クラング・フォールム + エミーリオ・ポマリコ

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    日曜日のトリプル・ヘッダー(アホかワタシは)
    時系列に読みたい方、午前中のウィーン・フィルは ここ
    午後のバイエルン放送響とラトルは こちら

    下は夜のコンサートの個人メモです。

    2024年3月17日 19時〜20時45分

    Wiener Konzerthaus - Mozart Saal
    Klangforum Wien
    オーボエ Markus Deuter
    ビオラ Paul Beckett
    指揮 Emilio Pomàrico

    „Quadro italiano“

    Luciano Berio (1925-2003)
     Chemins II (su Sequenza VI)
     für Viola und neun Instrumente (1967)

    Niccolò Castiglioni (1932-1996)
     Morceaux lyriques für Oboe und Orchester (1982)
     (Bearbeitung für Oboe und Ensemble von Emilio Pomàrico, 2023)

    Emilio Pomàrico (*1954)
     Konzert für 24 Instrumente
     Paralipomena a „Caractères“ (1964) di N. Castiglioni (2023)

    クラング・フォールムのチクルスは
    ご存知、今シーズンは売り切れで
    でも、ちょくちょくキャンセルのチケットは出るので
    今回も狙って狙って
    出て来たキャンセル・チケット(結構お高い席)を確保。

    来シーズンは何とか席を確保したい、と
    コンツェルトハウスに申し込みはしているのだが
    チクルスのお客さまが戻さないと出て来ないので
    現在、キャンセル待ち。

    ちっ、まさかウィーン・フィルの定期公演以外で
    キャンセル待ちでないと取れないチクルスが
    現代音楽である、という時代が来るなんて
    誰も思っても見なかっただろう。

    現代音楽ファンとしては嬉しいが
    チクルスで来ている全体の80%を占める
    ご年配のお客さまたちって
    やっぱり自分で若い頃に
    ダルムシュタットとか行っていた人たちなんだろうなぁ。

    「現代音楽」と銘打っても
    ブーレーズもシュトックハウゼンもケージも
    最近ではバートウィッスルやツェルハ
    ついこの間はアリベルト・ライマンも亡くなって
    「現代音楽」というより
    既にクラシック的な作品も多いと思う。

    さて、今回のコンサートは
    イタリアのキャンバスと銘打って
    ルチアーノ・ベリオとニッコロ・カスティリオーニ
    そして指揮者のポマリコが
    カスティリオーニのモチーフで作曲したパラフレーズ。

    ベリオの Chemins II (su Sequenza VI) は
    自分の作曲したセクエンツァを
    自分で分析し、拡大し、解釈したもの。

    もともとセクエンツァが
    とんでもない超絶技巧の曲なのだが
    それを更に超絶技巧にしたような感じ。
    ビオラのプレイヤーの
    目にも止まらぬ速さのボーゲンの扱いに
    絡んでくる他の9つの楽器。

    きゃ〜、もう、目が点。
    これ、セクエンツァと一緒に聴いたら
    面白いだろうなぁ。
    後でセクエンツァも聴いてみよう。

    さて次の曲のニッコロ・カスティリオーニ
    私は無教養なので知らなかった。
    指揮者のポマリコと仲が良かったらしく
    ぜひ作品を紹介したい、という意向だったらしい。

    で、え? なに、この曲???
    ちょっと言葉にならない・・・

    最初のオーボエのソロだけ聴くと
    あ、12音技法を継承した人か、と思うんだけど
    オーボエのソロに絡まってくるピアノ
    その後に他の楽器で繰り返されるモチーフ

    オーボエと他の楽器とのアンサンブルが
    12音技法を越えて
    トナールな技法になりながら
    ものすごい自由度を持った完成形になっていて

    「音楽」として純粋で
    しかも
    むちゃくちゃ親しみ易いんですよこれ💡

    すごいユーモアあって
    なんですか、この楽しさは・・・
    オーボエのプレイヤーは
    クラング・フォールムのメンバーだが
    ものすごい技術 😳

    いやビックリ、驚き、楽しさ満杯。
    女の子っぽく言っちゃうと
    ひたすらカワイイのだ、この曲。

    他のプレイヤーだが
    Spotify で見つけたので貼っておく。
    20分ほどの曲。

    レジスターが高いので
    現代音楽聴き慣れていない人には
    ちょっと金切り声に聞こえるかもしれないが
    途中からトナールのメロディが
    ユーモアたっぷりに入ってくるし

    最後から2曲目の
    超絶技巧オーボエ・ソロはひたすら凄くて
    その後は
    トナールのオーボエ猫が遊んでいると
    そこに一緒に遊びたくて
    入ってくる犬がキャンキャン吠える
    (ように聴こえる)

    この録音では強調されていないけれど
    最後の1音がライブで聴くと非常に印象的。



    いや〜、ナニこれ、楽しい 😀

    破天荒なラヴェルと
    ひたすら正統的で真面目なブルックナーに
    嵐のような感情に振り回されたマーラーの後に
    一服の清涼剤って感じ ❤️

    休憩の後は
    指揮者のポマリコが
    友人だったカスティリオーニのモチーフを使って
    それを発展させたりして作曲したもの。

    指揮者として、作曲活動に専念できなかったポマリコが
    2020年からのコロナでのロックダウンの時期を利用して
    作曲したものだそうで
    本日が初演である。

    カスティリオーニのモチーフを使っているとは言え
    もともとのモチーフ、私は知らないし
    どういう方法で、ポマリコがモチーフを弄ったかも
    作曲技法に知識がないのでわからないが

    音響のバリエーションが素晴らしい。
    聴いていて、夢中になるくらい
    音の力と色彩の嵐。

    30分の曲なんだけど
    終わった時に
    え?これでもう終わり?って
    客席で呟いてしまったほどに
    まだまだ、このバリエーションを
    聴いていたい、と思わせる作品になっていた。

    というワケで
    1日トリプルのコンサートのハシゴは
    これにて終わり。

    バリエーションが豊かで
    面白い1日にはなったものの

    まだ済んでいない大学の宿題が 😱
    (コンサートとコンサートの合間に
     国立図書館に行ってはいたのだが
     学生多過ぎて席が全くなくて・・・)

    仕事だったら
    とっくにクビになっているだろうが
    仕事は引退したから良いんだもん
    ・・・とか
    謎の理由で自分を正当化する
    卑怯者の私に
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    バイエルン放送交響楽団 + サイモン・ラトル 2日目

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      本日日曜日は朝から3つのコンサートをハシゴ。
      最初のコンサートのメモから読みたい方は こちら から。

      下は午後のコンサートの個人メモです。

      2024年3月17日 15時30分〜17時

      Musikverein - Großer Saal
      Symphonieorchester des Bayerischen Rundfunks
      指揮 Sir Simon Rattle

      Gustav Mahler (1860-1911)
       Symphonie Nr. 6, a-moll „Tragische“ (1903/04)

      ラトルのマーラーは
      私が比較的初期に全集をCDで買って
      何回か聴いたものなので
      もしかしたら、私のマーラーの原点になっている
      ・・・かもしれない、わからないけど 🙇

      このチクルスは持っていなかったので
      (インテリが読む日刊新聞
       ディ・プレッセのチクルス)
      会員発売当日に買ったのだが
      ラトルが見える席が1席だけ空いていて
      いや〜、ラッキー 😀

      行ってみたら
      どうも年配ご夫婦の奥さまだけが
      別の席をお求めになったようで
      (詳しい事情は知らんし関知しない)

      お隣の上品な年配のご婦人から
      「この席は音楽のすぐ上だから良いわよ」
      と親切なお言葉を掛けられた。

      ・・・知ってますよワタシ 😆
      たぶん、貴女より楽友協会に来てると思う(言わないけど)

      ラトルは客席が静かになってから
      指揮棒を振りたいらしいが
      楽友協会で静寂って無理ですから・・・

      (絶対に誰かがガタンと音を立てるし
       舞台が見えない席が多いので
       演奏直前まで、いや演奏が始まっても
       小声で喋る人も多い)

      重いリズムを刻む第1楽章の
      慟哭に満ちた、埋葬?あるいは軍隊の行進曲。
      ものすごい感情を込めて
      エネルギー爆発させて
      めちゃくちゃ力いっぱいに
      顔をひたすら歪ませながら
      指揮棒を振り回すラトル。

      この指揮者、表情を見てると
      本当に面白い(すみません悪趣味で)
      声は出さないけど
      一緒に歌ってる。

      ところで唐突だが
      ワタシは、友人から
      「感情のない女」と言われていて
      それが当たっている自覚はあるが
      時々、夢の中で感情の嵐に揉まれる事がある。

      朝起きてみて
      自分でもえっ?と思うほどの胸苦しさと
      同時に、ある意味、すごいカタルシスがあるのだが
      昨日の夢の中で
      久し振りに感情に翻弄されて
      何だか非常に良い気分で
      マーラーに挑戦、という良い精神状態。

      こういう時には
      ラトルが、どれだけのめり込んで
      あたり構わず
      音楽で泣き叫んで叫び散らかして
      慟哭して、悶えていても
      このアホ、とは思わないのである。

      第2モチーフの美しい旋律は
      鬱で暴力的な行進曲とは
      打って変わって
      愛に満ちた憧憬を
      胸苦しいばかりに表現して来て

      こういう分裂症的なマーラーって
      ラトルが振ると
      すごく分裂症で合っていて
      納得行くし面白い。

      第2楽章の尖り方も素晴らしい。
      強いオーケストラを強力に鳴らしているのだが
      楽友協会の大ホールという
      残響たっぷりの音響の中での演奏にしては
      音が団子状にならず
      どのパートもクリアに聴こえて来るし
      音量の大きさ以外の要素で
      力強さを演出して行くのは見事。

      途中にチラチラ出現する
      キッチュで甘いメロディは
      とことん甘くロマンティックに出してくるのも
      分裂症っぽい表現が得意のラトルらしい。

      途中のカウベルの扱い方には目を剥いた。
      って言うか
      こんな繊細で美しい響きのカウベル
      「カウ」じゃない・・・
      あくまでも都会っぽい柔らかな響きで
      オーケストラの音の絨毯の中に
      繊細に隠れてキラキラ光って落ちてくる。

      ラトルは最初から最後まで
      身体の動きも表情も
      力一杯って感じで
      精神的に入れ込んで入れ込んで
      ひたすら感情の世界を表出している
      ・・・だけに
      細かい部分のズレとか齟齬が
      ないワケではないのだが
      それもこの指揮者は、きっと織り込み済み。

      全体的に流れる
      慟哭と悲劇と
      溢れる愛の苦しみと
      運命に翻弄される感情の嵐を
      どうしても描きたかったに違いない。

      最終楽章のハンマーは
      音量だけではなく
      ホール全体の内装が振動するような
      (オーケストラの上だから
       マジに振動した)
      音とか音楽とか言うよりは
      体感的なショック。

      最後のカウベルが
      どちらかと言うと
      教会での葬儀の時の鐘っぽく聴こえたのは
      指揮者の確信犯だと思うけれど
      もちろん、私の解釈間違いである可能性は高い。

      最初から最後まで
      集中力マックスで押し切って
      すごいエネルギーの奔流だった。

      これ、ベルリン・フィルとかだったら
      もっと筋肉質でマッチョな演奏になるんだろうな。
      バイエルン放送響は
      そこらへん、割にノーブルさ・・・というか
      金持ちミュンヒェンのブルジョワ階級の感じがあって
      (もちろん偏見と認識バイアスのなせる印象)

      ちょっとした縦線のズレなんかが
      かえって人間くささというか
      抑えきれない感情の放出っぽくて
      リアルさが増したような気がする。

      いや〜、昨日の夜、感情任せの夢を見て良かった 😄
      って、そういう問題じゃないが(ごめんなさい)

      久し振りに感情的に
      ズブズブにマーラーの世界に取り込まれて
      ひたすら気持ち良く
      図書館に足を運んでから
      最後の夜のコンサートに向かった
      懲りない私に
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      ウィーン・フィル + ズービン・メータ 2回目

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        2024年3月17日 15時30分〜17時45分

        Musikverein - Großer Saal
        Wiener Philharmoniker
        指揮 Zubin Mehta
        ピアノ Martha Algerich

        Maurice Ravel (1875-1937)
        Konzert für Klavier und Orchester, G-Dur

        Anton Bruckner (1824-1896)
        Symphonie Nr. 7, E-Dur, WAB 107

        メータとアルゲリッチ2日目。
        本日はオーストリア国営放送ラジオ1番で
        ライブ放送がある。

        ・・・だから
        昨日のような、ド派手なアンコールはないだろう
        (放送時間の関係もあるだろうし)
        と推測していたのに

        何と、またもや
        ラヴェルの最終楽章をもう1回
        アンコールで演奏したのにはひっくり返った。

        しかも昨日よりオーケストラが巧くなってる(笑)
        土曜日はアタアタしていた第3楽章の木管・金管も
        ズレなくピアノにしっかり絡まって来て

        いやその疾走感と言ったら
        快感と言う言葉はこのためにある。

        その後はバッハのイギリス組曲3番からのガボット。
        いやすみません、バッハ知らなくて
        スカルラッティかな、と思っていたら
        後でラジオを聴いたら、曲目をアナウンスしてくれていた。

        アルゲリッチの弾いたアンコールの動画が
        過去のものだがあったので、貼っておく。
        音の立ち方とクリアさの素晴らしさに
        どうぞ驚いて下さいませ 😀



        さて、ラヴェルのピアノ協奏曲については
        昨日、散々書いたし
        今日のオーケストラの性能が
        かなりアップして
        快感でドキドキ。
        まだ、火曜日・水曜日に
        あと2回聴けると思うと幸せでたまらない ❤️

        後半のブルックナーの交響曲7番。
        好きな曲ではあるし
        ズービン・メータ(御歳87歳)の指揮を見ていたけれど

        でき過ぎだよこれ・・・

        座った状態での指揮で
        指揮棒は使っていて、暗譜。

        メータの指揮は
        必要な指示は全てする
        不要な動きは一切しない
        と言うのに尽きる。

        目立とうとか
        ヘンな事をやろうとか
        モダンに現代的に演奏させようとか
        そういう類の雑念が全くなくて

        純粋に
        ブルックナーの7番って
        これだよね
        ・・・と思ってしまう演奏。

        ゆっくり目のテンポに乗る
        長いボーゲンで描き出されるメロディ・ライン。
        教会のオルガンの音に似ていながら
        オーケストラの音響を最大に活かした
        深みのある厚い音色。

        前半が自由奔放、洒落っ気たっぷりの
        ユーモアと華やかさに満ちた雰囲気だったのに

        後半は突然変わって
        敬虔で、齟齬のない
        正統的で真面目で
        徹底的に美しいブルックナー・・・

         お洒落でユーモアあって
         自立していて、共稼ぎもOKで
         自由で奔放な女の子を好きになって
         結婚したら

         子供を作るという目的以外の
         イチャイチャは許されず
         聖処女っぽくなってしまって
         食事ごとにお祈りを強要されるんですが
         どうしたら良いでしょう?

        と、どこかの掲示板に
        書き込みがありそうな雰囲気。

        聴衆としても切り替えが難しい 😓

        本日はオーストリア国営放送ラジオ1番で
        ライブがあって
        休憩中にメータにインタビューしていたのだが
        メータ自身も
        このコンビネーションは
        アルゲリッチの希望でない限りは
        やらないだろう、と言っていたから

        指揮者としても切り替えが
        困難だっただろう事は想像がつく。
        (でもブルックナーは
         オーストリアに来てから知って
         名だたる名指揮者で聴いて
         大好きになったような事は言っていたから
         やっぱりブルックナーを演奏したかったんだろうなぁ)

        ラジオのインタビューで
        若い頃は
        楽友協会やオペラ座の立見席に
        チケットなしで潜り込んで
        ウィーンに感謝してる、という
        危ない言及もあったが(爆笑)

        今は若い人向けに
        チケットを安く放出しているし
        潜り込みは出来なくなっているから(たぶん)
        ちゃんとチケット買って
        行って下さい・・・

        とラジオを聞きつつ
        ついつい祈る気持ちになった私に
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        バイエルン放送交響楽団 + サイモン・ラトル 1日目

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          土曜日のダブル・コンサート
          マチネから時系列に読みたい方は こちら からどうぞ。
          下は夜のコンサートの個人メモです。

          2024年3月16日 19時30分〜21時40分

          Musikverein - Großer Saal
          Symphonieorchester des Bayerischen Rundfunks
          指揮 Sir Simon Rattle

          Richard Wagner (1813-1883)
           Vorspiel und „Isoldes Liebestod“
           aus „Tristan und Isolde“

          Thomas Adès (*1971)
           „Aquifer“ für Orchester (ÖEA)

          Ludwig van Beethoven (1770-1827)
           Symphonie Nr. 6 F-Dur, op. 68
           „Sinfonia pastorale“

          メータとアルゲリッチの合い間に
          バイエルン放送交響楽団とラトルの客演。

          何て素晴らしい都市なんだウィーンは。
          お財布には優しくないが。

          実はこんな動画を見つけてしまい
          見てしまったので
          本日は認識バイアスたっぷり。



          まずはトリスタンとイゾルデ。
          こういう音楽、得意じゃないんだけど
          ふとした折に
          ふいっと連れて行かれてしまう瞬間がある。

          ダイナミック・レンジの大きい曲想の付け方と
          弱音部分の透明感で
          激しいまでに盛り上がる焦燥感というか
          ワーグナーって
          どこまで情熱的・・・というより
          本能に忠実で素直だよね。
          (ワーグナー・ファンの皆さま、ごめんなさい)

          こういう音楽に没頭して陶酔できる人って
          感情と本能がスクスク育って来た
          幸せな人じゃないだろうか。

          いや、ワタシもものすごく幸せだが
          途中で感情を置き去りにして来ているので(笑)
          どうしても
          こういう恋愛モノに共感出来ないのは
          もう仕方がないと思うしかない、すみません。

          トーマス・アデスの曲は
          オーストリア初演。
          バイエルン放送交響楽団とカーネギー・ホール
          そしてウィーン楽友協会の委嘱作品だそうだ。

          う〜ん・・・微妙・・・(単に好みの問題)

          アデスらしい複雑なリズムとコンビネーションはわかるが
          オーケストレーションが分厚すぎる。
          トナールに近い和声で
          モチーフもある程度聴き取る事は出来るのだが
          モチーフの展開に頭がついていけず(自業自得)

          プログラム記載の通り
          7つの部分に分かれているのも
          クリアに理解できるものの

          今ひとつ、聴衆を無理やり音楽の世界に
          引き込む力が足りない・・・というより
          ワタシの妄想を喚起しないのは

          帯水層という
          人間的なドロドロを喚起させない
          ドライなテーマだからかもしれない。

          自然の描写って
          古今東西の作曲家が扱っているものだし
          第一、帯水層って
          実際に見られるものでもない。
          地下水なんて、ほとんど意識した事ないもんなぁ。
          もちろん、私の自然科学的知識の欠乏によるものだが。

          オーケストレーションの厚みから言うと
          ワーグナーと似ているので
          そこらへんのコンビネーションも不利だったかも。

          さて、バイアスたっぷりのパストラーレ。
          最初のモチーフの繰り返しって
          もしかしたら馬車の音?
          第二モチーフで到着を表現して
          繰り返しは・・・何なんだろう、記憶かな?

          小川の情景の弦の響きの美しさ ❤️
          柔らかい音響がホールを満たして
          なんとも平和な気分になって

          農民の踊りは
          あはは、金持ちミュンヒェンのオーケストラ(偏見)
          都会的に洗練されていて
          当時の農民の(私の妄想による)ワイルドな感じが
          すっぽり抜け落ちてノーブルになってる(笑)

          続く嵐から認識バイアスが掛かってくるのだが
          激しい嵐で多大な損害が発生して

          ラトルが言っているように
          何人かは犠牲になったのかもしれない。

          だって最終楽章の初めで
          太陽が出てくる、というよりは
          これ、もしかしたらレクイエムですか?
          としか思えない雰囲気なんだもん(だから認識バイアス)

          ラトルは何でも「悲劇的」なものが好きなようで
          マーラーの交響曲7番についてさえ
          最も悲劇的なハ長調と言っているくらいだから
          ベートーベンの6番の最終楽章が
          最も悲しい、悲惨なへ長調と解釈するのも
          まぁ、わからんでもない。

          それは個人の好みだし
          解釈だから
          多様性の社会だし
          どう思っても良いのである。

          私としては
          聴き慣れて手垢がつきまくった
          パストラーレに
          こういう解釈もありか、と
          面白く思った。

          私の好みか、というと
          それは違うけれど。

          ちょっと湿った雰囲気になったので
          それをぶっ飛ばすような
          景気の良いアンコールを1曲ぶちかませて
          ホールの雰囲気をアゲたのは
          ラトルのサービス精神だろう。

          ラトルは振る曲によって
          豹変する不思議な指揮者なので
          明日のマーラーでは
          また違う面(もっと悲劇的?)を見せてくれるかも。

          あ、もちろん
          明日の午後のコンサートにも行きます✌️

          という懲りない私に
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          明日の日曜日は
          恐ろしい事にトリプル・コンサート。

          ただし、夜はマタイ受難曲ではない。
          (楽友協会もコンツェルトハウスも
           違うオーケストラと指揮者で
           マタイ受難曲のコンサートなのだ。
           そういう季節なので)

          ウィーン・フィル + ズービン・メータ 1回目

          0
            2024年3月16日 15時30分〜17時45分

            Musikverein - Großer Saal
            Wiener Philharmoniker
            指揮 Zubin Mehta
            ピアノ Martha Algerich

            Maurice Ravel (1875-1937)
             Konzert für Klavier und Orchester, G-Dur

            Anton Bruckner (1824-1896)
             Symphonie Nr. 7, E-Dur, WAB 107

            今日から4日間は
            メータとアルゲリッチ祭り(笑)
            87歳と82歳のカップリングである。

            しかもラヴェルのト長調ピアノ協奏曲 🥳  と
            ブルックナーの交響曲7番のカップリングなんて
            プログラムで見たことないぞ。

            ラヴェルのピアノ協奏曲。
            うわああああ
            アルゲリッチのテンポが速いし
            打鍵が強い。
            オーケストラ、もろ押され気味で
            必死について行ってる印象。

            舞台が見えない貧民席(納得済み)なので
            ここからピアニストも見えずに
            ただただ、ひたすら音響だけを聴いていると

            ピアニストに腕が4本くらいあるんじゃないか・・・
            現実的に考えたら
            1人じゃなくて2人でピアノ弾いてない?

            だって、ピアノの音色のバリエーションが凄いのだ。
            いや、音色の豊かさは時々聴くけれど
            同じフレーズの中(要は手が2つ)で
            どれだけ違う音色を出してるの、この人 🤯

            第2楽章の哀愁に満ちたソロも良かったけれど
            最終楽章の、最高速の
            疾走感溢れる演奏には呆気に取られる。
            管楽器のプレイヤー、むちゃくちゃタイヘン。

            うはははは
            本当にこの腕が4本か5本ありそうなピアニストが
            82歳って、嘘だろ、としか思えない。
            魔女か妖精か
            なんかそういう人外のモノのような気がする。

            ピアノが緻密で
            打鍵が強くて
            一つ一つの音が立ちまくって
            全体的な流れがイキイキしていて
            音色がその時々でとんでもなく変化する。

            こんなハードな曲を演奏した後の
            アンコールはないだろう、と思っていたら

            何と、第3楽章を初めから丸ごと
            アンコールで弾いた・・・
            (ぎゃ〜っ、木管・金管さん、お疲れさまです)

            うおおおお
            なんだこれ、本当に人間技か、と
            ほとんど呆れてひっくり返っていたら

            なんと
            ラヴェルの「水の戯れ」

            おいおいおいおい
            どういう体力・・・・

            これがまた絶品で
            ピアノの音色、特に高音の色が素晴らしい 😭

            もう、何か、前半で
            お腹いっぱいになってしまい
            ブルックナーの交響曲7番
            どうでも良い気分(すみません)

            本当に前半で集中力を使い果たしたので
            ブルックナーの交響曲7番
            いや、素晴らしい演奏だったし
            ブルックナーの中でも好きな曲だし
            楽しかったんだけど
            前半の印象が強烈すぎた。

            まだ明日の日曜日定期
            月曜日の楽友協会主催のコンサートに
            火曜日には会場を変えてコンツェルトハウスで
            同じプログラムが3回続くので
            ワクワクしている私に
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            ウィーン放送交響楽団 + マリン・オールソップ

            0
              2024年3月15日 19時30分〜21時

Musikverein - Großer Saal
              ORF Radio-Symphonieorchester Wien
              指揮 Marin Alsop

              Gustav Mahler (1860-1911)
               Symphonie Nr. 9 D-Dur

              ウィーン放送交響楽団とオールソップが
              マーラーを演奏する、と言うなら
              行かない、という選択肢はない(笑)

              最近、楽友協会のチケットはよく売れている。
              チケットの値段は急激にアップはしているのだが
              その代わり
              14歳から29歳までの若人には
              むちゃくちゃ安くて良いオファーをしているのだ。

              え〜い、シニアにもオファーをくれ。
              係の人も
              こんなに来ているのに
              何の割引もないの?ってビックリしてるのに(笑)

              さて、この曲は
              ご存知の通り
              私は最終楽章は必ずスコア持ち込み。
              (アホなので、スコア見てないと
               どこで終わるのかわからず
               精神的に不安定になってしまう)

              オールソップ、ウィーンの聴衆に人気あるなぁ。
              どこのコンサートでも
              彼女が登場すると
              最初からブラボーが掛かったりする。

              女性指揮者の道を開いて来た人だし
              映画のドキュメンタリーを作ったりという
              セルフ・マネージメントにも長けているという理由もあるが

              ワタクシ的には
              この世代の「戦った女性指揮者たち」というのは
              本当に勉強熱心で優秀な人が多いと思う。
              (最近は「女性枠」で、まぁ、色々(以下自粛))

              この間のマーラーでも思ったのだが
              ウィーン放送響とオールソップのマーラーは
              解像度が非常に高くて緻密。

              各パートが紡ぐ糸が
              様々な色と太さで
              まるで極彩色の厚地の絨毯の
              織り目を見ているような気分になる。

              同時に、満ち溢れるエネルギーの奔流。
              オールソップの動きも情熱的で
              バーンスタインの弟子・・・って
              あまり関係ないか。

              バーンスタインのような
              思い入れたっぷりのケレン味てんこ盛りではなく
              (あっ、バーンスタイン・ファンの皆さま、ごめんなさい)
              もっとモダンな
              曲とワンクッション置くような
              分析的な部分での処理が非常に巧い。

              しかも、ものすごいエネルギーの奔流。
              この曲、よくマーラーの白鳥の歌とか言われて
              死を覚悟した(あるいは予感した)
              マーラーの最後の諦観と言われる事が多いが

              この溢れるエネルギーを持った曲の
              どこに「死」の予感があるのよ(個人的印象です)
              って言うか、ひたすら元気じゃん。

              流れるように溢れ出す音楽性とエネルギー
              皮肉に満ちたレンドラーは
              遅めに始めた、と思ったら
              見事にテンポをコントロールして
              中弛みのない緊張感をそのまま持続させて
              硬めの音響が非常に皮肉っぽい
              締まった筋肉質な演奏。

              第3楽章の奔放さも素晴らしい。
              コントロールは効いているけれど
              爆発するような鋭い響きが快感だし
              どこが「白鳥の歌」なんだ、こんなにエネルギッシュなのに。

              この曲、1910年に作曲され
              グスタフ・マーラーは1911年5月18日に亡くなって
              死後の1912年6月26日に初演された
              って言うのも「伝説の誕生」の理由なんだろうなぁ。

              名だたる音楽家や音楽評論家が
              こぞって「死の予感」に言及している上

              マーラーの解釈に大いなる影響を及ぼした
              指揮者メンゲルベルクのメモも残っているし

              現代の音楽学者も解釈学傾向のある人は
              (ご存知コンスタンティン・フローロス)
              「死の予感」を
              マーラーのスコアへのメモから読み取っている。

              だけど、曲そのものを聴く限り
              マーラーらしい
              尖った皮肉やシニカルさが山盛りで
              迫り来る死に怯えてるとか
              人生に別れを告げている、とか感じないんだけど
              それってワタシの感受性のなさなのか。
              (そうですきっとごめんなさい)

              最終楽章に
              キッチュなアダージョを使うのは
              他の交響曲でもあるので
              観客ウケ狙いの戦略とも思えるけれど

              その前の3楽章が
              元気で
              はちゃめちゃのエネルギー放出だったので
              その分
              フラット山盛りの変ニ長調の
              厚みのある和声の美しさにジーンとする。

              何だかヘンな陶酔感というか
              色気というか
              えらく艶っぽく聴こえて来るのは
              私の妄想が暴走しているからか・・・(ごめんなさい)

              もちろん、マーラーはこの曲を書いている時に
              死を意識して、その予感に怯えたかもしれないし
              (それ言うなら、マーラーの交響曲って
               全部がそうじゃないの?・・・8番は例外として)
              どういう意図と意味を込めて作曲したかは
              聴衆にはわからない。

              よく、最後の ersterbend (死にいくように)が
              引用されるけれど
              スコアには(少なくとも私の持ってるスコアには)
              ersterbend は
              最後の1音にだけ書いてあって
              他の場所には見つけられない。
              (要は、最後の音は
               消えいるように伸ばしてね、って事じゃないの?)

              どえらい大物たちが
              死の予感だの、生からの訣別だのを
              声高々に主張しているので
              聴衆としては
              そう言う意味合いで聴くのが
              正しい聴き方、と洗脳されちゃうけれど

              まぁ、多様性の世界が許容される
              今日この頃なのはありがたい、と
              ひたすら開き直るワタシに
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              個人的な好みではあるけれど
              この間のウィーン・フィルと
              フランツ・ヴェルザー=メストの
              摩訶不思議なコンサートより
              ストンと納得できる演奏だったと思う。
              良し悪しについてはノーコメント。

              アルディッティ四重奏団

              0
                2024年3月14日 18時30分〜20時30分

                Arnold Schönberg Center
                Arditti Quartett
                バイオリン Irvine Arditti, Ashot Sarkissjan
                ビオラ Ralf Ehlers
                チェロ Lucas Fels

                Daniel Serrano (*1991)
                 Visionen für Streichquartett (UA, 2024)
                  Karikatur
                  Denken
                  Gartenszene
                  Selbstportrait

                Arnold Schönberg (1874-1951)
                 Streichquartett Nr. 4 op. 37 (1936)

                *** Pause

                Harrison Birtwistle (1934-2022)
                 The Tree of Strings (2007)

                シェーンベルク生誕150年の年である。
                めでたい(たぶん)
                アルディッティ弦楽四重奏団も
                今年3月に設立50年を迎えるそうで
                めでたい(うん)

                シェーンベルク・センターでは
                150周年特別サイトも公開しているので
                ご興味ある方はどうぞ。(英語もあります)

                さて、数ヶ月前に
                つらつらこのサイトを見ていたら
                アルディッティ四重奏団が
                シェーンベルク・センターでコンサートをする
                と言うのに飛びついてチケットを予約。
                26歳未満は無料だが、その他の人は14ユーロ。
                それだって安い、うん。

                昨年のウィーン・モデルン現代音楽祭で
                聴くチャンスを逃したので絶対に行きたい。

                会場は満杯。
                年配の観客も非常に多い。

                ウィーン・モデルン現代音楽祭で
                アンケートを取った時に
                現代音楽コンサートの観客は
                自分でも音楽をやっていた人が非常に多い
                と言う結果が出たらしいが

                この年配のお客さまたちも
                大多数は音大出身とかで
                若い頃にバリバリ
                現代音楽を演奏していた人たちなのかもしれない。
                (我々の若い頃って言ったら
                 ダルムシュタットとかドナウ・エッシンゲンで
                 トータル・セリエが大流行していた時期だし)

                最初はアルノルド・シェーンベルク財団の
                奨学金を受けて研究・作曲をしている人の
                委嘱作品、約10分。

                シェーンベルクの描いた絵をもとに
                その頃にシェーンベルクが作曲した曲の
                モチーフを使用したものだそうだが

                作曲家曰く
                ものすごく弄ってあるので
                たぶん、そのモチーフを
                聴衆として見つける事は無理だろうとの事。

                シェーンベルクの曲のモチーフ
                ないしは12音技法で使われる音列を
                どの作品にせよ、見つけ出す事は
                私にはもともと出来ません、すみません。

                最初からフラジョレットばっかり(笑)
                特殊奏法の山盛りで
                この人、ラッヘンマンとかの影響があるんだろうか。

                絵画のイメージを音楽に映すと言うのは
                手元のプログラムに絵画が記載されていたとしても
                非常に困難で
                作曲家としても、イメージそのままを移そうとは
                思っていないだろう。

                ただ、絵画の持っている雰囲気は
                カリカチュアなら速めテンポの不規則なリズムを使ったり
                風景画なら、遅め静かなロングトーンを使用したり
                まぁ、普通に考えて
                トポイとして西洋芸術で多用される技術は聴こえて来る。

                続けてシェーンベルクの弦楽四重奏4番。
                1936年の作品。
                アメリカに移住した後
                12音技法ではあるものの
                数学的なドライな側面よりは
                音楽性に回帰して来る頃のもので

                うわあああ
                シェーンベルクってロマンティスト(笑)

                昔から、この作曲家
                頭が良すぎて12音技法とかの理論体系を考えたものの
                本当はかなりクラシックに
                情熱的で感情豊かな人じゃなかったんだろうか。

                もちろんアルディッティ・カルテットの
                解釈も大きな影響があると思う。
                エネルギーが迸るような強さが素晴らしい。
                12音技法にありがちな
                ドライな部分よりは
                感情がグイグイ迫ってくる感じ。

                休憩挟んで
                後半はハリソン・バートウィッスルの曲。

                何と私は、この曲をアルディッティ・カルテットで
                ナマで聴くのは3回目 😁

                島から住民を追い出して
                羊を飼うという政策で
                犠牲?になった島の様子を
                原住民の言語を用いて詩にしたものから
                インスピレーションを受けた、という曲。

                よく聴いていると
                追い出された原住民の嘆きとか
                無人になった島に
                波が押し寄せたり、風が吹いたり
                何となく妄想は掻き立てられる。

                自然界の中にありそうな
                音響を巧く使っているからかもしれない。
                特殊奏法、ほとんどないんだけど
                その意味では非常に面白い。

                30分ほどの曲だけど
                聴いているだけで
                妄想浮かびまくりなので
                ほとんど退屈しない。
                自分の中でストーリーが出来てくる感じ。
                ついでに絵画的印象も。

                う〜ん、こういうのが
                聴覚と視覚の相互作用?(いや違う、ただの妄想)

                最後はハイドンのさよなら交響曲のごとく
                1人去り、2人去り
                チェロがピチカートとアルコのモチーフで
                誰もいなくなった島に
                打ち寄せる波と風を
                ・・・表現してるんだろうか、知らんけど(笑)

                アンコールに
                アルディッティ氏が
                リゲティのピチカート・ポルカをやります(爆笑)
                ピチカートだけじゃなくて
                途中、アルコもあるけどね 😁

                このコンサート
                4月28日19時45分に
                オーストリア国営放送ラジオ1番 Ö1 の
                Supernova というプログラムで放送されるそうだ。

                ぜひもう一度聴いて
                最初の曲がシェーンベルクの絵画と
                イメージが本当に一致するか
                確かめてみたいと思っている私に
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                マティアス・ゲルネ + エフゲニー・キーシン

                0
                  2024年3月13日 19時30分〜21時

                  Musikverein - Großer Saal
                  バリトン Matthias Goerne
                  ピアノ Jewgenij Kissin

                  Robert Schumann (1810-1856)
                   Abends am Strand, op. 45/3
                   Es leuchtet meine Liebe, op. 127/3
                   Mein Wagen rollet langsam, op. 142/4

                   Dichterliebe. Liederzyklus aus Heinrich Heines
                   „Buch der Lieder“, op. 48
                    1. Im wunderschönen Monat Mai
                    2. Aus meinen Tränen sprießen
                    3. Die Rose, die Lilie, die Taube, die Sonne
                    4. Wenn ich in deine Augen seh’
                    5. Ich will meine Seele tauchen
                    6. Im Rhein, im heiligen Strome
                    7. Ich grolle nicht, und wenn das Herz auch bricht
                    8. Und wüssten’s die Blumen, die kleinen
                    9. Das ist ein Flöten und Geigen
                    10. Hör’ ich das Liedchen klingen
                    11. Ein Jüngling liebt ein Mädchen
                    12. Am leuchtenden Sommermorgen
                    13. Ich hab’ im Traum geweinet
                    14. Allnächtlich im Traume seh’ ich dich
                    15. Aus alten Märchen winkt es
                    16. Die alten, bösen Lieder

                  Johannes Brahms (1833-1897)
                   Sommerabend, op. 85/1
                   Mondschein, op. 85/2
                   Der Tod, das ist die kühle Nacht, op. 96/1
                   Meerfahrt, op. 96/4

                   Neun Lieder und Gesänge, op. 32
                    1. Wie rafft ich mich auf in der Nacht
                    2. Nicht mehr zu dir zu gehen
                    3. Ich schleich umher betrübt und stumm
                    4. Der Strom, der neben mir verrauschte
                    5. Wehe, so willst du mich wieder
                    6. Du sprichst, dass ich mich täusche
                    7. Bitteres zu sagen denkst du
                    8. So steh’n wir, ich und meine Weide
                    9. Wie bist du, meine Königin

                  マティアス・ゲルネの今回のピアノ伴奏は
                  何とエフゲニー・キーシン。
                  楽友協会大ホールの
                  舞台上まで観客席がぎっしり並んでいるのに

                  何故にバルコンとギャラリーの後ろの方がガラガラ?

                  ソリストのアボとリートのアボ
                  2つのアボが重なっているのに
                  こんなに空き席があるなんて・・・

                  しかも今回のプログラムは
                  休憩なしのぶっ通しの1時間半。

                  ゲルネの声は前に飛ぶ傾向があるので
                  私も今回は張り切って
                  むちゃくちゃ高い席を購入したのだ、チッ。

                  高いだけあって
                  声を聴くには理想的な場所・・・ではあったのだが

                  うああああ
                  ゲルネの声、低過ぎて
                  胸からの低音が、ほとんど客席に飛んで来ない。
                  ゲルネは、倍音たっぷりの美声なのだが
                  声の質が暗過ぎる。

                  しかも低音で歌う時
                  ゲルネは俯いているので
                  ますますホールに響いて来ない。

                  ・・・でも、これ、最後に
                  あ、そういうドラマツルギーなのね、って
                  ストンと理解できるんだけど。

                  キーシンのピアノが凄い。
                  って言うか、凄すぎる。
                  ピアノ伴奏なんてもんじゃない。

                  キーシンのピアノを聴くだけでも
                  この日のこの時間に
                  ここに座っている価値はある。

                  でも、その凄いピアノに対峙して
                  譲らないゲルネも凄い。
                  最初が暗すぎて
                  どうしようか、と思ったのだが
                  Mein Wagen rollet langsam で
                  ちょっと声域が高くなると
                  すごくホールに響く声になるのだ。

                  胸で響かせる低音のテクニックは
                  意図的にやっているのが、よくわかる。
                  (最後にレジスターを上げてフィナーレ)

                  「詩人の恋」は
                  表現的には面白いけれど
                  ゲルネのドイツ語のディクションが不明瞭。

                  (あの深い低音で
                   倍音たっぷりが
                   残響の長いホールに響いてしまうので
                   ドイツ語がクリアに聴こえないのは当たり前)

                  しかしピアノがピアノがピアノが・・・
                  シューマンとブラームスという
                  両方ともにピアノの取り扱いには
                  長けていた作曲家が
                  ただの「伴奏」じゃなくて
                  ピアノに深い意味を持たせて

                  声とテクストにしっかり溶け合い
                  時には対立し
                  時には補い合い
                  前奏と後奏では
                  ピアノの主張と美しさを
                  これでもか、と出してくるのには唖然。

                  ブラームスのリートって
                  今まで、民謡的なものしか
                  聴いていないし歌っていないのだが
                  (すみません不勉強で💦)
                  こんなリーダーがあるなんて・・・

                  ピアノが凄い・・・
                  歌が凄い・・・
                  テキストは・・・よくわからん。

                  ドイツ・リートが好きで
                  ドイツ語の世界に入ったワタシではあるが
                  だいたいブンガクなんて感受性欠けてるから
                  全くわからず(現代国語の成績も悪かった)

                  加えて
                  言語というのは変化するものであって
                  シューマンとかブラームスの時代の
                  しかも詩的言語って
                  実は全く理解できないのである(ごめんなさい)

                  ハインリヒ・ハイネの詩の一例(勝手に意訳、文責なし)

                   夏の夜の森と芝生の上に
                   青い空に黄金の月が浮かんで
                   小川近くでコウロギが鳴いて
                   彷徨う人が静かにため息ついたら
                   妖精が水浴びしていて
                   月明かりの中に白い腕と背中が浮かび上がった

                  ・・・何のこっちゃ?

                  もっと暗い詩が(勝手に意訳、文責なし)

                   死は冷たい夜
                   生は暑苦しい昼
                   やっと暗くなって私を眠りに誘う
                   昼は私を疲れさせたのだ

                   私のベッドの上には樹が聳え立ち
                   若いナイチンゲールが歌を歌う
                   彼女は大いなる愛から歌い
                   私はそれを夢の中で聴く

                  ・・・う〜ん 🤔

                  カントやヘーゲルのドイツ語や
                  ゲーテもよくわからんが
                  終戦後のドイツのポリティカル・シンガーの歌詞は
                  ある程度、内容はわかるので
                  やはり、19世紀の詩とかを理解するのにも
                  時代背景と
                  日本語で言う古文の知識が必要なのだろう、きっと。

                  まぁ、ドイツ語の「単語」はある程度わかるから
                  テキストの出している雰囲気は
                  何となくわかるし
                  (夜だの月明かりだの妖精だの・・・)

                  それをブラームスの音楽が
                  最強に表現してくれるので
                  わからないなりに
                  音楽として聴くのは
                  それほど間違った方法ではないと思う。

                  しかしブラームスの歌曲って
                  本当に凄いな。
                  これ、一度、しっかりと聴き込みたい。
                  今回はゲルネとキーシンという
                  絶対に妥協しなさそうな2人が舞台に乗った
                  っていうのもあるけれど

                  ゲルネの声が
                  ブラームスの9つの歌曲の最後になると
                  少し明るい色を帯びて来て
                  ホールに明るい雰囲気が広がる。

                  最後の曲が

                   おお、僕の女王さま
                   君の腕の中で死ねるなら
                   最も辛い死でさえ歓喜に満ちている

                  ・・・みたいな感じの曲だしね(笑)
                  (読み方によっては誤解を招きそうだが
                   たぶん、そ〜いう意味ではない、念の為)

                  休憩なしの1時間30分。
                  舞台袖に入る事もなく
                  拍手も起こらず(観客立派(笑))

                  歌手(暗譜)もピアニストも
                  ものすごい集中力だが
                  観客にも、ぶっちぎれ寸前の集中力が必要だった。

                  (しかも、ここに書いてないけれど
                   プログラム記載のブラームスから
                   2曲がカットされていたので
                   どの曲を歌っているか
                   わからなくなりそうになった経緯もある。
                   だってゲルネのドイツ語
                   胸からの低音で始められると
                   ごにゃごにゃして、本当にわからないんだもん)

                  今回のコンサートの観客の少なさは
                  キーシン・ファンとゲルネ・ファンが
                  双方集まったワケではない、というところに
                  あるのだろうと思うが

                  いや、ゲルネ、いつも有名なピアニストと
                  リサイタルしたがるけど
                  それって
                  自分の売り込みが巧いとか(それもあるだろうが)
                  そういう事だけじゃなくて
                  たぶん、ピアニストと声楽家の
                  ガッツリ組んだ音楽性の高め合いが
                  面白いんだろうなぁ。

                  確かに
                  このシューマンとブラームス
                  キーシンのピアノの自己主張がなかったら
                  絶対にもっと退屈になっているだろうし
                  (技術が云々の問題ではないのだ。
                   強いて言うなら「華」があるかどうか)
                  ゲルネのドラマツルギーをしっかり押さえた
                  低音から高音への
                  自在な音色のコントロールがなければ
                  キーシンのピアノに負けていただろう。

                  シューマンはともかくとして
                  ブラームスの歌曲の素晴らしさに
                  歌詞の内容はともかくとして
                  びっくりして再発見💡 とウキウキしながら
                  集中力を最大に使って
                  クタクタになってホールを去った私に
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