              イエス・キリストの死を悼む
              (あるいはプロテスタントの方は
               神の意志の成就に思いを馳せる)
              という、なかなかに厳かな日なので

              どうぞ皆さま
              良いイースターをお迎え下さい。

              🌷 🐇 🐇 🐇 🌷 🥚 🥚 🥚 🌷 🐇🐇🐇 🌷

              トーマス・ベルンハルト Am Ziel (「目的地で」)

              0
                2023年3月5日 19時〜21時20分

                Burgtheater

                AM ZIEL
                von Thomas Bernhard
                母親 Dörte Lyssewski
                娘 Maresi Riegner
                作家 Rainer Galke

                演出 Matthias Rippert
                舞台 Fabian Liszt
                衣装 Johanna Lakner
                音楽 Robert Pawliczek
                照明 Norbert Gottwald
                ドラマツルギー Jeroen Versteele

                この演目(2022年10月14日初演)
                ずっとシュヴァルツェンベルク広場の
                Kasino という建物の中で行なわれている。

                Kasino はそういう名前の建物で
                もともとはフランツ・ヨゼフ皇帝の弟の
                ルードヴィヒ・ヴィクターの宮殿で
                1911年〜18年まで軍隊用のカジノに使われていた建物。
                現在ではブルク劇場の上演場所になっていて

                ウィーン国際コンテンポラリー・ダンス・フェスティバルの会場や
                フォルクス・オーパーの現代オペラ上演会場としても
                使われているのだが

                いかんせん、席数が少ないので
                チケットが高い(とは言え一律26ユーロだけど)

                演劇に26ユーロはさすがに出したくないので
                行かなかったら

                当初の演目に出演する俳優さんの病欠により
                突然、ブルク劇場の演目変更。
                ブルク劇場の本館で上演される事になった。

                慌ててギャラリー(天井桟敷)の16ユーロの席をゲット。
                (バルコンの11ユーロの席というのもあったが
                 経験上、この席は舞台が見えないので要注意。
                 安いものには理由がある)

                当日の午後にチケットの空き状況を見ていたら
                かなりガラガラの様子なので
                もしかしたらも、もしかするかも・・・・と
                甘い期待を抱いて行ったら、大当たり(わはは)

                「平土間に座っても良いわよ」と言われて
                平土間のクロークに行って
                ここに座って良いって言われたんだけど・・・と言ったら
                まずはギャラリーに行って聞け、と言われ
                延々と階段を登って
                (ブルク劇場のギャラリーまでの階段数は多い)
                ガラガラのギャラリーに辿り着いて聞いたら

                平土間大丈夫よ・・・って
                また階段を降りるのか(しかも会場内はほとんど迷路)

                結果的には
                1列目か3列目と言われて
                上品でお金持ちっぽい人たちに囲まれて
                3列目で鑑賞する事が出来た。
                わはは、来て良かった。

                トーマス・ベルンハルトの
                ブラック・ユーモアと毒を
                私は非常に好むのだが

                これは痛烈な作品。
                言葉の暴力、極端な毒親
                作家に対する自虐が混ざって
                恐ろしい作品になっていて

                ちょっと気分が悪い・・・

                母親が喋りまくる前半で
                強烈な母親のメンタリティが凄まじい。
                私がこよなく愛読する
                読○新聞ウエブ版の発言○町にも
                時に強烈な毒親が出現するが(釣りかもしれない)
                それを1万倍くらいに強力にしたパーソナリティ。

                当然ながら、子供(20歳という設定)も
                歪みまくりで育つわけだが
                これは、ほとんど共依存関係になっているのが
                後半の作家登場から、わかるようになっている。

                何が起こる、という具体的なものではなく
                ともかく、言葉による暴力が
                最初から最後まで
                ジワジワと、チクチクと繰り返される。
                (途中でコーヒーカップを割ったり
                 荷造りしたりというアクションもあるけれど
                 動きはほとんどない)

                母親と子供の強烈なダブル・スタンダードや
                作家の偽善的な自虐の様子など
                アフォリスム的には
                言葉の断片が
                観客の心に、ぐっさり突き刺さってくるので

                そこらのホラー映画よりコワイ。

                ・・・って言うか
                こんな母親、絶対にイヤだし
                有名人(という前提)の作家とも
                お知り合いにはなりたくない。

                どんどん酔っ払って
                しっちゃかめっちゃかになる母親は
                最後のシーンで
                作家に乗り掛かって
                派手に作家のシャツに吐く。

                俳優さんって、すごい。
                演技で本当に吐けるんだ・・・
                この演目、上演のたびに吐いているのか
                と思うと、まさにプロの凄まじさを見る思い。

                でも、この演目を鑑賞しながら
                気分が悪くなるのは観客(ワタシ)も同じで
                俳優さんじゃないけれど
                私も吐き気がしたわよ。
                吐いてないけど・・・というより
                私は吐けない体質なので(拒食症の時には吐けずに苦労した)

                2時間15分、休憩なしの毒を浴びて
                終わってから、盛大な拍手が起こったものの
                作家の自虐的モノローグを聞いた身としては
                拍手するのも、憚られる感じがする。

                気分悪いし気持ち悪いけれど
                こういう毒は
                他人事で観ている分には
                意外に楽しいのである(根性悪)

                人の不幸は蜜の味と言うか(根性悪)
                ここまでの強烈な毒親と
                極端に歪んだ子供と
                偽インテリの鼻持ちならない自虐作家が揃うと
                ある意味、壮観ではある。

                純粋に言葉だけの演劇なので
                本買って読んだら
                もっと強烈かもしれないが

                私の経験上、こういう「毒のある演劇」は
                舞台に乗って
                プロの俳優さんが演じると
                本で読むより、もっと強烈な印象を与えるはずなので
                本を読むのは止めておく

                ・・・という
                根性ナシの私に
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                リサ・ベンツ「Adern」@ アカデミー劇場

                0
                  2023年1月31日 19時30分〜21時15分

                  Akademietheater
                  ADERN
                  von Lisa Wentz
                  アロイジア Sarah Viktoria Frick
                  ルドルフ Markus Hering
                  ダンツェル Daniel Jesch
                  ヘルタ Andrea Wenzl
                  テレーズ Elisa Plüss
                  演出 David Bösch
                  舞台 Patrick Bannwart
                  衣装 Falko Herold
                  衣装アシスタント Nina Holzapfel
                  作曲 Karsten Riedel
                  照明 Marcus Loran
                  ドラマツルギー Maike Müller

                  チケットを買った時点では
                  出し物はオスカー・ワイルドの喜劇
                  「真面目が肝心 (Bunbury)」 だったのだ・・・

                  サボリの口実としての Bunbury と名付けた架空の男性と
                  同じくサボるために架空の友人を作った友人
                  Ernst (真面目)という名前の男性しか
                  恋人に出来ないと思い込んだ2人の女性との
                  とりかえばや混乱物語の
                  オペレッタに近い(と思われる)ドタバタ喜劇を
                  楽しみにしていたのに

                  数日前のメールに曰く

                  出演者の病気のために演目変更になりました。

                  え〜い、またか・・・と
                  キャンセルしようかと思ったのだが
                  メールに、代替えの作品は、何とか賞を取って云々
                  と書かれていたのと

                  この間、チケットをキャセルした時には
                  間違ってオペラ座のチケットをキャンセルされてしまっていたのが
                  トラウマで

                  え〜い、今回は行ってみよう、と決心。

                    ・・・したのは一生の不覚(と言うほど酷くはなかったけど)

                  だって、この作品、何を描いているかと言うと
                  1953年(要は戦後)から1970年頃までの
                  チロルの炭鉱村の生活をスケッチで描いたもので

                  ええ、そりゃ、おしんとか
                  どこかの日本の田舎の1950年代〜70年代だったら
                  私の生活基盤のあった場所だから
                  多少は共感とかあるのかもしれないけれど

                  全然文化土台の違うチロルの田舎・・・(絶句)

                  そりゃ、確かに、ラジオが入ったり
                  初めてテレビを買ったりとか
                  そういうのは、わからんワケではない。
                  私も、子供の頃に
                  初めてテレビのカラー放送を見た時には
                  ひっくり返ったもん(あの永遠の名作、ジャングル大帝だった)

                  シングル・マザーと
                  シングル・ファザーが一緒になって
                  ちまちまと、それぞれの子供を育てながら
                  経済的理由で一緒になったけれど
                  それなりに、子供を育てながら
                  信頼に裏づく愛を育てて行く。
                  (恋愛感情ではないので、そこらへんが微妙だが
                   あの距離感は良いね)

                  そこに、田舎の生活に逆らって出ていく
                  親戚とかも出て来て

                  でも、2人はチロルの田舎の慣習から抜けられず
                  炭鉱での毒物の吸い込みによって
                  咳をしながら死んでいくルドルフ。

                  舞台には小屋が真ん中にあって
                  部屋の方になったり
                  建物が回転して庭になったり
                  スケッチとスケッチの間は
                  照明を落としたり
                  大音響でシーンを切断したり

                  演出的には面白いし
                  ドラマツルギーもしっかりしているけれど

                  文化基盤が違うのよ、ワタシとは。
                  全く共感できないし、ワケがわからんし
                  第一、他人の家庭生活に興味はない(それを言ってはいけない)

                  1時間半くらいの作品だけど
                  他人の生活に興味ないし
                  (デバガメになったような気がする)

                  途中で何回か読まれるアフォリズムみたいなものが
                  あまりに文学的で辟易。

                  ドイツ語の出来る読者のために
                  プログラムの最後に記載のあるセリフを書いておく。

                  Dort wo das Erz begraben,
                  dort wo der Tag nie scheint,
                  dort wo die Knochen liegen,
                  dort wo kein Himmel weint,

                  dort wo das Leben hart,
                  dort wo die Arbeit rauh,
                  da wird mein Herz ganz dunkel,
                  und meine Hände werden grau.

                  Oh lasst mich unten sterben,
                  Knappen seid so gut,
                  mein Fleisch sei euer Stein,
                  euer Silber sei mein Blut.

                  ドイツ語としては、そんなに難しくないけれど
                  私には意味がわからん・・・(悲しい感受性欠乏症)

                  最初から最後まで、暗い雰囲気だし
                  (時々、笑えるシーンもあるけれど)
                  まぁ、1時間30分だったから何とか耐えられたが
                  文学的素養ゼロで感受性ゼロで
                  他人に興味がない人には
                  あまり面白い作品とは言い難い、すみません。

                  こんな事なら
                  大学の学期終了パーティに行けば良かったかも。
                  (若い人ばかりだから、年配のパーティ参加者はいなくて
                   いつも、そういう機会って、ワタシだけが浮いてるんだけど)

                  いや、マジに文学わからん・・・と
                  再度、自分の能力の欠如を意識している私に
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                  このタイトルの Adern だが
                  血流(複数形)とか血管(複数形)などと言う意味の他に
                  鉱山の鉱脈という意味もあって
                  ダブル・ミーニングにもなっている(よって訳せません、悪しからず)


                  ペーター・ハントケ「ダイアローグ」@ アカデミー劇場

                  0
                    2023年1月6日 19時〜20時50分

                    Akademietheater

                    ZWIEGESPRÄCH
                    von Peter Handke

                    演出 Rieke Süßkow
                    舞台 Mirjam Stängl
                    衣装 Marlen Duken
                    音楽 Max Windisch-Spoerk
                    振付 Daniela Mühlbauer
                    照明 Marcus Loran
                    ドラマツルギー Sandra Küpper

                    主要出演者
                    Hans Dieter Knebel, Elisa Plüss,, Maresi Riegner,
                    Branko Samarovski, Martin Schwab
                    出演者
                    Sara Abci, Nikolas Altmann, Katharina Franzel, Kolja Gerstmann,
                    Hannah Lou Harrison, Katharina Hochreiter, Klara Howarka,
                    Marco Jovanovic, Wilfried Kovarnik, Edmund Lobinger,
                    Hannah Pichler, Maxiilian Schwertführer, Heldelinde Sedlecky,
                    Sara Siedlecka, Felix von Gässler, Julia Carina Wachsmann,
                    Brigitte Weinberger
                    Adam Hadj Marbrouk, Thomas Kern Levi Powell

                    主要出演者の他に「出演者」として名前が列記されているが
                    出演者はそんなに多くはないので、出ているのはこの中の数人。

                    アカデミー劇場はプログラムを演目ごとに作って
                    初演からずっとそれを使うので
                    キャスティングされている出演者は全員、プログラムに書くのだ。

                    2022年12月8日に初演された
                    ペーター・ハントケの「ダイアローグ」

                    えらいモノを観てしまった・・・

                    ハントケのテキストって
                    たぶん、起承転結というものがない(と思う)
                    エッセイなのか
                    モノローグなのか
                    会話なのか

                    いや、作品名がダイアローグなので
                    本来は2人の出演者が会話する、というものなのかもしれないが
                    推測するに、このテキスト
                    出演者Aと出演者B、というような指示も
                    ないのではないだろうか(読んでないからわからんが)

                    喋っているドイツ語そのものは
                    理解できる(と思いたい・・・)のだが
                    その構造というか
                    全体的に何が言いたいのかは謎で

                    アフォリズムと
                    思い出や意見の断片が
                    繋がりのないままに出現したり消えたりで
                    掴みどころがない。
                    私のドイツ語理解力の問題かもしれないけど。
                    あ、それより
                    ワタシの文学的感受性の欠如の方が
                    原因としては大きいと思う。

                    本は子供の頃から読んでいるのだが
                    もっぱら推理小説とかスパイ小説だったので
                    ブンガクというものは一切理解できない頭なの。

                    では何がスゴイのか。
                    これ、テキストと音楽と
                    出演者の動きに背景に衣装
                    小道具に大道具
                    照明まで含めて
                    すべてが同じ比重を持って
                    どれが欠けても作品にならない、と思わせるほどに
                    徹底的に「演劇」なのである。

                    ブルク劇場のサイトに紹介動画や写真はあるけれど
                    全然役に立たないのでリンクはしない。
                    実際に鑑賞してみると
                    写真や動画では、全くその凄さは伝達されていないから。

                    こんな「演劇作品」を観てしまうと
                    テキスト(台本)は、本当に骨組みだけで

                    しかも、その骨もバラバラで
                    そのバラバラな骨を組み立て、肉を付けて
                    肉体にして動かして
                    観客に自由な想像性を許しながら
                    呼吸と心臓の音を伝えてくる「肉体」を提供するという
                    とんでもない事を演出家がやっているのが
                    私のような、ド・ド・ド・シロートにもわかる。

                    主題としては
                    おじいちゃんと孫?の関係というか
                    老人と若人の関係というか

                    私のように家族を持たず(モテずに持てず)
                    子孫のない人間には他人事ではあるのだけれど
                    歳を取ること、死ぬこと、次世代に繋いでいくことという
                    本来なら人間にとって
                    最も重要な主題が繰り返されるので
                    これ、年配の男性客(孫が10人くらい居る人)が見たら
                    ハートにズキズキ響くんだろうな、きっと。

                    同時に、死の残酷さのような暗喩もあって
                    だったらそこでシリアスな死でお涙頂戴か、と思うと
                    突然、ヘンテコなブラック・ユーモアが登場して
                    笑い飛ばしちゃうような感じになるし。
                    (まぁ、それは私の感受性のなさのせいかも・・・)

                    単純人間なので
                    深い内容とか哲学的考察とかは
                    ま〜ったく理解できず
                    なんの「読み」もできない観客が
                    こんなにすごい「演劇」を観てしまって
                    良いものなのか
                    すみません、って感じなんだけど

                    ここまで演出・舞台・衣装・照明・大道具と小道具で
                    テキスト(台本・・・とは言い難い)から
                    独自の世界観を作れるなら
                    演出にハマる人が居てもわかるような気がする。

                    ああ、この演出家、あの不朽のハントケの名作(迷作?)
                    「観客罵倒」を演出してくれないかなぁ・・・
                    このテキスト読んでから
                    何年にもわたって、この作品が舞台に乗る事を
                    祈っているのだが、誰もやってくれない(涙)

                    オペラの演出とは全く違う
                    ノンストーリーの「劇作品」が
                    舞台になると、ここまで完成品になる事に
                    唖然としている私に
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                    ちなみに、単純人間の私の座右の銘は
                    Glücklich ist, wer vergisst, was (doch) nicht zu ändern ist
                    (幸せな人間とは、(どうしても)変えられないことは
                     忘れてしまう人間だ)
                    という、オペレッタ「こうもり」の名セリフで
                    怠け者ここに極まれりの典型なのだ。文句ある?(笑)

                    トーマス・ベルンハルト 狩猟仲間 @ アカデミー劇場

                    0
                      2023年1月2日 20時〜21時50分

                      Akademietheater
                      DIE JAGDGESELLSCHAFT
                      Thomas Bernhard

                      演出 Lucia Bihler
                      舞台 Pia Maria Mackert
                      衣装 Laura Kirst
                      振付 Paulina Alpen
                      作曲 Jörg Gollasch
                      サウンドデザイン Thomas Felder, Clara Tesarik
                      ドラマツルギー Alexander Kerlin

                      General: Martin Schwab
                      Generalin: Maria Happel
                      Schriftsteller: Markus Scheumann
                      Asamer, Holzknecht: Jan Bülow
                      Erster Minister: Arthur Klemt
                      Zweiter Minister: Robert Reinagl
                      Anna, Köchin: Dunja Sowinetz
                      Prinz: Vito Vidovič, Soleil Jean-Marain
                      Prinzessin: Soleil Jean-Marain, Livia Khazanehdari
                      Zwillinge: zwei Wiener Sängerknaben

                      振替休日とかないので
                      1月2日からは、ただの月曜日なのだが
                      気が抜けちゃって1日ダラダラしまくって
                      (天気もどんよりしていて、日光もない)
                      夜になると街に出て行く夜光虫と化すワタシ。

                      年始の時期は、あまり面白いものがなく
                      例年、久し振りにこの時期には演劇に行くんだけど
                      トーマス・ベルンハルトの演目が掛かったのはラッキー。

                      トーマス・ベルンハルトは遺書で
                      自分の作品のオーストリア上演を禁止しているのだが
                      作品の上演権の相続人が許可しちゃっているので
                      時々、舞台に乗るのである。
                      (相続人には、それなりの収入になるし・・・)

                      会場は立見席に至るまで満杯。
                      上演回数が少ない上に
                      ベルンハルトの毒に魅了されると
                      ハマってしまうので、ウィーンの観客は多い。

                      Die Jagdgesellschaft って日本語の定訳があるのかと思って
                      ググったら Wikiwand
                      「狩猟仲間」と言うのが出て来たので
                      そうなんだろう、きっと。翻訳の責任は持ちません。

                      2021年5月に初演されたこの演出だが
                      知り合いが見に行った事があるので
                      どうだった?と聞いたら「真っ赤だった」

                      演出家が話した紹介ビデオの中に
                      いくつかシーンがあるので
                      ご興味ある方はどうぞ。2分17秒の短いクリップです。

                      さて、この「真っ赤」な舞台だが
                      舞台の異様さに加えて
                      セリフが話されている横や後ろで
                      とんでもなく不思議でシンボルに満ちたシーンが展開され

                      時々、シーンをぶった斬って
                      現実なのか虚構なのか
                      それとも本編の方が虚構なのか
                      真っ赤な舞台が
                      照明の関係で真っ黒になって
                      出演者が消えたり
                      出演者が真っ黒になって固まっていたり

                      見事にぶっ飛んだ演出で
                      最初から最後まで、ともかくも異様な雰囲気。

                      将軍が死の病に侵されていて
                      森も害虫に滅ぼされようとしている事実を
                      ひたすら隠して
                      閉じ込めようとする虚構の中に
                      何重構造にもなって、死が紛れ込んで来る。

                      いや、面白いわこれ。
                      ゾッとして鳥肌が立つし
                      観客側としても
                      現実と虚構の狭間に立たされて
                      ワケのわからない不条理に翻弄される。

                      不思議な音楽も入って
                      俳優さんが、みんな歌うし、踊る。

                      トーマス・ベルンハルトらしい
                      演劇への罵倒も充分にあって
                      皮肉の炸裂もある。

                      初期作品だから、毒の割合は少なめで
                      もっと直裁的に死のテーマが扱われているけれど
                      肉体の崩れ、森林の侵食
                      集まった人たちの
                      言葉による「殺し合い」の応酬とか
                      残虐で容赦のない扱い方の毒が圧巻。

                      木こりのアザマーの存在感が凄い。
                      歩くたびに音がするのだけれど
                      あれはサウンド・デザインと
                      寸分の違いもなく
                      俳優さんが動いているわけで
                      そこらへんの演技の巧さにも唸る。

                      マリア・ハップルは有名な女優さんで
                      その役作りや圧倒的な存在感に呆気に取られる。
                      マルクス・ショイマンが演じた小説家に
                      控えめでマジメなのに、毒のあるセリフが多いのは
                      ベルンハルトの自己投影かもしれない。

                      いや〜、昨年のデッド・センターなんかもそうだけど
                      現代の技術による演出の可能性の拡大というのは
                      凄いなぁ、とつくづく思う。
                      現実と虚構を自由自在に舞台の上に出すだけの
                      コンピュータ技術が出来ているというのが
                      (そして、それを使いこなせる演出家が居るというのが)
                      特に演劇分野において突出しているのは
                      実に楽しい。

                      ドイツ語演劇は言葉の問題もあって
                      一時期、ゲーテだのグリルパルツァーとか
                      レッシングとか
                      ドイツ文学専攻であれば知っているはずの演劇を
                      何回か観に行って
                      ま〜ったくドイツ語の理解が出来ず
                      絶望した時期もあったけれど
                      (ちなみに、私はドイツ「文学」専攻ではございません、念の為)

                      トーマス・ベルンハルトあたりなら
                      ドイツ語の問題はあまりない。
                      (エーデン・フォン・ホルヴァートあたりから大丈夫。
                       トーマス・マンは無理だけど
                       クラウス・マンのメフィストは、ギリギリ何とか)

                      会場の大きいブルク劇場とは違い
                      アカデミー劇場は小ぶりだし
                      ブルク劇場の演劇は長いものが多いが
                      (シェークスピアのリア王(ドイツ語版)なんか
                       ワーグナーもびっくりの5時間だった)
                      アカデミー劇場は短い作品が多いのも良い。

                      劇場は1年間のプランではなく
                      数ヶ月ごとのプランが出るため
                      これ観たい、と思ったら
                      もうその日は別の予定があったりするが
                      たまには演劇も良いなぁ、と思う
                      単純な私に
                      どうぞ1クリックをお恵み下さい。


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