はっぱのバタバタ生活にようこそ


このブログは
さるさる日記から移行したものです。

ウィーン在住、貧しい旅行業のサラリー・ウーマン。
新ネタや観光ニュースを日々、同業者に伝えようという
立派な使命感で始めたハズなのに・・・
ここ数年、コンサート・オペラ・演劇の感想記と化しました(自爆)

コンサート・オペラでは写真は肖像権侵害になりますから
一切、カメラは持って行きません。
音楽は耳(と脳?)で楽しむ体質?なので、舞台が見えない席がほとんどです。
(いや、そりゃ、貧乏だから高いチケットを買えないだけの話ですが)

超エゴイストなので、コメント欄も設けていません。
(すみません、けっこう、忙しいのもあって f(^^;)
 ↑ って仕事してからコンサートとか行くから(自爆))

「これ、違ってるぞ」とか「納得いかん」などのご意見は
メイル・アドレスからお願いします。

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たぶん、押して下さると順位に反映されると思います(今一つ確信がない・・・)
やっぱり、あの、順位がどんどん下がっていくと
何となく、なんか、淋しいので (T.T) どうぞよろしくお願いします。



最近発見したトリックによると
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ご協力いただけましたら、とっても感激 !!! 

クリスティアン・ティーレマンと現代曲

ティーレマンとウィーン・フィルのベートーベン・チクルスだが
11月は3回目の公演になる。
1番・2番を演奏して、3番・4番を演奏して
次は5番と6番・・・と思ったら大間違いで(笑)
何故か、7番と8番。

5番・6番のコンサートと、9番のコンサートは4月中旬予定。

さて、7番・8番のコンサートだが
当初はイェルク・ヴィドマン作品の初演が一緒に予定されていた。

ヴィドマンは、ベートーベンの交響曲へのオマージュを作曲していて
一度、マリス・ヤンソンスで8番の前に
ヴィドマンのオマージュを鑑賞した事がある。

先日、ヴィドマンの曲をけなしてしまったが
8番へのオマージュは、ワタクシ的にはなかなか良かったので
今回の初演曲も楽しみにしていたのだが・・・

直前になって、ヴィドマンではなく
ベートーベンのエグモント序曲に変更・・・ (+_+)

邪推するに、ティーレマンが振れなかったのではないか、と思うのだが・・・

いや、あの、そりゃ、指揮者だって得意・不得意はあると思う。
「子供のための指揮教室」で(忘れた方は ここ )
キライなものは食べない自由がある、と公言している指揮者だから
現代音楽は指揮しない、と拒否する事は充分考えられるのだが

それって、それって・・・ 

    本当にアンタ、プロかいっ!!!
        と突っ込みたくなるのは、私だけではないと思う。

オーケストラのメンバーを見ろ!
彼らは、クラシックだろうが、ルネッサンスだろうが、現代音楽だろうが
プロなら、一応、全部、演奏 できなくても しなくてはならないのだ。
その結果が、あれ?(・_・")? という事になっても
それは結果だから仕方がない。

    でも「できませ〜ん」と言って逃げるオーケストラはないと思う。

実はこのベートーベン・チクルスの最後を飾る9番だが
ウィーン・フィルのソワレのみ、ペーター・ルツィツカの初演曲が予定されている。
(楽友協会主催のコンサートは、9番だけ (←ケチ(爆)))

ルツィツカの初演曲、本当に演奏すると思う??? (極疑)

ウィーン・フィルのソワレはチケットのアプリケーションをしていないので
私は聴くチャンスはないけれど
本当にルツィツカを演奏したら、私はティーレマンを見直すだろう。

レパートリーを選ぶ自由は
ソリストならあるとは思うけれど
どんな状態になったとしても、プロなら果敢に挑むと思う。

ウィーン・フィルのプログラムを見ていても
最近、意欲的に現代音楽を取り上げているし
メンバーの世代交代で、現代音楽も演奏できるオーケストラになってきたのだから
ヴィドマンをオーケストラが拒否した、とは考えられないのだ。

本当はザルツブルク夏の音楽祭のプログラムと
グラフェネックの2010年夏の音楽祭の事を書きたかったのだが
ティーレマンだけ書いているうちに、長くなったので、また次のネタにする。

ティーレマンのベートーベン7番・8番のコンサートは
実は4回、チケットを確保したのだが
誠に残念な状況により(あぁ、今でもちょっと腹立つ)1回は行けなくなって
結局、3回鑑賞する事になった。

ちなみに、同じプログラムでのコンサートは
外国公演(パリ・ケルン・アムステルダム)を含め、全部で8回。

どこかのオーケストラが現代音楽のコンサートをやっても
リハーサルを繰り返して、たった1回だけ・・・っていうのと、何という違い!!


ベルンハルト・ラング + クリスティーネ・ガイグ

Christine Gaigg / 2nd Nature & Bernhard Lang
TrikeDoubleThree

例年、ウィーン・モデルンの催物の中で、1つか2つだけ

     何、これ?!

というものがある。今年のアタリは、今回の TrikeDoubleThree

繰り返しフェチのベルンハルト・ラングと
モダン・ダンスのクリスティーネ・ガイグのコラボレーション。
ダンサー4名にスクリーンが2面〜3面で
ダンサーの動きと床の音を撮影・録音して、ループで流す。約60分。

うわ、最低・・・・
(ちゃんと自腹を切って行っているんだから、何言っても良いんです!)

ダンサーの動きも美しくないし
それをビデオで撮影して、ループで投影したって
何か、面白いんですか???

これ、子供が、コンピュータか何かで遊んで作った作品を
ほら、ほら、お母さん、面白いでしょ、見て、見て
      というのと同じだわ(断言)

(いえ、あの、子供の作品というのは、時々、とんでもなく面白いモノもあるんですが
 でも、子供を溺愛している親から、ヘタクソな絵を見せられて
 「ほら、うちの子、こんなに絵が上手いのよ、天才かしら」とか言われても
 見せられた方は、困惑するだけでしょ? そういう感じ)

やってる人たち(特にビデオと録音かな?)には楽しいのだろう。
確かに、その場での一発勝負で、やり直しも効かないし
その意味、緊張する催物なのだろうが

    つまんない!!!

ビデオ・録音のループに関しては
もう数十年前から先鋭的な実験をしている人たちはたくさんいて
今さら、こんなモノを観ても
新しくもないし、楽しくもないし、幻影的でもないし、美的でもない。

同じ公演(とは言え、一発勝負だから、その時々で違うと思うが)が
20日の夜、21日にも17時と20時30分の2回、上演される。

面白かったら、21日の17時にも行こうかと思っていたのだが
(21日は19時から別のお楽しみが・・・ (*^^*))
全然面白くないし、退屈だし、見るべきモノもないから止めた。

時々、こういう「自称芸術家の超自己満足作品」というのが、どうしても混じる。
やっているご本人たちは、至極マジメで
これを面白いと思っている(?)のだろうし
場合によっては「ワタクシの芸術を理解しないのは鑑賞者がアホだからだ」と
考えているのかもしれない。

この作品を、退屈、と感じる私がアホなのだろう。
(終わった後にブラボー・コールもあったし・・・仲間同士かな?(疑))

でも、言わせてもらえば
現代音楽って楽しいよ、と言い続けている私も
この公演だけは、現代音楽初心者には行って欲しくないような気がする。

・・・あ、でも、意外と、初めて観る人には楽しかったりするのかなぁ???


テレビジョン・ラウンジ

21:30 Helmut Lachenmann
     (Notenschlüssel - Ein Musikmagazin, Folge 1988/1)(1987)
22:15 Iannis Xenakis
     (Notenschlüssel - Ein Musikmagazin, Folge 1989/3)(1989)
22:55 György Ligeti
     (Notenschlüssel - Ein Musikmagazin, Folge 1983/2)(1983)
23:40 "Europeras"
     (Notenschlüssel - Ein Musikmagazin, Folge 1987/12)(1987)
00:25 John Cage "Variations V" (1966)

コンサート後に地下のテレビジョン・ラウンジで
真夜中過ぎまで見た番組があまりに面白かったのでメモしておく。

ヘルムート・ラッヘンマンは途中で不覚にも寝てしまったが(自爆)
いわく「既存の音楽と美概念を打ち壊して」云々。
まぁ、そうだわね。彼の特殊奏法の音楽(雑音?)を聴いていると納得する。

クセナキスだが、以前の番組の「講演」が全く理解不可能だったが
今回の番組は良かった。
インタビュー形式(しかも同時通訳!)で
インタビューアの質問に対する答えが、明確で気持ちが良い。

「あなたは自分の作品を「美」と思いますか?」
「プラトンは「美」をかなり歪んだ意味で使っていて
 これがヨーロッパの「美」概念になっているので
 「美」という言葉は使いたくない。
 それより、もっと深いところで、人間を惹き付けるものを考えている」

「音楽は人間の感情を揺り動かすものではないかと思いませんか?」
「私は、嬉しいとか、悲しいとかの人間の感情にはあまり興味がないので
 自分の音楽も、感情を移入したり、強制したりする事はありません」

「あなたの音楽は数学的に計算されているという事ですが」
「数学で多少のコントロールはします。
 ただ、作曲家が数学を使って音をコントロールできるのはほんの少しだけで
 あとは、音そのものが語ります」

私の記憶を通しているので、歪んだ形で解釈されているかもしれないが
クセナキスの音楽が、時々「雑音」にしか聴こえない理由がわかったような気がする。

確かに、クセナキスの音楽には「感情」たるものは(ほとんど)ない。
冷たい「構築物」でしかない。
それが好きか嫌いかは、各自の好みだろうが
作曲家自身も、自分の音楽を作っただけであって
それが聴衆にどう受け入れられるか、なんて、全然気にしていなかっただろう。

次のリゲティが大傑作!!!
いや、もう、あの・・・・ リゲティ、すごく好き (*^^*)

最初からニコニコ登場して
インタビューアの(クセナキスの時と全く違って)イヤミたらたらの質問を
さらっとかわし、ユーモアに満ちて、でも、言うべき事はちゃんと言う。

最初に経歴の紹介があったのだが
リゲティいわく
「経歴はどうでも良いでしょ。作品がすべてを語ってくれるので
 僕が何をしてきたかは、関係ないと思っています」(うわ〜〜、立派!)

「あなたはハンガリーから出て、ドイツに行き、オーストリア国籍になって
 何人と感じていますか? ヨーロッパ人ですか?」

これに対する答えが傑作で・・・

「私は自分の事を「人間」と感じています」

    (⌒^⌒)b うん こういう人、好き!

アトモスフェアの画像化について
「音楽は音楽として聴くべきで、画像をつけるのは誤解を招くのではないか」
(↑どうだって良いじゃん。音楽を視覚化する人は多いよ?!)
「確かにそうだが、これはテレビで流した時の映像で
 テレビだったら、何か画面に映さないといけないでしょ」(笑)

それでギャフンとしたのか、さらなる難癖をつけるインタビューア。
「アトモスフェアは人間の耳では全部は聴き取れない数の音が使われているが」
「あなた、スープを飲むでしょ。スープの中に10個の材料が入っているとして
 その材料を一つ一つ味わうわけではないですよね。
 でも、その10個のうち、1つが欠けても、スープの味は違ってしまいます」

うわ〜。よく言う。たいしたものだ。

何故かインタビューアは音楽の映像化に大反対らしく
次の Nouvelles Aventures の映像化にも、文句をつけてきたが
「ああ、あれは、もともと「電話の声」に刺激されて作った曲なので
 あの映像化で良いんですよ」と、あっさり。

一時期、作曲活動がなかった、という指摘があった時に
「ダルムシュタット音楽祭などは、アカデミックになり過ぎて
 セリエ音楽が幅を利かせていたが
 私は、流行に迎合せず、自分の音楽を追求したかったし
 自分の音楽の中で、何らかの発展を見つけたかった」

「100個のメトロノーム」は、以前、モダン・ダンスの時に
本当に20分、「観賞」した事があるが
今回の記録フィルムでは、リゲティの指示に従った「上演」が写された。

ちゃんと燕尾服を来たプレイヤーと指揮者が出てくるの(笑)
で、目の前のたくさんのメトロノームを色々な速度で動かした後に
舞台を去るのだ。わっはっは。こんな指示があったとは知らなかった。

リゲティの話を聴いていると
彼は決して「自分」だけの人ではない、という印象を受ける。
自分の世界はありながら、聴衆も存在する。

現代音楽を聴いていると
自己満足のお遊びで終わっている人が多いけれど
主張したい事がまずあって、それに適した技術を使って作品を作るという人が
少ないけれど、確かにいる。

最後の2本はジョン・ケージ。

Europara をテーマにした番組は
何と、Europera を初演する筈だったフランクフルトの劇場が燃えてしまい
初演できなくなった後で、リハーサル記録を挟みながらのインタビュー。

そんなオペラ、上演しなくて良かったですね(本気)

という位、とんでもない作品。
歌手がアカペラで、勝手に色々なオペラのアリアを歌って
それが、全く関係ない衣装と舞台装置(人力車まで出る)で上演される。

チャンス・オペレーションだそうだが
モーツァルトやワーグナーやヨハン・シュトラウスを同時に歌われても・・・(呆)

最後の Variation V は
マース・カニングハムのダンスとのコラボレーションで
やはりチャンス・オペレーション(=ただの「偶然」だよ)により
ケージの音楽が勝手に演奏されると
ダンサーが勝手に踊って
カメラマンが勝手に映像を付ける、という2重のコラージュ。

ううう、出来の悪い前衛映画を見てるみたい(失礼)
ここまで「勝手にやるから勝手に見れば」と開き直られると
さすがの私も「じゃぁ、勝手に出ていくから、勝手にやってれば」

伝統を打ち壊すという極端なアンチ・テーゼとして
音楽史に登場すべき人物ではあったのだろうが
シェーンベルクが言った通り
ジョン・ケージは作曲家ではなく、アイデアマンでしかない。
あとは好みの問題なので
「勝手にやった(雑)音とダンスと映像のコラージュ」が
私に気に入らなかったとしても、それはそれで良いのである。


クラング・フォーラム + ポマリコ

Bernhard Gander (*1969)
        Fête.gare für Ensemble (2003)
Georges Aperghis (*1945)
        Teeter-Totter für Ensemble (2008)
Bernhard Gander
        Beine und Strümpfe für Ensemble (2007)
Iannis Xenakis
        Waarg für 13 Musiker (1988)

Klangform Wien
Peter Böhm (Sounddesign)
Florian Bogner (Sounddesign)
指揮 Emilio Pomárico

クラング・フォーラムにエミリオ・ポマリコの指揮で
元気一杯のお兄ちゃん、ガンダー中心のプログラム。

最初の作品は「祭りと駅」・・・ (・_・")?

プログラムによれば
「音楽はいつもお祭りだし、僕の家の前はウィーン南駅だし」って
ワケわからんが
この間の作品 Schöne Worte と同じく、ともかく元気(笑)
(前に書きそびれたが、Schöne Worte という作品は
 実は「罵り言葉」をテーマにした皮肉な作品だったのだ)

しかし、私が今回、呆気に取られたのは

うわ、現代音楽を、あんなに情熱的に指揮する人がいる |)゚0゚(| ホェー!!

普通、現代音楽の指揮なんて
テンポを取るだけでギリギリの指揮者ばかりなのだが
ポマリコは、正確なテンポに指示だけではなく
ほとんど舞台の上で踊っている・・・

チャイコフスキーの指揮と間違えてません?!

音楽云々より、情熱的な指揮者の動きに見とれてしまったわ (*^^*)

さすがに、アペルギスの無機的な作品では
動きが少なかったが (笑)

休憩の後のガンダーの作品のタイトルを見て
ドイツ語がわかる方なら、大笑いするだろう。

作品タイトル 「脚とストッキング」 ~(^◇^)/ぎゃはは

ストッキング工場から始まって
製造されたストッキングが脚に纏わりついて
そのストッキングの脚が、ダンスを踊り、ディスコで跳びはねて・・・

  いや、こういう曲を書く人、正気とは思えない。

めちゃめちゃである。
本当に、もう、めちゃくちゃのくちゃくちゃのハタハタなのだが(こらこら)
その、めちゃくちゃの中に
何ともアホラシイようなバカバカしいようなユーモアがたっぷりあって
あの、めちゃめちゃから発散されるエネルギーの凄さには圧倒される。

ポマリコの指揮も、ますますノリノリだし
音楽(というより雑音?混沌?)に内包される滑稽さと合わせて
演奏中に笑いたくて笑いたくて、抑えるのが一苦労だったわよ。

作品の手触りは荒いけれど
それがまた、「生活」や「生命」の手触りになっていて
音楽作品としての完成度云々というよりは
めちゃくちゃなんだけど、何かわかんないけど魅力的。

こういう曲の後に
感情も何も入らないクセナキスの演奏があって
ヘンな興奮を鎮める効果は充分あった。

・・・で、実はその後、テレビジョン・ラウンジで
夜中1時まで現代音楽のテレビを見ていたので、機会があればアップする。

夜中1時過ぎの帰宅途中で
車のラジオから流れてきたのはバロック音楽(しかも短調の部分)

現代音楽に浸り過ぎた私は・・・・

   突然、前に座った知らない女の子が目の前で泣きだしちゃった
      どうしよう・・・・ (なんか、あの、すごく困った /(-_-)ヽ )

         というヘンな気持ち(妄想)に襲われ、慌ててラジオを切った。

感情の入らない現代音楽を聴いていると
いわゆる伝統的クラシックが気恥ずかしくなるのだが
今週末で現代音楽祭は終わるので
その後、すぐにモトに戻る・・・だろう ((-_-;)ホントカ・・・オイ)


フランソワ・ベイル

François Bayle (*1932)
Érosphère 2009 (1978/2009) für Tonband (Ca. 70b)
1. Tremblement de terre très doux - 28’ - Multistereo
2. Eros blue / La fin du bruit / Eros rouge - 16’40 - Doppelquadrophonie
3. Eros noir / Toupie dans le ciel / Eros rouge et noir - 24’ - Oktophonie
Gesamtleitung ; François Bayle

ウィーン・モデルン現代音楽祭には、時々、とんでもない大物が登場する。
エレクトロ・アコースティックの大物、フランソワ・ベイル!!!

しかも、ご本人がコンピュータの前に座って自作の演奏 (*^^*)

1978年の作品を、更にチャンネルを多くしたバージョンの初演。
ウィーン大学の天井ホールの、あちこちにあるスピーカーから鳴る電子音。

照明は落としてあるけれど
こういう音を聴くなら、視覚は遮断するに限る(きっぱり)
目を瞑って、音だけに集中する。

きゃ〜っ!!! (((^^;)(;^^) ))
   3次元の映画を、視覚じゃなくて聴覚で体験しているみたい。

音が飛ぶ。
 左から右、右から左に、虹のようにボーゲンが走り
  上で花火のように弾けて
       子犬のようにじゃれて足元にまとわりつき

お正月の獅子舞のように、目の前から突然噛みつかれ(笑)
  錆びついたドアが開き
     そこから音が飛び出して割れて
              原色の色彩をまき散らす。

うわ〜、むちゃくちゃ楽しい o(^-^o)(o^-^)o o(^-^o)(o^-^)o

問題は・・・

目を瞑っているから、時々、寝てしまう(自爆)
もちろん、聴覚だけは活きているのだが
他の感覚が全部麻痺してしまって
自分でも寝ているのか、起きているのか、わからない状態になる。

一回だけ、クビがガクッとなったので、あ、寝てた!と思ったのだが
でも、私の座っている列でも、時々、ガクッという動きがあったから
ホールにいて、目を瞑っていた人の80%くらいは
時々、寝ていたと思う。
(こらこら、他人を自分と同じように見るな!(x_x) ☆\(^^;) ぽかっ)

ホールのあちこちにスピーカーがあれば
音が飛んだり跳ねたりという体感は、まぁ、当然のことなので
それを考えると、さして新しい試みではないだろうし
彼氏もどきに言わせると
「どんなヘタなロックのグループでも、その位の事はやる」と言うのだが

でも、ベイルの扱う「音」の一つ一つが
厳選され、考えられ、緻密に構築されて
更に、時々、考えもつかないようなサプライズがあって
一瞬たりとも飽きる事がない。

もちろん、これを「音楽」と称するかどうかは
各自の感覚の問題なので
ただの「雑音の集大成」と言った方が正しいのかもしれないが
でも、その「雑音」が
飛んで、撥ねて、蠢いて、纏わりついて、弾けて、という
もう、音響オタクには、たまんな〜い!!! (^_-)vブイブイッ

(どうせヘ○タイです、ほっといて)


ヴァレーズとフランク・シェファー

Edgard Varèse
        Un Grand Sommeil Noir (1906) für Sopran und Klavier
Film Interlude I
        Octandre (1923) für Ensemble
Film Interlude II
        Intégrales (1924/25) für Ensemble
Film Interlude III
        Density 21,5 (1936) für Flöte solo
Film Interlude IV
        Déserts (1950-54) für Ensemble

Filme : Frank Scheffer
Konzept & Editing : Frank Scheffer & Berno Odo Polzer
Klangregie : Peter Böhm
Projektion & Lichtregie : Johann Lurf
Sopran : Anna Maria Pammer
Klavier : Gereon Kleiner
Flöte : Irmgard Messin
Österreichisches Ensemble für Neue Musik
Dirigent : Johannes Kalitzke


フランク・シェファー監督のドキュメントを挟みながらのコンサート。
その前にテレヴィジョン・ラウンジで
ブーレーズの特集を見た後、また「砂漠」を観賞してきたばかり。

ドキュメントにはチュー・ウェン=チュンをはじめとして
エリオット・カーターやピエール・ブーレーズ
更には、リッカルド・シャイーまで登場。

昔、ヴァレーズへの興味を最初に掻き立てたのがシャイーの話だったので
(よって、持っている全集はシャイーが指揮したものである)
何か、久し振りに懐かしいというか・・・(笑)

ヴァレーズが「音楽」という伝統をぶち破り
材料としての「音」に真剣に取り組んで来た、という話はよくわかる。
誰だったか、どこかの番組で言っていたが(見過ぎて、もうワケわからん)
たぶん、ヴァレーズが自分の音楽を変えたのは
ストラヴィンスキーにショックを受けたからではないか、というのもわかる。

オクタンドレも、インテグラールも、むちゃくちゃカッコイイ。
やっぱり、ナマの楽器で聴くと、迫力が違う。

後半の「砂漠」だが
昨日、テープなしバージョンで聴いて
今日の午後、テレヴィジョン・ラウンジで聴いて
今度は、テープありバージョンで観賞。

ヴァレーズの砂漠は、日本人の我々の抱くイメージとかけ離れていて
めちゃくちゃワイルド、というか
「美しい自然」なんてものを、とっくに超越している。

こういう砂漠を歩いていると

半分腐った野獣の死体とかが転がっていそうだし
時々、ヘンに巨大で威圧感を与える岩がそびえ立っていそうだし
足元に、死体を喰う小動物が走りまわっていそう。

文化(と自然)の違いだわ(きっぱり)

明日の映画は見に行けないので
これが、私にとって、最後のヴァレーズになるのだが

   だが・・・

      何となく納得が行かない気分 (-"-;)

だって・・・

ヴァレーズを取り上げておきながら
代表作(と私が勝手に思っている) Ameriques も
これこそ、ヴァレーズ!!!という Ionisation も
演奏されなかった!!!!

演奏できる奏者がいないのか
指揮できる指揮者がいないのか
サイレンが手に入らなかったのか(笑)は知らないが
ヴァレーズを焦点として取り上げて、この2曲がないのはオカシイと思う!!!


チュー・ウェン=チュンとヴァレーズ

Chou Wen-chung (*1923)
        Echoes from the Gorge (1989) A Quartet for Percussion
Edgard Varèse (1883-1965)
        Déserts (1950-54) Version ohne elektroakustische Interpolationen

Österreichisches Ensemble für Neue Musik
指揮 Johannes Kalitzke
司会 Chou Wen-chung

ワタクシは怒っている ★☆★凸(--メ)(--メ(--メ)凸★☆★

プログラムを見て、
チュー・ウェン=チュンの1曲と、ヴァレーズの「砂漠」なら
19時30分から休憩を挟んで、どんなに遅くても20時30分には終わるだろうから
その後、21時30分からの無声映画「ジキルとハイド」+ヴァレーズの音楽という
もう一つの催物(もちろん有料、ゲネラル・パスならタダ)に行ける・・・

と思っていたら
チュー・ウェン=チュンご本人のお話があった。

主催者側の意向だろうとは思うのだが
最初のご本人の作品を聴く前に、30分以上も

     「自分は中国で日本軍に追い回されて逃げ回り
     その後、アメリカに移住し、それから、シルク・ロードを回り
     こういう人たちを見て、一緒に暮らし
     中国の絵画は山を取り上げたものが多く
     中国語は上から下、右から左に書く 云々」

作曲家の解説を聞かなければならない作品ほどくだらぬモノはない(きっぱり)

それに、申し訳ないんですが
作品と人物は基本的には別モノと思っているから
作曲家がナニをやってきたかというのを自慢たらしげに聞かされるのはうんざり。

いや、ウェン=チュン教授は、主催者から
どうか、こういう事を話して下さい、と依頼されているのだろうから
ご本人に罪はない。
ご高齢なのに、お元気でシャッキリして、話も明確である。

今日の催物がコンサートではなく
「ウェン=チュン教授の講演会、音楽の例付き」と明記しなかった主催者が悪い。

その後の30分の作品
Echoes from the Gorge は4人のパーカッション(指揮は Kalitzke)

え〜っと (-"-;)

書き始めると限りなく悪口が出てきそうだから止める。
立派な作品なのだろうが、こういう自己満足だけの作品って鼻につく。

さて、20時45分くらいから後半。
ヴァレーズも30分くらいだし
ちょっと遅れたけど、映画には間に合うかな〜と思ったら

何故か、まずテープが・・・

あ、これ、「砂漠」のパリ初演の時の記録テープじゃん!
(観客の笑い声が残っている)
おかしいなぁ、プログラムには実演で演奏者の明記もあるが・・・

テープの後、またもやウェン=チュン教授が登場。
ご本人は一生懸命「講義」をなさる。そういう依頼なのであろう。

が、こちらは「音楽」を聴きに来ているのであって
「講義」を聞きに来ているのではない(しかも時間が・・・ (((^^;)(;^^) )))

ウェン=チュン教授はヴァレーズの一番弟子だったので
ヴァレーズがどういう日常生活をしていたかとか(うわ〜、私、興味ない)
如何に天才だったかとか(それは作品を聴いて我々聴衆が判断する事だ)
音楽理論的に、こういうサイクルを描いて
オクタンドレの楽譜構成が何とかかんとかで

  そんな事を熱心に話されても
  音楽の専門教育も受けておらず
  現代音楽の楽譜も読めない私(と少数の観客)には、チンプン・カンプン。

またもや30分以上の話が続いて
映画に行く人は21時20分頃、話の途中で席を立ち始める(そりゃそうだ)
私は、どうしても「砂漠」が聴きたい。ううう・・・

結局、「砂漠」の演奏は21時35分過ぎ。
終わったのが21時50分。もちろん映画には間に合わない。

あああ、ジキルとハイドの無声映画
きっと、ガラガラだっただろうなぁ・・・
(ゲネラル・パスの人がほとんどなのに、その人たちがここに来てたんだもん)

ホント、オーストリアのオーガナイズって最悪だわ。
少なくとも、ゲネラル・パスの所有者が両方とも行けるように
考慮するのが、プログラム構成担当の仕事だろうが!!!!(超怒)


ORF ラジオ・シンフォニー・オーケストラと電子音楽の一夜

ORF Radio Symphonieorchester Wien
チェロ Jean-Guihen Queyras
オルガン Emanuel Schmelzer-Siringer
指揮 Bertrand de Billy

Friedrich Cerha (*1926)
        Monumentum für Karl Prantl für großes Orchester (1988/89)
Johannes Maria Staud (*1974)
        Seque. Musik für Violoncello und Orchester (2006/08)
Iannis Xenakis (1922-2001)
        Metastaseis (Variation  A) für Orchester (1953/54)
Edgard Varèse (1883-1965)
        Arcana für großes Orchester (1925-27/1960)

*****

Íhan Mimaroǧlu (*1926)
        Interlude II (1971) aus “Sing me a Song of Songmy”  (1971)
        Prelude Nr.12 aus “Satyricon Musik”  (1965-67)
Edgard Varèse
        Poème électronique (1958)
Thomas Gorbach (*1966)
        Hommage aux “Déserts” d’Edugard Varèse (2009)
Íhan Mimaroǧlu
        Prelude Nr.2 aus “Satyricon Musik” (1965-67)
Frank Zappa (1940-1993)
        The Chorome Plated Megaphone of Destiny 
            aus “We’re Only in It for the Money” (1968)
Íhan Mimaroǧlu
        Prelude Nr.8 (To the memory of Edgard Varèse) (1966)
音響効果と音響演出 Thomas Gorbach

ウィーン・モデルンも後半に入って
待ちに待ったエドガー・ヴァレーズのプロジェクトが始まった。

まずはオーストリア現代音楽の重鎮、チェルハの作品。
同じオーストリアの彫刻家カール・プラントルへのモニュメントだそうだが

    ふ〜ん・・・・(すみません)

次に登場したヨハネス・マリア・シュタウド。
何回かナマでも聴いたし、CD も持っている作曲家だが

あらら、最初はバロックのメロディなのに
響き方が全然バロックじゃない。これ、シュニットケのもじりかな?

と思ったら、バロックの後は、シュタウドらしいオーケストレーションが続く。

ううう、音響の使い方が何て上手なの ♪♪v(⌒o⌒)v♪♪
まるでビロードのような響きで、ものすごく精密に計算されている。

大規模オーケストラで演奏される現代音楽を聴いていると、時々
う〜ん、これって、作曲家も実際に演奏するまで
どんな音が出るか、わからずに音符を書いてるんじゃないの? という
あらぬ疑いを抱く事が多々あるのだが(失礼)

シュタウドは、どういう響きを構築したいのか
最初から、しっかりわかっている、と思わせる。
雑音というより、正に音楽的で、印象派やリゲティの影響が伺える。

野性的でエネルギッシュだったチェルハと比べると女性的な感じもするが
こういう、滑らかで美しい音響、やっぱり好き (^^)

クセナキスはプログラムによれば
65人のオーケストラ・メンバーが全部違うメロディで
インターバルやダイナミック、音の響きが黄金分割による云々とあるが

   そんな難しいコト、わかりませ〜ん ヘ(x_x;)ヘ

ユニゾンで始まって、音が拡散していく部分などは
数学か物理学のグラフを見ているような感じはするが
それだって、プログラムを読んだシロウトの偏見かもしれないし・・・

最後は、待ってました。ヴァレーズだ〜い!!!

アルカーナは実にエネルギッシュな曲。
難しい解説はさて置いて

CD で聴くのと、全然ちがう〜〜っ!!! (((^^;)(;^^) ))
やっぱり、ナマのオーケストラでホール一杯に響きわたると
すごい迫力に圧倒される。ううう、何か、もう、すごく幸せ (*^^*)

楽友協会から場所を移して
22時からウィーン工業大学の天井ホールでの電子音楽。

お目当てはヴァレーズの Poème électronique
これだって、CD や Youtube (しっかり入ってます)で何回聴いたやら。

でも、ちゃんとホールで、何台ものスピーカーから流れると
音が、あっちに流れ、こっちで溶け、というのがまざまざとわかって嬉しい。

ヴァレーズについては、別項で書くつもりだが
「音楽の素」としての「音」そのものを純粋に取り扱ったという意味で
1958年に、ブリュッセルの万博フィリップス館(クセナキス設計!)で
演奏された Poème électronique は、センセーショナルだったのだろうなぁ。

他の電子音楽も、とても面白かった。
だって、まぁ、Zappa は例外として、全部、似たように聴こえる「音響」なのだ。

で、こういう「音響」って、いわゆる「音楽」と決定的に違うのは

   「音楽」は感情に訴えてくる
   「音響」は感覚に訴えてくる

感情抜きに、もう直接、肌というか体感にビリビリ感じる感覚。

実はヴァレーズの最後なんか
あれ? という感覚があって、何だろう、と思ったら

ジェット・コースターに乗った時の「あの」感覚が再現されていたの。
(普通は、日常生活でも、コンサートでも、そんなコトはあり得ません)

現代音楽が万人向けではない事は確かだけど(私だって心の準備をしてから行く)
でも、この手の「音響」を私が好むのは、「感情」に直接触って来ないから。

たぶん、色々とあって、感受性が限りなくゼロに近いので
感情に訴えかけてくる「音楽」は、時々、うっとうしい。

   あら、いかん、ワタシが冷酷な人間だってばれちゃった?!(自爆)


現代音楽で大ゲンカ

昨日は久し振りに超の付く高級レストランで
夢のような3コースのお食事に
シャンパンにワインにコーヒーという
うっしっし〜 な体験だったのだが
グルメ・ブログではないので書かない(笑)

その後、かなり酔っ払った状態で
彼氏もどきのところに押しかける。

「今、ちょうどウィーン・モデルン現代音楽祭で」

   と話し出したとたん

「あんなくだらんもの!!!
 だいたい、演奏者も聴衆も、鼻モチならない!!!!
 自分たちがエリートだと思っている集団じゃないか!!!!!
 一度行ったが、絶対に、もう、あの連中の中には入りたくない!!!」

実は大昔、2004年、この手のコンサートに、彼氏もどきを誘った事がある。
もちろん、チケットを2枚買ったのも、私である。

早めに行って、一番前の席を2つ確保したのに
モドキは、休憩中に帰ってしまうし
(君の彼氏はどうした?なんて言われて、恥をかいたのはワタクシ)
その上、あとで散々、文句を言われたのだ。

いわく

「やってる音楽家が楽しそうにやってない。
 聴衆の格好が汚い。ネクタイしている人がいない。
 みんな、自分はエリートだと勘違いしている奴ばっかり」

     ・・・で???? それが何か???????

私にはどうしても理解できないのだが
現代音楽ファン=エリート と言うのは、どういう偏見なのだ?!

現代音楽祭のコンサートに行く、と言ったら
「偉いわね〜」と言われて、ひっくり返った事がある。
何処が偉いんですか????

私にとっては

  普通のクラシックのベタな名曲アワーでも
     ルネサンス音楽の特殊なコンサートでも
        ゴリゴリのクラシックのバレエでも
       モダン・ダンスでも
                 ワーグナーのオペラでも
                      現代音楽のコンサートでも

    全部一緒ですけど・・・・

で、来ている人と、別に交流を持とうとも思わないから
「私は現代音楽がわかるエリート」と思っている聴衆もいるのかもしれないが
別に害はないし(笑)
少なくとも、普通のコンサートで現代音楽が演奏される時の
イヤミなゴホゴホの咳や、「何だこれは」とか言う囁き声が聞こえないだけありがたい。

「理解できないから」という人も多いけれど
現代芸術なんて
もともと、誰にも理解できませんって(笑)

「理解できないモノ」というのは、えてして好奇心を刺激する。

何で? 何故? どうして? という疑問が出てくると
次から次へ新しい発見があり
鑑賞方法・・・というか、聴き方、観方の変換を迫られたりして
それはそれで、今までと違う地平線が現われたりする。

それでも、結局は「理解できない」のだが
でも、芸術に「理解」って必要なんでしょうか?(←根本的な疑問だわ)

彼氏モドキは、革命家が好きなので
モーツァルトの大ファンである。
モーツァルトは当時の貴族にたてついたから偉い人なのだそうだ。

「だったら、イアニス・クセナキスの音楽も好き?」
「誰だ、それ」 

    あら、珍しい。普通、何でも知っているインテリのエリートのくせに。

ナチス反対のレジスタンス運動で左目を失い、死刑の宣告を受け
フランスに逃げて、コルビジェのアシスタントになり
ブリュッセルの万博の、今でも伝説になっているフィリップス館を設計し
メシアンのもとで作曲を勉強したという
政治でも、芸術でも、いわゆる「正義の人」で「革命家」よ?

「CD を持ってきてくれたら聴く」

あ、そうですか?!

「この間のクセナキスの電子音楽は
 50分くらい、93デシベルの音響だったんだけど・・・」
「くだらない、あほらしい!!!」

人柄とその作品というのは、別に連動していないと思うのだが
彼氏モドキの中では、完全に連動しているらしい。

今度、「ゴットフリート・フォン・アイネムって好き?」と聞いてみよう(笑)
(アイネムは社会党の政治家だったので、生前はかなり演奏されていた。
 亡くなったら、誰も演奏しない・・・)

好みが違うだけだから
向こうがモーツァルトを聴いても、別にかまわないし
(私はモーツァルトが苦手である)
別に現代音楽のコンサートに誘うワケじゃないし
コンサートのチケットをねだる訳でもないのだから

   人が行っているコンサートに
   勝手な偏見でケチつけないでくれる???(怒)

どちらかと言えば
現代音楽コンサートに好んで行っている人って
別に自分をエリートとは思ってなくて
周囲の、行かない人の方が、偏見を持っているような気がするのだが・・・・

どうなんでしょうね (^.^)


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