先日のウィーン・フィル定期公演で
チャイコフスキーの「悲愴」でのブラボーのフライングと
それに続く大喝采について
感情任せでツィートしたら
何だかちょっとえらい数の「いいね」が付いたので
いや、いいね、とか付いてもらったら困るのだが((^◇^;)
たまたまウィーン・フィルの定期公演という
敷居の高い(と思われている)コンサートだった事もあったので
私もちょっとビックリしたのだが
私が行けなかった土曜日の定期に行った同僚に聞いてみたら
土曜日は第1楽章の後と第3楽章の後に拍手が入ったそうだ。
拍手のフライング、ブラボーのフライングは
実はあまり珍しい事ではない。
歴史的に、交響曲が終わるまで拍手をしない、というのは
かなり近代になってから出来たマナーなので
昔は楽章間で盛大に拍手は出ていたのである。
一部のクラシック・ファンから
コンサートの前には、ちょっと予習して行こうよ
という意見も出ていて
私もそれには賛成なのだが
コンサートの前に「予習する」という発想は
たぶん、ヨーロッパでは、ない、と断言できる。
何が演奏されているかは
ウエブ・サイトやプログラムに記載されている。
プログラムは、国立オペラ座を除いては
楽友協会やコンツェルトハウスの場合はドイツ語だけだし
しかも有料なので、買わない人も多い。
世界に名だたる(笑)楽友協会の中を見たい(だけ)とか
世界に名だたる楽友協会でコンサートを聴きました、とか
顔本とか囁きとかブログに書きたい(だけという)方々も多いと思う。
だから別に何が演奏されていても良いという人も居る。
「音楽の都」ウィーンは
せっかくウィーンに行くなら
やっぱりコンサートかオペラでしょ、と
今までの人生で
一度もコンサートとかオペラに行った事のない人でも
ウィーンだとコンサートやオペラに行きたくなる(らしい)
美術館などに行った事のない人が
パリに行くならルーブルよねぇ、と行くような感覚だろう。
加えて
ウィーンの「クラオタ」率は非常に少ない!!!!!!
これは強調しておくべきだと思うのだが
ウィーンのいわゆる上流・中流階級の人たちがコンサートに行くのは
ステータス・シンボルないしは社交界の意味合いが強いので
クラシック音楽を聴きに嬉々として通っているワケではない人が多い。
(まぁ、それでも長年通っていれば、それなりに詳しくなったりするけど)
クラオタが居ないとは言わない。
私のように身を持ち崩したクラオタも何人も居るし
引退した年配で
毎日オペラ座の立ち見席に出没する人もかなり存在する。
(オペラの方は私は知らないが、そういう人が居る事は知っている)
観光客+社交界という2つの要素を鑑みるに
ウィーンのコンサートに来ている聴衆の「クラオタ率」は
日本に比べたら雲泥の差で少ないのが事実なのだ。
楽友協会に比べて
コンツェルトハウスでのフライングが少ないのは
コンツェルトハウスはジモッティが多くて観光客が少ないのと
コンツェルトハウスのプログラムには
大体の演奏時間が書いてあるので
いつ頃のタイミングで曲が終わるか推測しやすいという理由がある。
知らない曲で、どのタイミングで拍手したら良いか
100%の自信がない場合には
普通は周囲の雰囲気を読むと思うのだが
「知らないと良し悪しの判断が出来ないんですか?」
という意見を頂いたので、それに対しての私の立場を述べたい。
私は音楽はド・シロートだし
音楽教育も受けていないし
しかも感受性ゼロなので
恥ずかしい事に、曲の良し悪しの判断が出来ない(涙)
初めて聴く音楽の場合は
悲しい事に、その曲が好きか嫌いかも判断できない(涙)
よって私の好き嫌いの判断は
CD などの録音データを、最低10回以上(できれば30回)聴いてみて
更に、それでも(少なくとも時々は)聴きたくなるなら
それは私の好きな曲で
それ以上聴きたくないなら、あまり好きじゃない曲、という
何だかもう、自分で書いていても恥ずかしくなる位の
原始的な判断方法しか持っていない。
(あ〜、感受性のなさが恨めしい)
演奏の良し悪しは
本来であれば、その曲のスコアを研究して
自分なりの解釈とイメージを持ってから判断すべきだと思うのだが
ダブル・ドミナントで躓いているアホ人間が
そんな専門的な事を理解する事が出来る将来が来るとは思えない(汗)
代替え案として、録音データで30回以上聴いて
(耳逆らいが起こらないように2種類以上を混ぜて聴く)
自分の中である程度のイメージを持ってコンサートに臨むというのは
昔、時々やってた(今は面倒でやってない)
だから知らない曲で感激して
ブラボー・コールを(フライングで)叫ぶ人の心理は
私にはさっぱり理解できない。
きっと私には備わっていない鋭い感受性を持った芸術的な方々なのであろう。
(比較するべき対象を持って居ないと、私は判断できないから)
拍手やブラボーのフライングは珍しい事ではない、と書いたが
夏の風物詩になっているグラーフェネックの夏のフェスティバルも
数年前までは、楽章間拍手が付き物だった。
(グラーフェネック名物楽章間拍手(笑))
ウィーンからの観客が増えてから少なくなったが
私の左の人が、私の右の人に向かって
「楽章間は拍手しないんですよ!」と注意して
私の右の人が私の左の人に
「え?何で?」と反論する、というシーンも体験済み。
オーケストラ・メンバーでも
楽章間拍手が気にならない人と、気になる人が居るようで
指揮者も、楽章間拍手を微笑ましく思う人と怒る人がいるようだ。
私個人としては
集中力が欠けてしまうので、できれば避けて欲しいとは思うけれど
それよりも何よりも
拍手やブラボーのフライングがあると
オーケストラや指揮者から
「あっ、今日の観客はクラオタじゃない。
多少手抜きしても大丈夫だし
音楽なんかわかる聴衆じゃないじゃん」
と思われそうなのがイヤなの(断言)
意味のないプライドだとは思うけれど
コンサート(でもオペラでもバレエでも)って
演奏している側と、聴いている側の
丁々発止みたいな緊張感があって欲しい。
演奏する側が
今日の聴衆は気を抜けないぞ、と緊張するような
(まぁ、プロの方々はしないだろうが(笑))
手抜きの演奏したら、ブログに何書かれるかわからん、と思われるような
(あ〜、すみません(爆笑))
まぁ、実際、そういう事は絶対に起こりえないのはわかってはいるけれど
プロのオーケストラが全力で演奏する音楽を
真摯に受け止められるだけの耳と経験を持った
そういう聴衆でありたい、というのは
私の密かな野望(はいはい、無理です、わかってます)
演奏する側からしても
何を演奏してもどうでも良い聴衆とか
何をどう演奏しても感激する聴衆とかより
ある程度の聴く耳を持った聴衆が居るというのは
演奏の励みに・・・ なるのかなぁ・・・? (わかりません)
結論
ウィーンの聴衆のクラオタ率は非常に低い
クラオタでないのに良し悪しの判断が出来る人も多い(らしい)
私個人としては、拍手やブラボーのフライングがあると
演奏側が聴衆側の判断力を軽視するのではないかというイヤな妄想に取り憑かれる
何が理想の聴衆なのかはともかくとして
ワタシにもクラオタのプライドがあるから(そんなもん要りませんが)
やっぱりフライング・ブラボーや拍手は
できるだけ避けて欲しい、と切に希望する。
まとまりのない独断・偏見の記事になりました事を
心よりお詫び申し上げます。
意見、反論その他
本来であれば、ここで議論するのも面白いとは思うのだが
今学期、授業詰め込み過ぎて
今週末から試験が続くし(まだ勉強してないよ・・・)
楽理・分析でまたもや躓いているので
7月初旬までは、この件について
メールやツィッターその他のコンタクトをいただいても
誠に勝手ながら無視させていただきます。
・・・という本当に勝手な私に
どうぞ1クリックをお恵み下さい。
・・・しかしウィーンの最近の暑さ、何とかならんかなぁ。
図書館に居ても、あまりの蒸し暑さにダラダラ汗が出るだけで
勉強できない(←サボる口実・・・😓